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はてなキーワード: 理科離れとは

2017-09-26

悪循環理系に夢がなくなっていく

夢のない理系 https://anond.hatelabo.jp/20170922053438 を読んだ。日本理系に夢が無いのは構造的に悪循環に陥っているからじゃね?

合理的社会であれば

というようになるはずなんだよな。

一方、日本では

既得権益にあぐらをかいて長期的な視点を欠いた結果こうなったのでは。ちなみに元記事にある高給文系職も既得権益のかたまりだよな。商社なんか今やほぼ既得権益を使った投資会社だし、マスコミ不動産屋だしな。いつまで既得権益ビジネスで食いつなぐつもりだろうな。これは将来やべーぞ。

2017-09-24

anond:20170922053438

理科離れ理系離れしても医学部離れはしてないって話ですよね

東大工学部よりも地方国立医学部に進学する人が増えてるとか

言われてます

2017-09-22

夢のない理系

若者理科離れとか理系離れとか言うじゃない。まあそりゃそうだよねってのが理系就活生を観察しているとよく分かる。自分東京大学工学修士学生学内外問わず色々な人の状況を知っている。日本理系の現状はなかなかに酷く全くもって夢がない。

まず就職しても待遇が悪い。例えば大手メーカー研究開発職に就いたとする。修士卒業場合、だいたい初任給23万円/月だ。どんなFラン大学を出ていようと東京大学を出ていようが変わらない。一律たった23万円。もちろんここから上昇するにはするが非常に緩やかな上昇だ。年収800万〜1000万に到達する頃には40歳くらいになっているだろう。大学大学院勉強研究を重ね知識技術を磨いてもこの程度にしかならない人生だ。

一方、大学時代は遊びほうけ頭すっからかんのくせに就活中だけは意識高く振る舞いそれらしいことを言ってうまいこと商社広告マスコミ金融などの大手就職できた文系人達は30歳になる頃には1000万円をもらっている。これらの高給文系職は無駄に激務であることを踏まえてもなお、大学適当に遊んで文系就職した方がコスパが良いと感じる人は多いのではないか。更に悪いことに、メーカーでさえ文系総合職の方が平均年収が高くなる。あまり将来のことを考えず理系科目が好きだということで理系に進んでしまった学生就活する段になってようやく日本文系社会であることに気付く。技術立国とは名ばかりで学の無い連中の馴れ合い社会が動かされており文系社畜にならなければ良い待遇が得られないという事実に気付く。

そして博士課程に何の魅力も無い。優秀な学生が少なく、学生時代待遇が悪く、卒業後に希望がない。アメリカトップスクールなどにおいて博士学生というのは非常に厳しい選抜を勝ち抜いたエリートである。一方、日本大学院博士課程は東大ですら誰でも入れてしま無能が入り込む余地が多分にある。もちろん東大には超優秀な博士学生がたくさんいる。しかしそれ以上に無能博士学生の多さが目立つ。博士学生同士で切磋琢磨ということはあまり望めそうにない。

学生時代待遇も悪い。アメリカをはじめ諸外国STEMなPhDプログラムでは基本的給料が出るし、学費もかからない。一方の日本博士学生学費自分で支払う必要があり、さら給料基本的に出ない。もちろん学振を取ったりリーディング大学院奨励金等を受け取れば20万円/月程度であれば稼げるが、これらには研究専念義務(笑)というものがあり副業奨学金などによる追加収入を得ることは禁止されている。海外給料が出る大学院であればこのような制限はない。追加で奨学金を重ねることもできるし、RAをこなしたりインターンシップで稼いだりすれば(かなりうまくいけば)年600-700万円くらいの稼ぎは得られる。

20万円というのは20代後半の大人にとっては非常に厳しい額だ。実際には税金学費などが引かれ月15万円程度の収入になるだろう。東京で月15万円で生活することを考えてもらいたい。まず家賃で7万円は飛び、光熱水費で2万円、食費4万円はかかる。この時点でもう月2万円しか手元に残らない。ここから交通費やら何やら出していれば全く貯金できないことが分かる。月15万円というのはギリギリ生存できる最低限の収入である。ちなみに学振というのは世間一般からすれば一握りの優秀な博士学生しか獲得できない。アカデミアの未来を担うホープパートのおばちゃん並の価値であると見なし更に研究専念義務という謎の仕組みで縛り上げ貧乏を強いているのが日本だ。

耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶと報われるかといえばそんなことは無い。諸外国ではPhDを持っていると基本的には良い待遇を得ることができる。自分プロジェクトを興し引導し対外発表ができ文章が書け更に専門知識を持つ者として高く評価されているかである。一方、日本博士はどうだろう。企業求人をみても月25万〜28スタートのところが多い。博士を取ることによるプレミアが皆無であるという企業からメッセージである博士号要求する職ではどうだろうか。研究所大学教職などがあるだろう。いずれも酷い待遇である。国を代表するような研究所であっても初任給400万/年くらいである。大学に至っては教授上り詰めても年収1000万程度しかもらえない。日本では研究が大好きであるということ以外に博士課程に進む理由が無い。

いやー夢が無いねえ。そりゃ傾くよねこんな国。高校生諸君、悪いこと言わないか適当早慶くらいで文系学生やって遊んでイキって暮らしていこうな。

追記(2017-09-25)

この記事反響を一通り読んだ。概ね当事者や元当事者など理系の実情を知る人には受け入れられているようであるしか文系の人や文系就職した人達、この記事に該当する優秀な理系学生でなかった人達には響かなかったようで彼らは少し筋違い批判をしている。この記事目的は現状の理系トップ惨状を伝えることにあり、筆者個人の進路選択は全く関係ない。特定を避けるために詳細は述べないが筆者は恵まれた進路選択をできる立場にあるので心配はご無用である。これらを踏まえてもらった上で、以下の批判をした人達自分がズレているということを認識してもらいたい。

商社マスコミに入れるのはごく一部であり30歳1000万円なんて人は希少

それはあなたレベル人達からしたらそうなのかも知れないが筆者の周囲では商社マスコミに入るのは別に特段優秀とは見なされていない。文系就職する人達はむしろ研究勉強でそこまで成果を上げられなかったりスキル能力に自信が無い人が多い。もちろん外銀やトップ戦コンに行くような人達はこの限りでは無い場合もあるが少なくとも商社がごく一部の超優秀なエリートというのは笑ってしまう。一学年に何百人いるんだよ(笑)(もちろん中にはすごく優秀な人もいる) このような批判をしている人達はさすがに大学に行っていたとは思えない。

理系には推薦があるじゃないかえんな

このご時世、優秀な人が推薦に頼ると思ってるのが凄い。推薦で採るような会社行きたくない人が多いという認識が無いのであれば世間知らずだと思う。更に推薦があるような企業でも優秀な人は推薦を必要とせず、選考正式に始まる前から企業に目をつけられリクルーターが付いていたりする。このような場合、推薦というのはあって無いようなものであり形式的馬鹿らしいものとなる。企業学科によっては推薦からしか受け付けないと言ったり最初自由応募で後で推薦に切り替えるなどと、企業側にも学生側にもあまりメリットのない意味不明運用が横行しており、推薦制度というのは優秀な人から馬鹿にされている。もちろんこの制度が無いと就職できないような優秀でない理系学生にとってはものすごくありがたいのかもしれない。

金が欲しければ金融に行けば良い

金が欲しい人は外銀に行きますね。もっとも、金融ものすごく興味があるだとか数学を活かした仕事がしたいだとかい意志がなく単純に金だけで金融に行くというのは金のために魂を売ることだと感じる人が多いことも認識しておこう。特に大学先生なんかはこう思う人が多く(夢のために貧乏道を選んだ人達なので当然といえば当然だが)外銀村から抜け出せなくなった人のことを馬鹿にしていたりする。

日本と金が欲しい人が行く道が(士業を除くと)金融しか無いのが悲しいところ。アメリカエリートウォールストリートシリコンバレーか迷えるのに日本だとシリコンバレーに相当する業界ダメダメで誰も憧れず実際に稼げない。

追記(2017-09-26)

こうすれば良いああすれば良いと個人の最適な生存戦略を挙げて悦に浸っている人が目立つのが気になった。それぞれの主張はそれなりに正しくはあるのだが、そのような状況自体が悲しくないか、夢がなくないか、という日本社会構造自体を嘆いているのがこの記事の本筋である

勉強していればお金をもらえると思っているなら間違い

基本的給料スキル熟練度よりも在籍している会社の業績によるところが大きいし、さら需要供給によっても変わってくるので、任意の分野において勉強すればするほど給料が高くなると考えるのは間違いであるという主張は正しい。しかし、もう少し上のレベルから考えてもらいたい。理系研究者技術者というのは新しいものをつくりだす人達である。これらの人達の扱いを酷いまま放置していけば社会が後退していくのは目に見えているだろう。それなのに状況が数十年前から一向に改善されないというのは社会進歩否定しているということを意味する。日本理系に進み酷い待遇を受け苦しんでいる人達自業自得と笑うのは簡単だが、それで良いのだろうか。個人選択問題にしてしまうのは頭良いアピールには良いかもしれないがもう少しマクロ視点からものを見て議論してほしい。

文系就職すれば良いじゃん

実際している人は結構いる。理系に進んだは良いもの理系職は暗い人が多く稼げず華やかさに欠け楽しくないので文系職も考えるかという人は特に社会的バランスの取れた性格人達の中には割といる。最近企業文系職でも理系人材を求めているということを前面に打ち出してきているし、理系に進むというのは将来の選択肢を広げ人生を有利に生きるという意味では悪くはない。しかしせっかく理系勉強研究をしたのに文系就職する方が良さそうに見えるこの状況に何の危惧違和感も覚えず「文系就職しろよw」と嘲笑するのは筋の悪い批判自己満足しかないと思う。

そんな文句いうなら海外に行けよ

その選択が最良と思える今の状況が悲しくない?という話だよね。個人レベルで考えるなら就職なり学位留学なりで海外行くのは(経済的能力的・ビザ的に可能であるならば)かなりアリだと思う。

日本企業に拘っているのが見苦しい、外資に行くという選択肢は無いのか

この記事を読んで全ての学生日本企業に拘っていると読めるのだとしたら一度病院に行って頭を診てもらった方が良い。外資に行くのも生存戦略としては大アリだとは思うし行き場のなくなった博士外資に拾ってもらうことが多いのも知っている。外資といっても色々あって外資投資銀行外資戦略コンサル外資ITコンサル外資メーカー外資IT企業、など様々な業界、その中でも様々な職種がある。また外資には米国系、欧州系、中国系などあってそれぞれ気色も違う。外資に行けとだけ言うのは本人は何か言っているような気になっているのかもしれないがその実何も言っていない。投資銀行コンサルのような文系職であればだいたいどの分野の学生も行けるだろうが分野によってはまともな外資日本理系職を採用していなかったりもするので無条件で外資外資と喚くのは世間知らずにもほどがある。外資理系職の採用をしておりかつ外資の方が明らかに待遇その他が良い分野の場合であれば優秀な人はみんな外資を目指し実際に行く人も多いか安心すれば良いと思う。(もちろん外資文系就職するのもアリでそういう人も多いが外資だと文系職は奴隷という色がより強くまた本社に行けることもあまりないので本人次第ではある。)上に推薦のことを少し述べたが推薦が眼中に無い人には外資内定を持っている人も多く含まれていたりする。ただ、やはり基本的外資に行くほうが良さそうに見える社会ってどうなの?というところはきちんと見つめられるようになってほしい。

2017-05-22

教師を殺す部活動

教員の友人が壊された

地方都道府県庁から遠い)の学校に飛ばされた友人は、新しい学校若いというだけで春夏と注目されるような部活顧問にされた。

4月からは前任の教員が昨年から決めていた週末を練習試合で費やしていた。

日付けが変わるまで新しい環境でのカリキュラム指導方法検討しながら、始業前・放課後グランドに出て指導しながら自身練習をして、なんとかノックを打てるようになったと言っていた。

春の大会が一回戦で終わり、OB保護者との懇談会が設けられ、彼はここで自分では難しいから色々と協力をお願いしようかなと語っていた。

その後、彼から受けた内容は懇親会なんて建前で、糾弾の矢面に立たされ訳もわから精神的肉体的にドツかれるというものだった。

次の週末どころか秋までは予定が組まれていて、自宅には帰れずに金曜から月曜の朝までの遠征しなければならない。

授業準備や部活動雑務は彼のプライベート時間マイナスにし、彼は”急病”で教壇から離れることになった。

理科離れ」に対し科学技術の魅力を若い人に伝えたいと語り合った友人からの連絡に、お前の役目はそれじゃないだろう!って言っても彼からの「ダメだった・・・」。

幸いなことに私は希望通りの自分趣味に合った部活顧問にさせて貰った。

活動の一部で道具を運搬する必要があったかレンタカー学校活動費を使おうとしたら例年は顧問私費ってふざけんな。

土日の手当てどころか、金出すのかよ。

部活ってボランティアどころか、時間と金銭に余裕がある教員パトロンになるもんだったんだな

2014-10-08

ノーベル賞のアレ

昨日からさんざん中村修二氏関連の記事ばっかりブクマを集めてて、

赤﨑氏の

http://sangakukan.jp/journal/journal_contents/2011/04/articles/1104-02-1/1104-02-1_article.html

こういう記事にはたった1ブクマとか笑えないんだけど。

みんなカネの話にしか興味ないのね。

技術者への待遇問題以前に理科離れ日本終わってるわ。

2013-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20130909165016

この増田見てて、この前の夏休み大学研究室で体験科学教室TAをやったときのことを思い出した。

毎年大学主催して高校生研究室の体験?というかちょっとおもしろい内容だけかじるみたいなことをしてもらう。

んで、今年は相当応募が多かったらしく、定員を拡張するほどだった。日本理科離れ、とかいうけどそうでもないなーと思ったんだ。

ところが実際に高校生たちが来てみると、なんか楽しそうじゃない。

ぼんやりした顔で、「早く帰りたい」みたいな雰囲気を醸し出している。なんかもう最初から疲れ切っちゃってるみたいな。

こっちが話しかけるとにっこりはして話してくれる。でも話が終わると心ここにあらずに戻る。

教授が話している内容はたしかに眠くなるものではあったとは思うが、その後の手を動かす実習中まで居眠りしている子もいた。

中にはすごい科学オタクみたいな子も一人いたけど(大学レベルの知識を持っていてすげーと思った)、それ以外はあまり乗り気じゃないみたいだった。

うちの研究室は専攻の中ではかなり地味な部類で人気が無いというのもわかる。しかし去年まではそこまでつまらなそうではなかったと思うのだ。それなりに楽しそうに受けていってくれた。

ふと、彼らがどういう経緯でこの科学教室に応募したのか気になって聞いてみた。

そしたら聞いた子はみんな「親がこういう体験授業のリスト作ってて…」「親がどれか行けっていろいろ探してきてたんで…」と、自主的に来た感じが全くない。

それじゃあ楽しくもないよなあと。貴重な夏休み時間を、興味も無い謎の研究室で過ごさなければならないのだ。本当なら友達遊んだり、家でごろごろしたり、部活したりしたいのに。

これって本当に理科離れ解消と言えるのだろうか、子供たちに科学に興味を持つことを強制しているだけじゃないのかと少し不安になる出来事だった。

いや、件の増田子供に強制しているとは全く書いていないのでわからないが、子供の気持ちが一つも描かれていないことに同じ不安を感じる。親の独りよがりではないか?と。

2011-05-15

理科離れ原発問題

被暗示性

 

一方、大衆はこれらメディアに扇動されやすいとも見なされる。

これは大衆が暗示に弱く、また自己の判断能力に自信がないため、

大勢に同調しやすい傾向があるためだとされている。

 

他方、教育不足から来る迷信や、判断材料不足も関係するとされ、

結果的に扇動されやすいのだと説明されるケースも見られる。

 

これらは先の活字離れと並んで理科離れに於いても問題の一端として

挙げられる傾向があり、特に知識や理解が不足することで、

しい判断が行えないのだと言われている。

 

 

あぁ理科離れ原発問題

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A1%86

2009-11-05

追悼「服従するが果たさない」

ブログ100日目にして「閉鎖しろ、さもなくば死ね」とコメントついて涙目

普段は日記ぽいのは書かないのですが、事情があって今日は雑感のようなものを。

前のエントリーを書いてから気付いたのですが、ひとつ前のエントリーブログを書いた日数として記念すべき(?)100日目ののエントリーだったようです。

100日目なのでお祝いのコメントがいただけると思うほどには図々しくないのですが、まさか「閉鎖しろ、さもなくば死ね」というようなコメントを頂戴するとは思っていなかっただけに涙がちょちょぎれそうです。

頂いたコメントは次のようなものでした:

THIS DIARY SUCKS.

EVERY SINGLE ENTRY HAS NO VALUE TO READ.

STOP READING THESE USELESS SCRAPS AND DO WHAT YOU REALLY NEED TO DO.

ここまではまあいいんです。「つまんないから読まない方が良い」と言っているだけなので。そして「読む価値があるか」と問われれば、まあ「価値」なんてないんだろうなとしか言いようがないので、次のようなコメントをお返ししました。

I absolutely agree with you.

すると、また次のようなコメントがきました:

THEN STOP UPLOADING SHITS. STOP FEEDING SHITS FOR THOSE BITCHES AROUND YOUR ASSHOLE. STOP POLLUTING THE PUBLIC.

YOU HAVE YOUR FREEDOM TO MAKE YOUR FUCKING KIDS MAD BUT DO NOT SPRINKLE YOUR SHITS AROUND ANY MORE.

I WARN YOU. SHUT DOWN YOUR WEBSITE OR KILL YOURSELF, BUSTARD.

ブログをやってるとこんなの当たり前なのでしょうか。「I warn you.」とか言われると正直怖いです。単なる悪ふざけならいいんですが、それを確認するすべもなく、どう対処すべきか迷っています。取り敢えずコメント承認制にしました。今後の更新は様子を見ながらということになるのかな。困ったな。

どんよりしたエントリーですんません。

最後のご挨拶です

大変残念ですが、このブログを閉鎖することに致しました。ひとつ前のエントリーで書いた件で、私のブログに強い不快感を持っておられるという方とやりとりをしておりました。私としては、なんとか先方も納得いくかたちでブログ継続できないかと模索して参ったわけですが、昨日、先方から再度私のブログコメントがつき、ご自身ははてなを退会すること、そしてやはり私のブログを閉鎖することを希望する旨が書かれておりました。その文面から私の目からは常軌を逸した怒りが感じられ、このままわたしがブログ継続することで、もし万が一に何かが生じる可能性も否定できないと判断しましたい。脅しに屈するのはなんとも情けないですが、家族や周囲の方々に迷惑をかけるるわけにもいかず、そういう決断に至りました。

私は、特に何かに長けた人間ではありませんが、人を笑わせるのが好きで、実生活での井戸端会議の延長でどうでもいいような下らない話題で、なんとなく緊張から解放され、またそれを読んで下さる方がそういう気持ちになって下さればいいと思ってブログを綴っておりました。ちょっと今出典を調べることができないのですが、私の好きな話で、あるアメリカ著名人名前を失念しました)が、病に冒され、もう助かる見込みのない状況に至った際に、インタビューを受け、ファンの方へのメッセージを求められ、「もし手編みのセーターをおくってくれるなら、ワンサイズ小さいのを頼む」と言ったという話があります(細かい点は違っているかもしれません)。これは病によってやせ細ってしまった自分ネタにしているわけですが、私はこの話が非常に好きです。苦しい状況においても、笑いに触れることで、暴力の愚かさに気づき、緊張から介抱され、失敗に寛容になり、人々が助け合い、涙を流す人に寄り添い、愛し合い、歌い、踊り、抱きしめ合う。大袈裟ですがそういう理想を描くことがあります。

また、猿の中までも「笑顔」を見せることはあるが、ハチャメチャなことを言ったりやったりして生じる「笑い」というのは人間に固有の活動であるという説を聞いたことがあります。この広い宇宙で笑い声が響くのは、この地球だけなのかもしれない。また宇宙の長い歴史において笑い声kが聞けるようになったのはごく最近のことなのかもしれない。わたしはそういう途方もない想像をし、その奇跡的な状況を慈しみたい思っています。

しかし皮肉なことに、私の活動によって強い怒りが引き起こされ、このような事態に至ったことは本当に情けなく残念な気持ちで一杯です。今回の方以外にもそのような方がいらしたとしたら、それについてはお詫びしたいと思っております。

しかし、一方で、私自身はこのブログを綴った短い期間に、多くの方のユーモア、寛容、誠実、才能に触れることができ、それは一生の宝物になると思っております。個別に御例することができないのは非常に残念ですが、この場をかりて御礼申しあげます。今回の件で励まして下さった方々どうもありがとうございました。皆様から頂いた愛情は、勝手ながら私の実生活の中で周囲の方々に振り分けられたらと思っております。

「笑いに満ちた世界」など夢想に過ぎないのかもしれませんが、比較的最近聞いた言葉で感銘を受けたものを紹介したいと思います。チェ・ゲバラ言葉だそうです(これはJMMというメーリングリスト村上龍さんが紹介されていたと思います)。

もし我々が空想主義だと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう。その通りだと

臆病風にふかれて撤退する私にはふさわしくないことは承知しておりますが、私としてはブログ以外の場で「笑いに満ちた世界」の実現に向けて努力していきたいと思っています。今回の件で、私に怒りを向けられた方も、現在苦しい状況に置かれているという印象を受けました。あなたがいち早くその状況から脱し、周囲の人々の信頼を得て人々に笑顔をもたらすような存在になられることを祈っております。またコメントでは伝えられませんでしたが、ご両親が病から回復されることを祈っております。

それでは近日中に、このブログを閉鎖致します(プライベートモードに致します)。皆様本当にありがとうございました。また今回の件でご迷惑をおかけした方々には本当にお詫びの使用もございません。どうか不愉快な事態が生じないことを願っております。

理科離れ少子化ニュースに触れて、科学の面白さをなんとか伝えれないものか、育児の面白さを何とかお伝えできないかとも思っておりませんでしたが、これについても目標を果たせませんでした。どうぞ同じ気持ちを持つ方々にがんばっていただきたいと思っております。

それでは脈絡のない話になってしまいました。大の大人が情けないですが泣きながら、取り乱した状態でこれを書いておりますのでどうかご容赦下さい。本当に感謝を込めて、愛を込めて最後のエントリーとしたいと思います。さようなら。いつかまた。

2009-09-17

インテリ - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AA

元よりインテリは知識面での優位性を持ってその地位が確立されるのではなく、知識を用いて社会奉仕するからこそ、社会から大切にされるという物だけに、そこを履き違えて知識だけを溜め込んだだけの存在は、度々周囲から否定的に扱われては当人らが憤慨するという現象を招いている。

他方では、知識を得る事自体が否定的に扱われ、先に挙げた活字離れ理科離れを加速させる傾向にある。これらでは本来、学問を修めるべき学生に在ってすら学問から遠ざかるという状況も見られる。この場合では学問を真面目に修めている側が、「ガリ勉」などとして揶揄されるケースもあり、学問の習熟を妨げる事態も発生している模様である。

http://anond.hatelabo.jp/20090917002521

2008-11-15

科学近未来予想

近年理科離れという現象が進んでいる。その原因というのは、恐らく、複雑になった科学に対して、自分がそれを理解でき、その発展にかかわることができる、という感覚が得られづらいからであろう。

物理数学はある程度論理的な思考を積んだ者ならば、だれでも同じ理解ができる学問の体系である。古くはニュートンの時代から、彼が書き残したプリンキピアも理解不能な言語というわけでもなく、理系の共通言語である数式を通じて読み解くことができた。しかし、未来では違うであろう。学問として物理を教えるのにしても、学生はどうしてそうなるのかを考えようとしない。教員は自分がどうやってそれを会得したのかを伝えることができない。もはや定量的な議論は全く意味をなさなくなり、授業は今ある事実の積み重ね、いわば、クイズ番組でもやっているような状態になった。

しかし一方で、近未来社会では、技術を保持・発展させていく者はどうしても必要になってくる。物理化学数学はもはや学問として学ぶものではなく、感覚として身につけるもの、「修行」を通じて身につけさせるものとなった。多くの修行者がこれに憧れ習得しようとしたが、万人に身につけられる感覚ではなく、ほとんどはゴミのように捨てられていった。技術を習得したわずかな者は当然尊ばれることになり、社会の中でヒエラルキが形成された。

科学非科学の違いも曖昧になり、どちらであってもさして問題ではなくなった。持たざる一般人は、技術者を神秘的な存在と捉えるようになり、いつしか、物理化学数学といった学問の体系は、「魔法」と呼ばれるようになった。

2008-10-27

科学に必要なのは「優秀な人間」だけ

科学は、結局、「優秀な人間」だけを求めている。

無能な人間は要らない。

理系に進んでも、無能なら捨てられて終わり。自殺するしかない。

子供科学に興味を持たせるのは、「優秀な人間」を選別するためだ。

理科離れとか問題視している人たちは、要するに、賞か金を取ってこれる「優秀な人間」が欲しいのであって、

それができない無能な人間勝手死ねばいいと思っているのだ。

そろそろ受験シーズンだが、だまされるなよー。

2008-10-25

anond:20081025015238

理科」とか「科学」って言うと、すぐ研究職の将来性の話になる方がアホらしい。

自然科学への興味・関心は環境との調和自己認識、ひいては高度な身体性へと展開するために重要ファクター

さらにそこから言語感覚の向上、概念化の進行などなど大切な道が控えている。

人間形成の面を何も考えず、才能がどうとか研究がどうとか言う若者が増えているのも、おそらく「理科離れ」による生きる力の欠如といえよう。

理科離れ対策って意味あるのか?

理科離れが進んでいる、とか言って、子供科学に興味を持たせるような活動が行われているが・・・

はっきり言って、かなり残酷な気がする。

理系研究って、結局、数学ができる人が勝つ。

数学ができるかどうかは、先天的才能だ。興味とかやる気とか努力とか全く関係ない。

才能のない子供に下手に興味を持たせて、その道に進ませるのは、残酷というものだ。

2008-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20081015211839

理科離れ」って言うけど、離れた学生は何をやってんだろう?

英語とか?

理科離れ

理系現在のような地位に甘んじているのは、むしろ

政治や金儲けを考えることが好きじゃないから

理系を選ぶって人が結構いるからじゃないかとも思う。

人間のどろどろした面を観なきゃ行けないよりも

自然機械いじりの方が楽しいっていう。

して大学院に入って研究室で潰れるわけだ。

2007-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20071009222816

疑問を持つのは良い事なのだが、自分の論に疑問を持たないのはなぜだろう。過去の先達がさまざまな事を考えて、色々な事を確かめてきた、その今に至るまでの長い歴史を全く顧みないのはなぜなのか。

そんな事を思ったのだが、学校教科書だけが引合いにだされる話ぶりに、もしかして、この人にとって学問とは教科書がすべてであり、そしてそこには歴史がないのではないか、と、おもわず未履修問題連想してしまった。

しかし、冗談でなく、実は理科離れよりも本当に深刻なのは社会離れなのではないか?などとおもってしまう話だ。

2007-06-24

理科離れ

asahi.com理科離れ対策に「博士」の先生増員を 学術会議が要望 - 暮らし

http://www.asahi.com/life/update/0623/TKY200706230294.html

現実問題として高校大学以降では「理科分野=オタク」なイメージがあるから無理なのでは?

極論を言ってしまえば博士課程修了者は極端なオタクといっても過言ではないかもしれない.

2007-06-15

理科離れ、とか

http://anond.hatelabo.jp/20070615200449

生物学、まともに知ってます?竹内久美子だけ読んでたりしていそうで不安です。

2007-01-10

蔓延するニセリンクポリシー

みなさんは、「無断リンク禁止」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。

これは、見かけはリンク禁止のようだけれども、実は、リンク禁止になっているとはとても言えないもののことで、「似非アクセス制御」や「サイバーノーガード」などとも呼ばれます。

『そんなものがどこにあるんだ』とお思いの方も、例として、「最高裁電話してというので」や、「うちは警察リンクさせてもらっている」や、「文書で申し出よ」などのフレーズを挙げれば、『ああ、そういうもののことか』と納得されるかもしれません。それとも、かえって、『え?』と驚かれるでしょうか。

例えば、皆さんもよくご存知のように、『リンク許諾制はトラブル回避にいい』と一部で信じられ、ひところは大手官公庁もこぞってリンクポリシーを掲げるほどのブームになりました。無断リンク禁止ポリシーがよく書かれたのは、もちろん、リンク許諾制のトラブル回避効果に裏づけがあると信じた人が多かったからでしょう。新聞社日弁連などでも書かれましたから、それを疑えという方が無理な話かもしれません。

しかし、実は、リンク許諾制がトラブル回避に良いという根拠は、ほぼない、といってよいのです。あのブームは、まったくの空騒ぎでした。最高裁判所までが、なぜ、その空騒ぎに乗ってしまったのか。きちんと検証しておく必要があります。

いまは、都道府県警察本部で人気が出てきているようです。しかし、実のところ、リンク許諾制を主張したところで、せいぜいお守り程度の効果しか期待できません。

いま、このような、無断リンク禁止のようで禁止ではない、「ニセリンクポリシー」が蔓延しています。

こういった「ニセリンクポリシー」のなかに、公正中立性や悪質業者に関わるものがあります。その話をしたいと思います。

よく知られている例の一つは、『無断リンク禁止にしないと、悪質業者に信用を悪用される』といういわゆる栃木岡山県警説です。しかし、この説に、信頼しうる根拠はないのです。その意味で、これもまた「ニセリンクポリシー」です。

もちろん、どんなにインターネットの普及が進んでもそれなりの初心利用者がいますから、悪質業者の言いなりに影響されることはあるでしょう。しかし、それだけなら、名前の無断使用や紙のチラシなどでも同じです。ハイパーリンクのあるなしとはまったく別の話なのです。

ところが、この説は、広報業務関係者に広く受け入れられています。全国各地で、広報現場によるポリシーコピペが行われているようです。

もちろん、気味の悪い業者がうちと関係があるかのようなことを書くので困っているという広報担当者は多いでしょうし、広報室長もそういうのを何とかしたいと思っているのでしょう。

そういうみなさんにとって、「無断リンク禁止」が一見、福音に思えたことは分かりますが、効果のないものに飛びついても、仕方がありません。

そもそも、信用の悪用を何とかしたいというのは、リンクの問題ではなく、表現の問題だったはずです。うちと関係があるかのように書かれて困ると考えるなら、やめるようにきちんと主張するべきでしょう。表現を変えさせる根拠をリンクに求めようとしてはいけません。

もう一つ、今度は、リンクにまつわる奇妙な説を紹介しましょう。

リンク先をトップページにすると、きれいなウェブページになり、個別のページにリンクすると、きれいなウェブページにならないというのです。

ページというのはHTMLのことですから、これは、リンク先のURLがページの良し悪しに影響を与えるという主張です。しかし、もちろん、そんな馬鹿なことはありません。

この説が、いくつもの大手企業や地方公共団体で、利用規約に使われていることが問題になっています。ページデザインを改善しない自らの怠慢を正当化するのに、格好の材料と思われたようです。

しかし、本当にそうでしょうか。

この説は、たくさんの問題をはらんでいます。

まず第一に、明らかに科学的に誤っています。理科離れ学力低下が言われる今、道徳だからといって、ここまで非科学的な話を、事実であるかのように言っていいはずがありません。

しかし、それ以上に問題なのは、ページが汚くなる原因を、リンク元責任に求めようとしていることです。

ウェブページは、ハイパーテキストの手段ですから、その使い方は、あくまでも、ページを作る人間が自分の頭で考えなくてはならないはずです。トップページ以外へのリンクはどんな状況下でも駄目なのか。それを考えてみれば、この話のおかしさは分かるはずです。

栃木岡山県警説が他者の表現を制限する根拠をリンクに求めるものだったのと同様、ここでは、ページデザインの崩れの原因をリンク元に求めようとしています。それは他人に対して多くを求め過ぎです。

ページデザインの維持も信用の確保も、リンクされる側が自分の頭で考えなくてはならないことであって、リンク許諾制でお茶を濁せるものではないはずです。

 
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