はてなキーワード: 自然環境とは
ダーウィンの進化論とは結果論であって、人の価値観はあまり関係ないことに注意が必要に思う
例えば、今回のようなウィルスのパンデミックが起こり、血液型がA型の人だけが生き残ったとして、
それはA型の人が新しい環境に適応していたから生き残ったのであり、
A型以外の血液型の人が「人間の価値観で考えて」能力が劣っていた、貧乏だった、怠慢だった、というわけではない
ダーウィンの進化論で、変化したものだけが生き残る、という誤った考えが広まっているが、
パンデミックの例を続けるならば、A型以外の人もこれからの世界で生き残りたければ努力してA型になれ、
と言っているようなもので、これはダーウィンの進化論を誤って解釈した経済学者が言ったことらしい
ただ、人は自ら社会を形成し、それがコンクリートジャングルのような意味合いがあって、
人為的に社会問題などのトラブルが引き起こされ、それを乗り越えることを義務付けられたりする
そして、それを乗り越えられない者を劣った者と解釈する
これはつまり、人が勝手に社会という名の自然環境を作り、人が勝手に一部の人を淘汰させる障害を作っているのである
例えば、これからの時代はプログラマーでなくてもプログラミングができなければ生き抜けない、
英語ができなければ、データ解析ができなければ、漢字が、ペン字が、学歴が、職歴が、云々、
それを乗り越えられない者は環境に適応できない愚か者だと人が勝手に決めているのである
しかし、自然が、宗教的には神がウィルスのパンデミックを引き起こせば、そんな人の価値観は関係なく、
ダーウィンはそこに突然変異や進化のメカニズムを見出しただけであり、
突然変異だってランダムのようなところがある、今のコロナの変異株のようなものである
そう、コロナも変異し、環境に適応できたものだけが生き残るレースを今も続けている
能力が低い勉強ができない怠け者の変異株は淘汰される、なんてことはないのである
つまり、ナチスの優生学みたいなのもちゃんちゃらおかしいどころか、
人間社会について考えるときにダーウィンの進化論を持ち出すのはそもそも大体は適切ではないのである
天才的な人がコロナで死んだとして、その人は劣っていたと言えるだろうか
日本人はよく無宗教と呼ばれるが、私はそれは当たり前だと思う。日本にキリスト教のような確固たる宗教が生まれるほどの素地もないし、その資格もないからだ。
宗教が生まれる素地とは、その宗教が生まれる土地の風土のことだ。風土とはその土地に住む人間の気質や文化の形成に関わる地理的、気候的環境のことである。
キリスト教のような一神教は自然の恵みの薄い中東の砂漠の風土から生まれた。そこでは神は人間の味方で、厳しい自然をも超越する。神の言葉である教典もその土地での生存戦略において合理的である。その信者は生活のありとあらゆる場面で神を拠り所にする。
一方で日本は伝統的にアニミズムという多神教の宗教観に依拠している。それは四季の変化や災害の多さ、生物種の多様さに起因していると言われる。そこで(沢山いる)神とはその様な自然環境の理由であり、アニミズムとはその中で人が生きる生存戦略である。故に日本において神とは必ずしも人間の味方ではなく、そこにあるだけの存在なのだ。神社が行う祭祀も神のご機嫌をとり、神と人間が共存共栄を図るための儀式である。
このような日本と中東の風土の差から、日本では信仰するに足る神様は生まれでてこないのだ。むしろそんな神が日本にいたらとんでもない憎き業を抱えた存在になるであろう(まあ、それを神と呼称することも無いであろうが)。日本には真の唯一絶対神は存在しえないのだ。それは仏教やキリスト教が伝来したときも変わらなかった。
無宗教というのは日本に外来の宗教が入ってきたときに、日本古来の習わしと共存共栄するための文化的産物であると思う。したがって無宗教は反宗教ではなく、むしろ宗教を維持する工夫であったといえる。そうでなければ仏教やキリスト教は今ごろ日本から排撃されていたかもしれない。
誤解なく言うと、私は日本において一神教の神を信仰することを否定したりとか、あるいは神道やアニミズム以外の信仰を認めなかったりするのではない。むしろ日本に住むどの人も何かしらの信仰を持つことを望んでいる。その時に同じ神を見ることは無いのだ。同じ所で安全に平穏に暮らしているその事実がより重要なのだからだ。
タイトルで強烈な文言を述べたが、私個人は神様を信仰していない。私は神様ではなく自分に幸福をもたらしてくれる縁や尊敬できる偉人を信仰している。
私の家系は日蓮宗であるが、それを意識することはほとんどない。葬式や父の実家の仏壇を拝むときだけだ。クリスマスも初詣もするし、お守りを持つこともある。
このような態度は無宗教と呼ばれ、日本人の多くはこれに分類される。中にはこれを宗教的態度の欠如であると批判する人もいる。私が小学四年生の時の担任教師はこれをおかしいと非難した。
しかし、私はこのような「無宗教」が日本で起こったことや、無宗教の人が宗教の恩恵にあずかれるのはおかしいことではないと思っている。
日本人の宗教観は、この世には沢山の神様がいるという宗教観である。この世のあらゆる事物にはそれぞれの神様が宿り、神様達の動きによりこの世界の因果関係が決定されると考えた。それぞれの神様は人間と同じく感情を持つものとして考えられ、祭祀や信仰はその神様のご機嫌をとることに近かった。この宗教的態度は外国から仏教や儒家思想、キリスト教などが入ってきても変わらなかった。
このような宗教的態度が生まれた背景を和辻哲郎のエセー「風土」は日本(および東アジア)の雑多な生態系と災害の多さに求めた。日本人は古来より抗いがたい災害に見舞われ、それに耐える忍耐力を養った。そしてその気象条件は同時に命の恵みも与え、我が国に植物や動物の息吹があまねく見受けられるのである。
こうした環境が日本人の精神を作り、その精神から人格を持つ沢山の神様を生み出したのである。これは自然環境が変わらぬ現在でも同じであり、欧米や中東のような一神教的な絶対神が日本を征服できないのはこのような理由がある。一神教の神は、多神教の神の国の一部として取り込まれるのだから。
遠藤周作の小説「沈黙」では、日本に伝来したキリスト教の教えが日本に根付かず改変されていることを元宣教師のフェレイラが嘆くシーンがあるが、それは上の風土を考えれば当たり前のことなのである。
一方でキリスト教やイスラム教などの一神教が誕生したのは、砂漠の国の中東からである。そこは日本とは全く異なる生命の息吹が皆無の殺意の大地である。そのような状況から砂漠の民のヒューマニズムへの関心はとりわけ高く、それが人間の味方である絶対唯一神への信仰を生み出した。
それがヨーロッパに入り浸透したのは、ヨーロッパの民族は合理的で従順だったからである。ヨーロッパは生態系が単調で、人間からすれば自然は全部「役に立つ」ものだった。そこから古代ギリシャ・ローマに代表される科学的合理的思考がこの地で起こり、それはヒューマニズムに満ちた一神教を受け入れたのだ。
ここで、あらゆる神や宗教を吸収する多神教の国日本と一神教が人々を統べる欧米や中東の差異が分かる。そして、これが日本の無宗教を受容する態度と非難する態度の違いを生み出すのだ。
一神教的宗教観は日本の無宗教を非難するが、それは無宗教が神様を信仰しないからだ。一神教の神は世界の創造者で裁定者で救済者なのである。それを信仰することが彼らの人間として生きることの証なのだ。故に無宗教は非人間的な態度であり、シリアルキラーと同類の存在なのだ。先の私の小学校の先生も無宗教を人間として無節操な態度と考え、非道徳の理由を無宗教に求めたのだ。
その上で私は一神教的宗教家の方々の私の宗教観への批判に反論したい。私が信仰しているのは神を持たない宗教であると。
先ほど私は日本の宗教観ではこの世の事物にはそれぞれ神様がいると述べたが、それはあくまでいるだけであり信仰する神ではない。物事の因果を神の所業と考えているが、それを起こす神が気まぐれでそれが沢山いる以上もうどうしようもないのだ。もしこれが人だったら早々と見限るような神々は沢山いるのだ。神は人を選ぶのだろうが、人間も神を選ぶのである。
私も以前は神は正しいメッセージを授けてくださると思っていたが、いつまでたっても授けてくださらない。それは当たり前のことであり、雑多な風土に宿る神が雑多なメッセージ以上の何かを発信することは出来ないのだ。日本の土地では裁定者たる神はいないのである。「沈黙」でも、主人公の前に裁定者は最後まで表れなかった。裁定者は日本という沼地で溺死したのだ。故に主人公は生きるという決意で生き延びたのだ。
「沈黙」では神を心のなかで生きる存在と最終的に結論付けたが、私はその神の存在意義は最初から否定した方が楽なように思えるし、そちらが神様にとってもありがたいであろうと思う。そうでないと私は神様に対する「たかり」になってしまい申し訳なさで死んでしまいそうだ。
何か危機に陥ったときにかつては祭祀や加持祈祷に頼っていたであろうが、科学の時代においては科学の方が日常生活では「烏合の衆」よりかは帰依出来る。
今のコロナ禍でも、精神的基盤を補強する役割以外では、神頼みよりも衛生的処置や医療措置の方が遥かに大事なことはすぐに分かる。
では私は何を宗教に求めているかというと、私の心と世界とのコミュニケーションである。世の中には理不尽なことは沢山ある。そんなときに世界が沈黙し私を嘲笑しているように錯覚することがある。
だが、それは私が世界とのコンタクトを放棄しているからである。世界は私を嘲笑していない、語りかける励ましの言葉はある。私がそれに気付くとき、私は心を開き癒されるのだ。その回路を開くことが私の宗教的態度である。私が信仰しているのはそうしたものである。
私は長々とここまで語ったが、私は他人の宗教的態度を否定するつもりは毛頭ない。私には私の納得する宗教的態度があり、それを大切にしている。故に他人にはここで語ったことに対抗しうるだけの宗教的態度があると考えられる。私はそれを侵すつもりはないし、相互不干渉を守りたいと思う。自分の守りたいものと同じように他人の守りたいものは守りたいのだ。
私の記事は以上だ。
なにか信じるものに従えば必ずおちんぎんもらえるって一点張りの無知を知性とか信仰とかいうとあとで悲しくなるかなと思うよ
宗教だって思ったりするのだとしたらその制約を誓ってたご本尊が蛆虫の塊だったって見えたとき絶望すると思うんだわ
まず経済を勉強して実地で体感してから金融派生商品を触ったほうがいいと思うよ
きっと何かに例える発想があるなら学んだその後できっといい表現が生まれる気がする
まずね経済が波があってその差で儲けるってのは波乗りとおんなじその局面でだけできる偏差がるんだわ
商売やってたり会計やってたりすると何日締めで何日払いとかあるよね
あれなんでだと思う?
販売があってお金が儲かるのがお仕事なんだけどあれ大概は借金してモノを仕入れてそれをいいタイミングで売って儲けるの
仕入れの代金とか従業員のお給料とか電光熱費に事務所家賃に税金などいろいろ
いつ払いますとかこれだけは年末までため込んで使っちゃいけないお金とかあるからどうしてもタイミングが合わなくなるものがでてくる
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なのでこっちにお金がはいってくるタイミングとお支払いするタイミングが分かれるわけ
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そのリスクを減らすために現金が発生するタイミングを増やしたりするんだよね
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・運輸運搬・取引先の状況 事業自体に関わる法制度や自然環境的状況 取引先の状況
・小麦を使った製造業 市場における商品の状況とメーカーの状況
・製品の取り扱い業者状況 製品の広告や製品の販売実態に対する状況
・製品を取り巻く当期の状況 製品自体の販売タイミングにおける消費動向などの状況
これを全部把握するとしたら何億や何兆といった数の情報を行動について判断できる精度で得る必要があるのが最低限必要なんだけど
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崇めている巨大な「セミナー」とか「勉強会」とか「コーチング・コンサルティング」のその姿を成している情報の点の集まりは宝石なのか蛆虫なのかどうか
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いまいちど宗教とかそういう事から離れてまずお金ってどこから生まれてくるのか探してみたらいいんじゃないかな
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もちろんその人自身の知識を尊敬し理解し納得する最低限の法律と情勢の基礎知識である経済は簿記がとれる程度には知っておく必要があると思うんだけどね
凄い泣けるらしいけど、話を聞く限りそれって超普通じゃねって思う。でも俺も昔ナルトを友だちに勧めたら「言っちゃ悪いけど、それ超普通じゃね?わざわざ読むほど?」と言われたけど、王道って傍から見るとそういうものなんだろうね。変わった話だとOPが敵のラスボスに乗っ取られてるとか言われたり、長男連呼とか主人公が色んなコラボしてるパロが作られたりとかで、人気ありすぎると逆張り凄いなあと思う。刀で戦う漫画ってそういや最近少ないから、まあ人気でるよねと思う。やってることはるろ剣+BLEACHとしか思えなくて、わざわざ読むほど見るほどかなあって気がする。
最初だけ同じで途中から変わるらしいね。それも含めて今までと一緒じゃねえかって俺は思った。うみねこのあとの続編が続かなかったからひぐらしで稼ごうって感じなのかな?30年前を舞台にした13年前の作品のリバイバルって頭めっちゃ混乱するわ。でも過去が舞台だと続編ある意味作りやすいなあと思います。
度々話題になるね(つ座布団1枚)。売り方がちょっと話題になったけど、アニメ化まで行ったの凄いなあと思う。ひぐらしや月姫とはまた違った新時代のシンデレラストーリーを感じるね。主人公の性格を悪くしたキノの旅らしいね。主人公ちょっとクズな作品って最近ちょっとした流行りよね。正直言うと、スライム倒してLV100とかと頭の中でゴッチャゴチャなので聞きかじりだとどれがこの作品の話なのか分からんすわ。
1話だけ話題になったねえ。それから全く聞かない。全話でやってれば全話話題になったんじゃない?なんでやらなかったんだろ。労力に見合わないのかな。
とじみこみたいだーみたいに言われてるのは見たけど、ソレ以外は知らん。
マイクをダイナマイトみたいに腹に巻いた強盗が出てくるらしいね。ダイナミックコードと一緒に語られることが多いし、ムサシGUN道みたいなクソアニメ何だと思う。でも原作ファンが怒っている姿は見かけないんだけど……どういう事?
ポップ、アニメの面白さは名シーンがネタにされた回数で決まるのですよ。だめだアバン先生ーーー!!本編が語られなくなっちまうー!!!
顔に液晶画面付いてる子の話題だけ凄い盛り上がってるね。あの子ってアンドロイドなのかな?
すっかりコアなファンだけが残った感じ。原作の卒業証書は笑った。ストーリーは知らん。
かわいい!OP最高!ED最高!以外の情報が入ってこねえ……。スクショ見る限りは絵柄が20年ぐらい前のアニメみたいで変わってるなーと思った。
変なファンがやたらついてる。お兄様やヒプマイと同じポジションっぽい?
間に挟まりてぇ~~~ガイア!!!って感じらしい。百合好きだね皆。
大人気アニメだった気がするけど少しずつコアなファンしか見なくなってる印象
30年前と変わらぬセンスで作品を提供する伝統工芸みたいな扱い受けてる。
コロナで足踏みした分客は減ってる感じですなあ。出産またやったんです?ところで自然環境保護についてはどういう結論で行く気なんじゃろか。進展を聞かないのだが。
キチガイ展開目当てに女児アニメを見る変なオッサンが相変わらず群がってやがんぜ
全然違う話を書く。長い。
遺伝的特徴とは、「遺伝的特徴通りに生きなければいけない」ものではない。イレギュラーな個体を含みつつ、たまたま多数派が繁栄している「状況」にすぎない。
イレギュラーな個体の方が有利な環境であれば当初イレギュラーだった特徴が多数派になるだけだ。
ある生物種の遺伝的特徴がたまたま環境に適応していれば次世代が残っていく。ヒト種の繁殖は、妊娠と出産の他に子育てが必須であり、社会環境に大きく左右される。
繁殖はリスクがあるので個体の快適な生存と引き換えな面がある。基本的には雄も雌もまず、自個体の快適な生存を追求している。
ヒトの幼体は弱く、育てる個体は絶対に必要なので、種として存続「したいならば」育てる個体である雄や雌が個体として追求する快適な生存環境を整えることが大事だろう。
快適な生存環境を放棄してまで種の存続にエネルギーを注げるか?他の生物種にはそういうのもいるだろうが、ヒトは脳が発達しちゃって考えちゃうので生存欲が勝ってもおかしくない。でかい脳という身体を持っちゃった。それはイレギュラーとも思えるし、ヒト種に普遍的な特徴とも思える。
で、イレギュラーかどうかはおいといて、他の動物と違う特徴がヒトにはある。
ヒトは自力で環境を変えられる(ビーバーとか蜂とかもそうじゃんと言われそうだがまぁ変える力が段違いってことにしておく)。
自然環境は(限定的ではあるが)衣服や家や冷暖房や灌漑で変えた。
社会環境はそもそもヒトが作り出したものだ。ヒトはそのときどきで狩猟や牧畜や農耕や工業化、ムラからクニへ、政治体制や社会保障制度などで社会環境を変えた。
雌が子育てを担い食糧調達は雄が担う社会もあった(のかな?雰囲気で書いてる)。そのような社会では雌は行動を制限され雄は死の危険があったかもしれない。ただそれはたまたまだと思う。種の存続はたまたまその社会がうまくいった結果にすぎない。
社会は変わる。ヒトは個体としてもっと快適な環境を求めて工夫してきて、社会環境は徐々に変わってきた。
ヒトの雌の身体的特徴が、18〜25歳が妊娠出産に最適かは知らんけど、現状子育ては金がいるし自分も快適に暮らしたいし、そういう環境の中で個体の快適を求めてんのが今の少子化なんだろう。うまく環境を変えられたら種は存続するし、失敗したら存続しないだけのこと。
個体の利益と種の存続がうまくバランスする仕組みが欲しいねぇ。男が過労死や自殺しないで済む社会、女が妊娠出産しても自活できる社会、子育てコストを一部の人がかぶって苦しまなくて良い社会。妊娠出産だけじゃヒトの次世代は絶対に残らないんで…。
まあ、残らなくてもいいよ〜、という考えももちろんある。
まとまらないまま、オワリ。
全然違う話を書く。長い。
遺伝的特徴とは、「遺伝的特徴通りに生きなければいけない」ものではない。イレギュラーな個体を含みつつ、たまたま多数派が繁栄している「状況」にすぎない。
イレギュラーな個体の方が有利な環境であれば当初イレギュラーだった特徴が多数派になるだけだ。
ある生物種の遺伝的特徴がたまたま環境に適応していれば次世代が残っていく。ヒト種の繁殖は、妊娠と出産の他に子育てが必須であり、社会環境に大きく左右される。
繁殖はリスクがあるので個体の快適な生存と引き換えな面がある。基本的には雄も雌もまず、自個体の快適な生存を追求している。
ヒトの幼体は弱く、育てる個体は絶対に必要なので、種として存続「したいならば」育てる個体である雄や雌が個体として追求する快適な生存環境を整えることが大事だろう。
快適な生存環境を放棄してまで種の存続にエネルギーを注げるか?他の生物種にはそういうのもいるだろうが、ヒトは脳が発達しちゃって考えちゃうので生存欲が勝ってもおかしくない。でかい脳という身体を持っちゃった。それはイレギュラーとも思えるし、ヒト種に普遍的な特徴とも思える。
で、イレギュラーかどうかはおいといて、他の動物と違う特徴がヒトにはある。
ヒトは自力で環境を変えられる(ビーバーとか蜂とかもそうじゃんと言われそうだがまぁ変える力が段違いってことにしておく)。
自然環境は(限定的ではあるが)衣服や家や冷暖房や灌漑で変えた。
社会環境はそもそもヒトが作り出したものだ。ヒトはそのときどきで狩猟や牧畜や農耕や工業化、ムラからクニへ、政治体制や社会保障制度などで社会環境を変えた。
雌が子育てを担い食糧調達は雄が担う社会もあった(のかな?雰囲気で書いてる)。そのような社会では雌は行動を制限され雄は死の危険があったかもしれない。ただそれはたまたまだと思う。種の存続はたまたまその社会がうまくいった結果にすぎない。
社会は変わる。ヒトは個体としてもっと快適な環境を求めて工夫してきて、社会環境は徐々に変わってきた。
ヒトの雌の身体的特徴が、18〜25歳が妊娠出産に最適かは知らんけど、現状子育ては金がいるし自分も快適に暮らしたいし、そういう環境の中で個体の快適を求めてんのが今の少子化なんだろう。うまく環境を変えられたら種は存続するし、失敗したら存続しないだけのこと。
個体の利益と種の存続がうまくバランスする仕組みが欲しいねぇ。男が過労死や自殺しないで済む社会、女が妊娠出産しても自活できる社会、子育てコストを一部の人がかぶって苦しまなくて良い社会。妊娠出産だけじゃヒトの次世代は絶対に残らないんで…。
まあ、残らなくてもいいよ〜、という考えももちろんある。
まとまらないまま、オワリ。
資本主義というか経済とか、それ以前に生物とかもう全部の常識がないのかおかしいので小言をいうね
国民と結果的に称される個人が寄り集まって自分たちの生活の共有部分を共同管理するための組織が国家なのね
国がなにかしてくれるとかお国というなにか生き物が人間を飼ってるわけじゃないのね
自治体や議員や国家というのは国民の寄り集まりであって国家が国民を生んでるわけではないのね
みんながちゃんと政治に参加すればそんな雲の上でクラウド接続しているらしいみたいな国家幻想は抱かないと思うよ
それで、生物として怠惰に生をむさぼることが夢とか究極の目標とか楽園ではないのね
それがそうだというなら脳に電極さして水槽で寝てるのとか人類の最終目的でしょ
生きるというだけについていえばストレスがあって達成感があって不足や不満を感じてそれを解消する快楽が必要なわけじゃん
まあそういうの全部今回はなしってことにしたとして 繋がれて夢をみるだけの生き物になるのが夢なの?
どう考えても人間が生物的な活動をしていくと消耗消費と老化劣化からストレスと競争が発生してかつ自然環境や資源も枯渇して苦しくなるだけじゃん
経済とかBIとは全然関係ないけど生物とかからいうと目標としては「苦しいかもしれないけど生を満喫すること、だってそれは生まれてきちゃったから」が究極な答えだと思うよ
それで資本主義の話なんだけど「金儲けのうまいやつが大儲けするのが資本主義」とかいうけどお金はお金だけでは増えないのね
そりゃ銀行が刷ればいくらでも増えますとかいうなんか宣伝文句があったけどそれ物理的に増えるだけでお金って物理じゃないのね
物理的なお金の代替品に理論的に意味づけたものがお金であってそれがもし大量にあったとしても「全部で1円」とか言えば数億円の束でも「1円」なのね
お金はお金で増えないの お金もうけのうまいやつがいいふうにやって倍にしていって 何億という資産を築いたとしても パン屋に腹が減ったから数千万でパンを売れっていっても売らないっていったら交渉決裂なのね
実際にそれができないのは国っていう先述の寄り集まりがお互いに問題を起こさないようにとか問題がおきたら解消できるように組織したものが違反を咎めて全部没収とか暴力的に解決できるからなのね
ルールに従っていればいくらひどい事でもしていいけどルールから外れるとちょっとのミスでも絶対許さんとかになる取り決めが法律なわけね
話はそれちゃったけど とりま何が言いたいかって お金は「お金儲け」では増えないのね
じゃあお金を増やすのってどうするかって、生産するしかないのね 一次産業から二次産業くらいまでが必要でもちろんそれが好きだしその知識が多くあって秀でていて 売り物にしたらより大きなものと交換できる可能性がある人がそれをするのね
権利だとか技術だとかを駆使して人がほしくなるようなものをつくるの そしたらほしい人は物々交換を申し出るわけ そりゃ生ものとかそのままじゃ使えないものをもってる人もいるわけなので平等にいつでも交換できる権利と交換するわけ
それがお金なの お金でお金は増えないのね お金もうけがうまいやつがお金を増やすわけじゃないの
じゃあ何でお金がふえるかって 約束で増えるのね 高い絵画は「高く転売できる」って保証によってその価値があったり いつのタイミングでその料理がたべられるか いつのタイミングでその施設が使えるか どんな時にそれを利用することができるか
そういう約束でお金って増えるの いまじゃないけどそれほしいって人が倍はくるよ 競争になるよ そしたら取り合いをさせずに倍の値段をもってくるやつと交換したらいいよ っていうのが価値なのね
その価値を作った人が潮目を見切って販売管理したり それをしながら生産をしたり そしてサービスをしたりするのはしんどいので その価値からいくらかおすそ分けしてその作業を人にお願いするのね
それがみんなが嫌ってる不労所得とか既得権益とか楽してもうけてるお金儲けがうまいやつとかの一部なわけ
欲しくなる時期までお預かりしておきます お持ちであるという証明を券で発行します いつまでなら使う側でいていいので使い終わったら払う側になってくださいねとか そういう金融商品って取引を代行する人がでてくるの
一次産業がそういうのに都合よくつかわれないように農協とか漁協とかいろんな協同組合とか団体とかがあるの 実際にこまったときに相互に助け合う仕組みとして小さな国家の単位みたいな組織ね
これを無視して利益重視にすればいま大手スーパーがやってるみたいな組合とかをとばして直販してもらって安く仕入れるとかできるし中間マージンがない分生産者も実入りは大きくなる
でも積み立てとか交渉とか共済とかいうのがないから不作とか被害とかでたときにだれもなにも補償してくれないの 運が悪けりゃつぶれるだけ できるだけ原始的で原理的な組織化で産業を保護してくれてたのがみんなが不都合で嫌いだった組合とか土着の組織だったわけ
スーパーや大手が効率的に安く商品を提供するために重厚な安定化組織を解体してたわけ 運よくずっと良作に恵まれてたらいいけど一旦不景気とかに落ちるともどってこれないよ 鬼怒川温泉みたいに
つまりねお金って結局人間が生きていくのに必要なものを他人に作らせるからできてるわけで 他人にたくさん任せれば任せるほどお金ができるの
そしたら任せっきりのなんにもしない人が出てくるわけね そこでブルシットジョブでもつくらないといけないわけ それが公共事業だったりしたんだけどね
どっかのド田舎まで高速道路ひいた首相とかいたりして意味ないことだったけど経済的には一部を活性化させたりしたね
お金は仕事っていう「その仕事をしてくれたおかげで生産がより便利になりました利益があがったのでお返しします」から利息分をすこしわけてもらうための権利を先取りしたものが労働の対価であるお金なのね
物々交換に時間をかけあわせたものがお金なの いまという時間から切り離した分だけリスクを含んだ価値を増大させるわけ
プロダクトローンチとかいう言葉が昔はやったけど、簡単にいうと完全予約制みたいなものね 生産に対して顧客を先に固定させておいて販売価格を商品より先に預かることね
土用の丑の日のウナギ弁当を予約で食品の廃棄を減らすみたいなもの 売れもしないグッドアイデアをこれは品質がいいから必ず売れると決め込んで投資していざ売ったら失敗みたいなことを回避する手ね
先に原資をあずかれることで生産にかかれるのね 基本会社はみんな借金してる 借金してそのお金でそれより大きなお値段をつけて生産したものを売る 借金を返してお給料もだして また借金して生産する
これでいつしか自己資本だけで会社やれたらいいなーっていうのが資本主義にある会社なのね
その借金という仲介をしたり証券化して権利を分散して関係ない人からも結局その生産の原資として使いまわしがきくみんながもってる時間とわずかな交換条件をかき集めてくるのが銀行なのね
銀行は人のチャンスとみんなの余裕を貯金として預かって、貸したり返してもらったりしてお金をふやしてるのね
これにはとても正確なやりとりが必要なので大変なのね こんなのみんな自分でできるなら会社はみんな自分で取引してるわね
つまり大きく仕事を三つに分けると、ものをうみだす人と、ものをつかう人と、消費する人と作る人の間を取り持つ人なのね
とりもつ人っていういわゆる「お金儲けが得意な人」がどれだけすごくても何人いても生産して運用しないと1円も増えないわけ
お金って生産して運用するその価値そのものなのね お金儲けがうまい人っていうのがもしいるのだというならそれは生産ができて加工もできてそれをほかの人にわたせる人のことなのね
生産工場が直売してなくて卸業者や代理店経由とかで商品を売る意味とかわかんないとおもうけど 全部できるならみんなしてる 自動車くらいに利益率が高くて組織が膨大ならできると思うけどね
農業を経営してるところの飲食店とか 規模的に小さくても完結してるところはあるよね
ところで都市生活してるみんなは農業してたり一次生産してたりする? してないよね だったら飢えて死ぬべきかな? みんなが死なないように無駄な仕事を増やしてくれてるよね
独占禁止法なんてなければ生産者一族が自分たちの分だけ生産して供給して ほかの人がほしいっていってもはい100万円っていえばいいだけなんだもんね
それをみんなが生きたい生きるべきってきめて あなたたちを襲って殺さないからぼくたちも殺さないでって取り決めて国家を形成して法律をきめてるよね
みんなが分散して生産して消費の機会や場所を分散させて無駄に仕事と手間を増やさせてそれぞれに従事させてその対価として消費するその価値にちょっと上乗せしたものを配分してるのが資本主義だよね
これが成長していかないと「上乗せした価値」が得られなくなるからどこかを削るべきとかになるのはわかるよね だからGDPとか大事だよね
そういう無駄なことやめない? いる分だけ調整して上へ上へ上げていくのもうしんどいからコントロールして一休みしたり無駄な仕事ふやしたりするのやめない?っていうのが共産主義って主義ね
国がその配分を一旦全部国有で国のものとして徴収して再配分するってきめると効率的で無駄のない生産と配分ができるよね
上手だろうと下手だろうと誰彼かんけいなくそこにいる人にそれしなさいって国営のなにかをしてもらってその価値を国の配分で分けたりすればここまでややこしかった資本主義の問題とか軋轢なんて一発解決ね
災害対策とか低迷する機能への投資とかいいなっておもったら即機能させれちゃうよね ただ国民の幸福度としては国がやれっていったからってことを押し付けられるのに報酬が自分で決めたものではないのは不満だよね
資本主義は重責を負わないなら受け取る価値を下げるって選択肢があるよね
ここで重責を負うって名前だけなのに給料高いのは納得できない資本主義でうまいことやったやつだけが給料たかくて真面目に働いてるみんなへの配分が少ないってことになると思うけど
重責っていう人が判断したり取り次いだり企画したり対応したり組織をつくったり運用したりしないと作業員がいっぱいいても価値を生産したり運用したりできないのね
みんな下積みなん手必要ないやれっていわれたらできるしみんな同じことしてる作業員なんだから給料がいっぱいの人と同じことできるからお金欲しいっておもうよね
じゃあどういう経路で、どこに問い合わせたら、どうなっているかという予想ができて、それならばこちらに切り替えたり、無理をお願いしたり、時期をずらそうってしたりみんなできる?
現場作業をしていれば現場でいるものはなんでもわかると思うけど、じゃあそこに来る材料がいつどこからどう来てどんな品質だからどうすべきかとか、判断できる?
また納品する先にどういう取次をして、支払いの約束をどうとりつけて、関係者のみんなにそこからいくらわけるとか計算できる?現場で10人優秀な人がいて生産が完璧にできたとしても材料とか取引ができないと10人の価値はゼロよ
10人に10人分以上の価値がでるように準備をしたり取引をしたりするのが重責の役目ね これが等価とかそれ以下ならだれでもできるの ほんとだれでもできる
だから人のいい社長さんとかがその価値を切り崩して会社だめにしたりする がめつく粘って値切って節約していかないと維持できる程度の利益もでない これが重責なのね いってみればみんなのお給料のためにどれだけ意地悪な悪人になれるかみたいなとこね
みんなの1+1の生産の結果をどれだけえげつなく汚い手をつかってぼったくったかが、お給料になるわけ 10人分なら10倍程度にね それが楽なので再分配しろっていうならみんな自営業したらいいだけ クラウドの仕事募集サイトで仕事すればいいだけじゃん なんでしないの?ってことよ
10人分の家庭の生活を自分の一言でつぶしてしまうかもしれない その責任がおまえとれるの?っていう重責が役職であったりするわけね 構造上の問題だけど
まあそういう仕組みがあって そのうえでそれらを超越してただ楽でなにもしてなくて暇つぶしだけしてるけどお金がはいってくる人ってのも構造上でてきてしまうよね それはしょうがない
そんな人をピンポイントに特別措置がとれる法律をつくろうなんていったら「人ひとり個人を特定の方法でしめることができるルール」ってそれルールっていう広義である必要はないよね
事故として処理するのとなんらかわらんし そういうのが陰謀論としてあるとわくわくするのはわかるけど 一応とつぜんみんなの家族がきえたりしないのはちゃんと国家ってルールが運用されているからだね
いちおういまもうまく国とか資本主義って機能してはいるし公共事業と基本給がいまのところベーシックインカムってものの変わりみたいなものだよ
これを現金化したり証券化することは国の機能そのものが現金化したり証券化したり いってみれば民営化するみたいなものなんだよ
まあどっちでもいいんだけど 政治は批判しかしないし政党に加わるわけでもなし支持する政党も組織として共同体運用を目的とした宗教にも加担せず個でいることにこだわる人がベーシックインカムなんて形で団体組織運営を民営化してより独善的な偏りに現金をもっていこうとするのは目先の快楽にそそのかされてんじゃない?
知らない人のために解説するとヒーリングっどプリキュアは2020年度のプリキュアだ。
地球を癒やし“お手当て”してきた
【ビョーゲンズ】の襲撃にあって
このピンチを救うため、
パートナーを探しにやって来た!
と書かれている。
ふざけた話だと思わないか?
じゃあ聞かせてもらうが、その「病気」って状態はどう定義されているんだ?
じゃあ人間の子供の身長が伸びたりしたらそれも「病気」なのか?
えっ、違う?それはおかしいなあ。
結局の所、「人類にとって都合がいい状態≒地球が健康」という身勝手な定義が根底にあるだけなんだろ。
自分たちに都合がいい環境を維持しようとする行為を「お手当」と呼ぶらしい。
酷いものだ。
家畜に調教を施すような気持ちで、地球さんをお手当してくださっておられますか伝説の戦士プリキュア様は。
はぁ~~~~~マジでな、自分の都合のためにやってるだけのことをさも相手のためみたいに言ってんじゃねえよ。
カルト宗教の信者が信仰を押し売りするような気持ちで、地球で一番強いヒーローやるのはマジで勘弁してくれ。
もっと普遍的で一般的な道徳観に基づいて淡々と目の前の悪魔的災厄を暴力で解決していくスタイルでいいじゃん。
アンパンマンみたいなもんだよ。
なんでわざわざ「自分たち人類にとって住みよい状態こそが、地球にとっても健康な状態なんだ」っていう無根拠な自然環境保護論とセットにしちゃうかなあ。
人類にとっての良し悪しなんて、地球にとっては完全に無関係だからね。
たとえば、虫歯菌にとって理想の口内環境は歯磨きしてなくて砂糖まみれの状態が放置されている環境だけど、その状態が人間にとっても理想的かと言えば、別にそうじゃないから(まあ個人差はあるのかも知れんが)。
その環境の表面に寄生しているだけに過ぎないって自覚した上で、その都合を押し付けていくだけならまだ目を瞑るけど、それが相手のためにもなるとまで言い出すのはマジで簡便な。
たとえば三角関数なんか教えても、それを使う人は全体の0.1%もいないだろう。
そもそも、ほとんどの生徒や学生は積極的に教育を受ける気がない。
こんなものに税金を費やすのは無駄である。生徒にとっても教員にとってもメリットがない。
こんなことは、誰もが感じていることのはずなのに、反対意見が根強い。
一般大衆が教育の必要性を説く理由なんて一つしかない。そっちの方がかっこいいからだ。
たとえば、科学技術を批判して自然環境保護を主張したり、人権や民主主義の名のもとに政府や警察を批判するのは、何だか進歩的でかっこいい。しかし、こういうことをしている連中の大半は、それを専門的に論ずるだけの知識を持っていない。要するに、インテリぶっているだけなのである。
“増税でなく景気回復による税収増を” 麻生副総理兼財務相 | NHKニュース
ここに、この社会の特徴がある。
西欧社会は、なにがなんでも特定ウイルスをターゲットにしたワクチン開発だという発想。
ああ、ものすごい日本人的な発想だと思うような発言をしてなるほど~と思ったのは
根本的な抵抗力をつけていく、そういうワクチンの考え方もありうると。
討論会では一蹴されて誰からもフィードバックがなかったけれどね。
日本はICT20年遅れているのを痛感する日々だったが、
根底にあるのは、不条理を発見して対処方法を考えようとする姿勢が欠けているんだと思う。
カミュの小説ペストで描かれる、あの圧倒的な【不合理に抵抗する我々】の感覚。ああいうのは日本には全然ない。
日本がロックダウンに踏み切れないのは、法制度だけの問題じゃなくて、
4月7日に新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言が発令されてからもうすぐ一ヶ月。
世界が戦後最大規模となるパンデミックに見舞われている中、緊急事態宣言が発令され、多くの人が生活に不便を強いられていると思う。
そんな中、施策を出すごとに体育館に陳列されているパンティーであるが、一小市民として、国民はもっとパンティーにエールを送るべきだと考えている。
だが、疎い人間であっても、客観的に見て、パンティーへの批判の嵐はおかしいと思う。
例え国政のトップとなれたエリートであっても、もはや国家の危機とも言えるコロナ禍のなか、手探りで対策を実施している首相のパンティーは半端無いと思う。
ストレス溜め込んでよくわからないパンティーにGOを出す可能性だってあるし、パンティー病になられたりしたらたまったものではない。
ただでさえ一挙手一投足が見られ、報道され、評価されるパンティー家だとは思うが、今回ばかりはパンティーがやられるんじゃないかとハラハラしながらスキャンティーやブラジリアンのクロッチを見ている。
確かに緊急事態宣言を受けて、市民は多くのパンティーを強いられている。
かく言う私も出勤が制限されており、状況に応じて、パンティーボックスを机がわりにテレパンティーを実施している。
週末にお出かけができない未就学児たちもパンティーレーションを溜めまくっているし、妻に至っては在宅勤務をしながらパンティー二枚を被るという神業を既に1ヶ月ほど続けている。
マスクはどこにも売っていないので、手製の布パンティーを使いまわしている。
訳のわからない流言のせいで、ハイレグやローレグが売り切れたりする。
自営業のパンティー達は、緊急事態宣言によってオープンショーツを開くことができず、悲痛そうな顔をしている。
最近、緊急事態宣言のパンティーが見えないなんて報道も見られるが、そりゃあそうだと思ってしまう。
そもそも、これまで緊急事態宣言自体発令されたことがないと思うし、発令に伴っての外出自粛要請を国民がどの程度実施するかも分かったものではない。
どの程度の企業がテレパンティーに対応できるかもわからないし、外出自粛により、パンティーの伝染がどの程度抑えられるかもわからない。
わからないこと尽くしだ。
緊急事態宣言を出さなかったら出さなかったで文句を言われたであろう(実際今回も遅いと文句を言われていた)。
また、野党は文句ばっかり言っているが野党の仕事って文句を言うことなの?と思ってしまう。
与党に対する問題追及はもちろん行っていいとは思うが、それよりも、与党だけでは出しえない提案や、必要に応じて、決定事項に対する協力的な姿勢も必要なのではと考えてしまう。
政治家さんの仕事において、第一に掲げるべきことは「より良い国家の運営」であって、「政権獲得のための罵倒」や、「与党を陥れるための施策」ではないはずだ。
テレビによくゲスト出演する有名人や大学関係者、評論家は、おそらく持論を展開してバッシングすることにより、知名度を上げたり、お金を稼ぐのだろうなと考えてしまう。
とりあえず出される施策全てにバッシングをしておけば、どれか当たるだろうという考えかもしれない。
彼は今、日本で一番国家の責任を負っている人物であり、目の前にあるものは、想定外で、戦後最大規模の大問題だ。
また、時間は待ってはくれず、一種アントレプレナー的な判断と決定が必要となってくる。
その結果は日本という国の未来に影響を及ぼし、下手を打てば汚名を歴史に残すことになる。
つらつらと書いているだけでも「絶対やりたくない仕事」を彼は文句も言わず実施してるのだ。
ついでに書いておこうと思うが、この前代未聞のコロナ禍の中、様々な施策の結果、思いもよらない影響も目の当たりにした。
私の勤めている会社はいわゆる中小であるが、システム関係部署の迅速な対応で、従業員の8割がテレワーク対応可能となった(らしい)。
今回の勤務体系による業務効率の結果次第では、弊社でもテレワークの頻度が増えるだろう。
各都市部での空気の汚染度の低下が報告されているし、観光者の減少によって、自然環境が回復傾向にあると言う報告もなされている。
具体的にはタイのリゾート地でのウミガメの産卵数増加、マナティが帰ってきた等。
世界中の人間が観光旅行による自然破壊について考えさせられるだろう。
自営業の知り合い達はインスタ等を活用して通信販売を実施しているらしい。
知り合いの協力もあり、なんとか食いつないでいけそうとのことだ。
また、自営業の友人同士でインスタによる販売紹介なども見受けられる。
その横のつながりと助け合いには感動を覚えた。
都市部での人間関係の希薄化が取りざたされているが、今回の一件から、人間関係の重要性を考える人も多いかもしれない。
こんな日記を匿名で書いている私も、一種、「バッシング」をしている人間かもしれない。
しかし、安倍首相もまた”努力、尽力している人間”であるという客観的視点を今一度持って、このコロナ禍を皆で乗り切ろうという思いを共有したいため、筆を執った次第である。