はてなキーワード: 灰色とは
私はもう眠りはしない。
私には時間がない。
騒がしいバスターミナル
じわりと肌を湿らせる汗を拭いた
夏が来ると次は秋だと忙しない
誰も気には止めやしない
私の事もそう。
静けさがやってくる。
繰り返す毎日
無関係の誰かを横目に走る。
私は見た、帰り道にラジオを聴きながら
私は橋の上で肉を食う。
私は道で大声で笑う。
私は蛭子能収が好きだ。
私は必要以上の金に執着しない。
私の何がいけないのだろう。
それを宇宙人にぶつけたのだ。
すると宇宙人が微笑んだ気がした。
さすがに宇宙人と一緒に暮らす場合はおっぱい丸出しで体に変なペインティングをし槍を持って儀式をしなくてはならない風習があるならば私も少し躊躇うが、宇宙人は真夏に灰色のダウンコートを羽織りジーンズ的なものを召していた。
「子なし夫婦は結婚制度へフリーライドしているのではないか?」という主張には前々からもやもやしていたが、ある程度整理できたので書いてみる。
まず、結婚制度の目的が「子作り」であると仮定する。ここで言う子作りとは性行為及び出産を言うので、里親・養子縁組は含めない。制度の目的が「子育て」であるなら議論の余地があるかもしれない。よって、ここでは取り上げない。また、将来的に同性カップルが子作りできる技術が普及するかもしれないが、現状において同性カップルは子作りできないとする。
すると、
の3つに大別される。子供を産まないという意味で2と3は同等であり、しかしながら2は制度の恩恵を受ける。それは良いのか? という問いがよく聞こえる。答えを先に書けば「良い」である。
まず、「制度」に関する一般論から入ろう。そもそも制度は目的に厳密に合致していなければならないわけではない。むしろ複雑怪奇な事情が生じる現実社会を四角四面の制度が厳密にカバーできるはずもない。例えば生活保護という制度は、どんな状況においても最低限生きていけるようにするためにある。一昔前に話題となった事例では、Kは莫大な収入があるにも関わらず、Kの母は生活保護を受けていたということがあった。ここでは、Kは悪意を持って母に生活保護を受けさせていたとしよう。これは制度の目的に合致せず、制度を厳格に運用すると言うのであれば、この穴を塞がなければならない。では、どのように塞ぐか? 親族に金があればダメとすると、DV等で逃げた人たちも生活保護を受けられなくなる。これでは当初の目的が毀損してしまう。
という筋の通らなさは、制度が目的を厳密に達成できないという事から生じている。Kの母が生活保護を受けているのに、金を持っている人が生活保護を受けられないのはおかしいといえるだろうか。どのような線の引き方をしても目的に合致しないことがあるから線なんていらない、というのは横暴である。
ではどのように線を引けばよく目的と合致するだろうか? 現状において
で、2と3の間に線を引き、2が不当な利益を得ている者だ。これをもっと厳格に区別する「結婚の要件」を定義することを考えよう。むろん、「男女」という以上の要件を加えた時点で憲法違反になるだろうが、ひとまず置いておく。
例えば
とするのはどうだろうか。なるほど、これなら子なし夫婦が減るかもしれない。しかし、「生殖能力がある」とはどのように定義するべきか? 治療可能なED等も含めるのか? それでは目的に合致しながら恩恵が受けられなくなる人が出てしまうのではないか。
では、
とすれば、子作りできる可能性が全くない者を排除できる。一方、結婚→子作り→離婚→生殖器喪失→再婚、というプロセスが踏めなくなる。
以上のように、目的を毀損せず、2のケースを減らす適切な制度設計が思いつかない(私が思いつかないだけなのだろうか)。疑わしきは被告人の利益に、ではないが、
もう二十年以上前の話だから時効ということで許して貰えるだろうか。実は私は生首を運んだことがある。十七歳の時のことだ。
その日真夜中に『2001年宇宙の旅』を観た私は、感激のあまり外に飛び出し線路沿いの道を歩いていた。夜空に煙草を押し付けて穴を開けたような月が空に輝き、灰色の線路が鈍く輝いていた。
既に路線の運行は終わっていたので、私の足取りも勢い大胆になる。私はいつしか線路の真ん中を歩いていた。すると私は、線路沿いの側溝に黒いものが落ちていることに気がついた。
それはクラスメイトのヨーコの生首だった。ヨーコが線路に飛び込み自殺したという話は聞いていたが私は普段は列車を使わないし、ヨーコとも特に仲が良くなかったので自殺の話はそのまま忘れてしまっていたのだ。
初めて私はヨーコの生首を見た。切断面は粗く踏み潰されたようにぐちゃぐちゃになっており、辛うじて骨と分かる部分が肉色に染まりながら白く光っていた。生首に手を触れてそれを拾い上げる。手ににちゃにちゃと脂と血がついたのだがそれは構わなかった。
ヨーコは目を閉じていた。土で汚れていたが未だ生命力を誇示するかのようにストレートな髪が私の腕をくすぐった。頬は奇跡的に綺麗なままでその象牙のように白い肌を光らせていた。
閉じられた瞼に目をやったところ、生首も瞼を開けた。死んだ魚のように濁っていた。生首は口を開いた。
ミツバチ君じゃない。
こんばんは。ヨーコだよね。
呼び捨てにしないで、とヨーコは言った。そんなに仲が良かったわけでもないでしょう?
私は生首を私の首の高さに掲げた。面と向き合う形にしたかったからだ。結構人間の生首というものは重いんだな、と思ったことを思い出す。
ミツバチ君、こんな遅くまで何をしてるの?
さっき『2001年宇宙の旅』を観たんだ。最高だったよ。
私とヨーコの間には、改めて言うが何の付き合いもなかった。せいぜいフリッパーズ・ギターやモーマスのCDを貸し借りした程度の仲だった。
ねえ、それより私を運んでくれるかしら、とヨーコは言った。
どこへ?
沼まで。私が案内するわ。
その言葉に従って、私は生首を胸のところで抱きかかえて歩き始めた。
ヨーコはその角を右に、左にと指示していく。私はその通りに歩いた。私たちはどんどん線路から外れていく。家に無事に戻れるんだろうか、と心配になった。
やがて私たちは町の外れの森に辿り着いた。既に道は舗装されておらず、土が茶色く光っていた。
森の中に入ると、道の両側から立っているクヌギがその幹を誇示してどこまでも高く伸びていた。森は腐葉土特有の芳醇な匂いに満ち充ちていた。そしてその頂点にある四方八方に伸びた枝から生えた葉が頭上の月を丁寧に隠していた。僅かな月光を頼りに二人で歩いた。
ヨーコは言った。ねえ、ミツバチ君。
どうしたの?
さっきはごめんね。呼び捨てにしないでって。
こっちこそ呼び捨てにしてごめん。確かに僕らってそんなに仲良くなかったよね。
ミツバチ君のことは気に入っていたのよ。告白しようかって思ったこともあった。
そうなんだ。
今から思い出せば私はあの頃は恋愛に特に興味を持って居なかった。好きに音楽を聴いたり本を読んだり出来れば幸せだったのだ。だから異性の私に対するそうした反応に対しても私は極めて鈍かったのだろう。
今度は私から尋ねた。ヨーコさん。
何?
死ぬってどんな感じ?
ヨーコは少し目を閉じた。しばらく黙りこくったうちに、ごめんね、と言った。脳が痺れてうまく考えがまとまらないの。
分かるような気がするよ。
私たちはどんどん森の内奥へと入っていく。それはまるで陰部をどこまでも探るような淫靡な試みだった。森の中を彷徨う私たちの足取りに到達点などあるのだろうかと不安になる一方で、月をやがて覆い隠すクヌギの森の葉が濃くなってきたことに興奮を覚えた。
ヨーコは言った。生きていた頃のことが全部夢だったみたい。
途方もない夢だね、と私は言った。十七年間も続いたんだから。
そうよね。本当にね。
私たちはそのようにして森を小一時間ほど歩いて、ヨーコの言っていた沼に辿り着いた。表面が鰻のように黒くぬめっていて、おぼろげに月が反射していた。
中に沈めて、とヨーコは言った。
いいの?
いいわよ。私泳ぐのが好きだったから。
そこで私はヨーコの首を沼の中に漬けた。最初は浮かんでいた首はやがて水の中に沈んでいき、上方に漂う髪の毛が藻のように揺らいでいたがそれもまた沈んでいった。彼女が浮かべる細かな泡が後に残った。私は帰ることにした。
森の中は相変わらずどこかじめじめと湿り気を帯びており、土を踏む私の足は時々剥き出しになっている石に躓いて転びそうになった。途中で小動物らしきものが立てるかさかさとした物音が聞こえた。私は森の中をどこまでも歩いた。
死ぬってどんな感じなんだろう? そんなフレーズがヴィーナス・ペーターの歌にあったことを思い出した。「死ぬって何だろう?/解ってる、この漂う世界は/一時的な輝きに過ぎないんだ」……。
私は家に着き、窓から二階の自室に入り込んでそして眠った。クヌギの木の匂いと彼女の首の匂いは朝になっても残っていた。
今でもヨーコのことを思い出す。つい最近休暇が取れたので私はあの沼に行き、追悼の言葉を呟いて戻って来た。何故かは分からない。ただ、そうしなければいけない気がするから、そうして来た。それだけだ。
DIY、マスキングテープ、手芸、アロマ、スタバ、ブルーボトル、メイソンジャー、ココナッツオイル、ハワイの朝食、カフェごはん、ロハス、●●(海外の都市名)女子、DJイベント、海外風ウェディングプラン
海外の生活の猿真似に過ぎないのに、どうしてこれほどまでに、一部の女子は一生懸命になれるのか。
絶対に自分と違う世界のもので、それを生活に取り入れたってダサい自分は変わらないのに。
世界旅行したって人は簡単に変わらないし、海外の人が優しくしてくれたとしてもそれは自国の人じゃないからって理由じゃん。日本人も日本人に対しては厳しいでしょ。
おしゃれなカフェめしなんて材料代かかる割には男受けも悪いのに。自己満足だからいいの!っていう割にはここぞとばかりに「つくってみた~」なんか言って加工ばっちり効かせた写真をSNSにアップするし。ひとりで楽しみたくて作ったんじゃないんかい!まずそうって言うなよ言うなよののりなの?
あ~~~手芸やDIYは相当なセンスがないと貧乏臭くてたまんないのに。
どこもかしこも、田舎のおばあちゃんのセンスでおしゃれにしてみました!★て写真に溢れてるううう
ねえねえマスキングテープの多用、貧乏臭いったらありゃしないからね!なんであれがおしゃれなの?
貧乏臭いの一言でしょ、ポイントで使うんならまだしもどこらかしこにべたべた。
マスキングをはさみで切る手間がめんどくせーわ!そんなべたつくもの貼られたカードなんざ
もらっても速攻でゴミ箱にダンクシューナイッシュー拍手の嵐だわ!
自慢げに作ったものをツイッターやブログにアップして、そういうのが好きなの同士でいいねし合ってつぶしあって鼓舞し合って。も~いいよ、くるみボタン?レジン?何やってもださいんだってぇ、周りの人はみんな思ってるんだよ??まさか人に作ったものあげてないよね?影で笑ってるよ??
DIYも日本の狭い住宅の中を、木目調の壁紙貼って、タイルしいて、レースやビンやかごを置いてかざりつけして、何を目指しているのか分からない。
百均のもので賢くDIY?だせーーーーーんだよ!すのこ?木箱?ごみになるからそのまま使えよ
イベントに参加したってな、また月曜から灰色の日々なんだからさ、そんな海外のイベントごと真似してメイクして着飾ってフィーバーするの恥ずかしくない!!?
恥ずかしくない?
あたしはなんか色んなことが恥ずかしくてたまんないときがある。
また何かやって、恥ずかしくなって、またやって…の繰り返し。エンドレスレイン。なんで恥ずかしいのか、何に対して恥ずかしく思っているのかわからない。
オリジナルなんて一切存在しないのに、苦労して作って飾り立てて写メ取り直して誇らしげにSNSにアップしていると思うと、馬鹿らしくていじらしくて可愛い。腹立つわ。
うえっへっへ今回はつまんないらしいし楽しみだぜ~
そんなのもう考えるまでもなくフジモトですよね!
ポニョのお父さん!
海の悪い魔法使い!
不気味な除草剤男!
フジモト!
かわいそう!
フジモトはですね~海が大好きなんですよね~
そして人間が嫌いなんですよね~
で
海の魔法使いになって!
人間の土地に近づいてはいけないよ~人間のハムを食べてはいけないよ~
ずっと海にいなくちゃいけないよ~
とまあ!
ポニョを海に閉じこめておくわけですね!
フジモトは海が好きだし!
ポニョを海につなぎとめておきたいんです!
でもそれっていけないことなんですよ!!
でも海っていうのはそもそも「何もかもを受け入れるもの」なんですよ!
まさに海のように広い心で!
その時点でもう海とは相容れない存在なんですね~
ポニョは海の子だから人間を受け入れてそっちに行ってしまうんですね~
人間を受け入れなきゃ!
さて
でもそうはならないんですこの物語!
全然傷つくことができない!
きれいさっぱり敗北してしまうことができないんですよ!
そして傷つけられないからといって
諭されて正しくなることもできないんです!
大人のフジモトのことまで面倒みきれないんです!
かわいそうですね!
さて
フジモトが敗北する反面
なぜ宗介は勝利し自分の願望を叶えることができるのか?
それは
と訊ねられて
宗介はもちろん力強くうなずきますよね!
これは
海のようにすべてを受け入れる心を持つ
宗介のあり方は
海のあり方と一致しているんですね!
まあ二言めには「しめしめ」とか言い出す子供が
ここ3日ぐらい、一日13時間のペースでネットサーフィンに勤しんでいる。正直言って、もううんざりだ。いくらネットがインタラクティブ性に満ちた楽しい空間であろうと、13時間もやっていれば飽きるに決まっている。それでも、止められない。止めるわけにはいかない。もしネットをやめたら僕はなにをして生きていけばよいのか。見えない、分からない。もちろん、やりたいこともやらねばならぬことも大量にある。読みたい本、やりたいゲーム、行きたい場所、撮りたい景色。線形代数、フランス語、scheme。そんなものはいくらでもある。でも、身体が動かないのだ。仮に身体が動いたところで、すぐに面倒になって布団にカムバックするだけだ。致命的に集中力が持続しない。だから、ネットの雑多な情報に身を埋める以外に取り得る手段がない。
書を捨てよ町へ出よう、なんて言葉がある。それに感化されて、家から出ることもたまにはある。けれども、結局行くのはブックオフなのだ。全然書を捨てきれていない。だって、町を出たところで、退屈なのだ。外界の風が心地よいぐらいのもので、あとは全部灰色の塊である。退屈に耐えられる力が若者には必要だ、みたいなことを言ったのはラッセルだったっけ。今まさにその必要性を痛感している。僕は退屈が怖い。だから、今もこのディスプレイから目を離すことができない。
今回の卑劣な誘拐・脅迫事件に対してクソコラをつくるくらいしかやることないとおもているヒトもいるかもだけれど、もうひとつできることがあります。それは彼らのアカウントをスパム報告すること。そうすればテロリストが日本のことを軽んじるのも、日本に興味を持つのも避けられるかもしれない。
Twitterの規則では迷惑行為・脅迫は禁止されているので彼らはギルティ。クソコラのぜひについては議論の余地はあるんだけどちょっと見てらんない、
そもそもなんで殺人現場の画像あげてるアカウントが放置されてるんだろね。
40秒で可能ですのでTwitterアカウント持っている人はぜひ。
テレビを消すと、静かな夜だ。前のカラオケスナックからも、今日は何も聞こえない。犬の鳴き声だけ聞こえる。
あまりにも静かだから、あえて、youtubeでクリスマスメドレーを聴く。
恐らく幼稚園くらいのころ、デパートでクリスマスツリーを買ってもらって、バスで家の近くの停留所で降り、両親と家路への暗い坂の獣道を歩いた、かすかな記憶、
今思うと、生クリームではなく、バタークリームのクリスマスケーキだったこと、
デパートで、宇宙戦艦ヤマトの模型を買ってもらったこと、小学校6年のとき、欲しかった腕が灰色のジャンパーを買ってもらったこと、
親とのクリスマスの思い出が浮かんだ。そんなおかあさんにありがとうを言う前に、この前死んでしもた。おかあさんに、せめて一言、「いままで、ありがとうね」といいたかった。
おかあさんに、面と向かって、ありがとう、と言ったことがあるか?「ありがとう」を求めてないおかあさんだったから、恥ずかしいのにかまけて、言えなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20141117014426
思ったよりもブックマークがついた。
しかし、ブコメをみる限り、ぜんぜん伝わってないことが哀しい。
生で見ればわかる。
博物館じゃなくて、刷りたてをみればだ!!
いや、説得力がないのはわかる。
入信してみればわかる、南無妙法蓮華経と繰り返してみればわかる、ってのと同じだもんな。
で、絵について昔から納得がいかなかったことがいくつかある。
ピカソって下手だろ。
正直なところ、どの辺の時代が一番上手いかっていったら、レンブラントとか、あのへんじゃね?
って思ってた。
どうして、昔のほうが優れてるんだよ?絵だって進化しなくちゃおかしいだろ?
って思ってた。
こんなの(レンブラント)とhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3#mediaviewer/File:Self-portrait_at_34_by_Rembrandt_(rectangular_detail).jpg
こんなの(ゴッホ)
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg
こんなの(ピカソ)
http://livedoor.blogimg.jp/strange_emily/imgs/1/2/1222bd6f.jpg
で、どれが一番絵が上手いかっていったら、レンブラントだろ?
ぜったいおかしい。
と。
油絵のなにが凄いって、塗れることだと思う。
塗った上に、さらに色を重ねられる。
もうね、物理的に上に重ねていくことができるから、どんな質感もだせるわけじゃん。
筆跡一つなくつるつるの面もつくれるし、壁のでこぼこなんて、本当にデコボコにできる。
畳に人形が立っている絵だったんだけど、バックの畳が、まるで本物のようでさ、つい目を近づけたら、本当に絵の具が畳のデコボコを作ってたの。
「うへー」
って思ったよ。
化粧みたいなものなんじゃないかな。
どんなに荒れた肌だって、丁寧にファンデーションを重ねれば、滑らかにできる。上に上に重ねて、ハイライトを入れて、陰影をつけて、立体感をだせる。
それが油絵。
で、浮世絵をみて気付いたんだけど、そのやりかたって限界があったんだ。
色を上に上に重ねる先には、明暗をつける先には、なにもなくなる。
もう少し説明すると、対象物を立体たらしめるためには、遠近法と明暗だろ?
明暗でいうと、奥のものは暗く、手前の物は明るく、そうすることで対象物が飛び出してくる、そういう寸法。
たとえば、白い服で白い壁に立った人を描く場合、どうやって人と壁を隔てればいい?
壁を実際より黒くかき、人の服をより白くかき、境界を作るっていう方法しかない。
どんどん先鋭化していくと、背景は黒に沈み、対象物以外はなくなってしまう。
比較対象を置かなければいけなく、比較対象は黒く沈んでいかなければならないが、黒に沈むと比較対象が消滅していく。
というか、そもそもモノそのものを正確に写すなら、写真のほうが優れてるしな。
ハッハーw
「塗り」の発達する余地がなかった中国画、日本がでは、その問題とは無縁だった。
線が絵になる。輪郭が形を作る。
輪郭を強調することは、恥じゃない。
写実性を求めて、輪郭を排して塗りの技法を発展させたからこそ、絵の発達は袋小路だったわけだ。
なんのことはない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9B%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8F%E5%B0%91%E5%B9%B4#mediaviewer/File:Manet,_Edouard_-_Young_Flautist,_or_The_Fifer,_1866_(2).jpg
こうなる。マネの笛を吹く少年。
なにもない部屋の中でも、空気のなかでも人物は浮かび上がる。
改めて考える。
本当に背景は暗くなければいけないのか?
明暗のグラデーションではなくて、反対色で境界面つくったらどうなるのだろう?例えば、大地は緑に、空は赤くと言った具合に。
色の境界面で区別して、遠近法だけでレイヤーを重ねたらどうなるのか?
こうなる。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/
になるだろゼッタイ。
油絵と違って重ねることができないからさ、1トーンのグラデーションと、色を近くに並べることでしか中間色の表現ができなかったからなんだと思うんだけど。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/hokusai049_main.jpg
富士山の山肌が、近くで見れば明らかに点描のようなんだけど、明暗をつけていないのに立体的であるような、山であるのに躍動感さえ醸しだす不思議な感じ。
人間の視覚の仕組み上、例えば赤と緑みたいな反対色をちょとだけ隙間をあけて並べると、赤のフチに緑のラインがみえてきて、緑のフチに赤のラインが見えて、赤と緑の間の空間に赤でも緑でもない、灰色のような色が浮かんでくる。
筆のタッチは荒くても、強い色を同士を近くに並べる。そうして出来上がるのが
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg
そう、ゴッホに戻る。
明るい光のなかで活き活きとし、明るい光のなかで人物の影は消え去る。
これはマネ。
浮世絵のような明るい色彩。
影もない。
明るさといえば、雪あかりの表現について語りたいんだが、今日はまとまらなそうなので割愛。
輪郭線、点描、1トーングラデーション、効果線、etc....現代の漫画の表現にすごくすごく似てると思う。
そう。
恐竜と鳥、くらいに近いことは間違いない。
縦長の絵で鯉が泳いでいたら、鯉の進行方向は下から上、という感じで。
絵の上下にかかる雲などは、今ではもうお約束として生きていないものもある。
しかし、多くは生きている。
たとえば、一枚絵でスピード感がある移動を描くとき、こういう配置をする。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai037/
真っ直ぐ進行させず、弧を描くように進行させる。
http://stat.ameba.jp/user_images/20110923/02/good-luck-heiwa/36/f4/j/o0296021811501145041.jpg
浮世絵の時代に発明されたお約束、動きのお約束であったり、デフォルメのお約束だったり、効果線のお約束であったり、それらが今の漫画の基礎になってる。
と、僕は感じた。
というかそもそも、浮世絵って漫画の一コマみたいなのばかりだ。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kuniyoshi027/
ここまで書いてこういうのもなんだが、生で見ないとよさがわからん。
騙されたと思って、是非、是非!
みてるとですね、もうね、鑑賞する側の好奇心を、ドキドキを満たすためだけに制作されてる感じがするのですよ。
当時、ずいぶん安かったんだと聞きます。
今でも、手作業で大変とはいえ、けっこう安い。
だから、なんとか、もっと人気が出て、手作業とはいえもう少し大量生産するようになれば、単価も安くなるじゃないですか。
世の中に浮世絵が溢れることは、すなわち人類の幸福だと思うのです。
書ききれないので今日はここまで
ちなみに、LIFE誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で唯一日本人で名前が出たのは葛飾北斎だそうです。
徳川家康も坂本龍馬も松下幸之助もAKBも吉田茂もおさえて、葛飾北斎です。
つまり、生で見れば誰でもわかるんです。
凄さが。
無気力になったり、ご飯食べなくなったり、不衛生になったりと、精神を自ら追い詰める行為をはじめる。
そんで第二段階は、他人の迷惑を顧みず、社会的責任からの逃避をしはじめる。
会社を休みはじめ、最終的には退職。友人知人と疎遠になり、恋人と別れたり。
親しいまま死別するのは相手に多大な迷惑をかけるので、今のうちに比較的小さな迷惑をかけて、あえて疎遠になるのがミソ。
第三段階は失踪。自分のことを誰も知らない土地にでも行くのかな?ここからは完全に想像の世界で、詳しくは知らん。
まあとりあえず、死ぬ気になれば死ぬための準備がはかどるだけ。気合い入れるには全くの的外れなアドバイスだ。
自分の人生を生きる気がなければ、ただただ死んだも同然の、灰色の世界が続くだけだ。
生きる覚悟をしなければ。
・就職して仕事が辛くて10キロ痩せて服が全部合わなくなったし会社は私服だし勉強会に参加するようになったし交流範囲増えたしまわりに結婚の波が到来し自分も結婚したいなと一人寂しく食事してると思ってきたし、いろいろあって外観を変えようと決意し、いろいろ試したので有用なことをまとめてみる
・髪の毛
1000円カットで適当にって頼んでいたところを、美容室で適当にってお願いするようになった。ただし、特定の美容師さんを指定して毎月定期的に切ってもらうようにしてもらった。ヘアカットっていうのは盆栽みたいなもので、ここは削ってここは残してと切っていくことで髪型が完成されていくらしい。だいたい半年かけて清潔感のある整ったヘアが完成した。ヘアカットしてるときにワックスの付け方や髪の毛の癖の付け方、どういう髪型がにあうのか等いろいろアドバイスももらえたので非常に有用。盆栽を趣味にしているおじいちゃんを馬鹿にできなくなった。盆栽とは奥が深い。
・ハゲ
10キロ痩せたけどハゲも進行した。どうにかして頭皮の砂漠化を防ぐため、前述の美容師さんとも相談したところ、1.頭皮を柔らかくする、2.血行をよくする、3.亜鉛をよく取るということが大切だと判明。パナソニックの頭皮エステつかったりミノキシジルつかったり亜鉛サプリを飲んだ。特にパナソニックの頭皮エステがとても気持ちよかったのでおすすめ。毎日ぎゅっこぎゅっこ頭皮をもんでマッサージされるのがくせになってしまった。どれが良かったのかは分からないが砂漠化はとまり緑化が始まった。地球温暖化なんてなかったんだ。
・体重
10キロ痩せてめでたいけど、また増加したら元も子もない。そこで一番太りやすい夕食をオールブランに置き換えることにした。どうせ会社のランチで外食して美味しいもの食べるんだから夕食くらい質素にいくかと決めた。オールブランのお陰で便秘もない健康的な生活が送れるようになった。オールブランめちゃいいよ。まずいけど。Amazonでオールブランと豆乳を定期便にて毎月送ってもらい黙々と食べている。まずい。でもそろそろ飽きた。まずいし。ソイレント輸入してみようか検討中。
・服装
要は自分に似合う服装をすることが大切だと学んだ。極論を言ってしまうと背が小さくて細い人と背が大きくて太い人、どちらがカーディガン似合ってどちらが革ジャン似合うかって話になる。自分は背が大きくて体格ががっしりしてたのでアメカジ(っぽい)路線でいこうときめた。色の濃いデニムと薄いデニム、チノパン、黒パン、灰色パンツ、Gジャン、灰色ジャケット、黒ジャケット、紺ジャケット、ミリタリージャケット、灰色パーカー、白シャツ、デニムシャツ、白Tシャツ、イラスト付きTシャツ、ネクタイ、灰色マフラー、黒チェスターコートを買った。どういう服装が自分にあうのかわからないなら店員に聞くと良い。取り敢えず前述のすべてを同じ店で買えば店員とは顔見知りになるし(なった)着まわし方などいろいろアドバイスもしてくれた。
・運動
ここまで来たら運動もしてみるかと思い立って区営ジムに通うことにした。ググればわかるのだけど区営のジムってめちゃくちゃ安い。そこでクロストレーナー漕ぎながらスマホでアニメやドラマを観ることにした。クロストレーナーってやつが一番カロリーを使うらしい。実際ランニングマシンで走るより、自転車をこぐより、体に負担は少なくとても疲れた。アニメはDアニメストアが月額400円で安くて良い。だいたい3話分、週1で運動している。運動用の安いイヤホンは必須。一度汗で壊した。
・結果
ここまでやってまわりから変わったと言われた。普通にかっこ良くなったと家族からも言われた。
・雑感
これまで書いたことはほぼ自分で選んで決定したのではなく、他者にアドバイスをしてもらった。その道のプロにアウトソーシングすることで、他者の視点から自分を修正することができた。そうすることで失敗することなくうまく変化できたと思う。ただし、お金はかかった。でも無駄なお金も無かった。
まあ、1年いろいろあったけど、仕事にも慣れてきたし、周囲と交流するときに変な劣等感持たなくなったし、ヲタは治らないけど外観を自己肯定できつつあるので自分でも変わろうと思って頑張ってよかったと思う。
冬目景の漫画を暇つぶしに読んでいた。建物の一部に手を触れることで蘇る建物の記憶に振り回される主人公の姿に、今逗留している祖母の家で何か見えるものはないのだろうかとふと気になった。
今いる祖母の家は古くて新しい。二十年前に今の場所に建てられた時、ふんだんに最新の家庭設備が取り込まれたそれは今も黴びた様子はない。地震で浮いたままの玄関の畳石、打ちっぱなしのコンクリートに浮かぶ排水溝の汚れ、Nationalブランドの自動給湯機、そういったものに目を瞑れば。
"リモコン"のボタンを押さなくても、立てば勝手に流してくれるトイレには子供ゆえの興奮がすごかったのを覚えている。二階にシャワー室なんてものもある。着替え室を出れば、電磁調理器の炊事場に冷蔵庫。新築を案内するときに、友達をたくさん連れてきてもいいのよ、と笑った祖母の言葉は、あれからずっと叶えられてない。多分ほとんど利用されたこともないのだろう。浪人中、吹き抜けで蒸し暑くなった廊下を横切って風呂を利用する煩わしさから度々利用したシャワー室には、まだ当時購入したシャンプーがそのまま残っていた。棚に入っていたボディタオルの柄も同じ。無論、清潔な状態だが。今は週一でいらっしゃるお手伝いさんが、祖母一人ではカバーできない人の記憶を家に残すことで朽ちていくのをかろうじて防いでる。
その昔はその隣の日本家屋に住んでいた。マツダスタジアム建造に伴う都市区画整理で更地になった今、その面影を記憶している人たちはほんのわずかしかいない。
いつまでも好きになれなかった、日本人形が置かれた寝室。餌をやった錦鯉と金魚。土間で繋がっていた隣のガソリンスタンドにラジコンを突っ込んで、専務さんと呼んでいた親戚筋の叔父さんに怒られた後、コーラを奢ってもらった。裏庭に作った打ちっぱなしで練習する祖父をこっそり見ていた。お庭の松の木が立派だと、離れに住む芸術家の大祖母と話す母の姿。それぐらいしかない。ほとんどの記憶は鬼籍に入った人たちが持って行った。二階立ての母屋と同じくらいの高さを誇った土倉は約七十年前のあの日、被曝した建物だという。祖父の弟が当時別荘だったあの場所に大八車で運び込まれて息を引き取ったそうだ。土倉に入ったことがあると母は言うが、全く覚えていない。外観ばかり記憶に残っていることを思うと中はつまらないものしかなかったのだろう。
更地を見つめていると、関東では見られない白と灰色を掛け合わせたような土の色に、対岸の同じ色をした公園で祖父と遊んだ記憶が蘇った。公園は未だにあるけれども、その問面にはあの頃にはなかったスタバが立っていた。区画整理で道が広がる前は古い木造建築の民家が道なりに犇いていた所だったから、 この家のリビングからよく見慣れたロゴが見慣れないモダン建築に輝いていることに気づいた時、唖然としてしまったのはたった二週間前のこと。よくよく見れば、黒い正方形の建物は周りとよく調和している。私は記憶にある対岸の街とスタバを重ねて、そして今ある対岸の街とスタバを重ねたのだろう。かつては浮いていただろう風景も、街全体が若返った今、可笑しさを感じるのは変化を知らない異邦人だけなのだ。
ちょうど雨が舞い込んだこともあって駐車場には満車の看板が立っていた。今二階のバルコニーで佇むお客さんらの視線の先に、八十年前に猿猴川を裸で泳ぐ祖父らの姿を被せると可笑しい気がしてきた。川の流れだけはいつまでも変わらない。
もうじき無職童貞のまま三十歳を迎えるのだけど、
なにか魔法使いとしてふさわしいお祝い(風俗除く)ってあるのかな?
このままだと例年通り、両親とケーキを食べ、
本を読んで音楽を聴いてすごすだけで終わる気がする。
それも悪くはないのだけど、せっかくヤラサーとなるのだし、
ちょっと趣向を凝らした、気の利いたお祝いを考えたいな。
話は変わるけど『指輪物語』の瀬田訳(だったかな、うろ覚え)で、
灰色のガンダルフが「魔法使い」じゃなく「魔法使」と送り仮名なしで表記されてて、
ちょっと格好いいなと思った。
このままみすぼらしい貧乏なおっさんとして一生を送るのはイヤだなあ。
0916追記
誰も見てないと思うけど追記。
某PC修理業者の評判がよろしくないようなので、リンクをまとめてみる。
削除されているものもあるし、これから先、某業者の圧力で削除されるかもしれないからキャッシュや魚拓リンクも保存しておく。
l
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1401806769/l50 (削除済み・webcasheのみ)
からコメント抜粋--ここから----------------------------------
5 :被害者 :2014/06/09(月)21:41:36 ID:FN24GdLB8
*******に液晶の修理を頼みました
同じで、初めは15000ぐらいの見積もりでしたが
送ると、それに手数料やら保管料やら上乗せされて
3万ぐらいになりました
支払って修理を待っていると2週間後に、
別の故障個所が見つかったので
追加で3万はらえと・・・・ ^^;;
リカバリは困ると伝えても
聞く耳持ってもらえませんでした
合計65000の修理代・・・・^^;;
4000円ぐらいの返金でした・・・^^;;
16 :名無しさん@おーぷん :2014/07/10(木)22:58:44 ID:HSayLiyUK
よっぽど告発がきついんだろうな
ここでの書き込みなどを同業他社の
突っ込まれたら困るのは*******側だと思うんだが
*******側に対しての不満点はまとめると
・ホームページで実際の修理代より安く勘違いさせる書き方をしている
・見積もり依頼をすると050で始まる電話番号から修理を急かす電話がたびたびかかってくる
・見積もりは詳しい症状を書いたとしても、あてにならない
(液晶修理で1.5万前後を提示してくるが、この価格から実際は2~6倍程度請求される?)
・修理代は3~6万前後?
(修理日程で段階があるらしい?ストック部品だと早いが高い、3万前後だと修理に2週間前後?)
・前払いで修理ができなかった時は、なぜか依頼者の責任になって前払い金は殆ど返金されない
(返金は4000円前後?)
・上手く修理が出来なかったらマザーの交換を提案してきて3~6万前後上乗せで修理代を請求される?
・見積もり依頼でPCを預けた場合、キャンセルすると1万前後のキャンセル料を請求される
(返却は14日の営業日以内になるので、実質3週間近く後?)
・告発の火消しの為に、業務妨害や誹謗中傷ということにして、キャンセル者に脅迫メールを送っている
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このパソコン修理屋が悪質すぎてワロえない
http://jisakutech.blog.jp/archives/9543901.html
魚拓 http://megalodon.jp/2014-0818-0001-48/jisakutech.blog.jp/archives/9543901.html
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パソコン修理を、*******と言うところに依頼して、悲惨なことになりました(リンク先は伏字無し)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13130457943
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http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n286109
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******というところにPC修理を依頼しました。(リンク先は伏字無し)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13113721303
魚拓 http://megalodon.jp/2014-0818-0016-42/detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13113721303
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*******に液晶の修理をお願いした者なのですが、 結局追加で修理代を・・(リンク先は伏字無し)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14131429454
魚拓 http://megalodon.jp/2014-0818-0031-01/detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14131429454
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******* について
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12128588832
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PC宅配修理「******」なぜか修理せず約3万円徴収(リンク先は伏字無し)
http://bto-pc.jp/btopc-com/repair/2ch-naotatsu-com.html
魚拓 http://megalodon.jp/2014-0504-2121-28/bto-pc.jp/btopc-com/repair/2ch-naotatsu-com.html
キャッシュ http://web.archive.org/web/20140805010930/http://bto-pc.jp/btopc-com/repair/2ch-naotatsu-com.html
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WAROTA A LOT パソコン修理にだしたらぼったくられたった
http://blog.livedoor.jp/warota_a_lot/archives/33183225.html
魚拓 http://megalodon.jp/2014-0818-0019-31/blog.livedoor.jp/warota_a_lot/archives/33183225.html
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http://kojikisokuhou.com/articles/22295.html
キャッシュ http://web.archive.org/web/20130925220506/http://kojikisokuhou.com/articles/22295.html
1980年代の小学校では、ある玩具が爆発的に流行しては、教師により特定の玩具の持ち込みが禁止されるという状況にありました。
コマなど駄菓子店で売られる玩具については、ほとんどが早期に禁止を言い渡されています。
その後、玩具は子供側に「これは勉強に使うものだから」という言い訳がある、文具店で販売されるものへと移っていきました。
キャラクターがキャップ部分についたシャーペン、色鮮やかな練り消しゴムなどです。
それらも、爆発的に流行して教師が持ち込みを禁止するのは、他の玩具と同じでした。
消しゴムは玩具性が低いとみなされ、子供たちが「自分の考えで」何かを選んだと主張するのに便利な品でした。
例えば、消しカスがひとつにまとまる消しゴムは、練り消しゴムの禁止が教師から告げられたあと、自家製の練消しを密造するのに使われていました。
練り消しゴム以外の、教師にとがめられない消しゴムは、おもに以下の3タイプでした。
・上記の箱が失われ、カドも無くなって、ほぼ円盤上になったもの
・片方が白く、もう片方が灰色の砂消し(すなけし、砂消しゴム)
小学校では休み時間になると、ボールを持って校庭へ飛び出す子供たちとは別に、教室にとどまり、学習机上で上記の消しゴムを使った「ピンピン」で遊ぶ子供たちがいました。
ピンピン基本ルール
1. 複数人が1つの学習机の端に、自分の消しゴムを置きます。
3. 自分の消しゴムを弾き、他の人の消しゴムにぶつけて机から落とします。
1. 自分で弾いた消しゴムを机から落としてしまった場合、勝敗はカウントされません。落とされた消しゴムとともに、落ちた地点に再配置します。
2. 攻撃する消しゴムの持ち主は、親指で溜めて人差し指や中指で弾くほか、逆に親指で弾く、プラスチック定規をばねとして使う、ノック式ボールペン(側面のスイッチで収納するタイプのもの)の戻る勢いを利用する、などの弾きかたがあります。
3. 狙われている消しゴムの持ち主はタイムを取り、机に密着させる、角度を変える、立てて相手ごと落ちやすくするなど消しゴムを置きなおすことで防御ができます。
4. 攻撃側も消しゴムの置きなおしができます。攻撃者と隣接してピンチの守備側が消しゴムを立てる→攻撃側も消しゴムを立てて底を弾こうとする、などの攻防があります。
5. 他のプレーヤーは、攻守の2人が時間を掛けすぎていると、早くやれと急かしていました。
文字を消す能力はないが小学校に持ち込むための言い訳に消しゴムの名がついた樹脂製玩具として、「キン消し」(キン肉マン消しゴム)の発売以前、「スーパーカー消しゴム」がありました。
スーパーカー消しゴムは他の消しゴムとピンピンで争うには軽量すぎ、おもにノック式ボールペンが戻る力で弾く方法で、スーパーカー消しゴムのみで対戦されていました。
必要な道具がひとつ多い、スーパーカー消しゴムどうしでは戦いに変化がない、などの理由で、流行はしたものの早期に廃れていきました。
私のいた小学校でキン消しが流行したのは、ピンピンにおいて、キン消しが適していたためです。
机の端で守備側がキン消しを立たせると、机から相手ごと落ちないようにするために、攻撃側には繊細な力加減が求められます。
重量がある「サンシャイン」、回転させてぶつけることができる「アシュラマン」は特に子供たちから愛用されていました。
プロレス技のポーズをとった姿のキン消しは安定性に欠け、ピンピンでは負けてしまうので嫌われました。自立できるポーズのキン消しがピンピンでは好まれました。
キン消しで漫画内のシーンを再現するような遊びは、ほとんどされていないか、ごく早期に飽きられていました。
私の周囲では、キン消しはピンピンのための器具として扱われていました。
私学
それ以外
以上、関西出身の理系東大生が見た大学イメージでしたー。異論は認める。
追記:
私立医大は?って聞かれたので答えます。でもぶっちゃけ分からん(笑)
とりあえずイメージは
追記2:
知り合いで公務員の人がいてtwitterでよく「仕事行きたくねー」とか「つれーわ」、とか言っている人がいる。
それはまだいいのだけど、個人的に看過しがたい文言をつぶやくことがあって、それは「転職してーわ」ってやつだ。
これ何が問題かというとこの知り合い全然転職するつもりもないところ。ポーズで言ってるわけだ。
公務員は安定している。色々大変なのはわかるが、やはりそうだろう。
だが、そうであっても、安易に転職したいとか言わない方がいいのではないか、とつぶやきを見るたびに灰色の気持ちになる。
私の友人に、初めての職で本当に苦労して、二つ目の職でようやく胸を張って働くことができた人がいる。
また、「どんなにつらくても三年は続ける!」と言って、本当に3年働き通して転職して現在幸せな家庭を築いた人がいる。
そうした人から比べた時に、初めの人間の「転職してーわ」はなんと薄っぺらく、そしてなんて安定しているところからの物言いだろうか、と思うのだ。
疑問が二つ。
・なんで元増田は元増田が不利な環境に身を置いているのですか?
わたしは不細工に産まれて育ちました。
物心ついた頃、近所でのわたしのあだ名は「ブスちゃん」でした。
わたしより不細工な顔はそりゃ世間には大勢いる(と思いたい)けど、
わたしの顔は成長の過程で親に「そんな顔に産んでしまってごめんね」や
「お父さんもお母さんも美男美女だと言われてるのにどうしてあなたはこんな顔に……」とか
何度も何度も繰り返し耳にタコができて腐って発酵してクリーチャーが産まれそうなくらいの回数言われるほどバランスの崩れた顔です。
(誤解があるといけませんので、いっておきますが、わたしの親はわたしにピンクのふわふわしたドレス着せた写真を仕事仲間に「うちの子にドレス着せたらこんなにかわいい写真が撮れたから」と見せて回ってしまう親ばかです。その写真のわたしはわたし自身が見ても不細工にしか見えない)
わたしの不細工さ故にアドバイスをされてきました。
今のままだと将来結婚出来ないよ、とみんな言ってました。
「あなたより不細工が多い学校に行けば、相対的にあなたは可愛い子になれるよ」
「勉強を頑張ってよい高校や大学に行きなさい。学歴が高ければ容姿なんて気にされない」
「顔はどうしようもないけど、身嗜みには気をつけて。清潔感をもちなさい」
「シャツを着るなら、アイロンをかけてないシャツよりもかけたシャツを、黒や灰色のシャツよりベージュや白色のシャツを選べば清潔感がでますよ」
「顔の造りよりも、肌のきめがよいことや色が白いことが美人に見せるには大事。顔の日焼け防止と産毛処理は常に完璧にしなさい」
「毎月美容院で髪を切りなさい。髪型さえ整っていれば遠目には美人に見える」
「髪が綺麗だと清潔感があるように見えるから、トリートメントはしっかりしなさい」
「不細工でも慣れたらかわいく見えるときもある。多くの人に笑顔で話しかけてあなたの顔に慣れてもらいなさい」
「あなたの声とその口調と速さは人に不快感を与えるから、もっと声をおさえて、ゆっくり言葉を区切って話してみなさい」
「ブスが人のことを悪く言うと普通の人の何倍も自分に返ってくるから。嫌なことされたら笑顔で跳ね返しなさい」
「(性格が歪んでるから)フリだけでもその性格を直そうと努力して。努力してると思わせるだけで、周りからの印象が良くなるから」
みんながいうほどわたしが心身ともに不細工だとは思いたくなかったけど、
アドバイスは聞き入れて、よほど理不尽なことじゃなければ言う通りにするようにしてみました。
中学は、小学校より偏差値の高い地域の学校を選びました。可愛い子が多くてわたしのブス扱いは変わりませんでしたが、勉強を頑張ったら試験の順位が高いからと人間扱いをしてもらえました。
高校は、偏差値はすごく高いけど不細工ばかりで有名な学校を選びました。清潔感に気をつけていたら、ブス扱いされなくなって、男女ともに友達がいっぱいできました。
大学は、地味で真面目な人が多いことが知られる大学へ進みました。できるだけ多くの人に笑顔でゆっくり丁寧に話しかけて、性格をよく見せようと心掛けているうちに、彼氏ができました。
もしあなたが本当にブスなら、周りに何か助言されているはず。
その助言、悪口だと思って聞き流す前に試してみませんか。
普段こういったことを噤んで生活をしていく中で、
誰かに聞いて欲しかったんだろうと思う。
*
今年の冬に死のう、と決めたのはちょうど一年前にあたる昨年の初冬のことです。その日は父の命日でした。
叔父は僕が中学生の頃に飛び降り自殺をし、結果的に未遂に終わり、半身不全になりました。
僕の曽祖父はすい臓がんの痛みに耐え切れず電車に突っ込んで自殺をしました。きっとその遺伝子が僕にも流れているのだと思います。
*
父は僕が高校生の時に突然亡くなりました。
母が話したがらなかったので、正確な死因は聞かされていませんが、脳梗塞かそれに似た病気だったと思います。突然死でした。
僕はその地区では一番の進学校に入学したにも関わらず、勉学への意欲を失っていました。もともと中学ではいじめから逃げるため、まるであてつけか腹いせのように勉強をしていたようなものだったので、環境が変わったことにより勉強する理由を見失ってしまったのでした。学校でも居場所を失い、借りてきた本を読んだり、漫画を読んだり、ラジオを聞いたり、夜はいつもだらだらと過ごしていました。
その日、日付をまたごうかとしていた時刻です。ようやく物理の問題集を開きかけたところ、隣の寝室から母のくぐもった叫び声が聞こえました。母は僕を呼びつけ父を見ているようにと言って、一階へばたばたと階段を駆け下りました。父は目を開けたまま空中を見つめて固まっていました。ぼんやりと口を大きく開け、橙色の明かりが照らしているはずなのに、その瞳が灰色のように見えたのが印象的でした。
僕は、救急車の音を聞きながら、弟の手を握って、多分おとうさんは死ぬから、これからは二人で母をささえていかなくてはいけない、といったことを弟に言いました。こたつぶとんの銀杏の柄を今でも覚えています。(その弟とは数年後に金のいざこざで法事であっても目を合わさないような仲になるのですが。)
どこにでもあるような、ありふれた死です。
中学生の時には友人を何人か自殺で亡くしました。そのうちの一人とはとても仲がよかった。僕は高校受験の合格の知らせとともに、その電話をうけました。成績も優秀で人柄も温厚だった彼の葬式には、たくさんの友人が足を運びました。彼は病気で死んだと聞かされていましたが、数年後あれは自殺だったのだと母から言われました。彼が最後どのような姿だったのかは知るべくもありませんが、僕は彼がきっと暗い森で首を釣ったのだろうな、と画を浮かべました。
どこにでもあるような、ありふれた死です。
僕は彼とそこまで交流があったわけではありませんでした。
どこにでもあるようなありふれた死です。
その後も肉親のありふれた死を沢山通り過ぎましたし、災害や事件が起こるたびに、そしてウェブの手記やブログといったひとの人生が語られるたびに誰かの死を知りました。思えば、中学生のあの自殺を経験した時から「死」というものについて毎日考えるようになっていました。それは而立と呼ばれる年齢を超えた、今でも、毎日です。
人というのは本当にあっけない。人の人生を美しく錯覚させているのもまた人なんだなあ、と僕は祖父の焼かれた骨を拾いながらとても空虚な気持ちになっていました。
*
僕は幼い頃からとても潔癖で、世の中では避けて通れない、多くのひとなら何も感じないような些細な傷にもいちいち血を流すようなとても弱い、誤解を避ける言い方をすれば、感受性の強い人間でした。そうやって振舞っていると当然のように不幸を呼びこむもので、学生時代も就職してからも、ひとに脅されたり漬け込まれたり、悲しみや苦しみを自ら引き寄せたりすることがとても多かったように思います。自分に自信がないせいで、異性を好きになることもできません。
しかし、悲しいことばかりでもなく、大学では友人に恵まれましたので、そういったふるまいがいけないのだということを少しずつ学びました。そして、悲しさやいらだちをすべて筆に載せることで自分を保つようになりました。自分自身を神のように錯覚する、一種の宗教のようなものです。筆を握ることさえできれば、どんなに辛いことがあってもまあなんとかなる、それを糧にしていけば、次の作品の材料にしていけばいい、そして、それでもだめならいざとなれば死ねばいい。そうやって自分をごまかすことができていました。ここ数年は。
*
昨年の初冬から筆が握れなくなりました。その頃は仕事で一日の時間の大半を奪われており、常に締め切りに追われ、朝方に眠り、ぼんやりとしたまま起き、仕事をし、眠っていたから、いつのまにか、なにかを美しいとおもったり、なにか美しいものをつくろうと思う気持ちがすっかりなくなってしまったのでした。ただ人を裏切ることが恐ろしい。人にがっかりされることが恐ろしくて仕方がありませんでした。あのころと一緒です。自ら悲しみや苦しみを引き寄せるようになっていました。
僕はスケジュールをきちんと管理できなかった自分を、仕事がこなせない自身の力不足を糾弾しました。ある日道を歩きながら、パソコンに向かいながら、電車に乗りながらわけもなくぼろぼろと涙が溢れてきて、「これははてなのコメントでよくみんなが言っていた鬱というものだなあ」と思い、病院へ言って安定剤をもらいました。
薬を飲むと涙が流れるのはすこし和らぎましたが、強烈な眠気とだるさに見まわれ美しいと感じる心はますます萎びていきました。何を見てもときめかないし、輝かない。美しい作品を作って、褒められたいという情熱は、作品をつくってそれが美しいものでなかったらどうしようという恐怖に変わっていきました。もうひとりの自分が糾弾します。筆を取れない自分に価値はない。いや、もともと価値などなかった。もっといえば人間に価値などない。人を美しく思わせているものは人なのだから、その気持をうしなってしまったらなにも意味が無い。
僕がこうやって萎びている間も周りの人間はどんどん前へ進んでいきます。そういった輝かしい人々を指さして、僕をもう一人の僕がぺしゃんこに糾弾します。毎日平静を装って仕事をしながら、己を否定する言葉が泉のように湧き出てきてそれが朝から眠るまで続きます。インターネットで見かける言葉がすべて僕を責め立てるように見えてきて、恐ろしくなります。汚い言葉がこちらに向かって刺さってきます。けれどそれをやっているのは自分自身です。それをわかっているから、ますます自分を糾弾します。こんなことで萎びてしまう弱い自分がすべて悪いのです。けれども僕は何食わぬ顔をして普通に仕事をして、ごはんをくちに運び、風呂に入って、眠ることができます。糾弾して、仕事をして、ごはんを口に運んで、風呂に入って、眠ることができます。おそらく死ぬまで。ずっとこれを続けることができます。でもできるのとしたいのは別のことです。
*
思えば物心ついた時から常になにかに怯えていました。人の顔色をうかがい、人の評価にあわせることでしか自身を保つことができませんでした。筆を握ることは、ただ楽しいと思えていたのに、それも虚栄心を満たすだけのものに成り果てました。いまでは作品を作ることすら恐ろしいし、過去の作品を見ると動機が激しくなって、吐き気のようなものがこみ上げます。
毎日暮らしていくことはできます。恋人や伴侶や子供もいないので一人で暮らしていくには給料は十分です。でももう、立ち上がるだけのエネルギーがのこっていない。
いざとなったら死ねばいい、これまでも幾度と無く思ってきたことですが、そのいざとなったらが、今ではないかと思いました。僕は去年の初冬に決めました。あと一年この気持が変わらなかったらビルの20階から飛ぼう。高いところがとても好きで、バンジージャンプの経験はあるし、幼いころの夢は鳥になることでした。首吊りや凍死、薬物やガスも考えましたが、インターネットは便利です。いろいろ調べて、死ねなかったことを考えるとこれが一番いいような気がしています。
今年に入って身の周りのものも処分をはじめました。できるだけ周囲に迷惑をかけないように(それが無理なのはもちろんわかっていますが)、手配したいし、遺書も用意してあります。ここ数カ月間は、仕事関係以外の人間、肉親との接触もできるだけ断つようにしてきました。準備を淡々と進めています。僕は初冬に多分、多分死ぬのだろうと思います。悲しいというよりは空虚な気持ちです。死んでいった彼等もこんな気持だったのでしょうか。
どうすればよかったのか?なんて思うけれどもそんな救済ははじめからなかったような気がします。思えばむかしから弱くて、弱くて、ここ数年がただ運良く、うまくごまかせていた、それだけだったのだと。この世は弱肉強食ですから、弱いものは去らなくてはいけない。もう一度美しいと錯覚できたら、そうしたらまた以前のように自分をごまかすことができるのだろうか。ごまかすことができたら、この先の命を続けていくことができたのだろうか、それはもうわかりません。今の私には、屋上から逆さまに落ちてトマトのようにぐしゃりとなる自分の姿しか思い描けないのです。
今日は私が、男目線でカワイイ!って思う女の子のファッションを紹介、解説しちゃうヨ!
特にファッションにコダワリがないんだったら、異性にモテた方がいいよネ!?みんなから優しくしてもらえるシネ!
10個イッキに紹介しちゃうから、よーく耳を澄まして聞いててネ!?
じゃあ、行くヨー!!!
やっぱ一番はコレ!どんな体型の女の子でも、コレはくだけでヤらしく見えちゃう!ちょっと破れかけなカンジもいいネ。あとなんか、白いポッケが出てるのとかもいい感じ。ポイントとしては、短ければ、短いほど男ウケするヨ!当たり前だネ!
☆彡黒のニーハイソックス☆彡
男ウケの大定番!私の若い頃から流行ってればもっとムフフな青春を送れたのに!生まれてくる時代を間違えたァー!ミニスカートや短パンの下に履くのも最高だけど、普通丈のスカートの下に履いて、普段はストッキングのように見せておきながら、風でフアッとめくれた時に白い太ももが見えちゃうカンジもまたサイコー!もう!次がないか凝視しちゃうネ…失敬。
黒もイイけど、おじさん灰色のニーハイソックスも好きだヨ!黒はギャルなコ(とメンヘラ)に多いけど、灰色は女子大の大人しそうなお嬢サマってカンジ?色白の太ももと柔和な灰色のニーハイソックスの相性は、まるで馬刺しにおける生姜とニンニクの薬味コンビみたいにサイコーに合うネ!この場合花柄のミニスカートが醤油だヨ!混ぜ混ぜしておじさん食べちゃうヨー!!
☆彡プリーツの入ったミニスカート☆彡
なんか?すべすべ肌触り良さそうな素材の?縦に段々になってて上は太めのゴムっぽいヤツ!色は黒とか紺とか赤とか、オトナっぽい感じで!黒ストッキングとのコンビがイマドキかナ?なぁーんかね、愛人っぽさを感じてドキドキするんだよネ。上品なんだけどどこか卑猥っていうか、何か期待してるデショ!アナタ。ゼッタイ。
☆彡薄い黒のストッキング☆彡
厚くておじさんのモモヒキみたいなのはゼッッタイNGだヨ!薄くて、テロテロしてて、白い肌が透けて見えちゃうようなヤツ!特にね、ヒザのあたりがエロいんだ。素足よりも妙に艶かしくなるのが不思議ダネ!あとストッキング履いてるからって安心して短いスカート履いちゃう無防備ギャルとか、もうホントどうして欲しいの?誘ってるの?ハァン…おじさん困っちゃうんこ…
☆彡なんかフリフリなミニスカート☆彡
なんか柔らかそうな素材で黒とか白とかでフリフリになってるミニスカートあるジャン。よく10代のコとかアイドルとかが穿いちゃうヤツ。あれねぇー、おじさんもイイ年だから言うの憚られるけどねぇー、やっぱ好き。エロッス!若さゆえのあやうげなカンジがイイネ!でも、なぁーんかオカシイんだよなぁー。激しく動いても揺れないし。ま、まさか…あれはズボン!?おじさん達に夢見させてくれてたの!?ありがとう。
ワンピースの魅力は、理論上はどこまでもめくれ上がる事が可能なところだ。つまり、ワンピースの存在意義はひとえにそこにあるのだ。だからどんなワンピースであろうとも私は構わない。ミニでありさえすれば。そう、ミニでありさえすれば。
落ちてきたら、また空高く、何度でも、何度でもめくり上がれ、美しい願いごとのように。
☆彡赤の網タイツ☆彡
これはねぇー、ちょっと直接的すぎるかなって思ったんだけど、やっぱ好きなモノは好きヨ。普段着で履いてたら、多分間違いなく男から誘われる回数は増えるから、なりふり構わない女のコにはオススメ!男のコにかんたんアピール!できちゃう!あと紫もいいネ!黒もいいネ!緑もいいネ!
あの不安定なカンジ、ツンツン尖った感じが小悪魔ってカンジ!堪らん!ハイヒールはもはや女のコの足の一部だネ!特にオススメは赤いハイヒール!ファッションのアクセントにもなって、一石二鳥!若いコは知ってるかわからないけど、昔「赤い靴」って童謡があってね、あれ?今もあるかナァ?まぁね、おじさんの小さい頃からの憧れなんだよね…。
☆彡セーラー服☆彡
セーラー服はニッポン男児の元気のミナモト!ミナモトヨ~そこのオネーサン!これについては男女ともに異論は出ないと思うから、ちょっと、余談をば。昔ビョルン・アンドレセンって美少年がいてね、「ベニスに死す」って映画でセーラー服を着ていたのね。水平の格好。あれ見てね、おじさん男ながら下にミニスカ穿いてくれないかなって、思っちゃったんだナ…男のコなのに、あまりにも美人さんだからネ…。コレ、長いこと生きてきたけどまだ誰にも言ったことないの。ここで白状しちゃった。イヤン。聞いてくれてアリガトネ!
さぁーて、10行ったかナ!?行ったよネ!世の女のコたちはコレ見て勉強してネ!しないとおじさん説教しちゃうヨ!おじさんの説教は長くてウザくてキモイヨ!?イヤだぁ~?なら勉強しなさい。お願いネ。
最後に、おじさんもよく参考にしてるサイトを貼るヨ!ここに載ってる女のコたちは、みんなツボをおさえたオシャレ上級者!