子供が通う幼稚園の生活発表会に行ってきた。園児がこの日のために一生懸命練習した歌や踊りを保護者に披露するのだ。ここの幼稚園は園児数が多く、市で一番大きなホールを借り切って行う。
自分の子供の出番はそれはそれは楽しいもので、涙さえこぼれそうになるほど感動的なのだが、他人の子の舞台は正直苦痛でしかない。
合計3時間の会で自分子供が出るのが姉妹合わせて30分ぐらい。残りの2時間半は、他人の子。ホント辛い。どうも感情的にフラットではなく、マイナス側に振れるようだ。去年もそうだった。
終わった後、知り合いのお母さんに、「○○ちゃん(うちの子)上手やったねー!」といわれても、こっちは相手の子がいつ出てたのかさえ知らないもんだから、あははは。と言うしかなくて、ちょっと気まずい思いをした。
人の親としてどうなのよ。と自分でも思うが、実際そうだから仕方がない。
いったいなぜなのか?ちょっと考えてみた。
まず、全く興味のないものを強制的に観せられるのは苦痛。というのは誰もが思う事だろう。
では、なぜ全く興味が無いのか。
切り分けたいのが、これが例えば大物演出家が園側にいて、エンターテイメントとして完成されたものであれば、それは誰が出ていても楽しいだろう。当然だ。
でも実際は知らない子供が歌ってるだけだ。お父さんお母さんに見せるため一生懸命練習したんだろう。でも他人の子というだけで全く響いてこない。自分はこんなに冷酷な人間だったのか?
そして、長い。ひとつの演目で長いものだと30分とかだ。こういう事はこの会の趣旨として違うとは思うし、求めてもいけないとも思うのだが、もう少しテンポよくやって欲しい。
ひとつ、ホールでやっているのも原因なのかもしれない。舞台と客席。上で書いたように観る側はつい自然と興味や楽しさを求めてしまうのではないか。
いったい誰の子なら楽しいと思えるのか。友人、兄弟、会社の人の子ならどうか。
わからない。
他の方はどうなんだろう。特に父親の方に聞いてみたい。
要は自分が労苦を注ぎ込んだ対象に対して感動してるだけなんじゃないの? つまり増田はそもそも(自分の)子供に感動していない。自分自身(が費やした労苦そのもの)に感動してい...
全然知らない他人の子のお遊戯会なんてほとんどの人にとって見る価値ゼロだから仕方ない。 問題は同じ園のおそらくは自分の子の友達だったり、知っている親の子だったりする子ども...