フェミ問題のあんまり取り沙汰されていない側面なんだけど、あの人達っていわゆる日本に溢れる「kawaii」から取り残されたか、理解できない人たちなんじゃないかという気がしている。
日本っていうのは原宿とかオタク文化とかゆるキャラとか、そんなのも含めて「かわいい」を特に重宝がる文化があって、それは増田においても猫エントリとして発揮されてる。そういうものが男女ともに消費されてることになにか抵抗があるのでは。
女はかっこよくて自立してて、スレンダーでなければならない。これはいわゆるズカっぽさと言い換えてもいい。ズカっぽいことを目指すあまりに理想を邪魔するものを排除しようとする。
でもよくよく考えればわかるように、いわゆる宝塚的な女性像(今ならハリウッドかも知れない)という女に恋する女の像は、結局幼稚性から出ているように思える。だから逆に幼稚性の先鋭化であるオタク文化を見ていると生理的に自分の中にある問題を直視させられるようで辛い。こうした心理状態にある人は頑なで壁を作って受け入れまいとする。今の自分をありのまま認めると今の自分を壊すという大矛盾を延々と抱えているからだし、むしろ抱えていたいから。
まあ資料もないので単なる主張に過ぎないわけだけど。