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はてなキーワード: カーテンとは

2015-08-27

中学1年生の9月上旬、私は二階の窓から飛び降りた。

中学1年生の9月上旬、私は二階の窓から飛び降りた。

6年間通っていた地元小学校から電車で1時間ほどの私立女子中学校は、公立中学校よりも設備が整っていて、清潔だった。お手洗いの掃除も生徒がやる必要はないし、体育館なんて3つも4つもあった。そこに、数百人の女の子たちがかわいいセーラー服に身を包み通っていた。私もその一人だった。

どうしてうまくいかなかったのかはわからない。もう10年も前の話だ。私が悪い、周囲が悪い、と簡単に言えることでもないと思う。そのときの私は、周囲と馴染んだり友人を作ることにみじめなほどに必死で、空回っていたのだと思う。私のことを分かってくれる友人が欲しいと思えば思うほど、周りから人は消えていった。

最後の思い出は、体育祭だ。あまり練習に参加していなかった私は、リレーアンカーだったように覚えている。アンカーは2週走らなければならない、と思い込んでいた私は、見事自分クラス最下位へと落とし込んだ。周囲からは笑いが漏れていて、私も情けない顔で笑っていた。体操から制服に着替えている教室で、私の陰口を言う声が聞こえた。

夏休みに入ると、通学していたときの暗澹な気持ちが嘘かのように、気楽だった。ほとんどの時間インターネットに費やしていたと思う。でも、その一方で、私は自分のことを冷静に観察していた。今気楽なのは学校に通っていないからで、通学が再開したらまたあの地獄のような気持ちを持て余す日々に逆戻りだ、と、そうわかっていながらも、私には何もすることができなかった。

夏休みが始まる前の時点でさみだれ登校ぎみであった私に、父母は何もしてくれなかった。初めての不登校経験で、どうしたらよかったのかわからなかったのだろう。父は、今でもあの時のことに触れるたびに、お前は頭の病気から、と侮蔑するように言い捨てる。

父の存在は大きかった。そもそも成績の良いときくらいしか”良い父”でなかった人に、学校行きたくないと言ったらどう反応するかなんて、想像するまでもなかった。不機嫌な父はその存在だけでも恐怖だった。父に許されない行動を取るということが、13歳だった私にとって、どれだけ勇気のいることだったのか、今ではもう思い出せない。

夏休みの終わりに、私は、足がなければどれだけ良いだろう、と考えた。電車で1時間、その後も10分ほどの上り坂があり、さらに長い階段を上らなければたどり着けない私の学校は、足がなければとても通うことなんかできない。私は、足がなければよかったのに、と願った。

2階の私の部屋から見る空は、夏らしい青色をしていて、どこまでも自由に見えた。2階の窓は下から見上げるとそう高くなく見えたが、上から見下すと遥か遠くに地面があるようだった。そこを凝視する私は、一瞬の勇気から、と自分に言い聞かせた。一瞬、ここで一瞬だけ勇気を出せば、学校になんていかなくてすむんだから

数秒後、私は今自分がどこにいて何をしているのかわからなかった。目からはぼろぼろと涙が出ていて、顔の横には地面があった。そしてようやく、私は、あの2階から飛び降りたんだ、とわかった。

見上げると、開けっ放しの窓から白いカーテンひらひらと風になびいていた。ぼんやりとそこを見ていると、私の部屋に入ってきた母が、不安げに私の名前を呼ぶのが聞こえた。

今思うと、あのときの私には逃げ場がなかったのだと思う。今話題になっている図書館も、小学校から卒業したばかりの私では、一人で行くだなんて思いつきもしなかっただろう。親に相談はできなかったし、学校先生もまともに連絡を取ってくれなかった。でも、もしあの時の私が、あのツイートを見ていたのならば、きっと、逃げ場に図書館を選んでいただろう。過去当事者であった私にとって、あのツイートはそう悪いものには思えない。もちろん、もろもろの問題はあるのだろうが、きっと、少なくとも、過去の私を救えたのだろうから

2015-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20150818114514

0時までに寝る

起きたらカーテンを開ける

ラジオテレビをつけてみなくてもいいから人の声を聞いている

午前中に一度は外に出る

何の用事もなく話しかけられる人を数人作る難しければSNSでもいい

ゴミ洗濯物洗い物を溜めない

休みの日は何か目的を作る(近所で何かを買うとかでもいい)

予防ではないけれどなりにくい精神状態にはなると思う。

2015-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20150813032839

例えば、単に繊維でしかないものを撚り作ったものを、「糸」と呼び、その糸を編んだに過ぎないものを「布」と呼び、それを細工したものを服と呼んだりカーテンと呼んだりする。

元々の物質はといえば、セルロースだったりカーボンだったりするわけだけど、概念としてカーテンということにしている。

単なる電気信号の反応に過ぎない現象を、抽象して意識と呼んだり、さらには善とか悪とかとカテゴライズしてみたり、心とか魂などと高度に抽象化してみたりする。

それらも単に概念しかなく、実際は単なる電気信号で間違いないのだけど、人間の脳の仕組みとして、抽象化という非常に便利な機能があるので、そうしている。

そこらへんの概念の成立に関しては、ギリシャ哲学古典の類がとても参考になると思うよ。

2015-08-02

気付きたくなかったけど

クーラーかけてカーテン閉めた部屋にずーっといるより、日光あびて少し歩いた方が体調いい。

今朝も疲れがとれなくてグダグタ転がってたけど、無理無理少し外歩いたら体調良くなってきた。

でも暑いし外でたくない。

気付きたくなかった。

2015-08-01

http://anond.hatelabo.jp/20150801081948

クーラーを買う金がないの

玄関からから開いてるんだから察しなさいよ

それはそうとカーテンつけたりすだれしてからクーラー入れろよ

断熱効果クーラーの稼働負荷を抑えるだろう

クーラーないものからクーラー使いへのアドバイスだぞ

2015-07-26

秋葉原ソフマップ

から気にはなっていたのだけど、アミューズメント館は1Fを中国から観光客に人気のドラッグストア系の品揃えにしたり、アキバソフマップ1号店(旧ヤマギワソフト)も商品構成こそ変わらずとも揃ってフロアに TAX FREE の表記を追加したりして、アニメゲームファンよりも一般の外国人観光客向けの免税店色をより色濃く出すようになって、大丈夫かなとさらに思うようになった。何がってこの2店舗でのアダルト商品露出具合ですよ。

アミューズメント館1Fの予約エリア

中央通りに面する小エリアに、仕切りも何もなしでエロゲも含む予約コーナーが相変わらず鎮座。特にアミューズメント館は、駅に近いし、近隣は悪評高い観光バスドロップオフポイントに利用されやすいため(Akky等の免税店が集中してるし)、良くも悪くもアニメゲーム目的でなく、店舗に関する事前知識がない観光客比較的多そうで、しか結構屯する。ちなみにアキバソフマップ1号店の1Fへ下りエスカレーターで降りてきたところも眼前にエロゲ予約エリアがお出ましする。

アミューズメント館5F以上とアキバソフマップ5F以上のフロアレイアウト

18禁ゾーンの警告が天井から垂れ幕エレベーター等のフロアガイドにちょこんと書いてあるだけ。一部は日本語のみだったりさえする。間違ったと回れ右しようとしても、アキバソフマップフロア全体が18禁で、仕切りなどで区切られておらず、エスカレーターで上がってしまうとエロエリアを突っ切らないと離脱することさえままならない。エレベーターで上がっても、カーテン等の仕切りもなしにドアが開いた瞬間から肌色世界アミューズメント館5F以上は昔から普通PCゲーム等を買おうと思っても18禁と共通のレジを利用しないといけない。また階段を利用して降りようとすると桃色の世界へもれなくご招待。

どうしろってのよ

別にアダルト商品を扱うなといっているわけじゃなくて(むしろエロゲを購入できる場を維持したいもの気持ちとして)、エロゲの予約エリアは1Fから移動するか、最低限カーテン等で仕切る。店舗内においては取り扱い商品ゾーニングをしっかりし、アダルトエリアはその旨の予告を今よりももっとはっきりとしてほしいなぁと思ってる。フロア内の完全な仕切りと離脱ルートの設置もほんとはあった方がいいんだろうけど…どちらも厳しいよね。つっこまれたらアウトそうな店は他もあるけど、表通りにおいてそれなりの間口の広い店が、従来のアニメゲームのみを脱却して一般小売店らしさを打ち出し、そういうものほとんど想定していない顧客層を呼び込むつもりならよりガードを強くする必要があるんじゃなかろうか、と。過去古川電気メッセサンオーVもろとも目をつけられた話とかあったしねぇ。調べたらちょうど10年前ですか。(参考: http://blog.livedoor.jp/geek/archives/22442961.html

蝉の声の幻聴

蝉の鳴き声が残像のように耳にこびりついているようだ。

カーテンを開けて外を確認するも、寝静まった住宅街に響くのは鈴虫であったとさ。

寝転がったた体勢とかで音も違う。

幻聴ならヤバそう。

2015-07-15

http://anond.hatelabo.jp/20150715052328

外見がかわいくて、

最低限カーテンと布団と歯ブラシさえ持っててくれたら、

ミニマリストでもかわいいと思う

2015-07-12

おおかみこどもの雨のこと

おおかみこどもの雨と雪をようやく見た。

俺は結構楽しめたよ。

でも最後の雨と花のシーンはよく分からなかった。

花が「まだあなたに何もしてあげてない」と言うと雨が若干驚いたように花に向き直るシーン。

あれ何で雨は驚いてるの?

俺の想像では、花の中の雨はまだ病弱で泣き虫の昔のままだったとこに驚いたのかなと。

から崖の上で遠吠えして、立派な大人になった自分を見せたのかなと。

でも花は雨にずっと家にいろ家にいろ言うてたし、今さら驚くのも違う気がして。

別の考えがあるなら教えてほしい。

雪と草平のシーンは素晴らしかった。

カーテンで隠れた時におおかみの姿になりそして人間の姿に戻った後、もう一度カーテンが雪を隠すけどやっぱり人間の姿の雪が現れたところ。

あそこが何故かわからんがすごいと思った。

ちなみに、草平ってただの人間じゃないよな?

一発で雪の違いに気づいたし、超過保護と思えた草平の母が草平に興味を無くしてたのも、草平に人間離れした何かを感じ取ってたんだろう。

草平にも1/4か1/8か1/16か知らんがおおかみの血が混じってるはず。

から草平は雪を追いかけずにはいられなかったんだろう。

2015-07-04

子宮頸がん検診受けてきた

20代突入したので、このまえ生まれて初めて子宮頸がん検診を受けてきて、

変なシステムだと思ったからどんな内容だったのかまとめる。

まず最初に、子宮頸がんって20代とか若い人にも全然起こりうるがんらしくて、

遺伝とか関係ないらしいから誰にでも可能性はあるとのこと。

わたしはそれを聞いて怖くなって受けに行った。


わたしの受診したときたまたま女医さんで、

受診前はそんなに気にしてなかったんだけど受診後に改めて女医でよかったと思った。


というのも受診内容が、まず下半身だけ裸になり、椅子の上に座ると、

その椅子が回転して、加えて椅子の座る部分が半分割れて股が開くシステムになっている。

回転して股を開いた先に女医さんたちがいるんだけど、わたしの腹部あたりのところで上からカーテンがかかっているか

下半身から向こうがどのような世界になっているか全く見えない。

どんな機械を入れられるかわからないし、何されているかもわからない。

女医さんの声が聞こえるけどもしかしたら男の人が見てたということもありうる。

恐怖でしかなかった。


わたしのときは3回ぐらい金属のような細いものをつっこまれ

まず最初子宮頸がん検診に必要子宮についた液体?を取るためにその金属子宮をひっかかれる。

まじで本当に気持ち悪い。思い出しただけでも身震いする。

2回目によくわからないけれどもう1回入れられる。

最後は(おそらく)、金属を入れられてあまねく女医さんに見られる。(と思う。)

見えなかったから推測でしかないんだけど、ひたすら金属の棒を右に左にやって開いて見てるような気がした。


で、「見た限りでは正常でした、がん検診の結果は1週間後にわかます」、と言われて終了。

時間としては10分もかからないぐらい。

そして帰ってきたら少量の出血。傷ついたのかなあ、、、、


まあなんか、「見えない」ということがどれだけ怖いのかということを改めて実感した。

恥ずかしくてもいいからカーテン開けてやってくれた方がうれしい。

と金属入れられるのもういや。他にもっといい方法ないの?


って帰ってきて、一生子宮がん検診をうけることのない彼氏に熱弁したら

AVで見たことある」って言われて終了だった。


ちなみに住民票がある場所子宮頸がん検診を受けると、

その地域ならではのクーポンがあるから無料になったり割引されたりするらしい。

2015-06-29

デーブのタルパ作った

カーテンレールで首吊ってる

2015-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20150625133244

俺の知ってる病院は全て、実際に検査やってる場所のすぐ裏っかわ(カーテン一枚とか)で消毒してたよ

健診センターだと、隣の部屋ってパターン検査室内に洗浄機械があるパターン見た

使用済みカメラを見えないほど遠くまで運んでまた持ってくる方が無駄に手間がかかるだろ

2015-06-21

房総にある、有名人入院したりする、ホテルのような巨大で、有名な大病院 K でみた現実

三年ほど前、親族入院した時の出来事

職員や医師に、人間性最悪の連中がいた。



まず看護婦

親族は開腹手術をしてもらい、一般病室に移った。

そのとき、背もたれが倒れたままの、ベッドに寝かされた。

一旦、腰を掛けたところ、看護婦は、ハイ寝てクダサーイ、との声掛け。

しかし開腹手術後の人間が、腹筋を使って、まとも後ろに倒れられるわけがない。

後ろに倒れながら、強い痛みを感じ、叫び声を上げる。

看護婦、はあ、と言う顔。

痛がる親族大丈夫かと心配すると、看護婦不機嫌。

親族が、痛い痛いと訴えると、ああ、痛かったぁ? との言葉

親族が、痛みに耐えながら、これからは、手術を受けた人には、背もたれを使ってあげて欲しい、痛いから、と訴えると、はあ!? あたしぃ!? と声を荒げる。

カーテンレールの外側に立つ付き添いを遮断するように、ザッとカーテンを引き、処置をする。

こちらは、手術を受けた親族人質のようにされているわけで、抗議もしにくい。

気が狂ってるとしか思えない。



そして手術後に、外来で経過を診察してくれる担当医師。(手術担当者とは別人)

老齢で手術後の親族に、罵声を浴びせながらの診察。

まりの酷さに、心が潰れそうになる。

しかしこれも親族人質のようなもの

抗議がしづらい。

その後、付き添った時、思い切って三万円を診察中に渡すと、コロッと態度が変わり、猫なで声。

その後しばらくして、親族が一人で診察に行くと、この前の親族の方によろしくどうぞ、またお会いしたいですねぇ、とのこと。

おかしいのか。倫理観ゼロ


しかし、実際に手術を担当してくれたお医者さんは、大変な人格者でした。

上の看護婦以外はみなさん、献身的でした。

ですから、この病院全部がおかしい訳ではないです。

でも、巨大病院ですので、末端に至るまで、指導が行き渡らないのだろうと思います

しかしハズレに当たり、最悪の経験しました。その記録です。

結婚っていいよ、私は良かった

根拠自分の体験だけなんではなはだ弱いんですが、好きな人と一緒にご飯食べるの楽しいです。

買ってきたおしゃれお惣菜でも、素敵なローストした羊肉オーブンぶち込んだだけ)でも、コストコの新作デリカテッセでも。

もちろんひじき煮+魚+浸し物のような和食の日もあるけど、京は粗食の日なの!って宣言して茶漬け塩辛いお菜な日もある。

できれば毎日一緒に食べたいんだけど、主人の勤務状況によるので、1月顔を見られないみたいなときもある。

10年くらい結婚してるけど、まだ全然一緒にいたりない!と思ってる。

幸せ感じるのは、日曜の午後。

主人は休日の午後は昼寝にあてるんだけど、カレンダー関係ない仕事なので、たまに日曜日休日が重なったら、もう幸せでたまらない。

規則的な他人の寝息とか、近所の学校でなんかのの試合してる声(平日は他校との交流とかはないから別の種類のざわざわが聞こえる)とか、風がカーテンを揺らす声とかを聞いてると

あ~幸せ!っておもう。

私は昼間に寝られない体質なので特に安心して寝てる!うれしい!って思う。

多分ほかの人からしたらものすごくしょぼい幸せだけど、その二つのシチュエーションは高いお肉を食べたときみたいな脳から汁が出てるような高揚感を感じる。

から多分、こういう生活が私にとっての幸せなんだろうって思ってる。

心を許した他人と作り上げる生活結婚と呼んで、その平和象徴から上記のシチュエーションをいいものだと感じるのかなって思います

2015-06-14

俺のマイルドヤンキー化が止まらない。だけど、幸せだよね。

中学卒業後、各地を転々としていたわけで、地元のつながりとか、仲間とか、そういったものを語るとき自分の目は、

どこか遠くのラピュタを見つめるような目をしていたと思う。

けれども、最近仕事きっかけで、また中学のある地域引っ越してきたことで、それが少しずつ、それがそうでもなくなってきたのである

ここ半年ぐらいの生活はというと、会社に行って、プログラミングをして、帰って、またプログラミングを黙々とするみたいな感じだった。

土日も基本的には同じで、いや、酷くて、基本的にこもっている。日曜日の夜になると、カーテンをジャッとあけて、漂流してねぇな、なんて確認して謎の安心を得て月曜日に備える感じだ。

テレビもねぇ、ラジオもねぇを地で行っていて、世の中のニュースがまったくわからない。

わかるのは、カラパイアとからばQとかの世界のどうでもいいニュースばかりだ。

Yahoo!トピックスとかを見ればまだ世の中の動向がわかるのかもしれないけれど、基本的はてなと、意外にもGunosyからメール入り口だ。

そんなわけで、自分マイルドヤンキーとの接点は、ヨッピー記事ぐらいのつもりだった。

遠い世界の話で、そういう話は聞くけど、実在するかどうかはこの目で観測するまではわからない、ってな具合で。

ところが最近、何かと中学友達と遊ぶことが増えてきたのである。やはり、近くにいるということはそういうことなのだろうか。

自然と何かしらと声をかけられたり、誘われたりしているうちに、いつのまにかモール文化圏に入り込んでいた。

土曜日に、誘われて、一緒に田舎道をドライブして、アウトレットモールに行って(ミニバンではない)、

なにを買うでもなくぶらぶらと散歩して、公園に行って、中学の頃の思い出話をして、楽しかったねっつって。

本当は、中学結構辛かったんだけど、浜辺の泥の中から、磨き上げられたガラス片をすくい上げるような感じで。

誘われても、最初は、たまには行ってやるかぐらいの話だったんだけれど、最近はどうも異なる。

純粋に、何か楽しくなってきたのである。そういう生活幸せを感じ始めている自分に驚きを隠せない。

Exile特に好きでもないし、地元!仲間!と声を張り上げて言ったりするわけでもないのだけれど、

自然地元の仲間と遊んで、いつまでも中学の話で盛り上がって、それが楽しい

いつどうやって東京に戻ろうか、みたいなことばっかり考えていたのに。

まぁでも、そういう暮らしって多くの日本人が昔からしてきた生き方なのかな、と思って半ばあきらめ気味だ。

自分が、そういう本能を組み込まれている側の人間でも不思議はない。父の実家は、ずっと百姓だった。父の実家に行くのが、好きだった。

見た目に関しては、ずっと髪も染めずに、地味にしていたんだけど、営業でもないし、銀行みたいな堅い仕事でもないから

20も後半にさしかかってはっちゃけしまった感じだ。今だったら、染め上げる金もあるし。

最初美容室仕事大丈夫ですかってめちゃくちゃきかれたけど、人と関わらないんで大丈夫ですってこたえた。

で、まぁそのぐらいにして、表題の件に戻るんだけど。

こんなところに自分幸せがあるとは、気づかなかったし、自分でも自分にびっくりなんだけど。

そんなにしゃべってなかったのに、そんなやつと今頃仲良くなったりしたとかも関係あるのかもしれないんだけど。

俺のマイルドヤンキー化が止まらない。だけど、ほんとになんか幸せなんだよね。

2015-06-11

うちの猫が逝ってしまった。

うちで飼ってた猫が亡くなった。

夜七時過ぎくらいにうちに帰ると、ドアを開けるなり娘が

みーちゃんが息をしていない!」と大声で泣き叫んだ。

慌ててその場へ向かうと、押入れの手前下のちょうどそこだけフローリングになってる和室で静かに横たわってた。

体に触れるとまだ温かかったが、確かに息をしていなかった。

触れるとどんな時でも猫らしくぐるぐると嬉しがるのにまったく微動だにしない。

ふと見ると失禁というか、床には尿が大量に流れていた。

ともかくこのまま置いておけないと判断して、マンションゴミ庫にあるダンボールを取りに行こうと玄関を出ようとするとちょうど買い物に行っていた妻が帰ってきたところだった。

みーちゃんが亡くなったようだ」

と告げると妻は一瞬で表情を変えた。

ダンボールを取ってふたたび戻ると妻は動物病院電話していた。

おそらく心停止して10分以上は既に経ってるから動物病院でも無理だろうと思いつつ、ダンボールタオルを敷いてそこに入れた。

ふと、もう一人いるはずの息子のことが気になり、和室に引きっぱなしになってた布団をめくるとそこでゲームする息子がいた。

ともかく、妻と二人、子供留守番させて動物病院へ。

動物病院では、先生酸素吸入しつつ心臓マッサージをしてくれたが、息を吹き返すことはなかった。

状況から最初は押入れの段の上にいたが、そこから降りようとして失敗して落ちてしまい、頭を打ってしまって打ち所が悪く死んでしまったのではないか、とか先生と話したけど、遺体解剖するわけでもなく原因は分からない。

昨日まで、というか家にいた妻や子供の話では夕方まで、老いたとは言えそれなりにいつもと変わらない様子だったらしいし、腎臓は高齢とともに少し弱っていたが大した病気もしたこともなく、食事だって普通にとってたし排尿排便もまるで問題なしで、体重だって至って普通予兆は全くなかった。年に一回の三種混合ワクチンも欠かしたことなく、その際にいつも軽く診断もしてもらってたし…。何れにせよ、原因は分からない。

うちにその亡骸を抱えて帰ると娘は依然として泣いていたが、息子がその死を理解できず、亡骸をみるもののすぐにゲームしようとしたので流石に妻が怒った。

でも、ほんとに理解できなかったようで、いずれ目を覚ますとでも思っていたらしかった。不意に息子が「これからどうなるの?」と聞いてきて「明日役所に引き取ってもらって焼かれることになる」と答えた時点で理解したらしく、突然大泣きしだした。

 

今年で17歳になる筈だった。

妻と結婚する年に、一人暮らししていた俺のマンションに妻が予告もなく生まれて間もない子猫友達から貰い受けて連れてきた。

から付き合いとしては多分、家族の中では一番長く付き合ったのが俺だろう。

彼女(※雌である)は子猫時代、恐ろしく元気でやんちゃだった。

スパイダーマンのように壁は愚か天井でさえ上った。

俺は引っかき傷が耐えなかった。

まりにとんでもなくやんちゃだったので俺も彼女ビシバシ叩いた。

そんなもんでやんちゃが止まることはなかったけど、カーテンを上るのだけは止めてくれたのが懐かしい。

思い出は語り尽くせないけど、なんとなく最近、死期は近いだろうなとは思っていた。人間にすれば90歳位だし。

亡くなって、実のところ、自分自身特に悲しいとか感情は湧いてこないのが不思議。これからじわじわくるのかな。

16年と11ヶ月。ありがとう。俺がそっち行くまでまだ大分あるけど覚えててくれるかな。覚えててくれたらお前が一番気持ちよかったらしい尻尾の付け根をいっぱい叩いてやるから(笑)

2015-06-09

鏡にカーテンを付けてほしい

ビジホに泊まるたびに思う。

物書き机の鏡は淑女の方々には必須なんだろうが、

人間の顔が自室にあることが嫌な人間にとっては不快まりない。

2015-06-07

ボケててもうんこまみれは辛い」と思える心のゆとりがない現場

http://anond.hatelabo.jp/20150606230329

私の母も認知症がひどく施設に入っています。常々感じていることがあるので書いてみたいと思います

介護をするうえで一番大切な心の持ち方は、いかに介護される本人の目線ものごとを考えられるかだと思います。それが根底あるかないかで言葉や扱いに大きな違いが出てくると思います。本人目線で常に考えて行動している人は、理想的介護ができていると思います

ボケててもうんこまみれは辛いと想像できるわけです。本人に対してうんこを漏らして良かったねなんて言葉は出て来ないわけです。

一方、実際の介護現場の状況はどうかというと、「毎日大変」です。

どう大変かを以下に書きます。(グループホーム場合)

夜勤が6日に1回まわってくる。その時はひとりで9人の部屋を巡回介護して眠れずクタクタ

介護するだけではなく常に記録や日誌をつけなければならない。

ミーティング勉強会が定期的に行われる。

トイレ掃除料理、後片付け、洗濯、歯磨き、トイレ介助、洗濯物たたみ、お風呂介助、寝かせつけ、徘徊阻止・・・

行事があるときは、歌を歌ったり芸を披露しなければならない。

ストレスが溜まりやすい中で人間関係をよく維持する努力必要

経営的に苦しいので職員数を増やすことができない。

給料が安く待遇が悪いので上質な人材が集まりにくい。

また、現状はどうなっているかを以下に書きます

エアコン使用制限されている。原則個室のエアコンは就寝前の1時間だけです。夏はエアコンが切れたら暑くて寝られない。

経営者目線が最優先されている。

● 西日の当たる部屋でも午後5時までカーテンを開けっぱなしで、午後5時にカーテンも窓も締切なので夏は蒸し風呂

● 部屋全体の拭き掃除がされていない。する暇がない。することになっていない?

● 紙オムツやパッドがズレていることがよくある。

オムツパッドが尿やウンチでいっぱいの時がよくある。なのにパッドの消耗が異常に早い。

名前が書いてあるのに洋服タオルが間違っている。

● 同じ洋服を何日も着ていたり、状況に合っていない服を着ていたりする。

現状は、本人目線で考えているとはとても思えないひどいありさまです。ひどい現状を認識していない家族も多いと思います介護地獄から脱することができて御の字だと思っているのかもしれません。

また、ひどい現状が表に出にくい状況にあるのも事実です。本人は認知症ですし、家族が24時間介護状況を監視することはできないからです。

でも、上記のような大変な介護現場を見ていると仕方がないのかなとも思います

そこで私は思いました。現状では、介護現場介護限界があるのだと。その水準が自分が望む水準に届いていないと思うのなら自分でその水準まで押し上げるしかないんだと。

から私は毎日面会に行っています毎日、かみ合わない会話を通して親子の心のキャッチボールをして楽しんでいます

トイレに行ってパッドを交換し、テレビを見、好きな音楽を聞き、パジャマに着替えさせ、ベッドに寝かせつけ、足を揉み、心配ごとをひとつひとつみほぐし、「ああ、今日は良かった」のひとことを聞くまで帰りません。最初にその言葉を聞いたときはびっくりしました。そして嬉しくて涙が出ました。

認知症の人はいつも不安でいっぱいなんです。いつも心細い思いをしているんです。さっき言ったこともすっかり忘れてしまうほどにひどい認知症であっても、私が行くと誰だか認識できなくてもシッカリ反応して笑顔になるんです。打てば響くんです。

私は母との関係凧揚げに似ているなと思います。もう、風は吹いていないんです。引っ張るしかないんです。引っ張らないとすぐにへなへなと凧は落ちるだけです。

2015-06-01

月イチかそれよりちょっと多いぐらいのペースで寝起きに偏頭痛の発作がくる。

起き上がれないし、眩しくてカーテン開けたり部屋の電気も点けられないみたいな状態になるから

当然会社行けなくてとりあえず午前休申請して処方されてる薬飲んで効くの待って寝てるしかなくなる。

そして薬の効きがイマイチだったり深めに寝てしまったりすると、

治まったころには午後からの出社に間に合わない時間になってて結局全日休みになってしまったりする。

大体有給がコレの補填だけで全部消えてしまうし、

他に病気したりして有給使ってると欠勤になったりするので万年勤怠ズタボロで退職勧奨食らったりとかし始めた。

結婚しちゃってるし、今の会社より待遇のいい会社に潜り込める気もしないので自分から辞める勇気はないけど、

派遣かなんかで小金稼ぎながら一人で生きて一人で死ぬ方が身の丈に合ってたのかなーとか思ったりして泣きたくなる。

2015-05-31

セックス怖い

人生初の膣カンジダを患い婦人科に行った

患者アンケートを書いてから簡単な問診、そして診察台へ

パンツ脱いで開脚スタイルで台に座りカーテン越しに下半身丸出しの状態で待機してたら

いきなり何かの器具を突っ込まれ

ヘァ!?と思わず一瞬硬直すると、おばちゃん先生が「あれ?性交経験ありじゃなかったっけ?」などと言う

「い、いえ、アンケートの『なし』にマルしました……」と返すと「そうだったかしらー?ごめんなさいね」と笑顔謝罪

その後も恥垢っつーか真菌の塊を採ろうとされるたびに痛みと恐怖でびくつく自分

はいえ診察自体は短時間で無事に終了した

しかし私の頭には疑問が浮かんだ

知識経験とも豊富なはずの婦人科医者がいじってもあんなに恐怖感があったのに

医学的知識があるわけでもない普通の異性にいじられるなんてどれだけ恐ろしいことなのか

そんなことが本当に今後可能なのか

いやそんな予定は全然ないんだけど

かくして今日も喪は喪を強固するのであった


あと外陰に薬塗るときに鏡で股ぐらを覗いたら

え?どこが穴なの?と聞きたくなるくらいみっちり肉がつまっていて

これのどこに棒を突っ込む余地があるんだよ……とそこでも恐怖を覚えたが

どうやら腫れていただけだったようで、治癒とともに穴らしきものが見えてきた

ただしその穴はポンデリング状というかぶっちゃけ肛門に似ていたので

よくこれで興奮できるな……と思った

2015-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20150530091154

マジなの?

会社掃除してて

窓開けたら、鍵閉めて、カーテン閉めましょうね、

って教えなきゃいけないのか?

てーか、教えてもそれ出来ないんだよね。

しばらくすると出来なくなる。

冷蔵庫飲み物を飲んだら、ちゃんと戻してしまいましょうね、とか

トイレはちゃんと流すとか(しかも大w)

そう言うこと会社で教えなきゃいけないのか?

一連の動作が出来ない人

例えば、掃除の時に窓開けた場合

掃除が終わったら、

窓閉めて、窓の鍵かけて、カーテン閉めて、の窓に関する一連の動作がある。

これ出来ない人がいて本当にビックリする。

毎日の習慣が出来ない人。

どうなってんの?

これはこれで関連することだから一緒にする!っていう、

そういう想像力ゼロか?

2015-05-27

実家が嫌い

訳あってしばらく実家にいる。

早く東京に帰りたい。

うちの母親掃除ができない。

子どもたちが全員独り立ちしてから、全く掃除をしなくなった。

家中ゴキブリホイホイだらけだが、古いものを片付けずにまた新しいホイホイで応急処置をする。

古いものには10匹以上かかっているものもある。

家はゴキブリホイホイのあの独特なにおいが充満している。

台所はゴミ屋敷のようになっている。

母は、そこをカーテンで区切って中が見えないように誤魔化している。

バレていないと思っているようだが隙間から見てもひどいのが分かる。

学生時代学校に持っていった弁当箱は、昼休みに蓋をあけるとコバエが出てきたことが何度もある。

幸いにも食中毒にはまだなったことはない。

そして、2人ともかなりくさい。

父親は独特の加齢臭がする。

母親はとにかく汗くさく、太っているので特にこの季節はひどい。

2人が入ってから10分はトイレに行けない。

残り香もひどいからだ。

そしていちばんキツいのは、2人の後に風呂に入ることだ。

うちは今給湯器が壊れていて、シャワーが出ない。

よって湯船にためたお湯で頭や体を洗うのだが、両親はその湯に浸かる。

私が風呂に入る頃には湯船には垢や変な毛が浮いている。

湯は2人のにおいがまざって大変なことになっている。

そしてもちろん風呂も汚いのでコバエが飛んでいる。

まさに地獄絵図だ。

両親のことは好きで、大切に思っているが、最近は本当に嫌で嫌で仕方がない。

他の兄弟は全く実家に寄り付かない。

母は、更年期障害でこうなってしまったのか。

父も、どうしてこうなるまで放置してしまったのか。

からさほど綺麗な家ではなかったが、ここ10年でこうまで汚くなってしまった。

なんとかならないものだろうか。

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