はてなキーワード: 灰色とは
久しぶりに嫁ぎ先の京都から東京の実家へ帰ると父が料理をしていた。
母がいなくなって2年。
「最初は家の裏のスーパーの弁当ばかり食べていたが、最近料理をはじめたんだ。」
と嬉しそうに語ってくれた。
「せっかくだから食べて行きなさい」
はなからそのつもりだったが、父の焼いてくれた「サンマ」とインスタントの味噌汁と
惣菜コーナーで売っていたきんぴらを食べた。
「料理できるようになったんだね」
私はちょっと泣いていた。
父は照れ笑いしていた。
脂が乗っており美味しかった。
それから、サンマをつつきながら、しばらく母の思い出を語り合った。
母は死んだのではなく、2年前に突然蒸発した。
「まぁ、元気でやってるといいけど。」
父は気が長い。怒ったところをみたことがない。
「生きてるのかなー。」
と私。母には厳しく躾けられたのに、蒸発するなんて母失格と思っている。
思い出すと泣けて来た。
気が付くと父も泣いていた。
急いで見に行くと、魚グリルの引き出しが半開きの上、ガスがつけっぱなしで、サンマの脂が発火していた。
ガスを消し、換気扇を回して、グリルの引き出しを押し込んで、しばらくすると煙も消え鎮火した。
ガスコンロは熱で変形していた。
「コンロ、こわれたら魚が焼けなくなるな。」
父がぼそっともらした。
http://anond.hatelabo.jp/20150920043545のブコメでwattoがアイコンを言葉で表現しようとして突っ込まれまくっていたのが面白かったので真似をする。
しかしpoipoichangのアイコンはウサギじゃなかったのか。ハダカデバネズミなんて説明されなきゃわかんねーw
色系
FTTH 黒い人
xevra 赤い人
cloq 灰色の人
dd369 緑の人
kenchan3 白い人
Nihonjin 黄色い人
wacok 赤と黒の人
migurin 赤と青の人
hungchang 青くて黄色い人
kyuusyuuzinn 黄色と黒の人
quick_past 肌色の人
四角系
kash06 チロルチョコきなこ味
sds-page チロルチョコソーダ味
u_eichi Excel95
人形系
c_shiika 歯の出た人形
kutabirehateko 太った人形
ene0kcal アデランスのサンプル
megazalrock ナショナル坊や
実写系
hima-ari 裸電球
shields-pikes アルコール依存症
blueboy 白人女
akihiko810 シアンインク切れ
cyberglass サイバーグラス
マンガ絵系
orangestar 鉛筆描き風
nekora 1980年代風
vlxst1224 厚化粧
wideangle 目しかない
kaionji 片目しかない
UDONCHAN 鼻がない
houyhnhm 口しかない
whkr 愛想がない
kyo_ju 胸がない
リアル絵系
kidspong 側頭部
suna_kago 側頭部
fusanosuke_n 側頭部
yas-mal 側頭部
itochan 側頭部
下手絵系
kaerudayo 子供に描いてもらったな
KIKUKO 子供に描いてもらったな
filinion 子供に描いてもらったな
inumash 子供に描いてもらったな
death6coin いつのだ?
ysync いつのだ?
ohnosakiko いつのだ?
maidcure 上下反転
north_korea 左90°回転
hmmm 右90°回転
sharia 色調調整失敗風
neco22b コントラスト調整失敗風
uunfo ・_・ を足した
sny22015 月面写真
euda リエージュ劇場
Mukke 寺
文字系
xKxAxKx け
ureyubo う
hidematu う
Lhankor_Mhy Y
m_yanagisawa Y
narwhal N
napsucks N!
KariumNitrate 我
KoshianX 狐
shinonomen 東
kashmir108 噠
Cujo 9
lotus3000 ぬけられます
動物系
多すぎるのでパス
植物系
いじりがいがないのでパス
始める前の期待を裏切ってちっとも面白くならないじゃないか!どうすんだこれ?
追記:
おば系
hyuki 怖くない
lastline 怖くない
agathon 怖い
AA系
TakamoriTarou T_T
John_Kawanishi ( ´∀`)
enderuku (凸)
taka_zyawa (・д・`)
rag_en *(’A`)
hatibuhaiker :(ノ’A`)>::(ヘヘ::
sthya __/ \/⌒ ⌒ \/(● ) (● ) ヽ| ⌒(__人__)⌒ |\ `⌒ ´ //\
過去を整理する。
今ではそこそこブラックすぎない会社に拾われて人生つまらないなりにあまり苦しくなく生きられている。
あまり苦しくない人生というものに、それなりに満足できているのは一度それなりに苦しんだからだろう。
ストレス耐性のある人間からすれば全然余裕だったんだろうが、生まれつき精神構造が弱かった自分にとっては十分に苦しい時間を過ごした。
あれより下もきっとあるんだろうが自分が知ってる中で一番下があれだ。
あれより下がきっとあるだろうから必死にそこから逃げ出そうとして、その結果中退の道を選んだとも言えるだろう。
ろくにやってなかった。
緩やかに限界に近づいていた。
毎週やってくるレポート提出日におびえていた。
土日に図書館に行ってレポートを書くための資料を集めて、それでちゃんと準備をしているのに全く進まないレポートに苛立っていた。
何を書けばいいのか本当に分からなかった。
今思えば当たり前の事を書けばよかったんだと思う。
自分は出来の悪い学生だと認めて凄く基本的な事、誤差の計算の話とか実験の教科書に既に書いてあることの焼き直しとか、装置のもっと細かい説明を百科事典から丸写ししていればよかったのだろう。
呆れられるだろうが、何もしないよりはマシだ。
それか、他人のレポートを借りて少しだけ言葉や計算を変えて丸写しするかだ。
あの頃の自分は阿呆な癖にプライドだけは高く、そういう事はできなかった。
それでいて自分の出来の悪さには半分気づいていたので、その後ろめたさから教授に相談することも出来ないでいた。
ただ完成しないレポートとにらみ合いながら、そのままでいると無力感で気が狂いそうだからとラジオを聞いたり横目にテレビを見ながら部屋の周りをぐるぐるしてばかりいた。
朝の6時までそんなことを続けてから、12時間眠って夕方の6時に起きて、5分ほど布団の上であぐらをかいてから大学をサボってしまったことにふと気づいたりしていた。
実際は友達が少ないからと昼休みになるたび図書館に行って学習まんがを読んで過ごしているうちに無意識に勉強をしていたんだと思う。
それでも勉強が人より出来るのは間違いがなかったので親は自分に妙な期待をしたらしく私立中学に行くことを勧めてきた。
その頃の自分は「いい子」だったので親がそう言った以上は逆らうこともなく、素直に塾に通い、素直に人より多く勉強をして、気づいたらそこそこの私立に入っていた。
今覚えばこの時点で覚悟を決めておくべきだったんだろう。
自分は運動も出来なければコミュニケーションも上手く取れなくて、それでいて賢くもないと。
ダラダラと過ごすうちに最初は中間だった成績は下の下まで落ちていった。
今思えば、自分は小学校の頃にちゃんと勉強をする癖を付けそこねたんだろう。
勉強は暇つぶしの範囲でしかしなかったし、テストの大部分は学習まんがで覚えた知識を応用してどうにかしていた。
嫌々ながらも机に向かって問題を熱心に解くことは少なく、宿題も面倒になると適当に埋めて終わらせていた。
算数の問題(今覚えば公務員試験の数的処理によくにていた)を解くのはパズルみたいで好きだった。
だけど単純計算は嫌いで、よくケアレスミスをするのは知っていたのに全然トレーニングをしようとはしなかった。
そうして面倒くさがって勉強しない癖を付けたままダラダラと中学高校時代を過ごし、大学受験シーズンを迎えた。
分からないことが多すぎた。
英語の基礎はなっちゃいないし、数学も積分の問題を解いているのに微分がそもそもろくに理解できていなかった。
社会化の知識は小学校で止まっていたし、かろうじて理科はどうにかなると思ったらこれも中学校で止まっていた。
自分は勉強しなくても勉強が出来るはずだという感覚を未だに捨てきれなかった自分は混乱した。
何から手を付ければいいのか分からなくてとりあえず周りに合わせて受験生がやるような問題を解こうとした。
手も足も出なかった。
中間テスト前に毎回丸暗記して何とか赤点を回避していた知識は反復不足でほぼ全てが抜け落ちていた。
高校1年の問題どころか、中学2年程度のレベルでも怪しい所が無数に合った。
まず何をすればいいのか。
それを誰に相談すればいいのか。
その答えも出せないまま刻々と時はすぎて、気づけば滑り止めも受からないまま高校時代は終わった。
塾には行っていた気がするのだが、基本的な部分で躓きまくっているのをどうすればいいのかが分からなくなり、誰に相談するでもなく自主休講を繰り返していた事だけは覚えている。
相談すれば真摯に対応してくれていたのかも知れないが、あの頃の自分はプライドと疑心暗鬼が心の中で手を組んでこんな奴らに相談しても馬鹿にされた挙句にはぐらかされるだけだぞと完全に思い込んでいた。
浪人生になった春。
新しい塾に入ることにした。
そこは前に通っていた塾よりもレベルが低く、自分が通っていた高校の名前を出したらすぐに上のクラスに入れてもらえた。
自分の今の実力は非常に低いから不安なので一応テストを受けたいと申し出た。
いくらもう1年時間があって同級生には高校3年生もいるとはいえ、こんな問題も解けない奴はヤバいだろうと感じた。
今思えばここで油断したのかも知れない。
勉強をしない生活が基本となっていた自分は、隙あらばサボろうとしていたのをよく覚えている。
最初のうちは授業にはちゃんと出ていたが、いつの間にか加速度的にレベルの高くなる内容に振り落とされ、気づけば足が遠のいた。
どこであんなに差がついたのかとその頃の自分は悩んでいたが、答えは明白である。
日々の反復学習だ。
予習も復讐もロクにせずに授業に出るだけでは大学受験レベルの問題が解けるようにはならないおつむの作りをしていると高校時代に散々味合わされたはずなのに、半年もしないうちにそれを忘れてしまっていたらしい。
そうして勉強をする癖を付けることが出来ないまま、二回目の大学受験を迎えた。
滑り止めには受かった。
「こんな所行ったら終わり」だとすら思わず「こんな所に行く自分が想像できない」滑り止めだった。
他の試験会場で味合わされた絶望感がそこの試験の時だけなかったのを覚えている。
同時に「こんなに簡単ならきっと逆に競争が熾烈化してギリギリの戦いになるだろう」なんて考えていた。
そうして勉強する癖も、自分のイメージする大学生にふさわしい知識も、自分のイメージする大学生にふさわしい学習環境も、何一つ手にすることがないままに大学生編が始まるのであった。
もう一年浪人して心を入れ替えておけばよかったのかも知れないと今は思う。
二浪したら人生の終わりの始まりだとその頃の自分や両親は思っていたが、その程度で終わるなら大学を中退したらどうなってしまうと思っていたんだろうか。
大学に入った頃の自分はまだ自分がそこの学生である事を実感できないでいた。
結局一度も心の中で認めていなかったのかも知れない。
周りの学生も教師も皆馬鹿に思えたし、そんな連中とつるまなきゃいけない自分自身の馬鹿さ加減にも日々絶望していた。
心の半分ぐらいがずっと灰色だった。
浪人時代に失敗したから大学に入ったらちゃんと勉強を頑張ろう!
そう思って友達付き合いやサークル活動を控えて勉強に打ち込もうとした。
駄目だった。
ただ予習・復讐を忘却曲線に合わせてやるだけの事が出来なかった。
だから勉強もできないしサークルにも入ってないし友達もいない救いようのない学生が出来た。
そうしてその救いようのないクズは日々レポートに苦しみながらクズ故のプライドの高さと自己肯定感の低さから来る多方面への遠慮から誰にも頼れずにいた。
そうして自分は大学2年の後半辺りから少しずつおかしくなり始め、就活シーズンの頃にはすっかり頭が駄目になっていた。
誰からも自分は必要とされないだろうという不安から就職活動に踏み切ることも出来ず、だからといってなにもしないのも不安だからとか公務員試験の勉強を始めた。
公務員試験の勉強と、普段の授業と、実験レポートと、卒業論文、その4つにグルグルと毎日追われていた。
授業の実験はなくなったが研究室に妙なやる気があったのでそれに似たことをよくやらされた。
何かをすると他の何かが頭をよぎった。
勉強もしなくちゃいけないし、レポートも書かなくちゃいけない、卒業論文も進める必要がある、面接の準備もしておいた方がいいのだろう、授業の宿題もちゃんとやらなければ……
パニックだった。
計画を立てて物事を実行に移す。
自分にかけていたのはその習慣だったのだ。
今にして見ると簡単な事だ。
だけど自分はまだそのことに気づいていなかった。
だから机に向かって何かに取り組んでは、すぐ別の何かが気になってフラフラしては精神をすり減らしていた。
気晴らしのために遊ぼうとしても色々な事が気になって遊べなかった。
眠ることは生理的に必要不可欠なのでこれなら許される気がした。
悪い夢を見ることが多かったけれどもそれが一番疲れが取れた。
寝ている間の半分は夢すら見ていないからだろう。
実験レポートの内容は相変わらず酷いもので、教授にチェックを受けるたびに皆の前で叱られた。
あるときには呼び出しを受けて教授から2時間にわたり叱責を受けたこともあった。
回りでパソコンに向かっていた同級生・上級生が憐れむような、何か理解できない生き物を見るかのような目でこちらを見ていたのを覚えている。
そうして気づけば研究室へ行くのが嫌になり、卒業論文も進まなくなった。
将来への不安から勉強にも身が入らず単位も不足し、文句なしの留年でその年は終わった。
入る前から死にかけている生きの悪い学生なんてどこも取るはずがないだろうなと今でも思う。
次の年度が始まっても、院生に上がった元同級生や下級生、そしてあの教授たちと顔を合わせると思うと研究室には行く気になれなかった。
研究室を変えたらどうだという話もあったが、どうせたらい回しにされた人間しかやってこないようなもっと酷い研究室に送られるのだと思い拒否した。
今覚えば分が悪くとも賭けに出た方がマシだったろう。
ギリギリの精神を「もうすぐこの状態から抜け出せる」という希望で何とか繋いでいたのが逃亡からの留年という形で切れてしまったこともあり、次の年度は完全に駄目だった。
日々の多くを家に引きこもって過ごしていた。
毎日死ぬことばかり考えていしたし、もうすぐ死ぬのなら今頑張っても無駄だなとふて寝ばかりしていた。
何かを頑張る気にもならなかったし、かといって遊ぶ気にもならなかった。
ただ毎日を死んだ目で寝て過ごした。
段々寝ようとしても寝れなくなっていったが、グルグルと頭のなかで過去や妄想を反芻しながら布団の中で目を閉じている方が起きて何かやるよりかはマシなので眠りもせずに布団の中で過ごした。
そしてその日々の中で、こんなことを続けていたもどうにもならないと思い、自分は中退を決意した。
決意の方向が間違っていたような気もするし、実際もうあの頃の自分はどうやっても大学を卒業できなかった気もする。
生活を見直し、人生を見直し、行動を見直し、とにかく気持ちがどうこうよりも前に日々をどう生きるかを前向きに組み立てなおしていれば可能性はあったのかも知れない。
だけどあの頃の自分は1人でそれが出来る状態にはなく、それを助けてくれる人間も周りには居なかった。
両親は自分の人生で忙しかったし、大学は腐ったみかんの相手なんてする気はなかった。
どこで分けられるの?
圧倒的な勢力はともかく、個々に対して右だ左だってどこで区切ってるの?
韓国が好きなら左寄り?
私は子供の頃から親が在日韓国人二世の人と友達だったしおいしい料理を母に教えてくれていて、いわゆるお袋の味の中には韓国料理もある。チヂミとかトックとか名前も不明な灰色の豆腐みたいなものとか。
それとは関係ないが少女時代やKARAが出てきてもう夢中になってなんて、あーなんて可愛いんだーと恋に落ちた。今も少女時代が生き甲斐なくらい愛している。
安部政権に対しては上手く外交もこなしているし、安保理法案もやむ無しと思っている。
景気が上向いた証しはまだ出ていないし、思ったより伸びなかった上半期だったが、もっとどんどんやって欲しい。
一会社員として支持する。というか支持しない理由があまりない。
朴大統領の中国寄り思惑も分からなくないし、しかし安部政権がなにもしてないとは思わないし、少女時代はかわいいし、中国人のアルバイトのリンさんはむちゃくちゃ真面目でかわいいし。
何より自分寄り、なのかな。
たまに仕事で豊洲に行くことがあるのだけど、たまにのことなので毎回経路を検索することになる。
たいてい、どこかで有楽町線に乗り換えるルートが最も早く到着できるが、ゆりかもめ利用の経路が最も早く豊洲着となるケースがある。
今朝がそうだった。
ゆりかもめは利用したことが無く、なんとなく乗り換えが面倒そうな印象があったので、ゆりかもめ利用の経路はずっと無視していた。
今日は「使ってみたら便利なルートだったなんてことがあるかもしれないし」と思い、ゆりかもめ利用の経路で豊洲に向かうことにした。
大井町でりんかい線に乗り換える段で、早くも後悔することになる。やたら深いところにホームがある。失敗したかなと思いつつも引き返すわけにもいかないので、経路選択の失敗に気付かないフリをしてりんかい線に乗る。
国際展示場で明るいドーム型の天井を見上げながら地上に出る。今度はゆりかもめの改札がどこなのかわからない。なんとなく人の流れに乗って歩き出すが、駅から遠ざかるだけの感じがして引き返す。
駅員に尋ねると、人の流れとは完全に逆の方向にゆりかもめの駅はあった。
夏らしい大粒の雨が降る中、アーケードもない国際展示場-有明を乗り換える。「こんな経路は検索結果から排除してくれよ」と経路検索アプリに悪態をつきながら、りんかい線とは対照的にやたら高いところにあるゆりかもめのホームに上がる。
置き去られた未来。といった感じのこじんまりとしたホームでは自分と老人が1人、電車を待っている。
ホームの外は東京とは思えない広大な空間が広がっている。やがてたった2両の電車が滑りこんで来た。乗りこむと女性が一人だけ乗っていて、スマホで何かを見ている。
平日朝8時台の都内を走る電車が2両編成で、その車両には自分以外にはたった一人。隣の車両を覗いても3人ぐらい。
大きな窓の明るい車両から見える周囲の空間は、開放的というより寂寥感あふれると言ったほうが感覚に近いだろう。
さっきまでぎゅうぎゅうの大井町線で、わずかなスペースを見つけるのに必死だった自分とのギャップに頭がついていかない。金属と金属がこすれあう普通の電車とは違う、ゆりかもめの牧歌的な振動も不思議な感覚を増幅する。
ゆりかもめが豊洲に向けて進むうち、ポツポツと人が乗ってくるが席の大半は空いたままだ。
窓の外には相変わらずだだっ広い空間が広がり、その中に建設中の大きな建物がポツリポツリ。海なのか河なのかわからない水面とその周辺の雑草が生えた広い土地。雨が降っているので地面も水面も空も、灰色で塗りつぶされている。
豊洲で地上に降りると相変わらず雨で、閑散としている。訪問先に向かううちに、あちこちから現れる人々がつくる流れの中に飲み込まれて、いつもの世界に戻ってきた感じがしてくる。
2015.7.31(金) The Economist
中国の沿岸警備隊はほぼ10日ごとに、日本の外相が昼食時までに中国外相に正式な抗議を申し入れるのに間に合うよう、午前8時に現地に到着する。週末に現れることは、あまりない。最近、これはちょっとした儀式になっている。
中国の艦船は、中国が領有権を主張し、釣魚島と呼ぶ日本の尖閣諸島から12カイリの領海線内に侵入する。
そして、中国船が国の名誉が満たされたと判断し、領海内から立ち去るまで、日本の海上保安庁の小型船が中国艦船を用心深く追尾するのだ。
このちょっとしたダンスを改善と呼ぶといい。何しろ2012年には、反日熱が最高潮に達し、尖閣諸島の海域への攻撃的な侵入が、中国が無人の岩礁を巡って隣国・日本に戦争まで仕掛けるのではないかというリスクを浮き彫りにしていたからだ。
こうしたダンスを繰り広げているのが、白く塗られ、最小限の武器しか持たない沿岸警備隊の艦船であるために、双方は比較的簡単に撤退できる。だが、暗灰色の軍艦が近くでうろついている。中国がここ数カ月手を緩めている1つの理由は、水平線のすぐ向こうに日本の海上自衛隊の確かな存在があることだ。
そして、両国が尖閣を巡って衝突するようなことになれば、米国は、日本の援護に駆けつけることを明確にしている(米国は領有権問題に関する見解を一切主張していないが、戦後の日本占領時代には爆撃訓練のために尖閣諸島を使っていた)。
東アジアで抵抗に遭った中国は、もう少し簡単な標的に目を向けた。南シナ海の島嶼、岩礁、環礁である。これらの島嶼や岩礁は長い間、沿岸諸国、特にフィリピンとベトナムが関与する領有権問題の対象になってきた。だが、中国はこの1年、急激に緊張を高めている。
彼は、まぁいいけど、と言った。私に逆らえないことをよく分かっているからだ。
渋い蕎麦屋ではなく、白を基調としたシンプルお洒落な蕎麦屋。客層もシャレオツ。
そんな中紛れ込むクールビズの彼と、全身が灰色の私。こちらも負けじとシンプルイズベスト!
一つ隣の席には、雑学しか話さない男とそれに相槌を打つ女が座っている。
私達は蕎麦と向き合いに来たのだ。
彼は、うーん、と一言唸ったあと、カレーうどんと蕎麦で迷っていると言った。
私ではない。同じくメニューを選んでいるカップルの発言が奇跡的に一致したのだ。
彼は、蕎麦と出し巻き卵、と注文した。
出し巻き卵はそれはもうふわふわで、キラキラしていた。
ダシが薄く、上品だ。大根おろしとも合う。主役ではないけど、優しい味。
そして、蕎麦である。必要以上に大きい皿の上に、蕎麦は盛られていた。
鴨蕎麦を食べながら私達は色んなことを話した。しかし何を話したかはよく覚えていない。
行こうか、と蕎麦湯を飲みながら彼が言った。私も席を立った。隣のカップルはまだ話していた。
歩きながら、私は、出し巻き卵美味しかったねと言った。
それ言っちゃう?と思った。と同時に、なんだか嬉しくなった。
ニヤニヤして黙ってたら、彼と目が合ったので手を強く握った。
むっちゃ不器用マンだけどなんか急にガンプラ作りたい、ガンプラ。
今売ってるお前モビルスーツじゃなくね?って感じの灰色のガンタンクが超かわゆい。
っていうかアーマードコアで見たことあるぞお前。プロジェクトファンタズマぐらいにいただろ。
まあそんなことはどうでもよくて、とにかくべりーきゅーと。きゃわタンという言葉はキミの為にあったのだ。
陸戦強襲型ガンタンクちゃんもかなりぷりちーであったけれど、あれはなかなかキットにならないしなあ……。
人型機作るとブンドド中やブンドド準備中の不慮の事故であっという間に粉砕したり骨折させたりしてしまうから、
今まで作ったガンプラでまだ生きてるのはボールとガンタンクだけ。他はみんなスクラップになってしまった。
灰色ガンタンクちゃんはスミ入れと銀色マーカーでテカってそうなパーツ塗るのとツヤ消しトップコートだけでも、かわいくできるかなぁ……。
今回はシールにも挑戦してみようかな……シールとかデカールとかの作業するとピンセット使っててもすーぐ指紋ベタァってなるのなんでなん。
男子がオナニーの話で盛り上がっているのを見て、なるほど、と思って女子トークに取り入れてみた。
「みんなオナニーって週に何回する?」
私が言った瞬間に場の空気が凍った。マジで、今までの和やかな雰囲気が嘘のように一瞬でフリーズドライされてパキパキになった。
背景に咲いていた花が、灰色のヒビの入った石と化した空気の中、私は一人で混乱していた。
えっ?えっ?えっ?
男子はあんなに盛り上がっていたオナニーの話なのに、この空気は一体どうして?
「え~オ、オナニーって何~?」
「そうだよねー。何だろうね~」
口々にぶりっ子が言った。でもオナニーを知らないなら、なんでこんな困惑した空気になってるの?
みんな知ってるんじゃないの?楽しんでるんじゃないの?
それから、何事もなかったようにポツポツとトークは再開したけど、なんとなく話題も尽きて、会話の輪から一人抜け二人抜け。
なんで?
客先常駐のプロジェクトが多い。自社での受託開発プロジェクトは少し。
社歴もそこそこ長くなり、多くの現場への異動を経験し、働ける場所がどんどん狭まっていく、と感じる。
行きたくない現場が増えていく。嫌いな・合わない人が増えていく。NGな上司・マネージャのリストが充実されていく。
陣取りゲームの枠の中で、敵の陣地として灰色で塗りつぶされる場所が増えていく感じ。
どんどん狭まっていく。白の、自分が行動できる範囲はわずかにしか残っていない。そういう感覚。
トラブルを起こして異動になっているわけではない。ごく普通に契約終了での異動だ。
現場で働いている最中に異動を申し出たことはない。普通に働いている。
が、契約を終了し現場を離れてしばらくすると、もうあの現場には戻りたくないと感じることが多い。
ゴネてみたところで、その現場にしか仕事がない・募集がないというなら拒否もできない。
最悪上司と思っても、働く場所がそこしかないなら拒否もできない。
関わりたくない同僚の類も、同じ現場なら完全に無視できるものでもない。
そうなれば黙って受け入れるし、社会人として常識的に対応する。それはそうだ。
けど。心理的にはもう関わりたくない現場・上司・同僚は、現場を経験するごとに増えていく。
”異動するにつれ知り合いが増え、顔が広くなり、会社の中では生きやすくなる”
白いワイシャツに灰色のスラックス姿の男が疲れた表情で歩いていた
ようやく日も沈みきり、週末の夜が始まる頃合いだろうか
リクルートスーツを着た、就職活動中とおぼしき若い女が、男の前に立ちはだかり、両手で指鉄砲のジェスチャーを構えた
「手をあげろー!」
満面の笑みの女と、疲れた表情のまま女の目の前で立ち止まる男
「もう、ほら、手、上げて!」
女は男の両腕を掴み、無理やり持ち上げる
はあ、と男はため息をついて、昔の映画に登場するゾンビのように両手をだらしなく上げる
女はすかさず両手を男の脇の下へ潜り込ませ、このままプロレスの技でもかけるかのような勢いで男に抱きついた
男はさらに大きなため息をつき、上げていた手を力なく落とした
「ぎゅってして!」
女は男のワイシャツに顔を押し付けたまま、くぐもった声を発した
「あぁ?」
男は半ば不快感を含んだ声を漏らしたが、女が抱きつく力を緩める気配がないからか、諦めて女の背中に両手を置き、宙を仰いだ
一分ほどたっただろうか
「まだ?」
「…もうちょい」
さらに数十秒が過ぎて
「バス来るぞ」
「うん」
抱きついた時とはうってかわって、女は静かに、伏し目がちに男から離れた
「気、済んだか」
「うん。済んだ」
私が小学生から高校生の間、黒猫を飼っていた。名前はハナ。近所の神社に捨てられていた3匹の子猫のうちの1匹だった。従兄弟が可愛いからと連れて帰って来たものの、彼はマンション暮らしでペットを飼えなかった。そのため、我が家と祖父母の家のある敷地で飼うことになったのだ。成り行きでなぜかうちで飼われるようになったハナだったけれど、わりと私の家族や祖父母は歓迎した。
ハナは気性の荒い猫だった。撫でれば嫌な顔をするし、気に入らないことがあるとすぐに引っ掻いた。それでも私は猫が好きだったので、小学校高学年くらいまでわりとたくさん構った方だと思う。黒い毛のしたに、灰色の柔らかい毛が生えていた。ハナのお腹の下の柔らかい部分が特に好きで、幾度となく触ろうとしては蹴られたり引っ掻かれたりしていた。私はハナを手なづけようと必死だったし、ハナは適当にあしらってくれていた。
話は変わるけど私が小学生の頃、悩み事があった。ひじの裏やひざの裏、首元や耳の後ろ等、皮膚の柔らかい部分に赤い湿疹ができていたことだ。なぜできるか分からないそれが好きじゃなくて、いつも肌を隠すことばかり考えていた。
でも、転機が訪れた。その発疹が、中学生になり、家に居ることが少なくなるとピタッと止んだ。私は猫アレルギーだった。中学生になって、部活がすごく忙しくて、家に帰るとベッドに直行していた。当然ハナと接する機会が減ったので、私のアレルギーは止んだという訳である。それが分かったその日から、ハナは大分肩身の狭い思いをしたと思う。とにかく、家に入れてあげなくなったし、私もハナを抱かなくなった。もちろん、ハナを触りたい気持ちもあったけれど、あの湿疹と決別できたことが私にとって何よりも重要だった。
最初ハナは若干戸惑っていた。いつも構ってくれる人間が「ちょっと、こないで!湿疹が出るじゃない!」「あっちにいって!ハナちゃん触ると痒くなっちゃうの」と言い始めたから当然のことだ。でも、ハナもクールなもので、あっという間にで慣れてくれた。私を見ても「あ、いるな」くらいの間隔の距離を保ってくれた。私を見ると、ハナは少し尻尾を振った。
そのうちハナもおばあちゃんになり、祖父母の家から出なくなった。ますます、私はハナを構わなくなって、そのうちハナのことを考える時間もほとんどなくなった。ハナはいつの間にか年老いていて、静かに天に旅立った。12年生きてくれた。でも、そのうち、6年間はほとんど接していない。最後に触ったのは、多分高校生1年生の冬。祖父母の家のこたつに足を突っ込んだらハナがこたつの中にいたのだ。私はびっくりしたけれど、これぐらいでは湿疹が出ることはないだろうと思って放っておいた。その時、ハナはこたつの中でそっと私の足に寄りそった。本当に、遠慮がちにそっと。
ハナが死んだ時、大学受験の真っ最中だった。私は、ハナが死んだことすら1週間気付かず、母の「ハナちゃんがいなくてさみしいね」という一言でようやく知った。悲しみはなくて、淡々としていた。もう6年も適度な距離感があったペットに、私は特に心を動かされたりはしないと思っていた。でも、やっぱりふとした瞬間にハナが恋しかった。庭先のツバキの下や、祖父母の家の縁の下、陽のあたる畳の上、こたつの中に、ハナがいないのは違和感があった。あるいは、庭先で何かを追い掛けて軽やかに駆け回るハナがいないことに、喪失感を覚えた。だんだん、ハナがいない違和感は消えたけれど、誰も猫を飼おうと言い始めはしなかった。猫アレルギーの私が就職して一人暮らしを始めてもなお、猫を飼い始めようという話はない。ハナであれば、あの気性の荒い、でも本当は優しい猫でなければ、私たち家族は嫌なのだ、結局。
命は切ない。一瞬で、消え去ってしまう。
ハナが死んであっという間に5年経った。早いものだなぁと思う。私はもうハナの目の色や、耳の形を覚えていない。写真も、あまり残っていない。
でも、時々思う。あの、遠慮がちにそっと身体を寄せた、暖かいからだを。あの時、ぎゅっと抱けばよかった。アレルギーなんて気にせずに、なりふり構わず、あの瞬間を生きていた小さな命をぎゅっと抱き締めたらよかった。
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アレルギーの件:皮膚のアレルギー症状…発赤(ほっせき)・かゆみ で、私はこれに該当するアレルギーだと思います。皮膚科で血液検査しました。
いぬ、うさぎ、チンチラ等の毛もNGで、未だに治っていません。恋人の飼っている犬にも触れず、つらい思いをしています。なおせるものならなおしたい。
まず結婚式がどうなるんだろうって考えてゾッとする。
とりあえずきっかけは友達の紹介で~とかになるんでしょ?それは知ってる。
でもそれ以外で紹介することなさすぎて誰も得しなくてすごく胃がキュッとなる気がする。
んでその後も、行ってきますのキスもないし、お互いストレスが増えるだけで、毎日がすごく灰色で無味乾燥になる気がする。
子どもができたら仲の良い親を演じることでそれがいつしか本当の愛に変わっていく・・・とか?
胡散臭すぎ。つーか無理やり後付けのパチもんじゃん。
むなしすぎる。
お互い積極的に愛しあってなくても、せめて心安らかに過ごせる友達・パートナー的な感覚くらいにはたどり着いてから結婚したい。
愛するまではいかなくても一生安心して寄り添っていけると思えるほどの相手。
できれば日経さんに届いてほしい。
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ふと日本経済新聞を読もうと思ったら、いま電子版を契約したら最初の6月ぶんまで購読料がタダっていうキャンペーンがやってたので釣られてしまった。
スタート割→http://pr.nikkei.com/campaign_event/201504_startwari/
10日ほど経過したのだが、読むのが苦痛になってくるときがある。
スマホで読むのにインストール必須の専用アプリ「紙面ビューアー」が糞クオリティ過ぎて話にならんからだ。
「新聞を読める」という機能要件は満たしているが、使いやすさは糞。
日経さんよ、爺さん婆さんに呼んでほしくて電子版作ったんじゃないだろ?
社内アプリじゃないんだから、こんなんでリリースして読者から金取るのは勘弁してほしい。
ということで、私が「紙面ビューアー」に対しての不満点をまとめる。
※ここで言うのはAndroidアプリが対象な。iOSは使ってないから知らん。
①クリッピングできない
重要度:高
概要:お気に入りの記事をクリッピングする機能が、紙面全体に対して出来ない。
記事をクリッピングする機能があるが、ダブルタップでフォーカスしないと使えない。
しかし、特集記事のように紙面全体で1記事の場合はフォーカス自体が出来ない。
修正案:紙面全体をフォーカス可能にする、あるいは、フォーカス時以外もクリッピング可能にする。
②めくってすぐに読みたい
重要度:高
概要:紙面を開いた直後、あるいは改ページ直後は、(ダウンロード済みでも)紙面がぼんやり見えてて、
これは一度開いたページだろうが、めくってすぐに戻した場合だろうが例外なくぼんやり現象になる。
朝の時間が無い時にページをめくるごとに数秒待たされると禿げそうになる。
修正案:暗号化とか色々大変なのはわかるが、プリロードか何かで工夫してめくったらすぐ読めるようにしてくれ。
重要度:中
概要:毎日勝手に新聞を端末にダウンロードしてくれる機能がある。
しかし単なる1日朝夕1回ずつのスケジューラで、その時に通信が無かったら機能しないのでは(自信無し)
修正案:朝通信が繋がったタイミングでダウンロードしてほしい。(=自動ダウンロード)
あと、途中で通信が切れても勝手にリジュームしてください。(改善)
ついでにダウンロードを中断する機能をつけてください。(これも改善)
④裏でダウンロード
重要度:中
概要:例えば、昨日の夕刊をダウンロード中に今日の朝刊を読みたいとき、
夕刊を開く→一旦戻る→朝刊を開く とすると、夕刊のダウンロードが止まってしまう
⑤改ページの操作感
重要度:中
概要:改ページはスワイプ操作のみで行うが、思ったようにできない。
あるいはスクロールしたいだけなのに意図せず前ページに戻ることが多い。
修正案:Perfect Viewerとか有名なアプリを使って同等の操作感までレベルアップする
重要度:低
概要:記事をダブルタップするとズームインするが、その際該当記事以外の部分が濃い灰色になってほぼ読めない。
修正案:昔は太枠で囲まれるだけだったらしいので、それに戻してください。
とりあえず以上。
もちろんだけど、版画で見て欲しい。
でも、いきなり画廊にいって手で持って鑑賞するってのもハードルが高いかと思うので(実際はけっこうこころよく手に持って鑑賞させてくれるよ)、伝わる部分、伝わらない部分をすこし説明しようと思う。
例によって、少し長くなるけれど、お付き合い願いたい。
かなり落ち着いてきたし、ずいぶんと絵の勉強もしたので、前よりもわかりやすく説明できると思う。
まず、色について。
画集はおそらく現存するもので一番古いもののうち、一番いい色のものを採用していると思う。
復刻版の浮世絵の色は、初版、あるいは最も有名な版の摺りたてを目指して作るというものと、摺ったものの経年変化まで考えて作るというものの2通りのものがある。
摺りたてを想像して作られてる。
そういう復刻版は明治大正の頃に作られていたんだけど、当時なら50年100年くらい経った浮世絵の再現ってことで、意味もあったんだろうけどね。
いまそれやったら、ほとんど灰色になってしまってよくわからない古ぼけた絵を作るってことだからね。
色については、復刻版のほうが圧倒的に綺麗。
ただ、いくつかの色については、江戸時代の絵の具そのものは使えないらしい。
たぶん、鉛とか水銀とかのように、水道法や毒劇物取締法にかかったりするものや、天然素材が資源保護の都合上手に入らなかったりとかだと思うんだが、詳しくは知らない。
それを差っ引いても、色については復刻版から見るべきだと思う。
画集ではとても再現できない。
まず空摺り、布目摺りという紙へのエンボス加工。
空摺りというのは、色をのせずに摺ることで紙につけるエンボス加工
たとえばこれ、巻物の縁の部分と、着物の衿の部分に注目。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/utamaro063/utamaro063_thumb4.jpg
布目摺りというのは、布を押し当てて紙に布のような質感を再現すること。
たとえばこれ、たなびく布が、本当に布のようなエンボスになってたりする。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige175/hiroshige175_thumb5.jpg
これについては生で見ないととてもわからない。
スマホ画面で鑑賞するのに適した作品として、まず歌川広重の名所江戸百景の亀戸梅屋敷を挙げる。
寝る前によく眺めてる。
ゴッホが模写したとかで有名なやつらしい。
なれないうちは有名どころからいくといいよ。たぶん。
さて、画像検索すると、ピンク色に染まった空の一番上の部分が、ピンクから赤へのグラデーションのバージョンと、ピンクから青へのグラデーションの二種類がある。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/hiroshige160_main.jpg
http://www.gogh-ukiyoe-museum.jp/images/kameido.JPG
どっちが本物でどっちが偽物っていうわけじゃない。浮世絵って色の違う別バージョンが無数にある。
さて、それはさておき、俺はこの絵をみるときに、画面いっぱいに広がる梅の木の幹ではなくて、幹のあいだから見える、その向こうにいる人だかりを見てしまう。
というのは、画面いっぱいに広がる梅の幹の木肌が滑らかすぎるんだ。
木の幹は視界に入っているのに入ってない。
フェンス越しでも野球がみれるように、手前の木のピンぼけは、木の影から覗いてるという風に解釈してしまう。
ピンク色の空が幻想的で、幹と幹の間から見える遠くの人々の会話が聞こえてきそう。
遠くで友達が花見をしてる、それに混じりたいのに出て行く勇気がなくて遠くから覗くしかない俺、っていう架空設定をついつい脳内に作ってしまったりする。
さて、これだけでも手品みたいな画面効果だっていうのに、広重ときたらもう一つ仕掛けをつくってる。
次に、白梅の花に目を移してみる。
そうすると、白梅がとびだしてきやがるんだ。
さっきの野球の例えだと、フェンス越しに野球をみてて、ふとフェンスに焦点をあわせるとフェンスがブワァって飛び出してくるような感じ。
そんなこんなでまたいずれ。
現在のサラブレッドのほとんど全てはダーレーアラビアンの子孫であり、エクリプスの子孫であり、ファラリスの子孫である。
ファラリスの子孫のうち、大半はネアルコの子孫であり、残りのほとんどはネイティヴダンサーの子孫である。
ネアルコの子孫で、現在でも栄えているのは、ナスルーラ、ロイヤルチャージャー、ノーザンダンサーの血統である。
ナスルーラの血統は、やや勢いを弱めつつも、主に北米で影響力を保ち、米三冠馬シアトルスルーの枝から、昨年の北米リーディングサイアーであるタピットを輩出している。
ロイヤルチャージャーの血統は、ターントゥ、ヘイルトゥリーズンと続き、そして登場したサンデーサイレンスの血は、日本を完全に支配してしまった。
現在はサンデーサイレンスの最高傑作ディープインパクトが、種牡馬としてもその後継として、日本競馬界に君臨している。
そして「その血の一滴はダイヤの1カラットよりも価値がある」と讃えられた20世紀最高の種牡馬ノーザンダンサー。
アメリカのダートを中心にパワフルな活躍を見せたストームキャット。
サドラーズウェルズからはガリレオ、ダンジグからはデインヒル、ストームキャットからはジャイアンツコーズウェイなど、数多くの後継を出し、世界中に血脈を広げている。
さて、このネアルコの猛威に対抗し得るのは、“灰色の幽霊”ネイティヴダンサーと、その末裔である大種牡馬ミスタープロスペクター以外にないだろう。
「探鉱者」という名を持つミスタープロスペクターは、シーキングザゴールド、キングマンボ、ウッドマン、ゴーンウエスト、アフリートなど、まさに金鉱を掘り当てるように後継種牡馬を豊富に残し、北米を中心に確固たる勢力を築き上げたのである。
以上が、現在のサラブレッドの血統の非常に大雑把な説明であり、より詳しく正しい情報を知りたい方はWikipediaをご覧いただきたい。