はてなキーワード: 研究室とは
大学卒業後7年間引きこもっていたのだが、心機一転働き始めて約1年になる。その経緯を記しておこうと思う。
というのも、幼少の頃、一つ上の兄とは別に母方の実家で年下の従兄弟と一緒に祖父母に育てられたり、
父親に無意味に脅かされたり(曲がり角や暗がりから「ワッ!」と言って脅かしてきた)、小さな失敗を蒸し返して執拗にからかわれたことなどが影響したためだと思う。
自分から心を開くことはなく、相手が心を開いているかどうか疑いながら仮面を被って人と接してきた。
初めての一人暮らし、滑り止めで受かった大学では周りに馴染めず(若者が怖い)、居場所は2ちゃんねるだけだった。大学は憂鬱と不安と恐怖と怠惰にまみれた日々だったと言える。
高校の頃から長らく体調不良気味(慢性的な下痢・眼精疲労)だったのも関係しているかもしれない。
勉強のやる気を失い、優等生だった高校までと打って変わり落ちこぼれた。アルバイトもサークルも続かず、夜ふかしによる寝坊で授業をサボった。
人生が何かしっくりこない感じがあり、1年休学して第一志望を目指し予備校に通わせてもらったがすぐ行かなくなった。その後勇気を出して復学した。
実家から通うようになってしばらく続いたが、4年生の研究室で馴染めず、一時期登校拒否になった。
なんとか卒業の目処が立ったものの就活するのが怖かったため、作曲家を目指すと言って逃げ、就活せずそのまま無職引きこもりになった。
どうせ就職しても、責任が伴うのが怖いし、周りから浮いて仕事に適応できずにうつになったり自殺したりしてしまうだろう、だったら働かない方がましだ、とも考えた。
これからのビジョンがまるで浮かばなかった。ただ休みたかった。
世の中の人達と自分が全然違うという意識があった(それは今も変わらない)。また、世の中嫌な奴ばっかりだとも思っていた。大学に入ってから、気が緩んで性格が悪くなったのが原因かもしれない。
作曲について人一倍プライドがあったが(雑誌に投稿して賞をもらったこともある)、独学だし楽器も得意ではないのでとんでもなく無謀だった。
人生に失敗した分を取り返そうという、ギャンブル依存症的な感情に囚われていたのだ。
高校時代の友達がいたが、煩わしくて連絡を無視して縁を切ってしまった。
昼夜逆転はそれほどしなかった。2時半に寝て10時に起きるという感じ。昼寝もしていた。
一歩も外に出なかったわけではない。たまに自転車で人気の少ない場所に出かけた。
また、母親と一緒に図書館に月1で自分が車を運転して通い、小説を借りて読んだ。
両親になぜ就職しないのかと問い詰められることがあったが、無視するか、人と関わりたくないからと答えた。
それでも、引きこもりの繰り返しの日々で、体調不良の原因がわかってきて改善していった。
また、お絵描き(落書きレベル)、日記、将棋、ラジオ体操、読書を始め、次第に心が癒やされていった。
色々なYoutuberの動画を見たり、将棋の藤井君や羽生さんの活躍を見て感動するときもあった。世の中に希望を見出してきた。
心身ともに回復するにつれ、「そろそろ働けるかも」と思った。だが、あと一歩の勇気が出なかった。
そうして引きこもり7年目、30歳目前になって焦りを感じた。もはやモラトリアムなどと言っていられる年齢ではない。
母親がもうすぐ退職することになり、すでに退職している父親だけでなく母親とも日中顔を付き合わせることになるのが嫌だった。
その頃、8年使っていたパソコンが壊れて起動しなくなってしまった(幸い後に復活したのだが)。
パソコンには、過去作ってきた絵や曲が合計一千点以上入っている。作曲についての考察やソフトの使い方のメモも書き残してある。
それらが失われるというのは、引きこもりの間、自分は死んでいたと言うのと同然だった。
死を意識してみると、絵も曲も自分の人生においてどうでも良いものだったと悟った。ショックでベッドに横になった。如何に時間を空費していたか痛感した。
あれだけ取り組んできたのに、人生において意義のあることではなかったのだ。
大学生で塾講師をやっていたとき、わからないところを教えたら「ありがとうございます!」と笑顔で答えてくれた中学生の女の子、
高校の文化祭で(歌うのが好きなので)バンドのボーカルをやらせてもらったとき、終わったあと「良かったよ。」と声をかけてくれた先生、
高校の部活で、居残り練習をしていたのをお世辞で褒めたら、本気で受け取ったのか嬉しそうに微笑んだ後輩の子、
その3人だけ。他愛もないことだ。人生を無駄にした後悔の念と、人に少しでも喜びを与えることができた嬉しさに涙が止まらなかった。
「誰かのためにならずして死ねない、死ぬ前に感謝されたい」という答えに行き着き、それが根本的に自分の求める生きがいであることに気づいた。
それからなけなしの貯金を叩いて新しいパソコンを買った。しかし運の悪いことにそれも初期不良で壊れてしまった。
さらに国民年金の支払いを全額免除するかどうかの通知(よく覚えていない)も届いた。当然年金は一銭も払ってなかったためだ。
パソコン関連のゴタゴタに加え、冬の時期で冬季うつ病っぽくなっていたため、神経が参っていた。
母親にパソコンや年金の件を相談していたら「働いたら?」と言われ、そこで素直に頷いたのだ。
まるで、立てこもり犯が説得に折れて投降したかのようだった。それが脱引きこもりのきっかけだった。
就活は半ばやけくそだった。引きこもりで自信がなかったので正社員なんぞ端から目指さなかった。
ネットの求人サイトで事務職の応募に電話したのがきっかけで、紆余曲折あって地元の工場の検査業(肉体労働)の派遣社員をすることになった。
親に反対されたが言うことを聞かなかった。流れに乗ろう、直感を信じようと腹をくくった。
どうせ自分は働くのに向いてないので、続くところまで続けようというスタンスで挑んだ。
明日はどうなるかわからない、と覚悟した。おんぶに抱っこで、ずるい人間であろう、とも考えた。
始めは何も仕事がわからず、赤ん坊同然の気分だった。初日は久々に初対面の人と会話したり見知らぬところを歩き回ったので、
夕方帰宅したとき、まるで3日ぶりに家に帰ってきたかのように感じた。
出社拒否にならずに一日一日出勤できたことを自分で褒めた。3ヶ月くらいかかって次第に仕事に慣れていき、やりがいを感じるようになった。
職場の人達は親切な人が多くて意外だった。ここは本当に現実世界なのか?と思ったりした。女性の多い職場(お母さん達ばかりだが)なのもツイていたかもしれない。
職場の人に前職について聞かれたが、塾講師をしていたと嘘をついた。
家から近い工場なので近所にも勤めている人がいる。元引きこもりなんて言ったら噂が広まってメンツが潰れる、と親に止められたからだ。
正直に答えたかったが、職場の人に心配されると逆に面倒だったかもしれないので結果的に良かった。
週5のフルタイム勤務だが、残業したり土曜日出勤もある。仕事がきつくてストレスが溜まって週末泣くこともあった。
・好きなものを好きなだけ買って食べることができるようになった。その他欲しいものが買えるようになった。
・気後れすることなく病院で保険証を見せることができるようになった。
・人の視線が気にならなくなった。
・高校の頃から、死にたいと思っていたが、徐々にそう思わなくなってきた。
・肉体労働で汗をかいて、体調が良くなった。大食いになって、筋トレもするようになり、7kg体重が増えた。元々ガリガリだったので丁度いい。仕事ぶりを褒められるようになり自信がついた。
・ネットに毒されていたが、毒が抜けた。ネットと距離を置けるようになった。
・不安と恐怖で胸がいっぱいということがほぼなくなった。
・心に余裕が出来たためか恋愛したくなった。
・せっかく大学卒業したのに非正規の肉体労働の身なので自分自身を認めることができず、気持ちが楽になることがない。
・人生がつまらない。引きこもっているときとほとんど同じことしかしてない。
・スーパーや雑貨店、本屋以外の店に怖くて入れない。外食も怖くてできない。
・涙ながらの決意もどこへやら、感謝されるようなことを何もしていない。
・低収入で親と同居しているため、彼女を作る自信が出ない。まともな職についていれば良かった。
・もっと早く働き始めれば良かった。
・大学生の頃までは、同級生と自分というのをよく比べて劣等感を感じていたが、今は、自分は自分だと思うようになった。そんな心持ちで大学生の頃に就活をすれば良かったかなと思う。
たくさんのコメントありがとうございます!すべて読ませてもらいました。
今は、企業なら問題なく任期なしで責任ある仕事ができる人に、大型研究費をとった先生の下につく任期付きポストばかり。周りの人はacadexitして企業に行ってしまった。
企業が大学の研究室に寄付してよって来た特任助教や大学院生を唆せば、転職市場よりずっと安くいい人材手に入りそうなのに、なんでやんないの?
逆に、任期なしポストさえ出しておけば、地方だろうがどこだろうが、いい人材がいくらでも釣れると思う。釣ったあと、何かミスったらそれをネタにして、クビにするぞークビにするぞー、とおどかせば、一生安く働いてくれるよ。
ネットミームではなく、代替肉のような、あるテーマに沿って検索し、まとめたいとする。
思いつくのはこんなところか。
検索ワードの抜けがないかが困る。企業名を網羅するのはかなり困難だ。新しく出てきた企業や、いつのまにか畳んでいる場合がある。
培養肉と書いてしまったが、話したかったのはあくまで検索方法だ。汎用的な検索方法というべきか。
培養肉なら英語でまとまっているのがあるだろうと指摘があるが、既に詳しいサイトがあるのを知っている。
http://elliotswartz.com/cellbasedmeat/cleanmeat301
review paperを読めばいいというコメントがあったが、自分でレビュー論文を書くのに近い。
Fラン私立大卒業後、しばらく資格職で働いたのちに、30歳目の前で東大理系院に潜り込んだ。
学部はド文系だったため、入試に受かるか不安だったが、あっさり受かった。
働いていて、こんなものが世界なのかと、人付き合い含めて嫌になっていた。
理系に関して憧れがあった。技術で人間は救われるんじゃないかと思った。
研究分野に関していえば、さらに絶望が深まった感があるんだけど。
まず、入学当初に期待していた数学や理論物理に関しては、少しガッカリだった。
東大の数学科や理論物理科(数理科学院)の研究を眺めたが、これらが直接世界をよくするイメージがイマイチわかなかった。
もちろん、カラビヤウだの、ヤンミルズだの、M理論だのはあまりわからなかったニワカで語っている。
しかし、代数幾何や数え上げ幾何やルベーグ関数解析、アインシュタイン方程式くらいは理解した。
もう少し勉強すれば深い感動はあったのかな?
一方で、予想していなかった分野では感動がたくさんあった。
情報幾何学、材料物性、光学、計算化学といった、実学のちょっと先の分野が大変面白いと思った。
数ヶ月ごとに、これまでの人類が刷新される成果がガンガン出てくる。
パワー半導体や、レアアース採掘、電池やエネルギー技術は、本当に2、3年でドンドン人類が根本的に変わる発明や実用化がガンガン出る。
このような分野を普通に理解できるようになったのは本当に楽しい。(別にこのくらいを楽しむ程度なら、東大行かなくても、youtubeで勉強とかでも最近ではいいのかもしれないけど正直)
こんなに東大生というのはチャンスがあるのだなと感動しっぱなしだったし。
いわゆる最先端というか、未来を変えうる技術を少しできるようにしたくらいの成果はできた。
また、この分野の研究や成果をどうやって作るのかの知見も得られた。
自分は、社会人に戻ったが、あの日々の経験は自分にとっては、「生きててよかった、世界は間違いなく変わる」ことを実感させてくれた。
技術が作る未来を見たいし、そこに、自分のようなブサイクで生きる価値のないキモい人間も生きていられる世界ができる気がするし、自分でも世界を作れると感じられるから。
「バッタ博士」として有名な前野ウルド浩太郎博士の論文に対して、その内容の再現性が取れないという問題があるということを下記の一連のツイートで知りました。
https://twitter.com/n0rr/status/1277918852987285505
”ラボメンが捏造したときに、PIが責任を取る方法がひとつ示された。”
と、ツイート主の @n0rr さんは述べており、筆頭著者である前野博士がデータを捏造して論文を書いたのではと暗に示唆しています。
いったい何が起こっているのだろうと思ったので、詳しく調べてみました。
結論から言うと、「前野博士の実験結果には再現性がある可能性が高い」と個人的には思います。
どうやら、前野博士と田中博士が研究していたバッタ(Schistocerca gregaria)は、「メス成虫が”混み”を感じると、産卵する卵のサイズが変わり、その卵から産まれる幼虫の体の色も変わる」という性質を持っているようで、その”混み”の感受に必要な器官や、卵や幼虫の形質に影響を与えるに十分な”混み”の期間、などが先行研究によって明らかにされていたようです(Maeno et Tanaka 2008やMaeno et Tanaka 2012など, 以下「先行研究論文群」)。”混み”を感受すると、その卵は大きくなり、黒い幼虫が生まれるとされています。この黒い幼虫が成長すると凶悪な群性相になって作物を食い荒らします。
ところが昨年、先行研究で述べられているような条件では卵や幼虫の形質に影響が見られない(つまり先行研究の再現性が取れない)と告発している Nishide and Tanaka 2019 (以下「告発論文」)が出されました。
告発論文の責任著者の田中博士は、先行研究論文群の責任著者です。自らが「過去の自分達の研究結果が信用できない!」という論文を出すなんて極めて異例。いったいどういうことなのでしょう?
自らそのような告発論文を出すという事は、「他の著者が何か良からぬこと(データの捏造など)をした」ということを発信し、誤った言説を正したいという事なのでしょうか。
そんなことを思いながら、関連ツイートを眺めていると、下記のツイートを見つけました。
https://twitter.com/Cyclommatism/status/1278151055830732801
”2011・2012年の科研費の実績報告書では、きちんと結果を再現できているように読めます”(@Cyclommatism さん)
え?予想した展開と違うぞ…と思いつつ、田中博士の科研費実績報告書(https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-23380038/)を見てみると…
”孤独相(単独飼育)メス成虫が混み合いの影響(大きく、黒化した艀化幼虫を生産)を受けるには、1日3時間以上の光条件下で混み合いにさらされることが必要であることがわかった。”(2011 年度 実績報告書)
”サバクトビバッタの成虫が混み合い刺激を感受し、それを子世代に伝達する現象を確認した。また、それらの感受期は産卵前4日であると見なしていたが、産卵6日前までの刺激もわずかであるが、影響することが分かった。そこで4日ではなく6日間刺激を与えたほうが、反応が確実に現れることがわかった。”(2012 年度 実績報告書)
と書かれており、確かに先行研究をおおむね再現できているかのような記述があります。
しかし、一方で2013 年度の報告書では下記のように書かれています。
”小さな卵を産む孤独相メスに6日間(感受期間は4日)複数のオスを加え混み合いを与えたところ、反応率が低いうえ、生産された卵サイズが以前(Maeno, 2011; Maeno & Tanaka, 2012)の結果と比べ、大きくならなかった。”(2013 年度 実績報告書)
2012年の報告書までは「孤独相のメスに6日間混み合い刺激を与えると反応が確実に現れる」という結果が、2013年の報告書では「孤独相のメスに6日間混み合い刺激を与えても反応率が低い」となっています。
つまり(私の理解が正しければ、ですが)、2012年度までは前野博士の論文の実験結果の再現性がとれていて、2013年からは再現できなくなっているように思えます。
前野博士が田中博士の研究室から去ってアフリカに渡ったのが2010年度末ですので、2011年度や2012年度の報告書に書かれているデータに前野博士の実験データは含まれないと考えるのが自然でしょう。
(もしも含まれるのだとしたら、田中博士が「過去のデータをあたかもその年に得られたデータであるがごとく報告している」という問題行動をしているということになります)
つまり、データの再現性に関して、田中博士の主張は途中で変遷しているといってよいかと思います。
さらに、前野博士は2020年になって、「実験結果を再現できた」という論文を発表しています。
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0022191019303713
この論文を読んでみると、実験は総勢11名の人間が、実験者、調整役、測定役、解析役というそれぞれ異なる役割で実験に参加し、互いに他のステップには干渉しないし結果も知らない(例えば、測定役は自身が測定しているサンプルがどのような処理を受けたものかわからないし、次にどう解析されるかもわからない)という非常に厳密な条件で行われています。そのうえで先行研究の実験結果が再現されています。
これだけ多くの人が関わると、データを捏造するのは無理ではないでしょうか。
(謝辞に名前が挙げられている方と思しき方による、当時のことに言及したと思われるツイートも見つけました https://twitter.com/kobakaz_jp/status/1278151260743495680, @kobakaz_jp さん)
以上のことから、前野博士による実験データは「再現性がある」と個人的には感じます。
むしろ、実績報告書の中で実験結果の記述を変遷させている田中博士の方の主張は無理筋なのではないでしょうか。
生物を相手にした実験では、ささいな条件の違いで結果が異なることがあると聞きます。
恐らく今回の事態も、そのような違いに起因して先行研究の結果が再現できなかったのではないかなと想像します。
参考文献
Maeno, K., & Tanaka, S. (2008). Maternal effects on progeny size, number and body color in the desert locust, Schistocerca gregaria: density-and reproductive cycle-dependent variation. Journal of Insect Physiology, 54(6), 1072-1080.
Maeno, K., & Tanaka, S. (2012). Adult female desert locusts require contact chemicals and light for progeny gregarization. Physiological entomology, 37(2), 109-118.
Nishide, Y., & Tanaka, S. (2019). Re-examination of the maternal control of progeny size and body color in the desert locust Schistocerca gregaria: Differences from previous conclusions. Journal of insect physiology, 114, 145-157.
Maeno, K. O. (2019). Comments/arguments to: Re-examination of the maternal control of progeny size and body color in the desert locust Schistocerca gregaria: Differences from previous conclusions (by Yudai Nishide and Seiji Tanaka-2019-Journal of Insect Physiology xx, xxx). Journal of insect physiology, 114, 158.
Maeno, K. O., Piou, C., & Ghaout, S. (2020). The desert locust, Schistocerca gregaria, plastically manipulates egg size by regulating both egg numbers and production rate according to population density. Journal of Insect Physiology, 122, 104020.
結局、自分よりもバカな人を騙して大金を稼ぎ美味しいものを食べる人生が一番だと思う。
未知の分野に挑んだり、清く正しく生きようなどと思わないほうが良い。
http://takedanet.com/archives/1013803981.html
STAP事件の推移を見るにつけ、私は日本の若い人はもう科学者にならない方が良いと思うようになりました。科学の研究というのはとても辛いもので、大学生活でもいわゆる文科系の学生が講義をさぼったりしている時に、土日でも大学で実験をしなければなりません。
今回の小保方さんも、早稲田大学の学生がNHKのニュースで次のように言っていました。
"日曜日に研究室に行ったりするとほぼ必ず小保方さんの姿を見た"
「ほぼ必ず」というのですから、1か月に1回ぐらいは日曜日にいなかったという感じでしょう。実際にもそうです。そうして夢を追い、大学院に進み、アメリカに留学し、そして博士号をとる。その間、家族もかなりの応援をしなければ科学者にはなれません。
一方、サラリーマンになるなら大学をそこそこ勉強して卒業して、そのあとは給料をもらい、時には上司に誘われて飲みに行ったり、「行きたくない」と断ったりして入ればそこそこの生活ができます。
しかし、科学者は博士号をとって研究機関に入っても2年ぐらいは無給だったり、ポスドクという不安定な立場で教授や指導者の手下になって雑用をこなさなければなりません。その間を縫って実験をし、夜の夜中に論文を書いていきます。学会も出なければなりませんが、旅費も思うようにはでないのです。
若い頃の論文は欠点だらけなので、普通は査読を通過するには至らず、書いてはダメ、書いてはダメという日々を過ごします。そしてやっと通った論文に少しでもミスがあると、叩きに叩かれ、論文を出すときにはまったく協力してくれなかった「専門家」という人たちが、論文がでたらすぐ欠点を追究してきます。
さらに論文が少しでも社会に評価されたら、大変です。NHKの記者が追まわし、女性なら女子トイレにまで追っかけてきます。本人が犯罪を犯したわけでもないのに、まるで犯罪人扱いになります。
また、科学の世界には多くの「掟」があり、それはどこにも書いてないので、一つの研究室にできるだけ長くいて、先生の雑用をこなして少しずつ教えてもらうしかないのです。うっかり「著作権法とその判例」などを勉強して、「知的所有権を正しく守る論文」など書こうものなら「剽窃・盗用」と罵倒され、時によっては無給でも散々な目に遭うことがあります。
そんな時には博士課程の恩師や、職場の教授などはまったくあてになりません。事件が起こるとどこかに隠れてしまいますが、それはもともと教授などは一人一人で身を守っていかなければならないので、逃げる習性がついてしまっているからです。
さらに社会も許してくれません。社会の人の多くは「未知のもの」などと取り組んだこともなく、普通は「規則通りにやればよい」という社会ですし、何か問題が起きれば組織が守ってくれるから、たとえ善意でも科学者の苦悩は理解できないのです。
確かに科学は人の魂を揺さぶり、やりがいのある仕事ですが、これほど日本社会が硬直化し、バッシング社会になり、論理が通らないので、すでに限界を超えていると思います。「研究のような感じで研究ではない」という普通のことならなんとかできますが、「新しい分野」を拓こうとすると、その経験がなく、自分の仕事が暇で、他人を批判するのが生きがいという人が大量にいますので、つぶされてしまうでしょう。
高校生、大学生でこれから科学者になろうとしている人は、時代が悪いので、やめた方が良いと私は思います。悲惨な目にあいますから。NHKがSTAP事件の番組の取材で小保方さんを追まわし、負傷させ、しかも番組の宣伝までやっているのを見て、私は「日本の科学に若者を進ませてはいけない」と強く感じました。
実験をしたり、論文を書いたりした経験があるとわかるのですが、それも未知の分野のものの場合、その苦労、失敗、ミスは多いのです。親御さんの含め、今の時代は未知の科学に進ませることはお子さんの不幸になる可能性が高いと思います。
まだ、ケアレスミスしかわかっていないのに、「稀代の詐欺師」などともいう人がいます。本当に若い人にとっては人生を失うかも知れず、進路としては危険がありすぎると思います。
インテルやAMDはサーバー用CPUをスパコンに使ってもらえる。ノウハウも残る。
NVIDIAも同様。汎用機からのスケールアップなので、研究室にあるパソコンで環境を整えやすい。
当方ブラック研究室の大学院生。この数ヶ月コロナで自粛のためひたすら家で過ごしていた。
そうやって過ごしているうちに自分の本当の気持ちに気づいてしまった。
成長やら生産性やらキャリア形成やら他者貢献やら心底どうでもいい。
ただ毎日ダラダラして家族と一緒に過ごせればそれ以上の幸せは無いのだと。
私はそれは優秀な学生であった。
学業に勤しみ、実験の腕を磨き、日々成長して邁進していればその先に素晴らしい人生があると信じて疑わなかった。
しかしどんなに優秀な学生であったところで、それは優秀な奴隷への道でしかなかったのだ。毎日自分の労力と時間を切って渡す。そんな日々に私の求める本当の幸せがあるととても思えなくなってしまった。
毎日家の中で自由に過ごし、家族とともに食事をとる。毎日好きな時間に起きて寝る。
この至上の幸福をこの先どのように守っていけばいいんだろう。
もうすぐ夜が明ける。また研究室に行かなくちゃならない。
嫌だなぁ。
みなさん。reiというツイッターアカウントをご存知でしょうか?
https://twitter.com/rei10830349
ツイッタラーにありがちな生き辛さや発達障害あるあるを140字に納めた秀逸なツイートが話題を呼んでいる方です。
https://note.com/beatangel/n/n32ff4498424e
rei氏が先日投稿したこちらのnoteがあまりにも杜撰で酷いにも関わらず、多くの人の共感を呼び瞬く間にシェアされ、チー牛ミームの拡散に一役買ってしまっているこの状況に警鐘を鳴らすべく、彼の文章の基本的で根本的な誤りを一つずつ指摘したいと思います。
・rei氏は「ストレス」の語を児童虐待や親からの被虐の意味で使っているが、引用論文内では新規状況に対する精神的ストレスの意味で使われており、なおかつ被虐児は実験の対象から除外されている。
・rei氏はテストステロンが低下すると男らしくない顔つきになると主張しているが、引用論文内にそのような記述は一切ない。
・rei氏は先進国全般で女性は男らしい顔つきを好む傾向があると米国の実験で確かめられたと主張しているが、引用論文内にそのような記述は一切なく、引用論文はシンガポールの大学から発行されている。
・rei氏は進化論における適者生存の概念を用いているが、正しく理解しているとは考え難い語の使用をしている。
このチー牛顔の特徴は言うまでもなく、
・男らしさの特徴が薄い
・表情筋の未発達
・眼鏡
の4点に集約されるだろう。
最初から数えて三段落目の部分です。もうさあ、この箇条書きの仕方からして気にくわないんだよな。三つ目のポッチの”上記2点の相乗効果により何処か幼く見える”の項目。項目間で参照しないでくれ。せめて箇条書きから外してまとめるか、”上記2点の相乗効果により”を省いてほしい。この程度の体裁すら整えられていない文章を書く人が本を出すんですね。校閲の人は大変そうです。おや、rei氏の固定ツイートに記載してあるamazonのリンクが存在しませんね。スクリーンネームも”rei@生きてるだけで疲労困憊発売延期"となっています。何か問題でも発生したんですかね?
チー牛顔の特徴に話を戻すと、"男らしさの特徴が薄い”は後述する論文にも確からしい記述があるので横に置いておきますが、"表情筋の未発達”という表現はどう考えても不自然で、表情筋が発達しなかったら目を開けたり閉じたりできないし、ましてや口を動かして発語して「牛丼ください」なんて言えないはずなんだよな。"幼く見える”は主観的な印象にすぎないし、眼鏡をかけていることが不細工の代名詞「チー牛」の特徴の一つとまで言うのはもはやただの罵倒だろ。眼鏡っ娘を馬鹿にするな。
百歩譲って、ここまでは話題の提示部分であって、rei氏の過失ではない点が多分にあることは認めよう。
だが、ここから先で繰り広げられる、様々な論文の結論部分やrei氏の脳内妄想を継ぎ接ぎして構成されたストーリーは断じて許せない。許してはならない。てかこんな意味わからん文章を読んでへ〜なるほど!あるあるとか俺もチー牛じゃんwwwとか言ってスキ!やリツイートした奴全員どうかしてる。反省しろ。ちゃんと読め。
さて、こうした所謂「非モテ」や「陰キャ」独特の顔つきの由来については、実は実証的な研究においてほぼ答えが出ている。結論から言えば、こうしたチー牛顔を形作るのは「低いテストステロン値」「精神障害」「虐待やイジメ経験」の3要素であるが、これらはそれぞれ相関している。
らしいです。非モテ・陰キャあるあるとかいうマジでしょうもない中学生までには卒業しておきたい話が始まる予感がプンプンしますが、とりあえず聞くだけ聞いてやりましょう。
過去においてASDの原因は「極端な男性脳」と考えられ、彼等の拘りの強さや反復傾向やコミュニケーション不全の原因は高いテストステロン値にあるとされてきたが、研究の進展により近年はそれが否定され※、むしろASD男性は物理的に両性具有であることが示され始めている。身体の性的2形(身体の男性的特徴)が乏しい傾向にあることが示唆されているのだ。その1つに自閉症の顔を調べた研究があり、それによればASD男性の顔つきは「男らしくない」特徴があるという。
https://jneurodevdisorders.biomedcentral.com/articles/10.1186/s11689-015-9109-6 (論文a)
rei氏のnoteに言及した人はここで挙げられている論文aを全員読んでいるはずなのですがもしかしたら忘れてしまっている人もいるかもしれないため改めてざっくり説明します。チー牛画像の説明でrei氏はなんの根拠も明示せずに男らしくない顔つきである、と断定していましたが、この論文aはなんと、「男らしい顔、女らしい顔とは一体どんな顔であるのか?」という大変根元的な問いについて画像解析を用いて答えを出しているんですね。ふむふむ、どうやら男性は女性に比べて額の幅が広く、鼻は飛び出てて横幅も広いらしい。 で、次の実験②で、自閉傾向の強い人と弱い人とで顔つきの特徴を比較してみたところ、自閉傾向が強い男性は弱い人と比べて額の幅が小さかったり鼻先が飛び出してなかったりしたと。なるほどこれは確かに男性的な特徴とは言い難い。逆に自閉傾向の強い女性については、より額の幅が大きかったり鼻の幅が大きかったと。ここまでデータを見せられたらさすがに自閉傾向のある男性は男性らしくなくなり、女性の場合だと女性らしくなくなると納得せざるを得ませんね。ASD男性は性的二型(生殖器以外に男性と女性を区別する特徴のこと)に乏しく両性具有の外観をもつ、ええ、rei氏の言いたいことはわかりましたよ。じゃあ次の段落へいってみましょう。
また発達障害男性の顔つきが「男らしくない」事に関して、環境の影響を示唆する研究もある。恐らくこの記事を読んでる方の半分ぐらいは心当たりがあるだろうが、発達障害男性は1般的に幼少期から仲間外れにされたり、暴行されたり、虐待や親の過干渉に晒されやすい。こうしたストレスはストレスホルモンであるコルチゾールのレベルを高くし、コルチゾールのレベルが高くなることでテストステロンが低下し、テストステロンが低下する事で性的2形が不完全に形成される可能性が示唆されている。
えー、まず、発達障害男性は幼い頃から学校や家庭で加害され、そして精神的ストレスや肉体的ストレスに晒される傾向がある、きっと読者の皆さんも身に覚えがあるでしょう?とrei氏はおっしゃるわけですが、いくらその主張が正しくても、その根拠は自分の人生で起きた主観的な事実というたったサンプル数1の寄せ集めなわけですから、読者の共感を喚起したところで、発達障害男性全体の傾向や、発達過程における諸要素間の相関や因果関係といったマクロの話には全然繋がらないでしょう。
また、この「ストレス」という単語について、引用されている論文bでは、いやそもそも彼は論文の引用のルールすら守ってないので、この論文bが本文のどこと対応してるのか全然わからないんで、マジでこのリンクはたまたま偶然横に貼られている本文との関連性が一切見当たらない論文のURLなんですけど、えっじゃあさっきまでわざわざ論文を読んでた俺バカじゃね?学術的な考察を武器に世相を舌鋒鋭く、そして時には優しく切り込んでいくインターネット論客期待の新星っぽい雰囲気にまんまと騙されてんじゃんうわ恥ずかし!えっとなんでしたっけ、そう、この横にペっとはっつけられてる論文における「stress」とは、自閉症児が苦手とする経験したことのない新しい状況や環境のめまぐるしい変化といった意味のストレスなんですよね。introductionのパラグラフ二つ目、
"Individuals with autism are commonly observed to react abnormally to environmental changes or novel situations that might not be stressful to others. “
って書いてあるじゃないですか。ところでrei氏の言う「ストレス」ってなんでしたっけ?"発達障害男性は1般的に幼少期から仲間外れにされたり、暴行されたり、虐待や親の過干渉に晒されやすい。こうしたストレスは"–––––––って、ええ!論文の「stress」と意味が全然違うじゃないですか!しかも実験の被験者のうち虐待やネグレクトの経験がある子供は除外されてるんですよね。Participantsの段落に、
"Children were excluded if they had a history of abuse or neglect."
ってちゃんと書いてあるんですよ。
本筋と関係ないので手短に実験の内容をまとめると、自閉症の小児について、コルチゾール(ストレスに応答して分泌されるホルモンの一種)の値を安静な状況、新しい環境、採血後のそれぞれで測定してみたら、発達障害の既往がない人よりずっと高い数値を示したんだってさ。
rei氏はコルチゾールが高くなると男性ホルモンのテストステロンが下がる、って書いてるけど、残念ながらこの論文bにはテストステロンのテの字も書いてないんだわ。Ctrl+Fで単語検索してもテの字も引っかからなかったんだわ。でさ、俺こんな場末のインターネットでネチョネチョしちゃってるけどさ、曲がりなりにも医学部通ってて、手元に教科書とかあったりするのよ。ギャノング生理学原書25版、CHAPTER20、副腎髄質と副腎皮質の章、433ページ。"副腎アンドロゲンの分泌は急性にACTHにより調節され,性線刺激ホルモンによって調節されない.”と書いてあります。テストステロンはアンドロゲンの一種。ACTHは副腎皮質刺激ホルモンの略称で、コルチゾールやテストステロンを分泌させるのに働くホルモンです。教科書のこの記述から類推するに、コルチゾールも糖質コルチコイドもテストステロンの分泌には関わってなくね?や、もしかしたら教科書の隅から隅まで読んだらちょろっと一行書いてあったり、コルチゾールが高くなったことでフィードバック機構が働いて副腎皮質刺激ホルモンの分泌低下が引き起こされて結果的にテストステロンが下がったりするのかもしれないけど、rei氏はどこにも出典を明記せずに本文中でいけしゃあしゃあと"コルチゾールのレベルが高くなることでテストステロンが低下し、テストステロンが低下する事で性的2形が不完全に形成される可能性が示唆されている。"なんて書いてやがるわけですよ。許せなくない?ありえんでしょ。なんでわざわざこいつのデタラメもデタラメ、エロゲで鍛え抜かれた迫真の想像力で快楽排泄した駄文に付き合っていちいちファクトチェックしないといけないんですか?そうだ、reiさん。医学部レポートコピペ学科の学生に任せてみたらどうですか?少なくともあなたよりロジカルで科学的に正しい文章を書いてくれると思いますよ。なんなら紹介しましょうか?彼らは優秀で知性溢れる優しい友人がいるおかげでいつも成績は満点みたいですしきっと心強いと思いますよ。ところでreiさんにはいるんですか?優秀で知性溢れる優しい友人。いえこれは単なる興味です。
次の段落行きましょう。まだまだありますからね。先は長いですよ。
更に上記取り上げた海外チー牛ことThe Virgin Walkに関しても、インターネット等で語られる「ぎこちない」「フラフラしてる」「リズム感がない」「つま先で歩きがち」などの特徴は発達障害の運動協調の苦手さや感覚過敏や身体感覚の不全等の特徴と1致する。
https://www.scientificamerican.com/article/autism-in-motion-could-motor-problems-trigger-social-ones/ (記事c)
なんなんですかね、この抜け字。めちゃくちゃ気になっちゃうんですが。話の流れで飛ばしちゃったけど、なんかチー牛ミームの類似品は海外にもあるらしいですね。俺は細かいところが気になる性分なので、The Virgin Walkの画像を見せられた後に”インターネットで語られる「ぎこちない」「フラフラしてる」「リズム感がない」「つま先で歩きがち」"なんて書かれるとつい画像の中の英文と対応してるのかな〜なんて思っちゃうんだけど、全然対応してなかったです。じゃあこの例にあげてる印象ってどこの誰が言ってるんですか?対応してないっていうので言えば、ここで発達障害の特徴をいくつかあげてますけど、運動協調の苦手さ、身体感覚不全、まあ上述の印象と概ね一致するとしましょうよ。でも感覚過敏はどれとも対応してないですよね?何と何が一致するか、そういう細かいところキチッキチッと詰めていきましょうよ。文章はグルーブ感が大事なんですから、この後きっとこうくるだろうなという読者の予感みたいなの丁寧に扱ってあげましょうよ。リンク先の記事cについては特にコメントないです。自閉症児の多くは運動機能の発達や社会性の発達に障害を抱えるよ、くらいのことが書かれた科学ニュース記事で、論文とかじゃないですし。あ、でも自閉症児の運動障害が社会性の発達に悪影響を及ぼすという理論に、そもそも社会性の発達より運動機能の発達の方が時系列的に先に生じるからそう見えるだけなのでは?と反駁している記述とか、自閉症患者の困難は取り入れた視覚情報と運動性・社会性とを接続させられない点にあるという指摘は面白かったですね。はい次!
またこれは研究事例を示すまでもない事であるが、人間は自分の言動を揶揄されたり叩かれると自分に自信がなくなり、表情が暗くなったり、あまり表立って活動しなくなったり、人との関わりに消極的になってしまう。その為、こうした人間は表情を使う機会が乏しくなり、表情筋が発達しなかったり、表情をノンバーバルコミュニケーションとして使う経験が蓄積されず、表情が常に無表情気味かつ幼くなってしまう。
いや、研究事例はちゃんと示そうよ!まあ書いてあることはわからんでもないよ、わからんでもない。上司や先輩に怒られたり同級生にバカにされたりインターネットで誹謗中傷されたら凹んじゃうよね、引きずっちゃうよね。ウンウンわかるわかる。それはそれとして、この段落後半、同じことの繰り返しになっちゃってません?「顔の表情を使う機会が乏しくなる」、「顔の表情筋を使わないから発達しない」、「表情を使う経験が蓄積されない」、「表情が無」。極め付けには「顔が幼い」と、今まで一度も論じられてない幼さという主観的な形容詞を持ち出しちゃってます。GooglescholarやPubmedを使いこなしありとあらゆる論文を引用して鮮やかなストーリーを提示し、英語はおろかちょっと黒々とした文字の集合体さえ読めないパンピを納得させてみせるrei氏が、こんな小学生みたいな感想文をうっかり混ぜ込んでしまうなんて、とても私には信じられません。きっと何かの間違いでしょう。
まとめれば「発達障害男性は幼少期から多大なストレスに苛まされる事によってテストステロン値が低くなり、また人間との接触を避けるようになってしまい、結果として顔は男らしくなく、表情筋が発達せず幼い印象の顔になってしまう」という事だ。尚これは傾向の話であり、チー牛顔である事イコール精神障害であったり、虐めや虐待経験があったりする事を意味しない。
ツッコミどころが満載のまとめですね。簡潔にいきましょう。
・rei氏はストレスの語を、援用した論文とは異なる意味で使用している。
・rei氏は発達障害男性のテストステロン値が低くなる根拠を示していない。
・発達障害男性の顔は男らしくない傾向にある、と解釈できる論文はあるものの、rei氏が主張するところの表情筋の発達とは関係のない目や鼻や額といった器官そのものの位置に関する論文である。
・rei氏は、発達障害男性の顔が幼い印象を与えることについて言及する記事や論文を示していない。
腹立つのがさ、あくまで傾向の話なんですよ〜私はチー牛顔は精神障害者とは一言も言ってませんよ〜って逃げ道じみた一文を付け加えてるところなんだよね。何が原因で何が結果である、みたいな因果関係ってすごくややこしいじゃん。すぐコロッと逆転させちゃったりするじゃん、人間は愚かなので。今書いてる俺も、うん?どっちが先なんだ?って立ち止まっちゃうともうダメ。あーもう、こっすいよなあ、この一文を付け加えるだけで責任逃れられるみたいに思って書いてんですよ、この人。こんだけ嘘や誤認を誘導する駄文書いといて、「いや俺はそこまで言うてませんから、ほな^^」みたいな態度、要は舐めとるんですわ。文章を書くということも、読者のことも、発達障害者のことも、生き辛さを抱えてる人たちのことも、毎日研究室でせっせとデータ取って論文読んで人類の知の水平線を広げんと奮闘してる研究者のことも。腹立たしい。論文読むならちゃんと読め、使うならちゃんと使え、筋の通ってないこと書き散らかすな、知の冒涜も甚だしい。
入りきらなかったので後半に続きます
分かる人には分かるだろうか。
もう葛藤し始めてから何年も経つが、一度自分の気持ちを整理する意味も含めてここに書き出してみようと思う。
鮮明には覚えていないが、幼稚園の頃からそういう傾向があった。幼稚園での生活に馴染めず、度々教諭の手に終えないほど泣きわめいて親を召喚していたらしい。次第にそういったことは緩和していき、遊び相手も出来たのだが、どことなく溶け込めきれず疎外感を感じていたのを朧気ながらに覚えている。
小学校に入っても同じだった。決して誰にも相手にされないわけでもなく、友達はそれなりにいたと思うのだが、空気が読めずに(後で自己分析した結果、俺はかなり空気の読めない言動をしていたことに気付いた)すれ違うことが度々あった。でも当時はまだ小学生ということもあり、今が楽しければよしといった感じで、大して気には留めなかった。
大きな変化があったのは中学生の頃だった。俺はこの頃から自分が周りからどう思われているかをかなり気にするようになった。最初こそ今まで通り傍若無人に振る舞っていたものの、次第に自分への非難を重く受け止めるようになっていった。ヤンキーからも目を付けられ、ターゲットにされた。自分の今までの振るまいを見直し、なるべく目立たないことを意識し、無難な発言しかしなくなった。その結果、他人から非難や攻撃を受けることは減ったものの、つまらない奴だと思われ人が離れていった。
この頃から他人との接し方が本当に分からなくなった。高校に進学し人間関係は一新されたが、友達作りに難航し、最近の言葉で言うと陰キャと呼ばれるような大人しい人達と細々と過ごした。一般的なイメージの青春とはあまりにかけ離れた3年間だった。
大学からは地元を離れ、一人暮らしを始めた。大学時代はアルバイトや研究室などそれなりに他人と関係を持つ機会はあったのだが、本当に最低限の関わりしか持たなかった。人と関わることに疲れたのだ。高校まではギリギリ出来ていたが、大学ではついに友達と呼べるような人は一人も出来なかった。
一応いわゆるレールから脱線することはなく、無事就職し数年が経つ。もうアラサーと呼ばれる歳になった。相変わらず他人との付き合いは最小限にとどめ、ほとんど会社と家を往復するだけの毎日を送っている。
大学も就職先も超一流ではないが、それなりのブランドはある所だ。俺の履歴書だけ見れば、多くの人はそれなりに順調な人生を送っていると思うかも知れない。しかし俺はその間、多くの大切な物を失ってきた気がするのだ。例えばだが、殆どの人が大学までに済ませているであろう恋愛もセックスも済ませていない。集団で何かを成し遂げ、感動を分かち合った経験もない。今まで自分の人生を振り返って誇りに思えるのは、色々悩みながらも何とか形だけは順調に来れたということくらいしかない。本当にそれしかない。
俺の人生は外側だけは普通に見せることが出来ても、中身は決して普通ではないのだ。しかし、今さら「普通じゃない生き方」に振り切ることも出来ない。数少ない自分を信頼してくれている人まで裏切ることになるし、本当に本当の一人ぼっちになるのが怖いのである。これからも今までと同じように普通を演じながら進むしかないのだが、心の中に悲鳴を上げている自分がいるのも事実だ。果たしてこのままいつまでも進み続けられるのだろうか。この先も何十年と続く人生を…。
冒頭で気持ちを整理すると言ったが、あまり整理された文章にはなっていないと思う。長々と申し訳なかった。何か感じたことがあればコメントしてください。こんなしょうもない文章でも最後まで読んでくれた人がいれば、心から感謝する。
つまりはそういうことなんだが、チェンソーマンの面白さとは、アンチカタルシスを極めたあの藤本タツキという作者の作品に、少年漫画のエッセンスをこれでもかとぶち込んだその濃度だ。
漫画マニアなら作者の前作、ファイアパンチは知っているし、最低でも1話は読んだことがあるだろう。今ならジャン+で無料で1日1話やってるから、知らなかった一般人諸兄も気になるなら読める。1話目をとりあえず読んでくれ。復讐譚の導入としては、これ以上ないほどの1話目だと感じられると思う。これが合わないなら藤本タツキは合わない。それはしょうがない。
で、このファイアパンチだが、連載終了後もとにかく賛否否否両論ある漫画だ。とはいえ、否の方も「編集がバケモノを持て余した」というタイプの否が多く、1話目の出来を疑う人は少ない。ではなぜここまで否が多いか?簡単だ、徹底して読者の予想を裏切ることに特化したからだ。問題は、予想だけじゃなく期待すらも裏切ったことだ。
1話目を読んだ時点では、ファイアパンチはどう考えても「復讐譚」になる。復讐譚にしかならない。モンテ・クリスト伯や虎よ虎よの導入のように、如何にして復讐を遂げるか、を期待させ、復讐への葛藤を乗り越え、最後にどうやってカタルシスを感じさせるか、に焦点が行く。しかし、ファイアパンチは徹底してその予想、期待を裏切り続け、復讐ではなく「呪い」「嘘」「演技」といった、ユングのペルソナ論的な方向性に進んでいくのだ。あれだけ復讐の想いを奮い立たせる効果がある1話目の妹の言葉すらも、「その役割からそれっぽい言葉を言う」という演技からくるものではないか、というちゃぶ台の下の畳からひっくり返すレベルの話を平気で作ってくるのが藤本タツキだ。主人公の復讐という目的から、アレコレあってブレてブレてブレまくって、という葛藤をも描いた作品だ。カタルシスなんてあったもんじゃない。全力で振り回される、ジェットコースターのような作品だ。観覧車に乗ったと思ったらてっぺんから急降下してなんかよくわからないけどコーヒーカップで目が回ってた、みたいな状態になる。徹底したアンチカタルシス、解決しないことへのこだわりを感じさせる作品だ。
さて、ここまで前作の話だが、今作のチェンソーマンはどうだろうか。1話目は作者の妹(作者)のTwitterでも読めるし、ジャン+でも確か読めたはずだ。まず読んでくれ。1話読み切りだとすると完璧過ぎる1話だ。「普通を望みながら、誰もが今以上を望む」というテーマを書きながら、ちゃんと伏線張って回収する、お手本のような1話目だ。さて、ここから本作がどうなっていくかだが、とにかく主人公であるデンジが直情的なのだ。俺の邪魔すんな、面倒みてくれる奴が好き、おっぱいもみたい。とにかく目的が、「自分の感情」でブレない。ここが前作と比較したときの大きな差で、少年漫画とはこの確固たる「目的のブレなさ」が大きな魅力なのではないか。ナルトなら火影、ワンピースなら海賊王、チェンソーマンなら「普通の生活」である。カッコつきの「普通の生活」が何かは読めば分かる。読め。デンジはその「普通の生活」への憧れが本気で、徹底してる。馬鹿らしくても徹底してるんだよ。それも1話目からだ。
そして藤本タツキ作品には、素晴らしい助演が居るのだ。ファイアパンチではトガタ、チェンソーマンならマキマさんだ。まて、石を投げるな。チェンソーマンならポチタだろうとか、パワーちゃんだろとか、アキくんと姫野の話とかコベニちゃんだとかコベニカーだろとかあると思うが、マキマさんだ。マキマさんが圧倒的にエロいんだ。直情的なデンジに、文脈のエロさを教えるんだ、あのシーンでマキマさんに心を動かされなかった奴は居ないだろう。いいから読め。まだ既刊は7巻だ。今日7巻発売。一瞬だ。読め。合わないならしょうがないが。読め。マキマさんは怖くてエロいぞ。1話目のセリフも、素晴らしい前フリになってる。読め。
もう一つの魅力はセリフ回しだ。例えば、デンジが夢をバカにされた時のセリフ、「み~んな俺のやること馬鹿にしやがってよぉ、みんな偉い夢持ってて偉いなぁ!じゃあ夢バトルしようぜ夢バトル!お前が俺に負けたらお前の夢は俺の夢以下な!」だ。最高に頭が悪い。バカのデンジが、圧倒的なバカを本気で叫ぶ。読者も、そのバカを待ち望んでいる。予想は裏切っても期待は裏切らない、王道の少年漫画だ。それでいて、前作のジェットコースター性は失っていない。圧倒的なスピード感と期待を裏切らないフルスイングのバカ、これはジェットコースターではなくもはやテーマパークだ。
まだまだ魅力はあるぞ。マキマさん以外も素晴らしいキャラがたくさんいる。全員がブレない、生きたキャラだ。書ききれん。読め。キャラデザも最高だ。読め。全てを理解していけ。
チェンソーマンというテーマパークを楽しめるかは個人差がある、友達になりたくないならしょうがない。私だって高校の文化祭が最高の思い出で率先して同窓会の幹事をやるような奴とは友だちになれない。シラフでディズニーランドを楽しめる奴とは友だちになれない。大学院の研究室生活が365連勤のような状態で如何にクソだったかを語りつつ、研究室生活に戻りたいと思ってるような奴と友達になりたいと思ってる。そこはしょうがない。いいか、読め。1巻だけでいい、読んでくれ。
コスパ最悪。
勉強しか取り柄のないガリ勉くんにはお似合いですが、大学とは、勉強を片手間に遊ぶところです。友達や恋人を作ったり、バイトやサークルで社会経験を積みつつ、先輩から貰った過去問などを丸写しして最小限の労力で単位を取るのが大学です。社会ではそういう社交性と要領の良さが評価されます。
大学に入ってまで勉強なんかしてる陰キャは、非常に自己満足的で滑稽です。彼らは自分が鼻で笑われていることに気付いていません。
理系の勉強は大変です。これは主に、以下の2つの理由からです。
まず、ほとんどの理系分野は、現象を正確に記述するのに数学と物理の知識を必要とします。この2科目は、論理を地道に積み重ねていく学問なので、誤魔化しが効きません。つまり、「AはB、BはC、したがってAはC」のような完全に正当化される論理のみを紡いで議論する必要があります。またその性質上、基礎となる分野を飛ばして、応用分野を学ぶことができません。つまり、一度躓いたらそこでドロップアウトすることになります。
一方文系の場合、計量経済学のような一部の人気のない分野を除けば、教員の指定した本を順番に読んで、その内容を日常用語で適当に再解釈した感想文が書ければ、卒業論文として認められます。というか単位を取るだけなら、本すら読まずとも又聞きした情報を適当にまとめれば良いです。何のスキルも必要ありません。
また、理系では理論系の分野を除けば実験があります。実験は研究室によっては徹夜で行うことも珍しくなく、非常にハードです。また、やはり実験の前提となる基礎理論を正しく理解していなければなりませんし、誤差等の評価を数学的に正しく行える必要があります。実験ノートの取り方、論文の書き方などのマナーも非常に厳密に決まっており、一般的な文書作成技術よりも高い技術が必要になります。
分野によっては、直接の専門とは別にプログラミングや電子回路設計などの技術も身につける必要があります。
機械工学科や電気工学科などの産業的に非常に需要のある分野を除いて、専攻に関係した職業に就く人はほとんどいません。したがって、文系が就職に不利になることはありません。むしろ、大学入って勉強しかしてこなかった理系は、コミュニケーション能力などの点で文系に大きく水をあけられます。
また、学部別の平均年収なども、1割くらいの高額所得者が平均を吊り上げているだけで、どこに行っても実態は大差ありません。
つまり理系というのは、大学に入ってまでわざわざ勉強なんかしてるガリ勉キモオタ陰キャが、結局社会に出たらなんの役にも立たないというところです。非常にコスパが悪いです。合理的に考えたら、理系に行く選択肢はないでしょう。
払ってもらったし払ってるよ
研究室に来てるやつが「奨学金を複数とっているが、ほぼ全部、定年こえて無職の親に送金しないと」っていってるやつがいてゾッとした
生きてるのか知らない
あと結婚披露宴の費用も親戚へのお車代などは親に払ってもらったしお祝儀も預かってもらってあとでまとめてお祝いでもらった(当日本人はそこまで気が回らないはず)
自分も基本料金超えるあたりは払ってやることになるとおもうよ
気になっている分野の、大学で扱う内容の英語の教科書を読むといいと思う。
気になっている分野の内容は興味を持って積極的に取り組みやすい。
敬遠しがちかもしれないが、実は教科書は、専門用語を除けばかなり平易な単語が多い。多読習慣をつけるにはうってつけの学習教材。
専門用語も補足があったりするので、なんじゃこりゃってなる心配はない。
大学の教科書は、英語で書かれた原著を日本語に訳したものが多い。
すなわち、和訳版には翻訳者の介在があるため、値段が高くなってしまう。
原著を読めば安く済ませられる。
それでも1万円とかするけど、和訳版は3万円とかするので、将来的には得をしている。
安い本ならば中古で3000円とかで買えた記憶。専門分野と英語の両方の参考書を買うと考えると、得ではないだろうか。
あと個人的な感想だけど、英語の教科書の方が内容が生き生きしてて読んでて楽しい。
高校の教科書って事実をそのまま並べてる感じで読む気にあんまなれない。
けど、英語の教科書はできるだけ面白く、興味を持ってもらえるような語り掛け方をしている印象がある。
私が生物系なので、おすすめするとしたらCELLやESSENTIAL細胞生物学など。
基本的な細胞生物学について学べるし、まぁ大学で習う内容としては外れが無いだろう。
全部まとめられた本って結構重いしかさばるし読みにくい。なので、すこしでも軽くして持ち運べるようにした方が楽。
もし興味がわいたならば、大学行ってる先輩とかに聞くといいかも。大学の近くの古本屋さんに行ってみて、教科書を探ってみるのも楽しい。
目当ての大学・研究室がもうすでにあるならば、そこの教授に連絡してどういう本がいいか聞くのも手。教授ってそういう意欲ある学生って好きなはず。