この年齢になっても声が上から降ってくるというのはどこか困惑してしまう。
「君が……」
「ええ、キリンです」
みぞおちのあたりに私の顔があるので、私は彼女の顔を見上げる。話で聞いていたのよりも遥かに背が高い。二メートルは軽く越しているんじゃないか、と思う。もっともそんな私の当惑をよそに、彼女はニコニコと笑っていた。
「まあ、とりあえず入って」と言い、私は自室に案内した。
「おじゃまします」
彼女が入るとそれだけで急に部屋が狭くなってしまった気になる。取りあえず座布団を用意する。この日に備えて部屋の掃除は抜かりなくやった。生ゴミを捨てた。消臭剤を撒いた。カーテンまできちんと洗った。生まれて初めての体験なので、部屋の掃除をしている段階で既に興奮してきた。でも、目の前に公称二メートル五十センチの女の子がいると思うと、複雑な意味で興奮してしまう。
「まあ、とりあえずビールでも」
「あ、ありがとうございます」
冗談で言ってみたつもりだったのだけど彼女の戸惑った表情に、しまった、と思った。でも彼女はすぐに目を細めて笑って言った。
そのリアクションが逆に気まずくなって彼女に缶ビールを渡すと、その缶ビールは紙コップ並みの大きさに見えた。
「いやでも、こういうのってボディガードがついてたりするのが定番だって聞いてたんだけど。まさか手ぶらで来るとは思わなかった。催涙スプレーとか警報機とかで自衛するとか聞いてたし」
「あー、それってホンカク的に地盤が固まってるお店の話ですね。そのスジの人と繋がりがあるお店みたいな。ウチはフランチャイズ展開で、要するにコンビニとかと同じなんです。本社があって、脱サラしたオジサンが支店を経営するとか」
「大丈夫? 何か酷い目に遭ったとか」
「んー、でも、オマエは護衛がいなくても大丈夫って言われてます。ホラ」
と言って彼女は拳を私の前に差し出した。拳から彼女の顔までの距離が遠い。そのせいで拳が思っていた以上に巨大に見える。
「こんなにリーチありますから。オマエならカメダにだって勝てるって言われます」
「バスケとかバレーボールとかやってた? 君だったら引っ張りだこだと思うんだけど」
「あー。参加しても、オマエが入ると面白くないから出てけって、どこ行っても言われちゃいました。ユニフォームも特注しないといけないし。だから学生時代は絵を書いてました」
人間の個性というのはこうやって潰されるものなんだな、という思いが頭をよぎった。
「最後に計った時は五十センチだったから、今はもっと高いかも」
「大変だね。電車とか辛いでしょ?」
「そうですねー。あと悩みなのは、スカートが全然似合わないとか」
「いや、そういう問題じゃないと思うんだけど」
「慣れれば結構ラクショウですよ」と彼女は言った。「もしかすると、利き手が左の人の方が私よりツラいかも」
そして笑った。
「ダメですか?」
ことに及ぼうとして二人ともシャワーを浴びたのだけど、いざとなるとやはり自分の方が緊張してしまう。だから私たちは裸のまま、固まってしまった。
「ごめんね」と私は謝った。
何か対策はないものだろうかと、沸騰するぐらい脳の中で思考をめぐらせながら目の前数十センチにある彼女の顔を見ていた。スタイルが気に入らないとか自分の好みのタイプじゃないとかいう問題ではない。大き過ぎず小さ過ぎないおっぱいも、肉の余っていないスレンダーな腰も自分の好みだった。ただ、あまりにも目の前にある現象が非日常的なので、それに適応出来ないままでいるのだ。どこかでこの現象をすんなり受け容れられる接点を見つけなければならない。
「あ、そうだ。私、言葉責めっていうのヨワイんです」
「言葉責めか」私は考えた。「おいノッポ、ノッポ! っていう感じかな」
「それって、言葉責めって言うんですか?」
「言わないかも」
「あと、ノッポっていうの子供の頃から言われてますから特にザンシンな感じもしないんですよね」
「じゃ、おい! デクノボー!」
「……ホンキで考えてます?」
「一応本気のつもりなんだけど」
「あ、そういえば私、子供の頃はダチョウってよく言われてました」
「ダチョウか」
ダチョウ。そして彼女の名前はキリン。ふと閃くものがあったので言ってみた。
「なんだか中の温度が熱そうだな! ちょっと確かめてみるよ!」
「うーん、ザンシンといえばザンシンですね」
「俺もこんなことベッドの中で言ったことないな」
「分かった。じゃ音楽かけるね。いい?」
私は背を起こした。そしてラジカセのスイッチを入れて音楽を流す。この日のために買ったアルバムだ。オアシスの"Standing on the Shoulder of Giants"。それを流しながら、とにかくさっきの感じでやってみることにした。