はてなキーワード: 原宿とは
私は所謂「パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。
私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。
お金はそんなにない家庭だった。
まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。
勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。
両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さは大事だからそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものだから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。
そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。
未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店でバイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。
家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。
休日は地元の不良仲間とカラオケ、プリクラ、安い古着屋で服を漁る。
今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。
私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。
そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。
車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。
ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎町からカラフルでキラキラ輝いている街を闊歩するように。
当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。
とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。
毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。
人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。
家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。
とにかく貪欲になっていく。
当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。
ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。
月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。
新宿で家賃は20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店でブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。
働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。
つくづく私は運の良い人間だ。
いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」
なんて言われた。
その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。
金以外何も見えていなかった。
こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。
早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。
詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション。家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具。
こうして私のパパ活が始まった。
初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。
自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。
エルメス、セリーヌ、バレンシアガ、ディオール、ルブタン、ジバンシー、フェンディ、ヴィトン、バーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。
片田舎で1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。
もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。
専属の運転手に毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから。
約半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。
欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。
たしかに生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。
それでも、何かが足りない。
あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的、暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。
只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。
そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。
みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。
...。
結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自身生活の差に号泣してしまいました。
仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートでスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。
母親は100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。
妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズを大事に使っている。
ショックだった。
私は、最悪だ。
金に塗れ、周りの事など見ていなかった。
思えば収入が増えた時点で実家に仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分にお金を使い続けた。
本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。
お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。
現に私はまだパパ活を続けている。
今の生活を手放すのが怖い。
ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。
本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。
20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。
この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。
私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。
お金以外で感情を表現することができなくなった私は、毎月お金を実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています。
正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。
9:00 になったら家で会社のPCを立ち上げるんだけど、実質開店休業状態のまま 17:00 まで。
おれは目黒の下のほうに住んでいるので、自宅から走る時はだいたい多摩サイなんだけど、17:00 からだと堤防のサイクリングロードはちょっと怖い。
まずは環七にでて、内回りを平和島方面に向かう。大井町線の下をくぐり、中原街道を横切ってすすむと下り坂。
リコーのあたりも人が少ない。国道一号線も横切って進み、第一京浜を左折する。
第一京浜を都心方面に向かう。分かってたことだけど第一京浜は路面が汚い。
ハンドルバーに手を置いているだけだと跳ね回るのでちゃんとハンドルを持って走る。
点々と現れる京急の駅を右に見ながら進む。北品川を超えたあたりで右に大きくカーブ。
札ノ辻で左に東京タワーが見える。曲がっちゃえばよかったなと思いつつ直進して、左折するポイントを探す。
三田で左折。日比谷通りに入る。NEC があるけど閑散としてる。
日比谷通りってずっと行くとどこに出るんだっけ。と思いつつ走る。芝公園のそばを通る。
名前がわからないけど面取りしたような高層ビルが左に見えて、きれいなビルだなと思う。
そのうち日比谷公園が現れる。ずっと昔日比谷公園のトイレに入ったらそれらしい男性がたくさんいたのは良い思い出だ。
と思っていると左が皇居になる。皇居の周りは歩いている人がパラパラいた。
しばらく進むと永代通りにあたる。曲がっちゃえばよかった。と思いつつ次の信号を左折。
目の前がお堀の T 字路を右折して内堀通りに入る。車が少ないのですんなり右折レーンから曲がれた。
お堀を見ながら進む。どこかで靖国通りに入らないと。
まっすぐ行けば靖国通りなのに、なぜか右折しないと靖国通りにアクセスできないと思い込んでいて、竹橋を過ぎたところで右折する。
すぐに靖国通りにあたるので、左折。上り坂。武道館を左に見る。当たり前だけどなにもやってないので人は少ない。
ずっとまえここを通った時は凄い数の人がいて、帰って調べたらパフュームだった。
坂を上り切ったあたりで右に靖国神社。市ヶ谷駅の前を右折。川を渡る。
ここの橋の上はいつもと変わらず混んでたので川べりの桜は見られなかった。
靖国通りと外堀通りがわかれるところに分離帯ができてて靖国通りに進みやすくなってた。まあ車が少ないからだけど。
防衛庁を右にみながら進む。毎朝あの階段を登るのは大変そうだけどエレベーターとかあるのか。
いまの職場が新宿なので、いつもの会社帰りと同じく 20 号から環七で帰ろうかと思ったけど、それもつまらないので明治通りで渋谷に向かうことにする。
普段なら絶対避けるルートだけど、これだけ車も人も少ないならアリでしょ。
伊勢丹の前を左折して 20 号に入り、すぐに明治通りにあたるので左折。
思った通り快適に走れる。新宿から原宿あたりは路肩が狭いうえ、結構なスピードで車が流れてるので怖いんだけど、今日はラクラク。
表参道もいつもよりずっと人が少ない。原宿から渋谷にかけては緩く下る。薄暗くて人が少ない。
休みの日は歩道からあふれた人が車道を歩いてたりするのに。まあ平日の夜だからってのが大きいけど。
さらに渋谷駅あたりでは正面にデカいサイネージができてて、入り乱れる空中歩道と相まって 80 年代に想像した近未来っぽい。
246 が渋谷駅の東口側から西口側に抜けるところは、昔と変わらず薄汚くてほっこりする。
246 を池尻方面に向かう。上り坂。この辺りはいつもどおり路駐トラックがうっとおしい。登り切ったあたりで旧山手通りにあたる。
旧山手通りのところで信号に捕まったので、そのまま旧山手通りに入る。
走り出して思い出したのは、この辺りは路駐が多いせいで(そいつらがハンドルをこじるので)路面がガタガタだったって事。
今更思い出しても遅い。三宿から学大に抜けるルートのほうがよかった。。
代官山の交差点を直進すると駒沢通りあたるので、右折。長い下り。
左カーブの見通しが悪いうえにオートバックスの前に必ず路駐がいるのでちょっと怖い。
でも今日は後ろから車が来ないので思いっきり 2 車線の真ん中あたりを走る。
そのまま駒沢通りでおうちに帰る。祐天寺から学芸大学あたりはいつもと変わらない感じだった。
まあ、駅前まで行ってないけど。
家を出てからだいたいちょうど 2 時間ぐらい。シャワーを浴びてからチェーンに油をさそうと思っていたことを思い出す。
シャワー浴びる前にさせばよかったのに。もー。
なんなんだろう。ネットリテラシーの差なのかな?
巣鴨の縁日とか、老人たちは若者のインフルエンサーたちがSNS使って一生懸命呼びかけてるのを知らないから現状が全くわかってないのかな、とか思った。
昨日、地元で友人の結婚式だったんだけど、さすがにこの時期に東京から地方に行くのは憚られるので先月の下旬にキャンセルの連絡をした。
私の地元は九州の都会ではないが中核市に区分されているくらいには田舎でもないありふれた地方都市で、そこまで田舎ではないので十分に危機感はあると思っていた(田舎の人に危機感がないというわけではないけれど)。
結婚式を予定通り実施するというだけで「ん?」とは思ったんだけど、熟考の上だろうと思ったし新郎新婦の負担を思うととやかく言えないので安全に行われることだけを自宅で祈っていたら出席している友人からLINEでビデオ通話がかかってきたので出た。
えっ、友人、赤ちゃん抱いてニコニコしてる…上の子も連れてる…。当然みんなマスクもしてない…。
悲鳴を上げそうになった。外出すら危ういこの時期に、赤ちゃんを連れて人が集まる場所に行ける危機感のなさ。目眩がした。
地元は先週、市内で1人目の感染者が出て、母親が慌てて電話をかけてきたばかりだ。私は毎日のように電話口で母親が「東京の若者たちは原宿なんて出歩いて平和ボケだ」「飲み会をしているサラリーマン信じられない」などと言っていたので、母自身は十分に危機感を持って行動していると安心していたから「今まで以上に気をつけてね」と伝えると「昨日までスポーツジムのプールで泳いでいた」と言われて顔面蒼白になった。東京人を平和ボケだと言っていたのになぜ!?と聞くと「うちの市は大丈夫だと思っていた」と。東京は違う星だとでも思ってるのか!?
地元の友人たちは、いわゆる『マイルドヤンキー』に属する人たちでインターネットはフェイスブックとLINEくらいでしか触れない。母親もそうだ。だからなのかな?
私は、あらかじめ母に人が集まるところには行かないでほしいこと、スポーツジムは休んで運動は屋外の散歩やジョギングに留めてほしいこと、買い物すら極力避けてほしいことを噛み砕いて説明しなかったことを後悔している。こんなに認識に差があると思わなかったんだ。
この差はどこからくるんだろう。東京と地方の差というように書いてしまったけれど、東京でも私の職場は未だに会議室に集まって不要な会議を繰り返しているしパートのおばさんたちは揃ってランチに出かけている。
何が違うんだろう。リテラシーの差だけではない気もする。テレビでも危機的状況であることはちゃんと伝えてるはずだし…。性格?
18歳になる姪っ子がいる。
今年で高校を卒業して、休園になる直前のTDLに遊びに行って「空いててラッキー⭐︎」と言っていた。
家では「私はウイルスとか効かない身体になったんだ、すごくね」とか言ってるらしい。
可愛い姪っ子ではあるが、内心気が気じゃない。
姪っ子の母親、つまり私の姉は高血圧の持病があって薬を飲んでいる。
若い姪っ子は感染しても平気かもしれないが姉は大丈夫なんだろうか。
と言ってもおおらかな姉は笑っているし、他人の子育てに口を出すのもどうかと思って様子をみていた。
それでこの前姉にLINEした時に「姪っ子はどうしてるの?」と聞いたら、「家でふて寝している」とのこと。
姪っ子は遊びに行くつもりで友達を誘ったら、「コロナが心配だから」と断られたそうだ。
もし友達に「遊びに行こう」と誘われたら。
若い人は空気を読むのを大事にすると言うから、そんな事を言ったら空気が読めないやつとみんなに思われるかもと心配かもしれない。
おばさんにだって10代20代の頃はあった訳だから、みんなで楽しく盛り上がってる時に水を刺すような事は言えない気持ちはわかるよ。
でも、よく周りを見てほしい。
少し前までの、「コロナなんて年寄りのなる病気だし私たちは関係ない、空いてる渋谷や原宿や新大久保で楽しく遊ぼう、カラオケでオールしよう」という空気から、少しずつ変わって来てるはずだよ。
誰かが「コロナが心配」と言ってくれるのを、みんな待ってるのかもしれない。
年寄りだけじゃなくて若い人でも重症になる人もいるし、海外では10代20代でもなくなった人がいるってニュースで見たでしょう。
あなたが大丈夫でも、気がつかない間に感染して、お父さんやお母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃんにうつしてしまうかもしれないよ。それでいいの?
3人で遊びに行こうといったら、2人は心の中で(本当は心配だけど大丈夫なのかな)と思ってるかもしれない。
10人で出かけるなら、6人くらいは思ってるかもしれない。
あなたが勇気を出してそう言えば、みんな「私も本当は心配だったんだ」と言ってくれるんじゃないかな。
https://b.hatena.ne.jp/hotentry/all/20100326
https://b.hatena.ne.jp/hotentry/all/20200326
昨日のホッテントリ。
コロナ騒動の渦中にあるからそれ系のニュースが増えているのは仕方ない。
全体の質としては大して変わらないように見えますね。
というわけでおまえは懐古厨な!
たくさんの反響をいただけて感謝している。初めて4桁のコメントをいただいたのも嬉しかったのだが、ブクマやコメントの体感9割が共感に満ちた、あたたかいものであったことのほうがずっとうれしかった。ツイッター上でも多くのコメントがついた。これほど多くの人が恋愛で何らかの挫折を感じていることを知ることができただけでも、自分の経験を率直につづった意義があった。すべてにコメントを返すことはできないが、非常に励まされた。ほんとうにありがとう。
一方で、デートを繰り返すたびにどのようなトライアンドエラーを繰り返してきたのが不明確で、問題はそこにあるのではないか、という意見をいただいたので、そこを捕捉する。
心掛けたのは清潔感だ。ただ、この清潔感の内容があまり具体的でないことが、多くの人を困惑させている印象を受ける。自分としては逆に、不潔感から減点されることがないことを心掛けた。
まず、身体面について。髪の毛は美容院で短くし、眉も整えてもらう。きちんと入浴し、定期的に歯科医で歯垢を除去してもらい、ブラッシング指導を受ける。爪は短く切りそろえる。デート前にはシャワーをしっかり浴びてさっぱりする。ただし、香水はつけなかった。人によって好き嫌いがかなり大きく出るので、そこはリスクが大きいと判断した。
衣服については、ワイシャツっぽいのとチノパンが多い。靴はスニーカーではなく、革靴に似た質感のものを。眼鏡はJINSをかけている。髪は黒いままだ。学生の頃はコンタクトレンズにと茶髪にしたこともあったが、すぐに目が痛くなってしまったし、染めるのも手間だった。髪を染めたからといって別にモテるようにならなかった、というのも大きい。
ネックなのは、そこまで皮膚がきれいではないということだ。どうも毛穴が開いてしまうし、ニキビ跡が気になる。そこが改善点だろう。
基本的に、自分のなじみのある行動圏内にした。休日を一人で過ごすときにうろつく場所だ。そこでなら、急に予定を変更しても対応が可能だ。美術館を中心に過ごしているので、候補としては新宿、渋谷、六本木、丸の内、上野が真っ先にあがる。次の候補としては水族館のある品川、明治神宮や絵本カフェのある原宿、日本庭園のある美術館のある表参道、それから日本画を見られる恵比寿がある。
その近辺の映画館やカフェを把握しているので。その場の流れで行く場所を考えることになっても対応可能だ。ついでに事前にイタリアンやタイ料理屋などの場所を調べておく。
今後の課題としては、お酒の飲める場所だろうか。自分は下戸なのでそこが困る。アルコールよりは料理にお金をかけたいタイプだ。そうそう、脱線してしまうがwithにはどういう食事デートがいいかのタイプの心理テストもあって、バーが好きとか居酒屋が好きとかお酒よりの料理派とかでもマッチングが行われていた。
基本的に聞き役に回り、共通点があったら話す。体感では相手の話す量とこちらの話す量が7対3だった。知識のひけらかしは絶対にしない。聞かれたときにだけ、ごく簡潔に答える。相手の興味があるジャンルだったらそこに乗っかることも考える。
美術館や映画の感想は、率直に感じたとおりに伝える。ただし、否定的なことはなるべく言わない。面白かったところ、楽しかった点などを話したほうが楽しい。岩井俊二監督の「ラストレター」は、内容はそこまで心に響かなかったが、個人的には庵野秀明が鶴田謙二の絵を描いているという設定がかなり笑えるポイントだった。さいわい、彼女も僕と趣味が共通していたので、そこがおかしいと言って笑ってくれた。その人が結局は音信不通になってしまったのだけれど、もう過去の話なので、どうでもいい。あとは、彼女によれば、岩井俊二の作品には誰かに成り代わって手紙を書くという場面が頻出するそうで、その話をじっくり聞かせてもらった。「花とアリス」にもそういう描写があるそうだ。ずいぶん昔に観たはずなのだが、すっかり忘れてしまっている。
PDCAを回すとすればここなのだろうが、盛り上がるときは盛り上がるし、共通の話題が少ないとなかなか盛り上げられない。共通の話題が少ないと、交際に至っても大変なんじゃないだろうか。あと、実際に顔を合わせないとどうしようもないところも多々ある。さらにPDCAを難しくしているのは、就活と同じで向こうからのフィードバックが原則として一切無いところだ。真っ暗闇の中での手探りとなり、ここで病んでしまう人も多いだろう。
他に心がけたのは、相手の顔を見てゆっくりと話すことと、声を少し低めにすることだ。
趣味は美術鑑賞、読書、ジョギング。無難な趣味で、本は図書館を利用するのでお金がほとんどかからない。
美術鑑賞は、月に1~2回。学生時代は西欧の絵画を見ることが多かったが、最近は日本画も気になっている。現代アートも抵抗がない。それと、古代の出土品なども見るのが好きだ。
読書は小説とノンフィクションを半々。小説は古典や海外文学が多い。ノンフィクションは科学や歴史を扱ったものが中心だ。大体月に12~13冊だが、先月は失恋したのでペースが落ち込み、10冊にとどまっている。
ジョギングは週に1度だけだが近所を10~11km走っている。頻度としては少ないが、やらないよりはずっといい。運動しなかったころに比べると仕事で疲れにくくなっている。加えて、走る前には軽く筋トレをしている。この間失恋した時に行った風俗嬢からは「何か運動されてたんですか?」と尋ねられるくらいの体型だ。ただし、やっぱりここでも顔立ちは褒められたことがない。
付け加えるとしたら旅行だろうか。ここからも話題が広げやすい。
男子校に行っていたので、初デートが19歳でのことだった。大学の中国文学での授業で知り合った女性を、夏休み直前にデートに誘った。けれども、あまり盛り上がらなかった。しかも、無理に手をつないだら痛烈な軽蔑のまなざしで睨み返してきた。そして、夏休みの予定がすっかり空になってしまった。たくさんデートしようと期待していたのに打ちのめされた。懐かしい。だが、今でもあのことが胸につかえていて、女性と気軽に手をつなぐことができない。とはいえ、デートした女の子はみんなポケットに手を突っ込んでいたので、勇気を振り絞っても仕方がなかっただろう。
大学での思い出は他にもいろいろとある。講義で、隣の女子に何気なく話しかけた次の週に、まるでボディーガードのようにその女子の友達らしい人物が控えていたのが、悔しかったことを思い出した。普通に友人になりたかっただけなのに。
社会人になってから、都合三回ほど街コンに出かけた。とはいえ、デートにつなげることは一度しかできなかったし、それも一回目で終わってしまった。
街コンのメリットは、マッチングアプリとは違って必ず対面で話ができることなのだが、進展しなければそれまでだ。それに、街コンそのものに何らかのテーマがないと初対面の女性との接点がほとんど持てない。なんとかデートに持ち込めたのは美術館で行われた街コンだった。恐竜に関する企画展で行われた街コンでは、一応テーマがあって理系女子も多かったはずだけれどもほとんど会話ができなかったし、テーマがまったくないときには非常に困ってしまった。なにより、その時に運営側の手際があまりよくなかったうえに男性が余り気味で、男性4に対して女性2でテーブルにつく羽目になった。なお悪いことに、同席した相手があまり柄のよろしくない人で、女性がいないときには平気で卑猥なことを口にしていたのが耐え難かった。女性とマッチングしなかったのはこいつらのせいじゃないか、とも感じられたのだ。おそらくは八つ当たりだ。
しかも、結局は数人のモテる相手だけで連絡先交換が行われていた。たぶん婚活パーティに参加しても、同じ結果になりそうだ。
2回ほど経験がある。
1回目は塾講師をやっている友人とだ。カラオケボックスで2人連れの女性を落とし、その場で交互にセックスしたという剛の者だ。街コンで連敗していた自分は自棄になって彼についてカラオケ屋に行ったのだけれど、そこでもうまくいかなかった。女性連れの部屋を探し、扉を開けて「一緒に歌いませんか?」と何度も言ったけれど、普通に「迷惑だから帰ってください」と言われて終わった。今振り返ってみれば、そりゃそうだろうと思う。反省している。二十代前半の黒歴史で、一番恥ずかしく、忘れてしまいたい。
2回目は湘南の海辺での話だ。獣医をやっている男で、犬を飼っている若い女性に自然な形で話しかけて仲良くなれるタイプだ。二人して江ノ島をうろついていたが、僕がうじうじしていたのもあり、結局うまくいかなかった。その後、彼が勝手に姿を消して、どこに行ったのかと電話を掛けたりメールしたりしているうちに、水着姿の大学生グループを連れてきた。結局僕はビキニギャルとビーチバレーをして遊んで帰った。楽しかったのだけれど、結局は僕がいるからナンパがうまくいかなかったのかもしれない。
とはいえ、そのイケメンの友人も妻の浮気で離婚しているし、失礼な女性にばかり引っかかっているので、イケメンにはイケメンの悩みがあるらしい。別のイケメンの友人も女性側が不倫していた。なんか自分の周囲はこんなのばっかりだ。ただ、基本的に男性側の話しか聞いていないので、バイアスがかかっている可能性は否定できない。
なんにせよ、一番向いていない方法だと学んだ。
ちょうど就職した直後、文学サークルの後輩女子三人とそれぞれ二人きりで会うことになった。パフェだとかガレットだとかチャイだとかをおごって、ああだこうだ話したのはとても楽しかった。けれども、基本的にはそれっきりだった。僕もそれほど期待していたわけではない。学生なら、社会人の先輩からはランチくらい当然おごってもらいたいだろう。SNSを見るとみんなそれなりに元気そうなので良かったけれど、僕もサークル内恋愛がしたかった。
サークル内部の一組のカップルは結局結婚した。誰が見てもイケメンと美女のカップルだった。もう一人のカップルは男が平気ですれ違った女性に対して「あいつはブスだ」とは言うような奴だったし、女性蔑視的な言動が多かったのに、なぜか彼女ができていたのが、今でも不思議で仕方がない。粗野な奴のほうがモテるのか、という疑惑にさいなまれることもあるけれども、こっちが軽蔑したにもかかわらず慕ってくる相手とは、なんというか健全な関係が築けない気がしていて、自分としてはやっぱり相手のことは大切にしたい。ちなみにそのカップルは別れた。
全然関係ないけど、サークルのもう一人のイケメンは新聞記者をやっていて、そのつてで引退した芸能人と結婚していた。うちの大学は偏差値高いんだけど、天は平気で二物を与える。こればかりは仕方がない。
フェミ問題のあんまり取り沙汰されていない側面なんだけど、あの人達っていわゆる日本に溢れる「kawaii」から取り残されたか、理解できない人たちなんじゃないかという気がしている。
日本っていうのは原宿とかオタク文化とかゆるキャラとか、そんなのも含めて「かわいい」を特に重宝がる文化があって、それは増田においても猫エントリとして発揮されてる。そういうものが男女ともに消費されてることになにか抵抗があるのでは。
女はかっこよくて自立してて、スレンダーでなければならない。これはいわゆるズカっぽさと言い換えてもいい。ズカっぽいことを目指すあまりに理想を邪魔するものを排除しようとする。
でもよくよく考えればわかるように、いわゆる宝塚的な女性像(今ならハリウッドかも知れない)という女に恋する女の像は、結局幼稚性から出ているように思える。だから逆に幼稚性の先鋭化であるオタク文化を見ていると生理的に自分の中にある問題を直視させられるようで辛い。こうした心理状態にある人は頑なで壁を作って受け入れまいとする。今の自分をありのまま認めると今の自分を壊すという大矛盾を延々と抱えているからだし、むしろ抱えていたいから。
まあ資料もないので単なる主張に過ぎないわけだけど。
■Demand A Plan
https://youtu.be/64G5FfG2Xpg
■Beyonce VS Nicki Minaj Twerk Battle
https://youtu.be/0TgNpYjQQD8
anond:20200215121420 anond:20200215123904 anond:20200215132207 anond:20200215142943
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床屋勤務だった父に、美容院勤務だった母はハワイ旅行中に出会い結婚したらしい。
物心がついたころにはもう父と母は不仲だった。父は仕事を休みがちで、私が小学生低学年の頃にはもう職場を転々としていたのを覚えている。
一つの職場に留まらず、職場を変えるものだからもちろん給料も上がらない。父と母は夜な夜な電話口や居間で喧嘩していた。
それは深夜だった時もあるし明け方の時もあった。長いことアパート住まいで横にも上にも寝ている家があるのに家に居る母は金切り声を上げていた。
でもほとんどがお金の問題で、まだ小学生の自分にはできることが無いことが分かっていたので家の手伝いをして、3歳年下の妹の面倒をよく見た。
父が仕事から帰ってくるとき帰りは母の車の迎えを頼んでいた。母はまだ小学生の私と幼い妹を乗せて車で最寄り駅まで父を迎えに行く。
その車の中でもお金の話で揉めていた。
夏のとある日、いつものように父を車で迎えに行った時に自販機で何か買う?と母が私に聞いてきたが私はペプシが欲しいとはその日言えなかったのを今でも鮮明に覚えてる。
両親を困らせないようにいろんなことを毎日考える日々が続いてた。
今も昔も趣味はゲーム。私が幼稚園の頃テレビの下スーパーファミコンが仕舞ってあるのを見つけて以来ゲームの虜だった。
コンポジットケーブルの繋ぎ方を覚えてひたすら「スターフォックス」の1面を遊んだ。これ一つで随分と長いこと遊んだ。
小学生になって私以外にもゲームが好きな人が沢山いることを知り、お家によくお邪魔して遊ばせてもらった。
父は気まぐれにゲームを買ってきてくれた。
「F1 RACE」https://youtu.be/-isADihL65Y とか「役満」https://youtu.be/H-Nc1_9bXpQ とか。
でもスターフォックスの次にハマり込んだのがゲームボーイカラーで出た「ポケットモンスター銀」https://youtu.be/Lfy93rW7zRs だった。
幸い、テレビさえ占拠しなければ父と母はゲームに理解を示してくれており、妹と一緒にゲームボーイカラーの画面をよく覗き込んだ。
ただ、その間にも父の帰りが遅かった事を責めたり、やはりお金の話で父と母が声を荒げる日が続いていたので、もうゲームソフトを買ってもらえるなんて無いんだろうなとポケモン銀を手にしたとき思った。
小学生にもなると、友達が増え色んなことを知り、考えることが増え、自分と友人の違いをよく知ることになる。
私はある日ゲームボーイカラーのソフト、「ポケモンでパネポン」https://youtu.be/yYfZPb4nqa4 (以下ポケパネ)を友達に遊ばせてもらった。
パズルゲームはスーファミで家にあった「マジカルドロップ2」https://youtu.be/NN5JIwbNG1U を遊んだことはあったけどそれ以上の爽快感で遊べたポケパネは衝撃的だった。
どうしてもこれを家でも遊びたい。でもゲームソフトをせがむのは両親を困らせる。また今夜パパとママが喧嘩するかもしれないし、普段よりもっと大きな喧嘩になるかもしれない。
その時小学生ながらにとった手段は『友達から盗む』だった。うまいこと友人からポケパネを盗み、買ってもないゲームを遊んでいるのがばれるとまずいからと、家では音量を消し
放課後には公園で一人でポケパネを遊んだ。でも親は子を見ている。買ったはずのないゲームソフトに気づき、ひどく怒られ、翌日友達へ返すくだりとなった。
その時、今となってはどう思ってそんな発言をしたのかも覚えていないが確かに私は言った。
母は泣いた。でも私は両親に負担をかけずにゲームソフトを手に入れる純粋な手段として盗みを働いたつもりだった。
盗みはダメだと諭され、母と一緒に友人の家に行きソフトを返した。友人は特に気にした風もなく、小学校を卒業するまで一緒に遊んでくれた。
夜な夜な喧嘩が続くが中学生になってある日突然、父がマンションを買った。
正直当時は驚きのあまり意味が分からなかった。お金ないんじゃなかったのかな。どこかで貯めてたのだろうか。大人になるまで、ずっとこのアパートで過ごすのかと思った。
とうとう父は働かなくなってしまった。
マンションに引っ越し、中学生になった私と小学生の妹はそれぞれの部屋をもらったが父は妹の部屋に入り浸った。
妹のベッドで眠り、昼食に袋麺を食べ、また妹の部屋で引きこもる。妹は母と一緒に和室で眠った。
あっという間に妹の部屋はたばこ臭くなり、ベッドの布団はぺたんこになった。
母は時短で働かせてもらっていた職場をやめて夜勤も挟みながら働くようになった。夕飯を作るのも私と妹で作るようになった。父の分はない。
初めて作ったのは野菜炒めだった。今でも覚えてる。切って洗った野菜を炒めるのに油が跳ねて妹と大騒ぎして、父に怒鳴られた記憶がある。
ほどなくして車で買い物に出かけた帰り、マンションの駐車場で母が助手席に乗る妹と後部座席に乗る私に向かって「ママ、パパと離婚することになったの」と言った。
私はまぁ、そうなるよな。と思った。驚くべきことに部屋を占拠されていた妹は泣いた。
そうして私と妹は母に引き取られ、マンションと父を残して出て行った。
家庭裁判所に行った。家庭裁判所の人は私と妹が望めばいつでも父と面会できる旨を伝えてきた。
でも私達から望んで面会を申し出たのは今までで一度もないままだ。
養育費は二人分。私と妹が高校を卒業するまで。その養育費も最初の2ヵ月払われて、それっきりだった。
私は高校生になった。アルバイトをはじめ、携帯代は自分で払い、月にいくらか家に入れ、欲しいもの・必要なものは自分で賄った。
アルバイトというのが地元のショッピングモールに入っているラーメン屋だったのだが、オーナーや社員のおっさんにとても良くしていただいた。
絵を描くのが好きと知れば誕生日に画集や画材を頂き、美味しいものもたくさんごちそうになった。
ある日、自分で夕飯の買い物袋を両手に下げてアパートに帰ってきたときなんだか急に悲しくなって声をあげて泣いた。
私以外にも高校生で、両親がいない中買い物袋を提げて帰ってくる子もいるだろう。
でもなんだか理不尽さと寂しさとどうしようもなさ、あとはなんで私がこんな環境にいるんだろうという気持ちで家に母と妹がいないことをいいことに、両手に買い物袋を提げて立ち尽くしたままうわーんと泣いた。
本当に「うわーーーーん」だった。
私は高校を卒業したら就職するつもりだった。(ちなみにこの時はまだ養育費が払われているものだと思っていた。)
母に高校卒業したら就職する。と言ったときの母のあの喜んだ顔は今でも夢に出るほど覚えている。
スーツ用意しなきゃねとも言った。
高校卒業したら就職するんです。とアルバイト先のおっさんにも言った。
そうしたらそのおっさん「あのさあ、人生よくやり直しが効くとかいうけどそんなことないよ?」と言い出した。
どきっとした。
わがまま言ったらいろんなものを困らせると思って黙っていたことがむき出しにされた気がした。
「勉強したいことがあるなら今のうちだと思うんだけど」
ゲーセンで知り合った友人に相談した。その友人は通っている専門学校にデザイン学科があるよと教えてくれた。
資料をもらって穴が開くほど眺めて悩んだ。そして母に言った。
「ごめん、就職したいと言ったけどこの学校に通って勉強がしたい。2年制でいいから、通わせてほしい」
その時の母の落胆した顔も覚えてる。この顔も良く夢に出る。
それでも母は奨学金の手続きを一緒になってしてくれて、無事私は専門学校でデザインの勉強をすることができた。
2年制だったから、うんと居残ってphotoshopやillustratorを覚え、プレゼンの勉強をして、就活を終えた(新卒で入った会社がクソブラックだった話はまたどこかで。失せろクソ会社)
もちろん、あれからバイト代が入ればちょこちょことゲームを買い、ゲーセンで音ゲーでも格ゲーでも遊んでいたのだが
無事社会人として安定してきて、switchとスマブラで友達と遊んでいた時の事。
友人と二人でいろんなキャラをオンライン対戦で遊んでいた時、5連勝くらい続いたあたりで
「なんか勝ち続いちゃってる。」としれっと攻撃を食らったりアイテム取り損ねたりして手を抜いてしまった。
これは高校生の時よく遊んだ「スーパーストリートファイターⅣ」でもかなりの頻度で起こった事象だった。
格闘ゲームで遊ぶ以上、ミスも弱さも自身のせいというのが基本なのだが、勝ち続けて嫌われたくない、気分を不快にさせたくないと
幼少の時に培った「相手のご機嫌伺い」が発動してしまって対戦ゲームでなかなか気持ちよく遊ぶことができない。
ご機嫌伺いはゲームだけでなくいろんなところで作用し続け友達は本当に少なく、それなのに変に性格が明るい人間になってしまった。
なんでもかんでも両親のせいにするつもりはないけど、子は親を選べないし、ここまで女手一つで育ててもらった母には感謝もしているけれども
なんであんな男と結婚したのか、なんで喧嘩するくらいなら生んでしまったのかとこの間ちょっとノイローゼになったとき思っちゃった。おわり。
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今。妹は素敵な旦那と結婚して1児の母に。もうすぐ2人目が生まれる。姪っ子にはクリスマスにぽぽちゃんのベビーカーとポポちゃん用のエルサの服をプレゼントした。
妹は育児に四苦八苦しながらも旦那、姪っ子と部屋を飾りながら私の手放しに楽しそうに生活している。
私は一人暮しのため住んでいたアパートを出たので母は久しぶりの一人暮らしを満喫し、フラダンスにハマった。
父はしらない。
>うちは早くに見切りをつけて子の物心つく前に離婚して一人で育ててるが、金銭的心配はなく楽しく二人暮らしのつもりが、子がこんな思いを抱えてたらどうしようと思った
金銭的な事情はきっかけに過ぎず、みんなが当たり前に持っているものが私達にないというこの状態こそが、買い物袋をぶら下げて立ち尽くしてしまう最大の理由なので、出来る事なら子には友人や人とコミュニケーションがたくさん作れる・取れる環境を作ってあげるのが大事だと考えてる。
その環境さえあれば、足りないものは徐々に補えるようになるはずで、そうなるように出来ている。
今思えども急にマンション買った下りは本当に意味不明で笑っちゃう
まぁ多分、良い暮らしをと思ってマンションを買ったのだろうけど良い暮らしはそこに無かったと言う訳。
>お母さんのリアクションが、逆ではないんだね
>落ちがないのがなんかいい
落ちてないから落ちがない…という落ち…
たくさんの人に読んでもらえてたくさんの人に文章を褒められて嬉しい
ありがたや
未だにふとした時に思い出して嫌な気分になるから、彼女の何が自分と会わなかったのか書いていこうと思う。
「私は嫌」って言ってくれれば「そうか、嫌なんだな」と思うんだけど、彼女は「普通はそんなことしない」と口にしていた。
彼女のいう「普通」が私の「普通」と違うから、どちらが一般論なのかという言い争いになる。
そうすると彼女は、自分の周りのごくごく少数(~3人)の友人の話を出してくる。たった3人。本人入れて4人しかサンプル数が無い。
にもかかわらず「普通は」としきりに口にして、私が非常識で間違っていて愚かだと責め立てていた。
最初のうちは反論していたけれど、段々それも面倒になって「ハイソウデスネー」と言っていたけど、病むものは病む。
議題が流れる。意見を人格の否定と捉える。エビデンスを出さない/認めない。
Aという議題について言い争っているときに意見とその背景なんかを伝えるわけだけど、意見よりもその背景の中に気になるところがあると、そこに集中して話してくる。例えばその背景が「日本人の平均寿命は10歳前後である」みたいな明らかな間違いであれば、意見を構成する要素が破綻しているので議題がそっちに流れるのは分かる。けど、そうじゃなくて「アジサイは一般的に土が酸性かアルカリ性かで色が変わるらしい」みたいな私の言葉に「アジサイは水色か赤紫でしょ!」みたいなことを言ってくる。「いやまあ結果としてそうなんだけど、それを言ったらみどりや白もある。ただ、その色を決定するのは土の性質によるものが多いんだよ」と言っても「だから!水色か赤紫なんでしょ!!!」「いやまあ…うーん」「ほら!私が正しかった!あんたは間違ってる!だから私の意見が全部正しい!!」みたいな。
相手が中性を名乗っていたので「そうなんだ」と受け入れて付き合ってた。
のだけど、付き合ってると結構疑問を持つことが多かった。私はバイだから男とも付き合ってきたし、女とも付き合ってきたけど、元カノよりも元カレに対する暴言がすごかった。まあ本人の恋愛対象が女性なので仕方ない気もするけど。
でも、不思議だなと思うのは「こういう所「男っぽいよね」って言われるんだよね」「こういう考えだから「女っぽくない」って言われるんだよね」「ああ、そういうの女子は好きそうだよね。私には分からないけど」「胸と子宮とりたいんだよね。ホルモンは打つ気ないんだけど」みたいな事をしきりに口にしていた。
一番最後のやつは、本気でやるつもりは無いんだと思う。様々なリスクがあることを伝えて「どうしてもやりたいなら反対しないけど、リスクがあることを理解してほしいし、なるべく長く健康でいてほしい」と伝えたら、あっさりやめた。
性自認女性であることを認められてないんだろうなーというのが私の見解。
「女っぽいものは苦手」と言いながらアナスイのハンカチを使っていたし、私がちゃん付けで呼ぶことも普通に受け入れてた。
化粧も薄いながらしていたし(まあ化粧については最近性別関係なくなってきたか)、泊まりになると女性用の大浴場にも普通に行っていた。しかも「女の人の裸を見ると申し訳ない気持ちになる」と言いながら。まあ性対象が女性だったからかもしれない。
なんかうまくエピソードを思い出せないけど、とりあえず「自分が女性であることは自覚していて、そう生きたいけど、そう言えない」みたいなボーイッシュな女の子みたいだなーと付き合いながら思ってた。それならそれでいいんだけど、「私は女じゃない」と言われることには違和感があるくらいには、女子っぽかった。
とにかく、性別の話をすることに結構気を遣うから疲れてしまっていた。
「お前には期待してないから他の子に頼むわ」「元カノと会ってくる」とかザラ。それが月に2-3回。
まあ(4)みたいなことをする人だったので嘘も平気でついてくるんだけど、嘘が嘘だと私には分かってしまって、気づかないフリをするのが大変だったし、その度に傷つくのも嫌だった。
社畜を経て、年齢の割にとある職種の経験が豊富だったことと、ビジネス基礎スキルみたいなものを叩き込んだり、すごく勉強したりした結果、それなりに自由に生活できる収入がある。
一方で彼女は、高校?専門?(濁されてよくわからなかった)卒業後、医療系の事務職についていた。スキルアップはまあ多少あったみたいだけど、お察し。
その仕事が好きだとか、職場が好きだとか、そういう理由があって続けてる…とかまあそれなりの理由があるならいいんだけど、何かある度に愚痴られ、「大変だね」と答えると「お前の職場は大きいしホワイトだからいいよね~」と言われた。
まあ、そりゃしんどい思いして経験詰んで寝ないで勉強してスキルを身に着けて、大きいところに拾ってもらえるような人間になったからな。としか。待遇を変えたいなら自分が変わらなきゃだめだよ、と伝えたけど理解してもらえなかった。
更にその上で「お前にはわからない」「バカにしてんの?」とも続いたな。
まあ少ない収入の中であまりに趣味に使うお金が多すぎるのはどうかと思ってはいた。
彼女の収入がいくらだったかは知らないけど、相手の職種の平均収入と、「買った」「予約した」と連絡が来ていた服の価格・頻度を鑑みても使いすぎだと思う。
付き合い始めた頃は小説をよく読むと言っていたんだけど、これも嘘。
好きな作家は?と聞いても答えは返ってこなかったし、おすすめの小説ある?と聞いても「サスペンス系」としか返って来なかった。
(2)にも通じるところがあるんだけど、LINEでも議論ができない。
更に「つまりこういうことね」とまとめてくるんだけど、どこをどう要約したらそうなるのかが分からない纏め方をする。
私の日本語力の問題だと思って、何度か推敲したりしてたんだけど、何をしても無駄だった。頭に結露を置いてもだめだった。
ちなみに、共通の趣味のうちのひとつがとある漫画だったんだけど、彼女は多分漫画は読んでなくてアニメだけっぽいな~と思い返していて思う。
新刊出ても話題にしないし、新キャラの話をしても乗ってこないし(ほぼ確実に好みのキャラのはずなのに)。
これ別れた後に発覚して笑ったんだけど、私の友達の親友と付き合い始めたのが、私と別れる前だった。
友達は私の恋人がこいつだということを知らなくて、「親友の新しい恋人がやばい…」って相談を受けたところから
「あれ?なんか聞き覚えのあるエピソードだな…」が重なって発覚。本人は気づいてないっぽいけどね。その後この友達と別の理由で疎遠になったからその後のことは知らない。
増田に書いてる時点でブーメランなのは承知なのだけど、私と会ったことがある人なんかにむかって、喧嘩をする度悪口をまき散らしていた。
プライドが高いのは自覚はあるけれど、他人を貶めて自分を上げるようなことは言ってないし、喧嘩だって自分が悪いと思ったら謝っていた。
家庭の事情で譲れない部分を指して言われたこともあるけど、「私の中の常識」では、それは当たり前のこと。
付き合ってると金がかかるとも言われたけど、私のデートプランは大抵ご飯を食べに行って、公園に行く、とか、どこからどこまで散歩する、とかそういうやつ。食事だってランチに3000円かかるようなところに行ったりしなかったし、夕飯だって5000円いくかいかないかの食事。なんならファミレスだったこともある。
じゃあなんで相手がそんなに言うかって、とにかくモノを贈られた。アクセサリーとかお土産とかなんかいろいろ。強請ったのはペアリングくらいで、それも相手の分は私が払っているし、ローンを組むような金額のものでもない。まあ阿呆みたいに原宿ブランドの靴や服を買っていたのでお金はなかったんだと思う。
(8)に書いたとおり最終的に浮気をしたのは自分だっていうのに、私が友達(それも幼稚園からの付き合いの幼馴染)と遠出して遊んだら「次の相手見つけてやがる」みたいな感じで言われてたのは流石に笑うよね。自分がそういうことをするから、私もそういう人間なんだと思われたんだろうけど。
総じて
違う意見・指摘をただしく理解して、認めたり反論する能力が低すぎた上に、プライドが高かったから合わなかったんだな。と。ここまで書いて理解しました。
私にも悪いところは沢山あるということは自覚しているけれど、少なくとも私とこの人は合わなかった。二度と会いたくない。どうぞお幸せに。
https://www.bengo4.com/c_1009/n_10542/
・トイレから戻ったあとには同じ内容のことを何度も話し、寿司屋を出たあとも千鳥足だった
・伊藤さんはホテルでシャワーを浴びることなく4月4日午前5時50分にタクシーで帰宅した
・4月7日と8日に友人二人に相談し、4月9日に原宿警察署に相談した
→今回の性行為が伊藤さんの意思に反して行われたものであると裏付ける
→「就職斡旋の可能性がなくなったので手のひらを返した」という動機はない
・山口さんは「タクシーの車内で伊藤さんが嘔吐したので伊藤さんをホテルに連れて行くことを決めた」と証言
→寿司屋から恵比寿駅は徒歩でわずか5分程度の距離であり、タクシーに乗せた時点で「合理的な理由は認めがたい」
・伊藤さんがタクシー運転手に「近くの駅まで行ってください」と言っていたのに山口さんは運転手にホテルに向かうよう指示した
・山口さんは「伊藤さんが午前2時ごろホテルで目覚めた際に『私はなんでここにいるんでしょうか』と述べて酔っている様子は見られなかった」と証言
→伊藤さんがホテルの部屋に入室することについて同意をしていないことの証左というべき
→伊藤さんが約2時間という短時間で酔った様子が見られないまでに回復したという点も疑念がある
・2015年4月18日に山口さんが伊藤さんに送ったメールでは「伊藤さんの方から山口さんが寝ていた窓側のベッドに入ってきた」と説明
・山口さんは法廷で「伊藤さんに呼ばれたために山口さんが窓側のベッドから伊藤さんの寝ている入口側のベッドに移動した」と証言
→不合理に変遷しており信用性に重大な疑念がある
って感じか。
男だけど名誉女子として女子会やパジャマパーティの一員として女の園の侵入に成功した俺からアドバイスしよう。
腐女子ジャンルでイラストを描いて活躍するんだ。そうすれば自ずと周囲は女性のフォロワで固められる。
そこから、オフ会に行って実際に数多の女性フォロワと出会い、推しのメンズキャラについて熱く語るなどして女性達と仲良くなることで、自然と男性である自身も名誉女子っぽい扱いを受けるようになる。
「男性だけど、イケメンキャラの良さ、BLの良さが超分かる」というキャラを押し出すのが大事だ。あとは、女性が好きそうな可愛い小物やファッションの知識もあると尚良い。
あとは女性達との人間関係を上手く進めて行くことで一緒に原宿にカワイイ服の買い物に行けたりタピオカ飲めたりして女子気分を味わうことができるぞ。
けみお(kemio)が売れたのは何故か?ということについて、けみおの独自のキャラクターがウケているということになっている。
確かにそれはそうなのだが、けみおの凄さというのは、自分を置く環境をキッチリ見極め、見切ってきたことにあると思う。けみおが日本で平均的で凡庸な暮らしを続けていても、奇抜な服装で原宿を闊歩する「ギャル」として生きていても、CMに起用され、Diorのような一流メゾンと仕事をすることは無かっただろう。
その人の個性が他の競合との差別化として大きな比重を持つのが、インターネットやSNSという場所である。その場所に種を撒いたからこそ、大きな花を咲かせることになった。
もちろん、けみおにはけみおなりの「企業努力」もしている。ヒカキンにしろ、炎上ということは避けようとしているし、人を楽しませようという考えがベースにあり、薬・異性関係・犯罪などの不祥事も起こさない。今ネットで若い人に支持されるアカウントというのは、「人を傷付けない」という共通点がある。ヒカキンにいたっては、マーケティング的にそのことを意識しているのは違いない。また、幅広い人に認知されるまで、コンスタントに動画を作って、配信してきた下積み期間もある。SNSとスマホ時代の、時流に乗ったという運要素も大きいが、彼らもそれなりに努力はしている。楽をしてお金を稼いでいるようで、それなりに大変な稼業である。
いずれにしろ、自分の能力や素質を最大限に発揮したいと思うなら、種を撒く土壌は選ばなければならないと、痛感するのだ。自分の素質を客観視すること、そして自分を置く環境の大きさというものへの、本能的・直感的な察知能力について、けみおは優れていたのではないかと推察するのだ。