はてなキーワード: カタログとは
α7IIというカメラがあるのはご存知だろう。型番でいうとILCE-7M2だ。
フルサイズミラーレスであるα7シリーズでボディ内手ブレ機能がついたカメラだ。
じつはこのカメラに、電子接点付きのCANON EFマウントアダプターを接続すると、なぜかCANONレンズにも関わらず爆速でAFが機能するようになる。
細かい話は割愛するが、Aマウントアダプターに対して高速AFを有効にできるようファームウェアを書き換えたら副産物としてCANONのレンズまで爆速になってしまったといういわゆる想定外の出来事だったようだ。
そしてなぜかわからないがこの現象が起こるのはフルサイズではα7IIだけらしい。(全て試したわけではないが、少なくともα7、α7IIIは非対応だった。)
つまり、α7IIとマウントアダプターを購入すれば、CANONのレンズ資産は死なずしてフルサイズに移行することができるのだ。
しかもそれだけじゃない。今後、フルサイズレンズを購入しようとするとき、CANONとSONYの両方から選択することもできてしまうのだ。
これは控えめに言ってもカメラユーザーにしてみれば大事件である。
さらに言えば、APS-Cにフルサイズレンズを付けることは決してもったいない話ではないので、CANONのフルサイズレンズを買っておけばどちらにしても無駄にはならないということだ。
APS-Cにフルサイズレンズを取り付けるということは、フルサイズセンサーの周囲をトリミングして使うようなものなので、周辺減光や色収差の低減だけでなく、写真の隅までボケが丸くなるというメリットが有る。
周辺減光はレタッチでなんとかなるとしても、周辺までボケが丸くなるメリットはかなり大きい。
そのため、自分の場合は、APS-Cユーザーの頃からできるだけフルサイズ対応のレンズを買うようにしていた。
もちろんAPS-Cのほうがカタログスペック的には優位だが、フルサイズに移行したとき同じレンズを購入しなくてはいけないことを考えれば多少割高に感じられてもよほどスペックにこだわりがない限りはフルサイズレンズを購入するべきだ。
ちなみに増田が語っているレンズの画角が1.6倍相当になるという話だが、これはよく議論されることなのでここで話を整理しておく。
これは、例えば300mというレンズが480mm相当になるということは、フルサイズカメラAPS-Cのレンズを取り付けて、ケラレた部分をトリミングしていることと等しい。
一見画角相当が優位に感じられるかもしれないが、ただ、周囲の描画を切り取ってアップにしているだけなのだ。そういう意味では電子ズームと同じだ。
画素に置き換えるとそれでもAPS-Cのほうが優れていると感じるかもしれないが、そもそもセンサーサイズが違うということはその時点で画質として優位なので、APS-C換算480mmがフルサイズ300mmをトリミングした画像よりもきれいになることはない。少なくとも同じ世代のカメラにおいてはだ。
さて、脱線した話をもとに戻すと、このα7IIは、現在2万円のキャッシュバックを行っている。
kakaku.comの最安で12万(先週より1万あがっている。上昇傾向にある)なので、実質10万で新品が手に入る。中古相場なら8万ちょいといったところだ。
電子接点付きのマウントアダプターは7千円から15000円くらいで買うことができる。レビューを比較してどれがよいか考えてみてくれ。
はっきりいって、これは買いだ。
ちなみに自分も先週買ったばっかりだ。
α7IIにCANONのフルサイズレンズを取り付けて爆速AFを実感してはニヤニヤが止まらなくなっている。
SONYのミラーレスはもともとフランジバック(素子からレンズマウント面までの距離)が小短くつくられているので、マウントアダプターをつければほぼどのメーカーのレンズも取り付けることができる。当然もともと遠いカメラに短いレンズを取り付けることはできない。
そうした点を生かして古いマニュアルレンズの取り付けを想定してしていたのか、マニュアル時のピント合わせ機能も充実している。
手ブレ補正機能のついたα7IIは懐かしのマニュアルレンズを楽しむ上でも非常に貴重な1台といえるだろう。
ただし、気をつけなくてはいけないことは、設定でAPS-Cレンズの自動検出をオフにする必要があるという点だ。
α7シリーズには、フルサイズEマウント以外のレンズを取り付けるとAPS-Cレンズだと勝手に認識して画角をAPS-C相当に勝手にトリミングしてしまう機能がついている。
CANONのAPS-Cレンズを取り付けるならオンのままでよいが、CANONのフルサイズレンズを取り付けるときは注意してほしい。
残念ながら、CANONのフルサイズミラーレスはマウントアダプターの対応状況など残念ながら手放しでオススメできる状態にはない。
イギリス人のブルマーの調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線に脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエのチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。
これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望を喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望の暴走をコントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性像から自由になる手段であり、政治や広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。
前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。
https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu
これは、クラシック・バレエのチュチュの基本的な構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである。
しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代のチュチュとして、次の4つが挙げられている。
短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキ・チュチュより長い。ドガの作品で多く見られる。
これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログの写真では普通、スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。
https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/
http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg
世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201
さて、ウィキペディアのチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュのパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナは下着としてステージ・ショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。
また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエ・ファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュ系である」との記載がある。
要するに、レオタードみたいになっている場合は普通に下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツをはいているわけである。当たり前ではあるが。
ロマンティック・チュチュは1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパンの起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。
また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリルは横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリルの趣味の時代的変遷だろうか?
Wikipedia英語版のballetの記事でバレエの歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。
まず、バレエの起源はルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。
17世紀の頃は、女性の衣装は重たい生地と膝丈のスカートで構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャーに制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面から数インチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンなスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀の絵画だ。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg
19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体のラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg
そして20世紀、バレリーナのスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである。舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀の作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年の写真を貼る。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg
画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。
さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである。
ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装も存在しているらしい。確かにbunkamuraに食事に行ったとき、バレエの衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッションの衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。
ブックマークのコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケートな話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。
僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガの作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。
エドガー・ドガがバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサーは現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサーは薄給で生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサーを娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスのバレエ界から男性ダンサーはいなくなり、フランスのバレエは低俗化することになる。
もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在を表現しようとしたドガの作品の価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサーの意志だったのか、と。そして、女性が身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか。
もちろん、過去のことだからわからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代の文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的に判断したかの判断は難しい。とはいえ、過去の人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。
しかしながら、現代に生きる僕らは、自分が主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代の文化に支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分のフェチの起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。
身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係でパワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。
スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易に善悪を論じることが困難だ。バレエも例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情や欲望と混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。
今までこうした社会的な側面から女性のファッションの歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装そのものの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である。
何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術やスポーツに励む女性に性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。
今回の調査では、見せパンの起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。
そこから、メイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスやバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマーに回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。
とはいえ、しばらくは休みたい。自分の欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化は妖怪に名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的なものとして把握できるようになった。
つまり、増田に欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的な意見、ねちっこく不快だという否定的な意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝の言葉を述べたい。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg
当方、医療機関に勤めている。新型コロナウイルス(以下、コロナウイルス)対策のために(40畳用の)空気清浄機を導入しようといろいろ調べてみた。
厚労省が コロナウイルス下における夏季の換気についての文書を出している(※1)。その中でインフルエンザウイルスに対して市販の空気清浄機がどの程度効果があるかという趣旨の論文(※2)を引用している。
それによると、ウイルス除去能はHEPAフィルターの有無と風量に大きく依存しており、プラズマクラスターとフラッシュ・ストリーマ放電は効果がなく、ナノイーは効果は芳しくないとされている。(先日、シャープがプラズマクラスターがコロナウイルス除去に効くと発表しましたが、市販品の100万倍以上だった場合の結果のようで、叩かれていましたね)
2. 加湿機能について
加湿機能についてはウイルス云々は別にして付属しない方がいい。なぜなら、空気清浄機のフィルターの中は細菌が繁殖しており、加湿器が付属することによって機体の温度・湿度共に上昇しフィルター中の細菌がさらに増えるから。加湿機能欲しい場合は別に購入した方がいいわな。
3. フィルター交換時期について
フィルター交換期間が10年とされている商品が多いが、何人かの業者さんから聞いたところ ありえない とのこと。長くとも2年が限度。実際、無菌調剤室のクリーンベンチでもHEPAフィルターの交換期間は(業者にもよるけど)1~3年ぐらいだし。どちらにせよフィルターが詰まれば機体が通知してくれるので、交換時期に関してはカタログ値は意味がないかもしれない。
4. 実際に浄化される体積
空気清浄機の気流は狭い範囲(通常 10m2 程度、6畳程度)でしか効果がない(※1)ためサーキュレーターで空気を循環させた方がいい。
機体内を通る空気をUVCで除菌してくれる空気清浄機もある。ちゃんと機能するならフィルターで除去するよりもウイルス除去能は高いと思われる。ただ、あまり種類が出揃っていないようで情報がない。(少なくとも私には見付けられない)
結局、HEPAフィルターを備えていて できるだけ洗浄能力が高く、かつ静かなものを選ぼうと思っている。
候補としてはダイキンの業務用(ACEF12L-W)かブルーエアー(Classic 605)かなぁ。
(Classic 605はフルパワーだと62dbでうるさいけども)
あと、厚労省が店舗等における空気清浄機の性能要件を示してくれるといいんだけどな。
※1
熱中症予防に留意した「換気の悪い密閉空間」を改善するための換気について [令和2年 6月17日]
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000640920.pdf
※2
高性能の空中浮遊インフルエンザウイルス不活化を謳う市販各種電気製品の性能評価
独立行政法人国立病院機構仙台医療センター臨床研究部ウイルスセンター
西村 秀一
http://journal.kansensho.or.jp/Disp?pdf=0850050537.pdf
紫外線を使った空気清浄機については下記コラムが参考になるかもしれません。
上手な空気殺菌機の選び方
これね
「高級パスタ店に異常独身男性が突撃したらガチでやばいことになるという話」
https://negishiso.hatenablog.com/entry/2020/09/06/085321
この記事の反応について
・たぶん「イタリアン」って言葉が出てこなかったんだと思う 俺も服を買う店の総称がわかんなくて服屋って言ってるし
格式レベルが正確に見抜けない(おそらく言うほど高級ではない)のも底辺キモヲタならそりゃそうだろうなと
店員が陽気に話しかけてくる店なんてこの世に存在するわけがない!!くらいの勢いで食ってかかってるけど
いやあるだろたまに そんなに異常なものでもない 珍しいのは珍しいけど存在を疑うレベルのレアさではない
流石に一人の時だと話しかけてこないけど家族で行くと「おいしいっすか!?」「これがおすすめっすよ!」と若い兄ちゃんが話しかけてくる飲食店とかうちの近所にもあるわ
・彼女の有無を聞いてきたのもまさか彼女がいない人間がこの世に存在すると思わなかったんだろう
美容師だって相手が無職の可能性を考えずお仕事何されてるんですかーって言うだろ
お前らだって喪女を名乗る増田を見ても一度も彼氏がいたことがない女なんてこの世に存在するわけがないから嘘松とかすぐ言うだろ
◎嘘でないなら店の名前を言え!着火させろ!炎上させて閉店に追い込むべき!!
・投稿者が責められるいわれはないし非もないけど失敗は失敗だし場違いだったのは事実だろう
ドレスコードがあるわけではないとはいえオシャンティーなイタリアンレストランに声優ライブTシャツで行っていいわけがないだろう
投稿者は店を攻撃したいのではなく自虐したい、自分の失敗をネタにしてダメージを軽減したいだけだろう
オタクTシャツで来店し辛い雰囲気を作るのは差別だから陽の人向けに経営するのをやめてオタクTシャツで来店しやすいように改めろなんて頭おかしい横暴を投稿者は望んでない
こんなことにまでいちいち「みなさん!立ち上がりましょう!この世の悪を許してはなりません!」って
何でもかんでも意味とか結果とか成果とかがないと気が済まないのか
革命戦士気取りか
ガンダムなら暗殺者けしかけられるタイプのお坊ちゃんお嬢さんキャラか
◎誰も見ていない!自意識過剰!
・サブカルクソシティーボーイのブクマカどもはこの手のフレーズ大好きだけど
田舎の奴らは分かってると思うがこれは生まれガチャに成功した自覚のない傲慢な東京人の理屈なので一切信用してはいけない
向こうがなぜかこっちのこと知ってる率も高い(自分にとっては見知らぬババアでも親や同級生経由で存在を捕捉されてる)
そして脳みそのリソースを人間のカタログ作りに割きまくってるから
後で「あたし見たのよ!増田くんとこの息子さんが個人経営のレストランにおかしな格好で来て不審な行動をしてたのよ!」とか噂をばら撒かれたりする
◎友達がいるだけマシ
・それはほんとにそう
操作性やゲーム性の悪さが重なって段々嫌気が差してきていたところ、ロードに失敗したのでこのゲームやめた
・道具が壊れる、それもパラメータ表示もグラフィックの変化もなしに。再作成も毎回手間
・無駄な引き延ばしと説明不足のくせに続く強制ストーリー。スコップ入手をこうも引き伸ばす?
・注文できない非売品が大量に埋め尽くして選択しづらいカタログ、意味あるのこれ?
・博物館での未鑑定化石の受け取り拒否。以前は寄贈するを選択したら、寄贈済の化石を返却する挙動だったのでは?変更した意図が不明
・仕事のない仕立て屋の棒立ちハリネズミが買い物を妨害。複数選択できないのコレ?
まぁアドバイスをするとすれば、情報をアップデートしていかないといつまでもうまくいかないな。
1度目会ったらパタリと連絡がなくなるのは
「まぁ悪くはないから1回くらいは会ってみてもいいかなー」くらいに思われていて
「会ってみたけど2回目はもういいや」で切られただけだ。ある程度顔が整っててもよくあることだ。
みんながみんな「ぜひ会いたい、すぐ会いたい」って思ってイイねするわけではない。
全体からカタログスペックだけでイイねを押していくことが悪いとは思わない。
写真とプロフィール見ながらイイね押せるのが数パーセント、結構じゃないか。
ただ、自分でも気づいていると思うけど、その基準が今のあなたのレベルに釣り合っていない。
その基準を自分が変わることで上げるか、身の丈に合わせて下げるかしないと相当に難しい。
(まぐれのホールインワンみたいなこともあるので絶対に無理とは言わないが)
話し方か?食べ方か?ってことならアドバイスをくれている友人に聞け。
何なら「婚活してて何がだめなのか判断してほしい」って女性の友人か、
それすらいないなら男性の友人の女性に協力してもらって辛口審査してもらえ。
忖度一切なしでボロカスに言ってくれていいから、とお願いすれば
きっと「こういうところがないと思った」っていう指摘が山のように出てくる。
ガチへこみするだろう。でもそれは客観的な事実だ。受け入れろ。
そこまでしたくない、でも結婚はしたい、というのであれば
ある程度マッチングが釣り合うあたりまでラインを下げないとダメだ。
それこそ年齢なのか、見た目なのか、合わなそうな趣味なのか、
そしてマッチング率が上がる、2回目以降会ってもらえる、
コミュニティにしたって、例えば料理教室や英会話教室に通えって言っても
「それは〇〇が...」ってできない意見を見つけてくるだろ?そういうところなんだよ。
辛みをまとめて糧にしようと思うので書いてみる。
年収600程度
BMI 30程度
実際にあった方5人
直接的な辛み
1. 会っても2度目がない
あんなに楽しく話したのに(勘違いか? )、あんなに頻繁にメッセージを交わしたのに(長文かつ1日一回以上)、会ったその日から連絡がパタリと止まる。会ってくれてありがとうメッセージにも返事も無い。
見た目か? 雰囲気か? 男性的魅力がゼロなのは自覚しているが、ここまでとは……あまりにも辛い。
間接的な辛み
1. (Pairsなどのサイトの場合) 女性カタログを見るのが精神を破壊する
グリッド状に並んだ婚活女性を眺めても良いなと思える人があまりにも少ない、高望みしていることを自覚し、でもこんな属性の人と喋っても間が持たないだろうなとか思ってしまう。
また、あの写真を見ていると相手方の人間性がなくなり、属性でしか見ることができなくなる。
写真がいいな(30%)->属性もいいな(10%)->プロフィールを読んで気があいそう(5%)
とかになる。
趣味と堂々と書けるものはないし、自分の浅さをむざむざ見せつけられるという感じがする。
時折、話をしてくれている感があるので、そういうところが、2回目につながらないのかもしれない。
友人に相談すると、
1. お前は何目的でやっているのか? 結婚はしたくないんだろう? 恋人が欲しいだけ、いちゃいちゃしたいだけなら人に迷惑を掛けるな。とのアドバイス
うん、これは的確な指弾であり、結婚への具体的イメージはない。家族は欲しいなとは思う、自分の不安定さを感じているので背中を預けられる人が欲しいとは思っている。でも大方は実現できなかった青春を取り戻したいというだけなのかもしれない。
大学時代に一度目の前の魚を取り逃がしているくせに何を言っているのとも非難されました。
2. お前のような人間は出会い目的で女性と会うのではなく、何かコミュニティに属してそこで良い感じになった人とくっついた方が良い
そんなコミュニテイどこにあるんですか?え? となっている。
ふと、これまで推しを推していて良かったと思えた事より、辛い思いをした事の方が多いのではないかと思った。そうしたら、あんなに好きだった推しへの熱が、急激に冷めていくのを感じた。
以下は全て、当該ジャンルが所謂キャラカタログジャンルである事を前提に記述している。
①全てが後回しにされる
キャラクターがいくつかのユニットに分けられ、基本的にユニット単位で展開するジャンルなのだが、自分の推しはあらゆるジャンル展開がいつも後回しである。
コラボアイテムは第一弾のユニットのものが需要過多で炎上し、第一弾分の再生産のために推しユニのいる第二弾もあわせて延期。舞台も後回しにされた結果、コロナで延期。コミカライズ封入特典も1巻のラインナップに推しはおらず、2巻の発売を心待ちにしていたら、2巻には全く異なった別の特典がつくと発表された。結局推しの特典が付いたのは3巻、1巻の発売から1年弱経っていた。3巻発売までに、多くの同担がジャンルを去っていた。
いつか来ることは分かっている。分かっているのだけれど、供給で盛り上がる他担を尻目に耐え忍ぶのは、あまりにも辛かった。
担当声優のウェイトが大きいジャンルである。キャラクター主体のコンテンツの展開はあまり多くなく、声優本人が登場するライブや生放送が、ジャンルの一翼を担っている。
しかし自分の推しの声優の出演率はダントツで低い。他キャラの声優は最低3回ずつは生放送に呼ばれているのに、推しの声優が出演したのはたった1度きり。推しの声優を除いた全員が集まった生放送さえあった。
推しの声優は、正直ジャンル内の声優の中では一番勢いがあり、瞬間風速で言えば最も人気のある声優だ。かなり多忙なはずで、彼が出演できない事自体はしょうがないと思う。でも、ファンとしての想いはついていかない。また推しは出演しないのか…と、何度落胆したか、覚えていない。
そしてライブ。推しの持ち曲は当時の登場キャラの中では(同率もいるが)最も少なく、従ってライブにおける推し声優の曲数、即ち出演時間も最も少なかった。MCを多く振るなどして声優ごとの出演時間を揃えようとかいう配慮は一切ない。私はもちろん現地参戦したが、ステージ上の推しの立ち位置から私の席が遠かった事もあるが、ライブにおける推しの印象が余りにも薄くて、終了後、異様に虚しい気持ちになってしまった。
これが今回ジャンルを降りようと決意した決定的な要因だ。
この春、ジャンルのソシャゲがサービス開始した。ただでさえ公式の供給が少ないジャンルであるので、最初は推しの新規ストーリーや新規イラストが定期的に見られる事がとても嬉しかったし、もちろん課金する気でいた。
しかし現状、推しは露骨な冷遇を受けている。今日時点で、これまで開催されたストーリー付きのイベントは5回、ストーリーはそれぞれ8話で構成されているが、推しが出演したのはたったの2話。それも、うち1話はスチルもボイスもない、台詞のみの出演。因みに最多のキャラは19話登場しているらしい。そしてイベント限定の最高レアカードが1枚も出ていないのは、全キャラ中で推しだけだ。こちらも、多いキャラはすでに3枚もらっている。
実はソシャゲでは、推し以上に冷遇され、カードもストーリー出演も殆ど無い他キャラもいたのだが、本日から始まったイベントでメインとなった事で、現在は推しの不遇さのみが浮いている。因みにその他キャラは本編展開では出ずっぱりで、トータルでの出番は私の推しよりずっと多いキャラである。
なぜ私の推しだけがここまで不遇な扱いを受けなくてはいけないんだろう?正直運営が推しのアンチである以外の理由が思いつかない。確かに推しは大人気ではないが、一方で1人だけここまで冷遇されるほど、ダントツの不人気キャラでもないと思っている。正直ジャンル自体が斜陽の今、キャラ人気格差は縮まっている。
ソシャゲ運営は私の推しを露骨に冷遇する一方で、排出率を今時珍しいほどに渋く設定した人気キャラのガチャを立て続けに導入している。当該キャラ推しから聞こえてくるのは歓喜の声ではなく悲鳴だ。そんなに連続してガチャを出されても、ガチャを回すだけの資金を用意する事はできない。当然、売上は下がる一方だ。推しのガチャが来れば回さずにおれないファン心理を利用すれば、楽に金を稼げるだろうと、頭の悪い運営を続ける運営会社には殺意しか湧かない。
まあここまで詳しく書いてしまえば、少しジャンルに触れたことがある程度の人でも容易にジャンルとキャラを特定できてしまうだろうが、別に特定されても良いと思って書いているから問題ない。ただ怒りを吐き出すために書いているので、文章をまとめようとかいう気もさらさらない。
「言うほどお前の推しだけが不遇とかねーよ、公式はなんだかんだ言って気を遣ってる」「良曲と良MVもらって何言ってんだよ、自分の推しの方が不遇だわ」「新キャラの出番こそ少ないんだから恵まれてる方だろ」みたいな反論を抱く人がいる事も想像できる。
私はただ、自分が「推しが公式から、優先度の低い、別に出番を作らなくても問題ない存在であると思われている」と思い込んでしまっている事自体が悲しく、悲しい思いをするのならば、あくまで人生の片手間に楽しむ為のものである娯楽として相応しくない、と感じられてやまないのである。
「自分の作品を同人用のキャラカタログか何かだと思っているのか!?」って怒っている漫画家さんは昔見た事がある
楽しみ方は人それぞれと言っても、「物語」としての作品を読んでほしいし「キャラクター」はあくまでその物語の登場人物にしか過ぎないのに…と思われる元増田の気持ちは分かります
例えば現代パロとか学パロとか女性オタク界隈で滅茶苦茶高い人気があるじゃないですか、こう言うと女性オタクから「いや普通に男にも人気あるぞ」って言われたんですがまあそれは置いといて
あれもキャラへの愛から為せる事で立派な創作だとは思うんですが、元の作品の要素がキャラの外見と性格だけで舞台やストーリーなんかはその二次創作者さんのオリジナルだとこれはもう別物だなって思うんです
「そういう人達が積極的に原作にお金を落としているから商品として成り立って有り難い」という気持ちと「そういう楽しみ方しかされないのは作品を作っている側としては嫌だ…」という気持ちは矛盾せず両立し得るんですよね
まあ現在商業で活躍している人もかつてはアニパロなどで二次創作で商業作品をネタにしていた事がある事を考えるとかつて人にやった事はいつかやり返されるって事なのかもしれません
https://www.comiket.co.jp/info-a/C99/C99EventDate1.html
コミックマーケット99の開催について
2020年冬、コミックマーケット99の開催は行なわず、2021年GWの開催を目指すことになりましたことを皆さんにお伝えする次第です。以下、改めてご説明申し上げます。
当初、2020年冬としておりましたコミックマーケット99の開催日程につきましては、期間・会場が確定した段階で改めて公式Webサイト等にて告知する旨、新型コロナウィルス感染症拡大の影響を踏まえた3月27日付リリース「コミックマーケット98の開催中止について」にて、告知いたしました。
5月下旬、政府及び地方自治体等により発表された指針を踏まえ、6月以降、各展示会場からイベント主催者に対し、イベント開催にあたり遵守すべきそれぞれの「ガイドライン」が提示されています。これらのガイドラインに基づき、各同人誌即売会の主催者が、会場側と調整を行いながら、各地における同人誌即売会の再開に向けた準備を進めておられるのは、皆さんもご存じの通りです。コミックマーケットの使用する東京ビッグサイトにおいても、6月8日に「対応指針」が発表され、大きく制限された形でのホール毎の最大収容人数や、主催者の行うべき感染防止策等が定められました。
さらに、東京2020オリンピック・パラリンピックの開催延期に伴い、国際放送センター・メディアプレスセンターの設置された東京ビッグサイト東展示棟は、2020年冬に使用することができなくなりました。2020年冬に予定されていたコミックマーケット99の開催日程は、東京ビッグサイト全館使用を前提として、3日間開催とされており、東展示棟の不足を埋めるべく、これを4日間開催に延長することは、年末の休日を考慮すると現実的ではありません。
この間、参加人数や日程の制約その他「対応指針」に規定されている開催に当たっての各種の条件、新型コロナウィルス感染症の流行状況等を考慮し、いかなる形であればコミックマーケットを開催することができるのか、開催形態の大幅な変更を含め、様々な検討を続けてまいりました。しかしながら、現状求められている新型コロナウィルス感染症対策を講じたとしても、問題やリスクが諸々生じる恐れもあり、参加者の皆さんに満足いただけない開催となってしまうことが懸念されます。つきましては、大変残念ではありますが、コミックマーケット99を2020年冬に開催することは困難である、という苦渋の決断に至りました。
コミックマーケット99の新たな開催日程につきましては、東京ビッグサイトにて同人誌即売会及び関連するキャラクターコンテンツの展示即売会を主催している団体の皆さん(DOUJIN JAPAN2020の幹事団体でもあります)のご理解・ご賛同を得て、2021年GWに照準を合わせ、関係各方面と日程調整を行っております。詳細の発表につきましては、2020年秋以降を予定しておりますので、今しばらくお待ちください。同様に、次回コミックマーケット99の『サークル参加申込書セット』、郵送申込用の『合体配置用封筒』通販につきましては、セット販売で既に申し込まれた分も含め、開催日程の決定後、改めて公式Webサイト等にてお知らせしますので、今しばらくお待ちいただきますようお願いいたします。
なお、2020年冬につきましては、1975年12月のコミックマーケット誕生から45周年を迎えることを記念した企画なども加え、GWに行った「エアコミケ」を発展させていくことを検討しています。詳細等定まり次第、公式Webサイト等にてご案内いたします。
「コミックマーケットは同人誌を中心としてすべての表現者を受け入れ、継続することを目的とした表現の可能性を拡げるための「場」である」ことを理念に掲げるにもかかわらず2020年の1年間、リアルな「場」としてのコミックマーケットを開催できないことは、我々準備会にとっても痛恨事に他なりません。しかしながら、コミックマーケットは、規模の大きさ故に社会的影響も考慮しつつ、継続を旨として慎重に事を進めていきたいと考えています。今後も開催継続に向け、最善を尽くして参りますので、参加者・関係者の皆さんには、重ねてのご理解・ご協力をいただければ幸いです。
現在、コミックマーケット98カタログ冊子版のご購入や、コミックマーケット98当選サークルによる参加費の繰越・寄附のお申出等のありがたいご協力に加え、金融機関からの特別貸付制度を利用した借入れ等の資金調達も進めており、直ちにコミックマーケットの運営が立ちゆかない状況ではありません。しかし、今後の新型コロナウィルス感染症の状況如何によっては、改めて皆さんの幅広いご支援をお願いすることがあるかもしれません。その際は、なにとぞご協力のほどよろしくお願いします。
コミックマーケット98の開催中止のご案内でもあえて明記したことの繰り返しとなりますが、コミックマーケットを含めた同人誌即売会のみならず、各種イベント・展示会・即売会は、それぞれ規模・時期・地域・特性等が異なり、開催に向けてそれぞれのご判断があります。コミックマーケット99開催延期をもって、他のイベント・展示会・即売会等に対し、無用な混乱を招くような問い合わせ等を行うことはお控えいただくよう、重ねてお願い申し上げます。
最後に
東京オリンピック・パラリンピックの開催延期に伴い、東京ビッグサイト・幕張メッセの利用制約がさらに1年間継続することになりました。昨年来、東京オリンピック・パラリンピック開催に伴う当初からの利用制約で、多くのイベント・展示会・即売会が、開催中止・会場変更・規模縮小を余儀なくされており、この影響は全国の展示会会場にも波及しています。この状況がさらに1年間続き、加えて、新型コロナウィルス感染症対策で展示会場への人員の収容率が制限されるのであれば、せめて収容率の制限割合に応じた会場費の減免がセットとなってしかるべきですが、大阪市など一部の例外を除き、会場費は従来通りとされているのが現状です。
幸い、2020年GWの際には開催中止に伴うキャンセル料の免除をいただきましたが、感染状況の先読みが困難な現状では、引き続き同様の対応をお願いしたいと考えております。その他、「ガイドライン」を遵守するためのハード・ソフトの整備についても、個々の主催者に任される部分が大きいのですが、対策の長期化を見据え、会場設備・機能そのものの充実による対応も強く希望するところです。
政府・東京都・その他関係者の皆さまにおかれましては、主催者支援を含めた展示会会場への充分なサポートをお願いするとともに、同人誌即売会をはじめ展示会会場を必要とするすべての人々への手厚い配慮を重ねてお願いします。
建築士です。ブコメにも書きましたが、「再熱除湿」と書かれた機能のあるエアコンを買いましょう。日立、三菱、コロナ、富士通ゼネラルから出ています。
その他のドライとか、なんとか除湿(ダイキンのプレミアム除湿、パナソニックの快適除湿など)はただの弱冷房であり、詐欺商品です。
まず、再熱除湿とは?ですが、これは名前の通り一度冷やした空気を再度温める除湿方式です。動作原理としてはコンプレッサー式の除湿機と同じです。除湿機と違うのは、
1.騒音の原因であるコンプレッサーが屋外に設置されていますので、圧倒的に静かにできること。
2.除湿機の場合、機 機械の駆動エネルギー分だけ室内温度が上昇してしまいますが、エアコンの場合は室外機を通して排熱が可能。
これにより再熱除湿方式のエアコンでは温度と湿度を別々に管理することが可能です。
「室温は十分低いのになんかムシムシする」という状態は、一定以下の室温になると、非再熱式のエアコンでは冷房に頼った除湿ができなくなる一方、人間は常に湿気を放出しているために湿度が再び上昇することで起こる現象です。
(余談ですがこのあたりの空気の挙動はAmazonに2000円程度で売ってるデジタル温湿度計で可視化できます。)
欠点は、一度冷やした空気を再度温めますので、電気代が余計にかかってしまうことです。
さて、なぜこんな基本的な機序作用が分かっているのに、ダイキンなどエアコンメーカーは再熱除湿のエアコンを売らないのでしょうか。これは日本政府の政策や、エアコンの売り方が影響しています。これが本ダイアリーのメインです。
パナソニックもダイキンも2012年ごろまでは再熱除湿方式のエアコンを販売していたのです。ただ、省エネ法による省エネ性能の統一表示制度が浸透していく過程で、再熱除湿機能がエコ基準達成率を引き上げる上で足かせになっていったのです。(先ほど再熱除湿は電気代がかかると申し上げましたね?)消費者はヨドバシの店頭POPについた省エネの星の数「★★★☆☆」しか見てませんから、この星を一つ増やすためにダイキンやパナソニックは再熱除湿機能を外したわけです。
ここまではまあよいでしょう。しかしその後の売り方について私はダイキン・パナソニックに怒っておりまして、彼らは代わりに「プレミアム除湿」とか「快適除湿モード」と銘打って、あたかも節電しながら除湿ができる機能を発明したかのような文言を並べています。
現時点では再熱に代わる除湿方式は発明されておらず、実態はただの弱冷房です。このため景表法に引っかからないようカタログの端っこに小さく 「※再熱除湿ではありません」と書かれています。
実はダイキンは昨シーズンから最上位機種のうるさら7に関しては再熱除湿を再搭載しましたが、カタログ上はかなり微妙な言い回しをしています。このあたり「再熱除湿でなければ快適な空気を提供できない」とわかっている技術部隊と「造語で消費者をずっと騙してきた」営業部隊の駆け引きが垣間見えます。
最後に、もし増田のお住まいが賃貸でしたら必ず大家さんや管理会社の承諾(できれば書面で)を取ってからエアコンを交換しましょう。無断での交換は現状回復義務を怠ったと難癖をつけられて敷金の没収や賠償金を取られたりします。(このあたりの不動産取引の闇を書くと長くなるのでまた別の機会に)
エアコン交換するほどのコストがかけられないのであれば、コンプレッサー式の除湿機を置き、温度上昇分を冷房で下げましょう。効率は最悪ですが目的は達成できます。アイリスオーヤマの除湿機がコンプレッサー式の中では比較的静かです。デシカント式はゴミなので買ってはいけません。1日でタンクが目一杯になるのを見ると、無から水が発生したかのような不思議さが味わえます。
増田の夏に幸あれ。
宅配のピザが一般的になりだしたのは俺が小学生のころで、最初に食べたのがどんなだったか覚えていないが、親にねだって注文したそれはとても美味かった。そんでまあお決まりのようにカタログをなめるように読むわけだ。次は絶対これ!とか兄弟で言い合ったりしてな。その「次」ってのは結局1年以上あとになるんだが、親の選んだピザは俺たちの泣き落としも虚しくオーソドックスなピザである。だがやはり美味い。のってたのはペパロニとピーマンとあとなんだっけな。
そのころの俺たちにとってピザ=ペパロニだった。ピザはペパロニが無いと始まらないと思っていた。それなのに、大人になった俺たちは、ペパロニののっていないピザを普通にピザとして食べているのだ。もの足りないと思いもせずに。いつのまにかそうなった。いつ俺たちはペパロニを卒業したのだろうか。
ここで言う二次創作活動とは描いた絵をどこかしらで公表する行為を指す。
二次創作をやめた話ではない。
私が二次創作を始めたのは7年前、とあるアニメにハマったのがきっかけだった。
それまで絵を描くのは好きだったが描くのはオリジナルのみで、二次創作は見る専門だった。
1クールのアニメを見終え、喪失感から二次創作を始めた。爆発しそうな好きの感情を吐き出す手段だった。
やめた理由は要約すると、私が老害オタクになってしまったからだ。
今の同人界隈(今回は二次に限定する)についていけなくなったからだ。
現在二次創作活動を、同人活動を楽しめている人が読んでも腹が立つだけだと思うのでオススメしない。
以下に理由を挙げる。
そのキャラクターを生み出してくれた公式への感謝があるからだ。
しかしツイッターで見かける二次創作はとてもキャラクターが好きとは思えなかった。
天真爛漫なキャラは腹黒にされ、既婚者キャラは不倫野郎にされた。
とても着そうにない女性物の過激な下着を着せられ挑発的なポーズをとっている推し(男)を見た時は衝撃だった。
本当に同じキャラが好きなのか。そもそも好きなのか?とさえ思った。
二次創作は自由だ。当然だ。公式で見られないものを埋めるため、何を描いたっていい。
しかし最低限その自由にはキャラクターへの敬意があると思っていた。
自分の趣味嗜好をキャラクターに押し付けるものではないと思っていた。
ただただ推しがおもちゃにされている二次創作に耐えられなくなってきた。
人のキャラクターをおもちゃにしているにも関わらず、それがさも良いことのように振る舞う人が増えた。
たしかに昔より活動が活発化し、目立つようになったのにも関わらず公式は黙認してくれている。結果として利益に繋がっているからだ。
これを利益に繋がってるんだから認めろと言わんばかりの人がいる。
ガイドラインを出さない、立場としてガイドラインを出せない公式に対してわざわざ問い合わせを行いOKを出させようとする。
禁止にすれば公式だけが利益を独占するな、それを禁止にするのは差別だと暴れる。
利益のため(金銭に限らずフォロワー数や反応を稼ぐ目的など)に好きでもないジャンルを描く。
何様だお前はと思った。感謝こそあれ盗人猛々しい振る舞いはなんだ。
公式が世に出してくれた作品を好きになり、ファン活動の一環として描かせてもらえているのだ。
己の利益のために描く人間があまりにも多い。二次創作が楽しめるなら公式を履修してなくたっていい。
③承認欲求との付き合い方の差
私は絵をTwitterにアップしている。
見てもらえると嬉しいし、反応があればモチベーションアップに繋がるからだ。
けれど反応がないからといって凹んだりすることもなかった。描いた時点で熱は昇華される。わざわざアップするのは上記の付加価値のためだった。評価が目的ではなかった。
今でこそそれなりに反応や感想をもらえるようになったが、アカウントを作って最初の4年くらいは全く反応はなかった。
それでも全く気にならなかったし楽しくかけた。だって好きで描いてるから。
7年間大好きで大好きで同じキャラを描き続けている。
描いた絵に対して爆死したとか反応しないフォロワーに対して文句を言うのを見かけた。
反応をもらうために描いているの?
好きだから描いてるんじゃなかったの?
描かれた推しが不憫だった。描き手の承認欲求を満たすために描かれ、反応がなければゴミのように扱われる。
「最近あの人反応してくれないから私も反応しない」と、他者の作品のキャラを借りているのに、優先されているのは自分の承認欲求。
私はそれに耐えられなくなった。
Twitterで交流しない自分が少数派で場違いなのはわかっている。
これについては⑥で語る。
歴史上の物や者がイケメンになったり美少女になったり、それは別にいい。
欲しいのは設定を考えなくてもいい状態と、見た目が好みのキャラクターデザインだけ。
実在してなくても声や顔で釣れるものは多いだろう。カタログから好みのお人形を選ぶだけ。
さらにそれを①で書いたように自分の趣味嗜好を押し付けて楽しむ。
これが今の二次創作。
二次創作が大切なのだ。公式でも、元ネタでもなく、好みのビジュアルのキャラでお人形遊びをするため。
日常アニメに生きてるキャラを血塗れの欠損にしてもいいし、欠損しているキャラに脚をはやしてもいい。淑女を痴女にしたっていい。カプのためなら不倫だっていい。犯罪行為に巻き込んだっていい。
二次創作だけを読んで二次創作をしたっていい。これは最早三次創作なのだがそれでも作品が好きだ沼だと言って騒げれば関係がない。
キャラクター性、アイデンティティなどいらないのだ。自分好みに改変できればいいのだ。
私はそれが嫌でしょうがない。
Twitterは気軽にやりとりができるのが利点だ。
だが、気軽にリプが送れることと気軽なリプを送ることはイコールじゃない。
バズっているつぶやきに必ずと言っていいほど連なっている失礼な言葉。
失礼なことが当然すぎて送られている本人も特に気にしてはいないだろう。
タメ口、画像リプ、最近だと誹謗中傷も話題になった。友達でもないのによくそんな礼儀を欠いたことができるなと思った。
けれど気軽なリプを送ることが今の楽しみ方なのだ。
Twitterで丁寧な方がキモイと思う人も少なくないだろう。
この距離感が私には合わなかった。
③で述べたがTwitterで交流しない自分が少数派で場違いなのだろう。
けれどpixivではいくらマイナス検索を入れても住み分けされてないため地雷にぶちあたる。
ジャンル名男女カプのタグであらゆる腐要素をマイナス検索に入れてもBLにぶちあたるのだ。
Twitterはまだブロックミュート機能があり、信用できる人だけフォローしTLのみ見ていれば平和なのでこちらを利用している。
これは腐女子に対するヘイトではなくマナーを守らない人に対するものだ。腐女子の存在は特に嫌っていないし、住み分けをきちんとしてくれていればそもそも目に入らない。
私は男女カプを好んでいるが、男女者の中にも公式に平気で捏造カプを送りつけたり捏造カプを公式だと声高に主張する人もいる。
少しズレたが、とにかく学級会が多いのだ。
同人なので自分が楽しむことが正しいが、それはここまで書いたようにキャラクターへの敬意や公式への敬意が前提だと思っていた。
ここで言う「自分が楽しむ」は自分の趣味嗜好のためにキャラをカタログとして扱うことを指す。
自分が楽しめるなら公式に迷惑をかけてもいいし、トレパクしたっていいし、ガイドラインを無視したっていいし、地雷嗜好の人間へ嫌がらせしたっていい。
何か変えようと主張する人がいても、一言「お気持ち表明」と言えば真面目に取り合う必要がなくなる。
嫌ならスルーしろブロックしろと、誰でもネットに触れる環境になった令和にも関わらず配慮する気などない。
カプ表記を絵文字にされればミュートもできない。配慮は自分たちの界隈のみの存在。
検索に引っ掛からないようにしたいなら最初から鍵をかければいいのだ。でもしない。
配慮はあくまで善意であって強制するものではない。それは分かっている。分かっているがここまでくると無法地帯だ。
黒に近い活動であるからこそ善意での配慮を大切にしてここまで続いたのだと思っていたが、自分が楽しめなくなる配慮はもうする気がないのだ。
常に誰かが怒っている。その怒りはトレンドに入ったり検索のサジェストに出る。
もう疲れてしまった。
以上だ。
今の同人は~みたいな書き方をしたが、昔だってあっただろう。むしろ昔の方が色々と緩かった分酷い状態だっただろう。
ただその時期に私は見る専門であり、イベントに参加する財力もなく、二次を漁るときもサイトの「はじめに」を読み、合う人にのみ触れていたから気が付かなかっただけだ。
若い人を指しているわけでもない。私はもう30も間近だが上の世代でも楽しんで二次創作活動をしてる人はたくさんいる。
ブロックもミュートも使うし、検索はなるべくせずTLだけを見る。
トレンドだって外国に設定して話題が目に触れないようにしている。
スルーし続けて、し続けて、それでもきりがないのだ。
それでようやく、自分が今の同人界隈に着いていけてないことに気付いた。
自分は少数派だった。
私が老害オタクムーブをTwitterで晒して、ジャンルやキャラが嫌われるのは嫌だ。
だってそれが好きで好きでどうしようもない熱を発散させる私の唯一の手段だからだ。
でもそれを公表するのも、二次創作活動をする人に感想を送るのももうしない。
いまではHyperThreading-90がないと駄目だなぁとは思うぐらいにはプログラマーとしてレベルアップはしたけど、扱いづらいうえに、メリットがなかったからな。その苦い思い出なんだろうな。
普通はMany-Coreの方が面白いし 実際32コアまで来たからな。
機械学習には使うだろうし、正直リアルタイムモビングなんかには、有効だろうけど 何に使うんだそんな技術っていうと、やっぱりHyperThreading-90なみに あまり意味のない技術っていわれちまうよな。機械学習以外に使えそうもないというのはまぁそのとおりだろう。扱いづらい割にはいまいちメリットを感じない。45Wが1%効率が良くなっても41W 120分バッテリーが持ちますが121分 カタログでは売れるんだろうが、買い替え需要を引き起こすほどじゃない。サンプル考える限り 扱いづらい。それで1分バッテリーが伸びる 2時間のうちでは 売れるとは思えない。
どうすればいいだろう。
今でこそダウンロードが当たり前の世の中になっているけれど、わずか10年前までは、CDでしか手に入らない音源が大半だった。
今の時代は、音源をダウンロードする、あるいはYoutubeで公式の動画を視る、などの方法により、意識的か否かを問わず、対象
のアーティストへ何がしかの収益がもたらされる。音源がCDしかなく、デジタル化されていないアーティストには無縁の話だ。
言いたいのはお金の話ではない。
あなたの音楽を大切に思っている人がいる、あなたの音楽を聴いて心を動かされている人がいる、あなたの音楽が、退屈な生活に
潤いを与えてくれている。
そんな思いが間接的にアーティストに届かないものかと思う。スマートフォンやタブレットなどで、音楽が再生されることで、
少なくともあなたの音楽を聴いている人がいるということが、伝わらないものかと思う。
もう四半世紀近くも前になる。
街の商業施設にあるCDショップで、地元ミュージシャンの新作発売を記念して、カタログ的なカセットテープが無料で配られて
いた。その音楽は、流行りの音楽しか知らない中学生には異質なもので、けれど何か心に引っかかるものがあって、結果的に擦り
切れるくらいに、aiwaのポータブルプレイヤーで再生していた。
いつかライブに行こうと考えていたら、気がついたときには解散していて、その後復活ライブの動きもあったようだけど、当日に
なって中止を発表。複雑な事情で、もはや活動再開は望めないような状態になってしまった。
彼ら、というよりも作詞/作曲をやっていた彼が、今なにをやっているのかは知らない。最期の経緯から考えて、おそらくもう音楽
でも、彼が残した音楽は四半世紀を経ても変わりなく、むしろ、聴き手にとってはより大きな存在で、光輝くものになっている。
彼あるいは彼らのライブを見ることができたら、というのは贅沢な望みなのは分かっている。
それが難しいならば、今でもあなたの音楽を拠り所として、その存在に感謝している人がいることだけでも、伝える術があれば
と思う。