はてなキーワード: 学費とは
離れれば感謝の気持ちも沸くかと思っていたが、父の事を思い出すと気持ちが悪くなる。
小学生の頃、眠りに落ちる少し前位に父が私の部屋に急に入ってきて、顔や胸や陰部をべろんべろんに舐めまわしてきたこと
普段ロクに話さないのに、私の生理の話の時だけ饒舌になっていた事
自分が答えられない事を質問されたら、わざと大きなゲップをこちらにかけてきたこと(わからないならわからないといえばいいのに…)
毎晩酔っぱらって奇声をあげたり部屋を滅茶苦茶にしたりしていたこと
ものすごく太っていて、何度も何度もダイエットをはじめては一度も成功させること無く酒を飲みはじめる所
結局のところ、縁故というか、つながりが一番評価されるのかなと思う今日この頃。
MBAホルダーたちでさえ、人脈形成が一番の財産ですって言ってるくらいだし。
まず、中高あたりから、一貫で全寮制で英才教育が主流になってくるでしょ。
子供の奪い合いだし、そうやって差別化するのが一番手っ取り早い。
すっげー高い学費で全寮制で少人数制。
そこを出れば、いわゆるセレブ層の子息とお友達になれるっていう。
アカデミアの世界じゃ終わった人だけど、ネームバリューだったら世界一っていう人とかを。
有名大学でも講義内容自体はiTunesやYoutubeで無料配信されるようになったりしてさ、でも就職時に評価されるのはその全寮制の過程を卒業したかどうかになる。
https://allabout.co.jp/gm/gc/18712/
4年間合計=約1362.6万円
学びたい学校が自宅から通えるところにあるかわからないし、国公立であるかもわからない。
学費が今後高くなることはあっても、安くなることはないだろうしなあ。
そうなると、現時点での私立理系自宅外くらい見越しておくべきなのかと思う。
院まで行くとしたら、プラス2年で1.5倍。
ざっくり1人あたり2000万円用意する必要がある。
毎月9万3千円ずつ学資保険を積み立てていけば、18歳までに2000万貯まるという感じ。
いや、これ相当キツいじゃん?
かといって、こう踏み倒しが多い現状だと奨学金の拡充は望めないだろうしなあ。
うちの母は25のときアパレルの店長になる話を蹴って親父と駆け落ちした。
そのおかげで俺はいるんだけど、そのせいで今の人生を歩んでると思うとちょっと申し訳なくなる。
というのも今は45で鬱と狭心症と坐骨神経痛で働けない状態にいる。
鬱の末期で親父と離婚してから生活保護で国に養ってもらいながら生活しているんだけど、俺は反抗期のときに「親じゃなくて国のお金で育てられてる」なんて心無いことを言ってしまった。
なんか話が変な方向に行ったりするけど別に人に読ませるための文書いてるわけじゃないから気にしない。
今もそのこととか引っかかってて、俺が働きだしていくらお金があれば親を幸せにしてあげれるだろうかなんて考えたりする。
本人は病床に臥して大体9年になるから、そろそろ働いて自立したいと言っている。それを自分は応援するし、サポートしたい。9年前の元気な頃と比べて母は心身ともに、あと薬のせいか病気のせいか頭の方も衰えてる。その過去とのギャップや環境の変化、周囲の風当たりや焦燥感がとても心配だ。多分俺自身が思うよりもっと本人は悩んでると思うけど。
俺は大学生。一人暮らしを初めて一年とちょっと。未だに実家には顔を出すが、最近急に親が老け込んでしまった気がする。
クソみたいな男に引っかかって、そんな親父に見た目の似た子供を育てて、自分の夢を捨てたまま死なれちゃったら母の人生は何だったんだ。
母は悪いことをしてないし、唯一間違えたことがあったとしても、無理して働きすぎたことだ。それも他人のためだし。
離婚に関しても、離婚寸前まで俺は離婚する前の生活が良かったって思うぐらい、あんまり嫌なところを見せないようにしてくれてたしそのせいで離婚当時は酷いことを言ったかもしれない。
自分も服が好きだし、服が好きな親には服に囲まれて自分の店で服を売って暮らしてほしいなって思う。
大学の生活は可もなく不可もなく。成績は結構優がある。バイトと給付型奨学金で高卒会社員並みの給料はあったからそれを半年ずっと貯めて、貯金が50万。今も奨学金をもらってて月4万の収入がある。
大学の学費を利子なし奨学金で賄ってるから、数年後の自分の生活に怯えるぐらい。
生憎、兄弟や親と助け合って生きているもんだから姉も俺も水商売だとか、土建屋で働くとか、無理に自分を削って金に替えることはしていない。
仕送りとかそういうのは全然ないけど、たまに実家に集まってみんなでご飯食べたりしている。
奨学金を返すために借りている奨学金とか自分でも変なもの借りてるなと思う。
大学入って色んな人見るし、俺より恵まれてる人でも結構壮絶な過去があって今を生きてるんだけどもやっぱり俺より恵まれてて良いなって思う。
でも大体みんな辛いのは自分が辛いんだからってわけで、別に他人より辛くないから辛くないなんてものじゃないよね。さっきの良いなとか言ったのやっぱなし。みんな頑張れ
自分よりすごい人には負けたくないなって気持ちはあるんだけど、無理をしないってことが一番大事に思ってるから頑張るってことをあんまりしてない。
それがクズならクズで仕方がない。甘えでも仕方がない。実際自分の近くに無理をしてどうなったか教えてくれる人がいたし、俺はクズで甘えの人間のままだと思う。
苦を苦に思わないものこそが自分のするものであって、それを見つけるのが人生だと考えている。
同い年や先輩で大学行きながらエンジニアしたり物作って売ったり色んなことしてる沢山の人見て本当尊敬するし仲良くしたいし負けたくないなって思うしめっちゃ嫉妬する。
俺もIT系の未経験OKのバイト行って、会社のためにプログラミングの知識高めて色んなことしたいのに、探して応募したら一切メール帰ってこねえの。なんでだろ
だいたい聞くと親のツテでプログラミングとかそういう類の物に触れるきっかけがあったりするっぽくて、まあなんかもうしゃあないなって感じ
今思うとバイトもバイトでどこ面接してもシフトぎゅうぎゅう詰めにしなきゃ雇ってくれない(そもそも条件飲んでも雇わない、連絡くれない)なんてことあるし学生の本分が何なのか理解できてないんだろうか。そもそも俺自身そんな魅力のある人間じゃないし、軽く見られてるっていうのが99割ありそうだな
現地での生活費が月7万
日本でできなかった勉強が海外に行ったとたんできるようになるわけない
なんであんな軽いノリで決めちゃったんだ
返金制度がないらしくあと8ヶ月は帰れない
帰ったところでなにもない
やってることは日本と変わらん
若者の理科離れとか理系離れとか言うじゃない。まあそりゃそうだよねってのが理系就活生を観察しているとよく分かる。自分は東京大学の工学系修士学生で学内外問わず色々な人の状況を知っている。日本の理系の現状はなかなかに酷く全くもって夢がない。
まず就職しても待遇が悪い。例えば大手メーカーの研究開発職に就いたとする。修士卒業の場合、だいたい初任給は23万円/月だ。どんなFラン大学を出ていようと東京大学を出ていようが変わらない。一律たった23万円。もちろんここから上昇するにはするが非常に緩やかな上昇だ。年収800万〜1000万に到達する頃には40歳くらいになっているだろう。大学、大学院と勉強や研究を重ね知識や技術を磨いてもこの程度にしかならない人生だ。
一方、大学時代は遊びほうけ頭すっからかんのくせに就活中だけは意識高く振る舞いそれらしいことを言ってうまいこと商社・広告・マスコミ・金融などの大手に就職できた文系の人達は30歳になる頃には1000万円をもらっている。これらの高給文系職は無駄に激務であることを踏まえてもなお、大学は適当に遊んで文系就職した方がコスパが良いと感じる人は多いのではないか。更に悪いことに、メーカーでさえ文系の総合職の方が平均年収が高くなる。あまり将来のことを考えず理系科目が好きだということで理系に進んでしまった学生は就活する段になってようやく日本が文系社会であることに気付く。技術立国とは名ばかりで学の無い連中の馴れ合いで社会が動かされており文系社畜にならなければ良い待遇が得られないという事実に気付く。
そして博士課程に何の魅力も無い。優秀な学生が少なく、学生時代の待遇が悪く、卒業後に希望がない。アメリカのトップスクールなどにおいて博士学生というのは非常に厳しい選抜を勝ち抜いたエリートである。一方、日本の大学院の博士課程は東大ですら誰でも入れてしまい無能が入り込む余地が多分にある。もちろん東大には超優秀な博士学生がたくさんいる。しかしそれ以上に無能な博士学生の多さが目立つ。博士学生同士で切磋琢磨ということはあまり望めそうにない。
学生時代の待遇も悪い。アメリカをはじめ諸外国のSTEMなPhDプログラムでは基本的に給料が出るし、学費もかからない。一方の日本の博士学生は学費を自分で支払う必要があり、さらに給料は基本的に出ない。もちろん学振を取ったりリーディング大学院の奨励金等を受け取れば20万円/月程度であれば稼げるが、これらには研究専念義務(笑)というものがあり副業や奨学金などによる追加収入を得ることは禁止されている。海外の給料が出る大学院であればこのような制限はない。追加で奨学金を重ねることもできるし、RAをこなしたりインターンシップで稼いだりすれば(かなりうまくいけば)年600-700万円くらいの稼ぎは得られる。
月20万円というのは20代後半の大人にとっては非常に厳しい額だ。実際には税金や学費などが引かれ月15万円程度の収入になるだろう。東京で月15万円で生活することを考えてもらいたい。まず家賃で7万円は飛び、光熱水費で2万円、食費4万円はかかる。この時点でもう月2万円しか手元に残らない。ここから交通費やら何やら出していれば全く貯金できないことが分かる。月15万円というのはギリギリ生存できる最低限の収入である。ちなみに学振というのは世間一般からすれば一握りの優秀な博士学生しか獲得できない。アカデミアの未来を担うホープをパートのおばちゃん並の価値であると見なし更に研究専念義務という謎の仕組みで縛り上げ貧乏を強いているのが日本だ。
耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶと報われるかといえばそんなことは無い。諸外国ではPhDを持っていると基本的には良い待遇を得ることができる。自分でプロジェクトを興し引導し対外発表ができ文章が書け更に専門知識を持つ者として高く評価されているからである。一方、日本の博士はどうだろう。企業の求人をみても月25万〜28万スタートのところが多い。博士を取ることによるプレミアが皆無であるという企業からのメッセージである。博士号を要求する職ではどうだろうか。研究所や大学の教職などがあるだろう。いずれも酷い待遇である。国を代表するような研究所であっても初任給400万/年くらいである。大学に至っては教授に上り詰めても年収1000万程度しかもらえない。日本では研究が大好きであるということ以外に博士課程に進む理由が無い。
いやー夢が無いねえ。そりゃ傾くよねこんな国。高校生諸君、悪いこと言わないから適当に早慶くらいで文系学生やって遊んでイキって暮らしていこうな。
この記事の反響を一通り読んだ。概ね当事者や元当事者など理系の実情を知る人には受け入れられているようである。しかし文系の人や文系就職した人達、この記事に該当する優秀な理系学生でなかった人達には響かなかったようで彼らは少し筋違いの批判をしている。この記事の目的は現状の理系トップの惨状を伝えることにあり、筆者個人の進路選択は全く関係ない。特定を避けるために詳細は述べないが筆者は恵まれた進路選択をできる立場にあるので心配はご無用である。これらを踏まえてもらった上で、以下の批判をした人達は自分がズレているということを認識してもらいたい。
それはあなたレベルの人達からしたらそうなのかも知れないが筆者の周囲では商社やマスコミに入るのは別に特段優秀とは見なされていない。文系就職する人達はむしろ、研究や勉強でそこまで成果を上げられなかったりスキルや能力に自信が無い人が多い。もちろん金目当てで理系からトップ外銀やトップ戦コンで活躍するような人達はこの限りでは無い場合もあるが少なくとも商社がごく一部の超優秀なエリートというのは笑ってしまう。一学年に何百人いるんだよ(笑)(もちろん中にはすごく優秀な人もいる) このような批判をしている人達はさすがに大学に行っていたとは思えない。
このご時世、優秀な人が推薦に頼ると思ってるのが凄い。推薦で採るような会社に行きたくない人が多いという認識が無いのであれば世間知らずだと思う。更に推薦があるような企業でも優秀な人は推薦を必要とせず、選考が正式に始まる前から企業に目をつけられリクルーターが付いていたりする。このような場合、推薦というのはあって無いようなものであり形式的な馬鹿らしいものとなる。企業や学科によっては推薦からしか受け付けないと言ったり最初は自由応募で後で推薦に切り替えるなどと、企業側にも学生側にもあまりメリットのない意味不明な運用が横行しており、推薦制度というのは優秀な人からは馬鹿にされている。もちろんこの制度が無いと就職できないような優秀でない理系の学生にとってはものすごくありがたいのかもしれない。
金が欲しい人は外銀に行きますね。もっとも、金融にものすごく興味があるだとか数学を活かした仕事がしたいだとかいう意志がなく単純に金だけで金融に行くというのは金のために魂を売ることだと感じる人が多いことも認識しておこう。特に大学の先生なんかはこう思う人が多く(夢のために貧乏道を選んだ人達なので当然といえば当然だが)外銀村から抜け出せなくなった人のことを馬鹿にしていたりする。
日本だと金が欲しい人が行く道が(士業を除くと)金融しか無いのが悲しいところ。アメリカのエリートはウォールストリートかシリコンバレーか迷えるのに日本だとシリコンバレーに相当する業界がダメダメで誰も憧れず実際に稼げない。
こうすれば良いああすれば良いと個人の最適な生存戦略を挙げて悦に浸っている人が目立つのが気になった。それぞれの主張はそれなりに正しくはあるのだが、そのような状況自体が悲しくないか、夢がなくないか、という日本社会の構造自体を嘆いているのがこの記事の本筋である。
基本的に給料はスキルの熟練度よりも在籍している会社の業績によるところが大きいし、さらに需要と供給によっても変わってくるので、任意の分野において勉強すればするほど給料が高くなると考えるのは間違いであるという主張は正しい。しかし、もう少し上のレベルから考えてもらいたい。理系の研究者や技術者というのは新しいものをつくりだす人達である。これらの人達の扱いを酷いまま放置していけば社会が後退していくのは目に見えているだろう。それなのに状況が数十年前から一向に改善されないというのは社会が進歩を否定しているということを意味する。日本で理系に進み酷い待遇を受け苦しんでいる人達を自業自得と笑うのは簡単だが、それで良いのだろうか。個人の選択の問題にしてしまうのは頭良いアピールには良いかもしれないがもう少しマクロな視点からものを見て議論してほしい。
実際している人は結構いる。理系に進んだは良いものの理系職は暗い人が多く稼げず華やかさに欠け楽しくないので文系職も考えるかという人は特に社会的にバランスの取れた性格の人達の中には割といる。最近は企業も文系職でも理系人材を求めているということを前面に打ち出してきているし、理系に進むというのは将来の選択肢を広げ人生を有利に生きるという意味では悪くはない。しかしせっかく理系の勉強や研究をしたのに文系就職する方が良さそうに見えるこの状況に何の危惧も違和感も覚えず「文系就職しろよw」と嘲笑するのは筋の悪い批判・自己満足でしかないと思う。
その選択が最良と思える今の状況が悲しくない?という話だよね。個人レベルで考えるなら就職なり学位留学なりで海外行くのは(経済的・能力的・ビザ的に可能であるならば)かなりアリだと思う。
この記事を読んで全ての学生が日本企業に拘っていると読めるのだとしたら一度病院に行って頭を診てもらった方が良い。外資に行くのも生存戦略としては大アリだとは思うし行き場のなくなった博士が外資に拾ってもらうことが多いのも知っている。外資といっても色々あって外資投資銀行、外資戦略コンサル、外資ITコンサル、外資メーカー、外資IT企業、など様々な業界、その中でも様々な職種がある。また外資には米国系、欧州系、中国系などあってそれぞれ気色も違う。外資に行けとだけ言うのは本人は何か言っているような気になっているのかもしれないがその実何も言っていない。投資銀行やコンサルのような文系職であればだいたいどの分野の学生も行けるだろうが分野によってはまともな外資が日本で理系職を採用していなかったりもするので無条件で外資外資と喚くのは世間知らずにもほどがある。外資が理系職の採用をしておりかつ外資の方が明らかに待遇その他が良い分野の場合であれば優秀な人はみんな外資を目指し実際に行く人も多いから安心すれば良いと思う。(もちろん外資に文系就職するのもアリでそういう人も多いが外資だと文系職は奴隷という色がより強くまた本社に行けることもあまりないので本人次第ではある。)上に推薦のことを少し述べたが推薦が眼中に無い人には外資の内定を持っている人も多く含まれていたりする。ただ、やはり基本的に外資に行くほうが良さそうに見える社会ってどうなの?というところはきちんと見つめられるようになってほしい。
父は貧しい個人商店の長男で、奨学金を貰いながら大学に通った。やがてお見合い結婚をし、母との間に私と妹が生まれた。妹が生まれる直前に、土地付きの家を買った。家族旅行にもよく連れて行ってくれた。私も妹も、名の通った私立大学を出ている。
専業主婦の母と娘二人を養ってくれた、世間的には平凡だが立派な父。
理屈ではそんな風に考えられるのに、私は父を愛することが出来ない。30歳になった今でもだ。
子供の頃、我が家には大きなピアノがあった。私がピアノ教室に通い始めてすぐ、音楽の心得のある父が付きっきりで練習を見てくれたことがある。幼稚園児だった私にとっては、トラウマと言ってもいいような記憶である。
私がうまく弾けないでいると、父は厳しく叱り付けた。正しい運指を見せて、この通りにやれ、と言う。殴られたわけではないが、涙が出る程度には恐ろしい口調だった。両手が塞がっているので、涙も鼻水も垂れるがまま、いつ間違ってしまうかと怯えながらピアノを弾いた。見せてもらったばかりのお手本の真似も出来ない自分は、きっと出来の悪い子供なのだと思った。
その後も父にはしばしば、「同じところで何度も間違うな」と注意されたことを覚えている。間違えると叱られる。私にとってのピアノとはそういうもので、演奏を楽しんだり、褒められた記憶はない。今でも鍵盤を前にすると、誰かに監視されているような気がする。弾くことは、もう一生ないと思う。
子供にも音楽をやらせたい、最初に正しい型を叩き込むのが肝心。それは父なりの愛情表現だったのだろう。ピアノは高価な買い物だったはずだし、月々の月謝も安くはなかったはずだ。何より、わざわざ時間を割いてくれた。練習の様子も気に掛けてくれてはいた。
家族で食卓を囲んでいても、父は原則として、人の話を聞いていない。「お父さんはどう思う?」と水を向けても、大抵は無反応である。
テレビを見ながらの大人同士の雑談なら、それでもいいかと思えるが、毎日の出来事を話したい盛りの子供には辛いものがあった。進路や学費といった相談事まで無視されるのには辟易した。仕方なく何度も話し掛けたり、大きめの声で注意を惹くと、ものすごく不機嫌になる。金は出してやるから好きにしろ、とだけ言って背を向けてしまうので、どのみち会話は成立しない。
そのくせ父の方は突然ウンチクを語り出したり、つまらぬオヤジギャグを飛ばし、望んだような反応が得られないと機嫌を損ねるのだ。
そんな壊滅的な父の対話能力は、酒が入ると完全に消滅する。自分語りやお説教を垂れ流すのはともかく、好意的な反応を返さないと拗ねたり怒鳴ったりするのが厄介である。
体のためにも酒量は控えて欲しいと、家族がどれだけ注意したところで、ネットショッピングで無尽蔵に取り寄せられてしまう。それでも家計に響かない程度に稼いでいるのは父自身なので、経済的な切り口から禁酒を勧めることも難しい。健康診断は既に要注意項目が複数あるのだが、どれも「危険」の一歩手前であるため、「これくらいは大丈夫ってことだろ」と言い張って毎日のように飲む。
酔った時の父について、私は子供の頃、まるで人語の通じない別の生き物みたいだと思っていた。大人になり自分自身が酒を嗜むようになった今でも、その印象は変わらない。お酒は楽しい時間を過ごすためのもので、酔って記憶も正体もなくすのでは本末転倒だと思う。
私は思春期を迎えると共に、夕食を食べ終えた後は子供部屋に引きこもるようになった。妹は部活動やアルバイトで、なかなか帰って来なくなった。
父の帰りが遅かったある日、嫌味を言われたことがある。
「俺の金で生活出来てるくせに、女同士でだけ楽しそうにしやがって」
何も言えなかった。父がいない日は妹も早く帰ってくるし、私だって居間で宿題をやった。
父はたぶん、精神的には幼児のまま、体と職能だけが立派になってしまった人だ。父方の親戚や祖父母の家を見れば、経済的にも精神的にも恵まれない育ちだろうと想像はつく。発達障害の特徴もある。それでも一家の大黒柱として、アルコール依存症気味になりながらも私たちを育ててくれた。
立派だね、頑張ったんだね、育ててくれてありがとう。
きっと、そう言えるのがいい娘であり、いい大人だ。
分かっていても、気持ちが追い付かない。虐待を受けたわけでもないのに、愛情を注がれてきたはずなのに、肉親を愛せない自分に失望する。
食卓に出された料理を、自分が欲しい分だけ取ってしまう父。一人二つずつだからね、と食べ始める時に母が釘を刺したにもかかわらず、無視して三つも四つも食べる。それが久しぶりに帰省して来た娘の好物であってもお構いなしだ。酒が入ると、もう手が付けられない。
だから小皿に分けてって、いつも言ってるのに。ごめん、大丈夫だと思ったんだけど。母とは目と目でそんな会話をして、肩をすくめた。
父は視野の狭い、ただの子供だ。悪気はないんだ。ならば歩み寄れる、愛せるようになるはずだ。
そう自分に言い聞かせようにも、欲のままに飲み食いする還暦過ぎの酔っ払いは視覚的インパクトがあり過ぎる。卑しい、醜悪だ、という感情を打ち消すことが出来ない。自分の血肉の半分がこの男から受け継いだものだと思うと、身の毛がよだつ。どうして母は、こんな男と一緒に暮らして正気を保っていられるのだろう。
私には、父を愛することが出来ない。
私の最終学歴は専門学校卒で今は看護師をしている。頭は悪かった。一方で弟はよくできていた。そんなもんだから弟と比較されて過ごしていた記憶しかない。
弟は県内一の進学校に通っていた。両親もそこ出身。私だけが例外。亜種。
そもそも小学校の頃から勉強にはつまづいていたし、だから親にはもう諦められていた感もあった。10歳程度で親の期待には答えられないことがわかった。バカに生まれると苦労するのである。
まぁ勉強できないからやりたくなくなるわけで、成績もよくない。当然ですがそのほかに身を立てられるようなスキルもなかったので、勉強するしかなかった。今でも「芸術とか運動とか、そういう才能あるの?あるんだったら文句言わないけど、そうじゃないでしょ。なんで勉強すらできないの」と言われたことをよく覚えている。正論なので当然文句は言えない。
なんとか高校は普通レベルのとこに入った。友達がいないわけではなかったので学校生活には問題無し。だがやっぱり家庭がネック。中学生の弟と当時の成績を比べられるわで。まぁ自分たちの行かせたくない学校に金払うのもばかばかしかったんだと思う。学費などは文句を言われた。色々あって進路を決める時期になった。もはや国立大学には行けそうにない頭の出来だったし、医療福祉関係には中学の頃から興味があったので看護専門学校に行こうと思った。お願いだから専門学校とかはやめてくれと言われたが、なんとか行かせてもらった。そしてバカなりに学校を卒業し、県内では結構大きい総合病院への就職が決まった。たぶん名前を言えばすぐわかるくらいって感じの。この頃から両親の態度は激変した。ようやく自分を認めてくれるようになったのだ。いいところに就職したね、と。一時期はどうなるか不安だったけど本当に良かった、と。嬉しかった。ものすごく嬉しかった。
何年かして弟も就職することになった。弟の就職先はテレビ局だった。進学校から偏差値の高い大学へ行き、テレビ局である。だが、ここで順調にいっていた弟の評価は一気に下がることになる。両親に言わせればテレビは斜陽産業だとかなんとかであんまり面白くなさそうなのである。
ちょっと弟にマウント取れたような気もした。性格悪いと言われそうだが、弟にも評価されない悔しさでも味わってもらえればいいな、とか思ったのである。
この間、休みに帰ってきた弟に話を聞いた。ちょっとかわいそうだな、くらいの気持ちで話を聞いた。なんかADのような仕事をしているらしい。新人のお笑い芸人のこともさん付けで呼んでいるところが業界人の自慢話っぽかったけど、基本的には楽しそうだった。自分が面白いことに携わっているという自信があるし、視聴者からのご意見でも高評価を得ているということがなによりも嬉しいらしい。一方、自分はどうかというと楽しく仕事をするとかそういう感覚がなかった。患者さんからありがとうと言われてもなんか信用できなかった。
楽しそうに話す弟に思い切って、両親のことを聞いてみた。弟は親のことは全然気にしていなかったらしい。というか両親のことを気にしたことがないとも言った。そうだった。弟は両親に事細かく言われたことがなかった。そもそも学校の成績も良かったし、進学の度に文句を言われた自分とは大違い。そういう部分で苦労なんかしていない人間だった。
自分は勉強に対する苦手意識が大きく残っていたし、今でもそれで勉強不足で恥をかくこともある。就職先でしか褒められなかったことも自分の自信につながらない。たぶん、今の病院をやめてしまうようなことがあれば両親は自分のことを、またボロカスにするに違いない。子供の頃の、自分に戻るだけなのだ。弟は今どこへでもいける。今更何か言われても自信が揺らぐことなんてないんだろう。まぁそんなことに気づいたところでこれからどうしようかと思ってもどうしようもない話なので。
北海道情報大学も電子開発学園グループだから、4年制専門学校のダブルスクールというか大学併修の「大卒資格とれます」のがメインだよ。
地方の試験会場は専門学校が多いし。大阪の卒業式でたけど、一般で来てたの2人、あとは専門学校生ばかり。
試験はテキスト持ち込み自由とか自筆ノートのみ持ち込み自由とかいくつかあるから、シラバスみながら簡単そうなの選べば良いよ。
他人に話したことは無いけれど、いいおっさんの年になったのでふと書いてみようと思った。
これくらいなら親の金じゃなくて努力したって言っていいかな?自分としてはあまり努力したような記憶はなくて勉強がすっげえ楽しかった思い出。
今29歳。会社を3ケ月前に辞めた。
小中は地方の公立に通った。自分からは言い出さなかったけど、周りが勝手に学級委員とか何かの代表に推薦してきたり、いわゆるヤンキーとも普通に友達だった。
クラスに馴染めない子がいたらそれとなく声をかけたりもしてた。
成績もまあまあ良かったから、推薦で私立の高校に特待生で入って大学に行った。
大学は入学直前うちにお金がないことがわかって新聞奨学生として学費と生活費を稼ぎながら通った。
大して勉強したいこともなかったが、周りがみんな大学行ってたから専門や就職は考えなかった。
学費の元をとろうと思って就活も頑張ったら第一志望の企業に行けた。
入社後最初はカスタマーセンターに配属された。電話が死ぬほど苦手だったので社会人生活終わったと思ったが、すごく頑張ったら3ケ月後にナンバーワンになってた。
それから色々経験して、5年目くらいにはやりたい仕事もポツポツできるようになった。
社会人7年目に入ったころ、上司から「あなたを管理職にしたい」的なことを言われた。
一瞬で頭にたくさんのことが浮かんだ。残業、満員電車、責任、会社への帰属意識。どれも人生で楽しくない要素ばっかりで、急になんでここにいるのかわからなくなった。
ここで初めて、レールから外れた。
今までずっと、誰かが示してくれたレールの上を落ちないように走ってきた。
自分で考えるよりも先に、誰かが課題を与えてくれたから、それをがむしゃらにやってればよかった。
29年間、自分で考えることをサボってきた。
この3か月間、色々な本を読んだり、自己分析したり、勉強したりしてるけど、自分がこれから何をやりたいのか、どうやって生きていきたいのかよくわからない。
ネットにはよく「好きなことを極めろ」とか書いてあるけど、好きなことが見つからない。
受動的に過ごしてきたツケだと思ってる。
会社を辞めたことは後悔してない。自分が初めて与えられた環境にノーを言えたからだ。
ただ、今とても苦しい。
自分の進む方向を自分で考えて決断することが初めてだからだと思う。
また会社員として働くこともできるし、東京を離れることだってできるし、地元に帰ったり、地方に移住したり、外国に行くことだってできる。
レールの外歴3ケ月の自分には選択肢が多すぎて頭がパンクしそうである。
【追記】
みんな想像以上に温かい言葉をくれて、泣ける。本当にありがとう。
中学時代のクラスメイトが貸したラノベでオタクになって9年目の夏のこと。
人生で目標も意識も理想も持たず、目の前のコンテンツをただ貪る無味乾燥な時間を送っていた僕に、何人目かの彼女が出来た。
彼女は某SNSで知り合った女の子で、当時はまだ新卒の社会人1年生だった。
僕にも彼女にも当初は別に恋人がいて、お互いの近況を話し合いながら「話は聞くからがんばってね」「そっちも彼女大事にね」みたいなやり取りをちょこちょこ交わしていた。
当時の恋人と別れた直後、彼女もその相手と別れたことをSNSに書き込んでいた。
「今までお疲れさま」
「今電話してもいい? もう寝る?」
僕は個人メッセージに「非通知でもいいよ」と添えて、自分の電話番号を送信した。
数分後、見慣れない電話番号から着信が。電話に出ると聞きなれない声で「恵美(仮名)です」と名乗った。
そこから互いの身の上話(ほとんどが彼女の話だったけど)を重ねるに連れ、彼女がこんな言葉を漏らした。
「私、増田くんとなら付き合えると思う」
驚いた。本当に驚いた。
それまでの僕は自分に自信がなく、これまで付き合っていた相手とも「何が良くて自分なんだろう」と思うことの方が多かった。
更に、当時の僕は先天的に持っていた障害(注意欠陥症候群)が発覚したばかりで、尚更人間関係に対して自信をなくしていた。
そんな相手と上手くいくとは思えなかった。
そう思っていた矢先、彼女はこう打ち明けてきた。
「私、付き合う前に言っておかないといけないことがある」
そのほか、ここには書ききれないたくさんの話を聞いた。
そのおかげで、僕は自分が抱えていた不安を打ち明けることが出来た。
障害の話。これまでの話。10年来の付き合いがある友人にも言っていなかった話。
それでも彼女は、こう言ってくれた。
「1人じゃダメでも2人ならなんとかなるよ
一緒に何でも試してみようよ」
中学時代のクラスメイトが貸したラノベでオタクになって9年目の夏のこと。
人生で目標も意識も理想も持たず、目の前のコンテンツをただ貪る無味乾燥な時間を送っていた僕に、何人目かの彼女が出来た。
彼女は某SNSで知り合った女の子で、当時はまだ新卒の社会人1年生だった。
僕にも彼女にも当初は別に恋人がいて、お互いの近況を話し合いながら「話は聞くからがんばってね」「そっちも彼女大事にね」みたいなやり取りをちょこちょこ交わしていた。
当時の恋人と別れた直後、彼女もその相手と別れたことをSNSに書き込んでいた。
「今までお疲れさま」
「今電話してもいい? もう寝る?」
僕は個人メッセージに「非通知でもいいよ」と添えて、自分の電話番号を送信した。
数分後、見慣れない電話番号から着信が。電話に出ると聞きなれない声で「恵美(仮名)です」と名乗った。
そこから互いの身の上話(ほとんどが彼女の話だったけど)を重ねるに連れ、彼女がこんな言葉を漏らした。
「私、増田くんとなら付き合えると思う」
驚いた。本当に驚いた。
それまでの僕は自分に自信がなく、これまで付き合っていた相手とも「何が良くて自分なんだろう」と思うことの方が多かった。
更に、当時の僕は先天的に持っていた障害(注意欠陥症候群)が発覚したばかりで、尚更人間関係に対して自信をなくしていた。
そんな相手と上手くいくとは思えなかった。
そう思っていた矢先、彼女はこう打ち明けてきた。
「私、付き合う前に言っておかないといけないことがある」
そのほか、ここには書ききれないたくさんの話を聞いた。
そのおかげで、僕は自分が抱えていた不安を打ち明けることが出来た。
障害の話。これまでの話。10年来の付き合いがある友人にも言っていなかった話。
それでも彼女は、こう言ってくれた。
「1人じゃダメでも2人ならなんとかなるよ
一緒に何でも試してみようよ」
それからすぐに彼女の家が僕の職場に近いことが判明し、彼女の家に引っ越しての同棲が始まった。
一緒に暮らすにつれ様々なことがわかった。
・彼女がヘビースモーカーなこと(つられて僕もタバコをはじめた)
・お互いに性欲が薄く、SEXをしなくても充分満たされること(彼女がキスが好きなため流れでヤることは多かったけどそれでもこれまでに比べたら少なかった)
・彼女にとってのオタク趣味はあくまで趣味の一つで、本当はもっと多趣味なこと。
・彼女は決して、顔で僕を選んだわけじゃなかったこと。
当時の僕は周りからの評価に対して承認欲求だけが異様に強く、強気な発言や嘘をついて炎上したことも多々あった(承認欲求に関してはここに書いてる時点でまだ収まってないんだろうけど当時よりは落ち着いたってことで許して欲しい)
自然と、彼女だけには嘘をつきたくないって思うようになっていた。
自分で作り上げていた「嘘の壁」の中に誰かをこんなにも強く想える自分がいたことにびっくりした。
そこから2年間、僕は彼女の好きになれる自分になろうとして努力した。
努力を重ねた結果、体調とメンタルを壊し、当時の職場を退職した。
そこからすれ違い(一番の理由は「なんでそんなになるまで相談しなかったの」)を起こし、破局した。
知り合ってから約3年、付き合ってから2年半が過ぎ、結婚も視野に入れていた矢先のことだった。
実家に帰って、わずかに貯めていた金を使って地元の温泉宿で1週間ほど色々考えた。
後悔とか開放感とか恨みとか悲しみとか色々な感情が頭と心を巡って、一生分泣いたんじゃないかってくらい泣き通した。
一通りの気持ちの整理がつき、最後に濾過されずに残った感情を確認するとそれは「感謝」の気持ちだった。
そのことに関して、今でも感謝している。
今からやり直すということは不可能だし、彼女には俺じゃない別の誰かと幸せになってもらいたい。
今の僕は君に比べるとあんまり頭も良くなくて家事もそこそこ苦手だけど君と同じくらい可愛くて優しくて音楽と映画が好きな子と付き合ってます。
彼女にこのことを話した時に「今はもう感謝しかないんでしょ? じゃあその元カノさんはますくんの恩人なんだね」って言われてあらためて君の存在の大きさに気づきました。
多分君に出会ってなかったらこの子を好きになることもなかった。
俺は君のおかげで幸せだし、君もどうか幸せになってください。というか今は結婚してるんだし幸せか。
恵美が幸せなら、僕も嬉しいです。
君を幸せに出来なかった分まで、今の彼女のことを大切にしたいと思います。
君は僕の元彼女で、それ以上に僕の恩人で。
だから、僕は君のことを一生忘れないと思う。
彼女の影響で好きになったバンドのライブを見て、音楽に関わる仕事に就きたいと思ってダメ元で応募したイベント会社のライブスタッフ求人に受かってたから備忘録も兼ねて書き綴ってみた。
長文乱文で読みづらかったら申し訳ないです。
各ジャンルのオタク女子による、匿名の浪費エピソードが載っている同人誌だ。
影響されやすいので、私も自分の浪費について語ってみたいと思う。
*********
そのグループを知ったきっかけは、推しとの共演だった。出番は少なかったが、ステージ上でキラキラ輝く姿を見てときめき、公演後の握手会にも参加した。
間近で見てもキラキラしてて、すっかりファンになってしまった。
地方に住んでいたが、当時就職活動をしていた私は、就活にかこつけて東京に何度も遠征し、ほぼ毎週のように週に1回の定期ライブに参加していた。
推しはグループの中でも認知が早い方のため、すぐに顔と名前を覚えてくれた。3回目の握手くらいで、Twitterのアカウントまでバレた。(これは正直怖かった)
メジャーデビューや結成◯周年記念ライブなどもきっちり通った。握手すると、手をぎゅーっと握って顔を近づけてニコニコ喜んでくれる推しが可愛くて可愛くて、どんどんとCDを買った。
しかし学生だし、遠征費もあるし、就活でバイトもろくにできていなかった私の少ない貯金はどんどんと減っていく。
そして私はついに母から振り込まれていた学費にも手を出してしまった。(さすがに全部は使ってないけど!)
卒業できなくなるので、学費を使ったことを母に打ち明けたが、何に使ったのかは言えなかった。
私は一人暮らしだったので、大量のCDもバレてないし。おそらく母は就活の交通費などに使ってしまったと思ったのだろう…申し訳ない…。
さて、そこまでつぎ込んでいたが、熱は一瞬で冷めてしまった。なんならアンチになった。
原因は別のメンバーの繋がりや悪い噂。推しは可愛いけど、そのグループにお金を使うことがバカらしくなってしまったのだ。
馬鹿だったな〜〜と思うけど、記憶の中の推しはいつもかわいい。たまに活躍を目にして、ときめくこともあるけど、その度に例のメンバーが目にとまり嫌悪感が沸くのだった。
https://anond.hatelabo.jp/20170901130508
それはまだ譲る、
出来が悪いとかではなく人間的に道徳的にどうかって人についてどうなのかという点
たしかにそれもまたいるのかもしれない。
だがその一部の人間で金を支払って授業を受ける側としては、
そんな人間に授業妨害(直接的なものではなく人間関係を悪化させ雰囲気を悪くする等)されるとなると、
とても損をする気がしてならないのだ。
親から金をもらって授業を受動的に授業を受けている人はその感覚は感じづらいだろう。
私がそうなのだがそういう立場からするとそんなのは悪童でしかないのだ。
そのような人間が居た場合今の私としては(もう義務教育のように折に閉じ込められた場ではないのだから)、
躊躇無くその人間にたとえ講師がいようとも吠え掛かるつもりではあるが、
となるとそのような人間がいる場所を極力避けたいもしくは興が冷めてしまうわけだが、
それもまた避けたいわけで苦悩なわけです。
一定数のなかには一定数のゲスがいるというのはそら当然なのだけどね。
わかってはいるが。
増田はリベラルで、有権者になってからは基本的に民主と共産と民進に票を入れてきた。しかしこれまでの民主・民進の代表は好きな人間があまりおらず、一番好きな党首という括りにすると福田康夫元首相だった。そんな中、あの枝野幸男氏が代表選に出ると聞いて、一度見てみたいと思って有楽町まで足を伸ばしてみたのであった。
街頭演説会はひとり7分。有楽町では前原氏が先、枝野氏が後である。
前原氏は小泉首相時代の年金改革を例に上げて、年金のことをひたすら喋る。有権者としては若めの増田、正直つまらないというか、年金の負担がバカみたいに上昇していったほうがキツいんだけどな……という思いが溢れる。かなり長い高齢者の話を終えると、今度は学費と仕送りの話。東京で大学生するのにかかる費用は平均で年120万円とのこと。当然学費無償化の話かなと思ったら負担大きいよねーという話で終わった。その後非正規雇用を減らすというざっくりした話だったと思う。正直具体案が少なくあまり覚えていない。
続いて枝野氏である。冒頭で政治の不正について。情報公開法、公文書管理法、特定秘密保護法について言及しつつ話始める。そのまま憲法にも繋げる。まぁ言わばコンプライアンスである。その後に生活からの経済。前原氏のキャッチフレーズに言及する形で介護の話、そして介護士と保育士の給料を上げることで消費を刺激し、経済を良くするとのこと。最後にもう一度情報公開法、公文書管理法、特定秘密保護法に言及し、全体をまとめて終了。
代表選で「情報公開法、公文書管理法、特定秘密保護法」という行政監視について2回も言及する人、面白いなとしか言いようがない。森友、加計が無ければこんなに言及できない話題と思うのだが、実際もうすでに感心が低下しているのか、今日の演説会でも聴衆の反応は良くない。が、しかし、増田は歴代首相で福田康夫が最も好きな公正な行政マニアなので、いいねぇって感じしかなかった。行ってよかった。
どちらの陣営も盛り上がるって感じは少なかった。時間が16:30と大抵の人が終業前で、玄人が多く、関係者と非党員の割合は8:2ぐらいじゃないだろうか。高齢者が多いということもなく、ただ関係者がおるなって感じ。演説のときに関係者ぐらいは合いの手をもっと上手に入れればいいのにって思った。
演説のうまさはどちらも持っているが、カリスマ性は前原氏の方に感じた。しかし前原氏は具体的な話に乏しく、枝野氏の方がより信頼がおける感じはしたが、まぁ増田は今回の代表選は枝野氏支持なので、ひいき目があるのでは?って言われるとそうかもである。
さて、見てきた報告なので結論とかはないのだが、今回の演説会で最も気になったのが、「普通の労働者への言及がほぼない」ということである。普通の労働者というのは実質上フルタイムで働いている労働者という意味である。とかく、企業は労働基準法を守らないという話を、現役の労働者達が大量にTwitterで呟いている今日、なぜ民進党の支持者のど真ん中である人々に対して、明確なメッセージをどちらの候補も発せなかったのか。労働時間の規制や賃上げによる生活の改善を訴えられないのか。正直に言ってそこは非常に残念だった。今働いている現役世代を大幅に自民党に取られているのは、そこだと思うので、両候補とも増田のような公正な行政マニアは後回しでいいからよろしくどうぞ。
今日本では国民の借金の増加について議論が繰り広げられている。特に、現在問題になっているのは学生ローンすなわち奨学金である。長引いた不景気に伴う就職難や収入の不安定な階層の高学歴化によって自己破産する家庭が出現している。日本政府は日本の学歴社会化を待ち望んでいるが、奨学金ローンによる弊害を知った庶民が高学歴化(高校卒業後の進学)を諦め、景気の自然回復(とはいえ不況から普通になっただけだが)による有効求人倍率の上昇や企業努力などによる働きやすい環境の整備などもあって、早期就職を選択する若者が急増している。これは政府にとって痛い現実だ。世界は経済や社会の成熟に合わせて学歴社会が進むのが当たり前(北欧や韓国がその例)だが、日本の学歴社会化は減速している。(日本の大学現役進学率は1990年代の不況以降上昇し続けてきたが、2010年代に入ってから減少に転じた。)これは日本社会を成熟させるに当たって解決せねばならない問題だ。
そこで、私は、ローン式の学生奨学金制度を順次廃止して、給付式の奨学金に移行させる、学生奨学金改革を提案したい。その前提として、人口増加率の減速に合わせた学校の整理を行わなければならない。具体的には底辺の私学に対する閉校勧告や公立学校の整理で、学生ローンの原因となっているランニングコストの削減を図る。一般的に、日本では高偏差値の学校ほど志望倍率や学生人口が多く、低偏差値になるにつれて倍率や人口が少なくなる傾向がある。欧州で教育インフラの成熟がうまくいっているのは、まず大学の絶対数が少ないために、公的機関によるランニングコストの負担が軽減されているからである。底辺校は切り捨てられる流れにし、学生ローンでまかなっていた教育コストの負担が公的に行える土壌になればよい。ついでに、加計学園のような底辺校の新規開設も止めさせるべきだ。底辺校の粗製乱造は公共にも学生のためにもならない。そういう学生は浪人して別の大学を志望するなり、大学進学が必要なければ高卒就職する方がよい。大体日本の学歴社会なんて韓国よりは100倍ましなのだから。
なお、今ある学生ローンについてだが、私が教育界隈を司る大臣や役人であれば、徳政令によって債権や債務を帳消しにすることを考える。「自己責任」という意見もあるだろうが、大学の学費ローンは住宅ローン並みと同じくほぼ一生付き合わされる重い負担である。その負担を軽減したほうが、経済復興の加速や若者の消費意欲の向上にも繋がるのではないか。私は国公立大学を卒業した中流の上の家庭出身だが、それでも元大学生としての経済的な痛みは理解できている。もし、地方自治体レベルでもいいから選挙や政治シンポジウムに参加する際には、是非とも日本の学生ローン問題について取り上げてみたいと思う。
とにかく、学生ローンというのは日本社会にとって喫緊の課題であるので、次の国会や自治体の議会において取り上げられればと思う。いや、選挙のときに争点にされなければならないレベルになっているのではないかと思う。しかしながら、私は公務員として働いており、娘や息子も今年受験して来年公務員になる予定があるので、民間人のように政治思想を自由に語れないという不自由さもあるのだが……。
高校三年生の甥っ子が「進路めんどい」とうだうだしていた。「大学受験はかったるい」「専門学校でいっか」「とにかくどこでもいいから行け行け担任も親もうるさくて」。
なんでも聞いてくれるというお墨付きをいただいた私は傾聴に努めるけれど、心はふんわりと自分の中へと潜り込む。
自分の高校時代を思い返してみると確かに、あの頃は何をしたいかなんてさっぱりわからなかった。
姉(甥っ子の母)が優秀だったので何一つ問題なく高学歴ルートに入るのをなんとなく劣等感にまみれた目で見ていた。
周囲の目を気にしながらも、あの時なりにつくった理由(将来の夢?)を足かせに大学受験をしたことを覚えている。
妹は私よりずいぶんとハッキリとした夢を描いて一年後専門学校へ進学した。
弟は目的がなかったことと経済的余裕がないことを理由に高校卒業後働いた。
だから、大学と専門学校という最終学歴を持つこと、そして最終学歴を高校とすることのそれぞれの結果を家族内で見たことになる。
単にあるひとつのケースとして、だけれど。
大学は公立だったため学費は私立と比較すればかからなかったほうで、留年もせず卒業した私はその後一般企業に勤め、あまりのブラックさにうつ病を発症して退職、現在は専業主婦。病も軽度の時に救われたため、現在は幸せと言える。
妹は専門学校進学のために奨学金を借り、卒業後狭き門だった夢はそうそうに諦めてフリーターを続けるも奨学金返済が間に合わず実家に戻り、現在は実家の自営業を手伝う。彼女は彼女なりの幸せを模索しているみたい。
弟は飲食業のバイトを続けたのちに同社の社員に昇格、その後独立して自分の店を建てるもうまくいかずに店を閉め、その後はその経験をブログ執筆にあてて副業で稼ぎながら農家で修業中。彼も幸せ。
大学時代に学んだ授業は、驚くほど覚えていない。ただ、時間も惜しまず研究したこと、そこで出会った刺激的な仲間については今も良い糧となっている。全く別の業種についたが、あそこで出来上がったアイデンティティは大きい。
妹は専門学校時代を忌み嫌っている。理由は授業が入学前に説明されたものと違ったということと、専門学校自体の宣伝に自分の夢を搾取されたと感じたからだという。夢を叶えられなかったのは自分の才能がないからだ、と理解している。
弟はそんな私たちを横目で見て、一度お酒を飲み交わした際に「学費を払って何を学んでいるの?俺はお金稼ぎながらあほのように人生経験してるよ」と言ったことがあった。あの言葉は、忘れられない。
払った学費はなんだかんだで妹が一番大きいだろうか。
私は大学そのものに払ったお金よりもその他の交友関係に使った費用が大きかった。
夏休みの終わり、たくさんの高校三年生が、あるいはもっと若い学生たちが、進路に悩んでいるのだろう。
どの学校?偏差値は?親が言うからしょうがない、勉強めんどうくさい、これやりたい、あれやりたい。
ついこの前VALUの騒ぎを見て、あと今更ながら逃げ恥を見ていてぽつんと思ったことだが、やっぱりなんでも見返りがほしい。
なんでもだ。
というか、見返りを求めないで誰かの言いなりになって決めると不幸しか訪れない。
進学を選ばなければ自由な時間と労働から得る充実感、そして対価だろうか。
なんだか言葉で書けば書くほど薄っぺらくて、そんなもののために(というかそんなふわっとしたもののために)進路なんて決まるか、と思えてくる。
早く決めろ、どこでもいいから行け、という大人の意見は、まあ正しい部分もあるにはあるけれど鵜呑みにする必要はないと思う。
だからやってほしいことがある。ここからが高校三年生の甥っ子にも話したことだけれど。
まず、進学するなら学費を見てほしい。大学でも専門学校でも。それから、在学する年数も。
その上で、その学費と時間を投資して「何を買いたいのか」をハッキリ答えられるか確認してほしい。
その形は「夢(状態)」でもいいし、「将来の収入(物)」でもいいし、なんなら「たった一人の親友」とかでもいい。
つり合いのとれる見返りを自分で描いてほしい。
それがどうしてもできないんだったら、ちょっと高値張って無駄な買い物をすることになると思う。
それは、あとでわめいても、誰にも文句を言えないお買い物。
ちなみに財布が親だろうが、奨学金だろうが、自分ではない場合も確かめてほしい。
ということをつらつらと話した。
甥っ子は途中からうつむいて、「めんどーだよもー、ゆーちゅーばーになるー」と大声ではやしたてて言っている顔の表情は隠して見せなかった。