何でも疑ってかかる疑りやさんになってしまっているのです。
おともだちはその小さな頭で理解できないことなどありえないと思ってしまっているのです。
大人であれ、子どもであれ、人間が考えたりできることは限られているのです。
あらゆる真実と知識を内包する広い宇宙に比べれば、人間は小さなアリのようなものなのです。
○○は、愛や人への思いやりや、献身が存在するのと同じくらい確実に存在します。
それらがちゃんとあって、あなたの人生をすばらしいものにしてくれているのは知っているでしょう。
ああ、もし○○がいなかったら、どんなにこの世はわびしく退屈なものでしょう!
バージニアのようなかわいらしい子どものいない世界が考えられないのと同じくらい○○のいない世界はさびしいことでしょう。
純真な信じる気持ちもなく、詩も、ロマンスもなくなってしまうでしょう。
私達は自分が感じられるものや目に見れるものの中にしか楽しみを見つけることができなくなってしまうでしょう。
子どものころに世界に満ちあふれている光も消えてしまうでしょう。
クリスマスイブにパパにたのんで、何人もの人に煙突という煙突を全部見張らせて、○○を捕まてもらったらどうですか。
でもその時○○が煙突からおりてくるのを見なかったとして、いったいそれが何の証拠になるのでしょうか。
○○を見た人はいません。
この世でもっとも確かな存在は子どもや大人の目に見えるものではないのです。
芝生の上で舞う妖精の姿を見たことがありますか?もちろんないでしょう。
目に見えないもの、見ることができないものがこの世に存在するという不思議を想像することができないだけなのです。
赤ちゃんが持つガラガラを分解すれば、どうして音が鳴るのかわかるでしょう。
でも、目に見えない世界を覆うベールは、どんなに力の強い人でも、それどころか、世界中の力持ちをみんな集めてきたとしても、引き裂くことはできません。
信じる気持ちと想像力、それに詩と愛とロマンスだけが、そのカーテンを引き分けて、その向こうにある、この上なく美しく、輝かしいものを見せてくれるのです。
ねぇ、バージニア、それほど確かな、それほど変わらないものはこの世にはほかにないのですよ。
○○がいないですって!とんでもない!
それどころかいつまでも死なないでしょう。
1000年後までも、いえ、バージニア、100万年後までも、○○は子どもたちの心を喜ばせてくれるでしょう。
1:サンタクロース
2:STAP細胞
3:チョキ3枚を保有しているX