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2020-02-15

8年ぶりに目が見えるようになったので再起を誓いたい

夜中になると、なぜ自分がこんな目にあわなければならなかったのかと思い、涙が止まらなくなる。現在21歳、大学3年生。半年前に目が8年ぶりにちゃんと見えるようになった。中学1年生の頃からである。8年間本当に長かった。

8年前の秋頃、中学1年生だった私は小学校以来のゲームのやりすぎで視力が低下していた私は黒板の字が見えづらくなっていることに気づいた。眼科に行き、視界が悪くなっていることを告げられ、まだ外見などあまり気にしていない半分小学生脳だった自分メガネをかけることに決めた。いわゆるガチャ目で、左目が0.2とかなのに対し右目がほとんど見えない0.01みたいな状態だった。ゲームをやるとき姿勢が悪かったのが原因かもしれない

ここまではよくある話だし、目が悪くなるというのが怖かったとはいえ周りにもメガネをかけている子供はたくさんいたので、絶望感のようなものはなかった。メガネをかければ普通に周りが見えるようになったし、日常生活に支障はなさそうだったからだ。

しかしいざメガネ生活が始まると、以前とはどうしても変わってくることがあった。一つはメガネキャラが定着してしまたこと。もともとそんなに明るくない性格だったのがメガネをかけたせいでさらに暗くなってしまった。別に友達づきあいは変わらないんだけど、中3にかけて子供が見た目を気にしだすようになるなか自分の見た目の悪さも気になるようになってしまった。

そしてもう一つは激しい運動がフルでできなくなること。メガネをしているのでサッカーとか野球とかできるだけ端っこで見るだけになってしまった。中学の時はサッカーに無理やり参加してメガネ割れたことがある。中学3年生の頃には自分のことがのび太のように見えたし、周りからもそう言われるようになった。

ここで何故コンタクトを使わないのかと思うかもしれないが、これがこの悩みの大きな問題点だったのだ。自分はどうやらコンタクトが合わない体質らしく、眼科に行ってもガチャ目だからコンタクトが合わない、メガネじゃなければダメだと言われていた。実際コンタクトをつけてみると、とにかく気持ちが悪い。つけていると船酔いのような気分がして額から汗がだらだら出てくる。一回コンタクトをつけて学校に行ったことがあるが耐えきれずにコンタクトを外してしまった。いわゆる眼精疲労というやつなのだが、本当に眼精疲労?と思いたくなるような症状が出てくるので、いやいやメガネに戻さざるを得ない。

そして高校生活が始まると、この外見コンプレックスに散々悩まされることになる。もともとメガネが似合う顔でもなく、絶対ないほうが良いのだけど、メガネを外すことができない。この消せないコンプレックスが悩みの種で奥手な性格さらに奥手になり、高校ではあまり周囲に心をひらけなかった。別にいじめられていたわけではないのだけど、とにかく自己評価が低くて周りと上手く接することができなった。なんというか顔に傷がある感じなのである。だから人前に出るのがいやだった。

それだけ自己評価が低いので、常になんか暗いオーラが出ていた。自分の姿が嫌で写真に写りたいとも思わない。だから高校時代写真ほとんどない。だけど頑張れるところは頑張ろうと思って勉強は頑張った。順位が貼り出されて学年一位という経験もしたのだがクラス友達がいないためご飯を食べる時は一人という惨めな思いを味わっていた。今思えばそんなの気にしなければいい話なのだけど、それがいやでいつも教室の隅っこの方にいた。運動も十分にできないのでだんだん運動神経は落ちていき、本当に勉強のできるのび太くんみたいになっていた。自分長所勉強しかないのが嫌だった。

から高校1年生くらいの時から視力回復トレーニングを色々やって見たのだが、如何せん効果がない。あの手のトレーニングはたまにネット上で効果があったとか書いてあるが、ほとんど無理である。一度目は悪くなったら自力視力回復しないと思う。だから高校12年生の頃は本当にどうしようもなくて、とにかく外見コンプレックスに苦しんだ。

そうこうしてるうちに高校3年生になった。17歳という、人間として容色もっとも美しくなる頃、受験勉強とともに私のこの外見・視力コンプレックスさら肥大化した。大学受験の不安よりも私は一生このままなのか、見た目にコンプレックスを抱え続けなければいけないのかという不安の方が大きかった。本当にメガネが外せないのかと悩み苦しみ、勉強そっちのけで眼科に何件も通い、なぜかメガネを10本近く買った。大学病院での検査検討したが、大学受験との兼ね合いで断念した。そんなものからそれまで維持していた成績は下がり始め、大学受験は第一志望に受かることはできず、コンプレックスも解消されないまま大学に進学した。浪人という選択も考えたが、当時のコンプレックスははっきり言って異常で、浪人したら今受かっているところにも受かるような気がしなかったため浪人を断念した。

大学に入ってからもこの外見コンプレックスに悩まされた。最初の頃は無理やりコンタクトをつけて登校していたが、だんだんきつくなってメガネに戻してしまった。そしてメガネにすると人前に出られない(?)ので、サークルも次第にフェードアウト大学1年の秋には学内自然孤立の道を選んでしまっていた。そんな人間が生きる道はインターネッツで、授業から帰宅してはネットサーフィンをする毎日一年冬〜二年秋まで送っていた。ネットサーフィンをしているうちにコンプレックスを忘れようとしていたのかもしれない。だが、20歳になったタイミングでまた忘れていたコンプレックスが再発がした。成人というのは大きなイニシエーションで、私の忘れようとしていたコンプレックスがまた復活していたのである

今度はさら孤独コンプもこじらせていて、高校の同期が大学で楽しくやっている中自分は部屋で一人ネットをしているのがコンプレックスになった。正直もう外見なんか気にしないで普通に人と付き合えばいいというのはわかっていた。でももう二年が終り、就活が始まるという段階で今更人付き合いを増やせるとも思えなかった。だから二年の冬休みはとにかく暗くて、どうすればいいんだろうという気持ちになった。不安と苛立ちが爆発し、家族にわけもなく当たり散らすようになった。散財もするようになった。一種パニック症である。原因不明の病というのはどんなに軽傷でも人の精神不安にするもので、私の心は不安に押しつぶされていた。人間思い込みというのも一つの病だと思う。

そして2019年5月に、最後の望みをかけてそれまで行った事のない眼科受診した。もう大方視力回復に間することはやり尽くしていたので、唯一やっていなかった。オルソケラトロジーという治療法にかけてみた。治療内容はググって欲しい。結果、オルソケラトロジーでも視力回復せず、私のコンプレックスは解消されないみたいだった。

しかしそこで一つの衝撃的な事実がわかった。

オルソケラトロジーを行う際に渡されたレンズを目にはめても一切気持ち悪くなかったのである

オルソケラトロジーは夜間に角膜を矯正するためのレンズをはめて就寝し、翌朝になったら角膜が矯正されているので視界がよくなるという治療である。この夜間にはめるレンズを昼間につけていても、全く気持ち悪くならなかったのである

中学1年生以来、およそ8年の時を経て裸眼で見る世界はとにかく新鮮だった。少し度が弱かったが裸眼道路を歩ける。水泳もできるしサッカーもできる。近くのビルの社名が裸眼で読める。夜は月がブレずに見える。鏡をみてもあの忌々しいメガネはない。あの時は嬉しかった。私が8年間、青春の間ずっと苦しんできた悩みはいとも簡単解決したのである

8年間の悩みが解決した理由もよくわからないのだが、私はどうやら「ソフトコンタクトだと体質的に無理なのだが、ハードコンタクトなら大丈夫」という事だったらしい。理解不能である。確かに私はコンタクトなんてどれも同じと思って、安いソフトの方を買っていたが、そんな意味のわからない解決法はネットでどれだけ探しても見つかったことがなかったし、中学一年生の時から百回は受診したどの眼医者もしてくれなかった。

目が治ってから、私は号泣した。普通病気が治ったら嬉しいと思うかもしれないし、私もそうだろうと思っていたが、こんな意味のわからない理由が原因だったこと、外見コンプレックスのせいで今まで失ってきたものが多すぎることに嗚咽し、自暴自棄になり、さら家族に当たり散らすようになった。8年間もコンプレックスに苦しんだこと、そのコンプレックスが実はすぐに治ったことを受け入れることは難しかった。ストレスの度合いでは大学受験に落ちたことなんか大したことではない。私は12-20までの8年の間でもっと色々なことに挑戦できただろうし、もっと色々な人と仲良くなれたはずなのである

8年間の理不尽は私から自尊心を奪い、一気に自暴自棄に陥らせた。3年春学期の単位は全て落とし、gpaは目も当てられない数値になった。部屋は片付けなくなった。暴食を繰り返し、体重半年で10キロ増えた。家中の皿を割った時は家族から家を出て行けと言われた。

学生時代ほとんどを思うように過ごせず、就職というラウンドまで来てしまった。現実を受け入れられなかった。3年の秋はなんとか学校に行っていたが、授業を受けている間も病的にずっと後悔していた。後悔先に立たずだけど、あの時ああしていればというのをずっと考えてたら1日が終わるとかザラであった。留年したので就職なんてどうでもいい。21歳の誕生日家族以外誰も祝ってくれなかった。家族からも暗くて一言も喋らないから怖かったと言われた。

カウンセリングに年明けから行ったが、正直今できることをやれ、気にするなとしか言われず、自分でもそれしかないとわかっていたので行く意味はないと思ってやめた。しかテストを受けるまでずっと落ち込んでて、単位も半分くらい落としたと思う。せっかくコンプレックスが解消した顔は激太りした上にやつれきっていた。

ただテストを終えたくらいから、ずっとこのままでもどうしようもないというのは体がわかってきた。ようやく、現実脳みそが追いついて気がする。もう一度三年生が始まり就職活動も始まる。何一つ悪いことはしていないのだが、人生を再スタートさせなきゃ行けない。今まで失ってきた分、これからはい人生を歩みたい。

2020-02-05

東北大学工学部機械系の就活における推薦制度の闇

社会人になって何年か経つが、母校の教授記事に出ていて驚いた。

理系大学院生を就活疲れから救う 大学推薦制度を改良、1カ月半で就活完了 | 日経 xTECH(クロステック)

自分は途中から自由就活に切り替えて就職した身だが、本件に関して思うところが多くあるので書いた。

あくまで当時の話だが、制度の一番の問題点を偉そうに記事で語っていたので、あまり変わっていないのだと思う。

「良いところに就職できそうだから工学部」という高校生に向けて内情が伝わればいいと思っている。

以下長文。まとめだけ読んでも良い。

背景

問題点に入る前に、東北大学工学部機械系の就活の特徴から話そうと思う。

講義研究がきつく、就活に対して理解がない教授が多い

学部3年生を過ぎると、落とすと即留年実験や厳しい進級要件に追われ、研究室配属後は、平日休日区別なく働かされる学生結構割合存在する。

また、元記事教授を始めとして、多くの教員バイトインターン就活を快く思っていない。

講義ゼミ説明会面接のために休ませて欲しいと言う申し出を認めない人も多い。

そのため、地理的な不利と相まって就活時期の動きが相当制限されるのが事実である

その分、非常に推薦の求人が多く就職には困らない

ただ、そのような鍛えられた工学大学院生需要は高く、加えて地方ながら旧帝大名前一定の評価があるらしい。

実際、真面目に就活をしなくても無内定にならない程度には求人が来る。

推薦については、景気にあまり関係なく学生200人に対して毎年2倍以上の枠が安定して存在する。

動物のお医者さんという北大舞台にした漫画に「人買い」のエピソードがあるが、学部合同説明会はまさにあのような様相となる。

メーカー系だとCore30はもちろん、日本代表する超大企業が揃っており、企業を選ばなければ就活には全く困らない。

例を上げると、

など、枚挙に暇がない。

ただ、業界に著しく偏りがあったり、大手子会社中小企業も多数含まれているのも事実である

この少子化と売り手市場において、そんな推薦に対して多少の物足りなさを覚える就活ガチ勢もいる。

推薦を就職担当が一元管理しており、それなりに面接負担がある

大学推薦というと、研究室の学生教授が知った企業コネねじ込む、といったイメージが強いと思うが、これは一昔前の話であり今は中々聞かない。

記事にもある通り、大学推薦と言う制度自体機械系全体で管理しており、各教授の推薦状の発行を制限しているため、基本的に抜け駆けは許されていない。

就活時期の推薦選考フローは以下の通りである

  1. 企業からの推薦要請に応じて大学側が推薦枠の数を決定する
  2. 大学学生募集をかける。1次募集・2次募集がある。
  3. 企業担当者との「ジョブマッチング面談」もしくは就職担当者との面談によって推薦対象者を決定する
  4. 推薦状が発行される
  5. 企業選考へ進む(大手企業場合、1次面接か2次面接をすっ飛ばせるだけの企業が多い)

3,5で分かる通り、自由就活に比べてES選考グループディスカッション足切りはないが、人気の大手企業を狙う場合、ある程度頑張って学内選考および企業選考を勝ち残る必要がある。

制度問題点

ここまで書くと、大変さはあるかもしれないが世間一般から見ると恵まれているという意見が多数だろう。俺もそう思う。

問題点は背景で書いた以下の規定および、記事の以下の規定である

企業からの推薦要請に応じて大学側が推薦枠の数を決定する

https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00138/013000472/?P=2

大学推薦制度を利用する企業が、自由応募制度東北大学機械系の学生採用することは認めない。


このような仕組みにおいて何が起こるのか?

以下はリクルーターにも聞いて裏を取った当時の実話である

~事例1:推薦応募開始前~

企業「今年は採用目標を増やすので推薦枠を15人設けてくれませんか」

就職担当「一部の企業学生が集中しすぎると他の企業不公平になるからダメ。5人で。」

企業「じゃあ残りの10人は自由で応募いただくということで」

就職担当「推薦された学生が不利になる可能性があるからダメ。うちの学生自由で取った事がわかったら来年から推薦枠なくすから。」

企業・・・

~事例2: 推薦応募開始後~

ト○タ、ホン○等の人気企業の推薦枠を競って学生数十人が争う。

からあぶれた人々は自由応募をすることを禁止されているため、泣く泣く諦める。

推薦を取り直そうと2次募集を見ても、人気企業の枠は1次募集で埋まっているため、行きたい会社が残っているとは限らない。

自由応募で別業界を狙うか、子会社領域の違う会社妥協することとなる。


完成車や重工等の花形業界を狙う学生は、小さい頃から車や飛行機に夢を持ち、必死勉強してきた人揃いである。

そんな人達が、

夢の企業への就職可能性を閉ざされる。

大学に隠してでも人材を確保するぞという気概で、黙って自由応募を受け付けてくれる企業存在する(した)。

しかし、昔からの長い付き合いがある人気企業は、大学報復を恐れて受け付けてくれないことが多いのが現状である

非常に理不尽ルールであり、一刻も早く見直すべきだと思う。


なお当時、就活担当職員(※1)に対して自由応募を認めてくれるよう必死に訴えかけたところ、非常に面倒くさそうに当時の就職担当教授につないでくれた。

ただ、件の教授就活時間をかけず研究に没頭することの重要性や、別の会社でもやりたいことはできるなどの一般論を説くばかりで、あまり話が通じなかったので諦めてしまった。

結局、自分外資や推薦が来ていない業界に切り替えて自由就活を行い、最終的に複数内定を得ることとなった。

まとめ

一言で言うと「学生就職平準化のため、大学が推薦枠を絞り学生自由応募を禁止する」のが問題である

これらが曖昧になり、抜け駆けや裏切りを許してしまうと、大学推薦制度に対する学生企業の信頼がなくなり、制度崩壊してしまうから

記事のこの意見や、背景にも一定同意はするが、学生企業希望無視して推薦枠を意図的に絞っていることを言わないのはフェアでないと思う。

そもそも面接が何度もあり、落ちることがある時点で推薦制度の意義は崩壊しているのである

進学先を就職と言う軸で考えている学生の一つの判断材料となれば幸いである。


※1 上から目線で態度が悪いので学生から非常に嫌われていた

追記

快挙を修正しました。

2020-02-02

anond:20200202131627

からセレクションを勝ち抜いたテニサーのイケメン自分になびかないのがムカつくだけでしょ、ああいうのって

学内男子と学外女子の組み合わせというのは運動部マネージャーなんかもそうで、むしろこっちの方が前時代的ですらあると思うんだけどね

東大女子お断りサークルについての感想

現役東大生男子,某インカレサークル所属感想

理1に入って女子殆どいない,みたいな環境にずっといたけど周囲に「東大女子は無理」とか言う奴は聞いたことが無い。寧ろ付き合いたい派は多い。

ただそもそも可愛い子が少ない,可愛くても性格が(人それぞれ様々な方向に)曲がってることが多い,等から東大女子ちょっと」みたいな感じで言いたくなる人の気持ちは分かる。けれどこれは「頭が悪いほうが良い」とかそういう観点からじゃなくて東大所属する女性にそういう傾向が多いせいでそういう考えになってるのでは,と思う。これはもう個人の考えだからどうしようもない。

勿論自分より頭が悪くないと無理,という考えの人もいると思う。ただそんなのは東大に限った話ではなくどの空間にもいる。

それを発しているのが「賢さ」で注目され叩かれることが多い東大生からボコボコに叩いてる人はいるんじゃないかな。いつもの批判対象インカレサークルに移っただけ。

インカレサークルが「頭の悪い女の子」を集めるために作ったサークルだ,という可能性について,これは否定はできない。昔はそういう考えがあったのかもしれない。けれど現在所属している人々にその意識殆どないと思う。そもそも20歳ぐらいの人々が育ってきた環境は今のおっさんおばさん達が育ってきた環境と違って男が絶対,女はそれに従うみたいなものではないはず。男女平等大事だよみたいな感じで育ってきてるんだから当たり前。ただおっさんおばさんが自分たちが男女不平等教育を受けてきたせいで当然今の若者女性軽視した考えでいるはず,こんな団体けしからんとか思ってるんじゃないかな。あとはどこの誰か知らない人が出会ったサンプル1の「男尊女卑思考東大生」の話がSNSやらで大きく拡散されるから印象が強くなっている感。もうこれは仕方ない。


こういうことは言いつつ,まあ東大女子は無理みたいなサークル存在するのは良いことではないと思う。拒否する理由ないし。入りたかったら入ったらいいと思う。入っても問題なくないか

実際去年とか東大女子も受け入れてますよ,みたいなテニスサークルがあった。言い方が上からだ,とかで若干炎上してて可哀そうだった。結局そのサークルには東大女子は1人も入らなかったらしい。

これは当たり前の話っちゃ当たり前の話。東大には学内テニスサークルが2つ,インカレの大きなテニスサークルが4つ,その他小さめのテニスサークルがいくつかある。東大女子を現状受け入れているのは学内サークル2つと小さめのテニスサークルたち。実質東大女子がいるのは学内テニスサークルだけ。そのテニスサークル達は必死だって女子が圧倒的に少ないのに男女比率を1:1にしたいから。女子練習会,女子食事会,等々。別にテニスしなくてもいいか女の子友達作りのために入ろう,みたいな勧誘をしている。死ぬほど必死否定してるわけではないけど。全くテニスした事ないし入ってからもしてない,みたいな子を何人も知っている。そういう風にやってるサークルがある一方でインカレサークルが入ってもいいよ,とか受け入れ始めても彼女たちが入る訳がない。そもそも同じ大学の同性の同期がいない,勧誘必死にしてくるわけではない,練習場所大学の近くじゃなかったりする,など。

そういう状況があるのに「女子に対してはスッと勧誘を止めるのが悲しかった」みたいなこと言ってるヤツがいるのは何だかよく分からない。どうせ入んないじゃん,君たち。サークル入る可能性が無い人勧誘してどうすんの?と。これは別に女子が入れるようになったって変わる状況ではないと思う。


結局どうしたらよかったのかを考える。東大女子拒否はだめですよ,みたいなのをもっとこっそり広めたほうが良かったんじゃないかな。Twitterとかで流れちゃうからよく分からん人々が集まってきて批判してきたわけで,こっそり内々にお断りやめてね,みたいなことをサークル側に伝えて1年後とかにそういえばあれなくなったんだね,くらいにしたら穏便だった。こんだけ騒ぎになったら逆に来年サークル入りづらいんじゃない?東大女子

あとは東大男子,○○大学女子,みたいなサークルやめさせたいなら東大女子を増やしてください。いないんだもん,そういう風になるの仕方なくない?大学限定してるのだって安心して入ってきやすいようにする為だと思う。大学確定してれば身元ははっきりしてるし,問題も起きにくい。勧誘もしやすい。よく分からん人が入ってきてここの大学なんだよね,入れてくださいみたいなことあっても大学限定って建前があればなんとかなる。

学内女子が多ければ色々問題にならないんじゃないかなあ。なんで女子は少ないんだろうね。医学部は点数引かれるし,大変だし,良いですよ,東大普通に女子大事にしてもらえます心配せず入ってください。

東大サークルが良い形になっていくことを望んでいます

2020-01-24

anond:20200124120222

一般的には2名の推薦人は必要だと思うが

ここで、推薦人になった場合、など不利益をこの推薦人に学校が言った場合、恐ろしい問題が引き起きる

そのため学校側はあらゆることができない。

そこで運よく推薦人があつまらなければ問題なし。

なにがしか冗談などもふくめ、推薦人が集まった場合、これはすさまじい問題となる。

さらに誰かが立候補した場合2名の推薦人が学内からまらない場合イジメ問題が起きていないことを学校側が調査されないとおかしい。

2020-01-23

[]

よいこのただしい窓ガラスの割り方

 

まず、校長先生許可をもらいます

金属バットはあぶないので、木製のバットしま

なおこの際、後のことを考えて折れる荷に事前にヒビを入れておくといいでしょう。プロ指導にしたがってください。

ガラスの破片が目にはいるとあぶないので、

スタッフをつかって事前に人払い

廊下側だけではなく表のひとどおりをきちんとして、シーン中にひとがちかづかないようにしっかりしてください

なおショッカーのみなさんは爆破スタッフとして石切り場です。スタッフはなるべく学内からあつめて事前に訓練してください。

anond:20200123081912

て、「低音の魅力」・・・

(べつに仏教系大学学内音響システムノミネートされたけど名前のせいでRAMSAに競り負けた米国博士考案のスピーカブランドのことじゃないよ)

バカ中学生がよく手振り付きでコーフンして口にする歌手名のナンバーワンだったよ)

2020-01-21

anond:20200121183823

どこもそうだが

学内派閥があるのと学外は別口

それはそれこれはこれ

試験カンニング行為はわりと見逃してくれる

センター試験不正行為があっただとか試験時間が短かっただのというニュースを見て、大学在学中に試験バイトをしていた頃を思い出したので色々書いてみようと思った。

当時は某私立大の大学生で、夏だったか秋だったか学内掲示板試験官(正確には試験監督補佐)バイト募集している旨の張り紙があったので興味本位で応募した。

センター試験監督自身が在学している私大一般入試試験バイトどちらも応募できたが、個人的な都合もあり一般入試のみ応募。

試験当日の朝は試験中、試験前後の動きだとかを細かく説明され、試験開始数十分程度前に待機所から教室へ移動。問題用紙・解答用紙を配布して試験開始時間を待ち、開始時間・終了時間になれば試験監督が合図をして、終了後にまた問題用紙・解答用紙を回収して撤収。このルーティンを何回か繰り返すだけの非常に楽なバイトだった。

ただひとつ気にかかったのは受験者のカンニング行為

確か数学試験時間だったと思うが、明らかにカンニング行為をしている受験者がいた。試験会場は広さにもよるが試験監督(大学場合は大体教授だとか准教だとか)と大学職員やバイト試験監督補佐が数名程度。自分が配置された教室試験官(補佐含め)4人程度だった。

試験が始まり教室前方の端の椅子に座り試験会場を見渡していたり、音を立てぬようにゆっくり歩いたりしてカンニング行為をしていないか見回ったりしていたのだが、事件が起きたのは開始から十分程度あと、教室前方の椅子に座っている時。比較的前方に座っていた受験生が随分と挙動不審な動きをしているのに気が付いた時。顔は伏せながらも明らかに自身問題用紙に目を向けず、左右に顔を傾けまくっている受験者がいた。当然最初は緊張をほぐすためちょっと首を動かしている程度なんだろうなと思っていたが、かなりの頻度で首を振っている。最終的には近隣の受験者で最も近い左側ばかりを向く(目を向ける)ようになっていた。

試験自体初めての経験でありなおかつ補佐程度の役割なので特段の権限はないが、あれは不正行為だろう…と判断したため、別の試験監督(補佐)にメモと耳打ちで状況を説明してその方にも確認してもらった。その方の判断も黒。しか問題なのは、その受験生の行為絶対意図した不正行為であるという確証が無いという点。

先述の通り緊張をほぐすために首を振っていただとか、もしくは体調だとか身体的特徴の影響からうっかり左側ばかり見ていただとかの可能性も0ではない(※まぁ今でもあれは隣の受験者の答案用紙見ようとしていたんだろうと思う)。

そこから教室中の試験官全員に異様な緊張感が走り始めてた。教室の前方真ん中に座っている試験監督受験者名簿(顔写真付き)を見て当該の生徒について確認したり、試験監督内で決めていた不正行為対策のための見回りのルーティンもぶち壊して、カンニング行為を働いているであろう受験者をなるべく悟られないように常時監視したり。一般入試特有試験中退出(休み時間の間に他大の合格が分かり現在受けている大学試験放棄してそのまま帰宅する人)だとか、そもそも出席していない欠席者分の解答用紙に欠席の手続きをするのも試験官の仕事自分担当していた試験会場では試験官全員が欠席手続きをする(解答用紙に受験者名や受験番号を記入して用紙全体に"欠"と記入する)のだが、今回は緊急で試験監督補佐を一人、例の受験者をメインで監視する目的で欠席手続き役割から外された。その外された人物が私だった。

結論から申し上げると、その生徒はカンニング行為をしていたと認められなかった。認められなかったというより、カンニング行為をしていたという絶対的な確証がないため認めることができなかった。

後ほど聞いた話では、その教室にいた試験監督試験監督補佐たちも、全員あれは恐らくカンニング行為であったという認識であった。だが、確証はない。ただ首を振っていただとか、隣の解答用紙なんて見ておらず全く別のところを見ていただとかと言い訳をされてしまえば正直それまでである。電源の点いたスマートフォンを使っていただとかカンニングペーパーを持ち込んでいたなど物的証拠があれば一発アウトなのだが、"近隣受験者の回答を覗いていた"という行為に関しては、カンニングをしていたという絶対的な証拠が残らない。いざあの受験者を不正行為として取り上げていたとして、もしも本当に不正行為を働いていなかった場合試験監督は取り返しのつかない行為をしてしまたことになる。下手したら受験者の一生を左右する行為にもなりかねない行為である。かといって目の前で行われていた不正行為に目を背けてよいのかという正義感にも苛まれつつ、試験時間が終了して、いつも通り問題用紙・解答用紙を回収して撤収した。

今でも当時の判断試験監督に件の受験者がカンニングを行っているので不正行為のため退出させるべきだと進言するべきか否かという相談をしなかったことが正しかったのか、正しくなかったのか分からない。ただ先述した通り、試験監督受験者のカンニング行為については試験時間中に認識していた。それでも監督は実質黙認していた。当然試験監督も、"もしも不正行為ではなかった場合"を想定していたのだと思う。その結果試験官全員が、受験者がカンニングをしているのを認識しつつも黙認してしまうという空間が生まれしまった。

ちなみにその受験生は残り時間30分程度になるとカンニング行為をパタリとやめてしまった。試験官が怪しんでいることに気づいたの、はたまた解答が終了したのかは定かではないが…。

センター試験も終わってこれから一般入試も始まると思うが、受験生にお願いしたい。頼むからカンニング行為はしないで欲しい。行為をしている本人も精神をすり減らすだろうし、それ以上に試験官も精神をすり減らしてしまう。最悪の場合お互い最悪の結末を迎えてしまいかねない。不正行為は一切せず、自身の実力を全力でぶつけた真剣勝負でお願いします…。

2020-01-18

センター試験の思い出

田舎なので兄の家に泊まり行った。志望校がその国立大学だったので二次試験の下見になったといえば下見になったけど

最寄りが駅が田舎のどっちを向いても上りの始発駅だったので「電車が混んでいる=座席に座れない」な感覚だったので都会の満員電車ビビり3回くらい見送ったのち、「ギチギチだけどこれに突っ込むのか・・・?」と意を決して乗った。

予備校もなく受験情報進研ゼミ国立大学コースみたいなやつだけどそこに「時計は見やす目覚まし時計ベター」とあり、「確かに腕時計などより一覧性が高く一理ある」と目覚まし時計をもっていったが試験会場の大学の大きな教室を見回しても目覚まし時計を持ち込んでるのは俺一人だった。

同じ所で試験を受けた兄に最寄り駅から大学の行き方を聞いたら「馬鹿でもぜったい分かる」と言われたが、たしかセンター試験受験生と思しき人のながれと駅のコンコースから門が見え横断歩道を渡ればすぐだった。しか大学敷地に入ってからがクソ長くて10分くらい歩いた。

田舎高校なので全体の偏差値より学内偏差値の方が高く、全体だと60後半なのに学内だと70オーバーだったりしたが、世界史Bは満点だったにも関わらず学内偏差は50だった。もちろん、その年度でセンター試験世界史Bを選択したのが100人近くいて俺一人だけだったから。

2020-01-16

東大元特任准教授の人事について

寄付講座の特任准教授とはいえ、なんであの方が採用されただろう?と多くの人が思っているはずだ。

情報学環の人事には詳しくないが、一般的東大寄付講座ができる流れについて説明しよう。

今回の寄付講座は、『情報経済AIソリューション寄付講座というもので、マネックスオークファン大広リミックスポイントから資金によって運営されている。

しかし、通常いきなりこの4社が東大情報学環に行って、寄付講座をつくりたいんでお金置いていきますね、とはならない。

とはいえ情報学環トップ情報学環長・学際情報学府長の越塚先生がこの4社に対して、

今度、『情報経済AIソリューション寄付講座という講座をつくりたいと思ってるんで、寄付していただけないでしょうか?と言うこともあまりない。(研究科レベルの人はそんな暇はない)

寄付講座には、必ず仕掛け人が専攻の内部にいる。

多くの場合寄付元の会社懇意にしている教授情報学環学祭情報学府の教員であることもあれば、兼担している他研究科・専攻の教員であることもある)が、

今度、新しい寄付講座をつくりたいので、寄付していただけないでしょうか?と4社に持ちかけることがほとんどだ。

そこで、うちうちに寄付合意が取れれば、この教授が今度は情報学環学際情報学府教授会に咨ることになる。

そこで、合意が得られ、次に情報学環長・学際情報学府から許可が得られれば、寄付講座の手続きが動き出すことになる。

この教授をA教授と呼ぼう。

通常の正規准教授人事の場合、その限られた席に誰を採用するかというのは、その大学院・専攻のその後の運命を決めることになる。

そのため、採用は非常に厳密に行われるし、様々な角度から(業績のみならず、ファカルテメンバーとして適切か、教育に対する考え方、ラボ運営能力など)検討される。

このような人事で、仮にA教授自分の子飼いの人間を連れてきたとしても、適切な人物ではなければ、面接にすら呼ばれないだろう。

では、寄付講座の特任准教授人事ではどうか?

通常の准教授人事と異なり、寄付講座の設立はA教授が走り回って成立したものであり、

A教授がこの人事に対してイニシアチブを取れることは間違いない。

なぜなら、このポスト本来学内には存在しなかったものからである

今回の寄付講座が公募によって決められたものかどうかはわからない(寄付講座・特任教員場合東大では公募が行われない場合もある)。

仮に公募であったとしても、一本釣りであったとしても、彼を特任准教授採用する際に、

かなり大きな力を持っているA教授学内に必ず存在する。

もちろん肩書き上は、元特任准教授は『情報経済AIソリューション寄付講座のPIである(たぶん)。

そして、組織上の上司はもちろん情報学環長・学際情報学府である

しかし、実質的上司寄付講座の責任者は、A教授である

なぜA教授が今回の様々な事態に対して、ガバナンスをきかせられなかったのか?これが一連の不祥事における東大の一番の責任かつ問題点である

一般に、寄付講座の研究内容はかなりの自由度があり、寄付元の会社研究内容に口出しをすることはできない。

まり寄付元の会社にとっては、共同研究外注などではなく、真の意味で「寄付」なのである

もちろん長期的にはリターンがあるかもしれないが…それでもほぼ善意だ。

大学にとっては、本当にありがたい限りである

しかし、上記問題点解決しない限り、企業は怖くて寄付講座にお金を出すことはできない。

善意寄付をしたら、変なやつにお金を出している会社だとして炎上する、そんなこと企業にとってはたまったものではないだろう。

ひいては、東大にとっても問題である

今回、彼は懲戒解雇された。しかし、問題は何も解決していない。

今回の人事プロセスを明らかにし、問題所在を明らかにしない限り、

セルカン事件と同様、東大に禍根を残すことになるだろう。

2019-12-05

anond:20191205140213

ごめん 研究ばっかりしている他ぷだけど

それでもサークル合コン学内セックスみたいな話はいくらでもあったわけで

今の若いやつって大学勉強するところとか思ってるってマジか?

2019-11-21

上には上がいる

都内中高一貫男子校から東大から地元ではエリート扱いされるけど全然違うってことを理解してもらえないのが辛い。御三家ではないから、特に開成あたりと比べて学内同級生が桁違いに少ない。彼らのコネはエグい。

でも開成以上に存在感のあるのが灘。奴らは本当に頭がいい。可もなく不可もなくといった僕と違って、彼らはマジで優秀すぎる。家柄も良いのが多くて、芦屋在住で兄弟一家揃って東大とか、珍しくない。ウチは公務員なのに。

さらにその優秀な中からバチバチに優秀なのが医学部の奴らで、僕が相当努力してたどり着いたラインを軽々と越えていくし、法学部経済学部も、とにかくありとあらゆる場所に凄まじい人間ゴロゴロ潜んでる。

から世間の目と自分実像全然違うんだ。僕はエリートじゃないし、そもそもエリートなら国側で働いてるって。民間だもん。

そういう感覚を持ち続けて27になった。

2019-11-12

anond:20191112130236

にわか仕立ての濫造本のひとつ中途半端知識中途半端調査、それで不足する部分は妄想と願望で補って、何とか一冊にしたと評するしかない。

東大とか、最年少とか、AIとか。そういうもので煽っても、中身がこれではどうにもならない。

いや、寄付講座付きの特任准教授から、何としても成果なるものが欲しかったのでしょう。でも、これじゃあ、逆効果一般向けの新書からと言って、手を抜いて良いわけがない。

検索すると、著者の出身研究室である松尾研の業績一覧では影が薄いようで。Wikipediaの著者の研究に関する部分も編集合戦ぽくなっているし(東大学内と思われるIPから必死に大澤氏を擁護するような編集をするとか、普通に考えてご本人か関係者でしょう)。著者自身が自らを大きく見せるために必死なんだろうと思うと、東大教員なら一部の目立ちたがりを除いて断るであろう著者自身の近影を表紙にするなんて恥ずかしい振る舞いも何だか理解出来るというもの

anond:20191110185048

中学から大学まで女子校に通って思った事は、女は男の視線が無い場所だと男以上に不潔でガサツ。

学内だけだからまだ良かったけど、あれが社会全体に広がるとか悪夢しかない。

2019-11-05

anond:20191102151637

(元増田学生かどうかは分からないけど)

就活とか書いてあって、大学生の頃を思い出した。

結論を先に言うと、表面的には元増田の言う通り、映画や本なんかの知識を蓄える趣味が役に立ちそうだけど、

僕なりの持論としてはゲームで上位を目指すような経験スポーツのそれに近く、考えるクセがついて、受動的な趣味より生きるってこと。

大学生の頃は元増田と同じように感じていて、(僕の場合もっと極端だったけど)自分時間無駄だと感じたものはやらないようにしてた。

B3まではそれで学内では優秀で通ってたんだけど、B4から研究室配属になって、出来の悪い奴になってしまった。

同じ研究室で1番出来が良かったのはB3までは格闘ゲームばっかりやってた同期。

そいつは僕の10倍は英語論文読んでたし、先輩や先生から学ぶ吸収力も凄かった。

対して僕はそういった持続的な集中力も無く、人への相談も下手だった。

見ていて分かったのは、そういった集中力や吸収力の根源は、

ゲーセンに潜って最初は負け続けたけど、強い人の動きを教わりつつ、徐々に強くなって、最終的には上位プレイヤー一角に昇り詰めた経験にあるようだった。

そのあと、僕は別の研究室移籍したのだけど、

そこでも研究が出来る人はどんなゲームも上手かったし、初めてでも成長のサイクルが早かった。

簡単に言うと、物覚えや要領や頭の回転がめちゃくちゃ良かった。

結局、ゲームも突き詰めると情報収集プロセス修正世界になって来るので、

そういう意味ではスポーツとかと近くて、上手くなる過程において、要領良く、頭で考えるクセが身に付くのかも。

あと、ちょっと思ってるのは、生物学的にも指先を動かすタスクは脳に良い働きをもたらすんじゃないかなと。

学生時代の僕は日常生活でも受動的で、情報収集自分のやり方を客観的に見るような、能動的に考えたり、行動することが出来ていなかった。

最近反省して、ゲームをするにしてもスポーツするにしても物事をしっかりと考えて、調べたり、上手い人に相談したりして、趣味の成長を楽しむようにしてる。

元増田も、趣味対象という表面的な部分より、趣味をする姿勢という本質的な部分に着目した方がいいんじゃないかな。

2019-11-02

anond:20191101230937

私のバイト先も絶賛崩壊途上。コンビニだけど、やっぱり人件費削減問題で似たようなことになっている。そこはケチりすぎるとヤバいことになるな。

学生バイトは確かに便利なんだけど、同じ学校の同学年ばかりを集めると酷いツケが回ってくる。休むのも辞めるのもタイミングが一緒だからね。

でも学内の繋がりで辞める学生本人がすぐに代わりを見つけて来てくれるのと、引き継ぎなどアフターケアを頼まなくてもしてくれるので、雇う方は甘えてしまうんだろうな。

2019-11-01

anond:20191101045710

学校という狭い世界世界の全てである間は気づくのすげー難しいんだよね。

ネットある世代になっても根本的に変わってない。学内ネット上のコミュニティも閉鎖的だから自分たちの時と本質的に変わってないと思う。

自分場合ゲーセンコミュニティの一員になるようになって、社会人や年上の友人できて学校以外の人間関係評価軸得られたのがとても大きかった。

小学校から高校まで、自分は息するだけで嫌われるような人間だと思い込んでて、実際すこし人と関わるだけでいじめ対象になって、ずっと日陰で誰とも関わらないように目立たないように息を潜めてやってきた。親までPTAはぶられてて、その親に言われた子供さら自分をはぶるのだ。ハブられてた理由は家が貧乏でひらやだとか、親が若いとか。若いってだけでPTAですごいはぶられる。行事には呼ばれないし、球技大会などではどのチームにも自分が入ってなかったりした。でも誰も何も言わない。それが地域ぐるみで代々受け継がれてるから小学から中学いってもかわらない。

ゲーセンだと全然そんなことなくて、平等で同じコミュニティの一員として扱ってくれて、ちゃん自分にも挨拶してくれるし挨拶したら挨拶帰ってくるし会話もしてくれるしで人間で良かったんだってなった。

ゲーセンはクソみたいな地域コミュニティともPTAとも切り離されて、場所的に校区からも離れてたし色々と独立した大人世界だった。

あの逃げ道がなかったら、きっと社会人なっても社会に不適合で苦しんでたと思う。

2019-10-29

anond:20191028220615

https://anond.hatelabo.jp/20200708005431

以下、本記事です

==

元記事

前記

元の人です。

ちゃんとした自己紹介、現状報告、ブックマークコメントTwitterで見つけた質問への回答していきたいと考えています

自己紹介

その後どうなったか

質問への回答

以上です

欲しいものリスト、公開したら叩かれますかね?

元記事

前記

最終編集

欲しいものリスト、そっと公開しました、暇があれば探してください

2019-10-25

数年前に卒業したHAL東京の話

こんな記事話題になっていた。

暇だからゲーム専門学校時代を振り返る - 昆布がないと開発できない。 http://donnpema6.hatenablog.com/entry/2019/10/23/004918

HAL東京は私の母校でもある。読んでいてとても懐かしくなった。

この記事を書かれた方と同じように自分卒業して思う事や学生時代を振り返ってみたくなったので書く。駄文ですが入学検討している高校生、在学中の方にこれからの参考になればと思う。

まずは私の情報について。

高校卒業上京HAL東京

学科ゲーム制作学科

現在大手ITにてモバイルゲームエンジニア(Unityメイン)

まず私はゲーム業界志望で入学してゲーム業界就職したパターン人間である

HAL東京ゲーム学科なんだからゲーム業界に行くのは当然ではと思われる方もいるかもしれないが残念ながら半数近く、またはそれ以上の人数がゲーム以外の業界に行く。

入学してから卒業までを簡単に紹介しよう

1年目

・冒頭で紹介した記事にもあった通り、HAL東京では前期・後期に別れて授業を行う。1年目は基礎を学ぶ。

・この基礎だが、プログラミング以外にもデザインコンピュータサイエンスなども行う。これは1年目の後期に改めて学科選択の機会があるからだ。実際にプログラミングやってみて自分に合ってないと考えた人はデザイン学科にも行けるというわけだ(最も、最初希望とは違う学科に入ってちゃんとその業界就職した人を私は知らない)

プログラミングの授業ではC言語を学ぶ。私は高校時代プログラミングなんて一切やっていなかったので初めて触れたのがCだった。printfHelloWorldしたりscanfでメモリ領域ぶっ壊したりしつつもプログラミングの基礎を学ぶ。 IDEVisualStudioだった。

コンピュータサイエンス系の授業では、基本情報技術者試験合格を目指し皆勉強する。HAL東京では基本情報技術者試験を取得していない場合、この授業が卒業まで続く。就職において資格を見る会社一定数いるのでこのカリキュラムは良いと思う。取得している場合Android開発やコンシューマゲーム機での開発授業などが選択できるようになっている。私は初の試験で無事合格したが卒業時でも取れてない人は一定数いた。馬鹿なんじゃないのか。

・1年目の後期から学科に別れた授業+コンピュータサイエンス系の授業といった感じで進む。

C言語コンソール文字を表示させてゲームを作るというのを1年目はやる。独自ライブラリが渡される。

文字だけで表現するのにこの時点で出来るやつと出来ない奴がはっきりとわかる。 優秀な人間自分でバックバッファ概念を構築したり、滑らかなアニメーションなどを実装している。凄い。当然彼らは誰もが知っているような大手ゲーム会社に今はいるはずだ。

・1年目の最後学内での制作物の展示イベントがある。そこで作ったゲームを展示するのだ。ここで出来ていない人はおそらく翌年には退学している。私は完成はしたものの拙い出来だった。反面、負けてられないなとは思った。

2年目

・2年目からDirectX使用した本格的なゲーム開発の授業がスタートする。またそれと並行してコンシューマゲーム開発の授業が始まる。私の世代ではNintendoWiiだった。

C言語の授業もC++の授業になり、クラス化などについて学ぶ。

コンシューマ開発の授業は基本的情報がない中やる。渡されるのはWii関数リファレンスの本だけ。あとは授業で教官から教えられつつ実装していく。

DirectXでは9を使用していた。Xライブラリのようなものは一切使わず、直でDirectXを触る。描画の仕組みなども学べるのでこの授業はとてもよかった。確か前期は2Dゲーム、後期は3Dゲームだった気がする。それぞれ個人開発で1本づつ作る。私はこの時に作った3Dゲーム結構面白く出来て自信がついた。

・2年目の後期ではWiiの開発でチーム制作を行う。チームは勝手に決められるが基本的に優秀な人がリーダーになる。チームによっては崩壊しているチームやギスギスしているところもあり、プログラミングできる人と出来ない人の差が露骨に出る。何人かはここで脱落し、退学する。

3年目

・3年目ではいよいよ就活に向けた準備とインターンが始まる

DirectXの授業は継続しておりCで作ってたものからC++で作るようになる。ここらあたりからかなり複雑なアルゴリズム(地面の起伏に応じた高度計算や正確な当たり判定の実装など)も学ぶ。

DirectXとは違うものとして、OpenGLの授業も始まった。OpenGLDirectXマルチプラットフォームを目指してゲームの開発を行う。またネットワークを使ったゲームOpenGLで開発したりもする。この授業では基本的自分で調べて進めていく。調べる力をつける。今思うと一番エンジニアとして大切なことが学べる授業だったと思う。

・先ほど書いた、基本情報合格していると選択授業でAndroidプログラミングなどもできる。

就活に備えたビジネスマナーなどの授業も始まる。その日はスーツを着て通学する。私はこの時点でスーツ着て働くのは論外だと強く感じるようになった。

・3年生のビッグイベントとして10月にインターンがある。これはHALゲーム会社IT企業に依頼する形で生徒を会社インターンとして参加させるというものである。当然ながらこれも出席率などに問題がある場合は参加できない。

インターンは1ヶ月間あり、ゲーム会社にいく人もいればデバッグ会社にいく人、IT企業にいく人様々である。どこにいくかは教官が決める。私はゲーム会社だったがかなり勉強にはなったしゲーム会社で働く雰囲気というものを知れたのでよかったかなと思う。

・3年後半からDirectX就職作品を作り始める。就職作品はいわゆる企業の人に見せる作品の事である。これは完全に個人で作るので人によって完成度はかなり違ってくる。中には商業作品のようなクオリティのものを完成させる人も出てくる。実力社会である

4年目

・4年目は卒業制作展と就職活動、産学連携の三つがメインとなる。

・私は4年になる頃には就活終わっていたのだが基本的に全てにおいて就活を優先する様になる。内定出るまではスーツで通学など、それ意味あるのか?

HALには学内企業説明会というシステムがあり、様々な会社が来校し企業説明特別選考の案内をしてくれる(任意参加だが就活中の人は実質強制参加である

・4年中盤くらいにはもうほとんどの人が就活を終えているが一部の終えていない人たちは延々と説明会に参加してはエントリーシートを書いていた。大変だなぁ。このくらいの時期になるともう学内企業説明会ゲーム会社はほぼ無い。自分で動け。

産学連携卒業制作ではチームを組み制作するのだが使用するグラフィックライブラリなどに指定はなく、プラットフォーム自由となる。そのため、DirectXOpenGLを学んでいても大抵のチームはUnityやUnrealEngineを使うことになる。

・4年目後半は卒業制作展にひたすら取り組む、この制作はとても私の中にも印象に残っている。正直楽しかった。好き勝手にみんなで面白ものを作れる。

さて、ここまで1〜4年の流れをざっくりと書いた。

次にHALについてよく聞く話、課題が多いという話にもついて触れておこう。

HAL東京では課題がまぁまぁな数が出る。

1科目年間20くらいは少なくとも出てる気がする。(規模はまちまちだが)

この課題だが課題一定数達成(承認という)していないと科目留年となってしまう。とはいえ教官自分がわかるまでサポートしてくれるので主体的に動けば落とすことは無いだろう。(私は4年間で1度も落とさなかった)

また出席率も見られる。確か80%切ったらアウトだった。

毎日しっかり通学して、出された課題をしっかりこなせれば基本的に力はつく様になっていたと思う。就活失敗していた人はハッキリ言ってこれが出来てない人が多かったイメージがある。

また授業は1コマ90分で最大1日5コマある

そのため1回休むだけで内容についていけなくなる恐れがある。しっかり授業は受けよう。

次に私の就活についても触れておこうと思う。

私は3年の中旬くらいから早く就活を終わらせたいと思っていた。また、コンシューマ業界は色々と魅力はあるが第一給料が安いところが多いし働く環境として良いとも思えない面が多かったので最初仕事モバイルゲーム業界がいいなと思っていた。

そのため早い段階で逆求人サイト登録したり、1on1面談イベント勉強会などにも参加する様になった。

個人的に今思うのが3年の中旬くらいの時期から動き出せたのが一番良かったなと思っている。勉強会などで大学生で同じ様にゲーム業界目指している人たちとも多く会ったりしているうちに、自分結構出来る方の人間なんだなと思う様になる。

正直HAL東京カリキュラムは異常で、普通にゲーム作りたいという人はOpenGLDirectXもやらない。直でそれらが扱える様になっているHAL生は業界的に結構貴重な人材になりうると思う。

描画の仕組みをわかった上でゲームエンジン使うのとそうじゃ無いのとでは全然違うんだなとこの時気づいた。HALの基礎から教える理念はとても大切だった。

私は趣味で別でDirectXゲーム作ってたりもしてたので、それを企業の人に見せたりもしていた。何かしら物を作りきるという経験を何回も積んでいるHAL生の評価は高い。(ちゃんと授業出てれば1本は作りきれるはず)

何社か逆求人で声がかかり、そのうち一番気になっていた会社と話しているうちにどんどん選考が進み、特に苦戦せずに2月くらいには内定が出ていた。私の就活はかなりあっさりと終わった。

モバイルゲーム業界IT業界は今かなり盛り上がってるのもあり年収もかなり良く、この結果にはかなり満足している。

最後に、私がHAL東京入学して良かったかどうか、という点について触れてこの駄文を終わらせようと思う。

結論から言うと私は入学して良かった。

もともと、ゲームは作りたいと思っていたが、何から始めたらいいのかわからなかった。

そんな中、専門学校で学ぶことで0→1が出来る様になったのはやはり大きかったと思う。

一度作り方を学べばあとはそこからどんどん自分から学んでいけた。

逆に、そう言う学び方が出来ない人はやめておいた方が良いと思う。

HAL東京在学中ずっと思っていたのが、学生間のレベルの差がとても激しいのだ。 無能か出来る奴のどっちかになるのだ。

自分積極的に学んでいける!出来る奴に絶対なってやる!と言うくらいの気合いがないとダメだと思う。

入学時にプログラミング経験がある人も一定数いるのだが卒業する頃には自分の方が書ける様になっていたし、結局のところ本人の努力次第である。決して入ればゲーム業界にいけるとか、そんな甘い話はない。

生半可な気持ち入学するのは出来る人たちの迷惑になるとハッキリ言っておこう。チーム制作の足手まといになってしまうだけである

自分自身が出来る奴になれればこんなに楽しい環境は無い。とても優秀な仲間と切磋琢磨できるのだから

2019-10-19

改正健康増進法敷地内全面禁煙の現状 〜東京X大学場合

ご存知の通り、2019年7月1日から施行された「改正健康増進法」では、第一種施設病院学校行政機関)では敷地内全面禁煙となった。
例外として「屋外で受動喫煙を防止するために必要措置がとられた場所に、喫煙場所を設置することができる。」※1 ということで、施設によっては敷地内に喫煙室を用意し愛煙家の方々に配慮をしているところもある。

オリンピックを迎える2020年4月1日には、全面禁煙対象となる施設さらに増え、屋内は原則禁煙となる。

この増田では、改正健康増進法施行から3ヶ月経過した現状を、とある大学を例に挙げ報告したいと思う。
ここに挙げる事例を、2020年4月1日の「屋内原禁煙」に向けての反省材料として、広く活かしてもらえればと思う。

東京X大学場合

東京X大学最近メディア露出も増えてきたことで、以前は間違われがちだった他大学混同されることが少なくなってきた。これを読んでいるあなたも、恐らく名前くらいは聞いたことがある程度の知名度大学だ。
しかし悲しいことに、都心位置しつつも、お国から運営交付金国立大学の中でも下から数えた方が早いレベル都内大学に限っていえば、下から数えるのに五指も必要ない。
そしてこの社会情勢である。「生産性がない」「社会にすぐに還元できる研究がされていない」「論文数が少なすぎる」「運営交付金無駄から早く潰したい」とすら考える政治家役人もいるだろう。

さて、そんな東京X大学にも改正健康増進法の波が押し寄せてきた。

先に書いておくと、もともとこの大学学生喫煙率は高い。入試の倍率が高く、成人済みで入学してくる学生が多いのも理由の一つだろう。
数十年前と比較したら少なくなったのだとは思うが、それでも喫煙者は教職員学生の5%前後はいると思われる。
普段からタバコを燻らせている学生をよく見かけたし、喫煙所には常に人がいた。タバコ臭い研究室でゼミを行うなんてこともザラだった。

そんな大学で「敷地内原禁煙」なんてできるのだろうか?

心配を横目に、その日は近づきつつあった。

学内のいたるところには「7月1日から学内禁煙」となる旨を周知するポスターが貼られ、喫煙所であった場所からは灰皿が全て撤去された。
一部(法改正理解していない)学生反対運動があったりもしたが、準備は万端かと思われた。

そして7月1日が訪れた

「やればできるじゃないか

敷地禁煙のために奔走した事務職員は安堵したことだろう。
改正健康増進法施行後しばらくは、学内喫煙をする者を見ることはなかった。

受動喫煙を防止するために必要措置がとられた喫煙場所」のお陰かとお考えのあなた

甘い。

運営交付金下位の貧乏大学である東京X大学に、「必要措置が取られた喫煙場所」を設置する金銭的な余裕はない。
喫煙場所を作らずに7月1日を迎えたのだ。これにはタバコを吸う・吸わないに関わらず、色々な立場の人から異論が出たと思う。

しかしこの大学ルビコン川を渡った。

他の大学同様、この大学7月末には前期が終わり8月から夏休みが始まる。
タバコを見ないまま夏休みを迎え、そして後期になるのだろう。敷地内原禁煙成功したのだ…。
そう楽観視できたのは、7月に入って最初の1週間だけだったように思う。

7月の第2週にはすでに学内のあちこちタバコの吸い殻を見かけるようになり、第3週には喫煙者をも見かけるようになった。

施行後1ヶ月経たずして、東京X大学では改正健康増進法形骸化した。

状況は法改正前より悪化しつつある

改正法施行前は学内の数カ所に喫煙所があり、灰皿が置いてあった。
喫煙所はなるべく講義室などから遠い場所に設定され、喫煙所に通じる扉は「開放厳禁」とされ、不完全ながらも一定分煙がなされていた。
非喫煙者からすれば、たまにタバコ匂いがする場所がありつつも、そこに近づかなければ我慢はできるというレベルだった。
一部の喫煙者は喫煙所の掃除こそしなかったものの、灰皿に溜まった吸い殻は進んで捨て、燃えさしの処理もしていた。

しか喫煙所が廃止された今、モラルは完全に崩壊し状況は悪化しつつある。

もともと喫煙所だった場所は「人目につく」という理由で、一部の隠れニコチタンから避けられるようになった。
かわりに非常階段や、木々が茂り枯葉でいっぱいの緑地などがヤミ喫煙所として選ばれた。
よく訓練された喫煙者は未だ「元」喫煙所で喫煙を続け、灰皿がないので、その場に吸い殻を捨てている。
さすがに教授事務職レベル教職員禁煙ルールに従っているようだが、元喫煙所やヤミ喫煙所では、学生のみならず助手講師と思しき人々の顔を見かける。
敷地禁煙を訴える張り紙には、居直ったような趣旨芸術的ラクガキがされている。

喫煙者が開け放った非常階段は煙の吸気口となり、屋内では改正法施行以前よりも濃くタバコ臭いが充満している箇所さえある。もちろん、階段のあちこちに吸い殻が落ちている。
また燃えやす木材などの陰、枯葉の近くに無造作に捨ててある吸い殻を見かけることもあり、空気乾燥する時期には失火可能性もある。

学内のあちこち狼煙が立ち昇るようすからは、もはや圧政弾圧されし悲しき殉教者たちより、反体制を胸に秘めたゲリラが想起させられる。

現状

伝聞ではあるが大学としても禁煙問題には頭を抱えていて、たびたび会議の議題にも上がるらしい。
しかし話を聞く限りでは「吸い殻」の方が問題視されているように思える。
「吸い殻が無い = 敷地禁煙成功している」ということなのか、いかにも日本的論理だ。

学内喫煙をたしなめられた喫煙者が「いや、吸い殻は捨ててないですよ!」と慌てて反論しているのを見かけたこともある。
そういう問題じゃないぞ。

実際に国から違反を指摘され罰金を払う、もしくはタバコが原因の火災などの事故が発生するまで、この大学では状況は変わらないだろう。
これは別に組織批判しているわけではない。何故ならば下で述べるように、問題大学に止まらいからだ。

改正健康増進法問題

施行後3ヶ月が経過し、第一種施設病院学校行政機関である東京X大学に頻繁に出入りし、改正健康増進法を調べるなかで以下の問題点を感じた。

  1. 国が法律だけ作っておいて運用する素振りすら見せない & 喫煙場所に対しての補助もしない & 禁煙を推進するような施策や補助をしない
  2. 管轄である厚生労働省施設管理者向けにしか情報を公開していない
  3. 施設管理者が、喫煙場所設置コスト << 喫煙者による環境悪化コストを想定できない

以下に、詳細を書く。

1. 国が法律だけ作っておいて運用する素振りすら見せない & 喫煙場所に対しての補助もしない※2禁煙を推進するような施策や補助をしない

補助がないと喫煙場所が設置できない懐事情組織が、実際にある。ここで述べたように、結果として改正法施行前より状況が悪化する可能性がある。
またもう少し積極的禁煙を推進するような施策実施しないと、改正健康増進法自体意味・意義が薄いと感じる。
この法律について、国は要するに「ルールだけ作って、あとは施設管理者に全てを丸投げ」しているようにか思えない。

2. 管轄である厚生労働省施設管理者向けにしか情報を公開していない

厚生労働省などは、この法律施行にあたりHP特設ページを設けている※3施設管理者に向け改正法をことこまかに解説していて、相談窓口もある。
非常にわかやすいし必要情報は一通りまとまっている。一市民として、法律は常にこのように分かりやすくまとめられるべきだと思う。
しかし同時に、施設利用者向けの情報ほとんどない点も気になった。例えば喫煙場所に不備がある病院を見つけた場合はどうすればいいのだろう?この増田のように、違反者だらけの第一種施設についてはどこに報告すればいいのか?

そういったことは全く分からないし、窓口もない。

罰則規定があるにも関わらず、違反者がいた場合有効対処方法を考えてないのではないだろうか?

3. 施設管理者が、喫煙場所設置コスト << 喫煙者による環境悪化コストを想定できない

喫煙場所の設置には排煙設備敷地などが必要だ。組織の規模によっては大きな負担となりうる。施設管理者側に立てば「滞在中くらいはタバコ我慢できるだろう」と考えたくなるのはよくわかる。
しか喫煙者のニコチンに対するリビドーを甘くみてはいけない。外を歩いているときに下を向いてほしい。道端に捨てられているゴミほとんどがタバコの吸い殻だということに気づくだろう。

施設管理者は「喫煙者のために喫煙場所を用意せねば、必ず環境悪化する」という認識でいる必要がある。
目先の負担を気にしてばかりいると、長期的には環境維持コストがそれを上回る可能性もある。施設組織によってはブランドイメージ毀損にも繋がると認識した方が良い(もしブランド力があれば、の話だが)。

最後

もしあなた東京X大学学生であり学内喫煙であるならば、改正健康増進法には罰則規定があること、違反した場合には施設管理者に50万円、違反した喫煙者に30万円の過料が課せられる※4ことを覚えておいてほしい。
学生が払った学費は、いずれ改正健康増進法過料として支払われることとなるかもしれない。
貧乏大学の学びの環境の悪さを憂う前に、襟を正してみてはどうだろうか。

そしてもしあなた教職員なのであれば、もう少しちゃんとこの問題に取り組んでほしい。

※1 https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000489407.pdf
※2 中小事業者向けの補助・控除はある。第一種施設については記述を見つけられなかった
※3 https://jyudokitsuen.mhlw.go.jp/
※4 https://www.mhlw.go.jp/houdou_kouhou/kouhou_shuppan/magazine/2018/11_01.html

教務(ていうか本郷から転送なのかこれ??)からメーリス男女共同参画云々の学内シンポジウムやるよー、って聴講者募集のおたよりが来たんだけど、登壇者に上野千鶴子いてるので見に行ってみるかぁ、的な野次馬根性がでてきてる。

なんかプログラムに懇親会とかあるし、いっしょにセルフィー撮ったりしてくれるんかなこれ

講演内容には特に興味ないです

2019-10-17

MITメディアラボ前所長 伊藤穣一だけじゃない ビルゲイツも責められる

なぜ米国はMITメディアラボ前所長 伊藤穣一氏だけ責めるのかと、日経ビジネス編集部 ニューヨーク支局長 池松 由香氏は書いたけれど、全然そんなことない。リード・ホフマン(LinkedIn創業者)は謝罪するまで責められたし、MIT学長学内ミーティングなどで批判を受け続けている。

伊藤穣一氏も責められた理由の1つは、マスコミを完全に無視したことにある。学術機関の所長でありながら、科学雑誌サイエンスにすらコメント拒否を貫いた。社外取締役を務めていたニューヨークタイムズは、伊藤穣一氏への告発を握りつぶした。伊藤穣一氏が所長だったときのフードコンピュータ偽装隠蔽環境汚染隠蔽報道されても、日経ビジネス シリコンバレー支局長 市嶋 洋平氏米国は犯罪歴がある人間、特に性犯罪者に対して厳しい社会だが、伊藤氏はそうした人々の更生を、公正かつオープンに進めていきたいという考えを持っていたという。擁護記事を書いてくれる、強力な人脈は健在だ。ただ、「自分性犯罪者じゃない。法律に触れただけ。殺人者ベーグル泥棒ぐらい違う」というエプスタイン発言報道されており、彼に更生する(必要がある)という気持ちはなかった。

この記事では、伊藤穣一氏を擁護するために、次の事実を書き換えている。

かばってくれる人がいるのは、伊藤穣一氏に人徳があることに他ならない。

マスコミに狙われても、ビルゲイツのように無関係だとコメントを出しておけば責められることはなかった。そのコメントが嘘だとばれるまでは。

伊藤穣一氏への告発を握りつぶしたニューヨークタイムズがビルゲイツコメントが嘘だったと詳細に報道している。

Bill Gates Met With Jeffrey Epstein Many Times, Despite His Past ビルゲイツ、エプスタイン有罪判決後に何度も会う

2011年1月31日 ビルゲイツ、エプスタインの別邸を訪問。後に、エプスタインは「ビルゲイツは素晴らしい」と友人に、ビルゲイツは「エプスタインは魅力的で知的」と称賛。

2011年2-3月 TED2011で2人がプライベートで会話するのを目撃されている。

2011年3月3日 ビルゲイツニューヨークにあるエプスタイン邸宅訪問JP モルガン取締役や元アメリカ財務長官ローレンスサマーズも。

2011年 ビルゲイツJPモルガンは Global Health Investment Fund (GHIF) の設立を準備。エプスタインは、JPモルガン重要顧客だったコネで、設立議論に関与。

エプスタインは、ゲイツ財団資金基金設立ゲイツ財団には秘密で、調達資金から手数料を取って稼いだ。

2011年 ビルゲイツの指示で、ゲイツ財団はエプスタイン邸宅慈善事業資金調達のチームを派遣。エプスタイン少女売春強要ベーグル泥棒より悪くない」

2012年 別のゲイツ財団のチームがエプスタイン邸宅訪問

2013年3月 ビルゲイツはエプスタインジェット機ニュージャージーからパームビーチへ。

2013年9月 エプスタインビルゲイツが夕食を共にする。ゲイツ財団慈善事業について話す。

2014年10月 ビルゲイツは200万ドルMIT寄付

2014年ビルゲイツに会えない」とエプスタインが友人に愚痴る。

2017年まで ゲイツ財団シニア職員2名がエプスタインと連絡を取る。

2019年 エプスタイン遺言執行者にゲイツ財団科学アドバイザー指定

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