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はてなキーワード: 追体験とは

2023-06-15

anond:20230615180759

自分リスナーです。ただ、そこまで古参ではないですが。

元増田さんの気持ち理解できます

自分は、たぶんそれこそM-1準優勝でブレイクした頃、その後じゃない方と言われてもがいていた頃の若林さんだったら、自分の半生のドラマ化なんて鼻で笑ってそうだけど、年月を経て今の考え方では「まぁそういうのもありなのかなぁ。任せてみますか。」と受け入れられるようになっているのも理解できます

きっと元増田さんはそういう心境の変化自体若林さんが変わってしまったようで寂しいんでしょうね。

自分ドラマは毎週見てます

無理に見ろとはいいませんが、フリートークで聞いたあのエピソード実写化されてるとか、髙橋海人君の演じる若林さんが生き写しすぎるとか、そういうのだけでも見る価値はあると思いますよ。

TVer無料で見れる3話だけとか、YouTubeにアップされてる漫才完コピ動画だけでも十分と思います

このところラジオでもほぼ毎週ドラマの話してるので、フリートークもより楽しめます

何より、元増田さんが自分を重ねていた頃の二人を追体験できて懐かしく思えるんじゃないでしょうか。

ここからたりないふたりが中心になると思うので、そこを通ってないならちょっと思い入れは薄れるかもしれませんが。

まぁ何が言いたいかというと、見たくないもの見る必要はないけど、オードリー好きならこの祭りに乗っかっといても損はないと思うよ、きっと楽しめるよという話です。

地上波プライム帯のドラマに出てるTAIGAさんとかたぶん今後一生見れないですよ笑

2023-05-22

人生が変わりそうだったけど、あんまり変わんなかった漫画5選

すごい漫画大好きだけど(1万冊くらい読んでるけど)、人生変えるほどでもないなというのを、自分体験を含めて、書いていきます

もちろん漫画自分の糧となってる(色んな事を追体験できたとか、知識の幅を拡げられたとか)という自覚はあります

スラムダンク

小学生の時のずっとサッカーやってたけど、スラムダンクの影響で中学からバスケ部に入った。

けどバスケ部も入ってみたものの、面白くもなかったので3ヶ月で辞めて、サッカー部に入り直した。(ちょうど日韓ワールドカップが開催されてた影響もあるけど)

家畜人ヤプー

読んだ後、ちょっと性癖が偏った。

けど、その性癖を人前に出すわけでもなく、彼女かにも変な性癖を出すわけでもなく、ごく普通の性生活を送ってる。

僕等がいた

ちょうど中学の頃に読んでて、矢野くんっていう男の主人公的なキャラがかっこよくて(女の子モテそうな感じで)、服装とか行動とかちょっとだけ真似したりした。

結果、少しモテたりしたけど、所詮付け焼き刃で(通用するのは中学生くらいまでで)、社会人になったら自分の軸をしっかり持ってる人がリスペクトされる(モテたりする)よね。

バッカーノ!

これは漫画じゃなくてアニメ(ラノベ)だけど、センター試験2日前くらいにたまたま深夜テレビ見てたらバッカーノ!がやってて、めちゃくちゃ面白かったから、センター試験直前なのに全話観ちゃった。

ただ、意外と試験に影響なくて志望校に受かった。これでもし志望校落ちてたら人生変わってたかもしれない。

まぁ前日にアニメ観ただけで落ちるくらいなら、どうせ落ちてただろうし、あんまり影響はないと思われる。

・ピスはめ

これ読んで成年漫画にハマった。そしてそれがこうじて学生時代成年漫画を扱う書店バイトしてた。

でもまぁそれは、ただの趣味しかないし、そんな人生が変わったとかじゃないなぁ。普通全然違う業界就職したし。

結論

漫画なんて、所詮娯楽でしかなくて、だいたいの人にとっては、人生なんか変えるほどの影響力なんてない。

てか、ハンターハンター読んで人生変わったってどんな人生なんだよ笑

ただ漫画家になったとか、編集者になったとか、中華一番!読んで料理人なったとか、本当に人生が変わった人はいると思うからちゃんと影響があった漫画って知りたい気持ちはあります

もし、そういう人がいたら教えて欲しい。

参考までに、漫画的な写真表現を生み出した人(梶賀康宏さん)の記事は非常に面白かった。

http://hue-hue.com/media/photographer013/

2023-05-08

anond:20230508212404

そんなことないで

原子力船むつ、とか

チェルノブイリ福島事故が起きるまでは、とくに一般的問題にはされてなかったで?原子力って

ケツや胸からチャージする鉄腕アトムとか、なんなら原子力とは違うかもやけど核融合もつドラえもんとかガンダムとか

とにかく放射能を出さずに善に使うとか、逆に悪側が使うとか、そういう場合忌避されとらんかったんや

まぁ確かに戦争被曝してない欧米やとまた違う鈍感さはあったなー、サンダーバードなんか、放射能汚染された雨雲が通り過ぎたか危険は去ったヨカッタヨカッタてな回があって追体験してビックリしたもんなー😅

2023-04-27

アリスギアアイギス EXPANSIONが平成過ぎて凄いから見ろ

内容は二十年前のアニメかな?と思う様な美少女達がてんやわんや日常謳歌するのに終始するという、昨今の価値のある物語や迫力のアニメーションや強烈なエロスを期待すると特に何も得るものが無い題材

キャラクターの造形は地に足ついてる印象とキャラクターテンプレ感が1人のキャラ内に両方が内包されていて他の作品と比べるとアイマスっぽい感じに見え、男キャラは全員モブ顔で美男子が得に登場せず、敵に至っては物語開始前に大規模作戦があって活動休止中で出てこない。

物語の流れは1話AパートBパートに2分割した上で最後に1分程度のCパートを重ねるという1クールで2倍満足できる構成で、個人的にはギャラクシーエンジェルという朝のアニメ彷彿とさせる内容。

因みにソシャゲもあるけどそっちの出来もアニメと同じくらい古い感性オタクチューニングされていて流行最先端にいる作品ではないが長く支持しているファンがいたりする。

そんな何もかも20年前なセンスで何でこれが令和の時代に作られ、放送されるに至ってるのか全く奇跡だなぁと思うアニメ

アリスギアアイギス EXPANSION、通称アリスギアEXマジで面白いというよりは懐かしいというかホッとするというか温かいほうじ茶感凄いからお前ら試しに一回は見ろ

アマゾンプライムビデオで最新話以外無料で観れるしニコニコ動画かにもある

元ネタ

anond:20230427160935

ここからコピペ改変じゃなくてちゃんとした説明

ソーシャルゲームアニメ化」だからゲーム知らんしなーってまず思うじゃん。

大丈夫

だってゲーム原作遊んでなくてもアニメギャラクシーエンジェルは楽しく観れてたじゃない。深夜アニメだと「ヤミと帽子と本の旅人」とか原作エロゲー遊んでないのに観てたし。

何よりもゲーム原作の話を追体験とか全然やる気ない作品なので尚更大丈夫大丈夫

で、この作品のウリなんだけど

主人公アニメオリジナルキャラクターの「高幡のどか」というキャラクターで。ウマ娘アグネスデジタルみたいな女です。

主人公がデジたんみたいな汚物なんすよ・・・。なるほどそう来たかって感じ。

世界観なんだけど、人類の敵である機械生命体が存在していて、人類地球から脱出して数百年かけて銀河系を半周ほどぐるりと宇宙船で旅をして

機械生命体に勝てるだけの技術力を獲得して、女の子けが使える超武装機械生命体達と戦ってるって世界観なんだけど

アニメの直前に大きな戦いがあった結果、アニメの期間中は敵が出ないだけでなくゲームプレイヤーキャラクターが何かやらかし戦闘作戦営業停止しているって設定で

からもう原作知らなくても全然大丈夫

トンチキな平成アニメと言うか

空っぽにして笑って投げっぱなしのギャグ美少女がわちゃわちゃしてるっていうそういう、和むアニメと言うか

疲れないアニメなんですよ。

世間的には大して注目されない作品かもしれないし

今のコスパとかタイパとか重視する現代人にとっては観ても得るものがないって思われるとじゃあウマ娘や鬼滅やガンダムプリキュアなんかの話題作だけ観るわサヨナラーってなりそうだとは思うんだけどさ

肩肘張らずに、なんかこう、古いなー懐かしいなーって

クスッと笑えるアニメ観るとよく眠れる感覚ってわかる?

そういうアニメが観たいって人にアリスギアオススメっすよ

P.S.立体物めちゃくちゃたくさんあって、そこまで人気のないコンテンツにしてはオモチャが多いのが特徴でもある

2023-04-02

[]ps4 ドラゴンボールカカロット 序盤

悟空追体験というけど他のキャラ操作時間の方が長い

追体験って仕様しょうがないとはいえストーリー敵に勝ってもお話の展開にまったく影響与えないからつまらなさすぎる

つーか勝ってもまったく無意味とかバトルとか成長とかの意味ないやん・・・

軌跡シリーズかよ

いやまあifとかオリジナル難しいのもわかるけどさ・・・

話の筋わかってるから話をみるために仕方ないとも言えないだろう

2023-03-28

anond:20230328135418

子どもがいなくても理不尽、金の苦労、親の気持ち追体験は出来ちゃう

違うのは子ども起因の理不尽子ども起因の金の苦労、親の気持ちのものだよ。

そこを履き違えると意図せず人を傷つけるし、争いの要因にもなりますよ。

2023-03-21

比較対象を「風のリグレット」にしていいなら「カブトクワガタ」は神ゲーになるわな

だって風のリグレットってゲームとしての要件定義ギリギリじゃん。

デジタル紙芝居ですらない。

ゲーム機をカセットデッキにした分岐型のラジオドラマ

プレイヤー選択権がある分、選択肢のないデジタル紙芝居よりは上なんだろうが……。

ただデジタル紙芝居って純粋な「物語追体験装置」であり、あれもまたゲームという枠組みを半ば逸脱しているわけで。

たとえばどんな簡単RPGであってもプレイヤー側にはそれなりの自由度戦闘があり、そこには「無数の選択がかけ合わさった結果としての勝敗」が存在する。

その「複雑に様々な要素が絡み合った果てに結果が出力される」というイニシエーションプレイヤーキャラクターシンクロ率を大幅に調律するわけだ。

デジタル紙芝居にはそれがない。

デジタル紙芝居における選択分岐は「もしキャラクターがこの選択を選んでいた場合は」という極めて単純なIF分岐であり、そこにプレイヤー側の自由度ほとんどなく「どちらの話を見ようかな」という傍観者としての選択になりがちなのだ

それと比較すれば当然「カブトクワガタ」というのはゲームとしてだいぶ立派なものになるが……そもそも比較対象おかしいからなあ……。

スムージーゼリー比較して「咀嚼能力がない人でも食べることを楽しめる」の線でどちらが上等か比較されても「そもそもスムージーはまだ飲み物領域から出てきてないだろ」と言いたくなってしまうのだな

2023-03-07

ハルヒブーム全盛期の時に西宮聖地巡礼してみたかった

ハルヒブーム全盛期の時に西宮聖地巡礼してみたかった

当時の空気を目で見て肌で感じたかった

別段ハルヒに限った話でもない

「あの時のあの感じ」というものは何であれ 後からいくら欲しがっても簡単に手に入れられるものではない

過去追体験が決して不可能とは思わない

小説を読むなりアーカイブを辿るなり 疑似的な経験を得ることはできると思う

だがそこにリアルはない

完全ではない

からこそ今を大切に生きねばならないと思うが いくつになっても「今」はそれほど楽しくない

時間が経ってからでなければその価値に気付けない

anond:20230307182704

あ、いや、推論の過程を省いたというつもりはないんだけどね。むしろから読んで矢印に沿って読めば推論を追体験できるようにしたつもりだったんだけど。

解釈の詳細をいってもこれ以上つまびらかにする要素もないと思ってた。これ以上なんか書いてもぐだぐだするだけだし、俺のいる掲示板特にすぐ「長文」って言う奴らがいるからね。

面倒からというよりはそこからへん警戒して必要十分なだけ書いたつもりなんだけど、俺もまだまだ未熟なのかも。

2023-01-27

漫画更新頻度が基本隔週で更に休載もあったりで、久しぶりの更新だったけどこれまでに比べて全然話進まなくなってきてしまって、正直読むのしんどいけど、エンドレスエイトを視聴してる時と似た気持ちで、作中キャラクター追体験をさせられているのかもしれない…?と思ったらちょっと面白くなってきた

引き伸ばすように指示されちゃってんのかな・・・

2022-12-31

自分が夫の首を絞めてたくせに、「夫に首を絞められた!」と喚いて、逆に逮捕された妻のニュースを読んで、腐女子加害者のくせに被害者ぶれてた理由が分かった

 ネトウヨブサヨな、糞フェミババアだらけのヤフコメを見ると、このどうしようもないくらい屑いだけのニュースに、なぜか同情票が集まっている。

 いつも、もっと深刻な立場で、ストレスフルに追いやられている、派遣や失職した男が、ちょっと路上で声を荒げた、生活保護を断られてキレた、みたいな記事だと、ボロクソに叩いて、一切同情なんて示さない連中が、あんな同情の余地もないようなクソ女の事件には、「分かる分かる」と一斉に頷き合う。

 要するに、同じ穴の狢なのだ

 彼女らにとって、こうした、加害と被害の転倒、自分一方的攻撃して喚き散らしてるだけの癖に、相手悪者にする手段は、常套化しているのである

 だから、「萌え豚がー」「美少女動物園がー」と、あんだけ、一方的差別し続けて来たくせに、「私たち腐女子は男オタに差別されてるー!」と、事実真逆偽証を、平気で喚けるんだ。

 そして、そうした屑女と結婚するような、こういうバカ夫は、それを、家庭でも追体験し、ボロボロになる。(まあどうせ、和歌山カレー事件の夫みたいな感じで、都合が悪い時は被害ぶって、妻を刑務所送りにしても、少し経って、自分危害がこないと分かると、あれは自分も悪かった、妻は悪くない、逮捕した警察が酷かった、とかほざき出し、救ってくれた側を叩き出す。でもまた、自分被害を受ける立場になると、助けてくれーと喚き出す。こういうマゾ豚男が一番クソだ。マゾ男に救う価値なし。救った奴がバカを見る)

 全ては、連中が今まで犯し続けてきた、罪の結果に他ならない。

 実際のところ、その罰ですら生ぬるい。

 連中が、他者に与えてきた、莫大な損害は、こんなもの、取るに足りないくらい酷いものだ。

 結局、連中には、ネットでも、クズ同士傷をなめ合う立場が残ってしまった。

 男オタには、それさえ許さず、破壊したくせに。

2022-12-29

anond:20221228200137

オタク人口もだけどそもそもジャンル数が膨大に増えたからなぁ。増田と同じタイプオタクから同じジャンル10年いるけど流石に熱量もたないから片手間に色んな物を楽しんでいる。考察や掘り下げにかかる時間検索して他人発言追体験して膨大な量のジャンルを消費しているオタクに対して浅いなと思うのは勝手だけどこれだけエンタメの溢れた世界で星の数ほどあるオタクコンテンツを消費するには体力が必要なことは増田の年齢ならわかると思う。質より量のオタク無意識下で見下すのは悪い癖だと思うわ。

2022-11-23

君の名は。」「天気の子」への返歌としての「すずめの戸締まり

ネタバレあり】

過去の重さ』と『大人子ども』について

過去の重み

君の名は。」はタイムリープすることで、過去を「変える」物語である主人公の瀧は、過去の少しずつ忘れられはじめた悲劇追体験し、不思議な力によって惨劇回避する。その点において「すずめの戸締まり」では、誰も過去を変えることはできないということが明示される。常世過去現在も混在する世界であるし、主人公のすずめは物語の終盤で過去自分出会う。しかしそれは過去を改変することにつながるわけではないし、亡くなった母親常世で再会できるようなことがあるわけでもない。死者は死者である


「天気の子」における帆高の選択は、「すずめの戸締まり」のすずめとは真逆である世界なんかより君が大事だと叫び銃をぶっ放して走る帆高に対し、「すずめの戸締まり」ですずめは大震災愛する人を天秤にかけるという選択を迫られ、愛する人を選べなかった。それにはすずめの過去震災被害経験が重くのしかかっている。「天気の子」では帆高の過去意図的に透明化されているし、帆高と東京とのつながりはどうにも希薄である


翻って考えてみて、「君の名は。」の過去改変も、「天気の子」で世界よりも君を選ぶのも、エゴイスティック世界を改変する行為である。「すずめの戸締まり」では人知れず災害を防ぎ、薄氷の上にある世界を昨日と変わらず続ける選択を行う。「大事仕事は、人からは見えないほうがいいんだ」と草太は言う。世界微妙な均衡の上に成り立っており、それはいつすべてが灰燼に帰してもおかしくない。



過去の2作品と今作の対比で際立つのは、過去の果てしない重みである過去は変えられない。過去ははてしなく重くのしかかってくる。人にとっても社会にとっても。忘却するわけではない。でもどこかで区切りをつけて前に進まなければいけない。そのための儀式が戸締まり。鎮める。そうしてまた行ってきます

大人子ども

大人論理子ども純粋さ」という対立軸日本アニメ漫画文化普遍的テーマである。「君の名は。」では三葉の父親を説得するという小さな対決イベントはあるが、メインテーマに絡んでくるわけではない。祖母組紐伝統を三葉に受け継ぎ、導く役割を担うが、どちらかと言うと舞台装置として機能している。


「天気の子」では鮮明に「大人論理子ども純粋さ」が対立軸として描かれるが、対立解決落とし前をつけるというより、主人公たちがぶっちぎったような形で終わる。また登場する大人は、誰も主人公たちに対して大人としての役割を果たさない。須賀は大人のズルさを持ちつつも精神的には未熟でもある。子どもたかり、ほぼ無給でこき使い、保身のために投げだす。リーゼント刑事も少し思うところはありそうだったが、帆高の未熟さに毒づき、押しのけられるだけである象徴なのは須賀の義母である相手と会話しているようで、自分の中ですべて完結している。自分価値観から一歩も外にでることはない。大人たちが大人として子どもに向き合わず、与えられた仕事役割をこなすだけ(と描写される)のがある意味現代的ではある。


一方「すずめの戸締まり」では、環との葛藤和解が大きなストーリーライン構成する。物語のオモテ面が災害を防ぐため各地をめぐる旅だとすれば、ウラ面は過干渉な叔母から実家への逃避行である。環も、神戸出会シングルマザーのルミも、完璧とは程遠い人物である。環はすずめを引き取ったことで失ったものを未だに悩み、無理をして母親像を演じ裏切られると怒りを爆発させる。ルミはヒッチハイクしてきた高校生ベビーシッターをさせて、更に深夜までスナックで手伝わせる。そんな大人だが、二人とも真摯にすずめに向き合う。草太の祖父は、自分の孫が要石にされた状況で、その事態引き起こし当人に対して「これで良かった。すべてを忘れて帰りなさい」と声をかける。

もともと新海誠キャラクターの背景や生活史をほとんど深く描かない表現者だった。ほしのこえ、雲の向こう、秒速。ほとんど若者しか登場せず、「どの作品主人公ヒロインは一緒」と言われることすらあった。心理描写を最低限に、抒情的に美しい風景に仮託して表現し、視聴者勝手自分と重ねられるようにする。それを極限まで純化ささせた作家性だった。それがこのような作品を作るまでになるとは夢想もしていなかった。過去作品を糧にしつつ、全く新しい作家性を手に入れ、見事に作品に落とし込んだ。「新海誠最高傑作」との宣伝文句伊達ではないと思う。集大成であるし、ここまで来た新海誠が次に何を作るのかが今から楽しみである


小ネタ

・すずめとは「鎮め(地鎮)」であり、「ミミズを食べるもの」でもある

・すずめの瞳にミミズが反射して赤いハイライトが差すのが「すずめにしか見えていない」ことと、揺れがおきるたびにミミズを探してしまうすずめの恐怖をうまく描写していた

・冒頭の朝ごはんがやけに気合入っててこんな朝ごはん普通つくれねーよと思ったら伏線だった

椅子が三本足なのは「三本足でも立って歩いていける」ということ

・昔の閉じ師の本の表紙が「Agarta」(スペル違うかも)と書かれていた(星を追う子ども異世界

2022-11-22

老人なので増田から失礼したい

またDQXから入ってきた人が国産JRPG感覚MMOやってんなと思ってしまったので

FF14のバトルコンテンツとそれに挑む戦闘関係の予備知識書き殴ることにした

https://gist.github.com/mizchi/77182cd8e0e9ffe6b2959d3ddb58de87

大前提として各種のアクション特性説明をお読みにならず謎のスキル回しをしてみたり、味方の逃げ道や敵を殴る場所を潰すプレイヤーがこのタイトルには大量にいる。

突入制限ILくらいしか無いせいなのか、突入できたらクリアできて当たり前であり、そこまで付き合うのは先駆者の当然の努めだとデカい声も慢性的にある。

難易度区分されるものに限らず、要所を外すと連鎖的にその後破綻する要素が存在する行き先が結構あり、また「今後それを基礎知識として下敷きにする」事を求められる側面がある。

  • とにかくわかりやすいので一番揉める要素・火力

目下わかりやすいのは相手詠唱が終わるまでに規定量のダメージを出せ、というダメージチェック要素。

基礎性能が改められようが装備が強かろうが人間操作が乗算要素なのでシステム理解対応しない人間は率直にダメージが出せない。

ダメージディーラー等と言われる火力職は仕事が火力を出すことなのでタンクやヒーラーの倍程度は「出すことができるはず」だが、先述の人種はそれら未満ということがままある。

例えば近接職は123(12)コンボ淡々と刻んでいるだけでタンクやヒーラーとは明らかに違う数字が出るはずだが、1ばかり叩き続けた猫パンチモンクなる世界最低火力の人間が己を知らぬまま現役の高難易度コンテンツに混在し大変可哀想な事になったりした。

冒頭またDQX軽率Disったのは主にここの話で一応MMORPGというジャンルでして、PC版がベースにあってどう頑張ってもPS版はPC版をPSでなんとか遊ばせてもらっている範疇を越えない。

このジャンルキーコンフィグからUIレイアウトタイトルによってはBGMや低負荷モードとのスイッチング等まで自分でいじれるのでいじってくれ。

繰り返すが初期UIレイアウトはクソなのでまずは自分が見やすいと思う様にさくっと整理し、その後自分の習熟やメインに据えるジョブによって都度弄り続けていくものなのでまずそういう概念を持ってほしい。

視野が広い狭いなどの人間性能を問う前に弄れるもの先にいじってから人間性能のせいにしてくれ。お前そのホットバーガン見してないとスキル回せないのそもそも本番くる段階にねえからよ。

そしてそれを教えないで貴方はそれでいいんだよそれが普通だよと言ってるクソ共は引退してほしい。

UIが固定やごく狭い選択肢から選ぶだけの事が多いコンシューマとの絶対的な違いで、ここを履き違えるとバトルコンテンツはほぼ不幸が約束されるがまともな導線が無い。

マッチング促進の為にグループ分けされたルーレットマッチングがあり、ごく一部除外されたもの以外は自分の開放済みのどこかに当たるシステムがある。

これには1回/日ちょっとした報酬が設定されていて「突入したら15分20分で片付く」日課の一つくらいの認識の人が多い。

未踏や周回の浅い後発、先述の声がデカい人が合体事故を起こすのもこのシステムだ。

他に実績報酬自己満足などの目的グループ分けすら無い闇鍋マッチングエントリーするメンターという属性を持った人もここに加わる。

ちょっとクセがあり、特定の要素をこなせない限りクリアできない行き先に当たると

日課をやっているつもりの先駆者からすると日課破綻する。実際にストレスを覚えるようだ。もう行き先が分かった段階で面倒・無理という気持ちが出るが、コミュニケーション問題として別で扱う。

未踏者は大体死ぬ他者に手厚いケアをされている事がままあり、下手に認識できてしまっていると「自分はこんなにしてもらっているのに出来ない」と自己強迫要素が生まれるらしい。

記事の様に寝ている間に終わってしまう事に謎の凹みを認識するものも多く、さりとて「じゃあ君が落ちたせいで破綻して全滅リスタートすればよかったですか?」とはならない。

それら諸々新規ならではのまとまらない感情の動きを声のデカい奴が概ね台無しにしていく。

過剰ILによって装備性能が行き先ごとにほぼ上限値であることや、各種アクションの基本性能が当時のそれから見て大分底上げされている関係で適切に近い立ち回りをすると型落ちコンテンツではロールが破綻する為、最新拡張まで8年分のコンテンツを消化して尚基本のきすら無いプレイヤーが大量にいるのを思えば大分マシでありがとう

人的背景がこれくらいなければそういう方向に視野が向かないのは明らかに開発の怠慢だね、と再確認できた。ユーザーコミュニティ丸投げの現実を再認識できたので感謝する。

それはそうと元記事の人はそういう体験ができてよかったですね、と置いておくが

下限コンテンツクリアをしたから当時と同じ経験ができるわけじゃないことは無限に言っておきたい。

本人はわからいかもしれないが最大7人にあらゆる先行者としてのバフ(累積した知見)が乗っているし、基本アクション類は度々強化されまくっているし、もはや整理されて存在しないアクションが多々ある。TPというもう一つのリソースもかつて存在していた、MPは今のような割合性ではなく回復量にシビアステータス選択必要だったり、タンクやヒーラーは防御回復攻撃時にモード切り替えをしていました。今は全て存在しません。

更に言えば実装当時未実装だったジョブは概ねバカみたいな性能を有しているので、後発ジョブを入れれば入れる程ヌルくなる。

新しい経験したことと、旧き人の当時の体験追体験することは決してイコールではないという話は極論すると

型落ちする前は最先端だったのでそれはもう最先端コンテンツに行く覚悟のある人がわちゃわちゃしていたんですよ、という話を避けては通れないのでそれをどう伝えるかはよく悩む。

後進の人々には遊びやすくなった今を遊んでもらえればいいのだけど、なぜだか「追いつきたい」を越えて「同じ目線に立ちたい」を抱くよね。それ呪いだし絶対に成立しないか病みますよ。


漆黒ヴィランズが好評だったのはこれまで重ねてきたFF14歴史(政治戦争を嫌う傾向、その割に勧善懲悪が好き、なんだかんだ自分が主役でいたい人たちには不評な2年だった紅蓮)とナンバリングFFが不甲斐ない中で14はFFを背負えるのでは?という評価に向かっていったからだと思っているので、漆黒から入ってきて無限に見た「漆黒面白いと聞いたのではやく漆黒やらせろ」という人たちはもうスタート地点から違うモノだという認識をずっと持っている。

今では暁月のフィナーレが総括だと言われるようになったが、総括は漆黒で暁月は次に向かうためのスタートで総括ではないかと今も思っている。6.0は広げてなかった部分まできれいに畳もうと躍起になった割に泣きの延期をしてみたり、言ってる事とやってる事の食い違いが要所にありすぎる。インゲームだけを見て吉田直樹の話を聞いて納得感得られれば幸せなのかもしれない、と思っているので今後も抱えていくと思う。



最後吉田直樹祖堅正慶以下FF14関係者様へ。

日頃からゲーム体験がどうしたこうしたと言い続けていたし、今も掲げられていると認識しますが2年程前に漆黒ID中ボスBGMバンドアレンジに一括変更した理由そろそろ説明あってもいいんじゃないですか。

71ID最後ボスでようやく初対面するはずの楽曲アレンジを道中から流される事はゲーム体験毀損には当たらないんですか。

2022-11-13

想起というより追体験に近かったような

映画「すずめの戸締まり」で震災の想起が云々と話題になっているけど、モチーフとして使ったとかイメージを想起させるとかそれもあるけど、一番の肝は「これが起きたら地震が起きる」っていう演出だったと思うんだ。

作中のキーになる表現なんだけど、それのスケールアップのやり方がすごく訴えかけてくるのね。繰り返しながら徐々に盛り上げていくわけ。想起というよりは追体験にも取れるくらい臨場感はあったよ。そこをどう評価するかじゃない?

震災テーマにするなっていうか、そんな単純な話じゃないよなぁ、と

2022-11-12

すずめの戸締まりのヤバさ

地震描写震災描写PTSD発症する!とかオタクが過剰に大騒ぎしてるんだが、実際どうなのかというと・・・

くそヤバい

何がヤバいって、感情を揺さぶられる感じ?

実際地震やら緊急速報音やらの直接描写もあるんだがそれは大したことない。(シンゴジラ津波連想させるシーンの方が100万倍ヤバかった)

じゃあどうヤバいかっていうと心理描写ヤバい

あの震災当時の被災者の心情を追体験させるようなシーンがある。

それがマジでヤバい

心が苦しくなって涙がボロボロ出てきて体が震える。

アニメキャラ感情移入するどころか、アニメキャラの先にいる現実被災者感情移入してしまってとんでもないことになる。

この映画ヤバいよ。

2022-11-04

anond:20221103200912

優しい人だな

”誤解されることって多くない?私の勘違いだったら悪いんだけど少し心配になって……~アハハ、笑えるよな。” まではごくたまにいるんだけど

”「ああ、そんな気持ちなら、そうしても仕方がないか」と思えるわけよ。” まで追体験のうえほんとうの同情できる人ってまずいない

読んでて涙目になったりしやがっちゃったよ

2022-10-16

少年誌が"正義感"に与える影響ってめちゃくちゃでかいんじゃない?

※この記事の内容は俺の半生に基づくサンプルデータ1つのめちゃくちゃ主観的な話になります。ので、皆さんの半生をもとにこの記事に賛成もしくは反論して欲しいと思っています

はじめに

俺は自分を善人だと思ってます

学の無さや配慮の無さ、怠惰性がたたって良い結果にならない事があるのは自分でも認めるところですが、基本的他人には善意を持って接したいと思っていますし、自分に関わった人間には良い気持ちでいてほしいと心から思っています

そしてそういった心の在り方を美しいとも思っています

こういった善意を良しとする考え方は社会一般で言う"正しい正義感"だと思っています

(これが正しいかどうかは皆さん各々思うところがあると思いますがとりあえずそう定義してしまます。なんせ全部主観の話なので)

"正しい正義感"が形成された経緯

この正義感がどこで培われたのかと考えました。

その結論が「漫画を読む」ことでした。

漫画に限らず、アニメゲームドラマなども同じような効果を及ぼすと思います

こういった娯楽は「肯定的共感し、追体験できる」装置なんじゃないかなと思います

なぜ漫画正義感形成されるのか?

とりあえず"漫画"で通しますが、漫画を読む際、否定的気持ちで見る人はそういないでしょう。

まり好意を持って漫画を読むわけです。

漫画主人公を中心とした物語形成されていて、ようは「他人人生追体験できる」装置になっています

その追体験には「好意」と「共感」を伴っています。そうなると影響されることは容易いでしょう。

とどのつまり漫画を読むと「正義を成した主人公人生好意共感を感じて、自分もこうありたい」「正義を成すことで人は結果的成功する」となんとなく思うようになるわけです。(少なくとも俺はそうでした)

ミステリーだと大体こういうこと言うやつは死ぬよな」の延長のようなものです。

少年誌というのは数多くの漫画掲載されており、何人もの主人公人生時間をかけてじっくり追体験できるわけです。もはや洗脳じゃないのか?って感じです。

少年誌は「友情努力勝利」を掲げています。つまり、明らかにこの仕組みを意識しているんじゃないかと思ってならないんです。

立派な教育じゃないかとさえ思ってしまます。(オタクはそういう所がある)

結局のところ

なんか話がうまくまとめられなくて無理にしめちゃいますが、

結局のところ何が言いたいかって、子供を育てるときジャンプとかサンデーとか読ませないと自分たちで倫理観を植え付けないといけなくなるよ?って事です。

結構、そういうの大事なんじゃないかなって思います

ちなみに俺はガッシュで育ったのでガッシュ正義感を宿してますガッシュ2も始まったから皆読もうね。

10/16 18:00追記

いくつもの言及コメントいただきありがとうございます

結構自分の中でもいい線いってる論じゃないかなと思っていましたがやはりこうやって皆さんの意見をいただくとなるほどそうでもねえなとなるものですね。

非常に参考になりました。

ありがとうございます

2022-10-09

"AI絵師"は何枚の画像学習しているか

23億枚。

https://waxy.org/2022/08/exploring-12-million-of-the-images-used-to-train-stable-diffusions-image-generator/

この事実を聞いて、

人間にそんなに多くの絵を見ることは不可能だ。やはり人間人工知能に勝つことはできない」

考える人いるかもしれない。

でも、こう考えてみてはどうだろうか。

人間は1秒間に数十枚の画像を、起きているほとんどの間認識している。

1日に16時間、秒間60枚の画像認識していると仮定すると、

20年間で60*60*60*16*365*20 = 25228800000枚…約252億枚の画像が脳に刻み込まれていることになる。

もちろんその中にはほとんど同じ景色であるようなものも含まれているが、

それを考慮しても人工知能特権(と、一般的に思われている)である膨大な量の学習

遜色ない量をすでに私達は学習していると言えるのではないだろうか。

それに加えて私達は、視覚情報以外にも、聴覚、触覚といった他の感覚器官、

そこから得た情報歴史的価値文学的表現といった形而上的な概念学習している。

機械学習においてこうした複数の種類の情報統合して学習することは1種類の学習よりも遥かに難易度が高く、

多くの研究者を悩ませている。

だがどうだろう?

我々はすでにそのような、様々な感覚から学習し、それらを統合する技術を既に身に着けているではないか

そして、視覚情報と同様にそれらも常に変化し続けてきたものを我々は学習する。

視覚聴覚嗅覚・触覚・味覚の五感温度や痛覚などのその他の感覚さらにそれらの持つ意味

これらの相互に繋がった数百億、数千億の情報を我々は「体験」する。

ただバラバラ情報ではなく、それらの繋がりさえも学習し、記憶する。

さら人間の優れた能力として、我々は他人体験を「追体験」することができる。

個人から離れた異質の経験は、既存情報に新しい繋がりを提供する。

それは学習効率を飛躍的に向上させる一種魔法である

この魔法が、人々に全く新しい情熱や感嘆や絶望や感動――私達の心の動きの全て――を生み出す源なのである

そして、これが最も重要な点であるが、上で述べた学習内容は、「人によって異なる」のである

全ての人生には個性存在する。

まり個人の今までの人生

誰に育てられ、どの学校に通い、どんな友達と遊び、何を食べ、…

それらの経験が我々の学習内容に影響を及ぼす。

そして小さな経験の違いが脳に影響を与え、行動に影響を与え、その結果異なる事象経験し、異なる反応をし、さらに異なる事象が生まれる…

結果として同じ脳はこの世に2つ存在し得ないのである

まとめ。

AIが膨大な量の画像学習していたところで、それは恐れるべきことではない。

人間はそれよりも遥かに多くの情報、それも人によって異なる70億種類のデータセットを日々学習しているのだから

2022-10-05

anond:20221005132326

タイトルによるけど、既にプレイしたゲームをもう一度プレイしても、初回プレイ当時の感動は味わえないじゃん。

から、他の人のプレイを見て感情追体験するんだ。

  

やったことないゲームプレイ動画は俺も分からん……。

2022-10-04

anond:20221004123931

第一には、筋肉を動かすと人間は楽しくなるようにできている。

これは美味しいもの食べたらうれしくなる、とかと同レベルの話。

美味しいものを食べたことない奴には判らないし、筋肉をしっかり動かしたことのない増田にはわからない。

やればわかるとしか言いようがない。

 

第二に、駅伝とかを観戦するとき、観客は自分体験を思い出して共感による感動を得ている。

何か駅伝的なことをして、辛いけどめちゃめちゃ頑張っている~~という状態の感動を追体験している。

マラソン駅伝ファンは、どうも女性が多い。共感力の高さと無関係ではあるまい。

そして、これも辛いけど頑張っている~~という体験がないと判らないことが多いだろう。

 

 

いずれにせよ、テレビゲームが好きな増田の考えとは違って、それらは必ずしもゲームゲーム性を楽しんでいるのではないということだ。

2022-09-24

アニメ虹ヶ咲から入った人から見たスクスタ時空の扱いについて

今年の頭にアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」にハマり、1期をBDで観た後、2期をリアタイした。

自分自身の夢を見つけた高咲侑にいたく感動し、大好きなキャラになった。

スクスタも一応はじめた。

アニメから入った私にとってスクスタは各メンバーをより掘り下げるようなものである解釈している。

なのでゲーム中、自身であるあなた」の個性については特になにも思わないし、「あなた」とメンバーとの関係性にも何も思うところはない。

2期本編でTOKIMEKI runnersが流れた場面、高咲侑が自身もっと表現したい事に気が付くシーンが本当に好きなのだが、どうやらスクスタを永くやっている人からは、思い入れのある曲が勝手に高咲侑作曲になったという見え方もしたらしい。

Love U my friendsしかり、未来ハーモニーしかり、アニメのために制作できる、すでに持っている弾数の中で如何に演出できるかという縛りの中での選択だろうと、制作側の気持ちもなんとなくわかるし、先に思い出ができていた曲がなんかエエ感じのエモいとこや、みたいなタイミングで雑に使われてしまった古参のどちらにも一応同情はできた。

アニメが終わるくらいから終わった後の辺りで、アニメの直前生放送と別で、スクスタ中心の生放送をやっている事や、その中で登 公開される、所謂生首ドラマには高咲侑が出てこない事に気がつく。

まあここまでは理解できる。

その後、ちょうど先月に発売したドラマCD、「純情アマビレ」にも高咲侑はいない事に気がつく。

あなた」の存在メンバー同士の声のやりとりで登場させられなくないか...?だったらアニメ版でやったほうがよくないか...?等々色々考えたが、アニメが受け入れられないスクスタ勢への忖度だろ、別に自分に害は無いしまあええけど...と最早アニメ過激派みたいな思想になっていた。

で、5thライブみた。

虹ヶ咲シリーズというか、ラブライブ自体ライブも初めてだった自分にとって、アニメ本編のライブ追体験できることや、2期も含めた集大成ライブに立ち会えたことは、すごく良かった。

4daysでひたすらアニメ時空の演出を繰り返しやった上で「永遠の一瞬」を歌うのは、やっぱりスクスタとアニメはまとめて虹ヶ咲だよっていう事を肯定してくれたのかと思ったし、ライブ中の生首アニメに高咲侑が出てきたのが本当に嬉しかった。

もう古参との思想の違いに苦しむことはないんだなと、勝手に救われた気持ちになっていた。

と思ったら今日の後夜祭放送で公開されたスペシャルドラマ(生首ドラマ)に高咲侑がいない。どういう事.............??????

https://youtu.be/WmERknIuep4

あれだけアニメスクスタの共存肯定しておいて、ライブの後夜祭で出すボイスドラマに高咲侑を出さな意味ってある?????????????????

怒りたいのはスクスタ勢の存在じゃなく、今後どういうスタンスでやってくつもりなの?ってこと。

スクスタからアニメに入った人はすんなり受け入れられてるかもしれないけど、アニメから入った人からすると全然意味わかんないからね。当たり前だけど「これはスクスタ時空の話です」なんて前置きはないから。

Twitter検索してもyoutubeコメントを見てもこの点に疑問を持っている人がめちゃくちゃ少なくて、なんか自分が間違っているんじゃ無いかと思って書いた。

2022-09-13

anond:20220913022340

最近AIで絵が描けたり様々な画像処理技術が発展しているのだから、ブスな異性に変貌した時の人生追体験できる自動BVtubeアプリも作られたいと思う。

少女、醜中女になって、我が物顔でセカンドバースの中を闊歩したい。

普通に女性からも醜少男、醜中男になる需要高まる一方だら。

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-08-10

テレビドラマを見ている母を見て、くだらないと言っていた父

父が好んで見るのはニュースドキュメンタリーだった

自分普通にテレビドラマお笑いエンタメニュースドキュメンタリーも見てたけど

そういやちょっと父親寄りのところがあるかもしれない、と

ご都合主義マンガ嫌いのホッテントリ増田を読んで思った

自分ドラマでもフィクションの中にリアリティを感じ、共感追体験をしながら見てるのだと思う

フィクションの中に自分リアリティを見出せないもの無意識にNot for meとして視聴対象外にしてると思う

そう思うと恋愛マンガおもしろいと思えず、ほとんど読んでこなかったのも、自分リアリティには無かったからなのかも、と非モテ人生を振り返る

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