はてなキーワード: 研究室とは
https://www.tyoshiki.com/entry/2020/05/27/223701
長い。
箕輪研究室は時代の最先端を謳っているがその実態は時代錯誤のマイルドヤンキーがウェイウェイやってる空間。バカなマイルドヤンキーが調子こいて記事書いてくれたおかげでその空気がよく伝わった、だけでいい。
上のnote書いたやつは純度百パーセントのマイルドヤンキー。
学がなくて身内のノリがすべてで序列意識強くてフェミニストって何ですかっていう時代錯誤ぶり。一から十までマイルドヤンキーの手本。ネットばっかりやってる人間にはわかりにくいかもしれないが日本はこういうマイルドヤンキーが動かしてる。彼こそが日本の民度の標準って理解しろ。こういうマイルドヤンキーバリバリの人間に驚いてはいけない。
ある。これは正しい。
・次亜塩素酸ナトリウムは危険、次亜塩素酸は安全?
嘘。
水溶液中で次亜塩素酸イオンとなるのは同じで、ナトリウム塩となることでpHが違う
次亜塩素酸ナトリウム水溶液はアルカリ性で、安定性が高いため、長期的に作用しやすい
一方、次亜塩素酸水溶液は酸性で、反応性が高く、フレッシュなものは殺菌作用はめちゃくちゃ強いが、置いておくとすぐに分解される
ただし、当然ながら濃度による。
低濃度なら害のない濃度はあるだろう。
長期間低濃度曝露の影響は知られていない。
が、いい影響があるわけがない。
半分正解で半分間違い。
研究室レベルで、密閉空間に高濃度次亜塩素酸を散布すれば当然殺菌効果はある。
ただし、実際に人が過ごす部屋で、安全基準値以下の塩素濃度での殺菌効果は確認されていない。
つまり、「次亜塩素酸の空間散布による殺菌効果はある」が「安全に使用した限りでは実際に殺菌効果を確認できていない」が正解
が、僕の知る限り、医学的に空間散布との因果関係が証明されてはいない
健康被害は出るかもしれないけど、確実に因果関係をもって存在しているとは言い難い
厚生労働省が令和2年3月6日に出した文書「社会福祉施設等における感染拡大防止のための留意点について https://www.mhlw.go.jp/content/000605425.pdf」には下記の記載がある
消毒・清掃等の実施 新型コロナウイルス感染が疑われる者の居室及び当該利用者が利用した共用スペースについては、消毒・清掃を実施する。具体的には、手袋を着用 し、消毒用エタノールで清拭する。または、次亜塩素酸ナトリウム液で清拭後、湿式清掃し、乾燥させる。なお、次亜塩素酸を含む消毒薬の噴霧については、吸引すると有害であり、効果が不確実であることから行わないこと。 トイレのドアノブや取手等は、消毒用エタノールで清拭する。
ただしこれは、「社会福祉施設等(入所施設・居住系サービスに限る。)」とされた別紙での記載であることから、入居型のような長期間曝露を想定したものであり、小学校や幼稚園等で、日に数時間曝露される程度を想定してはいないと思われる。
・結局どうしたらいいの?
殺菌を重視するなら高濃度でまけばいいんじゃない?呼吸器やられると思うけど
健康を重視するなら、おまじない程度に効果ない濃度でまくか、いっそまかないほうがいいのでは
とりあえず、次亜塩素酸は空間散布するものではなく、拭き取りで使って効果があるものという認識は持ったほうがいいです
あと、散布機メーカーは嘘は言ってないけど、金儲けにつながっている以上、メーカーの試験には効果が出るような限定された条件があるので、メーカーの言い分は信じすぎないようにしましょう
・エセ科学なの?
中高をひとまとめにしてるが、公立中学と進学校では居心地は全然違うはず。
進学校でも上位10%ならそこそこ優秀。とはいえ東大や医学科には手が届かない。
理系なら就活はそんなに頑張らなくてもいろいろ内定もらえるはず。
そのまま大手企業というのは世間体なのか親の喜ぶ顔なのかわからんが、流されて選択権を行使しなかった。
どうせ風俗で童貞捨てるなら大学時代に捨てておけば、早く次のステップに進めたはず。エロを極めるにしてもエロを捨てるにしても。
何がいいたいかというと、肝心なところで突き抜けたものがないんだ。
クラスメイトを逆転するなんて無理無理。
色々波乱万丈な人生みたいは話が世間にあふれているじゃん?例えば中高不真面目だったとかさ。
でもだいたいそういうやつって、過去にあれていても結果うまくいったりするわけ。そもそも中高生のときはわりと学生生活エンジョイしてるわけよ。
じゃ、おれにちょっと半生語らせてみてみ?
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小学生低学年で逆上がりがなかなかできず、運動神経がよくないことに気づく。宿題はこなすことはできるので、なんとなく勉強は人並みにできるのかもしれないと思い始める。
高学年でバレンタインデーなどのイベントを知るが、全く数にはいってなく、チョコはもらえず。しかし異性に興味をもちはじめる。
頭はいいほうで模試でもだいたい学校の上位10%に入る。通知簿にはおとなしく真面目の評価。年によっては皆勤賞も。
一方で軽いいじめとキツイいじりの中間のような扱いをされて、「学校が楽しい」というワードはイマイチぴんとこない。
似たような雰囲気の男同士で教室の端っこでもそもそしている。陽キャが女子と仲良く話しているのを尻目に、必ず逆転してやると負のエネルギーをためこんでいく。もちろん自分は女の子と仲良くなったり告白されることもなく、大してコミュニケーションもないまま大学へ進学。
有名大学へ入学。サークル、学業は充実する。ここでも真面目さを発揮し、GPAは良いほう。
研究室は希望のところへ入るも、研究自体は泣かず飛ばず。サークルで仲良くなった女の子に告白するも撃沈。就活に精を出す。
そのまま大手企業に就職。大企業のため親は大喜び。でも結局、童貞のまま。社会人になってもガールズバーやキャバクラの類には行かない。でも、さすがに童貞のままじゃいかんと思い、会社の同僚とともに風俗へ。「なんだ、あれほど切望していたセ●クスってこんなもんか..」と27歳にしてやや幻滅する。
30前後で彼女がいないことに本気で焦りだし、出会い系サイトで女性と知り合う。そこで体の関係をもってくれたことに感激しつつ責任を感じ結婚する。しかし、体の相性もテクニックもしらない俺はまたたく間にセックスレスへ。家庭内の自分の価値を少しでも上げようと掃除・洗濯・炊事と家事のほとんどをこなし、優しい夫をアピールしている。
せっかく入った大手だが、思った以上に収入はのびない。ホワイトっちゃホワイトだが、年収500〜600万がいいとこ。結局学生のときフラフラしてたやつらとそう変わらないどころか、彼らは自分で店を経営してたりする。学生のときに誓った逆転も、全くできていない。
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はい、ここまで書いたが、これ真面目系クズの話に近いよね。でも別にクズ要素ないよね。で、増田に結構当てはまってるんじゃないかと思う。もちろん、仔細は異なるだろうが、共感するところがある読者も多いのではないだろうか。
学生のあいだは大人の言うことを疑わずに信じ、要領を得ることを知らず、モテに対しても斜に構え、特段の努力もしてこなかった。
今でも青春コンプレックスはぬけないため、日本のドラマはキツくてみれない。現実であっても、彼女に外でフ●ラさせたとか、会ったばかりの女とヤったとか、信じられない刺激的な話題で溢れている。自分の人生にはそういう体験は訪れないんだろうと思うと、呆れ、絶望する。
仕事でプログラムを書くけれど、プログラミングを生業としているかというとちょっと抵抗があるな
結局、ご縁があったとしか言いようがないな。自分で選んできたというよりも神の手に導かれたというほうがしっくりくる。
計算なんて人間がすることじゃないというのがそのころの主張だったので、プログラムに宿題をやらせることを思いつき、計算はそちらでやるようにする。
大学に入ったら、ほかの科目がからきしダメで、唯一使い物になったから、でもしかで情報系の学科に進む。
一時期数学系に行こうかとした瞬間もあったけれど、人気研究室にお試しで面接を受けに言ったら合格と言われ、流されるままに情報系の研究室へ。
ただプログラムを漫然と書くのが嫌なんだと主張すると、指導教官から研究の為にプログラムを書いていると宥められ、学位を取って就職。
高校ではもちろん理系を選択、全国模試をやれば化学は偏差値70をいつも超えていたし、先生にいつも色々と質問をぶつけていた。
大学は誰もが知る難関大学の化学系に進学して、学部の間もそれなりに優秀な学生だった。
自分が博士課程に進学して、優秀な化学者になる未来を思い描いていた。それを疑ったこともなかった。
で、いざ学部4年になって本格的に研究してみると、これがあまり面白くない。
割り当てられたテーマはやりたいことではなかったけれど、学部4年の1年間自分なりに頑張ってみた。
でもテーマの都合で見かけの進捗が同期に比べて随分遅い。
これが俺のプライドを傷つけたのかもしれないし、そもそも結果がなかなか出ないとやりがいがない。
じゃあ座学はというと、上にも書いた通り俺は”それなりに優秀”程度なので、研究室内に自分よりすごい同期がいるし、1,2年じゃ追い越せないような先輩もいる。
座学でも特段目立ったところがない。
だがそれ以上につらいのが、化学を”楽しい”と感じられなくなったことだ。
同期や先輩が、何かしらの論文だとか他人の研究だとかについて楽しそうに語っているのを何度も見てきた。
けれど、俺は論文も他人の研究も”面白い”だなんて思ったことがない。
ギリ”interesting"はあっても、”fun"や"exciting"になったことがない。
教科書レベルの話ではない、突き詰めて詳細で、地道な研究やデータの積み重ねは見ていて楽しくない。
結局俺があんなに好きで、将来を捧げたいと思っていた”化学”とはいったい何だったのだろうか?
高校や大学学部程度の勉強で語られる学問の神秘性が好きだったんだろうか?
それとも俺がただの負けず嫌いで、化学で他人に勝ってることが好きだったんだろうか?
コロナで仕事がなくなった、学校がなくなったという人はさぞかし人生が充実してんだろうなって思う。
自分は大学院生だが、研究・アルバイト以外の私生活のQOLが低い(恋人なし・頑張って作ってもすぐ振られる、趣味もコロナで楽しめない)からとにかくタスクだけしていたい。
一時期は月月火水木金金の精神で一日18時間ほど研究室・アルバイトに注ぎ込むことこそが最高の生きがいだった。心の底から人生を謳歌できていた。タスクはどんどん進むし、楽しかった。コロナでこの生活は立たれたがかえって色々と考えてしまい鬱になっている。
今の企業はホワイトが喜ばれてるけど、世の中には私生活があまりにも充実しなさすぎてタスクをこなすことこそが至高の楽しみ、って人もいるんだ。
私生活だって初めは色々楽しめるように努力したんだけど、いわゆる「プライベート」を充実させるために必要な労力が自分にとって大きすぎた。早くコロナおさまってくれ。
学部3年の終わりごろ、周囲の友人が就職の道を選ぶなか、俺は院進を決めた。
院進を決めた理由は…何だっただろう。
研究活動を一度経験してみたかった。もっと学びたかった。就職活動が嫌だった。TAの人が優しかった。もし自分が研究に不向きだったとしても、(学部時代の成績が良かったので)まぁ2年くらいなんとかなるっしょ、と思って決めてしまった。
当時はそんな自分の浅はかさを薄々自覚しつつも、得意の楽観視をキメることで、「大学院生活が失敗に終わる自分像」から目を背けていた。
その研究室に同級生や先輩はおらず、学生はなんと俺一人だけという環境。(博士課程の学生なら何人か居たが、非常にとっつきにくかった)
なので分からないことは指導教官に聞くしかなかったのだが、これが最初の挫折ポイント。学部までの授業は席に座って聞くだけのいわば受け身でいい。しかし、研究は誰かが手取り足取り教えてくれる訳ではなく、自分で行動し、分からなければ質問に行かなくちゃいけない。
研究室に入ったばかりで分からないことすらわからなかった俺には、指導教官の顔色を伺いながら質問に行くのが辛かった。せめて同級生か先輩が居てくれたら、ちょっとはマシだったかもしれないが…その研究室を選んだのは自分だし。がんばって新しい環境に慣れながら、がむしゃらになって駆け抜けた。
そして、沢山の恥ずかしい失敗(マジで思い出しては消えたくなる)や挫折を重ねながらも、指導教官の手取り足取りなご指導のおかげで成果を出すことができ、なかなか満足いく形で大学を卒業した。
やってよかったなと思った。(成功したのは9割指導教官のおかげたが)
その一方で、研究に対する拒否反応がじわじわと膨れ上がってきているのも感じていた。
コロナが流行り、今年度から研究室には行っていない。面倒でつらい発表ごともなく、進捗も求められない生活は非常に心地がよい。
いままで騙し騙しやってきたが、自粛がずっと続けばいいのにと思っている時点で、俺はやっぱり研究なんてやりたくないのだ。
自粛の終わりが近づいているのが憂鬱だ。気がつくと涙がとまらなくなる。
どうして俺は大学院なんか来てしまったのか。ちゃんと考えて進学するべきだった。やっていれば興味が湧くだろうと安易な考えで進学したことを悔やむ。
何かと理由をつけて辞めれたら、心が一瞬楽になるだろうが、周りに全てを打ち明ける勇気はない。
いまだに俺は論文の読み方も分からないし、発表もド下手くそだ。なのに上達する努力はしたくない。疲れた。やめたい、やりたくない、やめたい、そればかり考えているクズだ。
論文を読もうとしても、資料を作ろうとしても、すぐに意識が明後日の方へいってしまう。
ここまでにしよう
とりとめなく気持ちを書いていたら、少し気分が軽くなった気がする。
インターネットで世間の声を簡単に聞けるようになった。つまりそういうことなのだが、1つの塵芥の声が聞こえるようになってしまったのだ。
それを自分に言われているように思えてしまう人間がいる。絶対にいる。無視できない数の、そういう人間がいる。その上で、自分の叫びや悲鳴のようなものは1つの塵芥にしかならないのだ。
そんな人間が、他人に散々影響され、恨みや怒りが籠った叫びが響いてしまった人間が、自分の叫びや悲鳴が最も効果的に他人に伝わるのはどこか。市街だ。市街で叫んで回るしかないのだ。
私は自宅で、よく声にならない叫び声を上げる癖がある。ずっと隠してきた。学校、研究室、会社、旧2ch、twitter、増田、その他SNS全てで、今までは隠してきた。もう無理だ。市街で叫ぶ度胸はない小心者だ。まずは増田で叫ばせてくれ。
クソが!
その頃自分はM1からM2に上がりたてで、HCI系の研究室に所属していたが特別ブラックというわけでもなく(直接指導にあたる教員との相性は悪かったが)、記事を読んでも筆者の境遇に思いを馳せるぐらいの月並みなことしかできなかった。
それでも、HCIは「一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ」るという主張に心から共感したことは覚えている。「おもちゃ」という表現がぴったりだと感じたのだ。「ゴミ」とか「クズ」ではなく、「おもちゃ」。自分も含めて学士・修士の研究は大半がゴミ同然なのだろうけれど、どうしてかHCI研究の一部は「おもちゃ」であるように思えてならない。当時その理由を漠然と考えてみたりもしたが、結局まとまらないうちにほとぼりが冷めてしまった。
今、自分は修士課程を修了して労働をしている……が、このご時世なのでここの所はずっと自宅待機で時間を持て余している。だから、今のうちに寝かせたままのもやもやを整理し、言語化しておきたい。そういうわけで、増田に書くことにした。
一応断っておくと、これから書くことは修士卒の人間の主観に満ちたお気持ち表明であり、HCI全体のごくごく狭い領域の事情を述べているに過ぎない。HCIの学際的な領域は多岐にわたるが、その中でも自分は記憶・感情・コミュニケーションといった人間の精神的な活動をコンピュータ技術で支援しようという趣のことをやっていたから、余計におもちゃ性の強い研究に触れる機会が多かったのかもしれない。そのあたりを踏まえた上で、読んでもらえると幸いだ。
HCIが立派な研究であるかどうかは、HCIおもちゃ問題を考える上で大きな問題にならないと自分は思う。正しく研究のフォーマットに則ってさえいればそれは研究と呼ぶ他ないはずだし、研究の質的な議論は何もHCIという分野に限られたことではない。
学問の有用性は、例えば人文学の軽視だとか、もっと次元を低くすれば三角関数を習う意味だとかで、これまたよく議論の対象となる話題である。自分としては、一般的な学問に関しては直接的な人間への有用性という観点のみで議論されるべきではないと思っている。学問による間接的な恩恵や将来への投資を無視するのはあまりに浅慮であるし、根源的な欲求の充足というのにも価値はあるはずだと考えるからだ。
しかし、HCIは例外だ。HCIは、人を対象とし、大半の場合はエンジニアリング的なアプローチによる課題解決を目指しているのだから、人の役に立たなければ意味を持たない。しょうもないHCI研究は、道具・ツールとして失格の烙印を押されたガラクタの「おもちゃ」なのだ。
自分は、ワゴンいっぱいのガラクタのおもちゃの中にあって気持ちがみるみる冷めていったし、元増田の筆者もきっと同じだったのだろう。
ここからは、自分がおもちゃだなと感じてしまうHCIの特徴について列挙していく。
遊ぶように楽しめる何かを作ること自体は結構だが、課題解決を目指す工学において繰り返しに耐えないモノを作るのは全くのナンセンスだ。
それこそ、人間にとってのお役立ち度は、縁日の射的の景品やヨーヨーと全く変わらないということになる。
HCIの研究やプロダクトが役に立つ前提として、人間というのは常に明るく元気で前向きで、人と繋がりたくってしょうがない生き物なんだと考えているんじゃないかと思わされることが何度もあった。確かに現在の社会においてそのような人々は理想的で偉いのかもしれないが、現実を見ればそのような前提を掲げられるはずもないことは火を見るより明らかだろう。
また、人々に高度な認知的能力を要求するような例も多いが、そのような人々がいくらかエンハンスされたとしてもそれに対するHCIの貢献度は、はじめからA判定の生徒を受け持つ家庭教師のような疑わしさが持たれて然るべきだ。
これは元増田にも指摘のあったことだが、他分野を無理のある形で援用してトンデモ仮説を作るようなことが見受けられた。逆ソーカル事件といえるようなことが、あちこちで起こっているんじゃないかと思う。
大いなる研究の礎として失敗した研究が存在するという考え方があるが、おもちゃHCIは礎たりえない。それは、そこに積み上げられるものが全くないか、あるいは逆にバベルの塔を建てようとしているからだ。つまるところ、未来が両極端なのだ。
当たり前のことだが、何もHCI全体を否定しているのではない。優れた研究・研究者は数多く存在しており、今後も我々の生活を豊かにしてくれるのだろう。
ただ、おもちゃHCIが存在するのも事実で、それに関わると残念ながら莫大なリソースが無駄に終わってしまうから、ちょっと口出ししておきたかったのだ。
人によっては夜9時とかになっても全然集中できる人がいたり、それはどうしてなんだろう。
外資コンサルみたいな人はどうしてあんなに長時間働けるんだろう。
どうして研究室の先生や数学者はずっと考え続けられるんだろう。
プラダを着た悪魔、の主人公ずっと仕事できててすごいな。急に呼び出されても仕事するんだもん。
自分は定時分しか集中できない。気力がわかない。18時には切り上げる。
22時にチャット来てるの見て、ついていけないなと思った。
前に教えてもらいながらのときは、上司が長時間つきっきりだったからきつかったな。
まあこれも、才能や能力の一つだね。
他のところでカバーするのがいいんかね。
あとは、段取りとか、健康に気を遣うとか、睡眠をちゃんととるとかね。
もしくは、毎日大学数学の問題を解き続けるとかも、集中力向上にいいかもしれんな。
と、ここまで書いて「数学の問題を解き続ける」が出てくるということは、
ずっと考えていたいと思うほどは、仕事に興味がないもんね。
でもやっぱり自分はこのままでいいや、