はてなキーワード: 僥倖とは
プレステ5の転売問題が色々世間をにぎわせているが、東京ゲームショーが終わってプレステ5がかなり危険な状態であることが明るみに出ている。
そもそも論として、日本においてプレステの求心力がかなり低下している。読売新聞上でのシェアは30% これはCS機のみであり
携帯電話を含めた市場規模は9%程度である。しかし、実際のところの販売シェアは任天堂に大きく水をあけられており、
今年発売のプレステ4のソフト総数があつまれどうぶつの森に負ける珍現象まで起こっている。別のソースではCS機ゲームソフト売り上げベースの
ここにプレステ5の価格が水を差している。メディアはディスクを使用しないデジタルエディションの価格を宣伝しているがこれは悪手だろう。
なぜならプレステの市場が中古市場を前提とした市場形成になっているためだ。そしてプレステ5は制限付きながらプレステ4のゲームが動く構造だ。
デジタルエディションでは中古ソフトを使用することができない。これは致命的だ。デジタルエディションでも本体価格は決して安くないからだ。
しかし、それでプレステ4の新品が売れることは先ずないだろう。日本においては殆どのユーザーが中古ソフトに流れメーカーに還流されることはないといえる。
またメディアを駆使した戦術もここにきて効果が薄くなっている。そもそもプレステの強さの源泉はメディアの活用であり、それは他社ハードを平気で貶す
かなり過激な手法であるのだが、それを行っているメディアの影響力が壊滅し、ハードベンダーが自前で行う宣伝が重要になってきたのだ。
現状ではユーチューバーを使用した宣伝や他社ハードのネガティブ発言でお茶を濁しているが肝心のプレステ5のゲーム体験がとてもお粗末になっている。
言い方は悪いがこれではかつてのメガドライブのロンチレベルである。メガドライブのロンチでも獣王記などの高品質ゲームは確かにあったが、ソフトラインナップの
厚みはお粗末なものだった。メガドライブのロンチで出たおそ松くんのお粗末ぶりは語り草になっている。
プレステは映像面に極振りしたハードであるため、映像の美しさだけでしか訴求できない。
困ったことに、これら映像面がプレステを苦しめている。特に2D表現において表現技法が飽和してしまっているからだ。プレステ3までなら、解像度の増加や
使用できる色数 オブジェクトの増加、動画再生能力向上の恩恵があったがプレステ4以降では2D表現で差をつけることはほぼ不可能となっている。
そのため、本来なら性能が低いとされているニンテンドースイッチと比較しても、インディーズゲームを中心に表現レベルがほとんど変わらない事態となっている。
日本での商売が難しい場合海外の販売が重要になるがここでもかなり厳しい状態になっている。
ニンテンドースイッチは相変わらず強いうえに、マイクロソフトが対中政策の影響で大手ソフトハウスを傘下におさめているためだ。さらにマイクロソフトはゲームソフトの
サブスクリプションモデルを早々に構築してしまった。ソニーは技術面で先行していたのだが、プレイステーションプラスのフリープレイ程度にしか応用できていない。
もちろんフォールガイズ アルティメット ノックアウトのような名作をフリープレイに出来たことは僥倖だが、それこそプレイステーションプラスを拡充したサブスクリプションモデルを
作らないといけなかった。たとえば初代プレイステーションのゲームやプレイステーションポータプルゲームが遊べるサブスクリプションモデルでもよかったのだ。プレステ3で
出来ていたのだから不可能ではない筈だが、それが出来ていない。プレステ5を購入する価値が何処にあるのか提案することすらできていない。
プレイステーションプラスの月額をあげて フォールガイズなどの期間限定を廃して、「チートが少ないゲーム機」として などの提案が必要だと思う。
正直な話、この調子ではプレイステーションが何処かに買い取られるシナリオまで出てしまう。
そうならないためにも定期的にお金がはいるサブスクリプションモデルを拡充するしかない。プレステプラスの利益を考えれば客単価をあげればまだまだ戦えると思われる。
コロナ禍でアンチャーテッドコレクションを無料配信した会社なのだ。このまま倒れるのは惜しいし、何とか戦ってほしいと思っている。
かつて、とある二次創作小説書きにマシュマロを送りまくってたことがあった。
私はいわゆる腐女子というもので、その時はあるゲームにハマり二次創作を漁っていた。
そんな中、ピクシブで大変好みの作品を書く小説書きさんを見つけた。基本的に1万字を超えない短い作品で、パロディが多い。そのどれもが設定・展開ともに好みにどストライクで、「こういうのが読みたかったんだよ!!!」となるものばかり。短いからサクッと読めるし、きちんとハッピーエンドで終わるので安心感もある。一方でどこか仄暗い場面もあってそこも好みだった。
しかし、その作品たちはブクマ数が少なかった。コメントもつかない。作者のTwitterの垢にも飛んでみたが、フォロワーも少ない。
しかし、その小説書きさんはマシュマロを置いていた。これは僥倖だった。私もそれなりに二次創作の小説を書くのだが、どうも人との交流が苦手でTwitterはRom垢しか持っていなかった。当然、リプを送るような勇気もない。
マシュマロがあって良かった。感想を伝えれば喜んでもらえるし、もしかしたら新作を書いてもらえるかもしれない。パロディ大好きです!とかけばまたパロディものを書いてもらえるかも。
そんな現金な考えをしつつ、感想を書いた。引かれたりしないように丁寧な口調で書いて、挨拶や体調を気遣うようなメッセージも添えた。長すぎないようにもした。結局4回ほど書き直し、ついに投稿した。その後すぐ小説書きさんのツイート通知をオンにした。返信をワクワクしながら待っているのが少し恥ずかしかった。
程なくして、返信のツイートが来た。丁寧なお返事で、なにより「ありがとうございます!」「嬉しいです!」と書かれているのが嬉しかった。絵文字もたくさん使ってあった。正直、知り合いでもなんでもない人の作品を特に対価も支払わず見せてもらっているのに罪悪感めいたものを感じていたので、「ありがとうございます!」はこっちの方だよ!と言いたかったが嬉しかった。
早速スクショを撮った。勢い余って2枚くらい撮った。その後もう一度作品を読みにいった。やっぱりド好みだった。
そんな感じでホクホクしていた訳だが、小説書きさんに他のマシュマロは届かなかった。私が見逃しただけかもしれないが、マシュマロは私のものだけだったと思う。
それで、少し不安になった。感想が届くのは創作者にとって基本的に喜びだろう。しかし、それがマシュマロ1個だけだったら?勿論、0か1かは大きな問題だし、たとえ1個であっても嬉しいだろう。でもマシュマロが来ない内ならまだしも、1個でも来たら「また来ないかな?」と思うことも増えるだろう。それで他のマシュマロが来なかったら、ひょっとすると全く感想が送られて来ない時より辛いかもしれない。0か1かも重要だが、ひとつか複数かというのも重要だろう。結局マシュマロがコロッと1個来るだけの作品なんだ、大して面白くもないんだ、なんて思われて小説書きさんが新作を上げなくなったらどうしよう。最初のマシュマロお返事がかなり喜んでいたようだからなおさら心配だった。とんでもなく自分本位な心配である。
悩んだ結果、またマシュマロを送った。マシュマロは匿名なので、どれが同じ人から送られてきたかは分からない。ならば違う文体で送れば、複数人から感想が来ていると思われるのでは?という思考だった。
初めてのマシュマロはかなり丁寧に書いたので、あまり中身がない短めのものと、勢いが凄いタイプの2種類を送った。
同一人物とバレないかヒヤヒヤした。幸いバレなかったし、それぞれのマシュマロにお返事が来た。短めマシュマロには短めのお返事、テンション高いマシュマロには同じくテンション高い感じのお返事が来ていた。小説書きさんの律儀な感じが伝わってきてほっこりした。相当毛色が違うマシュマロだったが、どれも喜んでもらえた。スクショした。
そうしていると、新作がアップされた。大好物なシチュエーションと設定だった。3回くらい読み返してから、マシュマロを3,4個送った。ひとつひとつにお返事が来て、小説書きさんのプロフィールのツイート一覧には作品をアップしたツイートと、マシュマロのお返事がずらりと並んでいた。萌ポイントをわかってもらえて嬉しい!とお返事が来て小躍りした。
その後も、作品が上がるたびに私はマシュマロを投げまくった。基本的に、丁寧に好きな部分について語った長めのものと、「大好きッッ!!!!」みたいな勢いで書いたっぽいものと、「振り込めない詐欺ですか?」みたいな奇をてらったようなものの3つを書き、さらに他のマシュマロも書いた。バレないように漢字変換や句読点の打ち方にも変化をつけた。大体、作品がアップされた日に複数送って、1日2日3日後にさらに送る感じにした。
作品だけでなく、ツイートに対してもマシュマロを送った。ある時、自分の文章の書き方が読みにくいんじゃないか、おかしいんじゃないかと悩んでらっしゃるツイートがあった。私は小説書きさんの文章の書き方のどこが好きで、内容はしっかり伝わってきていて、最近の作品ではここの書き方がツボだったとマシュマロを送った。ツイートを監視しているようで気持ち悪がられたら不味いと思い送ったあと後悔したが、お返事には「救われた」、「励まされた」と書かれていた。
たくさんお返事されるマシュマロのほとんどが私のもの。そんな奇妙な状態だった。
小説書きさんはコンスタントに短めの小説を上げてくださっていた。それがマシュマロのお陰なのかは分からない。私がマシュマロを送り始める以前から作品を書かれていたのだし、ツイートだけでは彼/彼女の人間性は分からない。
そうしてしばらく経つと、小説書きさんの作品のブクマが増え始めた。フォロワーも増え、界隈の他の人とも繋がり、仲の良い人同士リプでたくさん会話するようになった。リクエストを受けるようになり、スロットメーカーで自作したCPスロットが界隈でも使われるようになった。当然、マシュマロも作品をあげるたび何個も来ていて、返信をするのも一苦労だろうから私は1作品につきマシュマロ1個送ることにした。それが普通だけれども。
小説書きさんが続き物や長編を書くことも増えて、ますます作品を読み、待つのが楽しくなった。相変わらず癖の少ない文章で、好みにピタリとはまる展開で、原作とかけ離れたパロディでもきっと登場人物たちはこう行動するだろうな、と思わせる書きぶりで、そして予想のつかないストーリーだった。原作軸の話も素敵だった。
くだらない心配をすることもあった。勿論マシュマロについてだ。ある方のツイートで、マシュマロの送信者をブロックすると、その送信者から過去送られてきたマシュマロも見えなくなる、と書かれていた。実際は、マシュマロの公式サイトをみると非表示にはならない、と書いてあるし、私の見間違い・勘違いか不具合の可能性もある。だがその当時は、少々怖かった。私がもし小説書きさんが不快に思うようなマシュマロを送って、ブロックされてしまったら過去のある期間のマシュマロがごっそり消えてしまう。一人で送っていたことがバレてしまう。そんな風に考えた。相手はどんな人か分からないのだし、何を嫌うかも分からない。
結局のところ、全くの杞憂だった。第一ブロックされても消えないのだし、小説書きさんは私をブロックしなかった。元々マシュマロを送るときは「他作品と比べない・『〜けど』を使わない・リクエストしない」を徹底していたぐらいだったし。(3つ目に至っては全然OKだった。)これは余談だ。
小説書きさんがR18の作品を上げた。こっちはドッキドキのワックワクである。
しかし私には1つ困難な点があった。R18作品はぷらいべったーでリスト限定公開だったのだ。リプでリスインの申請をしなければならない。
書いてきた通り、とにかくネットでのコミュニケーションが苦手なのだ。基本的に無言フォローだし、ツイートもリツイートもしないのにフォローだけは数百。小説書きさんにもあれだけマシュマロを送ったのに、直接のやり取りはしたことがない。
一日経ってから意を決してリプライした。「いつも素敵な作品ありがとうございます」みたいな文言とリスイン申請の、酷く無難なリプを送った。
リプライのリプライはすぐ来た。その中に、「いつもいいねくださりありがとうございます。」と書かれていた。認識されていた。認識されていたのだ。
ツイートやぷらいべったーの作品は必ずファボしていた。「めっちゃファボしてくる人」と認識されていておかしくはない。驚いて、恥ずかしくなって、舞い上がった。ふわふわした。R18作品は大変スケベだった。リスインへの感謝と作品が最高だったとリプライで送った。それが、小説書きさんと交わした最初で最後の会話だった。
初めて作品に出会ってから1年半弱。小説書きさんが二次創作活動を止め、筆を置くと決めた。突然のことだった。個人的な理由とのことで、悪意のあるマシュマロとか界隈の面倒ごとに巻き込まれたとかではなさそうだったが、それ以上は分からなかった。
最後のマシュマロは送らなかった。たくさんのリプと、おそらくたくさんのマシュマロが送られているだろう。結局のところ、私は誰だか分からない投稿者の一人で、いくら送ろうと連続性はない。私が言いたいことはもう送られているだろう。アカウントを消す前に返信しなければなのだし、いたずらに増やしても迷惑だ。
寂しくなるな、と思った。
その月の末に、小説書きさんはアカウントを削除した。最後の挨拶には、「たくさん感想を送って下さりありがとうございました。」「皆様の応援でとても幸せな日々を送ることができました。」と書かれていた。
数ヶ月が経った。不意にあの人の作品が読みたくなり、ピクシブのブクマを遡った。
なかった。
フォロー一覧にもいなかった。
よく考えれば当たり前だった。Twitterのアカウントはなくなり、ぷらいべったーも見れなくなった。ピクシブのアカウントについて最後の挨拶では特に触れられていなかったが、消されていてもおかしくはない。Twitterのアカウントを消してもピクシブは残しておく人が多いから、つい残っているような気になっていた。
ペンネームで検索しても、過去に作られたCPスロットが出てくるだけだった。それと、何枚も撮ったマシュマロお返事のスクショだけが残ったものだった。
あれから、もう1年以上経つ。好きだった文章も内容ももうほとんど覚えていない。過去のマシュマロスクショから作品の題名と設定の一部が辛うじてわかるくらいだ。
この話の経緯も朧気だ。もしかしたら、委細が間違っているかもしれない。
悪意のあるマシュマロが話題になったり、同人女の漫画が流行ったりするたびあの人の作品を思い出す。
あの人の文章は妙な癖とか違和感とかがなかった。また二次創作を始めていたとしても、気付けるか自信がない。
作品が好きだった。それだけははっきりと覚えている。
あの作品をもう一度でも読めたら、なんて。
キモい上に金もないしもう若くもない最底辺の自分を愛してくれるひと
そりゃあ、そんな素敵なパートナーが居ることはとても幸せなことだろうが
普通に考えてそんなに人現れるわけないだろ
普通の人でも、失職し、資産を失い、心身共に病にかかり、無一文の無能になっても愛し続けてくれるような相手そうそう現れない
3組に1組が離婚する時代だし、仮面夫婦の数を考えれば、本当に愛し合ってる夫婦なんて1割いるかどうかというところだろう
相手が自分に何をしてくれるか、相手と結婚してどんなメリットがあるか
それが問題にならないことはない
KKOはキモいし金も稼がないし発達障害もしくは学習障害をもつ生活保護寸前の人間だ
そんな地獄も厭わないような聖人、KKOを心から愛すようなエンジェルがいれば、そりゃあKKOは幸せだろうさ
「どうしょうもないKKOに天使が舞い降りたら」「幸せになれるだろうな」なんて、考えるだけ無駄だ。
普通の人にもキモカネにも天使は舞い降りない。異性は天使ではない。異性だって救いを求める打算的な普通の人やキモカネで構成されているのだ。
最底辺からミラクルハッピーを望むのは現実的じゃない。俺たちはもっと、ささやかな幸せを一つずつ手に入れていくべきだ。
俺にも昔天使が舞い降りた。半無職の発達障害のブサメンの俺を彼女は愛してくれた。でも、10年経つ頃には「離婚してください」って土下座されたよ。これ以上同じ家で生活するのが耐えられないってさ。慰謝料は払うから別れてくれって。最終的にはそうなるんだよ。(クズだからいっぱい慰謝料貰った。子供との面会は、何回もぶっちしてパチに行ったりしたせいで、子供にも元妻にも断られるようになって5年会ってない。)
人生の僅かな間、天使のように思える異性が舞い降りたとしても、相手も結局人間にすぎない。宝くじに当たるように運良く結婚出来たとしても、維持できないんだよ。結婚生活の維持なんて健常者でも難しいこと、KKOに出来るわけないだろ。
KKOの救済措置に、土台無理な結婚を持ち出すことこそ、KKO救済の妨げだと俺は思うよ。宝くじがあったら救済されますよねー、って言い続けてもKKOは救われないんだ。何も変わらないんだ。
KKOを救う、つまりKOの孤独を解消し、生活を安定させるために必要なのは何か?
さして文章が上手いわけでもないがつらつらと書いていこうと思う。
他人の希死念慮が好きだ。増田でもnoteでもブログでも、タイトルに「死にたい」だとか「自殺に失敗した」といったような希死念慮を匂わす記述があると心が躍るし、自殺した人の最後のツイートは保存してたまに見返している。同様に拒食症や精神疾患など死に近づいている人の記述も好きで、つまるところ追い詰められた人が見たいわけだが、「慢性的に死にたい」というタイトルを見て本エントリに興味を持ってくれた誰かの中にも同じような嗜好を持つ人がいるのではないだろうか。私の独り言がそのような同志の一瞬の暇つぶしにでもなれば僥倖である。
昔から中途半端な人生を送ってきた。特に受験勉強もせずにそこそこの成績で中堅の高校に合格し、そこで何かに熱中することもなく、まずまずの成績で指定校推薦をもらって大学に進学した。やりたいことも学びたいこともなかったから今は文理もよくわからない宙ぶらりんな学科で毎日を過ごしている。(学科・学問を貶める意図は全くなく、高い志をもって勉学に励む方のことは尊敬している。ひとえに私の受け取り方の問題である。) 就職のサポートが手厚く、どこかしらには就職させてくれることを売りにしている大学でもあるので、きっと就職活動もつつがなく適当なところで終わらせることになるだろう。
そう、ここまで読んでいただけたらわかるように私は努力も挫折も全くしたことがない。いまさら努力の仕方なんかわからない。というか人生に目標がないから努力もクソもない。わたしの目の前は常に真っ暗で、でも押されて足を出してみたらなんか道があったから一歩進んでみる。これを繰り返していたらいつの間にか成人を迎えようとしていた。積み重ねてきた努力も明るい未来への展望も私にはないから、大事にできる自分なんかないから、私はいつも死にたいなあって思っている。
そんな中で、もしかしたら自分が誰かにとって価値ある何かになれれば生きたいと思えるのでは?という仮説を立てて、手っ取り早く価値を高めるために整形をした。ちやほやされれば死にたくなくなるのではと考えて水商売をやってみた。誰にも内緒だけど、風俗もやった。風俗を始めたあたりで、病んだ勢いで自殺するかな?なんて思ったが、今日に至るまで私の手首には傷の一つも付いたことがない。思えば、人生の中でいじめだの一家離散だの身内の自殺だの十分に自殺を考えそうなタイミングは何回か巡ってきた。それでも今まで自殺を図ることがなかったことを考えると、結局のところ、私は死にたいのではなくてただ生きていたくないだけなのかもしれない。タイトル詐欺になっちゃう上になんとも中途半端だな。持論ではあるが死にたいと生きたくないは全然違う。死ぬことにすら希望を見出せないから積極的に死のうとは思えないけど、生に執着がないからいつ死んでもいい。もし今この瞬間に通り魔に殺されたとしても、私は欠片も恨まず笑って成仏する自信がある。死ぬ時まで人任せとは我ながら怠惰なことだ。
自殺を考えることはよくあるよ。でもそれを実行できるとは思えないから、やっぱり私に死ぬ気はないんだと思う。一昨日は銃で自殺するとしたらこめかみか咥えるかどっちにしようか考えたし、昨日は自殺配信するとしたら最後に居もしないリスナーになんて声をかけようか考えながらお風呂に入った。今日は自分の葬式で泣いてくれそうな知り合いについて考えながら寝ようと思う。おやすみ!!こんなまとまってなくて厨二臭い文を読んでくれてありがとう。目を覚ましたくないなあ。
オタクがする女性向け作品の紹介で「乙女ゲームではないこと」が売りとして挙げられることが多いとの話題を見かけた。
確かに「乙女ゲーム」のタグが付けられた瞬間、sageても許されるような風潮を感じることは少なくはない。
乙女ゲーを筆頭にギャルゲー・BLゲー等の恋愛ゲームが好きなオタクとしては、「乙女ゲームじゃないから!」等の言外の「乙女ゲーム(笑)」な軽視に辟易しているが、本当に乙女ゲームを軽視している層の他に、ユーザーと非ユーザーの間で想像する「乙女ゲーム」が別物のため生じる誤解も感じている。
男性キャラクターが多く、主なターゲット層が女性に設定されている作品は広く「女性向けゲーム」と呼ばれているが、乙女ゲームとは限らない。
イメージ的には下図。
└ その他
話題のツイステッドワンダーランドはあんスタやA3に形態が近いため育成ゲーム(主人公がキャラクターと交流することはあっても恋愛には発展しないため)に分類されると思われるが、公式サイトや配信サイトにて表記が確認できないため、ユーザーによって解釈が異なる場合がある。
コメントを読んでる内に気づいたが、二次創作をそのままゲーム本編の内容として受け取っている層もいるのではないだろうか。
上で例に挙げた育成ゲームは乙女ゲームではないが、二次創作では主人公とキャラクターが恋愛成立しているIF創作もよく見かける。未プレイでは二次創作の内容が本編に沿っているかIFなのか判断ができないため「恋愛要素の話や創作をよく見る」印象から女性向け育成ゲーム全般=恋愛要素あり=乙女ゲームだと誤認している可能性がある。
テレビCMで見るようなイケメンが壁ドンしてキザな台詞を言うものを想像する非ユーザーが多いと推測するが、一般的に想像されがちなアプリの乙女ゲームは、オタクではない人をターゲットに開発されている。
やっぱり、30〜40代の女性が多いですね。よく「オタク向け」だと思われているのですが、ごく「ふつうの人」があそんでいるんですよ。
ただの「いい人」はゲームでも現実でもモテない。1本で1億円を稼ぐ「恋愛ゲーム」の裏側と、モテる二次元キャラの法則をアリスマティックが語る。
もちろん、ユーザーの想像する乙女ゲームにも上記のような要素は含まれるが、それが売りとなる作品は多くはない。そのため「乙女ゲームではない」の指す「乙女ゲーム」と、ユーザーが愛好している「乙女ゲーム」は別物の場合がある。
分類としては同じ乙女ゲームだが、言うなれば、同じ「読書」でも「小説好きと漫画好きの指す本は違う」のような感覚がユーザー間である。
「乙女ゲーム」と聞いて想像するものが人によって違うからと言ってどれがマシ等の評価は誰にも出来ない。また、興味がない人から見たらどれも同じだろう。
ただ、乙女ゲームに限らず「興味がないからどれも同じ」な思考停止に「そうじゃないんだよなぁ」と歯痒い経験をしたオタクは少なくないはずだ。多少なりとも共感があるなら、乙女ゲームではないことを売りにするときに「乙女ゲーム(笑)」が含まれていないか考えてもらいたいし、その「乙女ゲーム(笑)」のどのようなところが「(笑)」なのか掘り下げてもらいたい。
軽視するつもりがない場合は、できれば「乙女ゲームではない」ではなく「恋愛要素がない」「異性から言い寄られない」「チヤホヤされない」等と具体例を挙げてほしい。なぜなら、乙女ゲームに馴染みがない層が想像するよりもはるかにバラエティ豊かで、異性から言い寄られなければチヤホヤもされない乙女ゲームも存在するから。(恋愛要素がないと乙女ゲームではないため、恋愛要素は必須条件)
乙女ゲーム市場は小さく、滅多に話題にはならないが、偏見を吹っ飛ばすような名作も数多くある。恋愛を主題にしている作品もあれば、他の主題の過程で恋愛を育む作品もある。名作ではなくても個人の感性と合致する作品もあるはずだ。
漠然とした偏見で誤解したままだと勿体無いから、乙女ゲーム、プレイしてみたら楽しいよ。
ある程度乙女ゲームに興味を持ってる人の目に止まったら僥倖程度の文章だったため加筆。既知前提で書いてしまって申し訳ない。
強要する意図はなく、ユーザーと非ユーザーで言ってる「乙女ゲーム」が違うことも結構あるよなぁ、これを読んでもし何か思うことがあれば考えてもらえたら嬉しいなぁ話である。本件は単なる分類として使用する「乙女ゲームではない」には言及していないため悪しからず。
ブコメでもすでに言外の軽視や『「乙女ゲーム」と聞いて想像するものが人によって違う』が見えて興味深い。
余談だが、乙女ゲームはキャラ×自分として夢的に楽しむユーザーもいれば、キャラ×主人公としてCP的に楽しむユーザーもいる。(中には自分×キャラや主人公×キャラやキャラ×キャラの人もいる)いわゆる夢女子だけが楽しめるようにできている作品ではないから、やっぱり漠然としたイメージだけで語るよりは、触れてみたら意外と面白かったりするよ。
ターゲット層と相互的な敷居の例として純文学とラノベを挙げたらアプリの乙女ゲームをsageているとの意見があったため、誤解を招かないよう修正。しかしながらいちノベルゲー好きとして純文学とラノベに上下がある見方には疑問が残る。無意識の軽視についてより考えていきたい。
社会人に一応なって1ヶ月が経ったいま考えていること。
この記録を残すのはまず、歴史の教科書に載るような大変化がいま起っているのが確実であり、その変化の渦中にいた自分の考え、当時の生活を、あとから振り返ることができる手がかりを残したいと思ったから。この背景には、東日本大震災の時に、自分が日記などをつけていなかったせいで当時の自分と自分を取り巻く状況についての主観的な情報を確認する手段が、曖昧な記憶を辿る以外になく、勿体無かったと感じたことがある。東日本に関しては、震災を機に自分の中の価値観が大きく変わったという人をこれまでに少なく無い数見てきたが、自分にはそうした変化は見られなかった。直接の被害を受けていない地域に住んでいたこと、当時まだ高校生と若かったこともあるが、社会の状況が自分の核になる部分に影響を与えるということのイメージ自体がうまくわかなかった。そしてそれは今も変わっていない。
コロナウイルスの起こした混乱で、2020/5/5の現在は多くの人が不安を抱えている状況で、
緊急事態宣言の期間が延長されたこともあって、不安が絶望に変わった人も少なく無いと思う。
自分が就職した会社ももちろんダメージがあるが、ここ数ヶ月のうちに会社がつぶれたり解雇される社員が出たりという状況にはならない。
接触を8割減らせ命令に従っていることもあり、自分の部署はだいたい週一出社くらいになっている。
当初予定されていた集合研修は中止になったし、歓迎会も一度も開かれていない。というか同じ部署の人ですらまだ全員に全然会えていない。
業務内容の説明なども大して受けないまま、部署に配属されたり、研修やその後の飲み会で同期や先輩たちと仲を深めることができていない状況をさして、社内で会う人会う人に「大変だったね」「かわいそうだ」などと言われるけど、自分にとってはこの状況は幸運以外のなにものでもない。
嫌なんてものじゃなく、恐怖だった。
社交不安障害を抱えている自分にとって、人が多く集まるようないわゆる普通のオフィスでの仕事は苦痛そのものだから。
うつ状態が加速すること、体調が悪化することがほぼ確だと思っていたし、そうした思いの中、入社までのカウントダウンの日々を過ごしていた自分には
絶望しかなかった。自分に明らかに合っていない会社で働くこと、そして現状の日本の会社のほとんどが自分に合ってないことそうした確実な未来から目を背けてモラトリアムの終わりをかみしめていた。
街を歩くと三密業態の店は軒並みシャッターを下ろしているし、身の回りでも明らかにダメージを受けてる人が多くてみんな本当にきついと思うんだけど、自分にとっては今回のコロナ禍は本当ありえないレベルの僥倖だ。人生最大の絶望が、歴史的感染症流行によって救われている。執行猶予を与えられている。
この状況が続けば、というかもうすでに大不況確定だろうし自分の給料も前予想していたみたいには上がらないんだろうけど、そうでなくても自分はどうせ社会人として長く持たないだろうという諦めを持っていたから社会がパニックに陥ってもそれと連動して自分も不安や恐怖を感じたりしない。ある意味、社会から切り離された無敵の人に近い状態だ。
自分は就職が本当に嫌だった。大学生という時間に余裕のある身分でなくなることもかなりきついが、なにより自分個人が抱えている問題によるところが大きい。
じぶんは恐らく社交不安障害だ。人が多く集まる場に長時間拘束されることや、たとえ一対一でも他人と長時間一緒にいることがきつい。
不自由さが精神的にきついということもあるが体に症状が出てしまう。具体的にはお腹が張ったり鳴ったり、下痢が止まらなくなったりだ。
他にも症状の出方はいろいろある。声が震えたりとか。体臭が気になるとか。
どれか一つだけでもQOLは大きく低下するけどそれらのダブルパンチどころかトリプル以上のパンチを食らっている。
こうした症状が出やすい場面を避けることでなんとか生活できているけど、逆に言えば苦しみを回避するために行動の幅が、人生の幅が大きく狭まっている。
大学の横並びの長机の真ん中の席なんかは座れない。教授から、そこ詰めるように、なんて言われた日には結局すぐに耐えられなくなって
症状それぞれに一応対処法はあって、具体的には病院でもらった薬を飲んだり、生活上気をつけるように言われていることをきちんと実行して、その効果の様子を見て一喜一憂している。
でも確実なのは、人目を気にしてしまうことが症状の根本的な原因になっているということだ。
匂いを完全に吸収して外に出さないパンツを履いたり、最高に合う薬を見つけても根本解決にはならない。
こうした社交不安障害の症状にはさまざまなものがあるけど、すでにこの障害を抱えている者にとって不都合な現実として存在するのが、一度こうした症状を抱えると、ほかの分野にもそれが飛び火してしまう可能性が高いということだ。いまは大丈夫でも、自分もいつか他の人が苦しんでいるような症状で新たに苦しむようになる可能性はゼロではない。実際、自分も思春期に発症して以来、この手の厄介な症状はその発生分野が広くなっている。中にはほとんど気にならないようになたものもあるけど、逆に前は平気でできていたことができなくなったりもする。
自分のこの問題を考えれば、就活の段階で明らかにいわゆる三密の職場は避けるべきだった。
でも大企業のホワイトカラーの多くは結局一部を除いて三密のオフィスで働いている状況で、時差出勤とかリモートが定着している会社は意識の高い人が多く、それはそれで自分に合わなかった。
就活の時期に精神的に萎えていた自分は結局普通に良さげな大きな会社をいくつかうけて、受かってしまうとそこが自分に向いてないと分かっていながら就活をやめてしまった。
緊急事態宣言からこちら、しばらく在宅勤務だったのですが、ハンコ押すために久しぶりに出社したわけですよ。
電車で40分位かかるところに通勤してるのですが、割と早め、6時半くらいに家を出て、電車に乗っているところお腹の調子が悪くなってきたわけです。
さぁどうしようかと思案したのですが、はじめは目的の駅のコンビニのトイレを使わせてもらおうと思ったのです。そこのトイレは比較的きれいでウォシュレットも完備されていまして。
ところが、目的の駅の二つ手前から急激にお腹が急降下しまして、これはいよいよもたないぞと。そこで一つ手前の駅で降りてトイレに向かうことを決めました。
電車を降り、股をもじもじさせながら、さぁもう肛門の扉をノックされているぞと、階段を降りてトイレに向かいました。
空いていない。
もうこの時分には余裕がありませんので、次の電車を待つ余裕はありませんでした。そこで機転を効かせ、駅前のコンビニのトイレへ行こうと駅舎の出入り口を出たその時でした。ふとした拍子に一歩もあるけなくなり、その刹那です。
はんうぁああぁぁぁぁぁん
はーもう本当に周りに聞こえないくらいに押し殺したけど情けない声が出て全然止まらずに全部噴射しちゃってさーそれも昨日飲んだ500の一番搾り2缶が効いたのか割りとゆるめで気づいたらもう足首辺りまできてて絶望と哀しみに一気に取り込まれてその場に崩れ落ちそうになったんだけど慌てて一目につかないコンビニの裏手にいそいそと隠れてはーこれどうしたらいいの家から数十キロだし替えなんてもちろんないし何これ誰かに助けを求めるのが正しいのかしら警察か救急呼んだら助けてくれるんだろうかなんて考えたんだけどいやいやと押し留めてとりあえず自分のお尻まわりを見てみたらまだ外からはわからないようになっててとにかく急いでコンビニに入るや否や一目散にトイレに入って空いてたから良かったけどそこで靴とチノパン脱いでパンツも脱いだらもう足元までべっちょりでとりあえず拭こう拭こうと思ってトイレットペーパーでケツから両脚にかけて丁寧に拭いてそのあと手を汚しながらチノパンを裏返してみたらもうひどい有様でトイレにそれをボトボト落としながら「落ちない落ちない…」なんてDQ6の回想に出てきた女剣士みたいに哀しみに暮れながらトイレットペーパーでとれるだけとってふと足元に目を向けると昨夜食べたラーメンに入ってたキノコとか落ちててもう本当に情けない気持ちになったんだけどようやく意を決してあらかた固形だけは拭えたチノパンをノーパンで履いて使いようがなくなった下着は申し訳ないけどサニタリーボックスの袋を拝借してそれにつめてポケットに隠してトイレを可能な限り綺麗にして後ろを気にしながらコンビニを出てもう一度自分の背面を確認してみたらもうそれはそれは立派なシミができてて往来から逃げるように小道に入ってとにかく今自分がするべきことは何かなって思って冷静に考えた結果次の2点だなと。
で、すぐにGoogleで服屋を検索したんです。最寄りに衣類の販売店は
始めこそうんこの臭いが動物園で嗅ぐあの臭いに変わってきて、はーもうこれお店でやっすいジャージを買い求めたら絶対こいつ漏らしたなって思われるじゃんと思って、暗い気持ちになりながらマップアプリを頼りに歩いていました。
すると目に飛び込んできたのは、ダイエーの大きな店舗。すぐさま開店時間を調べると9時開店。大概のお店が10時にオープンする中これは僥倖。
ただ開店は1時間半後。しまむらまで歩いても結局その周辺で同じくらい待つことになる。
よしここにしようと、その近くの小さな公園でちょっと佇んでみたんだけど、人通りもまばらながらあるしここで1.5hは不審者過ぎる。
そこで思ったんです。よし歩こう、と。
改めて後ろ姿を確認してみたんだけど、もうなんかうっかり濡れたベンチに座っちゃったと思えなくもない?とか考え出して。その結果自分のとった行動は、ダイエーの区画を4周する、でした。
その間に替えの履き物を調達した後の事を考えたんだけど、出来れば風呂もしくはシャワーで流したいところだけどこの新型コロナウイルスの影響で近隣のネットカフェや温浴施設は全滅。ここはもう多少は仕方ないなと思ってコンビニに入ってビオレのボディシートを2袋購入。
そのまましばらく歩いていると、左腕で Apple Watch が振動して何か連絡かなと思って見てみると「ウォーキングのワークアウト中ですか?」とかサジェストしてきやがってえぇい畜生手前最近ずっと在宅でくすぶってたからってはりきりやがってこの丸太ん棒がつけあがりやがって手前っちに頭下げるような御兄さんと御兄さんの出来が少おしばかりちげえんでい今から無事綺麗な身体になって家までたどり着いてやるからそれ見て(アクティビティログのリングを)赤くしたり青くしたりすんなよ細工は流々仕上げを御覧じろってんだ。
そんなこんなしてたら9時になってダイエーに駆け込む前に上司に連絡して今日在宅に切り替えたんでハンコ明日押しますっつってダイエーでジャージ買ってそれ持ってトイレ入ってウェットシートで出来る限り身体綺麗にしながらもうなんかあまり臭いが不快にならなくなってきてマヒしてきたのか乾いて弱くなってきたのかわからないけどこれ新型コロナウイルスの症状だったらどうしようとか考えながらジャージに履き替えて汚れたチノパンをようやく捨てることができてようやくまっさらな心地になってでもどうしようもない自己嫌悪には相変わらず苛まれながら泣きたくなるほどの晴天の中先刻帰宅しました。
自分はサポートメインだが、他のロールともども大きく環境が変わったと思うので少しメモを。
〔全体〕
かねてより予想していたが、トランジションゲームとなり1waveの決着が早くなった。
2盾環境では死ぬ気でヒールを回して最終的にはお願いDPSだったが、ヒールの重要性が少し下がってサポートロールの仕事がヒールからサポートになった。
よってヒールそのものよりも、waveの決着に直結するような動きが重要になった。
・ルシオ
頭書の通りぶつかり合う時間が短くなる傾向にあるため、短時間のぶつかり合いに強いルシオは理屈でいえばアリ。
だが現実にはヒットスキャンの復権によって遠距離の差し合いを多く含むため、近距離で真価を発揮するキャラは仕事がしづらい。
・ブリギッテ
ルシオとほぼ同様の印象。
ぶつかり時間の減少は自己ヒール力の低い鰤にとっては僥倖で、きちんとぶつかり合えるならかなりの威力を発揮する、はず。
しかしフランカーキャラよりも遠距離キャラのほうが力を発揮する環境になりそうなので、相変わらずいらない子になる予感。
・マーシー
これも頭書の通りヒールよりもサポートをする必要があり、効果的にダメブをつなぐことが重要となる。
状況判断が下手なプレイヤーが選ぶとかなり足をひっぱるキャラになった。
・バティスト
ヒットスキャンが復権したということは、こいつが火力を出しやすい環境になったということ。
かなりのヒール量を出しながら火力も出せるので、位置取りと状況判断を的確に行えば敵をせん滅できるはず。
また相変わらず芋がつよく、Ultなしでwaveを取るための切り札の一つ。
・モイラ
ナーフによる回復量の低下そのものよりも、圧倒的なUlt回転率の低下が深刻。
みんながみんな火力を出して瞬殺している中で、低下した回復力と乏しい火力では満足にサポートできなくなってしまった。
しかし雑エイムは相変わらず強くて、ゲンジやトレーサーがブイブイ言わせてる状態なら出してあげると十分な仕事ができるはず。
・アナ
Ultなしでwaveを取ろうと思ったとき、やはり最初に思い浮かぶと言っても過言ではない。阻害瓶。
盾のない時間も増えたため、阻害瓶もダーツも通りやすくかなり猛威を振るうと思われる。
しかしナイス阻害瓶に味方が呼応してくれない場合はおそらく仕事がないので、さっさと変えた方がいいだろう。
・ゼニ
細やかにヒールするよりもさっさと制圧したいので、waveを早く終わらせるならやはり火力が正義。
当たり時間が短くヒール量が伸び悩みやすい中で、つけてれば自動でヒールしてくれる調和も活きやすいと思われる。
たぶん私はゼニでブイブイ言わせる感じでやってると思う。
それでは。
私の思考はネトウヨ寄りだ。天皇陛下を敬っているし、安倍政権すら他に任せれる所無いから理論で肯定的に見ている部分が多い。
さすがにネトウヨ煽り系まとめサイトのコメントとかには嫌悪感があるが、基本日本大好きな右寄りである。
なのにこのネトウヨでない人にも響いているっぽい天候ネタに自分でも不思議なくらい拒否感がある。
なんでだろうって考えたら、私は自然現象が大好きだったんだなと気づいた。
自然現象の偶然を、人が引き起こした奇跡であるかのように語られるのにエセ科学を聞かされたような嫌悪感があったのだ。
私の仕事は自然を壊す仕事の一端を担うタイプのものだ。だからこそ自然のどうしようのなさや理不尽さも知っているつもりだ。
そんな私が自然が自然であることを否定する色を持つ言説に強烈な嫌悪感を持つほどにそれを敬っていたんだと気づけたのは僥倖だったように思う。
親譲りの無鉄砲で、子供の頃からプログラミングばかりしている。
していたのだが、大学でいろいろと紆余曲折があって結局、プログラミングとかITとは真逆の伝統的業界に入った。
今の仕事の内容は古いけどかなり特殊な分野で専門的知識を獲得していく楽しさはある。
そして僥倖だったのが、ほとんどコンピュータの入り込んでない分野なので、手付かずの大自然というか、本当に些細な業務上の単純作業でのことなんだけどいままでやったプログラミングが活かせたりするときもある。
こういう楽しさもあるんだなと思った。
でも一方で、ネットとかで本職の人が新しいサービス立ち上げたり情熱燃やしていると本当に羨ましくなる。
触発されて日曜大工的に単純なウェブサービス作ってherokuで運用してみたりする。
中学受験をやらされて校風の合わない厳しめな中高一貫進学校に打ち込まれた私は自分で決めて中退しましたけどね。
でも研究者を目指したかったのは変わらなかったから、ちゃんと自分で独学で努力して旧帝大工学部で博士まで出て、不安定だけどポスドクで頑張っとるよ。
あの増田は、己の人生において何が自らの命を規定する価値なのか、よくわかってないんじゃないかなあ。
医学部に行けるなんてさぞかし賢そうだし、普通に物性物理とかやればよかったのに。実験系でも医学部ほどキツくはないでしょ周り見ても週何回も徹夜してるわけでもないし。
それとも、高給と医者としての名誉は手放したくないのに気に入らない働き方は拒否したいだけなんかな。ガキならまあしかたないけど。
何のために生まれてきたのかもわからない人間を受験マシーンなんかに仕立て上げてしまうと、ああいうアンバランスな人間が出来上がるみたいでよくないね。
まあでも、こちらみたいに被爆3世ながら思うところがあって原子力系の学科に進むもいきなり東北で原発が爆発したり、とかそういう生まれや自然災害やら訳わからん不可抗力でいろいろ捻じ曲げられてるじゃないでしょ、自分で状況を変えられるだけの僥倖は手にしてるじゃん。
それでも医学部は絶対に辞めたくない、でも医者の働き方をやるのもやだ、さあこのような人間に世間はどれほどの生温い視線を注いでくれますかね。
どんな社会派気取りで世間にご高説垂れたところで、にじみでる吝嗇を取繕うような態度はただ己が怯懦を直視したくない弱さの現れにしか見えないなあ。まあそういう卑怯者のつぶやきでも匿名でタレ流せるのが増田の魅力だけど。
https://togetter.com/li/1369547
http://toianna.hatenablog.com/entry/2019/06/25/205348
この辺読んでいて、そういえば自分はツイフェミだった時期があったなと思い反省文を。
自分がフェミニズムに興味を持ったきっかけというか要因は、人権問題に関心のあるリベラルな学生だったからだろう。私は当時ネット上で左派的な言説の多くを観測しており、その流れでフェミニストたちのアカウントをフォローするようになっていった。
彼らは現代においてなお残っている実に多くの女性差別を暴き、実に多くの不正義を告発している、ように見えた。彼らの主張はおおむね正しいように見えたし、差別によって苦しみ、不利益を被っている女性がいるのなら、この状況は是正されなければならないと思った。また自身(男性である)が無意識に女性差別的な行動を取ってしまっていないか、という点にも大いに過敏になった。
身近に思いっきりセクハラの被害に遭っている女性がいたので尚更こういう話題に関心が出たのかもしれない。フェミニストたちの行動の裡に潜む暗い衝動の存在に私が気付くのは、ずっと先のことである。
といっても、私もフェミニズムに首までどっぷりとは行かなかった。あの界隈には単に男性嫌悪を拗らせただけと見える人も多くいたし、彼らのいくつかの主張(例えば「権力勾配」「まなざし」など)については本当に正しいのか確信が持てなかったので判断を保留していた。
とはいえ、各論においてはともかく、総論においては同意していたのは事実だ。
で、私がフェミニズムという運動そのものに疑問を持ったきっかけだが、それは例の「女だけの街」騒動だった。
あの騒ぎ自体はよくあるしょうもない炎上騒ぎなので、わざわざ論じる価値はない。ネット上でよくある異性叩きコンテンツのいち類型にすぎず、個別に論じる事自体が時間の無駄だと思っている。
ただあの炎上は私にとってひとつ大きな収穫があって、それはフェミニストたちのある姿勢が露わになったことだった。
事の経緯としては、最初にとある女性が書いた「女だけの街があったら夜道で怖い思いをしなくて済むのに」といったようなツイートが発端だったと理解している。これ自体はまあ、政治的に正しいかどうかはともかく、単なる愚痴にすぎないだろう。なのでこれ自体を正しいとか正しくないとか言うつもりはない。人間はたまには正しくない愚痴を吐きたくなるものである。
が、人権という原則に照らし合わせてこの発言が色々とまずいのも事実だ。ヒトラーだって同じことを言っていただろう。「アーリア民族だけの国があったら良いのに」と。「〇〇だけの街(国)」というアイデアは古今東西多くの虐殺を引き起こしてきたのだ。
それなのに、フェミニストたちはこれを「素朴な心情の吐露にすぎない」と擁護していた。
なるほど確かに「素朴な心情の吐露」ではあるかもしれない。だが「素朴な心情の吐露」なら何を言っても良いのだろうか?件の発言が「日本人だけの街」だとしても彼らは同じように擁護しただろうか?「女は男に比べて頭が悪い」と素朴に信じている人間が自身の考えを披露するのもOKだということになるのだろうか?そもそも、そういう「素朴さ」の裏に張り付いた偏見や認知の歪みを告発してきたのがフェミニストではなかっただろうか?
本当なら、フェミニストたちはこの発言を擁護するべきではなかったのだ。
繰り返すが、人間は時に政治的に正しくない愚痴を吐くものだ。だが炎上してひとつの論点として浮上してしまった以上、擁護するべきではなかった。せめて「気持ちは分かるけどその言い方はまずいよ」と諌めるくらいのことはするべきだった。
なのに彼らはそれをやらなかった。
その時の様子を見て私は愕然としたのを覚えている。単に男性嫌悪をこじらせた似非フェミニストばかりではない。ある程度誠実に、論理的にものを言っている(ように見えた)フェミニストたちも、揃って件の発言を擁護し、食ってかかる人間へ罵倒を浴びせていた。彼らはお定まりのお題目ーー男性社会の犠牲者ーーを大声で唱えた。私たちは被害者だ、奴らが悪いのだ、と。
なんということはない。彼らの行動原理は正義などではなく、結局のところつまらない党派性と暗い攻撃衝動にすぎなかったのだ。ニーチェの言うことろの奴隷道徳というやつだ。
彼らの言葉の底が見えた瞬間だった。
「日本人だけの街」がアウトで「女だけの街」がセーフだと主張するには、おそらく根拠として例の「権力勾配」という概念を持ってくるしかないだろう。
「権力勾配」の扱いは長らく自分のなかで答えが出せていない問題だった。例えば人種隔離政策が実施されていた時代のアメリカで、黒人が白人を殴ることと白人が黒人を殴ることを同列に扱うことはできない、なぜなら黒人は被差別階級だからだ、という主張は、必ずしも狂ったものだとは言えないだろう。
ただ、私としては最終的に、これは否であると判断するに至った。理由は大きく分けてふたつある。
第一に、この主張は結局のところ、「人権の内実はその個人の属性によって変化する」と主張しているに等しいことがある。
人権というのはつまるところ社会的フィクションにすぎないのだが、ここを切り崩すことを許してしまうのはどう考えても悪手だ。女性差別を問題にできるのも、つまるところ「万人が等しく人権を持つ(べきである)」という原則があるからだ。その原則がなければ、性別、民族、性的指向、政治志向、その他あらゆる属性によって、恣意的に個人の権利を制限することができるようになってしまう。これは到底受け入れいることができない。「権力勾配」という概念は人権という原則に照らし合わせて筋が悪いばかりか、フェミニズムが拠って立つ基盤を自分で切り崩していることにもなる。
女性差別の撤廃という正しい目的を達するために、正しくない手段を用いることは正当化できるだろうか。
これは難しいところだ。政治的な目的を達するため不正な手段を用いることが、一時的な戦略として必要であるという考えは理解できる。が、例えば共産主義革命という「正しい」目的を達するためにいかに多くの人が殺されてきたか、ということを考えると、やはり首を縦に振ることはできないだろう、という結論を暫定的にだが出すことになった。
例えばアファーマティブアクション(これは自分は否定的なのだが)なんかは、マクロな不均衡を是正するためにミクロな差別を導入する、という政策だろう。他にも、件の医大入試における女性差別問題なんかでも、一概に「差別だから悪だ」とは言い切れない事情があるのは理解できる。
社会というものは原則どおりには動いてはくれず、難しいものだなと常々思う。
ともかく、あれ以来、フェミニストたちの言説がどういうものだったのかが、なんとなく見えてきた。彼らのやり口はネット右翼よりは洗練されているかもしれないが、その本質においては何も変わるところがないことが分かってきた。
敵を作ることで味方を定義し、団結させる。それは人生に不満を抱えた人間たちを動員する効率の良い手段だ。日曜革命家が効率的に票田を獲得し、鉄砲玉を生産するための手段。こういうメソッドは社会に遍く見られるもので、今日もどこかで誰かが動員されているのだな、とネットで怒っている人を見るたびに思う。
今更気づいたのか、と言われれば返す言葉もないが、当時の私はちょっとばかり難しい本を読んだだけで社会については全く無知な学生だったのだ。ちょっと首を突っ込んだだけの段階でフェミニズムのおかしさに気づき、取り返しがつかなくなる前に抜け出せたのは僥倖だったのではないかとも思う。
昨今、TERF関連でまたフェミニズムが面白いことになっており、トランスジェンダーに対するフェミニストたちの態度を見ていて、あの時フェミニズムから離れた自分の判断が正しかったことを再確認している。そのことにはなんの喜びもないが、少なくとも自分がもう彼らの一員でないことは嬉しく思うし、あの集団的な狂気から一人でも多くが目覚めてくれれば良いと思う。
教訓があるとしたら、人々の情動を喚起して動員する手口を直に学べたことと、原理原則において一貫性を保つことの重要さだろうか。社会運動自体が不要だとは思わないが、少なくとも自分は、正義を叫ぶ人間の言葉を、以前よりずっと注意深く観察するようになった。それとリベラルが必ずしも味方だとは限らないということも学んだ。
ベッドから煎餅布団にクラスチェンジしたんだけど、床に直接寝てんのと大差ないくらい固い。起きると体バッキバキだし、痛くて寝た気がしない。
でも3ヶ月もしたら体が慣れて布団の固さは気にならなくなって、体バキバキもしなくなった。床でも寝られるようになった。ただ、寝た気がしないのだけずっと変わらない。寝汚いから寝れるは寝れるんだけど、半日寝ててもずっと眠いし、最近は寝不足由来のめまいも頻発するようになった(めまい怖いから病院行ったら寝不足って言われた。血液検査異常なし、三半規管異常なし)。確かに体は休めてないように思う。
寝ても寝ても寝た気がしない人の中にはこういう寝具環境の悪さとかもあるんじゃないだろうか。日本は食事に気を使って寝具気にしないけど、アメリカは逆に食事気にしなくて寝具に気を使ってるってどっかで聞いたし。
さておき、そんなわけで寝具を変えたいんだけど、床で寝れる体になったから展示されてるベッドに寝転がっただけじゃ寝心地が分からなくなった。寝具盲。あと腰痛持ちだから柔らかすぎるのもダメで、最低1晩は寝ないと体に合うのかどうか分からない。柔らすぎがダメだって体感できる機会を得たのは僥倖だった。だからまぁ1日〜数日レベルでお試ししたいんだけど、寝具ってお試しのハードルが高い。お試しできるメーカーも限られてるし、エアウィーヴのためにホテル泊まると結構なお金がかかる。そもそもそんな高いメーカーのベッドマットじゃなくていいんだけど、メーカー名が分かる状態で寝に行けるのがエアウィーヴくらいしか見つけられない。
とにかくぐっすり寝たい。起きた時に「あー、よく寝た」って感覚が欲しい。みんなどうやっていい寝具選んでんの?
新人期間が終わればどこかに配属になってもう顔を合わせることなどほとんどないだろう。
考えただけで辛すぎる。
分かっている。
みなまで言わないで。
そんなことは分かっているさ。
しかし諦めがつかない。
一度、ご飯でも食べようとラインを送りかけ、送信ボタンに指を置きかけたまま、気が付いたら40分も経っていた。
もちろん送らなかった。
今では送らなくてよかったと心底思っている。
もし送っていたら、もっと悩んでいただろう。
こんなことは友人にも相談できない。
気でも触れたかと思われるのが落ちだ。
分かっている。
20という年の差は、気でも狂ったかと思われても仕方がない年月だ。
悲しく空しい。
なぜ今になって恋などしてしまったのだろうか。
週末に一人で膝を抱え、泣きたいほど落ち込んでいる。
あんなに嫌だった仕事が、長時間労働が、安月給が、今ではすべてなんとも思わなくなっている。
これが終わったら、もう二度と恋などしないだろう。
もしかしたらあの笑顔には、あの仕草には、あの言葉には、なにか特別な意味が含まれていたのではないか。
なにかあるとすぐに寄って来るあの子に、好意の感情はなかったのだろうか。
贅沢はいわない。
定期的に会う関係だけでいい。
そんな日常を、私に与えて欲しい。
ああ、辛い。
誰かのために書くとか、評価欲しいから書くとかが間違いなのかは個人の判断に任せるけど、わたしは続けてると苦しくなる。
けど、書いたら何らか反応欲しくない?って思うんだけど。
いや別に好き!とかすごい!とかなんかそういうのじゃなくても全然いい。既読がわりのふぁぼでもいい。感想ももらえたら嬉しいけど、なんか、おっ書いたん?ええやん程度でいい。
って思うの強欲なんだろうか?
でも創作じゃなくても自分の行動に見返り求めることって多々あると思う。自分がした行動の見返りを、意識的にか無意識的に求めてるかの差異はあれど、少なからず誰しも求めてると思う。
創作者として底辺にいるわたしなんかはもう読んでもらえるだけで僥倖。