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2023-06-22

ジャニーズの性加害。だが、情熱はある。

映像を学んでいた学生時代トレーニングとしてTV演出映像テクニック真剣に見るということをやっていた。

試しにみんなも3分だけでもやってみたら良い。

映像を作る技術や手間の多さに気づいて、誰しもが頭がおかしくなる筈だ。

  

大学を出てからは、TVを観るときは必ず突っ込むようにしている。

昔、小学校同窓会で、「私、家に居るときTVに向かって話しかけているの」ってヤベー奴発言をしていた女子が居たけど、彼女は正解だったと思う。

多くのTV番組なんて、子供言葉所作を学んだり、老人がボケ予防のために観るものだと見下した方がいい。

つの間にかステレオタイプに毒されて、面白くない奴がダウンタウン思想に染まるように、TVから流れる空気が正解だと盲信するようになる。

  

「アンタと観ていると気分が悪くなる」

金を出し合ってTVを買った義母からは、よくこう言われる。

TV鵜呑みにすると頭が悪くなりますよ」

こうやってTV縄張り争いが続いている。

  

そして最近毎日YouTubeを見て過ごしている。

YouTubeにはTVのような高度な演出技術存在していない。

浅ましい人間が浅ましい映像を観る、言わば対等な関係だ。

  

最近、そんなYouTubeショート映像に「だが、情熱はある」というドラマ宣伝が頻繁に流れるようになって来た。

こういうマーケティングだな、というのは勿論、MCバトル動画を見ている人に紐づけているのかな?と考えた。

オードリー南海キャンディーズブレイクするきっかけとなったM-1は当然リアルタイムで観ていた。

爆笑オンエアバトル出演から存在を知っていた2組の異色漫才コンビが、今や芸能界で超売れっ子になっているのは世も末だなと思っていた。

この「世も末だな」という言葉は、僕自身の世が末になっているという意味だ。

そんな2組の喋り口調や漫才ネタ役者達が忠実に再現している所が興味深かった。

でも、オードリー南海キャンディーズを支持するのは自分負け組であると認めて傷を舐め合うような情けないような気がしていたので、「オードリー良いよね」「南海キャンディーズ良いよね」なんて言う人とは近づきたくないと思っていた。

そう、世も末だということを認めたくなかったのだ。

  

で、このドラマキャスティングを調べてみた所、主演の二人は現役のジャニーズアイドルだったことを知る。

ジャニーズは嫌いだ。数多の実写化作品を強引なキャスティングで潰して来た恨みがある。

それにつけて、ジャニー喜多川の性加害問題都市伝説から公然事実となった。

でも、このドラマはなんか気になる。

すると今度は、YouTubeで「オードリーオールナイトニッポン」の音源おすすめに上がって来た。

休日ドライブした時に、この音源を流してみた。

オードリー春日プロポーズ直前の浮気フライデーされた回だった。

YouTubeWikipediaオードリーの背景を知ってしまったので、機会があれば「だが、情熱はある」を観てみようと思った。

  

何も予定の無い平日2連休。全話観れるhuluが2週間無料らしく、一気観をした。

ナレーションによって淡々ドラマが展開されるドラマ構成

20年前は邪道だと否定されてたけど、現代においてナレーションによる場面展開は正当な技法として認められている。

ドラマを見ながら、ネット検索をしてドラマ再現性に感心した。

YouTubeショートではしずちゃん役の背の低さに難色があったものの、ドラマを視聴するにつれてあまり気にならなくなっていた。

脚光を浴びたM-1舞台でのネタを劇中で全編放送していることによって、視聴者カタルシスを感じることが出来ていた。

役者演技力と、メロドラマに走らない制作側の真摯さによって成立していると思った。

作品に罪はない」

僕もそう思う。芸能人なんてヤクザ水商売だ。

例えジャニーズが気に入らないとしても、ジャニー喜多川が死んで影響力が無くなった今、ジャニーズ事務所が強引なキャスティングをする事は難しくなった。

日本はようやく作品クオリティだけで評価される時代が来たのかも知れない。世も末である

  

けど、若林山里の「たりないふたり」ってユニットは正直、面白く無い気がする。Twitter大好物ロックお笑いが好きなサブカル俗物たちに支持されてるだけに過ぎない印象だ。

最終回リアルタイムで観ようと思うけど、きっと最後微妙な感じで終わるんだろうな。

2023-06-15

anond:20230615180759

自分リスナーです。ただ、そこまで古参ではないですが。

元増田さんの気持ち理解できます

自分は、たぶんそれこそM-1準優勝でブレイクした頃、その後じゃない方と言われてもがいていた頃の若林さんだったら、自分の半生のドラマ化なんて鼻で笑ってそうだけど、年月を経て今の考え方では「まぁそういうのもありなのかなぁ。任せてみますか。」と受け入れられるようになっているのも理解できます

きっと元増田さんはそういう心境の変化自体若林さんが変わってしまったようで寂しいんでしょうね。

自分ドラマは毎週見てます

無理に見ろとはいいませんが、フリートークで聞いたあのエピソード実写化されてるとか、髙橋海人君の演じる若林さんが生き写しすぎるとか、そういうのだけでも見る価値はあると思いますよ。

TVer無料で見れる3話だけとか、YouTubeにアップされてる漫才完コピ動画だけでも十分と思います

このところラジオでもほぼ毎週ドラマの話してるので、フリートークもより楽しめます

何より、元増田さんが自分を重ねていた頃の二人を追体験できて懐かしく思えるんじゃないでしょうか。

ここからたりないふたりが中心になると思うので、そこを通ってないならちょっと思い入れは薄れるかもしれませんが。

まぁ何が言いたいかというと、見たくないもの見る必要はないけど、オードリー好きならこの祭りに乗っかっといても損はないと思うよ、きっと楽しめるよという話です。

地上波プライム帯のドラマに出てるTAIGAさんとかたぶん今後一生見れないですよ笑

だが、情熱があるは見れない

自分オードリーANN古参で、就職とほぼ同時にオードリーラジオが始まった。

自分新社会人として戸惑う姿と、急に脚光を浴びての葛藤を好き勝手話すオードリーをおこがましいけど重ねては笑っていった。国際フォーラムでのイベントチケットとっていたのに過労で胃潰瘍になって入院していけなくて、泣きながら病室からラジオ聞いたなあ。

オードリーそれからずっと売れっ子どころではない活躍ぶりで、若林さんは男性アナのような見事な司会業を始めたり、春日さんは世界を飛び交いながらいろんなチャレンジをしていたのは知っているが、自分はあまりテレビを見ずラジオの二人をリアルと思っていたので、なんとなくちょっと遠いところにいるんだろうなーぐらいの認識だった。

だけど、「だが、情熱がある」、これにはたまげた。ドラマは素晴らしい作りのようで、各方面から絶賛の声は聞く。ドラマに関してあれこれ言うつもりはない。(だって見てないし)だけどあんなに各方面に気を使い続ける芸人オードリーが、まだ現役の自分を伝記化するようなドラマをオッケーするということが、すごくすごく大人の判断すぎて、まだ自分の中で整理がつかないのだ。きっと「たりないふたり」の長年の功績をそのままでもったいないとのことで、色々二人の自著を参考にしながら丁寧に作るという企画があって、その熱意で承認したのだろうけど。(実は自分は何キャン山ちゃんがすこし苦手でたりないふたりを全く見てない。それもあるかも)ラジオの二人なら「死ぬ前に自分ドラマなんて恥ずかしくてできねえよ」と言うとばかり思っていたからさ。(アンガールズ山根さんが愛ある大イジリしてくれたので少し救われたが)

なんか、毎年忘年会バカ話してた地元友達が、実はみんな結婚もして子供もいて家も車もあるけど、「まあ、増田いるからさ(笑)そういう話はやめとこうぜ(笑)」って気を遣っていてもらったような、そんな感覚

そもそも才能もあって努力もできる超非凡芸人に、ど凡人の自分を重ね合わせることが、もともとおかしかったし、そこまでストーリーをのせるのがキモいってのも重々わかるんだけどさー。二人のフリートークが少しずつ大人を隠し切れなくなるのも、それと比べての自分のガキ臭さもうっすら気が付いていたけどさー。なんだかやるせなくなっちゃうんだよね。

たまたま先週「14年もラジオ聞いてるやついねーよ!」と言ってたかちょっと寂しくなっちゃてね。実はここにいましたよ。くたくたに働いたあと暗い部屋でオードリーANN聞いて笑ってたあの日々は自分にとって人生の基盤だし、宝物だな。

2021-11-17

マツコ会議Creepy Nuts

Creepy Nutsをとりあげたマツコ会議見て泣いてしまった。

GROOVE LINE で初めて「たりないふたり」を聞いて衝撃を受けてから、あれよあれよという間に大きな存在になってしまった。すごいなぁと思いつつ、やはりテレビは怖いと思った。

日本HIPHOPを広めるために現在テレビメディアを使うなら、華麗な技術応酬というエンタメにするしかなかったというテレビのものの有り様の話でテレビ批判だったのだが、それをテレビでやったために大切に言葉を尽くすべき部分を編集され、涙がクローズアップされエンタメになってしまった。

ミソジニーに触れながら、成功をおさめた30代男性が泣き出し、ボス母親存在の年上男性かわいいと慰められるという「図」になってしまって、それがテレビダメなところだぞ、と。

しかも、「力」をもった人間言葉制限されたなかでどう表現するのかという現在とても重要論点提示されたにも関わらず、「勝者」同士にしか理解できない苦悩を分かち合う涙で「まとめ」られてしまった。

あの場でどこまで語られたかは分からないが、テレビ業界で戦って「勝っている」人の苦悩にクローズアップする編集がされてしまい、やはり涙が切り売りされ消費されてしまったのだ。

Creepy Nuts への批判でもマツコへの批判でもない。

マツコの言うように、テレビ限界なのだろう。

マツコの知らない世界」も好きだが、テーマの内容よりもゲストキャラクターに焦点が当たってしまいがち。

一番興味深いのは人間であるのは確かなのだが。

切り取り加工し編集して魅せて、それを気取られずに見てる側を感動させるのがテレビ魔法

何が切り捨てられ、盛られ、焦点を当てられなかったものは何か、他に語られるべきものはなかったのかというテレビ批判テレビでやって、DJ松永テレビで伝えたかったHIPHOP文化については伝わりきらなかった。

伝わったのは、マツコもCreepy Nutsわたしたちの知りえない苦労をしているんだな、ということ。

まさにマツコのパンチライン

「伝わるのは熱量だけ」

だった

2021-07-21

anond:20210721070735

アニメ円盤がどえらい売れてて、あと現在3rdライブに向けてグッズ事前通販継続

ライブはまだリリース後1回目なので分からないけども配信チケットが出れば売り上げは下手したらお笑い配信たりないふたり配信ライブ浸透時期に他より数売ったサカナクション光ONLINEの売り数を簡単に超えると思う

 
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