もし目の前に鏡があったら、見て欲しい。
鏡に写っているのが1000年に一度の美少女だった人。
または、川崎生まれでラッパーかヤクザの鞄持ちになるしか無かった人。
そうじゃ無い人。残念ながら物語として出来損ないです。
でも、人は何かに憧れてしまう生き物なので、それが完全に間違いであると確信する事は難しい。
人々が虚栄心や欲に塗れている理由。
物語を作る人間、特にジブリの宮崎駿ともなると、自分の表現に対する影響力とその責任について当然考えていると思った方が良い。
宮崎駿の昔のエピソードに、『となりのトトロ』を作った際、作品を通して生の自然と触れ合うきっかけにして貰いたいと思っていたら、「子供が家でビデオを擦り切れるくらい観るほど大好きなんです」と言う親が現れたという話がある。
物語に感化された者が、物語の世界を通して理想を築き上げ、しかし自分の現実とのギャップで苦しんでいるとしたら、それは物語の罪に当たる。
このリアルさとは、実際の現実をデフォルメしたものであって、デフォルメの仕方が理想的だという事に過ぎないのだ。
「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるように、本来の現実は物語と比べ物にならないくらい複雑で不条理なのだ。
現実は物語として歪な形をしていて、そこに答えや正解がある訳でもなく、混沌なのだ。
人生は混沌を乗りこなす事であり、だから現実は面白いと思う人が居て、だから創作する側に立たない人が大多数なのだと思う。
だから、宮崎駿の「君たちはどう生きるか」という作品は、物語の世界に囚われて生きる人々に現実と向き合うことを促す意図があるように思えた。
功罪は本当それって思う けど、パヤオの自慢からの説教と自業自得(血縁者にも有能アニメーターにも後継者になることを拒否られる)の話に思えたな 金を集めることが出来る安定...
確かに関連性はあるのかも知らないけれど、そんな狭い範囲の事だけを限定的に描こうとするような作家では無いと思うんだよね...
関連性しかないぞ
陰謀論とか信じる人は答えがこれかもって考えたらそれしか無いって思い込んでしまいがちだよね。 もっと色々な見方が出来れば自分の誤りにも気づける筈なのだけど、これがなかなか...
たが我々は物語なしには、〇〇を上手く理解できない。 〇〇のなかには人生とか物事とかそういう言葉が入る。
理解というよりも解釈じゃないでしょうか? 物語無しでは、意味を見出せない。 でも、実際には物語無しでも意味は見出せる様な気がする。