はてなキーワード: カーテンとは
http://anond.hatelabo.jp/20150317224216
元増田における注意点も、すべては金次第。身も蓋もないが。
関東の場合、校庭がコンクリ敷意外の場合、砂埃が室内の汚れを増す。関東ローム層怖い。
きれい好きとか神経質ならコインランドリー使用はあり得ない。
犬用マットとか家の洗濯機で洗いたくないもの洗ってやついるぞ。
洗濯機買っておけよ。もちろん洗濯機を室内における物件を探せ。
元増田のとおり。
なおシャワーヘッドは自分で低水圧用に交換すると水の勢いが良くなる。
過去の賃貸居室の照明器具設置率は50%程度。事前に有無を確認してなければ手配しておく。
どうせ万年床、ならばこそベッド。どうせなら布団乾燥機も買っておけ。
クイックルワイパーとコロコロでは足りない。掃除機とウェーブは必須。
酒、酒を飲むグラス、調味料、2リットルのペットボトルを冷やすのに必須。
酒なんてコンビニで買ってきてすぐ飲むだと?2本目3本目を冷やしておくのに冷蔵庫は必須。
ジャケットなど、とりあえず服をかけておく場所がないことが多い。ハンガーがあってもそれをかけておくフックや鴨居がないとか。
そのためにカーテンレールが大活躍してるがこれはかっこう悪い。
棚の上の埃よ、お前はどこから湧いてくるのだ。ダスキンとかウェーブが売られている訳だ。
100円ショップ商品は一部を除いてその場しのぎでしかない。形は同じでも中身まで同じとは限らない。
思わずカーテンレールを確かめに行った。遮光遮熱カーテンだから元々重いからなおさら。
実は天井と床の間につける突っ張り棒は買ってありそちらはいろいろぶら下がって満杯状態なんだ。
整理整頓できないのを、ハンガーかける場所がないせいにしてしまった。
こまめちゃんいいね。スティック型の掃除機あるけどうるさくて週1くらいしか使ってない。
ただ畳の部屋はクイックルワイパーだと難しいのでね。
年を取るとしゃがんで床を雑巾で拭く動作がつらくなるというのもある。
地域によって治安の違いがあるのは間違いない。ただそれを「○○の治安はどうですか」と掲示板で聞いてくるやつなんなの?
そんな漠然とした質問に対してどんな答えが返ってきたら満足なのか。
そう聞いてくるやつに限って自分が今住んでる場所の治安を的確に伝えられない。まずお前が今どこに住んでるか明かせよ。
そんじゃ会社に行く支度するか。
・m9(^Д^)
・30A単位でー>10A
□目の前が小学校
□目の前が線路
そうでもないよ
□駅から○分
□治安
( `ェ´)ピャー (`ェ´ )ピャー ←やんちゃな若者たち
((( (;゚Д゚)ガクガクブルブル
夜中に出歩ける街がいいよね
両方あれば最高、なければコンビニだけでも。
□近くにコインランドリー
あれば洗濯機を買わなくて済む?(後述)
□川の近く
まぁあまり気にしない。
どぶ川の近くは蚊が多いです(ノ∀`)
□海の近く
気をつけてください。錆びます。特に自転車や自動車はすごい勢いで錆びます。
□山の近く
奇妙奇天烈な虫が出ます (;´∀`)ザトウムシトカムカデトカ…
苦手な人は本当にやめたほうがいいです。
□目の前が中学校
部活がうるさい
あと考えてみたら大学の前もやばそう
□目の前が大きな通り
車がうるry)
□目の前がガソリンスタンド
うるry)
□床(フローリング、畳、じゅうたん)
本物のフローリングはキャスター椅子で簡単に傷んでしまうので保護マットが必要。
偽物(フローリングの絵が書いてあるマット)はどうでもいい。
畳はすぐに日焼けする。長く使っていると畳ごとに色が違うことはザラ。
じゅうたんの部屋は・・・すいませんわかりません
□壁
前の住人がヤニカスかを確認して、なるべく張り替えてもらえるように
不動産屋にお願いしよう。
30Aが標準で10A単位で上げていける。
電気系の暖房器具+電子レンジ+炊飯器ぐらいで落ちるので、特に気にしないでもいいと思われ。
□窓とカーテン
□エアコン
ちなみに北海道はエアコン付きの物件はほとんどありませんので、「暑さ」に弱い方は
ご注意を!
北海道だとエアコンがない代わりに灯油ストーブが備え付けられている場合がある。
逆に無いと灯油ファンヒーターを買ってきて、灯油配達も自分で頼まないと行けない。
□築○年
10年、20年程度でも全然住める。我慢できるかは下見で要確認。
□アンテナ
テレビがすきな人はBS、特にCSが映るか不動産屋によく確認のこと。
一緒になっているのは湯に浸かるようにはできていない。シャワーのみ。
他にも掃除が楽だというのがある。
□照明
壁スイッチがちゃんと照明の数分あるかどうかチェックする
冬は玄関から入ってくる風がさむい。ドアが一枚あるとかなり和らぐ。
コンロを自分で用意する物件もある。だが急いで買う必要はない。
ガスは開始時にガス屋が来るのでその時に詳しく聞いて、どのタイプのコンロを
買えば良いか聞こう。
□部屋の位置①
これ忘れてましたわ。角部屋だと日当たりはいいですが、寒いです。
ただ夏は窓を開けると風が抜けていって涼しいですよ。逆に窓が一枚しか無いと…あつい
□部屋の位置②
<<<へ(へ´∀`)へ カサカサ
□ゴミ
夜出せる所いいよ
□カーテン
プライバシー超重要。下見で見た大きさのものを選ぶこと。幅はぎりぎりのものを買うよりも
ちょっと余裕があるほうがいい。また丈は200cm以上は量販店では扱っていないことがある。
不動産屋が連絡先を教えてくれるので、そこに「何日から開始したいのですが・・・」と電話する。
電気はブレーカーを上げるだけ、水道は元栓を開くだけで開始できるが、ガスのみガス屋が部屋ま
で来てチェックをしてから開通となる。ガスが無いとお湯が出ないので、引越し日か次の日を指定
したい。
□ネット解約、開通
3月にNTTに電話してもびっくりするほど繋がらない。解約には根気が必要。
開通も一ヶ月ほどかかる。引っ越ししてすぐに使いたい場合は、モバイルも視野に。
ただしモバイルは場所と機器で受信感度が全然違うのと、制限なしと歌っていても3日で
3GBまでと誇大広告しているところもあるので注意!
□転出届
これをやらないと住所変更ができず、住民票が手に入らない。
住所を証明できるものがないと近所のレンタルビデオ店や漫画喫茶などの会員証が発行されない。
□照明(ない場合)
Amazonで5000円ぐらいで安く揃う。
□クイックルワイパー(フローリングのみ)、床をコロコロする奴(畳、じゅうたん)
掃除機なんていらなかったんや。
□コップ
家から持ってくる
( ˘ω˘)スヤァ
どうも床に座って作業していると人間は怠けるようで、集中して作業するにはこれが必要になる。
中古のオフィス家具などで揃う。フローリングの人は保護マットも用意のこと。
自在に動かせる金属製のものを。プラスチック製のものを持っていたが、ポキっと折れてそのままゴミになってしまった。
またLよりもTのものはおすすめしたい。Lだと思ったようにうごかせないことがある。
またスイッチは機械スイッチのものを。静電スイッチのものは経年劣化で反応しなくなるのでおすすめしない。
□洗濯機
近くにコインランドリーがあればいらない?
なければ購入しか無い。
□ゴミ箱
□スリッパ
フローリングは冷たいのであったほうが良い。100円ショップで揃う
□ハンガー
プラスチック製だとへたる。
100円ショップで揃う。
□サニタリー用品
初日は汚いままでいるのならなくてもいい。
あったほうがいいと思うが、すぐ買う必要はないと思われ。
□ベッド
反論:
カビて床を腐らす恐れあり。すのこ買うといいよ
買え!疲れのとれ方がぜんぜん違うぞ
□固定電話
携帯電話で十分
□洗濯機
反論:
出歩くのめんどくない?
みんなで使ってるし汚いぞ
自炊しないならいらない。
□掃除機
反論:
粒が粗いと取れない塵もあるよ
□テレビ
PC+PT3で見れる。
反論:
□冷蔵庫
自炊しないならいらない。
反論:
何言ってんねん。冷たい飲み物いるやろヽ(`Д´)ノ
アイス食べないの?
ビールマズー( ´д`)
いつものように上野から有楽町まで京浜東北線で移動したのだが、先週までの感覚からすると、"ガラガラ"で笑ってしまう。この場合のガラガラとは、スマホで遊ぶスペースがあるということだ。
上野駅で乗り換え電車の待ち行列に並ぶ時の、並んでから最初に来た電車にはまず乗れないことを加味して時間が読めない山の手線と若干遅い京浜東北線とどっちの列に並べばいいかと一瞬で選択しなくてはいけないという軽い緊張感。共感を呼ぶことはもうないし、これから味わうことも二度とできないのだなと思う。並走する二つの路線があってなお、あんなに混む路線は関東には現れないだろうから。二度と体験したくないけど。
上野乗り換えといういつも通りの路線に3分遅く乗って2分早く出社した。これは私の体験では珍しいことだ。いつもなら、朝のちょうど良い時間に来るちょうど良い電車が3分遅れるか、3分早く来ることでスイートスポットをわざと外されたような苛々に二週間は悩むのに。朝、眠い頭を振り払って半刻を身支度にかけることを思えば誤差なのだろうけど、朝はそれが結構きつい。
ダイヤ改正後、個人的に一番悲しい思いをしたのは会社帰りに北斗七星が見れなくなった時だと思う。もう永遠に見ることはないのだけど、そっちではなくて、その少し前にあったダイヤ改正だ。
池袋から湘南新宿ラインに乗って大宮駅で降りて待つこと少し、最寄り電車の一個前にホームに入ってくる北斗七星をぼんやりと眺めるたびに、新人で何一つ分からないまま掻き回されるだけの仕事で疲れた心が、癒えるのを感じた。お父さんの構えるカメラに子供が笑いながら手を振る姿だったり、カーテンを開けたままの客車から老夫婦が楽しげに会話を交わすのを見たりするたびに、未だに行ったことのない北海道をよく想った。
最寄り駅の時刻ダイヤを1日の始まりとする日常はこれからも続くのだろう。時刻表みたいに、数年に一回でいいから変わった時間を過ごしてみたい。人身事故や雪といった急変にも落ち着いている自分がいて、墓参りの日と思い出す日が少し増えたまま、大枠は何も変えられないのがつらい。
大宮で座れたら、一度寝過ごしてみようか。ネタで寝過ごして伊東まで行きましたと正直に上司に伝えたらどうだろう。戻ってこいか、そのまま寝てろ、か。想像してみると、思ったよりユーモアは得られなさそうだった。
世界で一番乗降者数が多いらしい新宿駅。の、とある私鉄のホームの片隅の出来事である。
私が数年離れた小田急も、再び利用し始めて一年が経とうとしていた。
戻ってから実感させられたが、やはり私は物心付いた頃に生活の一部になっていた小田急に、愛着がある。
とはいえ、私はまだまだ若輩者である上、いわゆる「鉄道ファン」を名乗るには知識も足りないと自覚している。
自分が育つとともに小田急は、いろいろな思い出を私に与えてくれた。
一般的な子供と比べて、数多く電車に乗る機会があったこともその一因だろう。
自分の習い事も、父の仕事に相伴する際も、小田急に乗った。そして小田急に乗る度、1両目の一番前に齧り付いた。
そういえば、当時は運転士が前面のカーテンを降ろす理由が分からず、「そんなに子供に意地悪をしたいのか」と捻くれたこともあったと思う。
今となってはその意味を理解してしまい、ただただ当時の自分の未熟さを恥じるばかりである。
今から15年ほど前だったと思う。
疲れた父を引き連れて、当時自宅のあった小田急相模原駅まで各停で帰ろうとワガママを言った。
東北沢駅がまだ地下化はおろか改修すらもされず、2面2線(+通過線2線)だった頃。
通過待ちで止まっていた各停の中でも、ただただ前面で往く電車、来る電車を観察していた。
そんな私に運転士から声がかかる。「電車、好き?」といった感じのことだっただろう。運転士は、私と会話をしてくれた。
詳しい内容までは覚えていないが、子供だった私の心が非常に躍ったことを今でも忘れないほど、大切な思い出だ。
また、当時住んでいた小田急相模原駅は、各停と準急のみが停車する駅である。(※後に「区間準急」が新設され、停車駅に。)
それだけで、数の少ない準急がなんとなく特別な感じがして好きだった記憶がある。
(後に海外に旅立つ日、初電の「各停相模大野 相模大野から急行新宿行」なんてものに乗った時は、自分は非常に特別なものを味わっているような気がして、乗る前からワクワクしていた)
だからだろうか、後に夕方に新宿から一人で帰る機会が増えた時、あえて準急を待って帰ることが非常に多かった。
徐々に大人になっていき、前面への齧り付きもやめたが、それでも準急に乗って端の席で寝て帰り、たまに本厚木まで運ばれたりしていた。
そんなことをしていたから、新宿18:45という時間は私にとって非常に特別なものだったのだ。
感慨に耽ってしまって、まるで本題に移れない。そろそろ移ろうか。
友人と新宿で21時に約束をしていた私は、先の用事を早々に済ませてしまい、18時頃に新宿駅に到着することになる。
その時、電光掲示板にふと「準急」の文字を目にした。18時13分には、新宿駅4番ホームから町田行きの準急が出発する旨が記されている。
そして、3月ほど前から話題となっていた「夕方準急の急行への変更」のトピックも、ふと思い出す。
― 期せずして、"別れを告げる"機会を得たのではないか
そう思わずにいられなかった。
手持ちで写真を撮れるものはiPhone5Sのみという状態だったが、とにかく私は別れを告げることを決意した。
まず、18:13発の町田行きを数枚撮った。
しかし、既にこの時点でホームには数人、写真を撮る人が構えていた。
18:14、定刻より少々遅れて電車は出発していった。
このとき、15時頃に鶴巻温泉駅-東海大学前駅間で発生した人身事故の影響で、ロマンスカーの運休及び僅かな遅れを持った状態で、こんな日を迎えたことを再認識。
小田急新宿駅の18時台といえばロマンスカーも席が全て埋まるような時間であり、ロマンスカーが運休となってしまうと急行ホームには人が溢れ返る。
普段と変わらぬ日常を過ごしている人たちにとってみれば「災難な日」なのかもしれないな、などど心の隅で思った。
町田行きの準急が帰途に就くと、5段ある電光掲示板の一番下に、目当ての列車が現れる。
これを見た瞬間、私はなんとも言えない気持ちに包まれた。
ただ必死に、1本電車を見送る度に上がってゆく電光掲示板を見つめ、また写真を撮った。
そういえば、昔は向ヶ丘遊園での退避なんかなかったなとも思った。後続の快速急行からは新百合ヶ丘まで逃げ切っていたはずだ。
当然、向ヶ丘遊園で抜かさなかった時代の快速急行はノロノロ運転必至だっただろう。
効率を考えて、後にダイヤが改正されたのも当たり前の話であるのだが、なんとなく悔しいと思ったことがあった気がする。好きだった「準急」の自宅までの所要時間が、伸びてしまうのだから。
いくら好きと言っても早く帰りたいと思う気持ちは無いわけではなかった。
結局のところ、末期には向ヶ丘遊園・新百合ヶ丘・町田・海老名と、終点までに後続4本もの急行に抜かされるものとなる。
始発新宿を18:45に出て、相模大野まで60分、終点本厚木までは80分もの時間をかけて辿り着く。
これらの駅への最速達列車との比較をすると、およそ2倍ほどの時間をかけていることになる。
時の流れは案外早いもので、少し待つと本厚木行きの準急は5番ホームに到着した。
到着前、他の列車よりは少ないながらも、この電車に乗るために並んでいた大勢の人を見て、なんとなく嬉しくなった。
この頃、「撮り鉄」と呼ばれる人たちもたくさん見受けられた。
明日は、十数キロ東に行けば、南北を結ぶ大革命が起こる。そんな日。
それでもここ、小田急新宿駅に足を運び、この「準急 本厚木」を撮るたくさんの人を見た。
そんな人々は、小田急にどんな想いを抱いているだろう。問いたかったかもしれない。
18:45の準急が到着した時、私は新宿駅ホームの西口地上改札側にいたが、少々人が多かったので南新宿側に移動することにした。
しきりに写真を撮る私を横目に、運転士の一人が別の一人に「なんですかこれ?」みたいなことを訊いていたようだ。
ベテランと見受けられる運転士は「今日準急本厚木最終日だから」と言っていた。
列車を撮ることに関して、運転士を始めとした鉄道会社の方たちも、快く思う人ばかりではないだろう。
しかし、少なくとも今日、撮影する行為を止められることがなかったことに関して、本当に感謝したい。
そんなことを思いつつビデオを構えた。
程なくして、耳慣れていながら、二度と聴けないであろう、放送が流れる。
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「準急本厚木行き、発車いたします。向ヶ丘遊園で快速急行の通過待ちを致します。」
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「Plllll.....5番ホームから 準急 本厚木行きが 発車いたします」
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たくさんの人を乗せて、本厚木へ向かっていった。
私は見送った。ありがとう。
そして、さようなら。
統合失調症。ありもしない幻覚や幻聴に悩まされる精神の病気。認知の歪みから被害妄想に陥ることもある……
読んでいた本を机に投げ出し、俺はソファに横になった。アパートを兼ねた賃貸事務所だ。自殺未遂をしたアパートは追い出された。無事に退院した俺は、膨らんだ借金を返すべく新しい事業を始めたのだ。
自殺未遂から生還してから、俺の目にはそれまで見えなかった物が見えるようになった。『人と人の間の関係』が見えるようになったのだ。なぜかは分からない。ただの幻覚かもしれない。なんと言ってもうつ病持ちだったのだ。他の病気になっても不思議ではない。
人間の脳の神秘って奴かもしれない。自殺に使った洗剤からたまたま特殊な化学物質が発生して、その影響で眠っていた能力が目覚めたのかも。あるいは、酸欠によって脳の一部が死ぬことで、今までと違う脳の回路が活動を始めたのかもしれない。事故をきっかけに画家や音楽家になった事例もある。
いずれにせよ、俺は超自然的な能力を手に入れた。窓から通りを歩く人々を眺める。人間は社会的な生き物だ。様々な人が様々な人と『繋がり』を持って生きている。今の俺には、それが見える。
『繋がり』は実に多種多様な見た目をしている。あの看護婦と医者の間は運命の赤い糸で繋がっていた。同じ恋人同士と思しき男女でも、もっとぼんやりした、細く白い糸で繋がった仲もある。『繋がり』は二人の関係を象徴した見た目をしているらしい。燃え盛る炎や、逆に黒光りする重々しい鎖で繋がった仲もある。
通りを若い夫婦と幼稚園ぐらいの子供の親子連れが歩いている。全員が淡く光る、クリーム色の光のリボンで全身が包まれている。概ね、良い関係は明るい色をしている。
スーツ姿のサラリーマンが二人歩いている。先輩と後輩のようだ。先輩から後輩には、蜘蛛の糸のような細くもやもやした線が伸び、後輩の全身をふんわりと包んでいる。後輩から先輩へは汚水を滴らせるヘドロが伸びている。人間関係は非対称だ。一方が特別に悪い感情を持っていなくても、逆もそうとは限らない。
髪の毛のような細い関係を四方八方に伸ばす若いOL、胴体に太いロープを一本だけ結びつけた中年男性。本当に人それぞれだ。人とどのような関係を築くかこそ、生き方そのものなのだ。
その時、事務所の呼び鈴が鳴った。客だ。慌てて机の上の読みさしの本を椅子の下に放る。カーテンを閉めて部屋を薄暗くした上で、俺はもったいぶった雰囲気を作って言った。
「お入りなさい」
「こんにちは~」
「ここがねぇ」
「ほんとに当たるのかよ」
「ほんとだって! キョーコもここで占ってもらったって!」
「悩める子羊達よ、プリンス佐々木の占いの館にようこそ。あなたの恋の行方を占ってしんぜよう」
俺はこの能力を生かして占い屋を始めた。恋愛占い專門だ。お互いに気があるかどうかなんて、見れば分かるのだからチョロい商売だ。リーダー格らしき女子が言った。
「私達の恋愛がどれくらい続くか占ってください! まずは……」
すかさず手を上げ、続く言葉を制止する。
男女が二人づつで六人だ。当然カップル三組で来たということだ。強く想い合っているカップルは、今の俺には一目で分かる。それを言い当てることで、『ホンモノ』という評判を立てるのだ。噂が噂を呼び、俺の占い屋は連日長蛇の列ができることだろう。さあ、年端も行かぬ中学生どもめ。超自然的な体験をさせてやるぜ!
「お名前を聞かせてもらって、よろしいですか?」
「田中です」
「ニシーって呼ばれてます」
「トモっでーす」
「鈴木元一郎です」
「ササで」
めいめい名乗る中学生達。友情は空色のリボンだ。太さはまちまちで、所々ピンと張り詰めていたり、余裕があったりするが全員が中学生らしい爽やかな友情で結ばれている。とても健康的だ。
俺は友情とは違う、もっとねちっこく強い繋がりを持つ男女を見つけていった。計三本。実に素直だ。分かりやすい。
「田中さんとニシー君、佐藤さんと鈴木君、トモさんとササ君が恋人同士ですね。どのカップルもお互いがお互いを強く想っています。他の誰よりも特別に思っていますよ。恋愛は長続きするでしょう」
リーダー格のポニーテールがチャーミングな田中さん、クールビューティっぽい佐藤さん、お調子者っぽいトモさん。野郎どもは、どうでもいいけどだいたいイケメンだ。中学生だと言うのに、みんな実にかわいい。こんなかわいい彼女がいるのが羨ましい。
しかし、何か様子がおかしい。六人の男女は全員、時が止まったかのように黙りこくっている。俺の言った事が信じられないといった顔だ。
「どういうことよ……」
次の瞬間、もの凄い事が起きた。六人の間にあったパーティの飾り付けみたいな華やかなリボンが、一瞬でバラバラにちぎれ飛んだ。残ったのはどろどろの愛憎。
「ニシー、私とは付き合えないって言ったよね!?」
「そっ、それは、ササがお前のこと好きだと思ってたから……」
「は? 俺がいつそんな事言ったよ?」
「ササっち! ちゃんと言ってくれたら、私、ゲンなんかと!」
「ゲンなんか? なんか? 鈴木君のことを悪く言わないでくれる?」
「はあー!? お前が一番……っ! 俺のこと振ったじゃねぇかよ!」
激しく罵り合う中学生達。一言ごとに六人の間の関係は波うち、尖り、断裂し、何か濁った関係が新たに生まれるのを繰り返し──
「…………」
重苦しい沈黙があたりを支配する頃には、彼らの関係はウニのような針でお互いを刺しあう物に変わっていた。これは、もしかして、とんでもない事をしてしまったのでは……?
「あ、あの~」
全員の視線が俺に向く。
「はぁ?」
ギンギンに睨みをきかせてくる田中さん。
「払うわけないでしょ! ふざけてんの!?」
彼女は事務所の戸を乱暴に開けて、外に出た。無言で牽制しあいながら、それに続く残りの五人。
「あっれー。おっかしいなぁ」
占いなんてチョロい商売だったはずなのに。何がまずかったんだろう?
* * *
22歳の大学4年生、4月から新入社員として社会に出る増田だが、未だかつてないほど死にたい気持ちでいっぱいだ。
就職先は希望の業界で希望の職種。忙しいけどやりがいのありそうな場所だ。内定式でみた社員たちはワイワイと楽しそうにしていて、活気のある会社みたいだった。
でも死にたい。未だかつてないほど。
なんで死にたいかというと、有り体にいうともう頑張りたくないからだ。
自分でいうのもなんだが、自分は大学卒業までだいぶ頑張った。ちゃんといい子でいたし、勉強も運動も趣味も充実させ、好きなことでそれなりの賞をとったりした。
でも最近思う。
もういいんじゃないか。
俺、22年よくやってきたよ。
もうこれ以上頑張る必要なんかないのかもな、と。
死にたいと思うこと自体は今回が初めてではなく、中学生の時から常にあった。
いじめられていた時はカーテンを留める布で首を吊ろうとしたし(勇気が足りなくて死ねなかった)、高校時代は何度か電車に飛び込もうとした。(これも勇気が足りなくて(略))。カウンセラーに「死にたいと思ったことは?」と聞かれた時「割と常にですが、みんなそんなもんじゃないんですか」と返して苦笑いされたこともあった。
親に理不尽なこと連続で言われ続けた時、ブチ切れてしまって、何を言われても「ああああ!!」と泣き叫ぶしかできず、軽いパニックみたいになった。
いわゆる癇癪ってやつだな。
この癇癪がきっかけで1週間に3回くらい泣くようになってしまった。元は全然泣かない人間だったのに。
親への癇癪はそれから何回かあった。でもそのうち、こちらが泣き叫ぶことが増えたせいで親は当たり障りの無い対応をしてくるようになったからだいぶましになった。ただ今も、すごく些細なきっかけで泣いたりする。
あと、道中で突然喚き立てたくなったし、歩くのが遅い女に「おせーよブス!」って当たりたくなるようになった。
これもいままでなかったからそういうこと考えるようになった自分にかなりビビってる。
あとは、音に敏感になったり、自律神経失調症っぽくなったりしてるな。
病院に行くべきなのかもしれないんだろうけれど、実はそれも難しい。
ちょっとこみいってるのだが、家族の一人が元鬱病患者で、親はそうさせてしまったことにかなり負い目を感じている。これ以上精神病者が増えたらまとめて発狂コースだろう。
めちゃくちゃな文章になってしまった、こんなものを載せてスペースと時間を奪ってしまってなんだか申し訳ない。やはり当たり前のことが少しずつできなくなってきているのかもしれないな。
前日の夜、雪が降った。窓の外にチラつく雪を確認してから目を閉じたから間違いはないはずだ。おそらく今日はアスファルトの色は反転し、いつもと違う道路に足跡を付けるんだ。ワクワクしながらカーテンを捲る。予想通りだ。実に2年ぶりだった。
いつもより早く起きた。今日は特に予定もなく、いつもどおりの休日だった。朝食にも精が出る。キャベツときゅうりを切って食パンで挟む。窓の外の雪を見ながら食べた。犬はゲージから出てこない。今日の寒さは一段だ。しかし寒さは全く気にならなかった。折角だから散歩に出よう。黒のセーターの上にコートを羽織り、マフラーを巻いて外に出た。皮膚をチクチク刺す棘のような氷点下だ。目がくらんだのはその寒さと陽光を反射する白色だった。四角に区切られた白は、視界全体に幌がった。その瞬間の思考は一切が途切れ、集中と集中の無さは境界がなくなった。面白くて笑ってしまった。初めてではないはずの積もった雪がまるで初めて見た海のようだった。天国では雪の話をしようと思った。これからこの雪におろしたブーツで踏み潰すのだ。
と思ったが何かが妙だ。一歩目は自分だと思っていた雪のクッションには既に先客がいたようだ。足跡が目の前に広がっている。しまった。自分はこの足跡を辿るしか無いようだ。この足跡、見覚えはないが知ってる足跡だ、と思った。ふととその足跡に自分の足を合わせてみる。やっぱり、ピッタリだった。今日、靴箱から出したはずのクラークスのブーツの足型がそこにあった。紛れも無く自分の足跡だと思った。試しに一歩横に足を踏み出してみた。雪を踏む感触と共に26.0の足跡が刻まれた。やっぱり同じだ。アパートの住人に同じ靴を持っている人がいるのだろうか。大した問題ではない。だって、今日は雪道を歩くのだ。でも、何故か頭がスッキリしない。どうして目の前に足跡があるのだろう。この未知を歩くのは自分のはずだったのに。いつもの道がいつもの道でなくなった、はずだったのに急に見慣れた道に戻った気がした。もう雪どころではなかった。足跡、足跡。
少し、考えてみたが、この足跡に沿って歩いてみようと思った。それがいいと思ったのだ。右足を踏み出してみる。予想通りにピッタリとハマる。自分と同じ、少しガニ股気味の一歩だった。フフ、と声が出た。今度は目をつぶって5,6歩交互に足を出した。目を開けて振り返る。あざ、一筋の足跡があるだけだ。再び前を見る。この足跡は……確信をもった。これは僕の足跡だよ。
8時半、コタツのコンセントを入れ、冷蔵庫から出したヨーグルトをスプーンで掬う。結局、散歩はほんの数10歩で終わりを告げた。だって、あの足跡は自分の足跡であったのだから、僕はもう底を歩いたのだ、とそう思ったのだ。雪は足跡をよく見せる。しかし、いつだって僕はただ僕の足跡をなぞっていたのだ。そう思うと、これ以上歩く気がしなくなった。
前日は雪が降った。雪の上を歩くと道ができる。歩いた道には足跡が残る。それは後ろにあるとは限らない。
じっとしていると本当に冷える。
50cm以上離れるのは辛い。
暖房機は他にもエアコンと電気ストーブを同時に稼働させているけれど、
一軒家の1階の14畳のリビング兼仕事部屋は充分という程までは暖まらない。
昨年よりも1つよいのは、電気ストーブを机下に置くことでコタツ効果が生まれ、
足元の暖かさが増したことだ。真横に置くのとは段違いだ。
毎年冬の電気代は60,000円前後になる。関東の平地なのに。
当然厚着もしている。
室内でもデニム等の上から、ユニクロのウォーム系パンツの重ね履きは欠かせない。
上も室内なのにダウンを着ている。
炊事の時は厚着過ぎて腕をまくりにくいためダウンを脱ぐが、寒くて億劫だ。
以前寒い地方で暖炉を使用している家に滞在したことがあったが、
でも設置も薪の調達も簡単ではなさそうで、自宅への導入には自信がない。
これだけ文明が発達してきているのに、寒さなどというシンプルな問題の
解決も容易ではないのがとても不思議に感じる。
冬の活動量の低下を考えると、沖縄等に移住するのがよいのかも。
・追記
ご助言ありがとうございます。
築20年以上で気密性はよくないのですが、2階の6畳の部屋はオイルヒーターのみでも
暖かくなるので、1階では過ごさないのも1案なのですが、
この学校は、自宅通学生以外は寮に入るのが普通 で、4大生は1、2年生の間、短大生は2年間、寮生活 を送らないといけません。
すぐに友達もでき、寮生活はにぎやかなので、寂し くないのがいいところです。
みんなで入るお風呂でムダ毛を剃ったり、アソコを 丹念に洗ったりすることです。
なんだか恥ずかしいなぁと思ったものですが、先輩 は堂々と脇を平気で剃っていて、これも慣れなんだ なと思いました。
中にはスネや腕など、全身を剃りまくっている人も いました。
また、かなり丁寧に時間をかけて、アソコをコネコ ネと洗っている人をみると明日はデートなんだなと ピンとくるようになりました。
同性ですから、けっしてジロジロ見たりはしません が、どうしても視野に入ってくるんです。
そんな寮生活ですが、私にとっては(他の人もそうか もしれませんが)、一つ、困った問題がありました。
この寮は4人一部屋で、部屋の両サイドに2段ベッド があり、4人が寝るのですが、ベッドに付いている ちっちゃなカーテンを閉めて、はじめてプライベー トタイムになります。
私は最初は実家を離れた寂しさや、学校や友達に慣 れるまでは、そんなこともあまり考えなかったので すが、慣れてくると、やはりムクムクとあの欲望が 湧きおこってきました。
高校までは田舎の実家で、自分一人の部屋でしたか ら、いつも好きな時にオナニーにふけっていたもの です。
だいたい週に4、5回はしていたと思います。
今の私の位置は2段ベッドの上段なので、激しくする と振動が下で寝ている子にも伝わりそうですし、声 も出せません。
こっそりしても、雰囲気でバレそうな気がして、ど うしようと思ったものですが、やはり、どうしても 我慢できず、入寮3週間目ぐらいからオナニーをする ようになってしまいました。
本当は大胆にしたいので、下半身だけでも裸で大き く股を拡げてしたいところですが、それはせず、寝 間着として穿いているスウェットとパンツの中に指 を入れて、ゆっくり触っています。
欲望のかなり強い日は、パンツの中は、あの液でも うあふれそうになっています。
ゆっくりゆっくり割れ目に指をあてがい、寝返りを うちながら横向きになったり、仰向けになったり。
あまり腕を動かすと、激しくなってしまうので、掛 布団を脚にはさんで、指先だけの動きで刺激するよ うにしています。
「あぁっ!」と声が出そうになりますが、それもな んとかこらえ、どうしても声が出そうな時はハンカ チを咥えています。
私の真下の子は寝つきがいい方で、スヤスヤと寝息 も聞こえてきたりするので、バレてはないと思いま すが、最後は指先の動きを速め、クリトリスをこす ります。
やがて絶頂感がやってきますが、この時も静かにイ クようにしています。
ティッシュの箱からティッシュを抜くとき、シュッ シュッと音がしてしまうので、こっそりと抜き、濡 れた指先と股間を拭きます。
今は先にティッシュを出して、用意しておくように なりました。
少し息も乱れてしまいますが、どんな環境に居て も、やっぱり、これだけはやめられません。
考えてみれば、オナニーだけでなく、オナラも思い きり音を出して放屁できない不自由さもあります が、こんなのは私だけなのかな、それとも、他の子 も同じなのかな?
なんかこれすら共有されてない気がする。
「ピンクが女性に売れてるんだからピンクが多いだけ」と言うけど、そもそも絶対量で言えばピンクは少ないよね?
売れる売れない以前に、そもそも最初から置いてない店も多いのが現実だと思うんだけど。
ダサピンクが「多い」と言うその「多い」のニュアンスは、「クラスに一人くらいならいる(つまり数十分の一)」が「こういう人多いよね」話になるようなもんで
絶対量で言えば「圧倒的に少ない」んだけど。
だからこそ、女性向け商品としてピンクしか用意しないと悪目立ちするわけで。
この手の男性の脳内では(男性が足を踏み入れないような)女性向けショップの内部はピンクで覆われてる事になってるんだろうか。
女性向け物件だからと壁紙をピンクにした建設業のオッサンの話をどっかで見たけど、
ピンクの壁紙の部屋に住んでる・住みたがる女なんて超絶ニッチだろ、ってのは女性の常識であって
男性間では女性はピンクの部屋に住んでる・住みたがるもの、が常識なんだろうか・・・
アニメなんかでネタとしてあるような、ピンク壁紙にピンクカーテン(レースとかついてたりして)、
たぶんあんた鬱になりかけてる、もしくはもうなってると思うので、
参考にならないかもしれないが、俺が本格的にぶっこわれそうになった時にやっていた回避方法を教える。
休日に布団から出れないのは精神の不調が体をがんじがらめにしてる状態。
俺も良くベッドの上から動けずに1日を終える事があった。
こういう時は、なんとか精神的にも肉体的にも楽にしてやる必要がある。
カーテン開けて、窓開けて、オレンジレンジみたいな能天気な音楽流しながら
昼間だけど景気づけにビール一本開けて、つまみに適当に腹に溜まるものを食べる。
(糖分と水分を取って適度に胃を動かすと自然と体が回ってくるので、ついでにアルコールで少し倦怠感を麻痺させる)
風呂上がりに牛乳を飲みながらテレビで流れているワイドショーを見て
風呂に入ったら汗が出て腹が減るのでスーパーかコンビニで食べ物と酒を買う。
日曜も薄暗くなると,時計を見るのが嫌になってくる.
別に月曜が来たら,いつものように朝飯食べて,自転車に乗って会社に行くんだけれど,
どうも日曜の夜だけは,そういう慣性に対して抵抗したくなる.
抵抗したくなると言っても,大したことはしない.
ネットサーフィンして,もしかしたら明日から生活が変わるかもしれないような情報を
口を開けてぼんやり探しているだけだし,
人によってはテレビニュースにそういうぼんやりした期待を預けているのかもしれない.
そして寝る直前に,布団の中で一人反省会を開くのだ.
リア充のあいつは,今日もどこかにドライブに行ったんだろうな,とか.
カーテンはわざと少し開けて,街の光が入るようにしているのは,絶望を紛らわすためだと思う.
この土日はひたすらぐうたらに過ごしていたくせに,夜中の反省会だけは一人前で.
また来週に土日がきても同じように,夜中反省するためにだらだらした休日を過ごすのだろう.
てなことをどうにかやめたいんだけど,はてな民の皆様! 良いアイディアはないだろうか?
今のところ,日曜であってもしっかりと日常を過ごすことが大事かなと思っている.
日曜だから,怠惰な非日常をすごすから,カジュアルな絶望を感じているんだろう.
■日曜の夜に絶望しないために
<生活周り>
・洗濯物を片付けておく
・洗い物を残しておかない
・少しでも運動しておく
・筋トレしてみる
・メールを出しきっておく
・部屋を片付ける
・メンテナンスのいるものを処理しておく (車,楽器,調理用具)
<レジャー周り>
・旅行の計画をたてる
・昔の友だちにメールしてみる
・・・・
なんか違う.........!!!!
やっておく項目書いただけで気が滅入ってきたわ!!!
日曜の夜の怠けテンションだと,全くやろうとしないわ!!!!!!
個室寝台というゼータクなものもあったが、中学だと乗れるのは、カーテン1枚だけで仕切られた3段寝台とかだ。
何でも疑ってかかる疑りやさんになってしまっているのです。
おともだちはその小さな頭で理解できないことなどありえないと思ってしまっているのです。
大人であれ、子どもであれ、人間が考えたりできることは限られているのです。
あらゆる真実と知識を内包する広い宇宙に比べれば、人間は小さなアリのようなものなのです。
○○は、愛や人への思いやりや、献身が存在するのと同じくらい確実に存在します。
それらがちゃんとあって、あなたの人生をすばらしいものにしてくれているのは知っているでしょう。
ああ、もし○○がいなかったら、どんなにこの世はわびしく退屈なものでしょう!
バージニアのようなかわいらしい子どものいない世界が考えられないのと同じくらい○○のいない世界はさびしいことでしょう。
純真な信じる気持ちもなく、詩も、ロマンスもなくなってしまうでしょう。
私達は自分が感じられるものや目に見れるものの中にしか楽しみを見つけることができなくなってしまうでしょう。
子どものころに世界に満ちあふれている光も消えてしまうでしょう。
クリスマスイブにパパにたのんで、何人もの人に煙突という煙突を全部見張らせて、○○を捕まてもらったらどうですか。
でもその時○○が煙突からおりてくるのを見なかったとして、いったいそれが何の証拠になるのでしょうか。
○○を見た人はいません。
この世でもっとも確かな存在は子どもや大人の目に見えるものではないのです。
芝生の上で舞う妖精の姿を見たことがありますか?もちろんないでしょう。
目に見えないもの、見ることができないものがこの世に存在するという不思議を想像することができないだけなのです。
赤ちゃんが持つガラガラを分解すれば、どうして音が鳴るのかわかるでしょう。
でも、目に見えない世界を覆うベールは、どんなに力の強い人でも、それどころか、世界中の力持ちをみんな集めてきたとしても、引き裂くことはできません。
信じる気持ちと想像力、それに詩と愛とロマンスだけが、そのカーテンを引き分けて、その向こうにある、この上なく美しく、輝かしいものを見せてくれるのです。
ねぇ、バージニア、それほど確かな、それほど変わらないものはこの世にはほかにないのですよ。
○○がいないですって!とんでもない!
それどころかいつまでも死なないでしょう。
1000年後までも、いえ、バージニア、100万年後までも、○○は子どもたちの心を喜ばせてくれるでしょう。
1:サンタクロース
2:STAP細胞
3:チョキ3枚を保有しているX
http://anond.hatelabo.jp/20140811230207
後日談で、別れたけれど他の相手とそれなりに楽しくやってます、という話。
彼氏には結婚願望が無かったため、その後2~3週間後に平和的に別れました。
実は実家住みの元彼氏が「部屋の模様替えがしたい」「新しいカーテンが欲しい」と以前からいうのを聞いており、結婚(というか同居)願望が無いのかな…と懸念していたのが的中したかたちです。
別れて1週間ぐらいは落ち込みましたが、落ち込んでても仕方がないのでまた性懲りもなくネット婚活サイトに申し込み、数人にお会いして
そのうちの一人と馬が合い、デート(というのかな)を数回重ねたのちお付き合いに至りました。
(付き合いを始めるタイミングで「将来的には一緒に住みたい」という話をしており、同居願望はあるんだなと判断しました。勿論同居・結婚確定ではないことは理解しています)
そして今、馬は合うが相手のテンションに私がまだついていけていない、という贅沢な悩みを持っています。
相手の方は1年半程度いろいろ婚活をしていたそうで、私と同い年で優しくてちゃんとしたお勤めで…とモテる要素大ありのはずなのに
職場が男性のみなこと、また(推測ですが)仕草がかなり女子っぽいのに趣味は女性に理解されにくいもののため、ずっと断られてきてしまったようで
で、その為か好意の表現がかなりぎこちないのですが「女性に慣れてないながらスキンシップしようとしてくれた」のが嬉しく、好かれてるんだなあと感じる一方で
先日あった例が、相手が手を繋ぎたそうな動き(但しご本人には気づかれている意識なし)をしているときに
私のテンションも高めだったら「私も手を繋ぎたい→そのまま手を繋いでしまえ」とハッピーエンド、となるのでしょうが
私の方はそこまで盛り上がってないけれど、繋いであげた方がいいのかな…と考えているうちにデートが終わる、とか。
(手繋いだりスキンシップされたりは全然嫌ではないので、来るならウェルカムですが)
今度はこちらから手繋いだりした方がいいのかしら。
という、悩みですらない感じで私は元気です。
Arduino とは、ごくごくかいつまんで言うと、小型で、プログラミングが簡単にできる制御チップのことだ。
パソコンとUSBで接続することができる。無線にも対応していて、iPhoneとやりとりすることができる。そのとき電源には2本くらいの乾電池が必要。いろんなセンサーや出力をつないで、機能を拡張できる。
さて、これを使って何ができるか。
いろいろ考えてみたんだけど、制作する時間もないし、ていうか面倒くさいし(本音)、しかし、腐らせておくのはもったいない気がするので、この場を借りてアイデアを公開します。
アイデアはパブリックドメインとします。誰か、腕を持った職人さま。俺の代わりに実現してくれると嬉しい。
洗濯機の操作パネルにダミープラグのように取り付いて、人間の代わりに操作を行う。
以下の条件が満たされたとき、ジェルボールを投入し、洗濯を開始する。
・朝7時だ ・洗濯物が入っている
ハムスターがその日食べた「ひまわりの種」の総量に応じて、回し車に負荷をかける。回転数の低下があった場合、ハムスターがやる気をなくしつつあると判定する。そのときは負荷を下げて、”俺は今、風になっている!感” を演出する。
多人数 v.s. 多人数 の対戦を実現する。
剣士はいつもどおり防具を身につけ、竹刀を持つ。ただし、篭手・胴・面には衝撃センサーを貼り付ける。センサーはArduinoモジュールにつながっていて、iPhoneと無線で接続されている。打たれた剣士はiPhoneからイヤフォンを通して、”一本!” のメッセージを受け取る。
東西に分かれた剣士たちは、合図とともに一斉に互いに斬りかかる。”斬られた”剣士は背を向けて退場する。最後の一人になるまで戦う。
カメラがリアルタイムでダーツ版の様子を監視して、矢がどこに刺さったかを判定する。
ゲームの進行状況が計算され、状況に応じて、動的にプロジェクタによってダーツ盤に絵が映される。
例えば、次々に浮かんでくる風船の絵とか。二人のプレイヤーは大小様々なバルーンを狙って得点を競う。バルーンは赤と緑に分かれていて、相手の色の方に当ててしまうと、相手に点が入る。小さい風船のほうが当てた時に得られる点は大きい。大きい風船のほうが上昇速度がはやい。的を外すと、相手の色のバルーンの量が多くなる。
動く的を狙う経験は、多くのダーツプレイヤーにとって新鮮だと思う。
心臓が脈打つのを振動センサーがキャッチして、その強さを、ネットを通して遠く離れたバイブの動きに反映する。
TENGA を揺すると、振動をセンサーがキャッチして、その強さを、ネットを通して遠く離れたバイブの動きに反映する。
(なお、この製品をリリースした後、あなたはただちに、ユーザーから機能要求を受け取るだろう。「ピストンのデータを保存できるようにして欲しい」。あなたはこれを、鉄の意志を持って無視しなければならない。人類滅亡を企むのはTENGA社だけで十分である)
性的興奮の大きさは、心拍数をスペクトル解析することで得られるらしい。よくわからない。ローションを付けて乳首に固定された刺激装置のモーターを、心拍を測るセンサーと計算によって得られた性的興奮の値に応じて制御する。性的興奮が高まったと判定された時、逆に刺激を弱める。
iPhone からアプリを通して要求があった時、現在の冷蔵庫の写真を送る。
めざましのアラームに反応して、寝室の雨戸とカーテンを開ける。
以上。細かく検討していないので、そもそも実現不能とかあるかもしれない。指摘してください。
みんなも何かアイデアが思い浮かんだら、コメントするとよかばってん。
はてな にはぶっ飛び越えてクールな技術者がたくさんいるので、きっと実現してくれるでしょう。
(法的に有効かわからないけど、トラバ・ブクマコメントで頂いたアイデアはこの記事と同じくパブリックドメインとします―― と宣言します)
この年齢になっても声が上から降ってくるというのはどこか困惑してしまう。
「君が……」
「ええ、キリンです」
みぞおちのあたりに私の顔があるので、私は彼女の顔を見上げる。話で聞いていたのよりも遥かに背が高い。二メートルは軽く越しているんじゃないか、と思う。もっともそんな私の当惑をよそに、彼女はニコニコと笑っていた。
「まあ、とりあえず入って」と言い、私は自室に案内した。
「おじゃまします」
彼女が入るとそれだけで急に部屋が狭くなってしまった気になる。取りあえず座布団を用意する。この日に備えて部屋の掃除は抜かりなくやった。生ゴミを捨てた。消臭剤を撒いた。カーテンまできちんと洗った。生まれて初めての体験なので、部屋の掃除をしている段階で既に興奮してきた。でも、目の前に公称二メートル五十センチの女の子がいると思うと、複雑な意味で興奮してしまう。
「まあ、とりあえずビールでも」
「あ、ありがとうございます」
冗談で言ってみたつもりだったのだけど彼女の戸惑った表情に、しまった、と思った。でも彼女はすぐに目を細めて笑って言った。
そのリアクションが逆に気まずくなって彼女に缶ビールを渡すと、その缶ビールは紙コップ並みの大きさに見えた。
「いやでも、こういうのってボディガードがついてたりするのが定番だって聞いてたんだけど。まさか手ぶらで来るとは思わなかった。催涙スプレーとか警報機とかで自衛するとか聞いてたし」
「あー、それってホンカク的に地盤が固まってるお店の話ですね。そのスジの人と繋がりがあるお店みたいな。ウチはフランチャイズ展開で、要するにコンビニとかと同じなんです。本社があって、脱サラしたオジサンが支店を経営するとか」
「大丈夫? 何か酷い目に遭ったとか」
「んー、でも、オマエは護衛がいなくても大丈夫って言われてます。ホラ」
と言って彼女は拳を私の前に差し出した。拳から彼女の顔までの距離が遠い。そのせいで拳が思っていた以上に巨大に見える。
「こんなにリーチありますから。オマエならカメダにだって勝てるって言われます」
「バスケとかバレーボールとかやってた? 君だったら引っ張りだこだと思うんだけど」
「あー。参加しても、オマエが入ると面白くないから出てけって、どこ行っても言われちゃいました。ユニフォームも特注しないといけないし。だから学生時代は絵を書いてました」
人間の個性というのはこうやって潰されるものなんだな、という思いが頭をよぎった。
「最後に計った時は五十センチだったから、今はもっと高いかも」
「大変だね。電車とか辛いでしょ?」
「そうですねー。あと悩みなのは、スカートが全然似合わないとか」
「いや、そういう問題じゃないと思うんだけど」
「慣れれば結構ラクショウですよ」と彼女は言った。「もしかすると、利き手が左の人の方が私よりツラいかも」
そして笑った。
「ダメですか?」
ことに及ぼうとして二人ともシャワーを浴びたのだけど、いざとなるとやはり自分の方が緊張してしまう。だから私たちは裸のまま、固まってしまった。
「ごめんね」と私は謝った。
何か対策はないものだろうかと、沸騰するぐらい脳の中で思考をめぐらせながら目の前数十センチにある彼女の顔を見ていた。スタイルが気に入らないとか自分の好みのタイプじゃないとかいう問題ではない。大き過ぎず小さ過ぎないおっぱいも、肉の余っていないスレンダーな腰も自分の好みだった。ただ、あまりにも目の前にある現象が非日常的なので、それに適応出来ないままでいるのだ。どこかでこの現象をすんなり受け容れられる接点を見つけなければならない。
「あ、そうだ。私、言葉責めっていうのヨワイんです」
「言葉責めか」私は考えた。「おいノッポ、ノッポ! っていう感じかな」
「それって、言葉責めって言うんですか?」
「言わないかも」
「あと、ノッポっていうの子供の頃から言われてますから特にザンシンな感じもしないんですよね」
「じゃ、おい! デクノボー!」
「……ホンキで考えてます?」
「一応本気のつもりなんだけど」
「あ、そういえば私、子供の頃はダチョウってよく言われてました」
「ダチョウか」
ダチョウ。そして彼女の名前はキリン。ふと閃くものがあったので言ってみた。
「なんだか中の温度が熱そうだな! ちょっと確かめてみるよ!」
「うーん、ザンシンといえばザンシンですね」
「俺もこんなことベッドの中で言ったことないな」
「分かった。じゃ音楽かけるね。いい?」
私は背を起こした。そしてラジカセのスイッチを入れて音楽を流す。この日のために買ったアルバムだ。オアシスの"Standing on the Shoulder of Giants"。それを流しながら、とにかくさっきの感じでやってみることにした。
毛布と布団の重みを感じた
テテテン テテテン テテテン
不気味な電子音が部屋に鳴り響く
テテテン テテテン テテテン
どこからともなく聞こえてくる
テテテン テテテン テテテン
パチ、パチ、パチ、
今まであったことのある人がみんな
そう思った
しかし一人だけ、どうも思い出せない人がいる
こんな顔の知り合い、いたかなぁー
考えていると、死んだじいちゃんが「そいつは見るな」
え?ヤクザ?
「いいから、見えたら下を向け」
なんだか怖くなって、うつむいた
するとそいつは、私の首に腕を回して顔を覗き込もうとしてくるではありませんか
ちからをいれ、目を瞑ると、聞き覚えのないようなあるような声で
「大丈夫だよ 怖くないよ」
と囁くように言った。いや、こわいよ
40秒くらいそうしていたら、そいつが
「アカシックレコードへようこそ」
私はこの歳でおねしょするわけには行かずに飛び起きました
テテテン テテテン テテテン
昨今では忌み嫌われる長文で、たいして面白くもない内容なので誰も読まないだろうが、それでいい。
軽く自己紹介。精神科病棟で働きはじめて一年になろうとしている。看護助手の契約社員。今年で21歳になった。
一浪して合格した、世間的には難関と認識されている、都内の有名私立大学()を半年で退学して、今の職場に入った。高卒資格なしで将来食っていけるか不安なので、不況でも食いっぱぐれないと聞く、看護師を目指そうと今は考えている。それ以前はコンビニのアルバイトと日雇いの倉庫作業くらいしかしたことがなかった。退学した理由はくだらない。授業に出席せず、単位取得における必須出席率(三分の二)に満たなかったので、留年がほぼ確定していたからである。受験当初から志望校などなく、勉強もさほどせず、たまたま合格した大学にとりあえず入ったという塩梅で、絶対に卒業しなければならないという意志もなかった。中流家庭で経済的には比較的恵まれていたので、仮に努力さえすれば(一般的な大学生にとってはそれは努力ではなく普通のことなのだろうが)一留したとしても卒業はできたはずである。まったく親不孝な息子である。
わたしが働いているのは比較的症状が安定した患者が療養する慢性期病棟である。患者の平均年齢は65歳くらいで、ほぼ全員が統合失調症の患者である。平均入院年数は約15年である。医学的知識に乏しいので統合失調症とは何かといった説明はしないが、約100人に1が罹患するとされている疾患である。自分の身近に統合失調症を患った者がいても珍しいことではない。事実、わたしの身内にも罹患者がいる。距離的に頻繁に会うことはできず、ほとんど疎遠であるが自分と年齢が近いこともあり気にかけている。
慢性期の開放病棟とは言え、当然ながらそれは院内における開放という意味であって、自由に院外に出られるという意味ではない。あたりまえのことだ。また患者各々の処遇によって、院内開放の認められる患者とそうでないものがいる。前者は全体の三割ほどだろうか。それ以外の患者は看護師同伴での外出の外は、ほぼ365日病棟内で過ごすことになる。彼らの生活は異常なほどに規則正しいものになっている。規定の時間に起床を促され、看護スタッフの監視(長年にわたる薬の服用がもとで嚥下に問題がある患者が多く、誤嚥で窒息する恐れがあるため)のもと朝食を済ませ、その日が入浴日であれば風呂に入るよう半ば強引(彼らは清潔観念が乏しく風呂嫌いが多い)に促され、昼食を食べ、自主参加ではあるが作業療法に参加し、夕食を済ませる。食後は各々に処方された抗精神病薬を服用し、就寝前には看護用語でVDSと呼ばれる就寝前薬を服用し消灯、就寝となる。もちろん彼ら全員がすんなりと眠ってくれるわけではないので、必要に応じて追加薬として眠剤をさらに服用させる。それでも睡眠ゼロ時間で朝をむかえる患者もいるが。
規則正しい生活が健康を保つ秘訣であるとは言われるが、物事がすべて規則的に進む環境に長く置かれれば、精神的に健康な人間でも何らかの精神症状を示すようになるのじゃないかと思う。何事も適度にやることが大切である。仮に自分が彼ら患者と同じ生活をしてみるとなれば、1ヶ月も耐え切れないのではないか。
普通の人から見れば異常な規則的生活を強いられているばかりでなく、彼らはプライベート空間を与えられていない。病室は4人1部屋の総室であり、ベッドにはカーテンが備え付けられはいるが、必要とあればスタッフが遠慮無く開けるのでプライバシーの確保としては機能しない。唯一例外として挙げられるとすれば個室トイレであるが、それでも外側から簡単に鍵を開けられる。もちろん理由はある。ここは精神科である。患者を1人にするのはリスクが伴う。その最悪のリスクが患者が病棟内で自殺するというケースだ。自殺するのに銃もロープも包丁も必要ない。タオルやシーツ1枚で十分である。首を吊る必要もなく頸動脈を絞めれば尻をついた体勢でも逝ける。患者に希死念慮の疑いがあれば、保護室と呼ばれる個室で隔離し、常時モニターで観察する。必要であれば拘束帯で手足、体幹を拘束する。それは仕方のないことであると個人的にも思う。そのようなことがあれば直ぐに訴訟になり、病院だけでなく医師、看護師、資格を有していない看護助手も裁判にかけられるのである。人間が外部との接触なく常に1人きりで長時間過ごすことに耐えられないのは、拘置所などにおけるSolitary Confinementが精神に及ぼす悪影響を鑑みれば明らかであるが、それでも生活の中に1人の時間を設けることは精神の安定にとって非常に重要なことである。
一日の中で病棟が最も活気にあふれるのは3時のおやつの時間である。患者は小学生の小遣いほどの小銭を握りしめて、病院に併設された売店へと向かう。わたしも幼少時代、同じように手汗にまみれた小銭を握りしめ駄菓子屋へ足を運んだ記憶があるが、自分より2回り以上年齢を重ねた彼らが喜びと興奮の面持ちで売店に赴くのである。もちろん離院されては困るのでスタッフ同伴である。なかには1時間も2時間も前から「○○さん、おかし」とこちらが辟易とするほど頻回に訪ねてくる患者もいる。そのたびに「△△さん、時計見てください。今何時ですか?3時まで待ってくださいね」と説明する。しかし時間を把握することができないのか、理解に乏しいのか、その後にわたって同じやりとりが何度となく繰り返される。そしておやつの時間が近づくと、患者は詰所(ナースステーション)に詰めかけて「かいもの、かいもの」の大合唱がはじまる。入社して形式的な研修を終え、病棟で働きはじめた初日、その光景を目の当たりにし、「これはなにごとか、いったい今から何が始まるんだ」と誇張なしで思ったものである。一度に売店へ連れていけるいけるのは、多くて5名である。それに対して2名の看護スタッフが同伴する。離院のリスクが高い患者はマン・ツー・マンで対応しなければならないので、業務の都合上、最後に後回しにしざるをえない。この対応に納得のいかない患者は時としてもの凄い険相でこちらを睨みつけたりもするが、申し訳ないが待って頂く。いざ売店へとたどり着くと、患者は菓子の並ぶ棚を物色し、各々お気に入りの菓子や飲み物(十中八九コーラである)を買うのだが、彼らの選択肢はさほど多くはない。金銭的な問題もあるが、誤嚥のリスクが高い菓子類(特にパンや、硬いもの)は遠慮してもらう。病棟へ戻り、スタッフの目の届く範囲のテーブルで購入した菓子を食べるのだが、彼らの食べる、飲むの早さは尋常ではない。これは食事においても同じである。コーラを飲み干す早さは、ハイキングウォーキングのQちゃんにも引けをとらないだろう。
余談だがこの病棟にはデイルームに自動販売機が1つ設置されているのだが、患者が選ぶのは常にコーラである。コーラの横に並ぶ水やお茶などを患者が買う場面を見た試しがない。聞くところによるとこの傾向はこの病棟(病院)に特異なものではないらしい。特にかくコーラの消費量が半端ではないのである。1日になんども業者がコーラの補充に来る。仮に1日のコーラ販売数が最も多い自販機であったとしても驚かないだろう。
ここで少しOT活動(作業療法)について触れておきたい。その内容ではなく病院経営の観点から見た作業療法である。わたしは不勉強で参加者1人あたりの診療報酬がいくらで、具体的に自分の働いてる病棟で月あたりどれほどの利益が出ているのかといったデータは知らないのだが、現状でも結構な額の利益を稼ぎだしているようなのである。しかしそれ自体はなんら問題ではない。病院も利益を出さないかぎり存続が危ぶまれるわけであり、それは結果として直接的に患者の不利益になるので致し方無いだろう。しかし病院経営者としては、さらなる診療報酬の増収を求めて参加者の今まで以上に増やすことを病棟にプレッシャーをかけてくる。だが経営的観点からのみ作業療法を考えるのは、本末転倒であり、本来の作業療法の意義を見失いやしないだろうか。普段活動意欲の乏しい患者たちの他者と交流する機会の場を提供したり、同じことの繰り返しである日常に些細でも刺激や楽しみを見出させ、活動意欲の向上を目指す。わたしは作業療法士ではないので専門的な知識はないが、研修のとき作業療法士からそのような目的を聞かされた記憶がある。作業療法は任意参加である。もちろん参加したほうが治療的には望ましいことは間違いないが、患者自身が活動に対して主体的にならなければ効果は期待できない。仮に活動に参加しない患者には売店へ行かせない等のやり方で、強制的に参加を促したところで継続しないのは明らかで、それ以前に患者自身の金でおかしを買わせないとなると人権侵害である。ある患者は「おもしろくないから、わたしはいいよ」と参加を断り続けている。確かにプログラムがマンネリ化していることは否めない。病院の作業療法士が仕事に対して不真面目であるからではない。みな限られた予算のなかで真面目に患者のことを思い必死でやっている。要は作業療法で得た診療報酬はどこに還元されているのかという話なのである。言うまでもなく、参加をしぶっている患者に対して毎日声掛けしている現場スタッフには還元されない。それは別にいい。しかしOT部門への予算を増やす、給料面で還元するなど多少はできないのだろうかと常々感じている。慢性期病棟でほとんどの患者は退院が見込めないため、患者を金づるにし作業療法による診療報酬で利益を出そうとう考えなのだろうか。これは完全なる愚痴である。
わたしは今まで目的も夢もなく堕落的に生きてきたので、それゆえか「生きがい」だとか「なぜ人は生きなければいけないのか」といった面と向かって口にするのは恥ずかしい問題だが、漠然と考えてきた。
いままでは、どちらかと言えば普遍的な命題として考えていたのだが、統合失調症を身内に持つものとして、同じ疾患の患者と毎日のように接触を持ち、「彼らに生きがい、あるいは生きる目的があるとすれば、それはなにか」といった具体的な疑問に変遷していった。
ある患者に病棟での生活で一番楽しいことはなんですか、と尋ねたところ「(部屋の窓から)道をみること」という答えが返ってきた。わたしから見れば、そんな些細なことが彼女にとって一番楽しいことなのである。別の患者は「婚約者と結婚して二人で暮らすこと」だと言う。彼には婚約者もいなければ彼女もいない。すべて妄想なのである。しかし誰が「あなたの言ってることは妄想によるものですよ」などと否定できるだろうか。このような閉鎖的な環境で長年生きていれば、自分で虚構の世界をつくりあげてそれにすがって生きていくしかないのではないかと個人的には思う。
精神疾患に対して偏見を持っている者は多くいるだろう。わたし自身も実際に今の職場で働き始めるまで偏見を持っていただろうし、今も偏見はあるだろう。偏見というものは概して無意識のうちに身体に染み付いているものであって、「わたしは○○に対して偏見はありません」などと平気で言う人々は疑ってかかったほうがいい。自分のなかに偏見があることを自覚し、それを少しでも減らしいくことしか我々にはできない。ちなみに今までこの文章は、一つの精神病院にたった一年しか勤めていない人間が書いたものなので多分にいろいろなバイアスがかかっていることだろう。
(追記)
ここで、わたしは実際のところ統合失調症の患者です、つい先日退院しました、と書けば結構な釣りになるのだろうが、残念ながらそうではない。
上記の文章を読まれたかたは、鬱屈した患者たちの姿を想像されるかもしれない。彼ら患者たちは、閉鎖的な環境で長期間に渡る入院生活を余儀なくされている。憐れむべき現実だろう。病棟に飾られた造花の紅葉では秋の匂いを感じさせてはくれない。夏が過ぎ去った後の秋風の涼しさを感じることもできない。しかし患者たちの表情は思いのほか明るく柔和である。無論、ついさっきまでニコニコとしていた患者が、いまにも殴りかからんばかりの表情に急変することは多々あるのだが。概して、彼らは彼らなりに現在の環境に適応し、楽しみを見つけながら生活している。
彼らは退院することなく死ぬまで病院で過ごすことになるのだろうか。慢性期病棟に長期間入院する患者の退院が難しいことは言うまでもない。特に高齢者となると退院後の受け入れ先が限られてくる。また患者自身が退院したいという意欲に乏しいという場合もある。それもそうだろう。入院生活が十数年にも及ぶとなると、社会復帰をためらうのも無理もない。病棟の五十代のある患者は精神症状もほとんど見られず、一見して彼が精神障害者であるとは思えない。人当たりの良いハゲのおじさんといった風貌である。精神保健福祉士が先頭に立って、退院実現を図ろうと粘り強く退院促進をすすめている。退院後は病院のデイケアを利用してもらう計画である。それでも普段多弁である彼は、退院という言葉を聞くとそっぽを向いて耳を貸さない。
『ショーシャンクの空に』という映画がある。有名な映画なので観たことのある人も多いだろう。そのなかでモーガン・フリーマン演ずる囚人レッドがこんなことを言う。
「あの塀を見てみろ。はじめは憎らしく見えるだろうが、しだいにそれに慣れ、しまいには依存するようになる」
わたしは退院をしぶる彼を見て、長期入院している精神科の患者も似たような心境の変遷をたどるのかもしれないと考えることがある。ホームレスと違い、入院していれば働かなくとも毎日腹を満たすことができる。そのかわり自由は制限されるが、ときとして自由は重荷にもなりうるのである。しかし彼は年齢的にまだ中年であり、やりたいことも多々あるだろう。彼が恐怖心を断ち切り、入院生活に終止符を打つことを願っている。ダメだったら戻ってくればいいいのである。
精神科で働いてわかったことは、統合失調症という人格は存在しないという当たり前の事実である。彼らには統合失調症という共通項があるにしても、性格も精神症状も皆異なる。それがこの疾患のおもしろいところと言うと語弊があるかもしれない。しかし患者と日々接するのは、うんざりするどころか楽しいのである。たまに患者にヤクザ口調で怒声を浴びたり、軽く殴られたりもするが、病気のせいだと考えれば、それも仕事だと思える。頓服薬を服用して落ち着いた患者は、自ら「さっきはごめん」と謝ってくる。わたしは「べつに気にしないでいい」と答えるだけである。
最後に、ある六十代の患者さんは「葬式ないよね?」と頻回にスタッフに尋ねる。彼女が「姉さん」と呼んでいる妹さんが死ぬという妄想があるようで、妹の葬式はないかと確認しているのである。とりわけ、わたしに対して尋ねてくる。恐らくはわたしが坊主頭で、彼女に坊さんと呼ばれているからであろう。わたしが実際に坊さんではないことは理解している様で、ある時冗談で、「○○さん(彼女)が死んだら、葬式は僕に任せて下さいね」と言うと、彼女は笑った。ブラックジョークを理解するだけのユーモア精神のある患者さんである。