あいちトリエンナーレの件で思うのは、まず美術鑑賞の基本が身に付いていないこと。
そのため展示についての疑問ではなく作品に対しての疑問が多く出ていると考えています。
優れた美術、芸術は無条件に美しいと感じさせる、感動させる力がある、みたいな方が多いと思いますが、それは美術鑑賞としては基本的に間違いです。
美術鑑賞は美術史の文脈とその中での役割をもとにするものです(現代美術作品の方が文脈を重視しますが、文脈から切り離して「アート無罪かよ!」みたいは批判は全くの的外れと言えます)。
価値観は人それぞれです。同じ作品に対してだれもが一様に美しいと感じることはありません。
それを無視して「感動させる力を持っている」という独善的な基準で作品を並べるのは、あまりにも不寛容な(さらに言えば強要を伴う)展示と言えます。
美術館へ行くと鑑賞の手引きとなるようなキャプションや音声ガイドがありますが、美しい!感動した!みたいな鑑賞を求めていないことからも理解が出来ると思います。
なので、独善的な展示にならないよう美術館などは専門のキュレーターにより展示を構成しています。
今回の問題の一つに、キュレーターの軽視があると考えています。
イラストレーターにただで絵を描いてもらおうとしたら叩かれるように、美術展の展示構成の専門家であるキュレーターを軽視すれば同じように叩かれるべきだと思います。
色々出てきた情報から推察すると、あいちトリエンナーレはキュレーターを軽視しているのは明らかでしょう。
横浜トリエンナーレ、妻有トリエンナーレ以降でしょうか、日本各地で様々な芸術祭が増えましたが、美術ではなく単なる客寄せイベントとしての性質が強いように感じます。
ただの紙じゃん
バカに合わせた展示をしろってこと?