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2022-10-13

仮にも管理職地位に就いておりさらにはペットを多頭飼い出来る経済力のある45歳男性を「弱者男性」と呼ぶのがそもそもおかしくない?

男女逆だったら絶対に、高望みしてたからor今まで遊んでたか自業自得!って言われてるぞ


45歳で管理職ペットを多頭飼いしている婚活女性と聞いたら

おそらくは容色は多少衰えたもののそれなりに美人スタイルの良い高学歴バリキャリ女性連想する筈だ

それで高望みしていると勝手に決め付けるだろう

何故男性だとそうはならず、「弱者男性」として同情してあげるのか

それがまさに男性特権だよ

2021-10-19

anond:20211017224437

四十路くらいの女性って、更年期のとば口に立つ頃で、何がなくても漠然不安を感じやすいんよ。

人生80年としたらちょうど折り返し地点でありつつ、日々坂を転げるが如くに容色や体力が衰えて行くので、動けるうちに新しい人生を始めたくなるんじゃない? しらんけど。

まぁ、家族に話してちゃん離婚をするのって立派だと思うよ。誰にも何も言わずに一人で抱え込んである時糸が切れるようにして死んじゃうよりはずっといい。

2020-05-12

anond:20200512153921

自分若いころも価値のないマンコだったか老いによる容色の衰えが全く気にならないところはアドだった

2020-02-15

8年ぶりに目が見えるようになったので再起を誓いたい

夜中になると、なぜ自分がこんな目にあわなければならなかったのかと思い、涙が止まらなくなる。現在21歳、大学3年生。半年前に目が8年ぶりにちゃんと見えるようになった。中学1年生の頃からである。8年間本当に長かった。

8年前の秋頃、中学1年生だった私は小学校以来のゲームのやりすぎで視力が低下していた私は黒板の字が見えづらくなっていることに気づいた。眼科に行き、視界が悪くなっていることを告げられ、まだ外見などあまり気にしていない半分小学生脳だった自分メガネをかけることに決めた。いわゆるガチャ目で、左目が0.2とかなのに対し右目がほとんど見えない0.01みたいな状態だった。ゲームをやるとき姿勢が悪かったのが原因かもしれない

ここまではよくある話だし、目が悪くなるというのが怖かったとはいえ周りにもメガネをかけている子供はたくさんいたので、絶望感のようなものはなかった。メガネをかければ普通に周りが見えるようになったし、日常生活に支障はなさそうだったからだ。

しかしいざメガネ生活が始まると、以前とはどうしても変わってくることがあった。一つはメガネキャラが定着してしまたこと。もともとそんなに明るくない性格だったのがメガネをかけたせいでさらに暗くなってしまった。別に友達づきあいは変わらないんだけど、中3にかけて子供が見た目を気にしだすようになるなか自分の見た目の悪さも気になるようになってしまった。

そしてもう一つは激しい運動がフルでできなくなること。メガネをしているのでサッカーとか野球とかできるだけ端っこで見るだけになってしまった。中学の時はサッカーに無理やり参加してメガネ割れたことがある。中学3年生の頃には自分のことがのび太のように見えたし、周りからもそう言われるようになった。

ここで何故コンタクトを使わないのかと思うかもしれないが、これがこの悩みの大きな問題点だったのだ。自分はどうやらコンタクトが合わない体質らしく、眼科に行ってもガチャ目だからコンタクトが合わない、メガネじゃなければダメだと言われていた。実際コンタクトをつけてみると、とにかく気持ちが悪い。つけていると船酔いのような気分がして額から汗がだらだら出てくる。一回コンタクトをつけて学校に行ったことがあるが耐えきれずにコンタクトを外してしまった。いわゆる眼精疲労というやつなのだが、本当に眼精疲労?と思いたくなるような症状が出てくるので、いやいやメガネに戻さざるを得ない。

そして高校生活が始まると、この外見コンプレックスに散々悩まされることになる。もともとメガネが似合う顔でもなく、絶対ないほうが良いのだけど、メガネを外すことができない。この消せないコンプレックスが悩みの種で奥手な性格さらに奥手になり、高校ではあまり周囲に心をひらけなかった。別にいじめられていたわけではないのだけど、とにかく自己評価が低くて周りと上手く接することができなった。なんというか顔に傷がある感じなのである。だから人前に出るのがいやだった。

それだけ自己評価が低いので、常になんか暗いオーラが出ていた。自分の姿が嫌で写真に写りたいとも思わない。だから高校時代写真ほとんどない。だけど頑張れるところは頑張ろうと思って勉強は頑張った。順位が貼り出されて学年一位という経験もしたのだがクラス友達がいないためご飯を食べる時は一人という惨めな思いを味わっていた。今思えばそんなの気にしなければいい話なのだけど、それがいやでいつも教室の隅っこの方にいた。運動も十分にできないのでだんだん運動神経は落ちていき、本当に勉強のできるのび太くんみたいになっていた。自分長所勉強しかないのが嫌だった。

から高校1年生くらいの時から視力回復トレーニングを色々やって見たのだが、如何せん効果がない。あの手のトレーニングはたまにネット上で効果があったとか書いてあるが、ほとんど無理である。一度目は悪くなったら自力視力回復しないと思う。だから高校12年生の頃は本当にどうしようもなくて、とにかく外見コンプレックスに苦しんだ。

そうこうしてるうちに高校3年生になった。17歳という、人間として容色もっとも美しくなる頃、受験勉強とともに私のこの外見・視力コンプレックスさら肥大化した。大学受験の不安よりも私は一生このままなのか、見た目にコンプレックスを抱え続けなければいけないのかという不安の方が大きかった。本当にメガネが外せないのかと悩み苦しみ、勉強そっちのけで眼科に何件も通い、なぜかメガネを10本近く買った。大学病院での検査検討したが、大学受験との兼ね合いで断念した。そんなものからそれまで維持していた成績は下がり始め、大学受験は第一志望に受かることはできず、コンプレックスも解消されないまま大学に進学した。浪人という選択も考えたが、当時のコンプレックスははっきり言って異常で、浪人したら今受かっているところにも受かるような気がしなかったため浪人を断念した。

大学に入ってからもこの外見コンプレックスに悩まされた。最初の頃は無理やりコンタクトをつけて登校していたが、だんだんきつくなってメガネに戻してしまった。そしてメガネにすると人前に出られない(?)ので、サークルも次第にフェードアウト大学1年の秋には学内自然孤立の道を選んでしまっていた。そんな人間が生きる道はインターネッツで、授業から帰宅してはネットサーフィンをする毎日一年冬〜二年秋まで送っていた。ネットサーフィンをしているうちにコンプレックスを忘れようとしていたのかもしれない。だが、20歳になったタイミングでまた忘れていたコンプレックスが再発がした。成人というのは大きなイニシエーションで、私の忘れようとしていたコンプレックスがまた復活していたのである

今度はさら孤独コンプもこじらせていて、高校の同期が大学で楽しくやっている中自分は部屋で一人ネットをしているのがコンプレックスになった。正直もう外見なんか気にしないで普通に人と付き合えばいいというのはわかっていた。でももう二年が終り、就活が始まるという段階で今更人付き合いを増やせるとも思えなかった。だから二年の冬休みはとにかく暗くて、どうすればいいんだろうという気持ちになった。不安と苛立ちが爆発し、家族にわけもなく当たり散らすようになった。散財もするようになった。一種パニック症である。原因不明の病というのはどんなに軽傷でも人の精神不安にするもので、私の心は不安に押しつぶされていた。人間思い込みというのも一つの病だと思う。

そして2019年5月に、最後の望みをかけてそれまで行った事のない眼科受診した。もう大方視力回復に間することはやり尽くしていたので、唯一やっていなかった。オルソケラトロジーという治療法にかけてみた。治療内容はググって欲しい。結果、オルソケラトロジーでも視力回復せず、私のコンプレックスは解消されないみたいだった。

しかしそこで一つの衝撃的な事実がわかった。

オルソケラトロジーを行う際に渡されたレンズを目にはめても一切気持ち悪くなかったのである

オルソケラトロジーは夜間に角膜を矯正するためのレンズをはめて就寝し、翌朝になったら角膜が矯正されているので視界がよくなるという治療である。この夜間にはめるレンズを昼間につけていても、全く気持ち悪くならなかったのである

中学1年生以来、およそ8年の時を経て裸眼で見る世界はとにかく新鮮だった。少し度が弱かったが裸眼道路を歩ける。水泳もできるしサッカーもできる。近くのビルの社名が裸眼で読める。夜は月がブレずに見える。鏡をみてもあの忌々しいメガネはない。あの時は嬉しかった。私が8年間、青春の間ずっと苦しんできた悩みはいとも簡単解決したのである

8年間の悩みが解決した理由もよくわからないのだが、私はどうやら「ソフトコンタクトだと体質的に無理なのだが、ハードコンタクトなら大丈夫」という事だったらしい。理解不能である。確かに私はコンタクトなんてどれも同じと思って、安いソフトの方を買っていたが、そんな意味のわからない解決法はネットでどれだけ探しても見つかったことがなかったし、中学一年生の時から百回は受診したどの眼医者もしてくれなかった。

目が治ってから、私は号泣した。普通病気が治ったら嬉しいと思うかもしれないし、私もそうだろうと思っていたが、こんな意味のわからない理由が原因だったこと、外見コンプレックスのせいで今まで失ってきたものが多すぎることに嗚咽し、自暴自棄になり、さら家族に当たり散らすようになった。8年間もコンプレックスに苦しんだこと、そのコンプレックスが実はすぐに治ったことを受け入れることは難しかった。ストレスの度合いでは大学受験に落ちたことなんか大したことではない。私は12-20までの8年の間でもっと色々なことに挑戦できただろうし、もっと色々な人と仲良くなれたはずなのである

8年間の理不尽は私から自尊心を奪い、一気に自暴自棄に陥らせた。3年春学期の単位は全て落とし、gpaは目も当てられない数値になった。部屋は片付けなくなった。暴食を繰り返し、体重半年で10キロ増えた。家中の皿を割った時は家族から家を出て行けと言われた。

学生時代ほとんどを思うように過ごせず、就職というラウンドまで来てしまった。現実を受け入れられなかった。3年の秋はなんとか学校に行っていたが、授業を受けている間も病的にずっと後悔していた。後悔先に立たずだけど、あの時ああしていればというのをずっと考えてたら1日が終わるとかザラであった。留年したので就職なんてどうでもいい。21歳の誕生日家族以外誰も祝ってくれなかった。家族からも暗くて一言も喋らないから怖かったと言われた。

カウンセリングに年明けから行ったが、正直今できることをやれ、気にするなとしか言われず、自分でもそれしかないとわかっていたので行く意味はないと思ってやめた。しかテストを受けるまでずっと落ち込んでて、単位も半分くらい落としたと思う。せっかくコンプレックスが解消した顔は激太りした上にやつれきっていた。

ただテストを終えたくらいから、ずっとこのままでもどうしようもないというのは体がわかってきた。ようやく、現実脳みそが追いついて気がする。もう一度三年生が始まり就職活動も始まる。何一つ悪いことはしていないのだが、人生を再スタートさせなきゃ行けない。今まで失ってきた分、これからはい人生を歩みたい。

2019-08-29

anond:20190829094825

歳を重ねて容色衰えたり、事故病気でなにかあったらすぐに条件を満たさなくなるやつだ。

2019-06-24

anond:20190624133235

どんなに容色の整ってないといわれてる女でも男より恵まれてる

2018-11-19

anond:20181119080915

今はそれでいいけど、今やらされてるのが全体を掴むための練習問題みたいなことであり、まだクビにできないスペシャリストまで成れてないことは頭の片隅にいれて。

中年やら老年まで働くなら次の居場所模索して言いやすいだけ言うような人とも一味違うひとにならんとね。

妊娠したら辞めてとか容色おちて愛嬌もあくなったら辞めてとか継続再就職もできずパニクってからとか、タイミングはいろいろだが。

若いうちから対策しておかないとここで吹き溜まり文句だけ言う人になるぞー

2018-06-07

やはり17〜21ぐらいの子と遊ぶのが最良な件

それ以上だと容色劣化するし、だんだん結婚というもののしかかってくる

2018-05-07

選択夫婦別姓以前に名前選択自由にすべき

なんで人権意識の高いはてな諸氏がこっちに行き着かないのか不思議なんだが、そもそも夫婦別姓選択する以前の話として、「社会において自分がどう名乗るか」について選択権がないも同然な状況が既におかしくないか

それとも俺以外のみんなは生まれる前に自分名前選択できる機会があったのか?えっ?俺が知らないだけ?うっそーん…

みんな知ってるように、名前について選択権がないことは色んな苦痛を生んでいるよね。

容色に優れない女の子名前に『美』とか『姫』とかい入ってて悩むくらいのいわゆる名前負けなら可愛いもので、DQNネームを親に与えられてしまった子はクラスいじめ対象になったり、同級生の親や先生から偏見の目で見られるのみならず、果てには就職差別されるなんて話がまことしやかに囁かれている。悲惨だよね。本人に非は一切ないのに。

あるいは、心と身体性別が一致しない子に身体性別名前を与えてしまい、本人がずっと苦しむなんてこともある。『愛』ちゃんなんて可愛らしい名前を名乗りたい女の子に付けられた名前が『賢示』なんてことも起こるんだぞ。(これはあくまで例え話であり、本人が苦しんでいるかは知らない)

命名権が本人に属さない限り、こういう苦しみが生まれることは避けられないわけだ。

(一応改名出来ることは知ってるよ。ただ日本だと相当ハードル高いよね)

名前コロコロ変えられたら社会的な混乱が、なんていうけどさ、人間管理なんてIDがあれば原理的には十分可能なように思えるし、こうした不要な苦しみを避けるためにも呼称に関する選択権は本人にあるべきと思えるんだよね。

そんなわけで、個人呼称に関する選択肢が自由社会が早く実現するといいなぁ。

現段階では、コストとかID悪用とか、俺のだーいっ嫌いなイエ制度がどうこうとか、きっと色んな問題はあるんだろうけど。

2018-02-07

anond:20180207102224

母親以外の何者でもなくなった女にとって、のぶみの歌は救いだよ。

子供を産んで仕事を続けることができず、容色も衰え、趣味勉強どころじゃない母親がいる。

キラキラ仕事と家庭を両立したり、育休をうまく使ってバリバリやってる母親劣等感があって、

自分は輝いてない、自分には何もないと追い詰められている。

そんな自分でもいいんだという自己肯定を与えてくれる歌。

2018-01-11

anond:20180111170636

人の魅力は「容貌」なのか

容貌の美しい男」っていくつくらいまでそれが魅力として輝くのかなぁ?

芸能人アイドル好きの友人は今の推しについてでも「このころが一番きれいだったよね~」と数年前くらいの写真を見せてくれたりするけど

容色は移ろうので、それだけでは魅力に乏しい。

人間的な魅力は、容貌ではないと思います割合的にはそんなにパーセンテージないと思います

失礼な話だけれど、「喋らなければいいのに」という人ってありますよね。

喋るとぼろが出る、底の浅い人、チャラい人。

それでもいいという面食いの人を探すのかな。

整形やら何やらで、美形の価値って下がってると思うんだけど。

それより健康で明るい人がいい。健全精神と。

2017-07-03

https://anond.hatelabo.jp/20170626132146

まず第一として、相手を好きになったらたまたま若い人だったっていうのと、相手若いから好きっていうのは大きな差があると思うんですが、

自分が見た限りでは、若い女が好きだって言ってる高齢男性ほとんどが後者なんですよね。

そういう人たちって、自分より精神的に未熟で、若い身体を持った女を性的に消費したいという欲求が見て取れるので、気持ちが悪いです。

相手人格はどうでもよくて、若い身体自分優越感を得られる程度に未熟な精神があればそれでいいんですよ。

もし若い女の人と関係を持ったとしても、若くなくなって容色が衰えたらポイ、精神成熟して自分の手に負えないと思ったらポイで、

相手が婚期を逃そうが出産できなくなろうが別にどうだっていいんです。相手のことが好きなわけじゃないので。

自分気持ちよくなることしか考えてない。それを気持ち悪いと言わずしてなんと言おうか。

2017-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20170111225725

企業の中で女性を観察していると、20代活躍した女性が、

30代、40代で伸び悩むということがしばしば見受けられます

(中略)

20代女性活躍の源には、若い女性であるというメリットを生かして、

男性にかわいがられた結果という面が強いと私は解釈しています

なぜなら、こういう20代の頃に活躍したけれども、

その後伸び悩んだ人は、ほぼ例外なく、

平均よりも上の容姿を持っている人に多いからです。

すなわち、20代の頃はゲタを履かせた評価を受けていたのですが、

そうやってかわいがられるうちに、

本人が実力を過信してしまい、実力がつかないうちから

実力以上のことができてしまうという錯覚を持ってしまます

しかし、30代になり、容色が残念ながら衰えてきて、

実力相当の評価か、あるいは女性バイアスにより

それより低い評価になると、とたんに活躍できなくなってしまう、

という仕組みです。

2016-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20160115012021

女だけど。

仕事に生きれば結婚を捨てざるを得ず(仕事まじめにやってたら産休取りたくないし、そうなると結婚も相手に申し訳ないからできない)

仕事に行きているのに「女は人生イージーモード」だとかそういう偏見に晒され

35歳過ぎたら子供の産めない産業廃棄物扱いされ

男みたいに若い女の子結婚して人生挽回するような裏技もなく

いくら化粧こそ頑張っても容色は衰える一方。

男みたいに、仕事さえできていれば一定の評価が得られる世界に生きていたかった。

ちなみに、95%勝てる時期に無事結婚できても、

上に書いたように「男は若い女と結婚すれば人生挽回できる」信者が多いからあとからあっさり捨てられるよ。

2015-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20151210161440

理想の世界があるなら一足飛びに目指すんじゃなくてワンステップづつ近づいていけばいいじゃん。

こういうこと言う人よくいるけど、人は老いるもんなんだから、俺が老いて、健康容色や性欲やバイタリティ好奇心や新情報への適応力を失った頃に理想の世界になっても全く嬉しくないんだよなァ。

2015-01-17

1月17日日記

5時にラジオが入り、NHK特別番組が流れはじめて目を覚ました。うつらうつらしながら、いくつかの投稿を聞く。家で息子とホームステイオーストラリア人青年を亡くした人。二階に寝ていた2人は三階の梁の下敷きになったらしい。建材とベッドの間に挟まれて、ベッドをパタパタと叩く音がしていたという。投稿したお父さんにはどうにもできず、仕方がないので、その息子をそこにおいたまま、近所の家の救出を手伝っていたとのこと。これで、一人分だ。ホームステイ青年の話は出なかった。娘さんは無事で今2人の子供をなしている、という報告も添えられていた。ホームステイ青年はどういう人生を送ってきていたのか、娘さんは震災の後どう生きられたのか。この投稿をされているご本人は。想像を絶する。のんきに生きている自分のような人間とは別の「壮絶な」人生を送られたのだろうな、と心を閉じそうになる。

そこで思い直した。あぁしかし、この手紙はわたしの帳面と同じようなものではないか。布団の中でうつぶせになって寝る前に置いたモレスキン場所を確かめる。父が亡くなって少し経つが、葬儀を終えたとき、様々な情報感情がバラバラにわいてきて、これはどこかに拾っておかなければいけない、と思って、新しい帳面を出して、書き始めたのだった。2日前の葬儀のこと、今日市役所への届け出のこと、父が死ぬ直前のこと、3つ上なのに容色いまだ衰えぬ従姉妹に久しぶりに会って俺脳内掲示板に「従姉妹美人すぎる件」スレが久しぶりに上がったこと…思いついたものから採集するつもりで、白紙のページに、文やタイムラインや絵で書いた。

「充分に書く」「気が済むまで書く」ことな最初から放棄していたから、どれも簡単なものだが、そのとき感じたいくつかの微妙感情を拾うことができた。起きたことのなかに「ここは泣くポイントなのではないか?」という箇所を見つけて、そこをつつくようにエモく書きながら涙ぐむ(複数時間をまたぐような表現をすると人間は簡単に泣く)こともあった。

わたしは、「はてな匿名ダイアリー」で改行たっぷりに書かれるような自己憐憫文章が大嫌い(掲示板みたいに対話してる奴はもっと嫌い)なので、書きながら感情に埋没してしまわないように、帳面構成自体も、書き始めは右のページから書いて左を空けておき、左は後から書き入れることにした。いくつかの声のパッチワークのような使い方をするのが自然に思えた。思春期若者みたいに、自分が書いたエモいことで盛り上がってさらに書いて、それで方向性が絞られてそこに内面のことしか書けなくなって、じき熱がひいたら内面ほじくるのに飽きて、あとには5ページくらい書いた帳面が残る…みたいなのは、さすがに嫌だ。

極度に飽きっぽい自分性格もある。深く突っ込まなくていいから、続けることを優先しなくてはならない。日常時間と並行させながら、父の死やその周辺の時間を記録再生しなくてはいけない。そう思った。だから、いろいろ書いた、とは言っても、それぞれは、思い出しメモに毛が生えた程度のものを、日常の思いつきや飯のおかずメモに交えて、頁のあちこちに、ちょこちょこと書いていったにすぎない。

それでも、自分がウジウジしたことを文字にしたこと、そしてそこを読み返してメソメソできるということが、驚きであった。げぇ、そんなことするんだ、俺が。(あと、仏壇に手を合わせたとき、父に向かって何か言ったりすることがあるのも、われながら驚きだ。)

しかしそれは、やらずにはいられなかったことだ。ラジオで読まれる便りを聞きながら、これはわたしの帳面と同じだ、と思ったのはそういうことだった。死んだ人の人生がどうだったのか、残された人の人生がどれほど壮絶だったのか、知ることは難しい。壮絶ったって20年ずっと1秒も絶え間なく死者を背負ってきたわけではないだろうし、投稿されている文章だって20年かけて整理された心が書いたものなのだ。取捨選択も誇張も忘却もあるだろう。簡単に言えば、死者のことを思い続けるのは難しいことだ。わたしの帳面につまらない落書き関係ないことが書き入れられ、ページが進むごとに書き物の性質も変わっていってしまうように。しかし、ページをめくって過去をたどると、今でもちょっとは、感情が動かされる。それはわたしに起きたことで、そのことが私を少し変えてしまった、それは確かなことだ。このエモいメモは、ことの一部しか見ていないし誇張ではあるだろうが、ともかくも、わたしはこれを書かずにはいられなかった。

起きだしてテレビをつけると、式典をやっていた。その場所に行かずにはいられない人たちを画面で見て、一緒に祈った。

2012-11-23

男女逆転劇 大奥

大奥での仰々しい夜伽の作法も嫌って当初はどこででも男に手をつけていたが、後には父の連れて来た紀州出身の不細工な側室の男達を平等にローテーションで相手することにしている。

側室「お万の方」「お楽の方」「お玉の方」「お夏の方」

  • 貧しい女たちは夫を持つことも出来ず、花街で男を買い種を付けてもらい子供を生むか、成長できた息子のいる家に謝礼を払って種付けを依頼する。当然吉原花魁男性である容色の良い男子には種付け依頼が相次ぐ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A5%A5_%28%E6%BC%AB%E7%94%BB%29

男はどんな男でも必ずセックスできる

逆に女は経済力がないとセックスすることができない

まさか恋愛面まで男女逆転していようとは思わなかった

モテたい男やヤリチンにとっては最高の世界だな

 
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