はてなキーワード: 南新宿とは
世界で一番乗降者数が多いらしい新宿駅。の、とある私鉄のホームの片隅の出来事である。
私が数年離れた小田急も、再び利用し始めて一年が経とうとしていた。
戻ってから実感させられたが、やはり私は物心付いた頃に生活の一部になっていた小田急に、愛着がある。
とはいえ、私はまだまだ若輩者である上、いわゆる「鉄道ファン」を名乗るには知識も足りないと自覚している。
自分が育つとともに小田急は、いろいろな思い出を私に与えてくれた。
一般的な子供と比べて、数多く電車に乗る機会があったこともその一因だろう。
自分の習い事も、父の仕事に相伴する際も、小田急に乗った。そして小田急に乗る度、1両目の一番前に齧り付いた。
そういえば、当時は運転士が前面のカーテンを降ろす理由が分からず、「そんなに子供に意地悪をしたいのか」と捻くれたこともあったと思う。
今となってはその意味を理解してしまい、ただただ当時の自分の未熟さを恥じるばかりである。
今から15年ほど前だったと思う。
疲れた父を引き連れて、当時自宅のあった小田急相模原駅まで各停で帰ろうとワガママを言った。
東北沢駅がまだ地下化はおろか改修すらもされず、2面2線(+通過線2線)だった頃。
通過待ちで止まっていた各停の中でも、ただただ前面で往く電車、来る電車を観察していた。
そんな私に運転士から声がかかる。「電車、好き?」といった感じのことだっただろう。運転士は、私と会話をしてくれた。
詳しい内容までは覚えていないが、子供だった私の心が非常に躍ったことを今でも忘れないほど、大切な思い出だ。
また、当時住んでいた小田急相模原駅は、各停と準急のみが停車する駅である。(※後に「区間準急」が新設され、停車駅に。)
それだけで、数の少ない準急がなんとなく特別な感じがして好きだった記憶がある。
(後に海外に旅立つ日、初電の「各停相模大野 相模大野から急行新宿行」なんてものに乗った時は、自分は非常に特別なものを味わっているような気がして、乗る前からワクワクしていた)
だからだろうか、後に夕方に新宿から一人で帰る機会が増えた時、あえて準急を待って帰ることが非常に多かった。
徐々に大人になっていき、前面への齧り付きもやめたが、それでも準急に乗って端の席で寝て帰り、たまに本厚木まで運ばれたりしていた。
そんなことをしていたから、新宿18:45という時間は私にとって非常に特別なものだったのだ。
感慨に耽ってしまって、まるで本題に移れない。そろそろ移ろうか。
友人と新宿で21時に約束をしていた私は、先の用事を早々に済ませてしまい、18時頃に新宿駅に到着することになる。
その時、電光掲示板にふと「準急」の文字を目にした。18時13分には、新宿駅4番ホームから町田行きの準急が出発する旨が記されている。
そして、3月ほど前から話題となっていた「夕方準急の急行への変更」のトピックも、ふと思い出す。
― 期せずして、"別れを告げる"機会を得たのではないか
そう思わずにいられなかった。
手持ちで写真を撮れるものはiPhone5Sのみという状態だったが、とにかく私は別れを告げることを決意した。
まず、18:13発の町田行きを数枚撮った。
しかし、既にこの時点でホームには数人、写真を撮る人が構えていた。
18:14、定刻より少々遅れて電車は出発していった。
このとき、15時頃に鶴巻温泉駅-東海大学前駅間で発生した人身事故の影響で、ロマンスカーの運休及び僅かな遅れを持った状態で、こんな日を迎えたことを再認識。
小田急新宿駅の18時台といえばロマンスカーも席が全て埋まるような時間であり、ロマンスカーが運休となってしまうと急行ホームには人が溢れ返る。
普段と変わらぬ日常を過ごしている人たちにとってみれば「災難な日」なのかもしれないな、などど心の隅で思った。
町田行きの準急が帰途に就くと、5段ある電光掲示板の一番下に、目当ての列車が現れる。
これを見た瞬間、私はなんとも言えない気持ちに包まれた。
ただ必死に、1本電車を見送る度に上がってゆく電光掲示板を見つめ、また写真を撮った。
そういえば、昔は向ヶ丘遊園での退避なんかなかったなとも思った。後続の快速急行からは新百合ヶ丘まで逃げ切っていたはずだ。
当然、向ヶ丘遊園で抜かさなかった時代の快速急行はノロノロ運転必至だっただろう。
効率を考えて、後にダイヤが改正されたのも当たり前の話であるのだが、なんとなく悔しいと思ったことがあった気がする。好きだった「準急」の自宅までの所要時間が、伸びてしまうのだから。
いくら好きと言っても早く帰りたいと思う気持ちは無いわけではなかった。
結局のところ、末期には向ヶ丘遊園・新百合ヶ丘・町田・海老名と、終点までに後続4本もの急行に抜かされるものとなる。
始発新宿を18:45に出て、相模大野まで60分、終点本厚木までは80分もの時間をかけて辿り着く。
これらの駅への最速達列車との比較をすると、およそ2倍ほどの時間をかけていることになる。
時の流れは案外早いもので、少し待つと本厚木行きの準急は5番ホームに到着した。
到着前、他の列車よりは少ないながらも、この電車に乗るために並んでいた大勢の人を見て、なんとなく嬉しくなった。
この頃、「撮り鉄」と呼ばれる人たちもたくさん見受けられた。
明日は、十数キロ東に行けば、南北を結ぶ大革命が起こる。そんな日。
それでもここ、小田急新宿駅に足を運び、この「準急 本厚木」を撮るたくさんの人を見た。
そんな人々は、小田急にどんな想いを抱いているだろう。問いたかったかもしれない。
18:45の準急が到着した時、私は新宿駅ホームの西口地上改札側にいたが、少々人が多かったので南新宿側に移動することにした。
しきりに写真を撮る私を横目に、運転士の一人が別の一人に「なんですかこれ?」みたいなことを訊いていたようだ。
ベテランと見受けられる運転士は「今日準急本厚木最終日だから」と言っていた。
列車を撮ることに関して、運転士を始めとした鉄道会社の方たちも、快く思う人ばかりではないだろう。
しかし、少なくとも今日、撮影する行為を止められることがなかったことに関して、本当に感謝したい。
そんなことを思いつつビデオを構えた。
程なくして、耳慣れていながら、二度と聴けないであろう、放送が流れる。
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「準急本厚木行き、発車いたします。向ヶ丘遊園で快速急行の通過待ちを致します。」
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「Plllll.....5番ホームから 準急 本厚木行きが 発車いたします」
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たくさんの人を乗せて、本厚木へ向かっていった。
私は見送った。ありがとう。
そして、さようなら。