前日の夜、雪が降った。窓の外にチラつく雪を確認してから目を閉じたから間違いはないはずだ。おそらく今日はアスファルトの色は反転し、いつもと違う道路に足跡を付けるんだ。ワクワクしながらカーテンを捲る。予想通りだ。実に2年ぶりだった。
いつもより早く起きた。今日は特に予定もなく、いつもどおりの休日だった。朝食にも精が出る。キャベツときゅうりを切って食パンで挟む。窓の外の雪を見ながら食べた。犬はゲージから出てこない。今日の寒さは一段だ。しかし寒さは全く気にならなかった。折角だから散歩に出よう。黒のセーターの上にコートを羽織り、マフラーを巻いて外に出た。皮膚をチクチク刺す棘のような氷点下だ。目がくらんだのはその寒さと陽光を反射する白色だった。四角に区切られた白は、視界全体に幌がった。その瞬間の思考は一切が途切れ、集中と集中の無さは境界がなくなった。面白くて笑ってしまった。初めてではないはずの積もった雪がまるで初めて見た海のようだった。天国では雪の話をしようと思った。これからこの雪におろしたブーツで踏み潰すのだ。
と思ったが何かが妙だ。一歩目は自分だと思っていた雪のクッションには既に先客がいたようだ。足跡が目の前に広がっている。しまった。自分はこの足跡を辿るしか無いようだ。この足跡、見覚えはないが知ってる足跡だ、と思った。ふととその足跡に自分の足を合わせてみる。やっぱり、ピッタリだった。今日、靴箱から出したはずのクラークスのブーツの足型がそこにあった。紛れも無く自分の足跡だと思った。試しに一歩横に足を踏み出してみた。雪を踏む感触と共に26.0の足跡が刻まれた。やっぱり同じだ。アパートの住人に同じ靴を持っている人がいるのだろうか。大した問題ではない。だって、今日は雪道を歩くのだ。でも、何故か頭がスッキリしない。どうして目の前に足跡があるのだろう。この未知を歩くのは自分のはずだったのに。いつもの道がいつもの道でなくなった、はずだったのに急に見慣れた道に戻った気がした。もう雪どころではなかった。足跡、足跡。
少し、考えてみたが、この足跡に沿って歩いてみようと思った。それがいいと思ったのだ。右足を踏み出してみる。予想通りにピッタリとハマる。自分と同じ、少しガニ股気味の一歩だった。フフ、と声が出た。今度は目をつぶって5,6歩交互に足を出した。目を開けて振り返る。あざ、一筋の足跡があるだけだ。再び前を見る。この足跡は……確信をもった。これは僕の足跡だよ。
8時半、コタツのコンセントを入れ、冷蔵庫から出したヨーグルトをスプーンで掬う。結局、散歩はほんの数10歩で終わりを告げた。だって、あの足跡は自分の足跡であったのだから、僕はもう底を歩いたのだ、とそう思ったのだ。雪は足跡をよく見せる。しかし、いつだって僕はただ僕の足跡をなぞっていたのだ。そう思うと、これ以上歩く気がしなくなった。
前日は雪が降った。雪の上を歩くと道ができる。歩いた道には足跡が残る。それは後ろにあるとは限らない。