はてなキーワード: 披露とは
例外なく鼻白む。
そういう表現が出てきた時点でもう続きは見ない。親と一緒にテレビ見ててエロいシーンになったときの気まずさ以上の物がある。よくみんな平気だな。もう今すぐに逃げ出したくなるくらい恥ずかしい。古語で言う「かたはらいたし」の状態だな。
・当人が聞いているとも知らずにその人の噂話をしているのを見たとき
というような場合が「かたはらいたい」と清少納言は書いている。
話はそれたが、作品中におけるネット描写がなぜこんなにかたはらいたきことなのかを考えてみると、理由は二つあることが分かった。あくまで俺の場合な。
一つ目は、いずれ廃れる表現なのが分かりきっているから。どうせ数年後には「ナウなヤングにバカウケ」くらいの陳腐な表現に成り下がってしまう。今「~~とか言ってみるテスト」とか言っても「何言ってんだこいつ」以上の反応は期待できないだろ。それがすげぇ嫌なんだよ。今現在のこの瞬間を切り取ったドラマであるのかも知れないけど、「あぁ、今だけ受ければそれでいいんだな。数年後に作品を残すことは考えてないんだな」って思いの方が先にくる。作品を食い散らかすこと前提で作ってるのかな、と思う。それに、その作品が優れていればいるほど、スラングの古さが気になって評価を落としてしまうだろう。もちろん、その時代を表現する描写ということはわかるんだが…。
二つ目は、否が応にも現実世界を意識させられるから。俺は作品を鑑賞するとき、前のめりに作品世界に浸りきりたい。その世界の中で本当に人が生活しているのだというファンタジーを噛み締めたい。だから凝った設定をうまく背景にして展開する物語が大好きで、「なぜこのキャラクターはこの服装なのか」「どういう文化なのか」という点が自然と理解できるような作品が好きだ。現実世界を舞台にした作品でもそれは変わらない。しかしそこでネットスラングやネット描写がでてくると、一気に「こっち側」に引き戻されてしまう。ネット描写はどうしても第三者の目線を意識させる。しかもネット描写がうまい作品があんまりない。何ていうか、ネットがありありと描写される事で「その作品の世界観の中の出来事」が現実世界と地続きであることを意識させるというか。あるいは、「不気味の谷」みたいなもので、わざとらしく描写されたネットの様子というのがどうにもかたはらいたきことに見えてしまうのかもしれない。
ちなみに、洋画のなかでfacebookの描写が出てくるのは全く問題なく見れてしまったりする。これはきっと、外国のfacebookは日本のfacebookとは違う場所にあるのだという意識があるのかもしれない。作品の舞台が地元でもとくにかたはらいたくならないのと同じかな。あと、基本的に日本で公開される洋画の演出は優れていることが多いからというのもあるだろう。
子供が通う幼稚園の生活発表会に行ってきた。園児がこの日のために一生懸命練習した歌や踊りを保護者に披露するのだ。ここの幼稚園は園児数が多く、市で一番大きなホールを借り切って行う。
自分の子供の出番はそれはそれは楽しいもので、涙さえこぼれそうになるほど感動的なのだが、他人の子の舞台は正直苦痛でしかない。
合計3時間の会で自分子供が出るのが姉妹合わせて30分ぐらい。残りの2時間半は、他人の子。ホント辛い。どうも感情的にフラットではなく、マイナス側に振れるようだ。去年もそうだった。
終わった後、知り合いのお母さんに、「○○ちゃん(うちの子)上手やったねー!」といわれても、こっちは相手の子がいつ出てたのかさえ知らないもんだから、あははは。と言うしかなくて、ちょっと気まずい思いをした。
人の親としてどうなのよ。と自分でも思うが、実際そうだから仕方がない。
いったいなぜなのか?ちょっと考えてみた。
まず、全く興味のないものを強制的に観せられるのは苦痛。というのは誰もが思う事だろう。
では、なぜ全く興味が無いのか。
切り分けたいのが、これが例えば大物演出家が園側にいて、エンターテイメントとして完成されたものであれば、それは誰が出ていても楽しいだろう。当然だ。
でも実際は知らない子供が歌ってるだけだ。お父さんお母さんに見せるため一生懸命練習したんだろう。でも他人の子というだけで全く響いてこない。自分はこんなに冷酷な人間だったのか?
そして、長い。ひとつの演目で長いものだと30分とかだ。こういう事はこの会の趣旨として違うとは思うし、求めてもいけないとも思うのだが、もう少しテンポよくやって欲しい。
ひとつ、ホールでやっているのも原因なのかもしれない。舞台と客席。上で書いたように観る側はつい自然と興味や楽しさを求めてしまうのではないか。
いったい誰の子なら楽しいと思えるのか。友人、兄弟、会社の人の子ならどうか。
わからない。
他の方はどうなんだろう。特に父親の方に聞いてみたい。
このアルバムはすごい名盤だってものすごく語りたいです。音楽にうるさい方々にも積極的に聴いていただきたいなと思う次第です。
でも、こういうのをあまりべた褒めするのって結構怖いですね。音楽の好みは人それぞれですし。
自分が最高!って思ってても世間的には全くそんなことないなんてことは本当によくあります。妙に褒めると反発をくらいかねないです。
実際、音楽雑誌とかの「2015年ベストアルバム特集」をぱらぱら読んでみても全然話題に出てなかったので。まあそんなもんです。自分の視野が狭いだけです。
とはいえ、それなりに注目されて評価されてるのかなってのはなんとなく勝手に思っていたので、年間ベストに入ってなくてちょっとがっかりしました。
だから自分で語ろうかな、と思い至るわけですが、やっぱり、ハマってしまったあまりに冷静さを失った文章になる気がするので、書いて叩かれるのが少し怖いところはあります。
花澤香菜とは、声優です。人気若手女性声優です。名前くらいは聞いたことがある人が多いと思いますし、検索したほうが理解は早いです。
声優の中ではアニメの出演数がトップクラスに多いです。1年間に何十本も出ていたりします。最近は少し落ち着いてきましたけどね。
特徴は、ウィスパーボイスというか、天使のようにかわいらしい声ですね。ヒロインボイスです。個人的には少し荒げた演技も好きですが。
声に含まれる倍音成分がものすごく豊富らしいです。科学的に実証されてるらしいです。
声優なので、当然ソロで歌手デビューする前からキャラソンとか歌っていました。化物語の「恋愛サーキュレーション」という曲がレジェンド級に有名です。
あと、セキレイという作品のライブで歌った時の歌い方がネタにされてて、わりと音痴っぽい扱いを受けてました。
そして、2012年に満を持してソロ歌手デビューをするわけですが、みんな歌の方は割と心配してました。
私も深夜アニメはよく見ていて花澤香菜さんのことは当然知っていましたが、当時は特別好きというわけでもありませんでした。
しかし、プロデュースするのがROUND TABLEの北川勝利だというニュースを聞いてにわかに興味が湧いたのを覚えています。
ROUND TABLE、及びfeaturing Ninoは好きで聴いていましたし、声質との相性も良さそうだということで、けっこう期待していました。
その後2013年に1stアルバム「claire」がリリースされたのですが、確かに名盤でした。
北川さんをはじめ、中塚武、神前暁、カジヒデキ、宮川弾、矢野博康、沖井礼二などなど、渋谷系の流れを汲むポップス好きにとってはたまらない作家陣で、花澤さんにぴったりの歌を作ってくれました。
花澤さんも声優らしく表現力豊かに歌いこなしていて素晴らしかった。「マダダーレモー」とはなんだったのか。たぶん自分の歌い方ってのを少しずつわかっていったんでしょうね。
1年後の2014年には25歳の誕生日を迎えることにちなんで25曲入りのアルバム「25」をリリースしました。ものすごいハイペースです。
この2ndアルバムでは岩里祐穂さんを作詞に迎え、花澤さんと意見を交わしつつパーソナルな部分を反映させた曲作りをしています。
そのうえで、25曲という多さを生かして幅広いジャンルの曲に挑戦していきました。
そんなこんなで、アニメやらレコーディングやらライブやらで多忙を極めた後に迎えたソロ活動3rdシーズンの集大成が「Blue avenue」になるわけです。
Blue Avenueがリリースされるまでに、3つの先行シングルが発売されました。
しかし、この3曲を聴いて「このアルバムってこんな感じか」と思ってはいけません。
むしろ、この3曲がアルバムの中で最もコンセプトから外れている曲といっても過言ではないでしょう。
では、このアルバムはどんなコンセプトで制作されたのでしょうか?
「Blue Avenue」のコンセプトは一言でいえば「ニューヨーク」です。
テーマがニューヨークになった経緯はインタビューで話されています。
──今作のテーマは「ニューヨーク」とのことですが、なぜこのテーマを?
ニューヨークはわりと後付けなんです。アコースティックライブの「かなまつり」みたいな少人数でのライブを何度か経験して、少ない音と声で作り上げる空気感っていいなと思っていて。
3rdアルバムの方向性を考えているときに、「あの自由に音楽を楽しむ感じを生かすなら、ジャズをやってみるのもいいんじゃない?」って意見が上がったんです。
その中でニューヨークというキーワードが浮かび上がって。ジャズの街でもあるし、ほかの新しい音楽に挑戦するのにも「ニューヨーク」をテーマにすれば統一感のある作品になるんじゃない?って。
ジャズ、AOR、フュージョン、レゲエなど、これまでのアルバムと比べると「大人」な雰囲気を持った曲が多めのアルバムになっています。
そして、ニューヨークといっても70~80年代くらいのニューヨークのイメージという感じがします。
それはSwing Out Sisterが参加してるのもあるかもしれませんね。
詳しい方ならば、楽曲のクレジットを見ればこのアルバムがどういったアルバムなのかがわかるかもしれませんね。
ということで曲目・スタッフリストを載せたいのですが、長いので記事の末尾に載せました。
こういうのをあまり主張するのもどうかと思うんですが、参加しているミュージシャンが豪華です。
クレジットを見ていただければわかるように、今までのアルバムでおなじみの作家陣に加え、シングル曲ではSTUDIO APARTMENTややくしまるえつこがサウンドプロデュースをしたり、2つのニューヨークレコーディング曲においてウィル・リーやスティーヴ・ジョーダンなどの海外のスタジオミュージシャンの参加、80年代から活躍するイギリスのユニット・スウィングアウトシスター提供曲など、一流の人たちがたくさん参加しています。
まあ、極端な話、名前は知らなくてもいいと思うんですけどね。聴けばわかりますから。「I ♥ NEY DAY!」「Nobody Knows」での軽快なドラムが気持ち良いなあとか、「Dream A Dream」の洋楽っぽい感じがすごい良いとか。ここでいう洋楽っぽいってのは英語圏の歌っぽいなあっていう意味ですね。洋楽の日本語カバーみたいな雰囲気がありますね。それもまた味。そして、セリフのパートがあって、もしかして本業が声優であることを意識して作ってくれたのかなとか想像してみたり。
おなじみの作家陣もすごい良い仕事をしてくれています。というかキレキレです。特に矢野博康作曲「We Are So in Love」が光ってますね。4つ打ちのフュージョンで、イントロからもうたまらないです。シンバルズの頃から思っていたんですが、矢野さんは王道のポップソングもいいんですけど少し趣味に走った感じの曲を書くと時々とんでもない名曲を生み出しますね。
一つだけ主張しておきたいのは、みんな決して無駄遣いではないということですね。すべてが良い方向に結びついています。
「ニューヨーク」というコンセプトがあって非常に統一感があるのが素晴らしいです。
最初に「シングル曲がコンセプトから外れている=ニューヨークっぽくない」と言っておいてなんなんだ、と思われるかもしれませんが、このアルバムの面白いところは3つのシングル曲が違和感なく自然に収まっているところなんですね。
バラードの「君がいなくちゃだめなんだ」が終盤に入ることでアルバムがよりドラマチックになっています。そこから最後の曲「Blue Avenueを探して」に続くのがもう最高ですね。西寺郷太さんの歌詞がいいんですよ。
クラブミュージックの「ほほ笑みモード」ややくしまるえつこさんの個性が色濃く出ている「こきゅうとす」も、意外なくらい自然に入ってるんですよね。それは曲順が考えられているのもあるんですが、「ほほ笑みモード」がアルバム用ミックスになっていたりなど、音づくりにこだわっているからというのもあるのでしょう。後述しますが、このアルバムは音が良いです。
アルバムとして非常によくまとまっていて、通して聴いた後の余韻が良い感じです。
NYで録音した2曲は際立って音が良いんですけど、それに劣らず全体的に非常に高いクオリティの音づくりがされています。花澤さんのアルバムは1stの頃から一貫してソニーの茅根裕司氏がマスタリングエンジニアを務めていて、常にクオリティが高かったんですが、今回は最高の出来栄えなのではないでしょうか。オーディオに詳しいわけではないので断言はできないですけど。
シングル曲が違和感なく収まっているのもマスタリングによるところが大きいのでしょうか。詳しくはわかりませんが、ぜひ良いヘッドホンでじっくり聴いてほしいと思えるくらい良い音です。
ニューヨークっぽいということでAORとかフュージョンを取り入れた、と聞いても正直ピンとこない人が多いんじゃないかと思います。AORってどんな音楽かを説明できる人って実はそんなに多くないのではないかと。結構マニアックなところを突いてきてると思います(そんなことないよ、常識だよとお思いの方もいるでしょうが)。
でも、そういうジャンルとか全く分からなくても「良いな」と思えるようなアルバムになっているのではないかと思うのです。それは曲自体がそう作られているというのもあるかもしれないんですけど、やはり花澤香菜が歌うということでポップスとして完成されるというか、そこに花澤さんの歌のすごさがあるのではないかと思っています。
3rdアルバムを出すまでの3年間で60曲以上のオリジナル楽曲を歌い、ライブも精力的にこなしてきたからこそその次元に達しているというか、こういう曲を楽しみながらポップスとして歌える筋力がついたのではないかなと思うのです。それこそ「25」あたりの頃の怒涛のスケジュールが千本ノックのように効いてるのかもしれないですね。
1stの頃は作家の作る曲を最大限に活かすために歌うという感じ、それこそ声優としてディレクションに応えるような感じで歌っていたように思うのですが、「Blue Avenue」ではコンセプトの発端が花澤さんの意見であることからも、ちゃんと歌手になってきてるのだなと感じます。
当然ですが、豪華なメンツに霞むこともなく、曲に負けているだとか歌わされてるだとかいう印象を全く受けません。むしろ北川さんも他の作家さんも花澤さんをプロデュースすることで新しい扉を開けているような感じさえします。インスピレーションを与える「ミューズ」なのかもしれませんね。
私が花澤さんのアルバムの中で際立ってこれを好きなのは、花澤さんと作家陣が一緒になって制作している感じを受けるからなのかもしれません。化学反応が起きているのをひしひしと感じます。
また、花澤さんは1stの頃から自作詞曲を歌っているのですが、今回も2曲作詞していて、ちょっと詞もこなれてきたというか、アーティストとしての一面が出てきたような感じがします。
「タップダンスの音が聴こえてきたら」では音楽に身を委ねることの喜びをシンプルに書いていて、歌を楽しめている感じが伝わってきます。
タップダンスの音が 聴こえてきたら
軽やかなそのリズムに 身をまかせて踊るの
今はいらない ふみならそう 夢中になるだけさ
一方、「プール」では暗い部分を歌っている感じで、こういうのがあるとなんというか、深みが増しますよね。
花澤さんは詞を書くと少し重たい感じになってしまうみたいで、それもまた個性というか、人気声優としてバリバリ活躍している彼女の影の部分が垣間見れるようで、イイですよね。
どうやって喋ってたかな
ねえ どうやって眠ってたかな
どうやって歩いてたかな
ねえ どうやって 笑ってたのかな
わからない 思い出せないの
もしかしたらここまで惚れ込んでいる理由はライブを見たからなのかもしれません。花澤香菜の歌の魅力の真骨頂はライブにあるのかもしれません。
武道館公演の映像を収録した「Live Avenue Kana Hanazawa in Budokan」というBDが発売されているのですが、アコースティックライブの映像も収録されていまして、他にも素晴らしい映像特典もありまして、とても素晴らしい商品です。
花澤さんの歌って生演奏にすごく合うんですよね。地上波で「こきゅうとす」を披露したこともあるんですけど、それとは全然違いますね。ライブの「こきゅうとす」すごく良いです。
武道館ライブではバックバンドの通称「ディスティネーションズ」にホーンも加わって、とても豪華なものになっています。
一番の見どころはジェームス・ブラウンの「Get Up (Sex Machine)」(ゲロッパ)に合わせて花澤さんが好きなパンの名前を叫ぶというパフォーマンス(メロンパン!メロメロ!)。冷静に考えるとすごくくだらないシャレなんですが、演奏がガチであることと、みんなすごく楽しげな様子が印象的で、とても幸せな空間が出来上がってるなあと感じました。
あと、花澤さんのパフォーマンスがいちいちかわいらしいんですよね。「Merry Go Round」の振り付けとか。
そして、アコースティックライブが素晴らしいんです。花澤さんの生歌ってこんなに良いものなのか、とため息が出ますよ。本当に、歌がヘタであるような扱いをされていたのが嘘みたいです。声量は確かにそんなにないのですが、歌の細かい表情付けがたまらなく上手いです。ピアノとギターだけの少ない音だと余計に際立ちますね。
誰にと言われれば万人に、と言いたくもなるんですけども。
最近、星野源やらceroやらで、ブラックミュージックとかシティポップとかそういう言葉がよく聞かれるようになったんですけど、このアルバムもそれと同じ文脈で語ることができるのではと思います。
「シティポップ」ってもはや言葉が独り歩きしだしてよく分からない感じなんですけど、街のことを歌うのがシティポップだとするなら「Blue Avenue」も十分当てはまりますよね。
また、北川勝利さんをはじめとした作家陣は、最近再評価の流れがある気がする「渋谷系」や、最近流行り気味の新しい「シティポップ」の世代の狭間にいる人たちなんですよね。どちらも独り歩きしてあやふやな状態にある言葉ですけど。
良質な音楽を作ってきながらも長らく日の目を見なかった人たちがこうやって素晴らしいものを作り上げてくれている、というのも感慨深いものはありますね。
そして、70~80年代のニューヨークイメージってことで、けっこうオッサン向けなのかもしれません。……年間ベストに入らなかったのは革新性がないと思われたからなのかも。私は花澤香菜さんが歌うだけで十分新しいと思うんですけど。
というわけで、以上、Blue Avenueについてでした。
花澤香菜「Blue Avenue」インタビュー - 音楽ナタリー Power Push
http://natalie.mu/music/news/111594
花澤香菜×北川勝利が明かす、“極上のポップソング”の作り方「人生と音楽がより密接になってきた」|Real Sound|リアルサウンド
http://realsound.jp/2015/04/post-3000.html
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : 北川勝利 ホーンアレンジ : 村田陽一
Bass : Will Lee
Drums : Steve Jordan
Electric Guitar : David Spinozza
Piano, Organ : Rob Mounsey
Trumpet : Jeff Kievit
Trombone : Mike Davis
Saxophone : Andy Snitzer
Conga, Tambourine : 三沢またろう
Electric Guitar : 山之内俊夫(流線形)
Wind Chime, Chorus : 北川勝利(ROUND TABLE)
Chorus : acane_madder
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : STUDIO APARTMENT
Guitar : 堀越雄輔
Vocal Direction : 北川勝利(ROUND TABLE)
Sound produced by STUDIO APARTMENT
作詞 : 岩里祐穂 作曲 : 北川勝利 編曲 : 北園みなみ、北川勝利
Bass : Will Lee
Drums : Steve Jordan
Electric Guitar : David Spinozza
Piano, Organ : Rob Mounsey
Trumpet : Jeff Kievit
Trombone : Mike Davis
Saxophone : Andy Snitzer
Conga, Tambourine : 三沢またろう
Wuritzer, Claviniet, Analog Synthesizer : 北園みなみ
appears courtesy of Polystar Co.,Ltd.)
Wind Chime, Shaker : 北川勝利(ROUND TABLE)
Chorus : acane_madder
作詞・作曲・編曲 : 宮川弾
Programming, Clarinet, Saxophone, Chorus : 宮川弾
Guitar : 後藤秀人
Chorus : acane_madder
作詞 : 岩里祐穂 作曲・編曲 : mito
Drums : 千住宗臣
Guitar : Saigenji Permalink | 記事への反応(0) | 15:20
○朝食:焼きそば
○調子
久々にゲームに熱中できて、良い感じです。
木曜日と金曜日もお仕事ですが、真ん中にお休みがあるのは、少し楽ですね。
頑張るぞいや。
○Halo5
面白かった。
そりゃあ面白かった。
いつまでたっても改良しない盾と、長距離からのスナイプが特徴的なジャッカル
特徴的なステップとシールドを割るまでヘッドショットが効かないエリート
彼らと戦うというゲーム制自体が楽しいんだから、そりゃ面白いんだよ。
ゲーム性は正当進化って感じで、現行世代機一発目にふさわしい出来だったと思います。
ただ、ストーリーがなあ。
はっきり言ってよくわからないなあ、ナイトフォールやHalo2Aのムービーでさんざん焦らされてようやくプレイアブルキャラになったのに、いまいち好きになれなかった。
というか、嫌いにもなれなかった、マスターチーフが基本的に無口な無個性キャラなんだから、もっと個性を押し出して
台詞や演技を多くとってもらわないとなあって感じ。
最終ミッションで唐突にコルタナがファイアチームオシリスのメンバーの過去を語るのも唐突な感じ。
時間がなかったにしても、Halo:Reachの「リーチは俺の故郷なんだ、恩返ししないとな」みたいに、特徴的な台詞一つでキャラは立つはず。
5作目にして登場する新キャラなんだから、もっとキャラ立ちを意識して欲しかったなあ。
肝心のマスターチーフとコルタナのお話も、しっくりこなかった、というか
まだ始まってすらいない感じ。
あと、シナリオが完全に途中で終わってるところはきつかったなあ。
今回よかった点は
チーフが「博士が俺にしたようにか?」と自分の生まれに言及したところ。
これはよかった。
Haloシリーズの根底にある滅茶苦茶暗い設定と比較することで、コルタナのしようとしていることが如何に悪いことなのかがわかる。
これは単純に可愛い。
まあでも、Halo2もシナリオぶった切りだったし、アービターのキャラ立ち微妙だったけど、
Halo3でシナリオも完結したし、アービターも好きになれたわけだし。
Halo6に期待って感じかなあ。
ストーリーや探索要素まで導入する「PvZ Garden Warfare 2」“Backyard Battleground”エリアのゲームプレイ映像がお披露目
http://doope.jp/2015/1249714.html
最初はこじんまりとしたタワーディフェンスゲーだったんだけど、
どんどん肥大化していってるなあ。
でも、楽しそうだから、2までに1をやっておきたいなあ。
この記事は Competitive Programming (その2) Advent Calendar 2015の12月20日の分です.12月19日はhadroriさんの競技プログラマー入門者用単語集,12月21日はroiti46さんです.
皆さんこんばんは.Mです.Advent Calendarを書くのは初めてなのでドキドキしていますが,どうぞよろしくおねがいします.普段あまり記事を書かないので anond を使わせてもらっています.
ここでは,ちょっと役立つ小ネタとして,今年書いたコードを1つ紹介します.「ビット行列を高速に乗算するコード」です.ごく簡単なコードですが定数倍効率化効果が大きいので嘘解法に使えます.
要素がブール値(True/False)であるような行列をビット行列と呼ぶことにします.このような行列に対する演算(特に乗算)はアルゴリズム理論ではよく出てきます.最も有名な例はグラフの推移包閉(各点から行ける点を全部求める)です;行列 A をグラフの隣接行列とし,和をbit-or, 積をbit-and で定義すると,行列のべき乗和「A^0 + A^1 + ... + A^{n-1}」の (i,j) 要素が True であることと,j から i に到達可能であることが同値になります.なお,このべき乗和は (I + A)^{n-1} と等しいので,高速べき乗で一発で求めることが可能です.グラフの推移包閉を求める現在(理論的に)最速の手法はこのアプローチに基づいており,計算量 O(n^\omega / log n) を達成します.O(n^\omega) は行列乗算の計算量で,現時点では \omega = 2.3728639... が最良です(Francois 2014).また,log n は Method of Four Russians と呼ばれるビット演算を高速化する一般的なテクニックで,サイズ log n までの演算結果を全部ハッシュに突っ込んでおくものです.
さて,この Method of Four Russian というテクニックは,実際に実装してもあまり早くないことが知られています(テーブル引きが遅い・単純なループが早い).ただし「いくつかのビットをブロック単位で計算する」というアイデアは実用的にも有用です.ブロック単位の演算をビット演算で実装できるとき,そのアルゴリズムは「ビットパラレルアルゴリズム」と呼ばれています.編集距離などの例が有名です.
ここでは,ビット行列に対するビットパラレル行列乗算を実装してみました.
A^n を計算するプログラムを書きました.実測結果を以下に示します.MacBook Pro; 2.8GHz Intel Core i7; 16GB 1600 MHz DDR3; g++ -std=c++11 -O3.実装は http://ideone.com/8AsuI2 にあります.
n | 提案手法[s] | 通常手法[s] |
---|---|---|
16 | 0.000014 | 0.000082 |
32 | 0.000025 | 0.000602 |
64 | 0.000074 | 0.004485 |
128 | 0.000440 | 0.036760 |
256 | 0.002757 | 0.311192 |
512 | 0.020163 | 2.847787 |
1024 | 0.200556 | 24.648609 |
2048 | 1.567657 | 205.503351 |
4096 | 13.894987 | --- |
8196 | 124.414617 | --- |
それなりに大きな n について 120倍くらい高速化しました.これだけ差があると嘘解法が通るようになります.
ビット行列を 8×8 のブロックに分割し,それぞれを unsigned long long (64bit) 1つで保存します.64が平方数というのが美しいですね.全体の乗算は8×8ブロックの乗算を普通に行えばよいので,結局 unsigned long longで表現された2つの8×8行列の積を考えれば十分です.
ここでは8×8行列の積を外積形式で実装します.外積形式というのは C = A B という積を C = (Aの1列目×Bの1行目) + ... + (Aのn列目×Bのn行目) という外積の和の形で表現するものです.各外積は,すべての列がAのk列目と等しい8×8行列とすべての行がBのk行目と等しい8×8行列の bit andに等しいので,Aからすべての列がAのk列目と等しい行列を作る方法とBからすべての行がBのk行目に等しい行列を作る方法を考えれば十分ですが,これはビットマスクして定数乗算すれば実装できます.
このコードはとある問題に対する嘘解法用に作成したものですが,結局普通のほうでも通るようになってしまったので,オフィシャルにお披露目する機会がありませんでした.
筋肉には速筋と遅筋がある.
速筋は瞬発的に力を出すために必要な筋肉.重量挙げは速筋が必要だ.
遅筋は持久力を引き出すために筋肉.マラソン選手は遅筋が必要になる.
で,最近分かったのは心にも速筋と遅筋があるということだ.
上司に怒られてケロっとしているやつは速筋が発達しているマッチョマン.
少しダメ出しされただけで泣いちゃうやつはガリガリ野郎って感じだ.
問題なのは本当の筋肉と違って心の方は他の人から見えないから,
ガリガリ野郎に対して重量挙げのような高負荷な仕事をさせてしまう上司が結構いる.
そして速筋が少ない人間に負荷の高いことをさせると命にかかわる.
「慣れれば鍛えられる」
心当たりがある人は今度から相手の速筋量を考えて仕事を任せるようにした方がいいと思う.
「あの人,いつもニコニコしてるね」っていう人はマラソンランナー.
「あの人,沸点低いね」っていう人は汗だくのデブ男って感じだ.
遅筋が強い人は単純に怒らないから遅筋が多いということがすぐに分かる.
ただ,限界量はやっぱり分からないし,本人にも分かってないのでストレスが限界量を超えると大変なことになることが多い.
マラソン選手がいきなり疲労骨折して現役引退,みたいなことが割と起こる.
ちなみに遅筋が少ない人間はすぐにストレス発散に走るため,大体が周りにグチグチ言ったりすぐ怒ったりするのでやっぱりすぐ分かる.
この2つの軸を直交していると見做して,各象限にプロットすると人間は4種類に分けられる.
1.速筋が少なく,遅筋も少ない(ヒキニート)
当たり前だがヒキニートは社会ではあまり見かけることがなく,ほぼ仕事することができない.
学校や家庭でも少しのことですぐに怒ってすぐにギャーギャーと騒ぎ立てるので,大体が腫れ物扱い.
とはいえ,対人関係以外の世界に籠もりがちなので研究者や芸術家に多い.あと,アイドルにはまる.
ガミガミ怒られても特になんとも感じていないが,ストレス発散の飲み会を開いてあげないとだんだん機嫌が悪くなる.
飲み会の場ではいろいろ愚痴を言うが,実は本人は大してストレスを感じていないのでおもしろおかしく自虐ネタとして披露する.
上司になるとどーでもいいようなことをネチネチとイヤミを言ってストレス発散している.
突然仕事を辞めたりする.
なんとなく,営業に多いように思う.
3.速筋が少なく,遅筋が多い(ガリランナー)
怒られたりしたら凹んだり泣いたりするが,「あれは私が悪い」みたいな感じで次の日には平然としてる.
ストレス発散とかに興味がないので,飲みに誘っても乗ってこないし意味不明な趣味を持ってたりする.
いきなり疲労骨折するかのように長期休養したりもする.
怒られてもケロっとしてるし,次の日にも平然としている.
「ポジティブに行こうぜ!」みたいなことを常日頃口にしている.
要するにただの馬鹿.ネジが外れてるっていうよりそもそもネジ穴が無い.
他人も自分と同じだと思ってるらしく,「考え方を変えれば人間は変わる」という当たり前のことを蕩々と諭してくる.
仕事は賃金で選んでいるので,他に良い仕事が見つかればすぐに辞めるし,大抵の仕事は辞めない.
割とおおざっぱな分類だが当たってるだろうか.
少なくとも自分の周辺は大体これで4分類出来た.
まぁ,速筋と遅筋を意識する目的は職種にあった筋肉を鍛えるためだ.マラソンランナーを目指すのに速筋を鍛えてもあんまり意味が無い.
フュリオサが男だったなら、今程度のものでは済まなかったのだろうなと思います。
フュリオサを男ヒロイン認定して所構わず自己解釈を披露する腐女子で溢れ、
映画のフュリオサの強い部分はスルーしたまに見せたメンタルの弱い部分ばかりを拡大解釈して
マックスに救われる和製英語としての「ヒロイン」に押し込めようという解釈が大手を揮う事になったに違いない。
亡き妻を忘れないマックスが否定され、フュリオサを置いて去ったマックスが薄情ものと叩かれる事になったかもしれない。
それに反論する側は何故か同性愛者差別者扱いされ、自由な意見が言えなくなったに違いない。考えるだけで怖いよ!うわぁ!
あるいはマックスが女だったとしても、「この二人の百合は公式だ」という声が大きくなり、そういう関係でないありのままの映画の二人を愛するファンは少数派になったのでは。
「我々はホログラムの世界に生きているのではない」ということが明らかに - GIGAZINE
シミュレーション仮説ってのは「この世界はコンピュータじゃないか」と哲学者さんが勝手に言っている話や。物理は関係ない。
という数学的な予想や。
みたいな奴やな。
予想と言っても部分的には証明されていて、今でも数々の証拠があがって来とるわけで
多くの人が信じていると思うで。
ブラックホールや原子核や物性理論を弦理論ないし超重力理論で研究できるようになったんやからこれはすごいこっちゃ。
とにかく、物理屋さんはでまかせ言ってるわけやなくて、いろいろ計算しとるわけやな。角度とか。
おっちゃん素人だから読めんのだけど、重力の量子効果を観測しようとした話に見えるよ。
話を進める前に、まず現状の物理理論についておさらいしとこか。
まず、この世界には「電磁気力」「弱い力」「強い力」「重力」の4つの力がある。
これら4つを統一した究極理論があると物理屋さんたちは考えている訳や。
「電磁気力+弱い力」ここまでは出来とる。
数年前にヒッグス粒子発見で大騒ぎになったやろ? あれが「電弱統一理論」完成の瞬間だったんや。
次は「電磁気力+弱い力+強い力」やな。候補となる理論はいろいろできてて、LHCで超対称性粒子ってやつを探しとる。
ここまで物理屋さんの使ってきた理論を「場の理論(=特殊相対論+量子力学)」つうんやけど、
場の理論で重力理論を作ってみるとするな。簡単のため世界をドット絵のように細かく区切って理論を作ろ(格子正則化や)。ここまでは簡単なんや。
ここで、ドットの1辺をずーっと小さくしていって連続極限をとると理論が破綻してしまうんよ。無限大が出て来て取り扱えなくなってしまうのな。
頭のいい人たちがいろいろ考えたんやけどな、ずっと難航しとるんや。
連続極限で理論つくるからだめなんよループで考えましょってやつな。難しすぎて論文出せない絶滅危惧種や
もう一歩進めてこの世は連続的じゃないんや! 結晶構造みたいに分割されているんや! ってやつやな。
こっちも難しすぎて絶滅危惧種や
超対称性導入して無限大キャンセルさせるやつや。難しすぎて絶滅危惧種になるかと思いきや、
ホログラフィック原理でいろんな理論との対応が見つかって今めっちゃ輝いとるな! すごいこっちゃな
ほんなこんなで超難しいんよ。手を出すと死ぬねんで。
難しい原因のひとつは実験結果がないことやな。重力の量子効果をみるにはプランクスケール (10^19 GeV)程度の実験が出来れば 良いのやけれど、
加速器で作ろうとすると銀河系サイズらしいな。こいつは無理や。
こんなんやで「インターステラー」ではブラックホールまで直接観測に行ったわけやな。
そんで、ホーガンさんの研究はな、「主人公、ブラックホールまで行かなくてよかったんちゃう?」って内容なんや。
地球上で実験できるらしいのな。使うのは加速器じゃなくて重力波検出装置や。最近 KAGRA が話題になっとったな。ああいうやつや。
乱暴に言うとな、ながーーーーーいアレを用意してその長さをはかるんや。時空が歪めば長さがかわるっつうわけや。アレというのはマイケルソンレーザー干渉計な。
でもな、おじさんみたいな素人に言わせればな、さすがにプランク長まで測定できんのとちゃう? 重力の量子効果なんて見えんの?と思うところや。
どうもホーガンさんはある模型でこのへん計算してみたようなんよ。それで意外といけるのとちゃうのと。
そんでGIGAZINEさんによると実験してみた結果それっぽいスペクトラムは出て一度喜んだのやけれども、
おっさん、素人のブタやから間違っとるかもわからんけどこの辺で堪忍な。
仮に、仮にな? この世界がPCの中でシミュレーションだったとするな。
そうすると、物理屋さんはそのコンピュータ言語を黙々と調べて、本物と同じコードを黙々と書くわけや。
物理屋さんの目的はあくまでこの世の全てを記述する理論を作る事なんやな。それを誰が書いたかは興味ないんや。
上のはたとえ話やけれど、コンピュータ言語を数学に置き換えるとそれっぽい話になるな。
これはゼータ関数(n=-1)
を使って導いた結果や。こんな調子で数学的要請から理論が決まっているんよ。
この世の全てを決めているのが数学なら、数学を作ったのは誰か?っつう話やな。
おっさんは数学者さんだとおもってるけどね。数学者さんが神や。
でも数学者さんは「俺が作ったのではなく自然にあった物を発見したのだ!おお!なぜ数学はこんなにも物理に役たつのか?!」
などと言い始めることがあるからね。わかんないね。おっさん興味ないけど。
ustam: ここは匿名でウンコの話をする場所やで。せめて仮想グルーウンコの話でもしてたらどうや? ところで重力は距離に反比例するのに距離が0でも無限大にならんのなんでや? 数学で証明できてないんちゃうん?
実験でニュートンの逆2乗則が確かめられているのは r = 1[mm] 程度なんやな。
不思議なのは4つの力の中で重力だけ異常に小さいというところや。
これを説明する模型が「この世界は高次元空間にあって、重力だけが高次元を伝播する」というやつなんや。
ここで図入りでわかりやすく説明されとるんでもっと知りたい人はそっち読んでな。
で、この模型を検証しているのが LHC やな。マイクロブラックホールの実験って聞いた事あるやろうか?
シュタゲの元ネタや。オカリンはタイムマシン作っとったがこっちは余剰次元(高次元)の確認や。
ところがな、外国のマスコミさんが「LHCのブラックホールで世界滅亡」と騒いだんやな。
そんですんごいデモが発生したもんで加速器の皆さんみんな大変だったんや。
おっさんからみんなにお願いがあるんやけどな。もしマスコミさんが「マイクロブラックホール」の報道をしていたら余剰次元の実験が成功したんやなと心の中で置き換えて欲しいんや。別に危ない事してへんからね。
まあ、おっさんはLHC 程度じゃまだ見つからんとおもっとるけどね。
あとこの手の模型を作った人の1人が美しすぎる物理屋こと リサ・ランドール な。
おっさん好みのべっぴんさんや。知らない人は画像検索してみるとええで。
feita: 違う。ロースおじさんはまず最初全く関係ないネタで脱線するの。でその後何故か急に博識ぶりを披露しだして、で最後にまた脱線するの。はいわかったらこのリズムでもう一度(鬼畜)
なん・・・やと・・ 「グーペおじさん」じゃなくて「ロースおじさん」やったんか・・おっさん素で間違ってたわ。
kitayama: 小4が出てこないので、やり直し
様々な意見が流れる中で、「巨乳差別だ」とか「巨乳は社会的に正しくないのか?」といった主張を目にした。
どうも、あのポスターに描かれている女の子が豊かな胸元を露わにしており、そのイラストを非難することは巨乳は公の場に出るなという主張や、露出度の高い服装をする自由の否定に繋がると言いたいようだ、と理解した。
それらの発言をする人々が巨乳差別を真実懸念しているのであれば参考になるかもしれないので、書いてみる。
巨乳当事者の一人としての経験や見聞から、服装や振る舞いの自由に強く抑圧的に働くのは、性的なからかいや侮蔑、相手の人間性に遠慮のない言動だと思う。
普通に立ってるだけで「そんなにおっぱい突き出して…」とニヤニヤしながら言うとか、体育の授業中に胸を眺めてひそひそカップ当て競争するとか、制服着てたら「ブラウスがはち切れそうで可哀想」とか。名前ではなく「あの巨乳ちゃん」と呼んだりとか、胸元しか写ってない写真を隠し撮りして回覧するとか、スピーチ後の匿名感想アンケートに「いいチチしてますね」と書いて来るとか。「おっぱい大きい人って脳みそが胸に取られたんでしょ?」と都市伝説を得々と披露するとか、いきなり触ってきて笑いながら逃げるとか。
そういう言動が辛いから、胸が目立つおそれのあることを避ける。猫背になる、だぼだぼの服やミニマイザー(乳房を小さく見せるブラ)しか着られなくなる、体育着や水着になるのが嫌で登校拒否する、人前に立つことを頑なに避ける、など。
そこにもし巨乳の女に対する無遠慮な視線の行動化をたしなめる人がいてくれたら、安心や感謝に尽きる。「巨乳が否定された」とは全く思わない。
生まれもった体型のせいで作業服の前ボタンが閉まらない女の子が恥ずかしそうな表情で困っている場面を嬉々として捉え、集客に使うような行為、
巨乳の女を感情や人格のある人間ではなく【巨乳キャラ】という物体として扱う態度が、巨乳を自由な服装や振る舞いから遠ざける。
この増田は萌え絵や二次元一般の規制に賛同する趣旨のものではない。
胸の大きな女の子が、谷間の見える格好で恥ずかしそうな表情をして(させられて)いる、
そういった場面を観光客誘致のためのポスターにすることへの批判が巨乳差別になるという主張について、
どういったことが巨乳の当事者に対しての抑圧になるかを書いた。
私も頭の中はいやらしいことでいっぱいだし、エロマンガも何冊も持ってる。
彼氏(仮名まさき)との出会いは大学一年の春だった。大学に馴染み始めてきた頃、お酒に弱いのにもかかわらず新歓パーティーかなんかで呑んでグデングデンになって、友人宅に男女でお邪魔した。気付いたら夢か現実かよくわからない狭間でまさきにキスをせがんでいたと思う。私の記憶が確かならば。その後、何度か遊ぶうちに彼に対して少しの恋心を抱くようになっていた。正直な話、その時私には別の彼氏がいてその彼氏のことは大して好きでは無かったから、面白半分でまさきの目の前でそいつのことをフルという、前代未聞のクズ女っぷりを披露してみせた。
そのときの女友達からのバッシングたるや思い出しただけでも身震い。自業自得と自身を罵るがいい。
その数週間後、友人を通して、まさきが自分のことを聞かされた。好きだということは知っていたが告白を自らすることをプライドが許さなかった(今思えばただのチキン)なのでとりあえず、彼の家にあがり込んで、ワンルーム6畳の小さな部屋のシングルベッドの上でキスをせがんだ。
キスを拒むまさき(なんとなく察してくれている方もいるかもしれないが本当に真面目で純粋な童貞なのですね)に寂しいと連呼して近づいたのに、告白されるタイミングを身を持って感じるとなんだか今更引き下がりたくなった、その感覚を今でも何故か覚えている。
結局、ゴミ女の私は適当にオッケーを出して、まぁ、少し好きだったっていうのもなくはないけれど。
実はその彼に私が結構な具合で珍しく本気にさせられて今もなお、長らく付き合っているが、色々あって別れる潮時かなぁと思ったので、付き合った頃の気持ちに戻ったらどんなものかとつらつら書いてみた。
和製ミュージカルアニメというと「練馬大根ブラザーズ」や劇場版クレヨンしんちゃんの同時上映短編「私のささやかな喜び -A motion for a long time.-」があり、最近であれば「スペース☆ダンディ」第17話が記憶に新しい。
しかし2015年秋、「ミュージカルアニメ」を公式に標榜するオリジナルアニメが同クールに2作品放映される事態が起こった。これら2作品は10月の初回放映時に最初からクライマックスといわんばかりに強烈な自己紹介ソングを披露し、多くの視聴者にその世界観を知らしめることになった。
これを受けてTwitter上や両者を配信する動画配信サイト上では「今期2大ミュージカルアニメの1本目、2本目」扱いや「\サティスファイッ/」、「イケメンエスカレーター」等の声だけでなく「○○が光のミュージカルアニメなら●●は闇のミュージカルアニメ」といった、両者の属性を対比する声があがった。
2作品ともややすると女性向けっぽい絵柄や雰囲気を醸し出しているのは共通しているが、乱暴な言い方をすれば「スタミュ」がドタバタ青春もの、「Dance with Devils」がダークファンタジーと、その作風は大いに異なる。
そこで、今のところ両者を楽しめている一視聴者がこの2作品の気になる共通点・相違点をざっくりまとめることにした。Wikipedia等からの引用あり。敬称略。
スタミュ | 比較項目 | Dance with Devils |
---|---|---|
2015/10/6 0:00- | 地上波最速放映日時 | 2015/10/7 23:30- |
ひなた凛 | 原案 | 岩崎大介 |
ハラダサヤカ | シリーズ構成 | 金春智子 |
C-Station | アニメーション制作 | ブレインズ・ベース |
Ken Arai | 音楽 | Elements Garden(藤田淳平、Evan Call) |
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン | 音楽制作 | DIVE II entertainment |
漫画、Webラジオ(音泉) | メディア展開 | 漫画、ゲーム、リアルミュージカル、Webラジオ(アニメイトtv) |
羽多野渉(漣朔也)、平川大輔(柊翼) | 重複するメインキャスト(役名) | 羽多野渉(立華リンド)、平川大輔(棗坂シキ) |
スタミュ製作委員会 | 製作 | Dance with Devils製作委員会 |
スタミュ | 比較項目 | Dance with Devils |
---|---|---|
星谷悠太(CV:花江夏樹) | 主人公 | 立華リツカ(CV:茜屋日海夏) |
5人チームでミュージカル学科を目指す | あらすじ | アクマたちの権力争いに巻き込まれる |
綾薙学園 | 作品の主な舞台 | 四皇學園 |
全員人間[1] | 登場人物 | 大体人外[2] |
なし[3] | 恋愛要素 | あり |
第○幕 | 話数 | 第○幕 |
なし | 各話サブタイトル | あり[4] |
歌わない | 女性キャラ | 歌う |
歌わない | モブキャラ | 歌う |
Gero(非キャスト) | OPテーマ歌手 | 羽多野渉(キャスト) |
2曲→第5話以降1曲 | 1話あたりの挿入曲数(特殊ED含む) | 不定→第5話以降1曲 |
同じ | キャラソンCDとTV版の歌詞(歌詞の入れ替えは除外) | 異なる[5] |
我ら、綾薙学園華桜会 | 第1話自己紹介ソングのタイトル | 我ら四皇學園生徒会 |
http://www.nicovideo.jp/watch/1444034996 | ↑のリンク | http://www.nicovideo.jp/watch/1444018105 |
\サティスファイッ/、どれだよ、吹いたらやぼすけetc | ↑に対する反応 | イケメンエスカレーター、図書館の歌、吹いたら第三図書館行きetc |
綾薙学園華桜会 | ↑↑↑の歌唱メンバー | 四皇學園生徒会 |
諏訪部順一、平川大輔、森久保祥太郎、鳥海浩輔、羽多野渉 | (キャラ名省略) | 斉藤壮馬、近藤隆、木村昴、平川大輔 |
team鳳 | EDテーマ歌手 | PENTACLE★ |
花江夏樹、小野賢章、ランズベリー・アーサー、細谷佳正、前野智昭 | (スタミュ側のキャラ名省略) | 斉藤壮馬、羽多野渉、近藤隆、木村昴、平川大輔 |
[3]……チームメンバーと友情を深める主人公を「攻略王」と呼ぶ視聴者はいる
[4]……「××(と△△)の◆◆」で、◆◆に舞踊や舞曲の名称が付く法則。Aパート開始前、ブザーとともにサブタイトル付きの緞帳が上がる演出あり
※この比較はあくまで両者の特徴をよりはっきりあぶりだすために行ったものであって、優劣を表すものではないことを述べておきます。自分が好きで楽しめてる作品があるならそれでいいじゃないか。
個人的な意見ではあるが、正直なところ両者ともミュージカルシーン演出はキャラソンPVの域にまだとどまっているような気がする。
ねぇ、なんでわたしにはスターくれないの。
はてなハイクってスターがたくさん貰えるって聞いたからはじめたのに。
わたしだって「おやすみ」コーナーで毎晩毎晩、ほのぼのポエムをつぶやいてからお布団に入るの。朝起きて確認したら、わたしのポエムだけ抜かされて↑と↓の投稿にはスターがついているのに、なんでわたしのポエムにだけはスターつかないの。
スター欲しすぎて、悲しすぎておねしょしちゃった。濡れたシーツを物干し竿に干していると、禁断症状が出てきて手が震えてしまう。
はてなハイクの「おはよう」コーナーで、「おはよウナギ!」という渾身のネタを投稿したのに、やっぱりスターがつかない。悲しい。寂しすぎてこのまま8階のベランダからスカイハイしてやろうかとも思ったけども、天国にはてなスターが無かったら地獄なのでまだわたしは死ねない。スターを1万個集めたら、魔法使いになれるんだっておばあちゃんが言ってた。わたしも魔法少女になりたいよ。ステッキに☆がついたやつ。「魔法少女まどか☆マギカ」っていいよね。タイトルにはてなスターがあるんだもん。
ねぇ、なんで増田にははてなスター押せるボタンがないの。はてなブログに実装されているんだから増田にも欲しいよ。こんなんでわたしの承認欲求満たせると思ってんの。増田なんか回文と脱糞しかやることないじゃん。
そもそも増田はブックマカーの狩り場であり、増田はスターを釣るための疑似餌に過ぎない。はてなAnonymousDiaryにおける主役は、増田ではなくブックマカーなのだ。増田はエサ。食物連鎖でいうと、スター>ブックマカー>増田なのだ。増田はまずブックマカーに喰われ、ブックマカーははてなスターに喰われる(性的な意味で)
なんかさ、ブログでAdsense収益とか、PV数とかを披露するのが流行っているみたいで「承認執着」がどうのこうのって言われているけれども、それって違うんだよ。100万PVをもらおうが、Adsenseで100万円稼ごうが、そんなの紫スターひとつの価値と比べたら足元にも及ばないでしょ? Twiterなんかさ、ふぁぼスターやめていいねハート(笑)に変わったけど、いい気味だよね。Twiterはオワコン。スターの価値がわかってるのははてなだけ。もうわたしには、はてなしか残されていない。つらい。この頃はさ、夢のなかでもはてなスターの夢を観てる。増田でどれだけ書いてもスターはもらえないから徒労なんだけれども、星が欲しい。干ししいたけの人は星をいつもくれるから愛してる。わたしはもう、カービィみたいに星をパクパク食べないと生きていけない体になったの。きっと死んだら星になるんだろうな。
タロットカード大アルカナ17番「星The Star」の意味は、希望。
星は、わたしの希望なんだよ。
みんな、Twiterを捨ててはてなハイクに来てほしい。みんなで星をつけあって、人類は幸せになるの。
ブックマークの殺伐とした手斧の投げ合いが疲弊してゆく現実世界を表象したものだとすれば、「スター」の投げ合いは神々の背後世界を意味するんだよ。さぁみんなで解脱。
そうだ、はてなハイクへ行こう。
★★★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今日もわたしは、星を待っている。
http://anond.hatelabo.jp/20151125001612
好きな戦国武将は?って聞くと、通常の人は郷土の英雄か三英傑あたりの無難なところを出してくるが、オタクは知名度の低い大して活躍していない武将の名前を挙げてくる。
それで、誰それ?って言われて、ちっちゃいエピソードを披露するも、周囲の共感も支持も得られないまま、微妙な空気でスルーされていく。
みんなが評価するものは素直に評価した方がうまくいくのに、それができない生き物がオタクってやつだ。
世間とずれた知識を過剰に蓄えたところで、たいした実効性はなかろうに。
どうせ入れるのなら、身だしなみを整える道具を入れた方が周囲の評判は良いだろうに、それができない。滅多に訪れない工具の出番が訪れるまでアリ地獄の様に待っている。その努力、宝くじみたいなもんだから。
古代の製鉄技術や人類史を変えた画期的な農法など、現代社会ではおよそ役に立ちそうに無い知識をラノベで読みあさっては心ときめかす。その話題は相手を選びすぎる……。幅広い層に通じる普遍性のある話題には興味が湧かない。そんな生き物がオタクってやつだ。
男性向けの話なら、一般の男性は同性の主人公にシンクロした方が、より良い男性になれるだろう。その方が社会的に成功しやすく、現実的な選択になるはず。だけど、そこには興味がないどころか、むしろ反対のほうに行こうとする。
オタクは現世利益を狙わないんだから、良く言えば夢見がちな人なんだろうねー。
女については知らん。
ブックマークたくさんもらえたら、面白いことだということで、今後の話のネタに追加。
ブックマークもらえなかったら、一般的には面白くないようなので、ボツ。
たいていはどんなに伸びても250くらいで止まってしまうのだけど、1つだけ、1000ほどのブックマークがついたことがあります。
ツイッターや他の媒体でもバシバシ拡散されて、なんだか有名人になったような気分でした。
その話を鉄板ネタの最上位に位置付けて、さっそく、飲み会の席で披露しました。
すると、「それ知ってるよ〜ネットの話でしょ」と言われました。
え、ああ、うん。そうだけど。でも、私の話なんですよ。
そんな。ちがうのに。それは、私が書いた話なんです。
でも、私が書いたなんて、言えませんでした。
いや、どう考えても宇宙じゃないだろ!?っていうツッコミが速攻で来ると思うのだけれど、舞台の構造がスペースオペラ(スペオペ)であるという話で、狭い意味でとらえずに広い心をもって少し話を聞いてほしい。
周囲の友人には以前からこの説を披露しているのだけれども、なかなか賛同を得られないので増田で書く。
ジャンルの定義論になると すげーややこしい議論に発展してしまうし、そこまで詳しくないのでざっくりと説明するとスペースオペラは1960年代ごろから定着した小説のスタイルで、名前の通り舞台が宇宙なのが特徴。
人類はワープ技術や超光速航法を得て宇宙に版図を広げ、恒星間交流どころか銀河を渡り、異星人とも親交を深めたり、ときには争ったりもする。未開の惑星に不時着してそこで未知の怪物と出会ったり、宇宙船の中で殺人事件が起きて容疑者の異星人たちの特徴から犯人を捜しあてたり、など様々な内容の小説がある。
こう説明すると、SF(サイエンスフィクション)とスペースオペラってどう違うの?と疑問に思うかもしれない。
そこには明確な違いは無いのけど、敢えて線引きするならスペースオペラは通俗的なんだよね。舞台こそ宇宙船や惑星が出てくるけれど、科学的な考証なんてそんなに重要じゃあない。とりあえずレーザー銃を撃って、悪い奴を倒して、美人を助けて物語は終了!めでたしめでたし、っていうのが大事。
それというのも、スペースオペラは背景が宇宙になっただけの西部劇、と言われるくらいで なにせ低俗的な雑誌に連載されていたから、SFファンからするとちょっと下に見られている。
西部劇というとイメージしにくいから、言い換えると宇宙を舞台にした水戸黄門と思ってもらっても良い。諸国を漫遊するんじゃなくて、惑星を渡り歩いて悪事を働く敵を成敗していく定番パターンの要素はさして変わらない。
前段のスペースオペラは西部劇、って見方は間違いではないけれど、もう一つの要素としては冒険小説のエッセンスを取り入れたのが大きい、というのが個人的な意見。
冒険小説って言うのは歴史が深く、中世の騎士物語とか英雄譚とかが源流のジャンルで、主人公が様々な苦難を経て色々なところを冒険する、というもの。
とある東の国では怖ろしい牙を持った30フィートを超える獰猛な虎と闘い
とある南の国では毒矢を操る部族と捕まりそうになるが隙をついて逃げ
とある海の国ではいかだを組み合わせた住居で一生陸に上がることのない一族と出会う
などなど。
とりあえず妙なところを旅して、変なことが起きて主人公は翻弄されるものの、結果的に知恵と勇気で危機を脱出する、というのが基本パターン。もちろん実際に旅をして書いた書物もあるものの、読者がそこに行って確かめることなんてない時代だから、適当に書いたものがほとんど。
なにより、このジャンルは大航海時代以降になって一気に花開いた。
史実でも南米や、さらには南太平洋諸島には独特の風習を持った部族や文化遺産、また珍しい動物がたくさんいたので小説の題材としてはやりやすかった。
見上げるほど大きな猛獣との遭遇したり、人を食べるという部族に捕えられしまい大ピンチに!とか。
18世紀に発表されたガリバー旅行記も含め、19世紀くらいまではこのジャンルは盛り上がったのだけれども、20世紀にもなると下火になってしまう。
なぜなら、もうその頃には人類未踏の秘境というのもなくなってしまったから。
不思議な動物もジャングルの奥地に住む謎の部族も調べ尽くして、冒険のロマンは地上には残っていない。
そこで宇宙なわけ。
スペースオペラは作者が惑星ごとに好きなように自然環境を作れるのが大きな利点で、重力が少ししかない衛星があったり、昼が一ヶ月続く惑星も設定できたり、生態系でも、異星人でも、文化や風習、宗教や法律など様々な要素を自由に設定できる。
そして一つの話が終了すれば主人公たちはそのままで、次の星でまた新しい物語を構築できる。それぞれの星で不思議な出会いがあり、軋轢があり、その問題を主人公たちが苦難を乗り越えて解決していき、そしてまた次の星へ。
ここまで説明してみると分かると思うのだけど、ワンピースの「島」も似たような構造にあるんだよね。
グランドラインに浮かぶ島々には様々な国々があり、翼の生えた種族が居たり、動物のような容貌の人々がいたり、奇妙な動植物があったり、冒険小説のような要素が満載で、それでいて一つの物語を解決すると次の島へ旅立ちそこで新たな出会いが……というパターンは惑星を旅するスペースオペラとも共通の面が大きいと気がつくはず。
舞台こそ地上ではあるけれども「島」という設定は「惑星」に近く、もうこれはスペースオペラ物と言っても過言ではないだろう。
『いや、でも宇宙じゃないじゃん!』
と友人たちに一蹴されてしまうだけれども……。
賛同してくれる人が少しでもいるといいな。
そろそろスペオペなラノベがくるんじゃない? - WINDBIRD
この記事を読んで書きはじめてみたものの、書いてみたら全然違うところに話が進んでしまった。
あらかじめ補足しておくと
『ひょっこりひょうたん島』も『キノの旅』もスペオペである派です。