はてなキーワード: 芸術祭とは
1)
いや、専門家の批評・論評も、素人の「このアニメつまんね」の一言も、どちらも作品に対する評価だよね、というだけの話で。
もちろん議論していただくのは構いませんし、一方で別に議論しなければならないわけでもない、プリミティブな感想で済ますのだってアリでしょう?と。
2)
teebeeteeさんは「手法」「技術」「様式」あるいは「文化」のような言葉が妥当である様に仰いますが、「いつものやり方」といった意味を持たせたい場合、(「手法」ではなく)「風習」という語彙の選択は、それほど無茶苦茶な事でもないでしょう。また、例えば「慣習」であればteebeeteeさん的にOKだったのだろうか?という事も気になります。辞書的には、あまり意味の差はないようですが。
それと、嫌韓の人たちが使っている言葉なので、「かの国」は問題のある言葉である…の様な考え方は、とても真っ当な思考だとは言えません。完全に順序が逆転しています。
恐らく、貞本氏のツイートには『“かの国のプロパガンダ風習”っておかしいよね』の意味が含まれているとは思いますが、では例えば『A氏のスキップって変ちくりんだよね』と言った時、それはA氏という人物全てを否定した事になるのでしょうか?と。
敵愾心について。その内容、またはもたらす影響力の大きさによって、思想・表現が「絶対悪」にされる事こそが「価値観の自由競争(市場)」に反する、正に「表現の不自由」ですよね。『「表現」はどの様な「影響」を与えてもよい』というのは最早、前提レベルです。
teebeeteeさんがその様にお考えかどうかは分かりませんが、『「とある表現」は悪影響がある』みたいな考え方の時点で、思考が捻転してると気付くべきです。それを「悪」と設定するのも、「別のとある思想」以上のものではないのですから。せめて『私にとって都合が悪い影響がある』と言うべきでしょう。
もちろん、あくまでteebeeteeさんの中では「悪い事」だ、という限りにおいては、特に言う事はありませんが。同様に、人道なんてものも(ぶっちゃけ武士道だの騎士道だのみたいな存在ですし)、普遍的な規範として掲げず、teebeeteeさん個人それとしているに留まるならば、やはり特にこちらから言う事はありません。
3)
まず貞本氏の『現代アートに求められるのは、面白さ!美しさ!驚き!心地よさ!だ』という考え方があり、それに対してブコメで『貞本氏は現代アートへの理解が浅い』といった様な批判がある、というのを踏まえての話です。
つまり(teebeeteeさんも貞本氏の「現代アートに求められる」の事をあまり一般的ではない、と仰っていたが)、『「もっとアートに親しんでほしい」的なイベント』としては、むしろ貞本氏の様な理解こそが本流であって、「不自由展」のようなものの方が異端ではないの?という話です(別に異端だから即、展覧会から排除せよという話ではない…もちろん不人気ゆえに淘汰される事はあると思うが)。
4)
という事は、例えば「このアニメつまんね。もっとxxxな感じだったらよかったのに。」といったものは「独善」だ、という事ですか?だとしたら、それはやはり極々正当な「独善」ですよね。
先に述べた通り、貞本氏のツイートに「潰す(中止・撤回させる)」といった意味は見受けられません。また「運動」(抗議活動)によって中止・撤回させよう!…といったものでもありません(そもそも現時点でそれをする意味はないが)。
“自分の興味や許容範囲を芸術祭に押し付けていいのは、正規に専任された芸術監督だけ”というのもおかしいです。むしろ逆に、すべての人が正当な需要の発露として“押し付け”てよいはずです。
北海道物産展(別に北海道じゃなくてもいいけど)のラインナップは、確かにバイヤーさんが「キュレーション」したものかもしれませんが、だからといって客や客予備軍が『あの店は良かったし、あの店はイマイチだった、もっとこんな感じの展になって欲しい』『この程度の品揃えでは行きたくならない、xxxとかあればいいのに』と、その需要を発露してはならないなんて事はないでしょう?まぁ、あれらの場合はもっとダイレクトに売上が物語ってしまいますけれども。
またそれが、店頭で、あるいはSNS等で「この店は相応しくない!閉店すべし!」といった抗議活動を行う事とも全く違う、という話も理解できますよね?
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後、納得したというより、やはり「風習」の解釈は考えすぎだと思うが、teebeeteeさんが「風習」という言葉にそのような意味を見出したため、そう感じる事になったという事については、あくまでteebeeteeさんの内側の話であり、こちらから文句を言う筋合いはない、teebeeteeさんの勝手である、という話ですね。
一方で、これはteebeeteeさんに向かって言うわけではないのですが、感想が「事実化」する、という現象には気を付けたほうがよいでしょう。
例えば、『貞本義行は差別主義者だ(と思う)』という自身の内側で熟成された感想でしかなかったものが、https://b.hatena.ne.jp/entry/4672773449994362818では既にいくつかのコメントにおいて「事実化」しており、『差別主義者が言い訳している』という見方しか出来なくなっている様子が観測できます。
また、
中韓アニメーターは所詮下請け扱いでまともなクリエイターとして見ていないんでしょう。そうでなければ「かの国の」などと国民全体を侮蔑するような表現は使わないはずです。— aschheimm (@aschheimm) August 9, 2019
貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるか貞本さんのツイートはBBCの特集で話題の「犬笛」表現に加え、女性蔑視、ルッキズムやI have black friends論法も同時に使ってるので、差別主義者の典型表現がふんだんに詰まった文章になってるんですよね。2019/08/10 06:36
も紛うことなき「事実化」ですが、まずこの「犬笛」判定が「エスパー」と紙一重である事には注意された方がよいですし、また「犬笛」か「エスパー」かに関わらず、記述されていないそれを責めるという事は、つまり内心への糾弾である…という事くらいは認識された方が賢明でしょう。
あいちトリエンナーレの件で思うのは、まず美術鑑賞の基本が身に付いていないこと。
そのため展示についての疑問ではなく作品に対しての疑問が多く出ていると考えています。
優れた美術、芸術は無条件に美しいと感じさせる、感動させる力がある、みたいな方が多いと思いますが、それは美術鑑賞としては基本的に間違いです。
美術鑑賞は美術史の文脈とその中での役割をもとにするものです(現代美術作品の方が文脈を重視しますが、文脈から切り離して「アート無罪かよ!」みたいは批判は全くの的外れと言えます)。
価値観は人それぞれです。同じ作品に対してだれもが一様に美しいと感じることはありません。
それを無視して「感動させる力を持っている」という独善的な基準で作品を並べるのは、あまりにも不寛容な(さらに言えば強要を伴う)展示と言えます。
美術館へ行くと鑑賞の手引きとなるようなキャプションや音声ガイドがありますが、美しい!感動した!みたいな鑑賞を求めていないことからも理解が出来ると思います。
なので、独善的な展示にならないよう美術館などは専門のキュレーターにより展示を構成しています。
今回の問題の一つに、キュレーターの軽視があると考えています。
イラストレーターにただで絵を描いてもらおうとしたら叩かれるように、美術展の展示構成の専門家であるキュレーターを軽視すれば同じように叩かれるべきだと思います。
色々出てきた情報から推察すると、あいちトリエンナーレはキュレーターを軽視しているのは明らかでしょう。
横浜トリエンナーレ、妻有トリエンナーレ以降でしょうか、日本各地で様々な芸術祭が増えましたが、美術ではなく単なる客寄せイベントとしての性質が強いように感じます。
キッタネー少女像。
天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー。
かの国のプロパガンダ風習
まるパク!
現代アートに求められる
面白さ!美しさ!
驚き!心地よさ!知的刺激性
が皆無で低俗なウンザリしかない
ドクメンタや瀬戸内芸術祭みたいに育つのを期待してたんだがなぁ…残念でかんわ— 貞本義行@腰痛 (@Y_Sadamoto) August 9, 2019
というツイートに対して、
https://t.co/3wqZGCqLzd"所詮個人の(特定集団の、というべきか)感想だし何を言おうが勝手だが、胸の悪くなるような悪意でグジュグジュの言語感覚が本当に気持ち悪いので、人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人だな、と思った。
特に胸糞悪くなる様な文章では無いと思うのだけれど、どのあたりがそうなのだろう。もちろん、胸糞悪いというのも、個人の感想なら勝手だし、ブコメを書いちゃ駄目な人だとも思わなのだが。
私の書いたことを反復してやり返されてるあたりに煽りを感じなくもないけど、
上記ツイートを読んで胸が悪くならない人にとっては正当な疑問だと思うので、
説明を試みる。
「キッタネー」なんて言うのは、論評の範囲を外れた軽蔑の吐露でしかないと思うが、
ここは文頭でもあるし、多少どぎつい表現で書き出して読み手を引っ掛けるのは、
ぎょっとするけど、まぁ何を言うのか読んでみるか、と思わされるところはある。
ただし問題は、後段で「キッタネー」と思う理由の言語化を試みていないところにある。
あえて斟酌するなら、技術の不足や表現の杜撰さによって不快を感じた、ということで、
イラストレーターの鋭敏な美的感覚からすればそういうこともあるだろうと思う。
「そんな重いものを表現するのに、そんな適当な仕事でいいのか?」という方向で、
表現の意図を(賛同しないにせよ)酌んだ上で、その実現における難点を、
実物に即したかたちで(つまり実際に観察した上で)言語化しているのであれば、
「キッタネー」と文頭で言うことぐらいは許されると思う。
でもそれをしないで「キッタネー」とだけ言ってるので、やはり論評とは言えない。
単に政治的文脈に対する不快感を、仮構した芸術的不備に転嫁しているように読める。
ただしこれだけなら「感想」の範囲ではあって、明確な悪意までは感じない。
単にぶっきらぼうで露悪的な言動を好む人なんだな、と思うだけ。
「天皇の写真を燃やし〜」という作品についての論評として書かれているのだが、
ここで「風習」という語を選択するところには、明確な悪意が込められている。
この文脈(作品の表現の引用元を指摘する)で「プロパガンダ」と連結しうる語は、一般的には
「手法」、次点で「技術」「様式」、あるいはちょっと意味を拡大して「文化」といったところである。
しかしそれらの語を選ばず、あえて非標準的な「風習」という連結語を選ぶことの含意を分析すると、
「プロパガンダ」に「風習」という語が含む土俗的、前近代的なイメージを付着させ、
かつそれを、発言者が揶揄の対象としている(おそらく)東アジアの一民族が古来から持つ習俗、
と考えていることが見て取れる。
言い換えるなら、特定の民族に対して「未開人」「土人」などと呼称するのと同型の差別的な認識を、
しっかり内面化し、かつ機会があれば表現するのをためらわないからこそ、
「風習」という語が(「手法」や「文化」を押しのけて)ここで選択されているわけである。
作品についての論評の一部(引用元の指摘は端的な論評と言える)ということで、
ギリギリ許容されうるのかもしれないが、婉曲的なヘイトスピーチである。
婉曲的、は外してもいいかもしれない。
「現代アートに求められる」もの(あまり一般的ではないようだけど)を列挙して、
これは個人の感想であって、自由に発言されるべきものだとは思う。
より辛辣にすべく「低俗な」と付け足すところに、悪意の奔出が感じられるのだが、
「発言者がウンザリすること」自体を「低俗(下品で程度が低い)」だと言っている、
とも解釈しうるので、「(作品が)低俗なことにウンザリ」と補うべきだったと思う。
悪意が先走りすぎて言語が崩れている箇所、と言える。
「胸の悪くなる」とまで言ったのは、こういうところである。
4)「育つのを期待していたんだがなぁ……」
言うまでもなく、展覧会の将来を勝手に先取りして否定して悲観してみせるのは、
現在行われている展覧会あるいは個別の表現の評としては、意味のあるものではない。
発言者としても「これは良くないな」と思ったからこそ、自己リプライで要望を書いて、
自分の望むようなものであれば応援したいのに、というポーズを見せているのだと思われる。
あと、ドクメンタや瀬戸内芸術祭にだって、発言者が不快に思うような
プロパガンダと解釈しうる展示がまったくないとは思えないけど(なにしろ大きいから)、
それはまた別の問題である。耳に入らなければOKなのかもしれないし。
ただし、勝手によその芸術祭の権威を借りてきて論難の武器に使うようなのは、
あまり責任感のある言動とは言えない。虎の威を借るなんとやらに見える。
名前を出すなら、せめて一つくらいはモデルケースを挙げて論じて欲しいところである。
ついでなので、上記ツイートに自己リプライで書き足されている部分についても、
悪意を感じる箇所を指摘しておく(埋め込みは省略)。
どのメディアを指していってるのか知らないけど。
6)「プロパガンダをアートに仕込む行為も全く否定しないけど正直
アートとしての魅力は俺には全く響かなかった」
アートとして失敗してると思うなら、プロパガンダとしても効力は薄いと予測できるわけで、
ひっそり敵失を喜んでいればいいんじゃないでしょうか。
そういうわけにもいかないのかな。
以上のようなわけで、拙ブコメの
「人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人」
というのは不当で過剰な個人攻撃だったかも、という視点から再検討してみたんだけど、
主に2)の理由によって、撤回するほどでもないな、という結論になりました。
もちろん露悪的な言い方であることは進んで認める。
報道や各種メディア、個人が様々な媒体で伝えているこの事柄に対して、私個人のごく私的な見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、つらつら書いてみようと思う。
・検閲
今回発生した問題は検閲の問題ではない。現在紙面やネットで騒いでいる検閲という問題は、当事者の手を離れた部外者による場外乱闘であった。扇情的な展示に対して、権力を扱う不用意な政治家が、自制せず権利を侵害する発言を行ったことは大問題であるが、ここまでくるともはや展示云々ではなく、国家、自治体による権利侵害(の実行又は脅迫)という、大事な問題だが、別方向の問題として切り離して考えるべきで、後述する問題を覆い隠してしまうことになる。展示を取りやめたのは、大量の抗議や脅迫、犯罪予告により、芸術祭にかかわる方々の安全を確保できなくなったという状況に陥り、該当展示の実行委員会(実行キュレーター)の同意なしで中止に至ったという顛末と理解している。
芸術市場が大きい欧米諸国に対し、日本国は元々芸術品の売買に対して諸国のような減税優遇措置をとっておらず、バブル期を除き、民間のギャラリーを経由した売買や、流通操作で伝統工芸品を大型百貨店の展示場で、国内のみ通用する相場で販売する程度であったが、バブル期~90年代の大型公共投資の連続からハード面での地域振興策が資金、コンプライアンスの両面で実行が不可能になった自治体における「少額で、短期間で既存のインフラを活用でき負担が少なく、運が良ければ国際的な知名度を上げることができる。」ツールとして、この10年雨後の筍のように芸術祭が乱立する事態となった。そこでは、ノウハウのない自治体が、自称地域文化の担い手である新聞社に丸投げ、そこからコネ採用された力のないキュレーターは、自身の貧弱なコネクションで囲い込んだ微妙な作家しか呼べず、投下した税金の割に貧相な芸術祭になった場合。自治体が運悪く山師に金を預けてしまい、多額の不適切支出で泣き寝入りになった場合。など皆さんが思っている以上に税金を使用したイベントにはトラブルが多い。税金が投入されるイベントは前提条件として・補助金申請等の手続が煩雑・大小の自主規制や、地域ルールに縛られる・税金が原資なので、疲弊した財務状況の自治体では開催不能、批判を招く場合がある。税金は芸術より生活政策に資金が回されるのは当然である。所詮流行りの水物なのだが、皆さんが思っているより所謂コスパの良い地域振興策なのでなくならないだろう。
今回の問題では、アートと異なる展示がなされているという意見が多く出ているが、大きく表現の自由と括られる中でも、その自由の元に「どの媒体で」「どのような手段で」「どの程度の深度で」、成果物として表現しているかは人それぞれ、所属する社会により異なるという点。またアートは政治と不可分であるが、極端な扇情(アジ)を行わなくとも、その行為がそもそも自由を行使しなければ表現できない、自由で平和な状況でなければ創作活動はできず、人の創造性を発揮できない点が大前提であり、自由の中で個々人が世界との関わりの中で何らかの美醜混じった真理を見つけ、それを昇華したのがアートとすると、今も表に出ない問題の一つ、表現の自由を行使する媒体と手段の衝突という背景が見えてくる。
新聞社や論壇を中心とするジャーナリズムは、文字を用い、抽象化している諸概念を文章化し、権利と自由を、守り、啓蒙し、扇情したりするわけだが、小説などと異なり「直感的に察する/察させる」機能は弱く、相手を文字化、文脈という論理化してしまった問題に対し、「同意するか」「同意しないか」の二者択一を求めてしまう。そして問題となった展示は、実行委員会の多くが学者又はジャーナリズム出身という状況で、同じ表現の自由でも、性質が異なる表現を行ったことが原因にあり、一般市民が考える「アート」とイコールにならなかった。「これはアートではない」という声である。表現はしているが、アートではないと。
アーティストと名乗る作家にも問題がある、この「ステートメント芸術」と揶揄される表現は、業界に詳しくなれば詳しくなるほど根深く、呪いともいえる。
アートという行為、物質/空間/映像/音楽で意図が伝わるよう、意識を特定のベクトルへ向けるよう誘導し、表現しなければならない所なのだが、その実力がない作家の中に、延々とそれらしい説明文を付けて意味づけする行為や、文脈という補助要素を主要素に持って来て、実態だけを見ても理解不能となる。そのような作家は大体退場していくのだが、言葉が主戦場のジャーナリズム界隈と親和性が高いので、変な形で融合してしまうことがある。
「文脈を追うのが現代アートだ」という解釈の誕生である。一面では事実だが、全てではない。
ビジネスの世界でこの行為を言い換えた表現としては「ストーリー」という言葉がある、そしてこれを最大限活用した米国の企業、セラノスの末路は多くの人を巻き込み凄惨なものであった。
・何が問題だったのか
①監督が芸術キュレーターの経験がなく、自身の分野であるジャーナリズムの文脈で解釈した表現を、芸術祭にねじ込んだ為、酷く食傷を起こしてしまった。
②食傷を起こしてしまった後の対応が、構造を理解している人の不足で収まっていない。
①食傷を起こした理由は長々と書いた。経緯として自分たちが表現の自由の最前線で、他の作家は何も考えていない。ように捉えられてしまうキュレーション(自由の世界におけるジャーナリズムの優越性)をしてしまったのが原因にあると考える。結果、津田氏がFM番組で発言したように「自分一人ならナイフで刺されてもいい覚悟だが、関係のない人を闘争に巻き込んでしまった」という発言につながっている。
表現は自由であるから、闘争を持ち込むなとは言えないが、徹底的なゾーニングと仕掛(言語化できている主張表現に容易にアクセスできる導線を作る)ことが必要であった。言語化できている(と思われる)主張表現に対して、実態が追い付いていなかったのではないだろうか。
不特定多数の威圧行為は、少数で行う創作活動にとって凶悪な暴力であり、過去も多々あり、これからもなくならない。すべての事柄に寛容な社会など来ないし、永遠に付き合わなければならない。
②をわざわざ書いたのが、今回の騒動で最も被害を受けている、他の参加作家に対して謝罪と対策を行っているのかよくわからない状況だからである。
・誰が最も被害を受けたのか
昨日声明文を出さざる得ない状況に追い込まれた、他の参加作家である。それぞれの表現を深化させて今日を迎えているが、キュレーターがバランスを取らず、独自にプレイヤーとして創作活動を我田引水した結果。必要のない状況で、自身の作品を見てもらうという重要な事柄を達成されないまま原理原則論の確認や主張を行わされたのは、イベントの主催者として責任が重大である。表現の自由は大事だと言うに決まっている。また、作品を撤収せざる得ない状況に追い込まれた海外からの参加者に対して、展示機会を奪った結果になった事も忘れてならない。マスコミが何をキーヴィジュアルとして記事にするか理解して、扇情的な人形を配置しているのは明白で、記事を見た輩が抵抗/抗議を通り越して、挑発と解釈してしまった訳である。撤収した2人は、必要のない場面で・積極的に日本側の行為に抗議を行う・無視した場合に自国内で起きている扇情的民族主義の標的になることを避ける。2者択一の判断に迫られた。
昨日声明に協賛したのは参加作家全員でないだろう、検閲を受けたわけでもない、こういうキュレーターのミスによる騒動に対してのスタンスは作家ごとに異なるのは当然である。
・なぜここまで注目が集まったのか
芸術は本質的に生活必需品とは言えない。生活環境が改善し、可処分所得と余暇がある状況下で初めて人は関心を持つようになる。今の日本、問題は起きているが、ネットで百家争鳴する位この国は文化的に成熟しており、得体の知らない世界に関わりを持ちたい気持になったのは素晴らしいと思う。物事の全ては飛び込んでこそ妙が分かる。威圧や脅迫はださく醜悪である。そしてアートはこんな長文も飛び越えて一瞬であなたの感性に突き刺さる力を持っている。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 50 | 6221 | 124.4 | 49 |
01 | 84 | 12955 | 154.2 | 39.5 |
02 | 43 | 13133 | 305.4 | 61 |
03 | 19 | 6319 | 332.6 | 152 |
04 | 11 | 877 | 79.7 | 59 |
05 | 11 | 971 | 88.3 | 61 |
06 | 47 | 5155 | 109.7 | 57 |
07 | 70 | 5297 | 75.7 | 35 |
08 | 68 | 5167 | 76.0 | 35.5 |
09 | 181 | 15096 | 83.4 | 45 |
10 | 242 | 18763 | 77.5 | 45 |
11 | 229 | 19700 | 86.0 | 46 |
12 | 187 | 14577 | 78.0 | 44 |
13 | 182 | 12709 | 69.8 | 32 |
14 | 182 | 11610 | 63.8 | 29.5 |
15 | 192 | 13225 | 68.9 | 34 |
16 | 144 | 10929 | 75.9 | 31.5 |
17 | 155 | 14055 | 90.7 | 43 |
18 | 125 | 8812 | 70.5 | 39 |
19 | 160 | 12260 | 76.6 | 32.5 |
20 | 131 | 10882 | 83.1 | 28 |
21 | 116 | 6913 | 59.6 | 25.5 |
22 | 192 | 17299 | 90.1 | 31 |
23 | 197 | 16899 | 85.8 | 34 |
1日 | 3018 | 259824 | 86.1 | 37 |
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6514322(1725)
1989年、少女小説『星からきたボーイフレンド』(津原やすみ名義)でデビュー。また3年間、代々木アニメーション学院にて特別講師を務めた。
1996年、『ささやきは魔法』を最後に少女小説から引退し、翌年、津原泰水名義での長編『妖都』を上梓。
1997年、津原やすみ名義の作品が北京語版・朝鮮語版で発売される。著者名は「津原靖美」と表記されている場合がある。
2003年、『少年トレチア』で第56回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門候補。
2006年、高校時代の吹奏楽部での体験をもとにした『ブラバン』を発表。ベストセラーとなる。
2010年、尾崎翠原案の『瑠璃玉の耳輪』を上梓。翌年には尾崎翠フォーラムにて講演を行う。(講演録は文庫版に収録。)『バレエ・メカニック』で第41回星雲賞日本長編部門候補。
2011年、「五色の舟」「テルミン嬢」(『11 eleven』所収)ともに、第42回星雲賞日本短篇部門候補。『ブラバン』で第1回広島本大賞候補。
2012年、『11 eleven』で第2回Twitter文学賞国内部門1位。
2014年、近藤ようこにより漫画化された『五色の舟』で第18回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞。
2016年、『ヒッキーヒッキーシェイク』でSUGOI JAPAN AWARD 2017 エンタメ部門候補、第33回織田作之助賞最終候補。
男性も常日頃消費されてますし国に認められましたよ 良かったですね
㊗️第22回文化庁メディア芸術祭㊗️
紗久楽さわ先生のお江戸BL『百と卍』が、なんと✨優秀賞✨を受賞いたしました!!!!!
BL作品としては初の受賞…!大快挙です!紗久楽先生、おめでとうございます😂😂🙌
📚試読 https://t.co/igehjLZkhh
📢作品紹介 https://t.co/ad3ZaLLeTbhttps://t.co/EsURmMDfyg pic.twitter.com/EbzOtY9vl0— onBLUE編集部 (@onBLUE_ed) 2019年3月1日
かつて現代美術の展覧会に行くと「なんでこの展示で1,200円も取るんだよ!」と憤っていたんですが、『現代美術を楽しむためには勉強が必要。勉強すれば楽しめる』という話を聞いて読んだ本です。
現代美術を楽しめるようになりました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4473015785/
『作品の意味が解らない人が多いと思うが、作ってる人も解らない場合もあるから気にするな』みたいなことが書いてあって面白かった。
https://www.amazon.co.jp/dp/4334727891/
『今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない』っていうのが、これまでの美術と現代美術を分けるところなんだと思います。
今日の芸術が、そうあらなければならない理由が、読んでると解った気がしました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4902078171/
『現代美術の価値は、世界の芸術祭で、著名なギャラリーの人間がある作者と会っているとか、そういうところで決まっていきます』みたいな話もあって面白かった。
それでも現代美術に関わるのは、それだけじゃないからなんだということも解ります。
他にも何冊か読んだけど内容忘れました。
色んな本で「作品は、創る人が半分創り、観る人がもう半分を創る」みたいなことが書いてあって、現代美術では観る側が重要な役割を果たすようです。
あと、アメリア・アナレスの《なぜ、これがアートなの》にはビデオもあって、その中でアメリアが「日本人はアートの楽しみ方を知らないんじゃないか?」に対し
と答えていたのには、「そう言われれば、そうだ!」と衝撃を受けました。
自由党の対応は連合と不仲だからだろう。文句は言うが票だけ寄越せと言う立場。その上市議会吉田系会派には森裕子の元秘書がいる。
自民系だが反原発色を強めるなど、仮に吉田が当選した場合小池百合子化するんじゃないか?と前から思っており不安なところ。
推薦を出すと政党間の主導権争いが起きるため(旧民進党も共産党もお互いあいつのせいで負けたと新潟県知事選の責任を擦り付け合っている)、これ以上の体制は作れない。
https://uploader.xzy.pw/upload/20180910220106_2175c8ff_6759667065.jpg
あまりに欲しいものがなかったのでネタとして苦し紛れに買いました…一度も使ってません…
せめて家で使えるおみくじ付きボールペンにすればよかったかもしれません…
https://uploader.xzy.pw/upload/20180910221130_46815c65_36634e326b.jpg
唯一素で欲しいと思えたのはこのMIYAZAWA KENJIハンカチと同柄の手ぬぐいだけでした…
KENJIの部分は内側になるよう折りたたんで使用しています…
https://www.timesclub.jp/sp/tanomachi_ex/iwate/hanamaki/images/001_ph015.jpg
http://www.miyazawa-kenji.com/pic/3.jpg
http://kouda.asablo.jp/blog/img/2015/12/03/3e2647.jpg
革小物とちりめん小物の多さは地方あるあるなのでいいとして、肝心の賢治グッズが…安そうなフォントの詩歌と版画もどきのイラストがあしらわれたようなやつばっかなんですよ。銀河鉄道の夜といいポラーノの広場といい、宮沢賢治ほどビジュアルモチーフに強い文豪なんてそういないのに!もったいなくないすか!マジで!
ググったら出てきたビレバンのグッズの方がだいぶマシだったぞ!
https://vvstore.jp/s/search/q=%E9%8A%80%E6%B2%B3%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E5%A4%9C
記念館および隣接する童話村はほんと素晴らしい施設なんです。特に童話村の展示の、各々のイメージを壊さない絶妙なラインをきわめた世界観の再現っぷりには感動しました。あとイルミネーションが言葉を失うほど美しかった。インスタに写真を載っけたらえらい数のいいねがついた。車でしか行けないような山中なのに10代20代の男女がたくさん来てた。
だからこそ悲しかったんです…あれだけ素晴らしい展示だったのに、ろくに貢ぎようのない売店だったことが…。同時に地元(瀬戸内海)のおみやげ達がいかにデザイン頑張ってたかも思い知らされました。国際芸術祭があったからでしょうか。
お願いです、次来る時はもっと花巻に貢がせてください。何かしらは買わなきゃなんて血眼にならなくても済むようにしてくださいお願いします。欲を言えば刺繍絵本(https://www.amazon.co.jp/dp/4898152783)のモチーフでなんか作ってくれたら泣いて喜びます。
ただの資料として
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3
・クールジャパンは経産省の政策(文化省や総務省は別の施策を行っている)
・クールジャパンの目的は 情報発信⇒海外展開⇒人を国内に呼び込む という3段階が目的
・経産省の施策のため、文化維持などが目的ではなく基本的には金銭的なものが目的である
・コンテンツ輸出は基本儲からない(赤字と言う意味ではなく総額が低いと言う意味)
・よって海外展開(アウトバウンド)⇒人を国内に呼び込む(インバンド)が重要点になる
・現時点での実績を鑑みると、複数の報道とは裏腹に「結果だけをみれば」クールジャパン政策は"成功"している
・なぜならアニメの海外への輸出額や二次元産業という文化輸出自体が成功しており、さらに日本国内への観光客は安倍政権になってから爆発的に増大しているため、情報発信⇒海外展開⇒人を国内に呼び込む という流れは成功している
・ただし、円安誘導はともかく個人的にはやはり経産省の組織である海外需要開拓支援機構(クールジャパン機構)そのものは問題を抱えていると思うし、アニメ輸出の成功はクールジャパンの成功と結びついているとは言いがたい。
※この3段論法は2000年代前半に「アニメは海外で儲かりますよ」という誤った認識が流布された際の反省点として改良を加えた論法に見える⇒気のせい?
・クリエイターの保護は経産省ではなく恐らく文科省の役割であると思われる。ただし、権力は弱い
・実写とアニメは製作者にも視聴者にも溝を感じる⇒実写界隈の人が無闇にアニメを叩いたり、逆にアニメ側も成長した結果復讐に走る傾向にある。
・これは文化政策を考える上で致命的であると考える。本来は一致協力して政府に意見を述べたり圧力をかけるべき
・ただし、実写側もアニメ側も政府を基本的に信頼していない傾向にあるように見える
・近年のコンテンツ施策は様々な国で行われるようになっている。アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、韓国、中国、またナイジェリア等の新興国でも文化政策としてコンテンツにお金を出すようになっている。
・そのため日本でも政府との協力をおこなわなければ大幅に不利な戦いを強いられることになる
・よって個人的には"なんらかの形で"政府の協力を得るべきだとは考える
・政府が出資した漫画が海外で全然売れないという話がまとめサイトなどで流通したが、あれは海外で設けられる事業を探るための総務省の施策である
・「儲けられるか儲けられないかを判定するために小額のお金を出資しますからマーケティングしてきてください」という話である
・その結果東南アジア(の特定の国)で漫画を売るのは現時点では難しい、という結果を得ることが出来た(つまり別に失敗していない)
・資料を見るとわかるがラーメン店出展は黒字になっており、近年のラーメンが海外で受けていると言った日本国内の報道はそういった点のフィードバックであると考える。
・純粋な文化維持政策は庵野などが関わっている国立メディア芸術総合センターのみではないか?
・⇒そういやアニメたまごがあった、あとは文化省メディア芸術祭か
・優先度低い企業に補助金という報道があったが、これは新興企業ではないから、ベンチャーに投資しろということか?
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018051800343&g=soc
・個人的には字幕翻訳は最も重要な点だと思われるので間違っているとは思わない
・ただし、クールジャパン機構の設立趣旨からはずれると考える(投資ファンドのため
・6月末でクールジャパンの社長が変わる。⇒官民ファンドは10個ほどあるがクールジャパン機構は最も失敗している部類であるため(う~ん
・ファッション系の大田社長から、音楽・アニメ系のソニー・ミュージックエンタテインメント前最高経営責任者(CEO)の北川直樹氏へ
・投資先が現在の「海外におけるファッション・食・デパート等」から海外における「エンタメ」に大幅に切り替わる可能性?
・実績を踏まえても海外はエンタメ系に割り振って、ファッション・食・デパート等はインバウンドで儲けるべきというのは誤ってはいないように見える
・実写が置き去りになっている。⇒ただし、映画を都市部でも撮影できるようにするという仕組みを整えようとしている、という施策を進めている
⇒唯一?、会見にHEROSに出てたマシ・オカや浅野忠信等が参加していたと思う
・クールジャパン機構と総務省の施策と文科省の施策と内閣府直轄でそれぞれ別の施策を打っているように見える⇒縦割り?
・純日本だけで海外展開を進めるのは無理という意見がチラホラ出始めている。
・実際アニメはクランチロール、NETFLIX、bilibili、iYQIYなどの協力なしでは無理に見える。⇒フランスのWakanimはアニプレ参加でしたね
・でもヨーロッパへの輸出額が減っているのが気になる
・米中は大幅に増大しているけどヨーロッパで若干減っているのが気になる⇒クランチロールなどに全部吸い取られている?
・toonamiでFLCLやったり、アカデミアも放送するみたいだけどテレビ放送は拡大できるだろうか?
・バンナムとかイマジカとか最近ついに海外進出を本格化させているように感じる。
・少年ジャンプもネバーランド(ノイタミナ進出)と鬼滅(Ufotabel製作)というのは海外受けをきちんと狙っている?
・ヒロアカのボンズ製作による日本から見てもアメリカ受けは相当すさまじく見える。⇒アニメのPV効果に気づいてきた?
・中国マーケットが落ち着いた昨年後半からアメリカ展開が加速しているように見える。
・NBAでゴクウがシューズが流行る、ジョンボイエガ(NARUTOファン)、マイケル・B・ジョーダン、キムカーダシアンなどの相次ぐセレブによるアニメファン告白
マイケル・B・ジョーダンは「親と一緒に住んで、背の小さい、アニメ好きは情けない」と言うリプライを一蹴する
⇒徐々にアメリカでアニメが市民権を得つつある⇒ニッチはニッチである、ただしその規模が相当拡大してきた
芸術祭や音楽祭をやるのは、観光客を呼んでお金を落としてもらうためであって、芸術家を育てるためではないと思う。
瀬戸内芸術祭には行ったことがあるけど、ほとんどの場所が入場無料で、有料なのは直島の美術館や、既に名が売れている芸術家の作品だけだったように記憶している。
あれは芸術家の支援というより町おこしイベントだ。ああいう芸術祭に作品を出すことで有名になって売れっ子になる人もいるかも知れないけど、特に役所が旗降り役の芸術祭では、基本的に出展する芸術家に対して「作品を発表する場を提供してやるからありがたく思え」というスタンスではないかと思う。
やっぱり芸術は音楽でも美術でも贅沢品なんだと思う。大成するかどうか先の読めない芸術家の卵に税金を使うぐらいなら、最近問題のいわゆる非正規雇用の人々の貧困問題対策とか保育所の充実とかに使ってほしいと思う。
そもそもアートはアーティストになりたい人々と実際にアーティストとして成功する人の差が激しいジャンルだ。正直一部の才能や名声に恵まれた人以外に対するニーズはない。
だからそんな割りの悪い投資を税金を使ってすべきではないと思う。できれば昔のヨーロッパみたいに芸術に理解のあるお金持ちが「こいつは凄い!」と見込んだ芸術家のパトロンになるみたいなのがあれば良いけど、今時のお金持ちって芸術方面に投資する気があるように見えない。
申し訳ないが基本的にアーティストは自助努力と才能と運次第だと思う。それに生きてるときは全然評価されなかった作品が作者の死後に評価されることもあり得る。貧困生活に耐えてでもアートの道一筋で頑張るか、他の仕事をやりながら趣味としてアートをやるか、アーティスト志望者はほとんどこの二択から生き方を選ぶしかないんじゃないの?
単純に津田大介のような胡散臭さ全開の人間が地元の芸術祭に関わるというのが嫌。
金沢市は山出保というリーダーシップのある市長が20年かけて、芸術と文化が街に溶け込んでいる景観を作り上げた。翻って今回の人選はどうだ。
あいちトリエンナーレはまだ次で4回目だ。ここで変にジャーナリズムとかメディアとかを出すと、祭り自体が鼻持ちならないものになってしまう。
文化庁とかのお固い催しにするならオーソドックスな人を選ぶべきだし、むき出しのアートに触れる原色体験を目指すならアバンギャルドな演出家を選ぶべきだ。
津田大介がやるようでは、作品や場所全てが彼自身の発信する道具として使われてしまうのが関の山だ。会期中にそれこそ東何某や茂木何某を呼んでトークセッションでもして、
「個のレベルで発信し、それが世間とリンクするという意味でアートとジャーナリズムは通じている」なんてしたり顔で発言してバズられたりするんだ。
ミユキです。
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メールマガジンは創刊からほんの2年で発行部数15万部を上回る
Instagramでは本格的に更新を始めておよそ3ヶ月でフォロワーが1万9千名に
公式ブログ「我輩は我輩である」は運用開始からわずか1ヶ月で月間10万PV突破
デザイン事業やメディアプロデュース事業、IT関連事業等のグループ4社を束ねる経営者
与沢翼氏の創業会社の副社長、グループ企業の社長を務めあげ、週刊誌にも特集掲載される等、その敏腕さを伺わせる。
2016年9月、タイのプーケット移住を機に自身の創業会社の社長を辞任し、ミュージシャンとしての再起に向けて再始動
現在はレコードレーベルオーナーとして音楽活動に心血を注ぐ新進気鋭の自由人
Amanaグループ関連グラフィックアートコンテストではグランプリを受賞したり、
アニメーターとタッグを組んだ作品では第13回新国際ニコニコ映画祭大賞とユーザー賞を受賞、
更に第15回文化庁主催メディア芸術祭で優秀賞を受賞したりと、
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http://www.huffingtonpost.jp/ryushi-osaki/art-festival_b_9284338.html
この記事がひどいと色々業界内で話題になってるからみてみた。たしかに仮にもマーケターと自称している人間がお金もらって失敗の理由をスクショ1枚で述べる、というのは残念すぎる。
この方、ハフポ書き始めたばっかりなのね。
http://ryushiosaki.com/the-beginning-of-huffington-post-blogger/
ご自身の紹介・意気込みページで「ネットの情報を鵜呑みにせず、自分で確かめる」って書いてるやん...そんなそばからスクショって...
ちょっと前に多摩美の芸術祭があったらしいが、エンブレムをネタにしているのは多かったんじゃないだろうか。
それで、以前ツイートが回ってきていたのを思い出して探してみたら、
その記事に載っている展示の、アーカイブサイトらしきものを発見。
http://www.idd.tamabi.ac.jp/o47059/Tokyo/
本当にクオリティが高い!
"鑑賞者各々に社会やデザインのあらゆる文脈が絡まったこの問題について思考を促す展示である。"
というコンセプト文が載っているが、確かにこう並べられると考えさせられるものである。
実際このエンブレムには問題なかったと思っているが、こう実際に使われてみてもやはり考えは変わらない。
学生がやったのなら、中々興味深い。それだけこの問題が影響あったってことなんだろう。
美大生っていうのは勇気があるなと個人的には思った。名前も出しているし。
実際のところ持ち上げている展示ではない様子だし、俯瞰する、という点に特化した展示で、
考えさせるというテーマに対して理にかなっている内容に見える。