はてなキーワード: レベルデザインとは
PUBGだフォートランだアンセムだその他のFPS系やゾンビもの、どれもこれもオンラインマルチが前提で作られていて自分はそういうゲームは近づきもしない。ソロのキャンペーンモードがあったとしてもそれは本編ではなく内容が薄いし、かといってマルチ前提で誰かと一緒にやりたくないからだ。
俺にとってゲームは基本1人で黙々とやるものだ。開発が作った仕組みにきれいにハマりたいからだ。ゲーム内の予定調和を愛している。こう来たらこう来る、その繰り返し。障害物を上手く回り込めないで足踏みする敵AI、何度も調整された敵の配置バランスに苦しめられる。何度やっても同じ結果になる。これら全てが愛おしい。
最近出た中ではSEKIROは素晴らしいオフゲーム体験だった。誰の邪魔も入らず開発が練りこんだレベルデザインと繊細なアクションで繰り広げられる剣戟の世界。チームプレイなんて必要ない。必要なのは自分自身の頭と操作だけ。この世界にたった1人で立ち向かう。いわば開発側と俺との戦いだ。この感覚こそがコンピューターゲームの醍醐味だと思う。
俺が思うコンピューターゲームの面白さとは、つまるところパターンの解析とそれへの対応作業かもしれない。この先何百年も文明が続く限りゲームはなくならないだろう。でもファミコンからPS4までのこの時代が、コンピューターゲームの最も幸せな時代になるんじゃないだろうか。少なくとも俺にとっては。
やがてユーザーが集まらなくてもまるで人間と同じような思考を持つ敵AIと一緒に共闘したり対戦したりできるようになるだろう。それはさぞかしリアルだろう。でもソロ専で遊ぶだってリアルなのだ。作った人たちとのコミュニケーションなのだ。そして何故こんなに大げさな話に広げてしまったのかわからないがゼルダのBOWやSEKIROみたいな素晴らしいソロ専ゲームが出る事への感動からつい言いたくなった。
・RPGって探索や戦闘はゲームだけど育成やアイテム集めの部分はゲームとは似て非なるなにかだよね
三行しか読めない人向けまとめ終わり
少し前に、友達との付き合いからとあるソーシャルゲームを始めてね。友達をゲームに誘ってチュートリアルを終わらせるとなんかいろいろ貰えるよーってアレね。いやーしかし友達誘えってのはあれだね。マルチ商法だね。はしたないね。でも宣伝しつつ遊ばせつつ辞めさせにくくさせるには最高の手段ではあるよね。
それは置いといてだ。
そのゲームを始めてチュートリアルの初期段階はまあそこそこ楽しめたんだよ。一応ゲームになってたからね。目の前に与えられた課題に対していくつかの選択肢の中から自分なりの正解を選んでいく遊びとして成立していたからね。行動順とバフ・デバフと属性を管理するだけの遊びではあったけど、与えられたカードの中から自分なりの最適解を導く過程を感じられたよ。
始めて1時間ぐらいした辺りは実際楽しかった。このステージではこいうギミックを越えさせたいんだろうなとキチンと伝わってくる丁寧なレベルデザインと、程よい難易度のバランスがあって、なるほど想像よりもしっかり作り込まれているなと感心していた。……のだけどね……そっから1時間ぐらいした辺りから、もはや手応えなんて言葉では表現できないような数字の暴力が始まっていくんだ。
それまで「このキャラとこのシステムをこう使っていくんだぞ」っていうデザインだったステージが、「このキャラをこれぐらいまでレベルを上るか。同じぐらいの攻撃力のキャラをガチャから引いて持ってくるんだぞ」という風になってきてな。それが等加速度直線運動でひたすら酷くなっていんだよ。そして数日ほどすると、確定配布のキャラはレベル上限が見え始めてきて、覚醒だの強化だのと言った言葉と共に「今ならガチャが安い!今だけ!一週間以内にガチャ買え!早く金払え!」みたいになってな……。まあそれはいいんだ。
問題は、そこで金を払わないと凄まじい待ち時間や単調な作業を繰り返してようやく進めるかどうかになってきたゲームの難易度(って言葉で表現したくはない適当に入れたような数字の上昇)や、そこで金を入れた所で結局はひたすら数字を大きくするだけの作業の繰り返しだって事実への邂逅だよ。カンタムロボ最終回の慟哭みたいなもんだ。終わりのないパワーアップとインフレの繰り返しの果てに何があるんだろうっていう虚無感さ。
俺は友人にギブアップを伝えたよ……。
勘違いしないで欲しいんだが、俺がギブアップしたのは課金誘導だとか時間をやたら浪費させようとすることだとかじゃないんだ。
今後頑張ってレベルアップや星5収集を行って戦力を整えてステージをクリアしても、それが自分の力によってステージを攻略したこととは別物に思えてしまったからなんだよ。結局それは積み上げた時間やお金によるものでしかなく、その過程によって磨かれた自分のプレイヤースキルじゃないんだろうなってことさ。
ちょっと話を逸らすけどさ、「銀と金」っていう漫画に『金の橋』っていうギャンブルがあるんだ。薄暗い部屋に名画の贋作と真作が置かれていて、それをちょっと遠くから僅かな明かりを頼りに本物を選んでみろっていうギャンブルだ。この話が単にそれだけだとよくある千と千尋の神隠しのラストみたいな奴でしかないんだが、福本伸行だけあって面白いこと考えてるのよ。金の橋っていうギャンブルはその名の通り、金を払うことでその金の厚み(1万円札で)と同じだけ絵に近づくことが出来るっていうルールがあるんだ。もし真作を当てた所でほぼ儲けがゼロになる事さえ覚悟すればほぼゼロ距離まで絵に近づけますよってぐらいの距離なんだなこれが。それでまあ絵画商のオッチャンは流石に暗くてよく見えねーってことでかなーり近くまで絵に近づいていくのよ。その過程のコンコルド効果と、それに飲まれてアップアップになって目利きへの自信が薄らいだり逆に過信になってきたりするのが面白いわけさ。でも結局このギャンブルの肝は目利きでさ、異常な空気に飲まれながらでもめっちゃ近くまで来たなら、本物の目利き商なら贋作ぐらい何とか見極められるはずなのよ。最後にものを言うのは金じゃなくて腕なのね。そういうのってやっぱいいよね。競技ってのこうじゃなくちゃ。最後は腕で決まらんとね。
さて、それじゃあ話を戻すけどさ。RPGとかで作り手に言われるままに強い装備を集めてレベルを上げて、そうしてそれらの積み上げた数字の力で勝利するのって果たしてプレイヤーの腕によるものだって言えるのかね?もし俺が他人にそう聞かれたら反射的に「バカ言ってんじゃねえよ。前提がおかしい。ドラクエはボタンを押すだけでいつの間にかクリア出来ちまう所が国民的なんだよ。誰でもクリア出来ることの何が悪いんだ」と言っちまう気がするのよ。でもそれって、結局の所は育成要素にはゲーム性がありませんってのを認めてるようなもんだよな。友達の頭が悪いことを馬鹿にされて、コイツはバカだけど人当たりは良いから単なる悪口野郎よりもずっと社会に必要とされてると思うぜって反論するのは、結局そいつの頭の悪さについては認めてることになるっていうあのパターンね。
でもまあ多少なら良いと思うんだよ。育成要素が強すぎてゲーム性がそれにより薄められちゃうのもさ。ひたすらストイックなだけなのも辛いし、下手くそは上手い奴と一緒に遊べませんってせずにハンディキャップ与えてもらえるチャンスがあるのはいいことさ。でもそれをやりすぎたらさ、ゲームがゲームじゃなくなると思うんだわ。その境界線をどこで引くかなんだろうな。俺から見ると、ひたすら育成要素がドカドカ出てくるゲームはもはやゲームには見えなくなっていたけど、俺にそれを進めて結局俺が途中で飽きたからってことで俺の端末借りてチマチマ二人羽織りでクリアして限定キャラゲットした友人からすればゲームなんだよな。
好みの問題でしかないんだってことは分かってるよ。昔からポチポチしているだけのゲームが大手を振ってゲームだと言ってきた歴史はさっきも言ったようにドラクエが証明してる。それが悪いとは言わんし、あのゲームの成長速度は程よいし、たまに詰まって1時間ぐらいレベリングしてから挑み直すときのワクワクはなかなかのもんさ。まあ時間感覚の違いなのかもなあ。俺からすれば「一ヶ月レベリングをする」とかはもうゲームじゃねえだろっていいたくなるわけだが、MMOとかずっと一日中やってる人からすればそれはゲームだもんなあ。でもなあ。ポロっと引いたレアキャラが今まで工夫してようやく倒した敵をただポチポチするだけでなぎ倒していく様子を見ちゃうとさあ……これは本当にゲームなのかあって感じちまうんだよ。
確かスマブラの桜井さん辺りだったと思うんだけど、海外の人ってゲームするときに説明書を読まないから、世界で売るためにはまず説明書を無くさないといけないって言ってたんだよね。
そこで和ゲーが採った方法がチュートリアルという形でゲーム内に説明書を作って、読まないと先に進めないようにする事だったから、序盤が退屈でかったるいものになっちゃったんじゃないかと思ってる。
その辺、海外ゲーは昔からの文化だったからか、レベルデザインとかで自然と操作を憶えられるように作るのが上手いと思う。
アクションゲームならportal2、RPGならFF9(これは国産だけど)辺りがチュートリアルが上手く作られてると思うゲームかな。
スマブラSPが批判されてたけど、桜井さんは元々説明書とかチュートリアルとか見てなくても、はじめてさわる人がよく分からないけどボタンがちゃがちゃ押してたら何か上手くいってる!ってなるゲームを理想としてるはず。
スマブラだってある程度までは上手くいってるし、メテオスだってパズルゲームなのに適当に動かしてるだけである程度はなんとかなるし。
だいたいこんな感じ
表現力>実装力>画力>レベルデザイン>根気>コミュ力>作曲能力>客観性>主体性>文章力>プログラミング能力
「ゲーム作りたいけど~~」みたいな事言ってる人間の多くが、一番どうでもいいはずのプログラミング能力を過大評価しすぎ。
今はツールがいくらでもあるからアイディアとそれを形にするだけのセンスと根気があればあとは試行錯誤を繰り返せばいいだけ。
絵が上手いとか音楽作れるとかいうのはあれば有利な能力だけど、自分なりに世界観を表現することができるなら画力とかは最低限度あればいい(ひぐらしなんて手グローブだぞ。クリームパンだぞ)
プログラムかけないからって理由でゲーム制作諦めてる人はちょっと調べて見るといい。
なんだかんだゲームってのは世界観とレベルデザインさえしっかりしてれば面白いもんだから。
ゲームのためにプログラム勉強する時間があるなら、手触りよくするのに試行錯誤するのに時間使うほうが楽しいし色々手っ取り早かったりするよ。
私のくしゃみはびっくりするほど音が大きい。そこらの男性よりもよほど規模が大きく、その場にいる誰もが「うわ、なんだよ今の」と振り向くレベルアップ。自然に任せていたら「ブワッッックション!」というドス低いおっさん声で(もともと女性のくせに声が高くないのも原因)、もう体ごとくしゃみと一緒に動かさないといけないくらい、盛大にやらかしてしまう。だから、外でくしゃみ催したときはまずその場から離れる。部屋にいるなら即座に部屋を出る。そして鼻を抑え口を固く閉じ、「グシュン!」くらいに抑えるのだが、これだと異物を排除したい体は納得してくれず、くしゃみが止まらなくなる。普通にしんどい。かと言って自然にまかせていたら社会的信用を失いかねないレベルデザインひどい。この時期ならアレルギー薬、冬には風邪のケアを万全にしているが、それでも特にこの時期は外にいるとくしゃみが出てきてしまう。くしゃみが出るのではないかと怯えている。もう嫌だ。
遅田だけど、例の増田を読んでから色々観てみた。ただ地上波でアニメを観ないので、配信を待ってたら20日になってしまった。元田は格付けしてたのでそれっぽく並べたものの、どうあがいてもアニメ同士の優劣はつけることができなかった。容赦してくれ。利用した配信サイトはd'アニメストア、ニコニコ動画、AbemaTV、アマプラ、ネトフリ。基本コメントは見ないが、2回3回見るときはコメント付きで観たりした。
非常に中毒性の高い作品。音楽繋がりで「けものフレンズ」に近いものを感じる。全体の緩急、音楽、ギャグのテンポ等観ていて飽きないというか、1話1話が一つのMVのようになっていて、アニメを観ているというより音楽を聴いている感覚に近い。とりあえず「ヤマノススメ」ではなかった。
ノゲノラスタッフによる作品というキャッチコピーだが、内容的にはいしづかあつこ作品「ハナヤマタ」に近いものを感じる。ハナヤマタが中学生たちの優しい世界とするなら、こっちはもう少し、冒険をするときのワクワク感がある作品。両作とも「ギャグのテンポが良い」「1話毎に話がまとまってる」「女の子がみんなかわいい」「すごく救いがある」と言う共通点がある。特に1話毎の完成度が非常に高く、好きな話を何度も見返したくなる作品だなぁ、と感じた。メインキャスト4人のメンツで既にざわざわしていたのだけれど、なんてことはない、高レベルの喜劇を演じられる実力者揃えたからっていう。
一人で見てはいけないアニメ。最新話は必ずニコ生かabemaTVのコメント付きか、ツイッター実況付きで視聴する必要がある。プロデューサーの須藤孝太郎が何を考えてるのかよくわからないけれど、恐らく本作は「話題性」極振りの作品として作られていて、ある種のお祭り状態にすることが目的だと思われる。2話の青い鳥に餌をまくネタからも分かるとおり、実況するツイッター民等を含めて「ポプテピピック」なのだろう。そういう意味では伝説のアニメと言える。なおここで言う伝説は「めっちゃすごい」という意味ではなくて、「伝え聞くところの」とかそういう意味。例えば10年後、今の賑わいを知らない人からすればこのアニメは「当時このアニメは本当にすごかった」という伝聞でしかその魅力を推し量る事ができないわけで。
公式ラジオ番組で高木さんの中の人が言っていたが、「高木さんにからかわれて狼狽する西方を愛でるアニメ」だった。10分アニメでもいいからいつまでもずっと続かないかな、と思ってしまうのは制作がシンエイ動画だからだろうか。このアニメを観ているときは終始ニヤケ顔になってしまうので、人と一緒に見るのが困難な点が惜しい。高木さん可愛すぎかよ。
アマプラのみ。かなりガチの方のSFアニメ。アンドロイドと人間の物語。「イヴの時間」寄り?どっちかというと攻殻機動隊を思い出した。全身義体になった個人のアイデンティティとゴーストの存在についての話と地続きだったりするのかな。日常と非日常にそれぞれ描かれるSF描写がとてもそそられる。
アマプラのみ。主人公が感情を表に出さない、能面みたいな女の子なのだけれど、そんな彼女の心情をあらゆる方法(背景、音楽等)で演出している作品。シナリオについて、原作と見比べると「主人公が友達と楽しそうにだべってるシーン」が意図的に削られているのはそういう意図なのかなぁ、と思った。ずっと観ていたい。
前回の続き。原作既読勢によると2は結構駆け足のようなので、ニコ動のコメント等外部記憶を頼りにして観ていきたい。
ネトフリのみ。アニメーション技術の見本市みたいな作品。何から何まで凄いことになってる。特にびびったのはタイムラプス風演出。あんなの初めて観たし、どうやって作られているのか想像もできない。
https://kids.yahoo.co.jp/games/sports/013.html
百合は百合でもガチの百合。コミック百合姫は女性向けの雑誌らしく、本作もそっち寄り。公式ラジオでも言っていたけれど、エロシーンにおける作画の熱量が非常に高く、思わず「はえ^~すっごい・・・///」ってなっちゃう。コレも背景が草薙なので結構凄い。
アマプラのみ。動く方の絵本。草薙の背景だけでごはん3杯はイケる。音楽のノスタルジックみがすごく、特に1話ラストの労働歌がめっちゃ良過ぎてヤバイ。
アマプラのみ。時間の止まった世界を中心としたSFアニメ。今期のアニメの中では最もやさしさが少ないアニメなので、メンタルタフネスに自信のある人向け。主人公が成人の女性であったり、子どもの役を実際に子どもが演じている等TVドラマに近い雰囲気がある。なんかの番宣番組でプロデューサーが言ってたのは「時の止まっている空間をどう表現するか」をこだわってるそうなので、そっちの非日常がメインになりそう。1話ではクソみたいな日常から非日常に転落する話だけれど、日常パートは日常パートで暗い話なのだろう。背景も音楽も音響も良い。
「デスマーチから始まる」=「昔々あるところに」「今は昔」「Long long ago」。本当はあらすじだけで十分だと思うのだけれど、あんまり「デスマーチ」が世間に浸透していないがゆえにAパートが必要だったのかなぁ、と思った。「主人公がデスマーチって言っちゃうのかよ」という感想が出るのも仕方ないね。
Aパート、ゲーム初期のレベルデザインについてのやり取りを観れば、オンゲープレイヤーはみんな心がざわつくはず。案の定Bパートで「レベル1で高レベルの敵に囲まれる」「何の武装もない」「りゅうせいぐんがいきなり使える」「りゅうせいぐん使ってもエフェクトがない」「りゅうせいぐんをリキャスト無しで連射できる」「高レベルの敵がりゅうせいぐんで全滅」「一気にレベルが上がりすぎ」「ステータスがカンストする」等、所謂クソゲーであることが分かるので、本作は「クソゲー探訪モノ」という位置づけかと思われる。私はSteamで買ったゲームをMODで魔改造するのが好きなので、ゲームバランスの崩壊してる異世界冒険譚は結構楽しみ。そういう意味では、栄華を極めたゲームのサービス終了と同時に始まる異世界冒険譚ことオバロ2とは違う魅力があるんだろうか。
戦記モノ。ただ本作は剣と魔法の世界なので、「前近代風ファンタジー冒険譚」みたいな作品として観ることもできそう。あと戦記モノとしては圧倒的に流血表現が少ないので、なんか爽やか。最近は戦記モノがあんまり流行らないらしいので、どの辺の層をターゲットにしてるのか気になる。上記の特徴から、戦記モノが好きな大人よりも、そういうのを見たことのない若い世代がターゲットなのかな。あと同時展開してるTRPG既プレイ勢的ニヤニヤ要素どれくらいあるんだろうか。個人的には岩浪美和の作る音がめっちゃ好きで、1話だと「敵対した領主と剣を交えたときの金属音」がめちゃくちゃ凄いので聞いて欲しい。
諸事情で制作会社が変わったので実質1期。「たくのみ。」とセットにした理由が分かる気がする。12分を駆け抜けるテンポすこ
むしろこっちのほうが「ヤマノススメ」みを感じる。だがしかし2と2本立てのアニメ。12分でまとまったお話(脚本:高山カツヒコ)が心地よく、あらゆる苦悩をビールで忘れる幸せよ。仕事から疲れて帰った時、ビールのお供はやっぱり「簡単に作れて美味いヤツ」に限る。登場するお酒は全部日本のメーカーのやつなんだろうか。
博多の日常を描いたアニメ。全体的にBGMが心地よい。博多だけどあんまりラーメン枠ではない。BLACK LAGOONっぽい骨太な内容なので、お酒飲みながら観るといいかも。
上野のあの感じ×クソガキ×クソガキ×クソガキ。私も兄弟が3人いるので、小学生が3人集まったときの全能感をよく知っている。テンポ感からもクソガキ達の疾走感がよく演出されている。そういうクソガキたちを優しく見守る作品。観ててとても温かい気持ちになる。上野を中心とした背景美術が凄まじいことになっている。
私は前作のアニメをリアタイで観た人なのだけれど、CCさくらファンだった当時小学生の姉が観ていたからというだけでファンというわけではなかった。今はもう内容覚えてないし、自ら触れることはもう無いと思ってた。そんな私でさえ1話冒頭を観ただけで「イ゙ェアアアア!!」ってなったので、ファンの人は無事では済まないのだろう。マジで奇跡のような作品。
どうなんだろう、この作品を観た人はどこらへんで興奮したのだろうか。やっぱりロボットが真の姿を表したところ?1話の時点で明確な死が描かれているのは1羽の小鳥ちゃんだけなので、敢えてハードな展開になるのを抑えてるんだろうか。あんまり王道ロボットアニメを観たことがないので「メインロボット来た!これで勝つる!」といった高揚感を感じることができなかったのが残念。
TBS FREE、Tver、GYAO!などで最新話のみ無料。子どもと観る方の鉄道xロボットアニメ。子供向けにチューンナップされているからと言って大人が楽しめないわけではないんやな、って。一般人ではわからないレベルの専門用語が飛び交う程度には鉄道好きに寄り添っている。ロボットアニメとしてもかなりアツいので、最終話が放送される頃には「シンカリオンがんばえー」ってなってるかも。しかもコレ、フィクションらしい。
「迷い猫オーバーラン!」の松智洋 原案アニメ。同氏が2016年に亡くなったため、別のライター達によって引き継がれた作品。あらすじを読むだけで分かるくらい、中二病全開の作品。作中のBGMといい、とってもメルヘンチックに仕上がっている。気になったのが主人公の年齢。メルヘンチックな魔法少女モノだと大抵主人公は小~中学生が多い印象なのだけれど、なぜか本作の主人公は高校生である。1話を見る限りでは中学生でも成立しそうに感じる。OP.EDがエロい、監督の上田繁が閃乱カグラOVAの監督を務めた人らへんから察するに、主人公にエロいことをしたいのでちょっと大人にした、と言う感じなのだろうか。
ごちうさのスタッフによる日常アニメ。ごちうさだと思った?ごちうさの大ヒットが影響して大きな予算がついたのか、キャラクターの動きがめっちゃヌルヌルしている。ただしごちうさほどおとぎの国のお話でもなく、特に決定的なのは1話Cパート。よく考えたら脚本の井上美緒はハートフルボッコ系の人でもあるので、かなり胡椒のきいた日常アニメみたい。視聴者の心の、ささくれだっている部分をガンガン逆なでしてくるのでざわざわが止まらない。あとスタジオ風雅の背景がとても良い。A-1 Pictures×スタジオ風雅って去年の「亜人ちゃんは語りたい」以来?
逆ハーレムモノは「桜蘭高校ホスト部」しか観たことがないのだけれど、この作品はどの系譜なのだろう。ヒロインの声が矢作紗友里の時点で「乙女ゲーのツッコミ役かな?」となるわけだが、実際そうである。声優さん達の高い技術も相まってテンポよく進むギャグアニメなので観ていて楽しい。的確なツッコミが出来て、しかも可愛いヒロインって良いね。「月刊少女野崎くん」のパラスちゃんとか。あっちのヒロインはみこりんだけど。
1話だけ観た感想書いても意味が無いので割愛。
「いやそれ労基法どうなってんだよ」「実質奴隷じゃねえか」「何のための保育士資格だよ」「いや中学生一人にそれ任せたら誰か死んじゃうから!」などあらゆる不安を「やさしいせかい」という魔法で一掃し、安心して幼児の可愛さを楽しむ事ができるエンターテイメント。アニメーションしている幼児の可愛さは想像以上で、特に自己紹介のシーンは破壊力が凄まじい。脚本も良いので多分飽きることはないと思う。
色んなラーメンと小泉さん達のメシの顔を楽しむアニメ。惜しむらくは、日本各地のラーメンを食べて回った学生時代ほどラーメンが好きじゃなくなったせいで、観れば観るほど胃もたれしちゃう事。淡々と話が進むので低いモチベーションでも観れるアニメ。OPEDの中毒性が高め。
人外との非言語コミュニケーションを楽しむ作品。やさしいせかい。プロデューサーの那須田淳は逃げ恥のプロデューサーを務めた人なので、EDのダンスは恋ダンスのリスペクトだと思われる。ということは、本作は逃げ恥のファンくらいの年齢層(主に女性?)をターゲットにしてるのだろうか。ミーくんかわいいからね、仕方ないね。
将棋界にはユニークな人が多いらしい。将棋アニメとしては「3月のライオン」があるけれど、とっつきやすい方はこちらかも。同じ原作者のアニメ化作品「のうりん」は農業要素が申し訳程度だったのに対して、こっちはガッツリ将棋を描く方にウェイトを置いているようだ。友情/努力/勝利のサイクルを回すスポ根アニメかな?
「戦士に選ばれた女の子」「スマホゲーも展開」「Studio五組」=ゆゆゆ ではない。説明抜きでおっぱじめるあたり、詳しくはスマホゲーをプレイしてね!ってことなんだろうか。少なくともゆゆゆのようなハートフルボッコではなさそう。チャンバラ目当てに観るのが良いのかも。剣豪シリーズやってたので、いろんな構えが出てくるのが楽しい。あとどの子も使ってる鞘の柄がかわいい。
ホラー寄り。唯一無二かつ普遍的な面白さのある作品なので、いつ観ても面白いのが良い。基本的に短編集なので、リアルタイムじゃなくて観たいときに観るほうが楽しめそう。
あとかなりコミカルだった。
アマプラのみ。何かの番宣番組で聞いたのは「アニメでプロレスをやる」がテーマらしく、超人たちがリングの上で殺し合いバトルをするアニメ。超人たちの身体的特徴は元の動物になぞらえてあり、「むぅ・・・この動きは・・・」「し 知っているのか、雷電!」みたいな実況が入る辺りプロレスっぽい。バトルシーンだけならエログロキン肉マンみたいな感じ?結構アツい。
時代劇バトルアクション。アクションシーンは全体的にふわふわしていて「うおー!すげー!」とは感じなかった。国盗り合戦特有の血生臭さがあるのが良い。原作未読勢は外部記憶を頼りにしないと良くわからないと思う(未読勢並感)。原作ファンにどれくらい寄り添っている作品なのか気になった。
AbemaTVのみ。原作を手元においた上で視聴するのが良いと思った。原作のうちアニメ映えするシーンのオムニバス形式みたいなので、「あのシーンあるかなーwktk」というテンションで観るのがいんじゃないかな、音楽と背景が良いので。
今期で最もゆるいアニメ。
高校生男子の成長物語。サンリオのキャラクター達とのファンタジーではなく、サンリオのキャラクターが好きな男子達の日常アニメ。程よいBL描写のある作品で、今期のBLアニメってコレくらいかも(gdメン?知らん)。ただ、幾つかのシーンについて全く意図がわからない演出があって、「この作品は一体何を描きたいのだろう」と思った。それらが伏線として回収されるなら良いのだけれど、どうなんだろう。
特になし。
全体的にクオリティが高い印象を受けた。例えば背景だと、ハイクオリティでおなじみの草薙が携わっている作品だけでも「よりもい」「ハクミコ」「citrus」と複数あったりする。またアマプラのみネトフリのみ配信のアニメも沢山あり、全体として高予算高クオリティ化の傾向があるのかもしれない。どこぞのプロデューサーが言っていた、どんどん高いクオリティを求められる一方で人手不足になっている話を思い出した。
作品の内容について、アマプラのみ等限定配信のアニメはきびしいせかいが多く、一般配信してるアニメはやさしいせかいが多い、という傾向があるようだ。なんでだろうね。なので、気楽にアニメを観るならd'アニメストアとかで十分かも。
新作1話全部視聴はおすすめできない。観れば観るほど続きが気になる作品が際限なく増えてしまうし、途中までは楽しかったのがそのうち苦痛に変わっていくので逆にアニメが嫌いになる。後半は新しいアニメを観るためのモチベを稼ぐために好きなアニメやゲーム、音楽に触れてリフレッシュしないとやってられなかった。コレはアニメが悪いのではなく、アニメを沢山観るのは体力がいる、ということなのだろう。そんなわけで、アニメ視聴は程々にしよう。ちなみに上の様子見っていうのは「時間と心身に余裕があれば」という事なので、アニメの今後の展開がどうのではない。そういう意味でも、新作1話全部視聴はおすすめできない。本当に疲れた。
面白かったので
自分のkindleライブラリに入ってた3巻以内の漫画を書くよ!
「汚い戦争」の落とし物である「フカシ(不可視)」に汚染された国
を舞台に、
クシナダヒメである咲がヤマタノオロチ相手にやけに観念的に戦うSFアクション?
設定がぶっ飛んでるし絵もすごい。
「蟲師」的な感じ。
近未来を舞台に、小学生たちと宇宙から来た知的生命体がコンタクトして別れるまでを描く。
狭いフレームでごちゃごちゃやってるのがとても小学生っぽくて悲しくもないのに涙がでる。
と見せかけて「黎明」も立派に主要人物だったのでやっぱこのタイトルで正解。
小原愼司が初めてバイオレンスものに取り組んだということだが全然違和感がない。
戦後の雑然とした社会を背景に、日本刀使いの少女のヤクザへの復讐譚。
ネタの転がし具合とうまいオチのつけかた、表情の変化含む漫画のうまさ、などは健在。
高い能力を持つがゆえに気弱になってしまった主人公のラブコメ。
ラブコメにするには題材がヘビーだろと思うが、
意外とするする読める。
難しい題材をポップかつ配慮された上質さに仕上げる手腕は
うまく浄化するには虫の習性を踏まえて自殺志願者の魂を捕まえなければならない。
とひねくれた設定をなんとなくゲーム感覚で描く。
たぶんゲームで言うところのレベルデザイン的な作り方をしているのではないかと思う。
性欲を過度に嫌うhこと針辻がA子の呪いによってみだらな幻覚? を見るようになってしまう。
自己否定で混乱に陥った針辻を秘書(ヒロイン)は待つことにする。
ヒロインの妹の女子高生の霊能力者(盛った設定)と針辻が旅をするのがだいたいの筋。
この作品は感性一発、ついてこれるやつだけついてこいって感じでそれもまたよかった。
落としどころも含めうまいんだよなあ…
絵はそうでもないけど最低限あるし、あだち充の正統後継者と言える。
片田舎の町を舞台に小学生と中学生と大学生と宇宙人がいろいろやる。
ページを上下に分けて同時進行など、漫画技法的な実験をいろいろやっている。
コマ割り、会話の間などには相当なこだわりがあると思われる。
そして連載する力で惨敗する…
全くゲーム業界関係者ではないものの、プログラマの端くれとして関心があったためタイムシフト配信でゼルダの伝説の8本のセッション全部見た(また、他のセッションも色々視聴した)
内容については(増田がSNSかは微妙だが)SNSへの投稿禁止、また専門家ではないので言及しない。
興味のある人は是非タイムシフトパスを購入してその目で確認しよう!と言いたいところだが、CEDEC最終日(9/1)の19時が購入期限で今から視聴は不可能である(様々な事情があるだろうし、残念ながら致し方ない)
専門外のため用語や実際の作業として理解できない部分もあったものの、8つのセッション全てプレゼンとしてとても丁寧に整理されており、他業種の私にも参考になる・刺激を受ける部分が多くあった。
内容以外で特筆すべきは、プレゼン資料の統一性もだが、十二分なトレーニングを積んだと思われる16人の発表者であろう。
8つのセッション(1セッション1時間なので8時間)で16人発表したわけだが、話す速度、スライドをめくるタイミング含めて完全にコントロールされており、全てほぼ時間ぴったりに発表を終えている。
また、言い間違いや詰まる箇所は合計8時間の中で数えるほどしかなく、資料を見っぱなしということもない。
こういったセッション、カンファレンスで必ずしもこのようなクオリティで発表すべきとは全く思わないが、任天堂の完璧主義ともいうべき姿勢が見えて尊敬の念と同時に、少し空恐ろしいものを感じた。
セッションの中では、過去のカンファレンスや論文などを参考にしたなどの言及もたびたびあり、オープンにされた知見への「お返し」という面もあるのかなぁ、オープンソース的な流れを感じる良い話だぁなどと暢気に考えていた。
また、先日のOSC2017京都にも任天堂は協賛しており、求人広告を出している。
OSC2017京都の件については、私は求人広告は注目しておらず、任天堂が昨今のマクロソフト・アップル同様、秘密主義からOSSへ歩み寄り始めているのかと思っており、CEDECに任天堂関係者が登壇する、というのもその流れで観察していた。
(ちなみに今年のHTML5カンファレンスへも任天堂はスポンサーとして協賛しており、同様に求人広告を出すのではないかと予想している)
ただ、これほど立て続けにこれまで関わりの薄かった他業界への求人アピールが続くと今回のCEDECの講演内容について別の側面から見たくなってくるものだ。
CEDECのセッションだからという面はあるのだろうが、8つのセッションの多くはこれまでの任天堂の「アイデア」「枯れた技術の水平思考」的なイメージから離れたモダンな効率化・自動化を中心としたセッションであった。
実際、セッション内容をまとめた記事を見たと思われる人々から任天堂のイメージが変わった、という感想も多く見受けられる。
(既存のイメージと合致するのはフィールドレベルデザインのセッションの一部ぐらいだろうか)
セッションで繰り返し述べられたのは、自動化・効率化によって「最後まで何度も調整できた」「クリエイティブな作業に集中できた」ということである。
その「クリエイティブな繰り返しの調整」こそ任天堂の元来のイメージに相当する部分であると思われるので、任天堂の開発手法が大きく変わったというのも事実ではあろうが、外部に見せる側面を変えたという印象が強い。
つまり、既存イメージを強調するセッション行おうと思えば出来たにも関わらずそうしなかったように思えるのだ。
とにかく、メディアの記事を確認してもわかるが、今回のセッションではブレスオブザワイルド特有の面白さの根幹に関わる部分はほとんど出てこない(例えば以前から話題になった2Dマップでの検証や化学エンジンに関する内容)
それもあるだろう。ただここで一つ仮設を立てたい。
8つのセッションは開発の様々な知見からある効果を狙って特定のテーマに基づいて選定されているのではないだろうか。
そして、そのテーマはおそらく「ゲーム制作を支援する技術(者)」である。
先ほど述べた通り、発表内容・資料・プレゼンターのクオリティは一定以上に統一されて非常に高い。ほぼ間違いなく、開発チーム・制作部署以外の部門も深く関与しており、そのテーマの選定にも関わっていると考えるのが自然だ。
ゲーム自体に関わる部分への知見ではなく、他業界にも理解しやすく応用できる内容を意図的に選定しているのではないか?
セッションを視聴した人、またメディアの記事を読んだ人でこういう感想を持った人も多くいただろう。
「他業種だけど参考になる」
「ゲーム以外のソフトウェア開発にも応用できる部分もありそう」
「分野は違うけど、自分のやっている(やりたい)仕事と似ている」
秘密主義の任天堂はある日突然、知見の共有に目覚め、OSSの理念に共感し始めたのではなく(部分的にはそうなのかもしれないが)、他業界の(優秀な)エンジニアに自社の存在をアピールしようとしているのではないだろうか。
自社の技術を開陳し、それを一種の求人広告とするというのは他のカンファレンスでもよくあることではあるが、今回のCEDECのセッションもその面が強いのではないだろうか。
IT企業・ベンチャー企業経営者は「参考になる!」とか言ってfacebook・Twitterで記事を能天気にシェアしている場合ではない。
平均年収840万の(日本を本社とする)世界的企業が本格的に君たちとの人材獲得競争に参戦したのである。
昨今のコンシューマゲーム業界に対するサイゲームスの立場に近いものを感じた。
ちなみに私はフレックスなし、制服(作業着)着用の時点で中途採用への応募は断念した。
今回の内容では余りに任天堂が腹黒いかのような印象を与えてしまうので、補足としてCEDECに関してはセッションへの登壇こそ初めてのものの、任天堂は長年スポンサーとして協賛しており、過去数回基調講演への登壇は行っていると書き添えておく。
また、多かれ少なかれ企業というはこの手のカンファレンスへはある程度作為を持って参加するのが当然のため、私自身は任天堂に他意はない。
コンテンツを作るには”教養”が確実に必要になるということが、実際に”教養”のないコンテンツに触れて最近理解できた。
ここで言う教養とは、学問や文化の面だけでなく「人とはどういう生き物か」を理解することも含む。
「教養のないゲームって何?」で実際に具体例を出すと確実に何やかんや言われるのでぼかすが、とりあえず一つの例のゲームについて書く。
そのゲームはまず、他国との戦争や反乱を長年描いてきたシリーズの一つであった。しかしそのゲームは、他国と戦争をしている状況としては、あまりにもキャラクターの言動が軽すぎた。
「軽いって何?」と言うと、キャラクターが戦争を背景としたセリフを言えないのである。”戦争にもかかわらず甘っちょろいことを言ってしまうキャラ”というわけでもなく、
そのキャラの個性を押し付けんがための言動を、TPOを弁えず言わせてしまうのである。”影が薄い”という個性を伝えたいがために、そのことだけを伝えるだけのキャラクターになってしまったりね。
その個性もわかりやすくラベリングされたものが多く、”個性”と銘打つにはあまりに薄い(厨二病・ヤンデレ・地味など)。個性どころか属性の擬人化と言っても差し支えはないレベル。
あとそのゲームはセリフ運びが非常に下手だった。言い方は非常に悪くなるが、対人経験の薄い気持ち悪いオタクが考えたようなセリフをキャラクターが喋るのは苦痛でしかなかった。
公式側が二次創作のノリをそのままするような感じで、目も当てられなかった。
二つに、「作者以上に頭のいいキャラは生まれない」という金言が示すように、”頭のいいキャラ”が実際ゲームをプレイしてる側からするとあんまり頭が良くなく、説得力に欠けていた。
そのキャラはまぁいわゆる軍師という設定ではあったが、やっていることは力押しの強硬のみである。ゲームという都合上、どうしても戦いの舞台は整えなければならないが、
それにしたってもっとやりようはあっただろうと思う。そしてその強硬策に関して味方のキャラクターは「流石です!!」みたいな脳みそがないような称賛の嵐である。
頭のいいキャラが頭が良くないので、当然頭の悪いキャラはもっと頭が悪くなるので、キャラクターに対する理解・共感・感情移入・掘り下げそのすべてが困難になってしまっている。
アニメだと「アクションの作画が作り込まれてて凄かった」ゲームだと「レベルデザインが作り込まれてて、かつアクションも爽快感があって面白かった」など、教養がそのコンテンツの面白さを
決定づけるとは(ほぼほぼ言えるにしても)必ずしもそうだとは断言できない。しかし、それはシナリオを全く無視した場合である。シナリオ面での面白さは、登場キャラクターへの共感から
初めて生まれるといっても過言ではないと思っている。そしてその共感とは、キャラクターの背景・性格・葛藤・行動によって湧き出るものである。”教養”とは、キャラの共感を得るために必要なのである。
馬鹿に背景は考えられない。馬鹿は表面的にしか人物の性格を測れない。馬鹿は葛藤しない。馬鹿は考えと行動があべこべであり、そのことを葛藤することも当然ない。
そして一番面白くないのが、それが売れてしまったばっかりに、公式側がそのシリーズの教養が感じられないタイトル以降を前面に押し出すようになってしまったことである。
作る側も馬鹿ならと言った所だろうか。そりゃ教養のある人間だけがゲームを作ってるわけじゃないし、それしか認めないというわけではないよ。ただ、自分の好きなシリーズがそんな姿になってるのが
俺はとにかく悲しいしむかつくんだよ。かつての姿とはかけ離れすぎている、自分の愛するシリーズが、死にながらさも生きているような様を見せてくるのはしんどい。そうだね、俺が年を取ったんだ。
ついていけない人の方が少数派なんだろうな。シリーズとしての形が変わるのは最早仕方のないことだとう。しかしエフラムはそんなこと言わない。せめて、せめて過去作へのリスペクトは忘れないでくれ。
今回はコミックウォーカー
私が子供のころ、「コーヒー=大人の飲み物」みたいな認識があって、そういう憧れで飲んだりすることはあったんだよね。
そういうのは子供の世界の小さい枠組み的な考えだと思ったんだけれども、結局コーヒーを選り好みするような大人にはなっていないなあ。
コーヒーひとつあげつらって社会的な優位性を築こうとするのって、すごく前時代的だと思ったが、むしろコーヒーがポピュラーに飲まれている今のほうが、その傾向強いのかもしれないなあ。
正直、コーヒーをそんなに飲まない身からすれば、主人公の「美味しいけど まぁコーヒーだな」という感想は妥当といわざるをえない。
愛飲している人を貶すつもりはないけれども、私みたいなのからすればコーヒーはコーヒーでしかないんだよね。
とりあえず飲めるレベルであれば多少の優劣なんて気にしないし(そもそも普段は飲むことがないんだけれども)。
この戸狩姫咲を、孤高の天才みたいなキャラ付けをしたいのは分かるんだけれども、非常識かつ不愉快な振る舞いをしていて読者からみてウケはよくないだろう。
そういう振る舞いをする相手が悪役だったりするならともかく、そういうわけでもないからねえ。
そのキャラ主体で物語を動かして、カタルシスがないまま1話終わらせるって、勇気あるなあ。
うーん、ノックスの十戒とかを理由に非難するつもりはないけれども、“そういうタイプ”かあ。
ヒロインを連れ去る方法が高い身体能力のみというのもアレだが、その後の手紙の匂いで成分を分析、とうとう超能力使って因果律まで変えるとか。
『魔人探偵脳噛ネウロ』などを筆頭に、「なんちゃって推理モノ」はそれはそれで嫌いではないけれども、大したトリックすらないという点で、こちらはもっと「よく分からない何か」になっているね。
他のコミックウォーカーで読めるもののいくつかもそうだが、こういうプリンと醤油みたいな組み合わせって流行っているのだろうか。
『衛宮さんちの今日のごはん』という作品の存在を知ったときも、「『Fateシリーズ』に『グルメ』とか、節操がない組み合わせだなあ」と思ったので、今更かもしれないけれども。
まあ、節操があろうがなかろうが本質的には構わないとは思うんだけれども、そういう部分に引っかかり感じて損をすることがあるんじゃないかなあ。
俺は没入感より利便性重視なプレイスタイルだけれども、多少不便になっても没入感を重視するっていうのも理解できる。
ベクトルは違っても、間違いなくゲームを楽しむ姿勢としてアリなので。
あと、「初見殺しで死ぬべきです」っていうポリシーは面白いね。
もちろんその中で好き嫌いや選り好みはあるけれども、シナリオはもちろんレベルデザインにおいても「作り手に翻弄される楽しさ」ってものはあると思うし。
MMOとまではいかないけど、同じようにマルチ(プレイ自体はソロだがSNS的な観点で)で楽しむ側面がある以上、公開された時点で「使わない=損」になってしまう。
ユーザー全員がデータ使用を自制するなんて不可能であり、徐々にでも使用する人が増えていく程に「使わない=損」が強まり自制が解けていく。そして使用が当たり前になったのが今の状態。まあ良くあるパターン。
「データ解析は否定するポーズ」は正しい行動だと思うよ。データが無ければ使わなかったんだから。
また、否定されたとしても、解析・攻略サイト側も無くなりはしないだろう。有用なデータには確実に需要が存在するから。
運営がデータ解析をできないような作り(解析を難しくする・解析されても良いようなレベルデザインに変更する・等)にしないかぎりこの状態は続く。
この問題を根本から解決できるのは運営だけであり、黙認しているような現状がある以上、叩かれるべきは運営。
ニンテンドーがこんなスタミナ制課金アイテムありのゲームやってんだーと驚いた
ぶっちゃけポケモンは金銀クリスタルまでしか知らんから、出てくるポケモンは知らんのばっかだけど、
これまでピクロス難しそうと思って一度もやったことなかった自分としてはすごく面白い
網の目みたいにレベル高くなくて10x10でとっつきやすいのもいい
レベルデザインっつーかゲームデザインっつーか、やっぱニンテンドーはすごいなーと思った
スマホゲーに毛が生えたか抜けたくらいの3DSの体験版をたくさんやった後だととくにそう思う
ただなーペン操作強制部分が多いのが地味にストレスなんだよなー
vitaでたばっかのときに背面タッチ無理やり入れてた無双思い出してげんなりするわ
今年は過去最高にゲームをした年になった気がしたのでまとめてみた
戦闘は楽しいけれど、本当は拠点から出撃するタイプよりもオープンワールドやリニアなアクションADVのほうが好み
仲間モンスターは使い捨てなので、成長させたり合体させたりという要素も欲しかった
完全に懐古趣味のみ。今となってはさすがに古くさい
これよりも決戦のリメイクを
今年最高のゲームの一つ
ブラッドボーンの後に遊ぶと楽に感じる・・・と思ったけれどDLC部分はなかなかの歯ごたえ
正直、ファン以外は手出し無用
探索と戦闘が良い感じだけど、興味のないキャラのエピソードだとダレるときもある
ドラゴンズドグマを楽しめた人なら確実に買いだと思う
ちょうどいい歯ごたえの出来のよいアクションゲームといった感
映画のバタフライエフェクト的なシステムを取り入れたホラーゲーム
ムカつくキャラが多いけれど、やってるうちにちょっと好きになってくる
メタルギアシリーズは初だったけれど楽しめた
あれだけ自由度の高い戦闘システムを破綻なく仕上げたのは凄い(コナミ感)
追加要素はイマイチ
いろいろと物足りないが、ブラッシュアップすれば光りそうでもあるので次回作には期待したい
主人公のアーナスのモデリングは素晴らしいけれど、これはフライトユニットの手柄か
ロープランチャーで立体機動できるので快適になった。しかしちょっと酔うかも
ストーリーは浅い
テスのあざとさは異常
画面が大きくなれば酔うかと思ったけれど杞憂だった
最初は重力操作に戸惑うかもしれないけれど、移動と攻撃が一体化した重力キックを使いこなせるようになると別次元の楽しさになる
ファンなら満足するはず。音ゲーのシステムとしてはDivaのほうが好き
コンセプトと緊張感のある戦闘が良い
ガードのシステムは良かったけれど、後半は機能しなくなるのが残念
新規IPにしてはソツなくまとまってるけれど、後半になると日常パートがちょっとめんどい
雰囲気ゲーと思わせつつ、アクションゲーとしてシビアなところもある
ボリュームは少なめ
ニャル子の曲でうーにゃーするのは楽しいけれど、知らないアニメが多いと物足りないかも
あとはDL専用ゲームのバリアントハート、never alone、everybody gone to raptureなど評判が良いものをいくつか
HDリマスタものを減らせばもっと多くのゲームをプレイできるはずだけど、昔楽しんだゲームをより良いクオリティでもう一度プレイできるのは嬉しいもの
マリオ系はDSの頃に完全に飽きて卒業。オン対戦専用のイカにも魅力を感じないので自然とPS中心に
自分の中のGOTY 2015はブラッドボーン、次点でMGSVだろうか
あとGravity Dazeはやっぱり素晴らしい
2016年はDQビルダーズ、FF15、進撃の巨人、戦ヴァル、ダークソ3、Gジェネ、Horizon、Daze2、トリコあたりは必ずプレイする予定
VR元年でもあるので今年よりも大変なことになりそう
今回はMMO関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
まあ、関心がないわけではないが。
ひとつ列挙してみよう。
1.実装したユーザーインターフェースは、よほど未完成でない限り大きく変えてはいけない。
2.バランス調整に弱体化を用いてはならない。
3.プレイヤーキャラの性能を、レベルデザインから逸脱させてはならない。
4.仕様の穴をついたプレイ方法や、外部ツールを用いさせてはならない。
5.中国人を参加させてはならない。
10.初級者が中級者に迫ることはあっても、初級者が上級者に迫ることはあってはならない、
言っておくが、元ネタのノックス当人も十戒の正当性を自負しているわけではないからな。
私としてはややガチ勢よりだが、どちらも間違ってはいないと思っている。
勝てば喜ぶし、負ければ泣く。
そして、それらは本気であればあるほど増幅する。
だが「楽しむ」ことが本質ならばこそ、それらも蔑ろにはできない。
本気になればなるほど楽しめるから、プレイや思いに労力をかけられる。
これがガチ勢だと私は考えている。
ではエンジョイ勢はそれらを忌避することで、楽しむことからも遠ざかっているのか。
答えはNOだろう。
楽しむことと拘りが密接に関係こそしていても、イコールではないので絶対条件ではない。
むしろ、楽しさを遠ざける側面があることも間違いではないのだ。
まあ、もちろん健全かどうかっていうのはあるだろうけれど、そういうのは「個」の問題だよな。
一応は答えるが、いつも以上に雑に答えるからな。
まあ、色々あるのだろう。
例えばダウンロードサイトのサーバー管理の維持に費用がかかるからとか、ダウンロード版のほうが安かったらパッケージ買う人がいなくなるだとか。
……ああ、「物理的価値がなくなっているのに、値段が同じことに納得がいかない」という主張であることに今さら気がついたよ。
まあ、企業の利己的な理由である可能性もあるだろうけれど、ここでは別の例を出して肯定的に捉えてみよう。
確かちょっと前、週刊少年ジャンプの電子版が雑誌より高いとかで話題になった。
「高い高い」という声もあったが、はてブだと「電子版のほうが安くあるべきという価値観は普遍ではない」とかいう意見が主だったと記憶している。
ゲームと漫画は違うだろうけれど、物理的価値が必ずしも個人にとってプラスではないというのは、他のものにも適用していいんじゃないだろうか。
少なくとも私はゲームソフトを入れ替える作業や、ソフトを保管するのが手間だと思っているし、むしろパッケージ版こそ安くあるべきだとすら考えている。
……そうだ、君はこう考えてみたらいいんじゃないかな。
「ダウンロード版が高い」のではなくて、「パッケージ版が安い」のだと。
ほら、なんだかお得な気持ちになってきただろう。
2Dアクションゲームの要素で自身の気になるものをピックアップ。
現実に落とし込み、それが「あったら欲しいか」、「どれくらい良いか、悪いか」を考える。
これは自身の視界、知覚できる景色の範囲内と考えるなら、元からある概念なため有り難みは薄い。
ただ、俯瞰視点の能力は、外的要因を把握しやすいという点で便利なのは間違いない。
厄介なのは、スクロールが一方通行だったり、スクロールの際に読み込みが入るタイプだ。
ボタンの強弱で高さを調整する能力は、持ち合わせているため除外。
ここでは、ジャンプ中に方向キー入力で距離を調整できる能力について考える。
マリオのようなジャンプが重要なアクションゲームでは、皆無で操作の快適さが大きく変わってくる大事な要素といえる。
オプションで2段ジャンプや、壁を利用した三角飛びなどもある。
アクションゲームでは大事な要素だが、いざ現実になると日常生活では使う場面がほぼない宝の持ち腐れ。
仮にあるとして、現実の人間のジャンプ力では、使う場面があっても有効活用できない。
実際、ゲームでもジャンプ制御がないものは多く、この場合はレベルデザインの方で調整して支障が出ないようにする。
つまり、私たちの住む町などは、ジャンプしなくても進められる世界ということになる。
ライフ制のアクションゲームでは、無敵時間を設けないとヤバいことになる。
例えば接触ダメージは、すぐさまその場を離れないとライフがどんどん減っていく。
これは、能動的な要素ではないが、現実にあればかなり有り難い。
「泣きっ面に蜂」という諺はこの世からなくなるかもしれない。
ただ、このテのアクションゲームには、無敵時間を利用したゴリ押しを防ぐために「怯み」や「ノックバック」という要素がセットでつくことがある。
これが原因で、落ちたら即死の穴に吸い込まれる事例が多発した功罪がある。
日常生活では、ノックバックや怯みが原因で落ちるような場所はほぼなく、無敵時間を享受できると推測できる。
ただ、煩わしく感じることは多いかもしれない。
道中に回復アイテムや、パワーアップアイテムなど、進行を助ける要素。
まず回復アイテムだが、食べ物や医療キット、ゲーム独自の不思議なエネルギーなどがポピュラー。
例えば悪魔城では、壁の中などに回復アイテムの肉が埋まっていることがある。
しかし、現実でそれは衛星面で大きな不安があり、保存状態にも疑問が残る。
私たち人間の胃袋がどこまで丈夫かは個人差があるが、それを考慮しても道端の食べ物を拾い食いするのは抵抗がある。
なので、ここでは回復キットと仮定する。
ライフを失う場面が現実で頻出はしないが、危険に溢れているのは確かなので、緊急時を考えるなら回復キットの存在は有り難いか。
しかし、私たちの体はそこまで単純に出来ていないため、よほど万能でもない限り回復効果はそこまで期待できないかもしれない。
アクションゲームのパワーアップアイテムは、単純な運動能力アップ、攻撃判定の強化、サブウェポンの追加、一定時間無敵化...まあ色々。
現実でアクションゲームのようなパワーアップをしたとしても、日常生活では活かせない。
強力で欲しいと思えるものは制限があり、大事な場面で役に立たないということも推測できる。
スポーツのときには有り難いが、ドーピングに含まれるかどうかまで考慮しないと駄目だろうか。
一回死んだら終わり、ということがなくなる。
そのため、残機があるアクションゲームは、相応の難易度なことが多い。
そんな殺伐とした世界でなくとも、「何回かは死んでもいい」というのは強力。
残機を考慮して、相応の無茶ができるともいえるので、立ち回りが良くも悪くも変わってきそうだ。
ただ、死んだらその場で復活するパターンならともかく、チェックポイント系の場合は若干面倒か。
というより、恐らく私は同じ場面で死んで、最終的には残機を0にするだろう。