誰でもいいから叩きたい人「コイツは悪いやつだ!我々は長いストーキング活動によりコイツの些細な悪事をついに見つけたのだ!皆で叩こう!」
誰でもいいから叩きたい人たち「よくやった!実にいいストーキングだったぞ!!」
誰でもいいから叩きたい人たち「ストーキングなんて許せねえ!こいつらを叩くぞ!」
誰でもいいから叩きたい人たち「悪い人間を批判する人間を叩くなんてきっと悪い奴らの仲間だ!叩こう!」
誰でもいいから叩きたい人たち「難癖をつけて人を叩いてるやつがいるぞ!叩いて改心させよう!」
誰でもいいから叩きたい人たち「改心させる手段に叩くのなんて無意味だ!暴力的な奴らをひとまず止めるために叩くぞ!」
誰でもいいから叩きたい人たち「叩かれる痛みを知らないからむやみに叩くんだ!痛みを教えてやれ!」
こういうの、ネットでよく見ませんか?
いい加減辞めませんか?
どう考えてもこれ全部「粘着を目的とした粘着」でしかなくて、「正義」なんて誰にもありませんからね。
マジで。
いい加減辞めませんか?
本当に。
具体例は出しませんよ。
だって具体例を出したら私がその対象を叩いてることになって、私もまた粘着を目的とした粘着の仲間入りをしかねないですからね。
なぜかって?
そういうときに選ぶってことは、心のどこかで「せっかくだからコイツに矛先を向けとくか。前々からムカついてたし」って気持ちがあるわけですよ。
その気持ちがあっても、行動にさえ出さなきゃひとまず封印できるんです。