はてなキーワード: せっかくだからとは
詳しい体験談ありがとう。こういう有用な知見が得られるから増田は侮れない
腸腰筋とは上半身と下半身を繋ぐ筋肉。腰の上の方から股関節にかけて、体の中心についている。後述する鍼の先生から腰痛の原因はこの筋肉にあることが多いと聞いて始めてみた
やり方は足を前後に開き、伸ばしたい方の足の膝を地面につけて片膝立ちになる
この状態で前に出ている膝に両手を置き、膝をつけてる方の足の股関節の前側を伸ばす感じで体重をかけていく。地面につける方の膝の下にはクッションを置くといいかも
けっこう痛いが、腰痛の改善については即効性があると感じている
・腰方形筋ストレッチ
腰方形筋とは腰椎から骨盤にかけて付いている筋肉。姿勢の安定に重要らしい
やり方は立った状態から伸ばさない方の足を前に出して交差させ、両手を上に伸ばし、伸ばしたい側とは逆方向に体を倒していく。ちょうど両手で大きく「C」を描くような感じだな
けっこう難しいので、俺は下になるほうの手で椅子とかを掴んでバランスを取っている
こっちは痛みは少ない。むしろ固まっていた筋肉が伸ばされて気持ちよく感じる
まあ要するに運動だな
ウォーキングは日の光を浴びれる、目を休めることができる、運動強度的にも楽といいことづくめでぜひやったほうがいい
やる前は腰痛があっても、30分ほど歩くと筋肉がほぐれてきて楽になってくるのを感じる
とは言っても外に出るのもダルイ時もある。そういう時に活躍するのがサイクルマシン
今どきは通販で15000も出せば十分なものが手に入る。テレビを見ながら30分も漕げば汗ビッショリ、腰にも熱が戻ってくる
・鍼治療
そちらも言われる通り鍼や整体は腕前もピンキリで、その時は気持ちよくても次の日になれば元通りになることが多い
俺の場合はたまたま近所に腕のいい鍼の先生を見つけることができただけだから、再現性はあまりない
それでも腕のいい人は本当に腕がいいので、近場で探してみるといいかも
・バックジョイ
姿勢矯正用の硬質な座布団のようなもの。俺は座り仕事なので、これは助かった
座ると自然と腰がS字になり、負担を軽減してくれる。腰痛には中々効果があると感じている
正規品を新品で買うと中々高いが、メルカリとかなら中古品が半額ほどで手に入る
合わなければまたメルカリで売ればいいから、試してみるのもいいかも
・筋トレ
体形が崩れるのが嫌だから今でも続けているけど、強度や回数は控えめになったな
・ストレッチポール等のほぐし用品
という話に熱を上げ、最後には怒り出すような人間にだけはなりたくないものだ。
「やってみなければ分からない」「だがやれない」「だから分からない」で終わりだろう。
もしも「いいやそれでもコッチの方が強い」と言いたい奴には言わせればいいし、せっかくだから楽しく競馬論でも語ってみようじゃないか。
たまにいるんだ……「○○は俺達世代の代表、○○をバカにされると自分までバカにされたような気分になる」とか抜かす頭のイカれた人間が。
何を言ってるのか全く分からないのだが、彼らの中ではそういう感情は当たり前のものらしい。
たとえばこれが「ウサイン・ボルトは黒人の代表だから、彼が活躍することは黒人の可能性を証明する素晴らしいものだ」という意見ならまだ分からなくもない。
だが、馬だぞ?
それも、たまたま自分が競馬にハマっていた時代に活躍していたという繋がりしかない馬だ。
さっき、「ウサイン・ボルトは黒人の代表だ」という意見なら受け入れると言ったが、これが「○○は俺達の時代の代表だから」と言うならそれも軽蔑の対象だ。
たまたま自分と同じ時代を生きた人間が結果を出したというだけで、自分まで凄い人間であることが証明されるなんて言い出すのは脳がイカれているとしか思えない。
ハッキリ言うが、「ウサイン・ボルトが活躍した。俺は黒人だ。俺は凄い」というのなら、そんな黒人は軽蔑の対象だ。
「黒人であっても白人に劣りなんてせず、人種の違いで人を差別するのは馬鹿馬鹿しい」という意味で、ウサイン・ボルトの栄光を称えるのなら理解できるだけで、他人の成果を笠に着て自分が偉いなんてふんぞり返るようならタダの気狂いに他ならぬ。
なんでその例に競馬を上げたのかだが……まあ競馬ってのにはどうにもそういう奴が多いんだよ。
理解に苦しむのだが、自分が熱を上げていた時代に活躍した競走馬が褒め称えられると自分まで立派な人間だと思いこんでしまう人種が殊更に多いのだ。
まあ、「そんな時代の競馬を楽しんだ俺は勝ち組」ぐらいならいいのだが、いつの間にかその時代のヒーローと自分を同一視して、やたらと繊細であることが人格の清らかさを証明するとさえ勘違いしている。
信じられないことだ。
彼らにとってはよっぽど自分の人生そのものが誇れるものじゃないらしい。
そうでなければ、「自分のヒーロー」のために自分自身の人生や、他人の人生を平気で投げ捨てたりはしないだろう。
ヒーローの名誉のためなら、普通の人間の価値なんてゴミに等しいと信じているのだろうか?
天皇のためなら玉砕することこそが幸福だと信じていたあの頃の帝国軍人のように。
まったくもって気が知れない。
日本には数多の新宗教と呼ばれる宗教が存在する。そして大体の宗教は聖地を持っている。そんな聖地に信者でもない人間が入ってもいいのか?と思ってしまうが開放している宗教はそこそこあるので行ったことがある宗教本部の思い出を辿ってみる
・霊友会
法華系新宗教の先駆けであり数多くの分派を輩出したことで知られる霊友会は東京都港区麻布台という都内の一等地に「釈迦殿」と呼ばれる巨大な建物を保有している。最寄り駅の神谷町駅からとぼとぼ徒歩で行ったが、自分は平日に行ったのでほとんど人が居なかった。巨大な礼拝スペースががらんとしているのはこの世の終わりを感じさせてなかなか楽しいものだった。霊友会には小谷喜美と久保角太郎という二人の教祖的な人物がいるのだけれど歴史紹介コーナー的なところはほとんど小谷恩師小谷恩師と書かれていて久保角太郎の名はあまり見受けられなかった。(霊友会の元会長が久保角太郎の息子なのだが、平成に入って分裂騒動があり現在の霊友会と袂を分ったためか)
奥の方には食堂もあったが行く前に食事してしまったので食べずに終わった。
上に書いた霊友会の分派として戦後期に創価学会と並んで肥大化した新宗教である立正佼成会の本部は杉並区和田にある。方南町駅から北に向かって歩いていくと円柱が多数取り囲んだような形の立正佼成会の大聖堂が見えてくる。道を挟んで南側には「吹奏楽の甲子園」と呼ばれた教団所有の普門館があるのだが、自分が行った2019年のクリスマスには耐震上の問題から取り壊しが行われていた。
中に入ると一階には土産物屋があった。教団関連の書籍や仏具とともになぜか国旗が売られていたのを妙に覚えている。上の階の展示室では脇祖・長沼妙佼の特集が組まれていた。若いころの開祖・庭野日敬の写真などもあったがなかなかいい顔立ちだなと感じた。展示を見終えた後、屋上に上がり中野から東京を見たりした。
昼ぐらいになったので食堂に行った。この日はクリスマスだったのでシフォンケーキが売られていた。仏教系とかあんまり関係ないのね…大聖堂の外にもいろいろあったが博物館的なところは休館だったのでコロナが収まったら行ってみたいと思います。
・国柱会
さっきから法華系の新宗教ばかりに偏ってる気がするけど次に国柱会の説明を。戦前に日蓮主義を引っ提げた田中智学の国柱会の本部は江戸川区一之江にある。一之江駅からバスで行くものの最初はどこが入り口かわからずぐるっと回りを一周してしまった。やっとこさ入口らしき道を見つけたが、教団が経営する老人ホームが本部の中にあって驚いた。老人ホームの道を進んでいくと国柱会の本部が見えてくる。ただまあそんなにデカい建物ではなかったのですけどね。道の端々にいろんな石碑が残っていたけどあんまり記憶にない。本部の中も恐る恐る入った。術師みたいな恰好の人が居た位しか覚えてないですね。本部の中のパンフは教団関係のやつもあれば右派的な主張のものもあった。そこは戦前からの流れがまだ生き残ってるんだなあ…と思った。
・霊波之光
いままでは東京都内だったが今度は千葉県野田市にある霊波之光本部へ。東武野田線運河駅を降り東京理科大学を横目に歩いていく。途中で信者らしき人々がすれ違いざまに挨拶をしてくる。霊波之光は教義上挨拶を重視してるようでまあ返さないと申し訳ないな…という感じで返事をする。
入り口についたころはちょうど正午で礼拝タイムだったのでそれを眺めてから境内にINする。入り口で記念撮影ができるようだが内部では写真は撮影禁止らしかった。休日であったこともあり先に述べた三つの本部よりも人が多かった。とりあえず腹ごしらえに一部オタクに認知されているドムドムバーガーの生き残りの店で昼食を食べた。お好み焼きバーガーって炭水化物ばっかじゃん!!!!
施設内のことで覚えてることが花が多いとか焼き物が飾ってあったとかその程度しかない…教団について知らなかったので資料館的なところも見たかったけど休館だった悲しみ。
・金光教
中国地方に18きっぷ旅行した時にせっかくだからと行ってみた金光教本部はその名もズバリ金光駅から歩いて行った。
本部までの道にある店が軒並み金光教マークの提灯を掲げていたのは流石宗教都市だな…と思ったりしました。本部に入ったけど手水鉢とかもあって割と神社に近い感じでしたね、教派神道ですから。
歩き回ろうと思ったけど信者の方々が掃除の奉仕活動的なことをしてたからなんか申し訳なくなってそそくさと退出してしまいました。帰りに買った金光教マーク入りのまんじゅうはなかなかおいしかったです。
…と、ここまで駄文を垂れ流してきたわけですが、見に行ける新宗教施設は割とあるように思います。ただ、そこにいる信者の皆さんに失礼とならないようなふるまいは必要となってきます。あくまでアウトサイダーなのですから…
あと、創価学会でおなじみの信濃町なんかは行ったけれど学会本部は厳重に守られてますし土産物屋で三色グッズを買うくらいしかできないからあまり面白くはなかったですね。
今後もいろいろな新宗教施設を訪ね歩きたいと思います。天理とかまだ行ってないですからいずれコロナが収まったら行きたいですね…!
20年ぐらい読み専オタクしてたんだけど今年から突然二次創作文章書き始めた。
当たり前だしそれが自分の今の力量なのはわかってるんだけどへたくそな文章を読み返すのがハチャメチャに苦痛。
完成までには書いた物を何度も何度も読み返さなきゃいけない。
字上手人が書いたおもしれー二次創作読んだ直後とか落差でもう読めたもんじゃない。
今書いてるやつ一生完成しないと思う。
美味しくて本格的で見た目も綺麗な料理が手軽に食べれるところにあるのにどうして私はぐちゃぐちゃの卵焼きを必死で作ってるんだろう。虚無。
初めて書き始めた時は、とにかく他人が読んだ時に意味が通じればいい、話が伝わればいいと思っていたはずなのに、拙さが気になりだすってことは欲が出てきたんだろうな…とは思う。
最初は、材料が集まったからせっかくだから調理してみようかなぐらいの気持ちだった。
初心者ゆえの開き直りみたいな最初の気持ちを取り戻すのが大事なのかもしれん。
やっぱ私創作向いてね~~他人の作品読んで感想文書いてるのが性に合ってる!って思うんだけど、世の字上手人たちだって自分で書くより他人が書いたもの読む方が気が楽だわ(多分)(全員じゃないけど大半の人が)
って思うと「創るより読む方が向いてる」って当たり前すぎてただの逃げだ。
元々漫画でも小説でも創作してる人すげーって思ってたけど自分が半端に手を出してみて改めてすごさを実感する。
みんなすごいな。
読み専期間が長かったから今更自分が創作することになるとは全く思ってなかった。そういうジャンルに出会えたのは幸せだと思う。
呉座勇一のTwitter騒動関係でsyakekanという鍵付きアカウントがちょくちょく下衆いツイートで絡んでいらしいことがリプライから推測できて気になっていたのだがどうやら塚本英樹という近代日本史の研究者らしい。
なんでバレたのかというと「北大西洋条約さくら@MValdegamas」というミソジニーアカウントが2014年頃@付きでアカウントと名前を入れてツイートしてたからだ。
なおこのツイートは3月24日の15時半くらいに消去されているみたいで検索できくなっていた。
どうやら2009年11月から革命的非モテ同盟代表を務めている「鮭缶」と同一人物らしい?(2021年現在はどうなのか不明)
日本史アカデミア界隈のミソジニーボーイズクラブっぷりってかなり深刻だな。
◯非同の◯缶大総統の本ですな。取り敢えず備忘録としてtweet
日本外交と対中国借款問題 塚本 英樹(著) - 法政大学出版局 | 版元ドットコム https://t.co/MX3V7QAKmy @hanmotocomより— know thyself(子豚のオリバー) (@thyself_know) March 14, 2020
皆さま方におかれてはぜひTwitterの検索欄に「to:syakekan」と入れて検索してみてほしい。
TV版、旧劇場版を全く見たことなくて序破Q→シン・エヴァだけを見た人間のネタバレ感想です。
序を見てみようと思ったきっかけは覚えてない。最初から話を語り直すよという点が後発組としては見やすいというか、せっかくだから見てみるか!くらいの軽い気持ちだったんだと思う。
序の感想は「あれ、思ったよりも全然わかりやすい?」だった。もっと難解な話だと思ってたので、意外にとっつきやすくてびっくりしたし、何より絵が見てて楽しい!戦闘シーンにワクワクした。
破の感想は「あれ!?なんかめちゃくちゃ面白くない!?」だった。爽快感があった。ウジウジしてることで日本一有名な中学生のシンジくんが、アスカとレイと協力して使徒を倒してて感動したし、ラストシーンは自らの意志でレイを救うために突き進んでて、そんな明確な自我の発露できる子だったんだ?!ってびっくりした。あそこでかかる翼をくださいは怖かった。
でも、Qの感想は「…やべえ何だコレ全然わかんねえ!」だった。まじで一気に何もわからなくなって、シンジくんばりに放り出された気分になった。ピアノ弾いたことないはずなのにがっつり連弾できとるの嘘やろ?になって笑ってしまった、カヲルくんとのピアノのシーンばっかり印象が強くて、あとは正直なにも覚えていない…!
そして今回のシン・エヴァの公開。インターネットが考察や感想で賑わいまくっていて、せっかくならネタバレを経ずにちゃんと見たいなと思い、映画館に行くことを決める。そしてあまりにも話を忘れていることに気づいたので、まずはもう一度序破Qを全部復習した(まじで大半を忘れていたので、見てよかった)。
9年ぶりのQはやっぱしんどかった。見ててとにかく「ディスコミュニケーションは本当に良くない」ってそればっかり思った。シンジくんには、本人にはどうしようもない14年間の空白があるのに誰もそれを埋めてくれなくて、突き放したり否定的な言葉を投げつけるばっかで、ようやくすべてを説明してくれたのはよく素性を知らないカヲルくん。とにかく優しい彼にすがるように何か前に進まなきゃ!ってなるシンジくんだけど、あろうことかカヲルくんは目の前で首ぶっとんでしんじゃうし、あまりにもひどすぎる。いや誰かもっと序盤で説明したれよ!みんな、頼むからもっとコミュニケーションをとってくれよ…。でも、「たぶんそういう『他者とのコミュニケーション』がままならないゆえに苦しんでいる話だよな…それをいっちゃあおしまいだよな…」って思って、最後に何を見せてもらえるのかを待とう、って改めてQを見直しながら決意。
そうして復習してから見たシンエヴァなんですが、すごく面白かったです。そして冒頭に、「これまでの新劇場版」を丁寧に振り返る数分間があってずっこけました。復習タイムのいらない親切設計だとは知らなかった。
今回、一番の感想としては、先述の「ディスコミュニケーション」が徹底的に解決されていたところにとても感動したというか、安心させてもらえた。
ものすごく真正面から、愚直過ぎるのでは?って思うくらい丁寧に、他者とのコミュニケーションの有り様が描かれていて、見ていてこちらまで肩の荷が下りた気持ちになった。
まず第3村の描写、あれこそがずっとシンジくんに足りなかったものだと思った。どうしようもなく傷ついて一人でいたいとき、突き放さず、過剰に干渉せず、でも一人きりにはしないあの距離感。大人になったトウジやケンスケ、内面は大人のアスカがシンジに接するあの姿は、Qまでの世界の中でシンジが一度も与えてもらえなかったものだから、あの時間が物語を終わらせる上で、シンジを立ち上がらせる上で重要なのは納得感しかなかったし、見ていてこちらも癒やされる感覚があった。あの尺は絶対必要だったと思う。でも、加持さん死んどるのはつらすぎた…。
「これが最後だと思うから」って明確に言葉に出してシンジと会話をしに来るアスカ。いやお互いにめっちゃ話通じてるやんけ…ってなって泣いた。
甲板でのミサトさんとのお別れのシーンは、「行きなさいシンジくん!」の呪いから、静かにお互いを解放できている感じがして、どうしたって泣いた。もう会えないことが薄々わかってる、いってきます/いってらっしゃいは辛い。そのあとミサトさんが犠牲になるのもえーなんで!?って思ったけど、後を託されたリツコが全く動じずに「ベストを尽くすわ」って引き受けるところ、そのものわかりの良さが辛くて泣いた。
ゲンドウとの対話は、お父さんいつからそんな喋れるようになったん!?ってくらいめちゃくちゃどストレートに心情吐露するからただただびっくりしたし、「いやそれでこの物語成立する?大丈夫?カタルシス生まれる?」って一瞬ヒヤヒヤして醒めた感じになりかけて見ていたのに、それでも!幼いシンジを抱きしめて謝るシーンは、やっぱりぼたぼた涙が出た。おとうさーん。。気づくのおせ~よ!!!
最後にシンジの内側からユイが出てきて守ってくれるところも、そんな都合よくていいんかー!?とも思ったけど、抱き合う両親を後にして自分の人生に改めて旅立つことができたシンジくん…って思ったら、いや何よその解放と祝福、って気持ちでまた泣いてしまった。
レイ、アスカ、カヲルそれぞれと会話してじゃんじゃんケリをつけていくところも、シンジくんがそんなふうにしっかりとした自我を持って、他者のために自分の言葉を使おうとできてる事実が尊くて泣いた。
つまり、かなりしょっちゅう泣いて見てました。でも別に「泣かされてる!お涙頂戴だ!」って感じではなくて、物語の持つ情動というか、エネルギーのうねりみたいなもの、エンドマークに向かって絶対にこのでかい塊を運んでいくんだっていう意志、そういうものを感じたりもして、ええもん見たな…って涙だった。半ば説明がつかないような、見てると勝手に出てくる涙って感じだった。
ラストシーン、あのシンジくんが!?大人になった姿…!14歳の姿から逃れて、自立した大人として最後に現れるのって、なんて力強く、全力の「今を生きること」の肯定なんだろうと思う。そこでマリが隣にいることには、何故かわからないけど、とてもすんなりと納得がいった。そして何より、海が青くて嬉しかった。
鑑賞後に色んな考察を読んだけど、リアルタイム世代の人とは見ているものやバックグラウンドが違いすぎるから、その観点の違いだけでも面白かったです。アスカの名前が変わったことと、旧劇場版のラストとを絡めて、惣流/式波ふたりともきっと救われている、っていう考察が複数読めたのが特に嬉しかった。そして宇部興産は全然わからなかったので知識が増えました。戦闘シーンが物足りないという意見はなるほどと思った。たしかに序破で感じた絵的なカタルシスはなかったかもしれない…というか、シン・エヴァの戦闘シーンは全体的に画面内の情報量が多すぎて、ついていけなかったかも。。
大量の新用語とかカヲルくんの立ち位置の謎っぷりとか理解できてないところも正直たくさんあるんだけど、それでも「楽しかったなー!」って思った。
こんなふうに屈託なく(といったらいいんだろうか?)楽しまれる作品であることを、果たして過去に監督や作品自体や、はたまたファンが望んでいたのかは正直わからないんだけど、
新劇場版しか知らない人間のひとりとして、最終地点を物語として楽しめた!という感想でした。見てよかったなと思う。せっかくだからなにか感想を書こうと思ったらけっこう長くなってしまった…
最近思うことがあるんだけど、残念ながら書く場所がないので、フィクション入れながらここに書こうと思う。
私は大学生女。書きたいのは友人たちのことについて。
自分たちは大学入る以前からの付き合いで、よく遊びに行っている。
高校生の頃は、正直遊びに行く場所なんて友だちと目一杯話せて面白ければ、学校の近くのマックでもスタバでもショッピングセンターでもどこでもよかった。でも大学に入ってメイクとか服とか気を使うようになって、せっかくだから綺麗な格好して小洒落たレストランとかカフェとか行ってみたいなと思うようになった。
で、友だちに誘われて、都内のホテルのレストランにランチしに行ったときのこと。自粛に入る前のことだから叱らないでくれ。
私はホテルのレストランでランチなんて素敵だなと思って、ドレスコードがあるようなホテルではなかったけど、自分なりにスマートカジュアルだとか「ホテル 服装」でググッたりして清楚めな格好を調べた。
当日はワンピースにコートを着て、小さめのバックに浅いブーツを履いていった。だから友だちの服装を見て「え?」と思った。
1人をAとする。AはGUに売ってるのか?というようなパーカーを着ていた。それにサコッシュ、スニーカー。上着は何着てたか忘れた。
もう1人をBとする。BはTシャツにGジャン。以前アニメのグッズだと話していたデカいトートバッグ、そして運動靴。彼女はコンタクトの日もあるのに、なぜかその日は茶色のふちのついた眼鏡。髪はぶっとい髪ゴムで1本結び。
嘘だろと思った。
え? なんで? なんでその格好で来たの? アニメ〇トと間違えた?
しかもマックやファミレスではないのに大きめの声で話すし、店員にはなぜかコミュ障発揮して「アッ……ハイ……」と戸惑ったようにボソボソ話すし、店を出るまで気が気ではなかった。
大学に入ってから、この友人たちにこんな感じの「え?」と思うようなことが増えた。
例えば、他県に旅行に行ったときのこと(私ではなく友人の誘いで)。私はせっかく遠出するので、周辺を観光したいとLINEでいくつか候補を送ったところ、承諾されたので行く気でいた。向こうはどこに行きたいとか特に何も送ってこなかった。
そして当日、観光したいと言うと如何にも面倒くさいというような反応をされて、渋々といった感じでついてくる。まるで私がとんでもないワガママのようだ。別に泊まった場所から遠いわけではなく、徒歩10分とかそんなもん。その後「どっか行きたいとこある?」と聞いても、「……」と無言。自分たちで調べたりすることは全くない。
本当に泊まって帰るだけのつもりだったの? ただホテルに泊まって帰るだけって、マジで何? 何が楽しいの? 金の消費? ただ遠出して帰る意味??? お年寄りの温泉旅行ならまだわかるけど、女子大生、え??? 何? 年寄りなの? なんなの? お土産屋を見ることまで渋られる始末。
意味がわからない。もしかして、景色見て楽しんでんの? それだけ? そんなん世界の風景でも見てれば良くない?
そういうことが何回か重なった。私が何かおかしいのか? コロナ収まってきたら(収まりそうもないが)一緒に都内をぶらぶら散歩してお洒落なカフェに寄ったりしたいなーとか思ってたけど、今述べたことを考えると、とてもじゃないけど誘う気になれない。ほかの友だちと出掛けてこんな気持ちになったことはない。
TENETの時もバッカじゃね?って思ったけど
○ SF好きの人向け。
フレイバーのSF要素が『はてな???』となるような事ばかりです。
たとえば、本作のテーマは時間逆行なのですが、時間逆行すると肺呼吸が出来なくなります。
でも目は大気から酸素を取り込む事が出来ますし、光を取り込む事もできますし、視覚の情報処理も正常ですし、
おそらく臓器・神経の働きも正常、自意識も正常、自立した活動が可能です。
そして (作中の描写では) 特定の “炎” に限定して熱エネルギーが反転され凍りつきます。
未来道具では無いノーマルな現代の車は普通に運転出来る(動く)んですけどね。
みんな真面目にTENET考察()してたから、きゃっきゃ言いながら突っ込める雰囲気でもなかったしな
量子テレポート()とかやりたいけどエヴァ板いまそんな雰囲気でもないね
初日に行って少しだけでも出来たのはよかったな
ヤクザだけどクッキー焼いたよ!の元ネタがわかる世代で、年収700万くらい。都内賃貸住まい。第一子が生まれたばかり。
夫婦合算で1000万円ちょいあるけど、妻が一回り以上若くかつ昇給しづらい職種なので、自分の現収入かつボーナスに頼らずに買える範囲内でマンションを買うことにした。予算は3500万円に設定。
そうすると、SUUMO眺めて15分くらいで「新築だけ検索してても埒があかないな?」ということに気づく。その後適当に神奈川埼玉千葉あたりの中古物件をポチポチ、問い合わせから内見の流れに。
内見初日にすげーびっくりしたんだけど、居住中の人がお出迎えしてくれる。あと、現地に着くまでに仲介会社の人が「今の部屋を手放す理由」を教えてくれたりする。
仲介会社の人と合流した直後「今日見学するマンションの居住者は離婚されたようで」と一言。見るからに幸の薄そうな(偏見)男の人が、ボサボサ髪でお出迎え。子供部屋だったであろうスペースには、学習机を撤去した跡地に古いオモチャが散在しており、物悲しさが漂っていた。どんよりした気持ちで「わー広いベランダ」とはしゃぐふりをしてみるも、眼前には広大な墓地。なるほどこの眺望ありきの価格かと察した直後、仲介会社が「せっかくだから居住者の方に質問ありますか?」と空気を一ミリも読まないキラーパス。思わず「あ、大丈夫っス」というこいつ絶対買う気ゼロの台詞が飛び出してしまい、内見終了。
コロナ禍だからなのか、仲介会社の営業は大抵使い捨てスリッパとアルコールを持ち歩いており、それをお借りすることが多かった。居住者にしてみても安心だろう。そんな使い捨てスリッパだから、こちらとしては「できるだけスリッパを脱がずに見学しよう」と思うが、居住者にしてみたらカーペットや畳にスリッパで入って欲しくない気持ちが当然ある。そのため「あ、今ここにスリッパで踏み込んじゃったけど、居住者の人が明らかに嫌な顔したな」という事案が発生してしまった。ごめんなさいと素直に口に出せず、悶々としたまま内見終了。
購入契約を締結した瞬間に海外転勤が決まり、泣く泣くいったん賃貸に出しつつ機を伺っていたものの、コロナ禍のあれこれで帰国の目処も立たず、また収入も減少して結局手放すことになったお部屋を見学。居住者はいないし、賃貸後ハウスクリーニング済なので物一つない綺麗な空間。最初はうきうきしていたが、間を持たせようとした仲介会社の営業が「いやー大企業に勤めていても何があるかわかりませんね」「なるべく高く売ってくれとお願いされてます(笑)」など調子に乗り出したところでテンションが下がり内見終了。
「次のお部屋は、実家の都合でどうしても引っ越さざるを得なくなってしまったご家庭で。同じマンション同じ面積のお部屋よりも数百万高いですが、永住するつもりでだいぶ仕様をグレードアップされてるんですよ」という話を聞きながら入室した築3年のマンション。確かに壁紙やら照明やら棚やら、お金をかけた感はものすごく伝わってくる。ただそれ以上に、出迎えてくれた奥様の気合の入り方がエグい。普段買ってるトイプードルは「嫌がる方もいるから」との理由でペットホテルへ出し、お父さんと子供は近所の公園で待機。隅から隅までホコリひとつないくらい掃除済の部屋で「この仕切りは子供が掴まりやすいように」「このリネン棚は私の家事がしやすいように」とマシンガントーク。めまいがしてきたので内見終了。仲介会社の営業に「すみません、安い方の部屋を本命にします」と伝える。
見出しで言い切ってしまった。いろいろ丁寧に説明してくれていた居住者の奥様(上白石萌歌似)が、ほんわかニコニコ立ち続けていた壁がビリッビリに破れていることに気づいたのは内見終了1分前。こちらが「あ」と気づいた瞬間のバツの悪い表情は、演技派女優でも再現できないほど。前述のお部屋は極端だけど、中古売買なので売主側としては「良く見せたい」「悪いところは伏せたい」という気持ちが当然ある。それは重々理解するけど、やっぱり上白石萌歌に裏切られるのは辛い。
事故物件の定義は詳しく知らないけれど、仲介会社から「本来は告知事項ではないんですが」との前置きがあったお部屋が2つあった。1つは部屋で自然死。ここまでは「許容範囲かな?」という購入者も多いらしい。ただ本物件は孤独死で、長期間放置されたため、腐敗で床が抜けてしまったお部屋。フルリフォーム済なのに超安い価格で掲載されているので問い合わせも多いが、ここまで聞くと「うっ」となる購入者が大半とのこと。戦国時代まで遡れば全部事故物件論者なので個人的には気にならなかったが、一人の買い物ではないので深追いせず。
もう一つは「隣の部屋で自殺があった」部屋。売り出されてる部屋自体はピカピカなんだけど、こういう事情も事前に伝えるものらしい。さらに、「前向きに検討されるならもう少し細かい事情をお伝えします」とのこと。聞いてみたいという好奇心はなくも無いけど、聞いてから購入する可能性はゼロだなと察したので、深追いせず。
自慢げに見せられるラーメンどんぶりを見たらマイラーメンどんぶりが欲しくなることってない?
て言ってもさ、
そのマイラーメンどんぶりをラーメン屋さんに持って行ってこれにラーメンをよそってね!大将!って行くワケじゃないわよ。
自分で本格的にと言う意気込みで作る袋ラーメンは格別よねってこと。
たまーにそう言う袋ラーメンをこだわった作り方をする小池さん的か小泉さん的なもうどちらでもいいけど、
人のを見ると欲しくなっちゃうのよねー。
私の心にグッとくるラーメンどんぶりにはまだ出会えてないから、
いつか出会えるんだと信じて今日もラーメンどんぶり屋さんの暖簾を腕押ししたの。
逆にどれを選ぶか迷いきれなかったわ。
モノがあったらあったで迷ってどれかを選びきれない功罪ね。
使ってたら欠けたり割れたりすることってあるじゃない。
ラーメンの仕上がりに対して
まあ通常使っていたら、
そう言うことってあるから
そうなってもいいようにお気に入りのラーメンどんぶりはいつでもどこでも買えるホームセンターとかに常備してあるやつがいいんだなーって
そうなると選択肢はすでに時が遅かったように、
私は心のラーメンどんぶりを救いに行くためにホームセンターに駆けて行かなければならないのよ。
なになにを救いに行く!ってのあるじゃない、
まあラーメンだけに「てぼ」も欲しくなる、
文字通り麺を「すくう」って上手いこと言えちゃったけどね。
せっかくだから本格「てぼ」もあったら
湯切り技事典を読んで私も湯切りの技を繰り出せるようにしなくっちゃってね。
でもさ、
よくよく考えてみたら、
あの手の湯切りの技はあるのに
金魚を救うあの名前の「ポイ」の金魚すくいの技の名前事典ってなくない?
あれもあったら
夜店とかで技を披露する人が多数だと思うんだけど、
でもあの金魚プールの人混みの手狭な中で技を繰り出すなんてそうそう迷惑な話よね。
本格「てぼ」も欲しいところだけど、
洗濯機の脱水みたいに
強力な脱水させる装置との二種類が主流らしくて、
ひっくり返せばジャーズーってワケ。
勘違いおしゃれラーメン屋さんのジャズが聴けるテラスでラーメン格好つけてすすっている場合じゃないわって思うし、
やっぱりラーメン屋さんはAMラジオが一番似合うような気がするし、
ラーメンの麺に聴かせるとモーツアルトのように美味しくなるような曲があってもいいかも知れないわね。
美味しいらしいわよ!
そういう所は大抵、
うちの麺ジャズ聴かせてますって書いてあるからよく見てみてよ!
ズージャーを聴かせたメンラー屋のンメーって10回言えたら正に業界人だし、
その言葉を10回言ってここはどこって言って膝!って思いっ切り間違って答えちゃうぐらい赤面を喰らえばいいのよって思うわ。
メンだけにってね。
うふふ。
カフェオレ飲むだけにしたわ。
「オレ飲むカフェオレ」
って今考えたキャッチコピー、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
誰でもいいから叩きたい人「コイツは悪いやつだ!我々は長いストーキング活動によりコイツの些細な悪事をついに見つけたのだ!皆で叩こう!」
誰でもいいから叩きたい人たち「よくやった!実にいいストーキングだったぞ!!」
誰でもいいから叩きたい人たち「ストーキングなんて許せねえ!こいつらを叩くぞ!」
誰でもいいから叩きたい人たち「悪い人間を批判する人間を叩くなんてきっと悪い奴らの仲間だ!叩こう!」
誰でもいいから叩きたい人たち「難癖をつけて人を叩いてるやつがいるぞ!叩いて改心させよう!」
誰でもいいから叩きたい人たち「改心させる手段に叩くのなんて無意味だ!暴力的な奴らをひとまず止めるために叩くぞ!」
誰でもいいから叩きたい人たち「叩かれる痛みを知らないからむやみに叩くんだ!痛みを教えてやれ!」
こういうの、ネットでよく見ませんか?
いい加減辞めませんか?
どう考えてもこれ全部「粘着を目的とした粘着」でしかなくて、「正義」なんて誰にもありませんからね。
マジで。
いい加減辞めませんか?
本当に。
具体例は出しませんよ。
だって具体例を出したら私がその対象を叩いてることになって、私もまた粘着を目的とした粘着の仲間入りをしかねないですからね。
なぜかって?
そういうときに選ぶってことは、心のどこかで「せっかくだからコイツに矛先を向けとくか。前々からムカついてたし」って気持ちがあるわけですよ。
その気持ちがあっても、行動にさえ出さなきゃひとまず封印できるんです。
夜間授乳して寝付くまでの時間にふと見たらエントリ入りしててびっくりした。
以下色々補足?します。
【出かけた時のLINEについて】
他の方が言ってくれてたのですが、
「別に早く帰ってきて欲しかった訳でなく、単に聞いて欲しかっただけ」
とのこと。
というか勢いで書いてたせいで大事なこと書き忘れてました。
この時のキーは眠いだったのでベビーベッドに置いて様子見てたら寝て、私が帰った時も寝てたんですよね。
でもこっちが尋ねたり帰ってきてからの愚痴なら分かるけど、出先のLINEはヘルプコールに聞こえるぞって言ったらごめんって言われたので解決。
本文に記載の通り一通りはできるんですよ。
これまでにも何回かお願いして1人で出かけることあったし。
ただ年度末の予算消化で受注が増えたせいで、夜まで仕事やらなきゃいけないようで…
これは私にも言えることだけど、寝不足と疲れが確実に体力と気力を奪ってる。
いつ落ち着くの?と聞いても本人にも分からないようで。
去年はめちゃくちゃ暇な時期とかもあって、多分今もこの年度末が終われば落ち着くはず。
あとせめて夜間授乳がなくなれば、私がぶっ続けで眠れるんだけど。
【キーについて】
不快さえ解消できれば終わるし、しょうがないなって割り切ってるのが本音。
お腹すいたと眠いは時間がほぼ読めるから、しんどいのは実質手が離せない時のキーだけ。
産まれた時から泣き声大きくて、「えーんえーん」「ふええぇ」じゃなくて「ッッッアーッ!!!!ギャーっ!!!!」だった。
離乳食も始めたけどまぁよく食べる。
おかげで?今や身長も体重も成長曲線の1番上のラインだから体力も同月齢に比べて有り余ってるんだと考えてる。
うつ伏せにするとお腹圧迫されてゲップ出たり、視界が変わるからか治まるから多様してる。
あとプーさんのメリーね、速攻メロディ流して意識を反らしてる。
外に出ると嘘のように大人しくなって泣きもしないから、退屈なのはある気がする。
退屈しのぎに声を出してる→だから抱っこや構われると止む、みたいな…。
にっこにこしながら出してる時もあるから、喃語とかできればまた変わるかも。
自身の体験談書いてくれてる人、対処法書いてくれてる人、ありがとうございます。
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生後5ヶ月の子供の奇声が凄まじくて辛い。
お腹空いた、眠い、抱っこして…とか普通は泣いて催促することを全部キーー!でやる。
ずっと聞いてると耳鳴りしたり頭が痛くなるんだよ。
手が空いてればすぐ対処できるんだけど、出かけるから着替えなきゃって時だったり、ご飯作ってたりで手が離せない時に限ってキーキーやることが多い。
でもまだ赤ちゃんだから「やめようね」「静かにね」が通じない。
そしてこのキーキーが発端で、旦那に対してイライラすることが増えた。
行く時は「せっかくだからお茶飲んだりゆっくりしてきなよ」なんて言ったのに、いざ出かけたら「眠くてキーキーしてる、辛い」なんてLINEが来た。
こんなの早く帰るしかないじゃん。
スタバの限定フラペチーノとか美味しそうなスイーツでも食べようかな、って思ってたのに。
私が18時過ぎにお風呂から出てご飯作ろうかな、と思ったらまたキーキー始めて。
お昼寝もしっかりしたし授乳もした、ゲップも出てるのにって思いながらずっと抱っこして宥めて。
そろそろご飯も作らなきゃな〜と思ってるのに、仕事してて何にするかすら答えない。
AとBどっちにする?ってだけなのに。
でも朝昼ずっと私が子供の面倒見て、キーキーしないよう出かけたりお昼寝させて、昨日は集中できる時間いっぱいあったじゃない。
それでも終わらないのは能力の問題か業務量の問題じゃないのかって。
というかそれだけやっても給料増えるわけじゃないから割に合わないよねって言葉をずっと飲み込んでる。
結局私もイライラして「じゃあ寝室行ってる」って別の部屋で宥めて寝かしつけて(結局眠いからだったみたい)、リビング戻るの嫌で何となく寝室に居た。
結局20時前ぐらいに寝室来て「出前とる?」って言うから「今頼んでも1時間は待つでしょ」って返した。
「じゃあコンビニ行くけど何か食べる?」って言うから、「ガッツリしたご飯もの」って言って買ってきてもらった。
在宅勤務になると業務量増えるのかよ。
1番懸念してるのが、この先私が仕事復帰したらどうなるんだってこと。
子供は日中保育園だけど、昨日キーキーした18時過ぎ〜20時は家にいるぞ。
今は私が家事育児やってるけど、復帰した後もこの状態だと私しんどいぞ。
家事もできるし育児もある程度できる、ただ今は仕事が忙しいだけなのは分かる。
分かるんだけどその忙しいのが復帰後まで続いたらどうするんだって。
先日も述べたように自分はポーの作品が好きではあるのだけれども、ミステリの黎明期は今でいうところの禁じ手を平気で使っているものが多く、純粋にストーリーを楽しもうとするとずっこけることがある。とはいえ、論理と推論をたどることによって面白い話を作りだすのを始めたのは彼なので、ミステリが好きなら読んでおきたい。確かに意外な真犯人ではある。
同じく、今でいえばお粗末な話も時折あるのだけれども、ホームズとワトソンの関係が好き。中でも「三人ガリデブ」でワトソンのピンチに思わず熱くなったホームズは必見。なんでこのシーンが好きなのかというと、聡明すぎてどうしても人を観察対象としてしまうホームズが、知的ではあるが彼ほどではないワトソンを心から思いやっているからだ。知的に対等ではない人間を愛することができるかどうかは、鋭敏な知性の持ち主にとっては人生最大の試練だ。女性人気が高いのもうなずける。
ルパンシリーズのこの巻だけ親が買ってくれたし、何度も読み返していたのだが、なぜか続きを読もうとは思えずに現在に至っている。ミステリというよりは冒険小説に近い気もするが知恵比べ的な面もあり、そこが面白かったのかもしれない。しかしそうすると、これをミステリ100選に入れるかどうかは迷う。ライトノベルの定義がライトノベルレーベルから出ているかどうかだとすれば、東京創元社か早川書房から出てはいるからミステリとしてOKかもしれないが。
自分は新世界の神になれると信じて殺人を犯したのに日和ってしまい、純粋なソープ嬢に救われる話。これも謎を解くというよりも心理戦を描いている。心理戦というかやっぱりドストエフスキー名物の神経質な人間の独白だ。基本、ドストエフスキーの登場人物にはまともなやつなどおらず、この作品も例外ではない。主人公の妹をつけ狙うロリコン野郎だとか、娘がソープで稼いだ金で酔いつぶれ、その罪悪感からまた飲むというどうしようもない親父だとか、神になり切れなくてプルプル震えている主人公だとか、そういうキャラが最高なのだ。これではまったらドストエフスキー五大長編を制覇しよう。ミステリじゃないのがほとんどだが、心配はいらない。ドストエフスキーの過剰な語りにはまった人間の前ではそのようなことは些事だ。
ちなみに高野史緒「カラマーゾフの妹」は二次創作小説として最高なのでみんな読もう。
こういう非人道的な植民地を持っていた王様の銅像だったら国民から倒されても文句は言えんよな、的なベルギー領コンゴをモデルの一つとしているのだけれども、これってミステリかね? ひたすら謎の人物を追いかけて、地理的にも深いところへ分け入っていき、目的の人物と出会うが彼はあっさり死んでしまうというあらすじは、神話的な単純さと力強さがあるが。クルツは何を恐ろしがっていたのかで語り明かしたい本である。
自分は育ってきた境遇上英米のわらべ歌(マザーグース、ナーサリーライム)は身近に感じるのだが、そうではない読者がどこまでこの趣向を楽しむことができるかどうかはわからない。
この作品で特筆すべきことは、探偵が犯人と対決するときの命を懸けた大博打だが、今の倫理的な読者はこの方法で犯人を裁くことが適切と考えるかどうかはわからない。ミステリにおける倫理(後期クイーン問題とかそういうの?)を語るなら読んでおきたい。
確かに単体で一番面白いのはこの作品だけれども、せっかくだからドルリー・レーン四部作は一気読みしたい。ただ、衝撃の真犯人といわれても、すっかりすれてしまった現代の読者からすればそこまでショックを受けないかも。そういう意味では登場人物の反応も大げさに見えてしまう。
個人的には「Zの悲劇」以来(テコ入れのために?)登場したペイシェンスという活動的なヒロインが女性史の観点から興味深い。当時としてはすごく斬新なヒロインだったんじゃなかろうか。恋人と一緒にパンツを買いに行くし。
クリスティはどれを選ぶか迷う。ただ、わらべ歌物の中ではなじみが少なくても楽しみやすいんじゃなかろうか。一人ずつ減っていくという趣向は非常にわかりやすい。謎を解く手記が多少不自然といえなくもないが気軽に読める。
ちなみに舞台版ではハッピーエンドに改作されているのもあるとのこと。
「チャーリーとチョコレート工場」など児童文学の作者としても知られる。児童文学ではスパイス代わりだった毒がメインディッシュになっている。
ところで、読者諸氏は年末に「岸部露伴は動かない」をご覧になっただろうか。ドラマ化されていないが、シリーズの中に命を懸けて賭けをする場面がある。あるいは、「ジョジョの奇妙な冒険」第五部でライターを消してはならないという賭けが出てくる。その元ネタとなったと思しき「南から来た男」が収録されているので、ジョジョファンは一読をお勧めする。オマージュや翻案とはこういうのを言うのか、って気持ちになる。なお、ダールは「奇妙な味」の作家としても知られている。
筆者はフィリップ・マーロウの良さがわからない。必要のない危険にわざわざ飛び込んでいき、暴力的な人間を挑発する。ただし、この作品が日本の文化に与えた影響は大きい。
ハードボイルド小説以外から例を挙げよう。一つは村上春樹のいわゆる鼠四部作だ。「羊をめぐる冒険」での鼠の足跡を訪ねてのクエストはチャンドラーの強い影響を受けている。あるいは「ダンス・ダンス・ダンス」の警官による拷問や親友の犯罪が明らかになるシーンの元ネタも見つけることができる。一度村上春樹の登場人物の系譜はどこかでまとめておきたいと思っている(村上春樹のヒロインをまとめていた増田と自分は別人)。
もう一つは「スペースコブラ」の「坊主… 口のききかたにゃ気をつけな… オレは気が短けえんだ!」「腹を立てるとなにをするんだ? うさぎとワルツでも踊るのか」の元ネタがあること。「……俺は頭が切れやすくってね」「頭が変になったら何をするんだい? 地リスとタンゴを踊るのか?」。どこがかっこいいのかは残念ながら筆者にはわからなかった。
エーコについては書きたいことがたくさんある。キリスト教と笑いについて問いを投げかけたこと、中世を舞台にしているようで当時のイタリアについての無数の言及があること、それから次の名言。「純粋というものはいつでもわたしに恐怖を覚えさせる」「純粋さのなかでも何が、とりわけ、あなたに恐怖を抱かせるのですか?」「性急な点だ」
しかし、この作品で一番深刻なのは、キリスト教文学であるにもかかわらず、主人公の見習い修道士以外の誰もが、誰のことも愛していないことだ。キリスト教とは愛の教えであるはずだ。弱いものに施したことは、神に捧げたことになるはずで、福音書にもそう書いてある。しかし、修道士たちは貧民を見捨てて権力争いに明け暮れ、異端審問官たちは民衆を拷問し、主人公を導くはずの師匠も人間を愛していない。彼が愛しているのは知識だけだ。
主人公は、言葉の通じない村娘とふとしたきっかけでたった一回の性交を行い、彼女に深く恋し、それでも魔女として告発された彼女を救えない。彼が村娘の美しさを描写する言葉がすべて、聖書からのつぎはぎなのが痛々しい。
勿論、知的な遊び心にもあふれている。主人公の不可解な夢の持つ意味を解き明かした師匠は「もしも人間が夢から知識を得る時代が来たら世も末だ」という趣旨の台詞を漏らすが、これはフロイトへの当てこすりである。同じく、深刻な場面で、とあるドイツの神秘主義者が「梯子をのぼったらその梯子は不要なので捨ててしまわなければならない」と述べたことが言及されるが、ウィトゲンシュタインに言及したジョークである。中世にこんなセリフが出てくるはずがない。
難解かもしれないが何度でも楽しめる。なんだったらあらすじを知るために映画を先に見てもいい。ちなみに、この映画のセックスシーン、村娘が修道士を押し倒すのだけれども、多感な時期にこんなものを見たせいで女性が男性を襲うアダルトビデオが好きになってしまった。そういう意味でも自分にとっては影響が深い作品。
人間嫌いだった筆者が最高に楽しんだ本。文明が野蛮に回帰していくというモチーフが好きなのだ。何を持って野蛮とするかは諸説あるが。大体、中高生の頃は自分を差し置いて人間なんて汚いという絶望感に浸りがちで、そういう需要をしっかりと満たしてくれた。舞台と同じ男子校出身だしね。
三部作の一冊目。実はこれ以外読んでいない。読んだ当時は、双子たちのマッチョ志向というか、とかく異様に力を手に入れようとするところだとか、著者がフランス語で書いたにもかかわらずフランス語を憎悪しているところとかが、何とも言えず不快だった。
今読み返したら、双子たちが過剰に現実に適用しようとする痛々しさや、亡命文学の苦しみに対してもっと共感できる気がする。個人的には頭が良すぎて皮肉な態度を取り続けるクンデラのほうが好きだけどね。「存在の耐えられない軽さ」よりは「不滅」派。
子供の頃より腕力がなくてやり返せず、口も回らずにいつも言い負かされ、片想いしていた女の子といじめっ子が仲良くなるのを横で見ていた自分にとって、自由と財産と恋人を奪われたことへの復讐を主題としたこの作品にはまることは必然であったと思う。とにかく面白い。特に、モンテ・クリスト伯が徐々に復讐心を失っていく過程が、非常に良い。
大人になって完訳版を読むと、ナポレオン時代の国際情勢を背景がわかってさらに面白かった。
犯人当てや宝探しなど派手な展開がてんこ盛りだし、犯人の動機の一部は自分が醜悪に生まれたことに端を発しているから、貧困とか弱者とか非モテとかそういう問題に敏感な増田にとっても議論の題材にできそう。
読んだからと言って別に正気が失われないけれども、チャカポコチャカポコのくだりで挫折する読者が多いと聞く。大体あの辺りはあまり深刻にとらえず、リズムに乗って楽しく読めばいい。スチャラカチャカポコ。
話のテーマは、基本的には原罪的なものだろう。自分が人を殺しているかもしれないという恐れ、親の罪を受け継いでいるかもしれないという恐れ、それから生きることへの恐れだろうか。
難解な雰囲気は好物だが、かなり自己満足的でもある。ヴァン・ダインの二十則破りまくりだし。言葉の連想テストで犯人を指摘し、余計な情景描写や、脇道に逸れた文学的な饒舌にあふれ、探偵があっさり暗号を解読して、事件の謎を解く。作者の知識の開陳を素直に楽しみましょう。ただ、これ読むんだったら澁澤龍彦の本を何冊か買ったほうがお得であると思うし、膨大な知識が注ぎ込まれているがリーダビリティの高い点でもエーコに軍配が上がる。
差別用語が出てくることで有名で、先ほど出てきたわらべ歌による見立て殺人の影響を受けている。
血のつながりによる犯行の動機や、実行の決め手となる偶然の出来事、その皮肉な結末が個人的に好き。自分は謎を解くことよりも、犯人たちの心理状態、特にその絶望のほうに興味を持つからだろう。
メタフィクションを個人的には愛好しているのだけれども、話が入り込みすぎていて結局どういう話であったか覚えていない。巻末の書き下ろしのおまけで、探偵が少年にパンツの模様を聞くシーンがあったことだけを覚えている。
とはいえ、癖のある登場人物から、大学の文学やミステリサークルの雰囲気を思い出して感傷に浸るのにはおすすめか。大体、小説を好きこのんで読む人間は大抵どこかこじらせているものだし、読みたいリストや他人にお勧めする本リストを作り出したらもういけない。そしてそんな奴らが僕は大好きだ。
以上。