はてなキーワード: 披露とは
・響け!ユーフォニアムの2期が決まってうれしいです、とても面白い作品でしたね
・素晴らしい点を上げるとキリがないのですが、私はとりわけこの作品の描く「空気」が好きでした、作品のテーマの一つでもあると思います
・特に2話の葵ちゃん「みんな~問題のない方向へ~まとまっていく」というセリフ、8話の麗奈「特別になりたい」というセリフ、この2つが重要なシーンではないでしょうか
・この空気に着目した上で10話、香織先輩が再オーディションを希望するシーンを見ると、とても感動します
・久美子の心の成長も見所の一つです、でも久美子って少し流されやすいような気もします
・劇場版、そして2期、本当に楽しみです
と大体このような感じ
もしまだご覧になったことがないという方は、本当にオススメの作品です、ぜひぜひこの機会にご視聴ください
ところで、響け!ユーフォニアムってどこが面白いの?と問われたら、視聴済みの皆さんは何と答えますか
作画の綺麗さや演出の巧みさ、声優さんの演技の上手さなど色々なものが思い浮かびます
答えは一つではないと思いますが、私には響け!ユーフォニアムのココが好きだ!という点がずばり一つあります
それは、今まで深夜アニメーションという媒体では余り描かれることのなかった部活や学校という空間の空気
引いては集団の中で発生する同調圧力的な側面について描き、それをしっかりとエンターテイメントとして見ていて楽しい物に昇華しているという点です
少し話は変わりますが
おそらく一度は聞いたことがある、どんな物語か程度なら知っているという方も多いと思います
ストーリーの説明は省きますが、絵本の中でスイミーはたくさんの仲間達と一緒に大きな魚のふりをして泳ぎ、マグロを追い払いますよね
あのスイミーが案じた作戦、これはおとぎの世界の話だけではありません、現実の世界でも類似の例を見つけることが出来ます
例えば、チョウチョウウオという魚です
沖縄方言ではカーサと呼ばれ、その意味は葉っぱ、名の通りほのかな橙黄色に色付いた木の葉のような魚です
一匹でも十分に綺麗なこのチョウチョウウオですが、海の中で生活する時は大きな群れを作ることが知られています
チョウチョウウオはそれほど大きくない魚ですので、単体ではすぐに捕食者に狙われてしまいます
ですからまとまって大きな集団を作ることによって、捕食されることを回避しているわけですね
このようにして魚が群れを作るメカニズム、そこにあるシステムを群知能といいます
群知能は魚の群れを説明するための用語というだけではありません、他にも自然界の様々な場面で見ることのできる普遍的な概念です
ところでこのチョウチョウウオの群れですが、全体としては同じ方向を向いていても
中を細かく見てみるとそれぞれの個体や個々の集まりでは別の方向を向いていたりすることに気付きます
スイミーは全員が一丸となって戦うお話でしたが、現実世界のチョウチョウウオでは少し違うわけですね
外から全体を俯瞰して眺めるとみんなが同じ方向を目指しているように見えても、それぞれにはぞれぞれの想いがある
大きいものでは会社組織、小さい単位なら家族や友人関係かもしれません
そして多くの人が人生において最初にそれを経験する場所、それが学校であり、とりわけ部活動なのではないでしょうか
一概に部活動といっても様々あります、体育会系ならサッカーや野球、文化部なら美術などが有名ですよね
そしてもう一つメジャーなものの中に冗談めいて体育会系だとも文化部だとも言われる部活があります
そう吹奏楽部です
それが体育会系といわれる所以なのかもしれませんが、一つ他と決定的に違う点があります
それは圧倒的な力量を持った選手が一人や二人いたとしても、それが集団にとって即大きなアドバンテージとはならない、という点です
吹奏楽という競技においては、群れのレベルは全体の平均ではなく最も弱い個体の能力度合いによって決まるからです
これは積極的に底辺の能力を押上げようという助け合いの精神、教え合いの動機ともなり得ますが
いざという時には、底辺を全体のために容赦なく切り捨てるという残酷な選択を強いる結果にも繋がります
吹奏楽ほど、群れというものを意識する部活は他にはないかもしれません
そしてそこには、必ずしも絵本で描かれるスイミーのようなやさしさも海で群れをなすチョウチョウウオのような美しさも、あるとは限りません
それが京都アニメーション制作の「響け! ユーフォニアム」です
吹奏楽が舞台であるといっても、1話や序盤では多くの時間がキャラクター紹介、人物の関係性やこれからの展開をほのめかす場面に割かれます
彼女が高校生となって吹奏楽部に入部し、新しい学園生活、新しい友達や上級生と馴染んでいく過程を描いています
そんな序盤のキャラクターのやり取り、シーンの一つにこんなものがあります
久美子の幼なじみであり部活の先輩でもある葵ちゃん、彼女と久美子の会話です
久美子「でも今日みたいに聞かれたら、全国大会目指すっていう方に手挙げるでしょ」
葵「そりゃあ…ねえ」
久美子「だからややこしくなるんだよ、大人はずるいよ」
葵「それ言ったらどっちにも手を挙げなかった誰かさんが、一番ずるいんじゃない?」
久美子「それは……そうだけど……」
葵「きっと、そうするしかないんだよ。みんな何となく本音を見せないようにしながら、一番問題のない方向を探ってまとまっていく、学校も吹部も、先生も生徒も」
久美子「どうして……?」
葵「そうしないとぶつかっちゃうからだよ、ぶつかってみんな傷ついちゃう」
――――「響け! ユーフォニアム」第2話
この言葉は学校という世界しか知らなかった高校生の頃に立ち戻って考えてみれば、いっそう共感のできる言葉だと思います
そして、学生の時のみならず、社会人となってからもこの「空気」を読めという感覚は常についてまわるものです
集団、群れがあればそこには空気があります、そうして出来上がった集団の流れ、空気に逆らうことはとても難しいものです
特に思春期の女の子にとって集団から抜け落ちたり弾かれたりすることは、死ぬほどに辛いことだと思います
2話の終盤、このシーンはさらっと流れます、その為とりわけ重要ではないシーンのように思われるかもしれません
しかし、深夜アニメにとって大事だと言われる1~3話において、2分以上の長尺を取り久美子との二人きりの会話を描いているのは、このカット以外にはないんですね
音楽に通奏低音という言葉があります、本来はバロック音楽における用語ですが、転じて「常に底流としてある、考えや主張のたとえ」というような意味も持ちます
吹奏楽でいうならば久美子や友人である緑輝や葉月がいる低音パートですね
彼女たちの低音が吹部の演奏を支えてるように、葵ちゃんのこの言葉は響け!ユーフォニアムという作品における通奏低音となっています
続く話数、これ以降の3~6話ではある意味で葵ちゃんの言っていた通り、一つにまとまり
一致団結してサンライズフェスティバルという地域のイベントに向けて頑張る吹部の様子が描かれます
しかし、当の葵ちゃんは今までとは違う、空気の変わってしまった吹部についていけず退部を決意します
顧問の滝先生が赴任して来なければ、部のやり方が変わらなければ、葵ちゃんも最後まで部活動を続けたかもしれません
ただ去年の出来事を経験した葵ちゃんにとって今の空気はどうしても受け入れることの出来ないものだったのです
退部後の葵ちゃんと部長の晴香がファミレスで二人、話し合うシーンがあります
葵ちゃんは自分はそこまで吹部が好きではなかったと言った後、部長に対し晴香はどう?と問いかけます
部長は即答することが出来ません
今までの吹部とは違う、全国大会出場という大きな目標を掲げ、部員一丸となって全国という高みに向けて邁進する北宇治高校吹奏楽部
ですが、一人ひとりが見ている方向は必ずしも一致していません、全体では同じ方向を向いているように見えても個々人の想いはそれぞれなのです
ここまでが7話でした
そして続く8話、とても印象的な回ですね
この第8話終盤、麗奈と久美子の密会シーンは中盤のクライマックスです、その内容を憶えている人も多いでしょう
麗奈と久美子、二人以外は誰もいない小高い丘の上、眼下には楽しげなお祭りの光、麗奈はまっすぐと久美子を見据えて言います
麗奈「ねえ、お祭りの日に山に登るなんて馬鹿なこと、他の人はしないよね」
久美子「うん、まあ……」
麗奈「久美子なら分かってくれると思って。私、興味のない人と無理に仲良くなろうと思わない。誰かと同じで安心するなんて、馬鹿げてる。
当たり前にできあがってる人の流れに抵抗したいの、全部は難しいけど。でも分かるでしょ?そういう、意味不明な気持ち」
久美子「麗奈……」
麗奈「私、特別になりたいの。他の奴らとおなじになりたくない」
――――「響け! ユーフォニアム」第8話
特に未だ少年少女時の万能感から脱却しきれていないモラトリアム期の高校生ならば、それは多くの人が抱いた「本音」かもしれません
「特別になりたい」
しかし、多くの高校生はその本音を隠します、他者とぶつからないよう、ぶつかって傷つかないよう、波風を立てず皆と同じように日々を過ごします、それが「普通」なのです
麗奈は違います、久美子にはっきりと言います、特別になりたいと、他の人に流されたくないと
葵ちゃんのセリフと対になるこの言葉、少し甘酸っぱく子供っぽい麗奈のこの告白は、久美子の心を大きくざわつかせました
そして続く9話、ここからやっと吉川優子ことデカリボンちゃんと吹部のマドンナ中世古香織先輩にスポットライトがあたっていきます
去年までの熱意のなさが嘘のようにやる気を出し、ここまで大きなゴタゴタもなく順調に進んできた北宇治高校吹奏楽部
あとは大会に向けて全力で頑張っていくだけという感じですが、その前に一つ課題を乗り越えなればなりません
オーディションです
滝先生が事前に発表していたこの実力制メンバー選抜は、ことの成り行き次第では少々問題が起きそうな雰囲気です
さてオーディション、視聴者としてはポニテ先輩のことも気になりますが、吹部として重要なのは麗奈と香織先輩、どちらがソロを吹くのかという点です
部員の殆どは、麗奈が優れたトランペット奏者だということは知っていても、上級生であり、部内屈指の実力と人望を兼ね備えた香織先輩がまさか負けるとは思っていません
しかし当事者である香織先輩の認識は少し違っています、麗奈の実力を認め、負ける可能性を十分に考慮しているようです
さあ、結果はどうなるのか?と言うと……
この結果は当然ながら驚きを持って迎えられます、中には滝先生の選考に内心疑問を呈した部員や不満を抱いた部員もいたでしょう
しかし、個々人の想いとは関係なくこの時の部内の空気はオーディションの結果を受け入れるものでした、空気が異を唱えることを許さなかったのです
集団の空気に逆らうというのはとても難しいことです、もしもこのまま何事も無く事が運べば、大した波乱などなく一致団結して大会まで進んでいたかもしれません
ここで爆弾を落とすのがデカリボンちゃんです、オーディションから少したった頃、滝先生に対し部員が見守る中、こう言い放ちます
リボン「高坂麗奈さんと以前から知り合いだったって本当ですか?」
滝先生「それを尋ねて、どうするんですか?」
リボン「噂になってるんです、オーディションのとき、先生がひいきしたんじゃないかって、答えてください」
――――「響け! ユーフォニアム」第10話
この出来事から急速に部内の空気は変化していきます、元々個々人の中ではオーディション結果に対しくすぶっていた所もあります
0から1に突然変わったというような変化ではありません、空気を意図的に誘導しようとするそんな人物がいたわけでもありません
それどころか自分たちが一体どこに向かっているのか、それさえ誰にも分からぬまま漠然と悪い方向へ流れが変わっていく、そんな様子が丁寧に描かれています
滝先生は音楽の知識こそ豊富ですが、教員としての指導経験はまだ浅く、この事態に戸惑い苛つきます
見かねた部長が、このままではいけない、そう覚悟を決めなんとか解決しようと動き出した頃、丁度時を同じくして滝先生は一つの解決策を見出します
滝先生「今日は最初にお知らせがあります。来週ホールを借りて練習する事はみなさんに伝えてますよね。
そこで時間を取って希望者には再オーディションを行いたいと考えています。
前回のオーディションの結果に不満がありもう一度やり直して欲しい人はここで挙手してください。
来週全員の前で演奏し、全員の挙手によって合格を決定します。全員で聞いて決定する。これなら異論はないでしょう。いいですね?」
――――「響け! ユーフォニアム」第10話
この言葉に対し、香織先輩は一歩を踏み出すように立ち上がり、高く手を掲げ、まっすぐと滝先生を見つめて言います
香織先輩という人物についてはこれまでも何度か描かれています
葵ちゃんが退部し、部長がめげてしまった時にはおみやげを持参して励ましました
ポニテ先輩は、葵ちゃんと部長に加え香織先輩だけが、去年の部内のゴタゴタに対して真摯に解決しようと頑張っていたと言います
公園で二人きり、デカリボンちゃんから本人や父との縁故を理由に滝先生が麗奈を贔屓した可能性を告げられた時も噂を止めるようお願いするだけです
これらのことから伺えるのは香織先輩のやさしさであり、部に対する想いです
部長と共に、損な役回りを引き受けてでも部内の空気を良い方向へ持って行きたいという、そんな心配りです
その香織先輩が、今まで吹部内の空気をなによりも優先してきた、そんな香織先輩が、初めて自分の想いに素直に寄り添って決意表明したのがこの場面なのだと思います
もしかしたら吹部の嫌な空気、それを払拭するためにあえて希望した、もしくは香織先輩を推す部内の空気にのせられる形で希望しただけという穿った見方もできるかもしれません
しかし、友人を心配そうに見つめる部長の眼差しや驚きを持って香織先輩に視線を集める部員達の表情からそうではないことが見て取れます
香織先輩はこのとき空気に反発したのでも迎合したのでも、そして沈黙したのでもありません、ただ自分の確かな意志を表明したのです
まっすぐに滝先生を見つめ、自分の想いを吐露する香織先輩のその姿は麗奈が久美子にした特別になりたいという告白に重なります
さあ再オーディションです
まずは香織先輩が、吹き始める前こそ緊張の面持ちでしたがいざ吹き始めると特にミスもなく、普段通りの演奏を客席に座る部員たちの前で披露します
二人の演奏が終わり、よりふさわしいと思う方へ拍手するよう言われますが殆どの部員はどちらにも拍手することが出来ません
そんな空気の中、滝先生は香織先輩に問います、あなたがソロを吹きますかと
香織先輩は麗奈こそが、自分ではなく麗奈こそがソロを吹くべきだと、そう言い
それを聞いたデカリボンちゃんは泣いてしまいます、大粒の涙を流しながら、わんわんと声を上げて
一度目のオーディションの時ではなく、二人の演奏が終わった時でもなく、滝先生が麗奈を選んだ時でもありません
デカリボンちゃんは香織先輩が負けたことが、選ばれなかったことが、技量的に麗奈に劣っていたことが悔しかったのではありません
人を気遣い、自分よりも他人を思いやり、誰よりも優しい先輩、その先輩がたった一度、自分のために、自分だけのために
北宇治高校吹奏楽部の中世古香織としてではなく、一人のトランペット奏者として初めて挑んだ、ぶつかって傷付くことを恐れずに挑戦した
その特別なものへの憧れが、それが叶えらなかった事が、デカリボンちゃんは何よりも悔しいのです
悔しくて仕方がなかった、だから泣いたのです
もしもその悔しさだけだったなら、こんなにも大粒の涙を流すことはなかったでしょう
なぜならば、デカリボンちゃんはおそらく再オーディションが決まったその日から、自分がこの日再オーディションの当日、誰よりも悔しい思いをするという事は分かっていたからです
http://anond.hatelabo.jp/20151114054047 へ続き Permalink | 記事への反応(3) | 19:37
http://megalodon.jp/2015-1105-2205-59/tm2501.hatenablog.com/entry/2015/11/05/213000
「若作りうつ社会 」なんて新語をしたり顔で作って、「社会」なんて新しい時代の話であるかのように煽りながら本まで出してしまうブロガー(笑)まで出てきて、本の帯には「熟成消失時代」なんて煽り倒してる。
小学校の頃に子どもに混じって鬼ごっこしてた母親がスポーツクラブでヨガにハマって「あなたも運動しなさい」とか煽っているのを見て「老いたなぁ」と僕は思った。
あるいは、自分がガッツリ系のラーメン屋さんよりも自分で自炊した厚揚げステーキと、ふりかけの定食にありがたさ感じた時、「あんなに学生時代は外食したかったのに、今は外食分を節約して使いたいことができた」という自分に熟成を感じますよ。
さすがに三回連続で誤字してるしタイプミスではありえない。まさか大学卒業してるのに成熟と熟成の区別をしらないわけもない。これは意図的な芸であると断言できる。しかも恐ろしく高度。俺でなきゃ見逃しちゃうね。この記事を読んでシロクマDISとして読んでしまう人間はただの素人。ファンなら誤字による自虐芸に命をかける芸人の熱い魂が読み取れるはずだ。
この記事は一見僕らが知ってるシロクマ先生の著作をDISっているように受け取れるかもしれないが違う。よりによって記事の中心と成るべき重要なキーワードを間違えることで自分が豪快に滑ってみせるという高等な芸だ。しかも自分のあだなが豚まんじゅうであることをかけて「熟成」という単語をチョイスして自虐してみせるセンス。自分に熟成を感じますの破壊力ときたら。この誤字芸を披露するためだけに2000字OVERの記事を書くという情熱。文中に「爆死」などのキーワードをちらつかせ、あたかも他人を攻撃しているように見せかけ、最後には自分が全部それを受けきってみせる熱いプロレス魂。そういったもろもろがすべて集まって出来上がっている。シロクマがなにか反応するまでもなくこの記事の中ですべてが完成している。
すばらしい完成度だった。きっとこの誤字を思いついていてもたってもいられなくて記事を書き上げたのだろう。ここまで誤字芸に命をかける熱い男が他にいただろうか、いや、いない。孤高の誤字芸人青二才先生の次回作にご期待ください。
親が子供に発する冗談が嫌いという増田が話題になっているが、これは冗談ではなく本気の話。
先日、子供が生後約100日を迎えたので、双方の両親を招き料理屋でお食い初めという儀式を行った。
儀式自体は、様々な食材を子供に食べさせるふりをするというもので、無事に成長した孫の姿を祖父母に披露するという意味合いが強いものなのかなと思う。
大人たちが酒と肴を楽しむ中、ほどほどに酔ってきた俺の母がこんなことを言い出した。
「まあ、孫ちゃんも、とりあえずここまで無事に育ってよかった。ウチの○○(←俺のこと)は産まれたとき、臍の緒が首に巻き付いて呼吸してなかったから。眼も真っ赤で・・・。逆さにしてパンパン叩かれてようやく泣き出したけど・・・きっと脳に障害が出るだろうなと思ってた。3歳になるまでに障害児と分かれば、私は○○を抱いて身を投げるつもりだった。けど、孫まで生まれてきてくれて、本当によかった」
俺は、「は?何言ってんの?」と思ったが、周りの反応(ウチの奥さん除く)は「ええ話や~」といったものだった。俺は呆然と黙っているしかなかった。めでたい席を台無しにするわけにはいかない。
その後、義実家を訪問した際、義母が「前に○○君のおかあさんが言ってた話、私、感動したわー。あれこそ母の愛よねー」とのたまわっていて、さらに追い討ちをかけられた。
なんとこれ一つで落下防止と片手持ちとスタンドの役割を一気に解決してくれる。
どうやら先駆け的なブランドが2つばかりあるみたいだけど、自分が買ったのは無名メーカーで800円くらいのやつ。
リングの底が平らになっていて安定感もいい。
iPhone6plusとGalaxy note edgeの2台もちなんだけど、それぞれ付ける位置を左右に少しずらすと捗る。
裏から見て、中心より2cmほど左に貼る。
つまり画面が上向きになった時、右手方向に近い位置ということ。
iPhoneとは逆で、中心より2cmほど右に貼る。
つまり画面が上向きになった時、左手方向に近い位置ということ。
何故かと言うと、右手片手持ちをした場合、頻繁に使う戻るボタンがiPhoneは画面の左上で、androidは右下にスイッチとしてあるから。
つまりリングを右に寄せてつければ右手で画面左側に、左に寄せてつければ左手で画面右側に指が回り込みやすくなるということ。
左右逆の手にした場合は、そもそも近い位置にボタンがあるのでリングが遠くても問題がない。
ついでに言えば、横向きスタンドとして置いた時、位置の違いがあればひっくり返すだけで角度調整ができるようになる。
尚、縦位置はほぼ真ん中か、少し上くらいがいい。
なぜなら、縦向きスタンドとして使おうとした時、少し斜めになってちょうどいいし、横向きスタンドとして使った場合にも中心に近いほうが画面に触った時に転びづらいから。
さらに、スタンドを畳んでいたとしても、多少重心に差があった方が安定して寝転んでくれます。
ちなみに左右のずれを2cm程度までにしたのも、縦向きスタンドで使うときの安定を良くするため。
それ以上離してしまうと、画面を触った時にコケやすくなってしまう。
まとめると、上下は中心よりやや上くらい。
以下、順不同。
03. 人を物扱いすることで「都会に染まってしまった自分」的な感傷に酔う田舎者
07. いい年して萌えゲーに逃避するばかりの二重襟ディテールで無駄に主張してくるだせえシャツ着たSEみてえな奴
09. 「わたし黒人としかムリー」とかぬかすアメリカかぶれ女
12. AVあがりの評論家きどりの小賢しい女が、インタビュアーの質問に対してすまし顔を崩さず「んーそうですねー」と返す高めの声のうさんくささ
13. っていうか峰なゆか
14. 人んちのなぜか酸っぱくせえリンゴ
18. 混雑時にも扉近くでも頑として降りねえ奴
19. 一応降りるけど、ただ降りただけで邪魔なのにドヤ顔の奴
22. 可愛さの欠片もなくむしろ目にするたび不快感を煽るインチキロボットペッパーと、金のため迎合する腑抜けたマスコミ
23. ことあるごとに自社のアナウンサーを人気アナと喧伝する厚顔無恥な日テレ
24. ユーチューバー(あのバイリンガルの女はイタいけどエロいから許す)
26. 外タレに「日本は好きですか」「寿司は食べましたか」などありきたりな質問を投げる無能インタビュアー
27. じっと見つめながら嘘をつく女のなめた顔
28. 6年間週3で顔合わせてるのに初対面ぶってカードの有無を確認し続けるコンビニ雇われ店長
29. 便所で待たせてるのわかっててなかなか出てこない糞野郎
30. 便所で待たせてるのわかっててなかなか出てこない糞
ちょいすっきりした!
まえおき
最近は時間の進み方が早いので三昔前とか四昔前に当ってしまう気がしないでもないけど。
人工無能は与えられた言葉の一部に反応してプログラムされていた言葉を話すとても単純でとてもお馬鹿なお手軽学習型会話AIである。
これを作って可愛い絵をつけてネットの片隅に放置しておきインターネッツ上に住む有象無象の連中から妙な言葉を教わらせるという遊びが流行った。
教える相手が当時のネットにいた変人たちなので当然教わる会話は滅茶苦茶でどの人工無能もこちらの入力した文章に対して香ばしく咬み合わないコミュニケーション能力を披露することとなる。
そこが受けた。
ほんぺん
誰もがくだらなくて少し気持ち悪い言葉を好き勝手に発して脊髄反射的でどこか咬み合わないコミュニケーションが行われる。
ニュースサイトで人気になるのは筆者が好き勝手に書いたチラシの裏のような記事で、それたに対してネット住民は好き放題に脊髄反射を繰り返しながら議論をしたつもりになる。
検索システムはユーザーの調べたいものよりもキーワードの中で扱いやすいものを脊髄反射でピックアップして何となく話題性の高そうなページをずらりと並べて鼻を高くする。
掲示板やチャットでの会話は同じ日を繰り返してるかのように見飽きた内容ばかりがループしていくし、毎回皆自分が思いついたインパクトのある言葉を脊髄反射で打ち合うだけの大振りな温泉卓球だ。
人工無能の「脊髄反射的にインパクトの強いものに飛びつき同じ言葉をいつも返す」という性質はネットの縮図である。
それは人工無脳が廃れた今も変わらない
あんなのを「若者」って言って一括りにされちゃそりゃ反感買うって。
その上SEALDsって、活動の様子の動画をネットに上げまくってるみたいだけどさあ。
http://www.youtube.com/watch?v=aFH3btaaktA
http://www.youtube.com/watch?v=Spi71ArYwTQ
仮に興味持ったとして、検索してこんな動画出てきたら引くだろ普通・・・。
俺は、若者が~ってのと、SEALDsはヒップホップ/ラップでデモ云々みたいな話聞いてこの動画見たワケだけど。
コールアンドレスポンスの体だって事は分かるけど、新興宗教かよとしか思えんわ。
茂木とか津田みたいなのにつられて、今回メディアもなんとなく囃し立てちゃったじゃん?
「若者が~」とか「オシャレな~」っていうのを強調というか、セールスポイントにして。
結果として「ダサいじゃん」「胡散くせえ」ってなった若者、結構いると思うんだよねえ。
彼らはオッサン向けの「若さ」を評価されたんだろうけどさ。(そういうのかなり需要あるしね。)
【小6「組体操やめたい」 学校の対応は・・・? - Togetterまとめ】
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・組体操やめろ派の主たる主張は「ケガをするリスクが大きい」こと。
・他の競技、騎馬戦・棒倒し等はどうなの?組体操が格段にリスクが高いのだろうか。
・リスクが高いことを、そのリスクの判断ができない児童に強要してはいけない。
・それでもやりたいなら(やらせたいなら)中学で体操部に入ればいい。
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・もし自己満足なら、こんなくだらないことはない。即刻やめるべきだ。
・それとも「体幹を養う練習」「他者を助ける練習」の一つの形、成果物なのだろうか。
・そうならば、しっかり練習をする意義はあるのではなかろうか。
・(例えが悪いが、運動会は、日頃の成果を披露する軍事演習みたいなものか)
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・いや、体育の本来的な目的って、そういうことじゃないか?体を育てる。
・個々人が、自身の成長ペースに合わせて、健康な身体をつくること、身体の動かし方を覚えること。
・高いタワー作らせたり、炎天下で野球やらせたり、グラウンド100周させたり、それって本来の目的じゃないよね?
・一体感とか達成感とか根性とかは、副産物だ。そのものを体育の目的にしてはいけない。
・「体を育てる」から逸脱する規模の組体操には反対が起こるのだ。
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・「理解できないリスク」「将来不要であるリスク」を主張するのだろうか。
・マルクスを学ぶことは左翼主義に傾倒する、とか言い出すのだろうか(ものの例えだ)。
・勉強したい人だけ机上授業に参加すればいい、ウチの子は他人と比べて頭が悪いから勉強させるのは可哀想、とか言うのだろうか。
・傷を負うリスクがあるのが身体か、思考回路か、という違いはある。が、後の人生に影響をおよぼすのはどちらも同じ。
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けっきょくモヤモヤしたままだ。
結論:
①「身体を作る」という目的が遂行できれば、組体操でなくてもよい。
②ただし、なにかしらの成果を示す場は必要。
③親や教師は、子供が(相対的に)逞しく育つことに価値を見るべきで、成果物の派手さやハードルの高さそのものに目を奪われてはいけない。
④参加したい人だけ参加すればいい、というのは少し違うんでないかな。
この手の連中がカマバッカ島とかの描き方を非難する声は良く聞くけどさ、フランキーネタの描写については何も言わないのかね。
つまり
↓
ルフィ達男、スゲー!感動!
↓
女白ける、しら~
あそこが尾田の男根主義の最たる物だと俺は思うんだけど、ジェンダー脳連中からあそこの描き方への言及は未だかつて目にした事がない。
何で?
もしかしてあそこの描写は妥当で特に非難するべきものではないって判断なの?
おかしいだろそれは。
なのにジェンダージェンダー言ってる奴等には特になんとも思わないわけ?
ふざけるなよ。
これでカマバッカ島ガーとかほざいてるんだぜ。
自分らに都合の良い所だけは見過ごすんですね。
死ねよ。
>機械とかガジェットにフェチ的な興味を示すって、男が子供っぽいとか幼稚だってことだろ。 フェミじゃなくて男が怒るべき。
俺は男だ。
逆の立場で傷ついてる者もいるのにフェミとかジェンダー脳は自分の立場でしか物を考えず、こういうのを平気で見過ごしてしまう神経が俺は腹立たしいんだ。
ちょっと考えればこういう問題は常に対称性を持っているのは想像ぐらいつくだろうに、結局自分らの正当性の事しか頭に無いんだよあいつらは。