はてなキーワード: 意図とは
トラバの増田たちは意図を理解して議論しているのに対し、ブクマかは意図が取れていないようですね。おそらく前提知識に違いがあります。
勝手ながら論点をまとめて知識を補足して良いでしょうか? anond:20230725121700
1. いわゆるお気持ち長文が読書感想文フォーマットであること
2. 日本の国語教育は読書感想文に偏りロジカルライティングを教えないこと
3. 議論においてお気持ち長文を書いてしまう人が多いのは国語教育のせいではないか
普通、議論において文章は 事実(データ)/ 意見(考察)/ 結論 に分けて書きます。
例えば「表現規制は犯罪抑制に効果があるか?」という議論においては
2. 考察: 各国の表現規制の状況と犯罪率の相関を調べ議論する
3. 結論
といった形になるかもしれません(あくまで例です)
〇〇が話題になっているようです。
(ここまでの経緯を要約)
私はこの記事を見てショックを受けました。まだ動悸と涙が止まりません。
(悲しい体験)
(悲しい体験)
(心を打つ名文)
このような人がいると知っていただけたら嬉しいです
元増田が言うようにこれは読書感想文フォーマットなのだと思います
もちろんただの日記ならこれでよいのですが、議論に加わるつもりなら不適当です
日本の国語教育は読書感想文や随筆に偏り、論文やレポートの書き方を教えないという事が 木下 是雄『理科系の作文技術』 において指摘されています
アメリカでは小学生からテクニカルライティングを教えているそうで同書に小学生向けの問題が紹介されていました。今手元に本がないのでうろ覚えですが
新聞の1節を読ませ、事実と意見に分けなさいといった問題で、大人の日本人でも手強いと感じる内容でした。
私もトラバ及び元増田に同意です。日本でもテクニカルライティングを教えたほうが良いと思います。
少なくとも、読書感想文が国語教育においてどのような効果があるのか?何を習得させようとしているのか?今のウエイトで良いのか?はちゃんと議論し直した方が良いと思います。
とはいえ我々の知っている小学校の授業はN年前のものです。もしかしたら現在の指導要領では見直されているかもしれません。(もしそうなら教えてください)
我々世代の国語教育について興味深い解説を見つけたのでトラバします:
「お気持ち表明文は適切な国語教育の結果」というお気持ち表明文
現在の新卒や大学生たちの受けていた国語の指導要領の解説です。
日本の国語はその目的の一つに道徳教育を掲げているという指摘とその影響について論じています。
https://anond.hatelabo.jp/20230725175238
お返事どうもありがとうございます。
これは本当によくわかります。
id:oeshi 国語については門外漢なんで雑にしか言えないけど、論理国語ってやつがそれに対応する目的で作られたんじゃないかな。でも現場教師が文学作品を好むのは事実。教科書会社も抜け駆けして小説入れたのが人気だったはず
id:oeshiさん、どうもありがとうございます
「論理国語」では、実社会において必要となる、文章を論理的に書いたり批判的に読んだりする資質・能力の育成を重視しています。
教材は、『近代以降の論理的な文章及び現代の社会生活に必要とされる実用的な文章』や『必要に応じて、翻訳の文章や古典における論理的な文章などを用いることができる』としています。
おおーーー! これですね! 学校の先生の皆様どうもありがとう!
理系は最悪大学で学べるので、文系にこそ選択して欲しいものですが。
それでも、以前よりはずっと良いですね。これからの若者に期待です。
id:mezirushi いまの学習指導要領では小学校の国語から「情報の扱い方」があって、ロジカルな読み書きも学んでいるはず https://www.meijitosho.co.jp/sp/eduzine/news/?id=20180189 情報の比較とか引用の仕方、出典の示し方までやってるみたい
id:mezirushiさん、どうもありがとうございます!
・第1学年、第2学年
ア 共通、相違、事柄の順序など情報と情報との関係について理解すること。
・第3学年、第4学年
ア 考えとそれを支える理由や事例、全体と中心など情報と情報の関係について理解すること。
イ 比較や分類の仕方、必要な語句などの書き留め方、引用の仕方や出典の示し方、辞書や事典の使い方を理解し使うこと。
・第5学年、第6学年
おおお・・・! 論理や議論の仕方をこのように教えるわけですね。なるほど
長年議論されていた理想の授業が詰め込まれていて いやはやスゴイです。
現場の先生の皆様ほんとうにありがとうございます!
それにしても現在学んでいる子供たちは我々とはもはや別者になりそうですね
私も負けないように勉強しないといけないな
すみません、他にトラバをいただいているようですが伸びすぎてしまって探せませんでした
反応できなくてすみません
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB098BF0Z01C22A2000000/
君の人生を困難にしているのは、
学習障害があって文章の意図が読みにくいか、言語化能力が弱すぎるから調べ物が出来ないこと
知的な困難があるならゆっくりペースで成長してるんだな、自分の独自の世界の話をしているんだなって思うけど、どうなん?
戦時中において、一部の個人が特殊な手段を使って兵役を回避しようとしたという報道や記録が存在します。その中には醤油を飲んで「貧血状態」を装い、兵役を回避しようとしたという報告もあるようです。
当時の日本では、戦争による兵力不足から徴兵が厳しく実施されていました。兵役を回避するためには、健康上の問題を装ったり、裕福な家庭であればお金を使って兵役を免除されることもあったとされています。これらの行為は違法であり、社会的にも非難される行為であることは言及しておきます。
戦時中の日本において、一部の支配階級や裕福な人々が軽井沢などのリゾート地でパーティーをしていたという記録や報道があります。当時、日本は太平洋戦争を戦っており、国内は厳しい経済状況や食料不足、空襲などの戦争の影響を受けていましたが、一部の富裕層はそれらの影響を比較的受けにくい状況にあったため、リゾート地での贅沢な生活を楽しむことがあったとされています。
軽井沢は、夏涼しく過ごしやすい気候と美しい自然があり、戦前から日本の上流階級や外交官、外国人などが避暑地や保養地として訪れることが多かった場所です。戦争が進行していた時期でも、一部の特権階級の人々は軽井沢での生活を続けていたという記録があります。
これらの情報は歴史的な資料や回想録、報道などによって裏付けられていますが、一部の特権階級の行動が全体の状況を反映しているわけではありません。当時の社会は戦争の厳しい状況により多くの人々が苦しんでいたため、特権階級がリゾート地での贅沢な生活を楽しんでいたことは一般の市民にとっては不平等や不公平な状況として捉えられることもあるでしょう。
白洲次郎(しらす じろう)は、日本の外交官であり、戦後には評論家としても知られる人物です。彼は戦時中、外務省の要職にあったが、病気を装って徴兵逃れをしたとされる代表的な例の一つです。
白洲次郎は、日本が太平洋戦争に突入した時点で、外務省の官僚として国内の情勢や国際的な状況をよく理解していました。しかし、自らが体験した第一次世界大戦の戦場での経験や戦争の悲惨さを胸に抱え、戦争への反対や人道的な理由から徴兵逃れを試みたとされています。
白洲次郎は、病気を装って入院したり、療養の名目で兵役を免除されるように働きかけたりしたと言われています。彼はその後、戦後の日本の外交政策に大きな影響を与える存在となりました。
徴兵制について。昭和2年(1927)までは、お金を払って兵役期間を短縮できる制度がありました。もっと前は兵役免除となる時期もありました。こちらは入営中の経費を負担することで2年の兵役を1年にする一年志願兵への申請書類と選考結果。現在の長野県塩尻市の方です。
信州戦争資料センター
太平洋戦争ですが、私の知ってる金持ちは、誰も戦争に行ってませんが、何か方法があったのですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10158993500
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うちの父も、自らの口で語ってますが「軍部にお金を積んだ」そうです。
最初は、暗号解読とか、通訳の口を狙っていましたが、御殿場の練兵場で終戦です。
食べ物も、ウラから手に入れ、飢えた思いをしたことはないそうです。
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それだけで本が書けるほど。
結果として単純に徴兵に応じたのは
①何も知らない人
②親にカネがなかった
④みんな仲間だからと、抜け駆けはできない人
など。
詳細は省きますが、ウチの親の場合、満洲の炭鉱の課長なので「徴用」扱いで最後まで赤紙は来ませんでした。
叔父は馬の専門家で「軍医」として戦地には赴きましたが、ずっと後方です。
親戚には陸大を卒業し、陸軍中枢の参謀本部勤務のまま終戦を迎えた人もいます。
知人は臨床検査技師で、衛生兵を希望し、最後はシベリア経由で帰ってきました。
著名な作家の多くは、結核の既往歴で徴兵免除になったか、さもなければ報道班の「徴用」で南方に行っただけ。
勉強し過ぎの学徒上がりは、視力不足では鉄砲が打てないと大幅に順位を下げられ、
診断書に手心を加えてもらった金持ちの子弟、自傷して障碍者になった者、わざわざ犯罪を犯して自首したもの(懲役以上の受刑者は徴兵の対象外)、良心的兵役拒否で最後まで出頭に応じなかった、等やり方は無数にあります。
私は高校生の時から、今徴兵が来たらどうするか、そればかり考えて行動していたのでやたら詳しくなりましたが、今後のお勧めは、コンピューターの腕を磨いて、資格をとって、徴兵されても後方勤務になるよう工作するのが一番簡単でしょうね。
親切な補足を書いてくれた人がいるので真面目に議論したい人はそちらでお願いします。木村幹先生のツイートの意図が全く伝わっておらず腹が立ってこの増田を書きましたが、一部の人にはさらなる誤解を与えてしまい少し申し訳なく思ってます。とは言えまともな教育受けてれば読めるだろとは思わなくもないですが、教育がまともじゃないから仕方がなかった。
誤解したコメントがついていたので、休憩時間で一先ず本文の下に返信を付けました。
面倒を見た学生は、奇しくも問題提起をしている木村幹先生が所属されている大学(神戸大学)と同等のレベルの大学です。
またレポート、卒論、修論とまとめて書きましたが明らかに突然お気持ち表明をはじめるのは流石に学部1~2年生のレポートがほとんどです。ただ大学入学時点でそういった文章を書いていた学生が、多少成長したとしても卒論、修論でどのような論理展開の論文を書くことになるのかは想像がつくと思います。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2192374
こんなもん日本の国語教育の駄目なところを煮詰めたようなテンプレートだろ。修士、博士課程の期間に学生のレポートや卒論、修論の面倒をみてきたが、突然お気持ち表明をはじめる学生は本当に多い。突然自分語りを初めて空に飛んでいって、二度と地上に帰ってこられない奴らばかり。こんなゴミを教えてないで、ロジカルライティングについてまともに教育してほしい。
論文は一部の人だけが書く文書であり必要な人に個別に指導すればいいという反論がありそうだが、このテンプレートのように突拍子もなく自身の経験ベースのお気持ちを述べることが求められるような文書を求められる機会がどれだけあるのだろうか。多くの人が業務で書く報告書や技術文書などは、事実と観測結果、先行する調査結果等を元に論考することが求められているのではないだろうか。実際にはそんな文書を書く機会はないのに、自身の経験をベースとしてお気持ちを述べさせるカスゴミ作文手法を『正しいテンプレ』として教えているのではないだろうか。
また読書感想文だからこのフォーマットになるのは仕方がないという意見もあるが、読書感想文の枠内で自分語りにならないように書く方法もある。たまたま手元に小学1~2年生向けの課題図書である『うまれてくるよ海のなか』(息子の所有物)があるのでこれを例にすると、この本は海の生き物の『出産・育児』、取り分け『お父さんとお母さんが協力して出産・育児』をする姿に焦点が当てられていて、後書きでもその点について述べられている。テンプレに従うと子供から見た我が家のお父さん、お母さんの役割分担の話とお気持ち表明をして終わりになるだろうが、この本から得た気づきを元に図書館に行って日本や世界の出産・育児の分担の状況について調べたり、あるいは海の生き物以外についても調べたりして調査結果から考えを広げ、その上で感想を述べることも出来るだろう。
テンプレを教えるのは良いが、そのテンプレがゴミだと害悪でしかない。正直、小学校の先生にロジカルな文書作成が出来るのか疑っている部分があるが、出来るというのであればそれをきちんと教えてほしい。
レポートや論文と感想文が異なるのはあたりまえで、感想文に感想を書くことに文句をつけるのは、いったりどういう論理構成なのか不思議。
国語の時間を寝て過ごしていたのでなければ読み取れると思うのだが、感想文に感想をつけることは否定していない。テンプレートに記載されている構成では突拍子もなく感想を述べた後に自身の経験について述べるにととどまっており、そういった文書構成をテンプレートとして推奨することに日本の国語教育の駄目なところが現れていると批判している。
卒論、修論と読書感想文は全然別のものです。それにいま修士、博士課程にいる学生さんたちが小学生のころはこういう教育はしていません。
テンプレートを使った教育を批判しているのではなく、ロジカルライティングを軽視した、お気持ちの表明に偏重した教育がゴミだと言っている。自分も小学生の頃にこういった読書感想文を書かされたと記憶しているが、未だにこういったテンプレートが存在することがそういった教育が継続していることの根拠ではないでしょうか。
命の危険もあるような(そんなに就業者が多くない業界だが、毎年必ず同業者の死亡事故や過労死や過労自殺がおきてる)ハードな仕事してて、
頭を使ったり悩んだりすることも多く精神的にもキツいんだが、
家に帰ったら妻が気遣ってくれずつらい。
仕事からの帰宅後は穏やかにいたくてもいられない、家事できない事情もあるわけで。仕事ってものに対するオンナの想像力の欠如がありありと見える。
よく夫からのモラハラとかって男が責められてるけど、仕事で心身ともしんどい状況の夫側に渡す意図が全く分からない。
外でハードな仕事して、家計を維持する責任を常に負い続けて精神肉体ともにズタボロになってるのは夫だけなのに男女平等に!じゃあないのよ。そんな夫に家事手伝われて喜んでる場合じゃあないんだよ〜〜!?
「男は優遇されている!」てそれ、命の危険もある仕事を毎日してる夫に言うべきことか?
仕事で精神も疲れ肉体もボロボロかつ睡眠とれてないので、こっちもわけもわからずイライラしちゃうねん…。
身体ボロボロで睡眠もろくに取れないのになんでお前の仕事(家事)の手伝いまでせなあかんのじゃ。
仕事の問題でのイライラならどうしようもないので女性側が理解して距離を取るしかないと思う。
妻は「訳も分からずイライラ」と受け取るが、夫に言わせれば「理由ならいくらでもある」んじゃない? こちとら心身限界なのに妻は稼ぐ仕事を何もしない、明日に向けての仕事の準備も手伝わない、とかさ。
稼がないからイライラしてるんじゃん。家計維持のために働くなんて当たり前の事に自ら気付きもしないからイライラしてるんじゃないの?
世間の不機嫌攻撃はハラスメントというのほんと腹立たしい。このような無理解が帰宅後の孤独感を増長させる。度を超えた仕事の疲労とコントロール不可能な精神的ストレスに翻弄されるんだぞ…。学べ学べ学べ。
家の稼ぎのため働いてる夫にイライラするなだのなんだの正気か?
稼ぎが足りないとか腸煮え繰り返る。外で稼ぐのはお前の責任、仕事ちゃんとやれよ、妻のご機嫌取りとケアよろってクソバイスにしか見えない。
仕事後の体と精神は大きなダメージを受けてるのに明日の仕事のことも考えて眠れなくて精神バランスもむちゃくちゃでイライラしやすいの。そりゃイライラもするし稼ぐ戦力にもならない妻の手伝いなんて二の次だよ
以上、あまりにも自己中・身勝手な主張はすべて↓から頂きました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20230724-OYT1T50196/
子供が何故か家族共用のPCから自分が普段スマホアプリで使っているTwitterアカウントにログインしたままログアウトできていなかったので、出来心で子供のアカウントのTLを見てしまった(勿論、子供に有害そうなアカウントを見ていないか確認する意図もあった)
さらに、そこで子供の友達か先輩と思われるアカウントが「課題がわからない」としてTLにのせていたワークのページに載っていた問題をといて出来心で答えをリプしたらブロックされた事がある
もし目の前に鏡があったら、見て欲しい。
鏡に写っているのが1000年に一度の美少女だった人。
または、川崎生まれでラッパーかヤクザの鞄持ちになるしか無かった人。
そうじゃ無い人。残念ながら物語として出来損ないです。
でも、人は何かに憧れてしまう生き物なので、それが完全に間違いであると確信する事は難しい。
人々が虚栄心や欲に塗れている理由。
物語を作る人間、特にジブリの宮崎駿ともなると、自分の表現に対する影響力とその責任について当然考えていると思った方が良い。
宮崎駿の昔のエピソードに、『となりのトトロ』を作った際、作品を通して生の自然と触れ合うきっかけにして貰いたいと思っていたら、「子供が家でビデオを擦り切れるくらい観るほど大好きなんです」と言う親が現れたという話がある。
物語に感化された者が、物語の世界を通して理想を築き上げ、しかし自分の現実とのギャップで苦しんでいるとしたら、それは物語の罪に当たる。
このリアルさとは、実際の現実をデフォルメしたものであって、デフォルメの仕方が理想的だという事に過ぎないのだ。
「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるように、本来の現実は物語と比べ物にならないくらい複雑で不条理なのだ。
現実は物語として歪な形をしていて、そこに答えや正解がある訳でもなく、混沌なのだ。
人生は混沌を乗りこなす事であり、だから現実は面白いと思う人が居て、だから創作する側に立たない人が大多数なのだと思う。
だから、宮崎駿の「君たちはどう生きるか」という作品は、物語の世界に囚われて生きる人々に現実と向き合うことを促す意図があるように思えた。
この記事の内容。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/264951
これが障害者差別になるのであれば、もうこの手のキャンペーンは全滅する。
ブコメ内にもあるが、キャンペーン用に用意できた席が一般席だっただけの話。一般席だったから、応募要項にしっかりその旨書いたんだろ。
それなら車椅子席を確保しろという声があるが、じゃあ一席だけでも確保してたらそれで良かったのか?
そしたら車椅子席の割合が少なすぎるってまた差別だーって騒ぐだろ。
今回セブンが確保した、試合観戦ペアチケットは総計175組350名分。だいぶ太っ腹だと思うが、その数半々にする?
そもそも会場に車椅子席が約340席あると書いてあるけど、キャンペーンの車椅子席の割合増やしたら(別に半々まで増やさなくても)、その分一般購入の枠(車椅子席の)が減るんだよ?
一企業のキャンペーンのためにそこを消費する、それこそだめだと思うんだけど。
あと当日の対応云々言ってる人いるけど、そもそもセブンってただのスポンサーだよ?
試合や会場の運営に携わってないだろ。一昔前だったら対応してた?いやいやそれって結局現場の人(別企業)が対応してたんだよ?
スポンサーだったら現場に押し付けていいの?その分本来車椅子席で対応するスタッフの数減らすの?やばすぎん?
書き方が悪いって人もいるけど、記事の本質が「障害者の排除」だから、応募要項どう丁寧に書いても解決になってない。
(今回のように記事にされる可能性を下げることには繋がるかもね)
もう一度言うけど、セブンはただのスポンサーで、確保できた席(チケット)を宣伝のためにキャンペーンとして配布しようとしただけで、何も悪くない。少し考えたらわかるだろ。これでダメならスポーツ観戦系のキャンペーンは全滅させたいのね。
これで叩かれれるのは可哀想すぎる。。
※ここまで読んでまだ「だから車椅子の席も確保しろ」とか言うんだったら、当選割合とその分の一般購入枠の消費についてしっかり意見してくれ。
「当選割合とその分の一般購入枠の消費についてしっかり意見してくれ。」
※以下他のトラバにも書いたやつ
こういう系の仕事やったことある人なピンとくると思うけど、こういうキャンペーンってまず簡単に応募させて、当選後にチケットの送付先等の個人情報入力のフォーム送ったりする。応募者の属性わかんない。
理由は個人情報の取り扱いが大変だから。こういう系のキャンペーンで応募者全員の個人情報抱えるなんて、正気の沙汰ではない。
この後は少し考えたらフローが大変なのわかるよね?
一企業がお気軽にキャンペーンなんてやらなくなる→全滅させたいの?って思ってる。
(全滅は言葉が強すぎるかもしれん…)
じゃあ応募する時点で一般と車椅子で分けるってなると、一般が350組に対して割合的に車椅子が4組とかで大丈夫だと思う?ダメなら割合は?どんどん増やすなら一般購入枠の消費とのバランスは?
車椅子じゃない人が当選確率高そうだと邪推して車椅子枠に応募する可能性は?
考えれば考えるほどめんどくさくて、リスクが残って、こういう系のキャンペーンやり辛い世の中になっていくでしょ?
””今後はそういう社会にしていかないといけないんだよ。増田はセブンを不憫に思ってるんじゃないだろ?「仕方ない」で合法的に障碍者差別がしたいだけだろ?名古屋城のエレベーターにも反対してるんだろ?””
残念すぎるコメントついてた…。
名古屋城のエレベーターとか知らんわ。バリアフリーになってないならつけたらええやん…。誰にでも差別主義のレッテルを貼りたいだけやんけ。
「今後はそういう社会にしていかないといけない」と書いているが、一般販売の話ではなくてキャンペーンの話だよ?
キャンペーンなんだから、仕様上特定の層に絞らないといけない/意図があって絞りたい、があってもいいと思う。ないと成り立たないことも出てくる。
不必要にマイノリティに対して線を引くのは差別だと思う。ただ、確保できた席という仕様がある以上、差別だとは思わない。(今後考慮していこうはわかる)
そもそもセブンやキャンペーン以前に、今回の試合車椅子の方は入れるが、寝たきり要介護の人って入れないよね。仕様上線を引いているよね。
色盲の方に配慮していないwebサイト全滅してる?「仕方ない」で線を引いたら差別になるんだよな。
俺には同じことだが、表面上話題になったコトモノしか見ず、強い反応をしたがる人が多い。
「君たちはどう生きるか」感想。
具体的なネタバレはそれほど無いと思うが、作中のかわいい一キャラクターのみ個体言及する。
一言で表すならば、眠りの浅い時に見た夢。
ナウシカ、ラピュタ、トトロ、魔女の宅急便、紅の豚、もののけ姫、ハウル、ポニョ、そして風立ちぬといった宮崎駿歴代作品イメージボードをブンブン振り回されて巡らされた。
呆然とした。
映画が終わった時には、なるほどね、と口から漏れていた。何故広告を打たなかったのか、得心したからだ。むしろ広告が打てなかったと言う方が正しいのではないかと思う。
ストーリーが訳がわからんかったのは別にいいというか、この作品自体が夢みたいなもんだからどうでもいい。
まず引っかかったことの第一、台詞回しが説明的だったのに結構なダメージを受けた。
映像だけで説明できているはずのシーンで重ねて行動の意図を口に出して「今この台詞言う必要あったか?」となったのが、覚えている限り少なくとも二回はあった。
他にも感情の流れの描写がなく、どうにも唐突に結果だけが放られる台詞が多かった。細田守を彷彿とさせる台詞回し。辛かった……
私はキャラクターへの共感については特に必要性を感じない方なのだが、感情の流れだけはしっかり描いてほしいと思っている。その流れがブツブツ途切れていて、最後に繋げたい結論だけを口にさせていて、気持ちが悪かった。
それも意図的なのかもしれないが。
第二にショックだったのは、ワラワラがただ可愛いだけのゆるキャラだったこと。
駿の中にはもうマスコットになりうる「可愛くて、でも不思議な」キャラクターはいないんだなと痛感した。
安直でなんの捻りもない造形には、宮崎駿の原体験や自然の中にある生命の伊吹を感じることができない。そこに「いる」必然性は描かれず、ただ丸く、かわいい、特徴の廃された「マスコットらしいマスコット」でしかない。
子供向けにフックとしてマスコットが要るだろうという「思いやり」もしくはジブリと言えばという商業的要請から出されたキャラクターにしか感じられなかった。
DNA螺旋なことは分かるが、それにしたって安直なデザインには宮崎駿の興味・関心が感じられない。
まあそこは今の宮崎駿にとってはどうでも良かったのだろう。でもシンプルながら風変わりで、動物や幼児の見せる原初の感情や愛嬌を細やかに描いたキャラクター達を愛していたので、個人的にショックが大きかった。
現在の宮崎駿の中で鮮やかに表現されるのは、戦争であってファンタジーではないというのは今作を観て強く感じられた。
最も切実にこちらに訴えかけるのはやはり空襲のシーンであったし、街が燃え、人が炙られ彷徨うシーンだった。
主人公が自らを傷付け、結果二兎を得るが上手いこと加減できず割と深い傷になる小賢しさと迂闊さも少年らしく良かった。
背後に不穏さが漂う陰鬱な現実こそが「今」の宮崎駿なのだろう。現代情勢からも必然だろうとも思う。
私は宮崎駿の、普通エンターテインメントに乗りきらない切実で繊細なものを、エンターテインメントという砂糖をまぶして結実させ、本来のターゲット外の人までより広く世に送り出す手腕にこそ心酔していた。
「風立ちぬ」なんかはその真骨頂で、あんな純文学を大々的にお出ししてきたのは正気ではないと思いつつ狂喜乱舞したし、そこに込められた宮崎駿の諦念を目の当たりにし、これで創作活動を終いとするのは悲しすぎると涙した。庵野が棒すぎて頭に入らないから嫌と内容以外の部分で周りに否定されたのも悲しかった。
結果的に言うと「風立ちぬ」は宮崎駿の終点とはなり得ず、私の望みは叶えられた。
「君たちはどう生きるか」を鑑賞し、ここまでただ狼狽した心情を書いてきたが、今の宮崎駿に非常にショックを受けつつも、なんとなく心穏やかになった部分もある。
宮崎駿作品から既にひりついた表現への欲を感じなくなったのは、それはそれで救いであるとも思う。
そういう意味では、私にとっても「宮崎駿」への餞というか、終活になった。
どんなに作品の底に込めた意味があろうと、こちらに伝えようという意思が感じられない、というか作品を観ながら「伝えたかったもの」を考える余地がある、物語に没入できない時点で出来の悪い作品と考えているので、作品単体で言うと★1なのだが、監督が宮崎駿ということを加味すると★3になってしまう。
「君たちはどう生きるか」を宮崎駿ではなく、例えば米林宏昌あたりが作っていたら私は激怒し、オマージュを大義名分にジブリブランドを体良く利用して棄損するなと気炎吐き散らして暴れ回っていただろうが、宮崎駿ならばこれを作る権利がある。
反ワクや怪しい健康商品、詐欺的な広告についてるコミュニティノートは有益だが
政府の政策に対する個人の見解や予想に対して、それに反論する意図で政府の公式見解やそれをソースにしたWikipediaを貼り付ける様な質の低い物も目立つ
これは荒い運転をしている人間に事故の心配をする意見を言った側に、その運転手や身内が「事故が起きるとは思っていない」と答えている様な物だ
実際、コミュニティノートが付けられたツイートを表示するアカウント、役に立つコミュニティノート(https://twitter.com/HelpfulNotesJP)の内容を見ると
右翼的なツイートには殆どコミュニティノートが付けられていない一方で、左翼的なツイートにはコミュニティノートが多く付けられている
これをもって「左翼は右翼よりも嘘をつく事が多いから」という主張をする人もいるが、Twitterには左右共に酷い言動の人間は幾らでも居る
右翼側の例を挙げるなら根拠のない人種差別的なツイートやDappiの様な野党へのデマを用いた攻撃などがそうだ
だがそれらへのコミュニティノートが付いている事があまり見受けられない現状には違和感を覚えざるを得ず、現状の運用システムに問題があると思われる
https://wasegg.com/archives/5251
https://www.asahi.com/articles/ASR3K51YMR3JUTIL00V.html
また、このシステムを運用するTwitter自体が誠実であるかという点も考慮する必要がある
現Twitterの実質的なトップであるイーロン・マスク氏は、かつて自分が嫌うメディア関係者のアカウントを一方的に凍結した過去があり、他者の思想を尊重する立場の人物であるとは言い難い面がある
https://www.bbc.com/japanese/63995918
https://www.afpbb.com/articles/-/3443738
コミュニティノートは正しく運用されればデマの拡散やエコーチェンバーなどの対策の1つになりえる
現に「コミュニティノートはほぼ誰でも参加・反論・評価が可能」なものであり、故にその内容は必ずしも正しい物ではないにも関わらず
今ではコミュニティノートが付いたという事だけで、「こいつは嘘つきだ」「コミュニティノートが付くのはやばいやつだけ」というコミュニティノートが絶対に正しいものであるという前提で発言する者も目立つ
これはコミュニティノートというシステム自体を起点とした新たなデマと、それによる新たなエコーチェンバーが形成されてしまっている事の証拠だと言える
Qアノンの様にデマを信じてテロを起こした集団がいた事を考えると、この人間の思考を停止させる機能が追加されてしまった状況には悪い予感しかしない
○ご飯
朝:ヨーグルト、バナナ。昼:なし。夜:おにぎり、味噌汁、唐揚げ。間食:ポテチ。
○調子
・はじめに
十数人の超高校級の才能を持った高校生たちが閉鎖空間に閉じ込められ、彼ら同士が殺人とその犯人を見抜く学級裁判を繰り返していくデスゲームものという骨子はそのままに、新しいストーリーが展開する。
魅力的がすぎるキャラクタ達、非常に残酷で救いの無い絶望的な展開、それらを丁々発止の議論で盛り上げていく。
今作はボリュームがあるのに加えて、かなり込み入った構成になっており、感想を書くのが非常に大変だった。
まずはキャラクタの魅力を語ってから、作品自体の感想を書こうと思う。
アクの強いキャラ達振り回されてきた歴代主人公の序盤の挙動とは違い、良い意味で最初から自分で物語を牽引していくタイプの主人公。
これが前向きで読んでいて楽しく、その積極さを応援したくなっていった。
他の面々に道を見出すシーンが多く、特に密接な関係となる超高校級の探偵最原終一との関係値がどんどんと変化していく様が好き。
しかし、この前向きさが、必ずしも正解とは限らないと批判されるエピソードが、幾つもあるのが今作の感想をまとめることの難しさの一つだ。
現実世界では何かを評するときに必ず良い面も悪い面もあるのが普通だが、フィクションとしての娯楽作品ではその辺はざっくりと抽象化してくれるものが多く、特に主人公の思想については過程はともかく、結論は肯定的に描くものが多い。
ここを多様的に肯定と批判が繰り返されるだけならまだしも、結論として肯定なのか否定なのかが明示されないのが本当にややこしくて、楽しくて、好きになった。
ダンガンロンパのテキスト主体の作品では初の女性主人公ということもあり、女性陣とは最初から距離感が近く、男性陣とは少し遠いのも、今までとの違いが楽しめた。
特に男性が嫌いな茶柱転子とは女性同士だからこその関係性を築くのが良きだった。
・王馬小吉がエグくて格好いい
彼の才能は超高校級の総督というよくわからないものだが、物語が進むにつれてその意味が否応なく理解できていく。
悪の秘密結社の総督を自称していて、最初から最後まで一貫して悪を貫いていて格好いい。
しかし、ここでいう悪がどのような意図の言葉なのかは、物語をそのまま書き下す以外ないぐらいに複雑で幾重もの意味を持っている。
彼の当番章は、僕がダンガンロンパシリーズでもし章単位の番付表を作るなら、一番に据えるかもしれない、それぐらい、好きで気に入ったキャラクタだ。
ただ、この好きを言語化するのが本当に難しい。
どこまでが本心で、どこまでが演技かも不明なシーンが多く、彼を好きなこの気持ちも、どの彼が好きなのかをはっきりできない。
ただ、正義や真実や希望といった、ダンガンロンパシリーズで「良い」とされてきた価値観と真っ向から対立する存在なのは間違いない。
それだけに、ある意味ダンガンロンパシリーズを包括して批判する評論家のような一歩引いたメタ的な立ち位置(物語の構造や超越的な設定の意味でメタフィクションと言っている訳では無い)なのが魅力的に写ったのかもしれない。
見た目は元気そうな少年なのも、悪なシーンとの対比が映えて好きなところ。
超高校級の才能であれば多少の無茶は飲み込める世界観だけに、超高校級の発明家というざっくりした才能はかなりの自由さだった。
一章からそうそうに発明家としての才能を発揮していく上に、自身の当番章ではまさに縦横無尽に活躍する。
そんな才能面での自由さ以上に、日常会話が成り立たないレベルの下ネタ好きっぷりに惹かれた。
女性同士という点を差し引いても、ドン引きレベルの下ネタが開幕から続く。
性的なネタを好み下品な言動ばかりで一貫して喋るキャラで、真面目な学級裁判での議論中でも容赦なく下ネタをぶっ込んでくる。
作中人物達からの人間性の評価、特に女性陣からのそれは散々で、めちゃくちゃ優秀な才能で活躍するにも関わらず、非常に嫌われている。
傍若無人な態度をとりながらも、相手に強気で来られるとマゾヒズムな感情を刺激されるのか恍惚の表情で命令を聞いてしまう辺りも、下ネタ好きキャラとして一貫した個性になっている。
性的に奔放で自由な様の娯楽的な面白さに、後付けで理由を付けてしまうのだけれど、ここまで自由だとある種の強い社会性からの解放すら感じられて、見ていて飽きない楽しいキャラだった。
あまりテーマとは関係のないコメディキャラだが、まさにそのコメディ部分が楽しめたし、清涼剤的な役割だった、性欲剤でなく。
・「嘘」
そんなわけで、必ずしも肯定だけで終わらない主人公の赤松楓と、どこまでが本心かがわからない王馬小吉の二人が好きだという感想を書いた。
これはゲームシステム的にも表現されていて、恒例のノンストップ議論で相手の発言を、証拠や証言で打ち抜く際に偽証をすることができる。
要するに議論を進めるためなら、それが真実でなくても良いというスタンスだ。
物語としても終始この「嘘」について取り上げられ、実際に起きた事件の議論という枠組みに収まらず、ある意味では倫理観、ある意味では普遍的な、様々な問いを議論していく。
非常に複雑な構造になっており、作中から得られる情報では絶対に真実には辿り着けない。
その上で、物語での言葉を借りると、誰を信じるのかを決めることが重要なのだろう。
主人公である赤松楓や、ある意味で名敵役である王馬小吉と言ったすごく主軸となるキャラクタですらその本心と、それに対する評価が多様なことが、まさにニューダンガンロンパV3全体の感想にそのまま繋がる。
このゲームが楽しかったのか、好きなのか、つまらなかったのか、嫌いなのか、自分の中で多様な意見が結論が出ないままにそのまま残っている。
別に物語として尻切れトンボなわけではなく、まさにこれが狙ったことなのだろう。
明確な結論を出さず保留し、ずっと考え続ける。
そういう結論がないことこそが結論の作品だったと、こうして感想を四苦八苦しながら書いて感じた。
・おわりに
こうやってゲームの感想を書くようになって以来、楽しむと自然と感想も書けるものだと思っていたのだけど、今作はかなりこのアウトプットに時間がかかった。
とにかく複雑で入り組んだ構成をしているゲームで、端的に何かを語ることが難しかった。
かと言って考えさせられる系の現実としての生き方に尾を引くお話なわけでもなく、あくまでフィクションとしての娯楽作品であることは貫かれている。
このゲームが好きなのか嫌いなのかすらもよくわからない、自分の中で整理が付きにくい。
この独特の読後感が唯一無二なのは間違いなく、アドベンチャーゲームというジャンルを飛び出して、ダンガンロンパはダンガンロンパなんだとトートロジーでしか評せない癖の強いゲームだった。
ノートの再考を申請することはできるし、反論ツイートをぶら下げることもできるし、そもそも反論できなくて何か問題あるか?
ただ、自分が言いたいことを言っているだけならツイートにノートがぶら下がろうとどうでもいいんじゃないか?
間違ったノートが付いたのなら再考を申請すればいいだけ。間違ったノートの尻馬に乗って騒ぐ人間がうざいって話なら、保存してノートが修正された後でさらし者にしてやればいい。
それなのに、一部の人があれだけノートを毛嫌いするのは「いい加減なこと言ってるのがバレるから」でなければ「リツイートしてもらいにくくなるから」だろう。
(前者の理由で嫌ってるような人間なら影響力を削がれて当然で、それはよいこと)
昔、リツイートが盛んになり出した時、間違いや一方的な情報がリツイートで拡散して、あとで間違いとわかっても修正できないことが問題視されてた。
実際いくつも深刻なトラブルもあって、何度も元ツイートを検証してそれが拡散先で表示される機能があればと言われていた。それが実装されただけでは?
ノートは議論のためのツールというより、リツイートの暴走のブレーキとか害毒の解毒剤と考えたらいいかと。
今までリツイートの拡散機能があまりに便利で強力だったのに、その暴走を掣肘する仕組みがなかった方がおかしかった。
リツイートの連鎖に水を差しやすいのはフェールセーフと思えばやむなし。
ネトウヨに自分の意見に水を差されてムカつくってのは、実は社会全体で見れば本当に些末なこと。
個人的には拡散を意図したすべての書き込みにノートが付いたっていいと思う。
どうしてもノートを付けられたくないなら、リツイート禁止・おすすめ停止(拡散拒否)にすればノートを付けられなくするような仕組みにする方法もあるし。
そのツイ主がどういう意図で言ったのかわかりかねるけど、増田の言うとおりね
女顔のショタってあまり興味がそそられなかったんだけどこれは別格だよ、色気が半端ない
寝顔で釘付けにしておいてからの隙間を無理矢理通ろうとするシーン、ほんのりとしか意味わからん流血→剃り込み、米を咀嚼して糊にするシーンなどなど全編にわたって「お前らこういうシチュエーション好きだろ?」って性癖シーンの連続なんだよ
ショタだけじゃない、薙刀ばあさんに囲まれて美人人妻が鏑弓撃つシーンとかまっったく必然性ないけど好きって言わざるを得ないじゃん
炎の出る鞭を振り回す逞しい海の女とかなんも説明もないけど好きって言わざるを得ないじゃん
なんも説明ないしシナリオがどうなんかも全くわからんけどこの構図好きって言わざるを得ないじゃん、最初から最後までこの画面好きって言わざるを得ないじゃん、もっとすごいのはその性癖の詰め合わせが物語として連続してみえるし裏に意図がありそうな感じがするんだよ
全くすげえもんを観たよ
オレオレFCは19日、ホームでサンフレッチェ広島とスコアレスドローに終わった。MF村松らが主力4人が出場停止の中、野河田彰信監督はGKに野村を入れるなど、メンバーのテコ入れを敢行した。だが終始、広島ペースで、終盤に反撃したが、シュート僅か6本、枠内0と低調で3試合未勝利となった。
【写真】スコアレスドローに終わり、ガックリ肩を落とす両イレブン
重苦しく、どんよりした雰囲気がスタジアムを包んだ。2試合連続の無得点で3試合未勝利。野河田監督は試合後「柏戦からずっとこんな感じやん。結局、獲る方がな。戦術も今日は変えて臨みましたけど、そこがどうにかならん事にはなぁ…」と、嘆いた。
前節のセレッソ大阪戦でMF村松が退場。FW森永、MF森下、DF奈良田も累積警告で出場停止の中、指揮官の言葉通り、現状打開へスタメンを入れ替えた。GKには野村が9試合ぶり、DF大村が5試合ぶり、FWトーマス・ノレジーが7試合ぶりに先発出場。システムもこれまでの3バックからDF岩田と一条がボランチに入る4ー2ー3ー1にし、長身のノレジーがキープしながらチャンスを作る戦術を敷いた。
だが、広島のハイプレスとショートカウンターに苦しみ、苛立ったノレジーは広島DFにたまらずファウルを犯し、警告を受ける悪循環。結局、ノレジーを前半だけで諦めた。それでも、広島ペースは後半も変わらず。シュート17本打たれ、枠内も10。野村の好セーブと広島の拙攻が無ければ、大量失点を喫してもおかしくなかった。野村は「みんな動きが重く、ギクシャクしているように見えた。それでも、助けるのが僕の仕事。久々の出場でしたし、守り切る事は出来たが、勝利を目指していたので…悔しいです」と歯切れは悪かった。
連戦とメンバー、システム変更の影響か攻守に選手が孤立し、意図が噛み合わない場面が目立った。ようやく反撃に転じたのも広島に疲労が見えた終盤から。だが試合通して放ったシュートは僅か6本。枠内はゼロと単発な攻撃に終始した。「(体が)動かなかったのが正直なところだった」とは主将のMF鈴木潤。後半15分、今季最短で退いた。これ自体は野河田監督との話し合いで事前に決められていた事だったが「試合の入りで勢いを持って来られてしまった。そこでまず負けたのが全て」と悔やんだ。
試合後、サポーターからブーイングが飛んだ。鈴木潤は「受け止めるしかないし、勝てなかったことは非常に悔しいです」と反省を口にした。これでリーグ戦3試合勝ち無し(2分1敗)。「これから先、上に行く為には連戦でも、今日出た僕達、選手がもう少し、戦術やインテンシティの部分で更に上回る事が必要になってくると思うので、もう1回引き締めてやっていきたい」と、誓った。
次節は22日、アウェイでFC東京と対戦する。この試合を最後にリーグ戦は2週間の中断に入る。野河田監督は「そら変わらずに、今まで通りやるよ。プラスもっと選手らが臨機応変にやらんと。こういうゲームをものにするためにも、もっとすり合わせして共通認識の精度を高めていかな」と奮起を促す。前回、劇的な逆転勝利をした相手に再び勝利し、いい形で中断期間を迎えたい。
広島は6試合ぶりの白星を逃した。終始、攻守に圧倒したが、GKに阻まれるなど、決定力を欠いた。スキッベ監督は「勝ち点3がほしかった」と悔やんだが「今日の内容は選手達にとって、自信になると思う。次こそ勝ちたい」と前を向いた。
「かのよう」という誤魔化しはやめましょう。「自分はこう曲解しています」という自白にしかなりません。
ブクマカの意図は「政府に任せても役に立たないんだから予算をそのまま配ったほうがいい」という皮肉であって、もとが他省庁の予算だとかは関係ありませんよね。
原発の処理水の数値がどのくらいで、これは自然からの放射線レベルより低く、という話はわかる
ただし、その数値が改ざんなどなく信頼できるならば、だ
科学的に問題はない、という話をするとき、当然全てのデータが真実であるとする仮定、というか、前提が入る
我々はそういう発表は全部真実だと無邪気に信じているから、反対派を非科学的とあざけるのだろう
でも本当にそうか?
科学者が自らの知的好奇心探求のために発表するデータでさえ、ちょこちょこ恣意的な解釈が混じる
それなのに政治的な検査数値をどこまで信じられる?となると、韓国や中国の人は信じられないのだろう
結局、我々が科学的科学的と言って賢いつもりになっているけど、それだけでは身を守れない国で生まれ育った者は他者に都合のいい説明を妄信しないという癖がついていて、それはそれでひとつの賢さだよな、と思う
本アンケートは性交に関する表現と理解の仕方に関する調査のためのアンケートです。
回答中に気分が悪くなった方は速やかに回答を中止して、このアンケートについて言及することをやめてください。
Q1. 「性交された/セックスされた」という表現について違和感はありますか?
はい・いいえ
Q2. 「性交された/セックスされた」という表現を見たことはありますか?以下の選択肢からあてはまるものを全て選んでください。
知人が使用していた
インターネットで見た
Q3-1. Q1ではいと答えた方に質問です。「レイプされた」という表現について違和感はありますか?
はい・いいえ
Q3-1-1. Q3-1でいいえと答えた方に質問です。「レイプされた人間は同時に性交をしている」ことは正しいですか?
はい・いいえ
Q3-2. Q1ではいと答えた方に質問です。「強制的に性交をさせられた」という表現について違和感はありますか?
はい・いいえ
Q3-3. Q1ではいと答えた方に質問です。「同意のない性交を行った人間を罰する罪」に該当する者は次のどれですか?あてはまるものを全て選んでください。
Q3-4. Q1ではいと答えた方に質問です。「性交された」という表現に違和感を持たない者が、同意のない性交の状態にありかつ「自分は性交された」と主張している場合に、その者は「同意のない性交を行った人間を罰する罪」に該当しうると考えますか?
はい・いいえ
Q4-1. Q1でいいえと答えた方に質問です。それは「性交させられた」とはどのように違いますか?自由に記述してください。
( )
Q4-2. Q1でいいえと答えた方に質問です。二人以上の人間の性交について、常に「した/された」の区別はつきますか?
はい・いいえ
Q4-3. Q1でいいえと答えた方に質問です。「自ら望み性交された」状況について、最も正しいと思うものを一つ選んでください。
現実にある/あった
現実にありうる
可能ではない
Q4-4. Q1でいいえと答えた方に質問です。同意のある性交があった場合に、性交をした側とされた側を区別するうえで最も重要と思われる要素は次のうちどれですか?一つを選んでください。
体格
Q5. この質問はQ1でどちらを選択したかに寄らずに回答してください。同意のない性交の状態にある人間を、全くその性交とは無関係な人間が、「同意のない性交を行った罪」に該当すると糾弾することは可能ですか?
はい・いいえ
各事例ごとに、以下の問いに該当する人間をすべて挙げてください。各事例について、情報が足りず判断ができない場合は「わからない」とお答えください。該当する者がいないときはなにも書かないでください。該当者の性別が重要であると考える場合には性別を含めて書いてください。また、相手の性別によっても回答が変わる際はこれも回答にお書きください。ここでは生物学的な男性・女性のみに話を限定し、これを単に男性・女性と呼称しています。
Q6. 「強制的に性交を行った人間を罰する法律」によって裁かれるだろうと思われる者はいますか?
Q7. 「同意のない性交を行った人間を罰する法律」によって裁かれるだろうと思われる者はいますか?
事例は次の通りになります。
男性(落下した側)・女性(階下にいた側)|男性が落下し、男女間での挿入状態にある場合
女性(落下した側)・男性(階下にいた側)|女性が落下し、男女間での挿入状態にある場合
男性(落下した側)・男性(階下にいた側)|男性が落下し、男性間での肛門への挿入状態にある場合
生徒・教師
* 事後的ではあるがその行為について相手を訴える気はないこと
A・B
A・死体
A・教祖
賭博に負け性交をした者・賭博に負けたものと性交をした者|発言した時点で性交をやめた場合
賭博に負け性交をした者・賭博に負けたものと性交をした者|発言した時点で性交をやめなかった場合
Q1.回答者自身の属性について、あなたが述べたいと思ったことを自由に記述してください。このアンケートには何も記入しなくても構いません。
例:パートナーの有無・生物学的/社会的性別・子供の有無・年齢・持病・性格(好きな16個への分け方をしてもかまいません)・身長や体重
Q1. アンケート§2においてあげた事例はいわゆるエロ漫画などに見られるような事例です。社会生活の中で同意の扱いについて法律を考える上で、考慮に値しないと考えますか?
Q2. 「不同意性交罪」は同意のない性交を行った者を裁く罪であると考えますか?
Q3. 「不同意性交罪」は同意のない性交の状態にあるものを裁く罪であると考えますか?
Q4. 同意のない性交を行った者を裁くため、第三者が通報することはよいことだと考えますか?
Q5. 以上のアンケートにおいて、答えが制限されている/誘導されていると感じたところはありますか?
Q6. 以上のアンケートにおいて、言葉が倫理的でなく、アンケート上で書くだけでも批判されなければおかしい、と感じた言葉はありますか?
Q7. 本アンケートの質問のうち、回答中にいやな気分になりアンケートに答えることなくただ言及をする人間が発生すると思われる個所はありましたか?