23億枚。
この事実を聞いて、
「人間にそんなに多くの絵を見ることは不可能だ。やはり人間は人工知能に勝つことはできない」
でも、こう考えてみてはどうだろうか。
人間は1秒間に数十枚の画像を、起きているほとんどの間認識している。
1日に16時間、秒間60枚の画像を認識していると仮定すると、
20年間で60*60*60*16*365*20 = 25228800000枚…約252億枚の画像が脳に刻み込まれていることになる。
もちろんその中にはほとんど同じ景色であるようなものも含まれているが、
それを考慮しても人工知能の特権(と、一般的に思われている)である膨大な量の学習に
遜色ない量をすでに私達は学習していると言えるのではないだろうか。
それに加えて私達は、視覚情報以外にも、聴覚、触覚といった他の感覚器官、
そこから得た情報の歴史的価値や文学的な表現といった形而上的な概念を学習している。
機械学習においてこうした複数の種類の情報を統合して学習することは1種類の学習よりも遥かに難易度が高く、
多くの研究者を悩ませている。
だがどうだろう?
我々はすでにそのような、様々な感覚から学習し、それらを統合する技術を既に身に着けているではないか!
そして、視覚情報と同様にそれらも常に変化し続けてきたものを我々は学習する。
視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五感、温度や痛覚などのその他の感覚、さらにそれらの持つ意味…
これらの相互に繋がった数百億、数千億の情報を我々は「体験」する。
ただバラバラの情報ではなく、それらの繋がりさえも学習し、記憶する。
さらに人間の優れた能力として、我々は他人の体験を「追体験」することができる。
個人から離れた異質の経験は、既存の情報に新しい繋がりを提供する。
この魔法が、人々に全く新しい情熱や感嘆や絶望や感動――私達の心の動きの全て――を生み出す源なのである。
そして、これが最も重要な点であるが、上で述べた学習内容は、「人によって異なる」のである。
誰に育てられ、どの学校に通い、どんな友達と遊び、何を食べ、…
そして小さな経験の違いが脳に影響を与え、行動に影響を与え、その結果異なる事象を経験し、異なる反応をし、さらに異なる事象が生まれる…
まとめ。