2015-03-16

ダイヤ改正

ダイヤ改正があって初めての月曜日

いつものように上野から有楽町まで京浜東北線で移動したのだが、先週までの感覚からすると、"ガラガラ"で笑ってしまう。この場合ガラガラとは、スマホで遊ぶスペースがあるということだ。

上野駅で乗り換え電車待ち行列に並ぶ時の、並んでから最初に来た電車にはまず乗れないことを加味して時間が読めない山の手線と若干遅い京浜東北線とどっちの列に並べばいいかと一瞬で選択しなくてはいけないという軽い緊張感。共感を呼ぶことはもうないし、これから味わうことも二度とできないのだなと思う。並走する二つの路線があってなお、あんなに混む路線は関東には現れないだろうから。二度と体験したくないけど。

上野乗り換えといういつも通りの路線に3分遅く乗って2分早く出社した。これは私の体験では珍しいことだ。いつもなら、朝のちょうど良い時間に来るちょうど良い電車3分遅れるか、3分早く来ることでスイートスポットをわざと外されたような苛々に二週間は悩むのに。朝、眠い頭を振り払って半刻を身支度にかけることを思えば誤差なのだろうけど、朝はそれが結構きつい。

ダイヤ改正後、個人的に一番悲しい思いをしたのは会社帰りに北斗七星が見れなくなった時だと思う。もう永遠に見ることはないのだけど、そっちではなくて、その少し前にあったダイヤ改正だ。

池袋から湘南新宿ラインに乗って大宮駅で降りて待つこと少し、最寄り電車の一個前にホームに入ってくる北斗七星ぼんやりと眺めるたびに、新人で何一つ分からないまま掻き回されるだけの仕事疲れた心が、癒えるのを感じた。お父さんの構えるカメラ子供が笑いながら手を振る姿だったり、カーテンを開けたままの客車から夫婦が楽しげに会話を交わすのを見たりするたびに、未だに行ったことのない北海道をよく想った。

最寄り駅の時刻ダイヤを1日の始まりとする日常はこれからも続くのだろう。時刻表みたいに、数年に一回でいいから変わった時間を過ごしてみたい。人身事故や雪といった急変にも落ち着いている自分がいて、墓参りの日と思い出す日が少し増えたまま、大枠は何も変えられないのがつらい。

大宮で座れたら、一度寝過ごしてみようか。ネタで寝過ごして伊東まで行きましたと正直に上司に伝えたらどうだろう。戻ってこいか、そのまま寝てろ、か。想像してみると、思ったよりユーモアは得られなさそうだった。

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