はてなキーワード: 上陸とは
シン・ゴジラのカタルシスは散々言われ尽くされてる事だが、ゴジラのブレス攻撃第一波に尽きる。
主人公側(政府側)のステートマシン図を書きたくなるような目まぐるしい報告と対応も凄かったが、
その凄さは恐らく「敵が無能だと強さ引き立たない」という理由で演出されたものであり、
観終わった後も「あの攻撃だけでももう一回見たい」という気持ちが強く、
で、あの攻撃の何が凄かったのか数時間考え続けて、一応の結論が自分の中で出たので、書き留めておく。
まずあのブレスが設定上どういう位置づけかという点だが、あの攻撃は、波動砲(ガミラス視点)だったのだ。
発射に至るまでの溜めの長さといい、ゴジラ自身が制御しきれない巨大なリスクを伴った手のつけられない破壊力といい、
庵野つながりで巨神兵ブレスと見ても良いのだが、巨神兵との違いは、巨神兵が最終的に大海嘯に押し切られて自滅するのに対し、
とにかく撃ったら終わる無敵兵器の位置づけなので、巨神兵よりは波動砲に近い。
(とはいえ、後述するように最後は「ガス欠」が敗因なので、そこは巨神兵と同じと言える)
見てる人は皆同じことを思っただろうが、今回のゴジラはブレスを吐くまで攻撃らしい攻撃を全くしないのである。
町の中をのたくってあっちこっちを押しつぶしたのと、煙の中から橋をちゃぶ台返しした事以外は、実に忍耐強いというか、攻撃をしない。
神心会のデンジャラスライオン加藤清澄にパンチされまくっても欠伸してる夜叉猿Jrのように、まるで何もしない。
ゴジラが攻撃するのは「有効な攻撃」をされた時だけなのである。
これは別にゴジラが「攻撃しなければ無害であり、本当は戦いたくないのだ」などという甘っちょろい事を意味してるわけではない。
ゴジラは移動するだけでも甚大な被害を発生させる存在であり、「放置しておくと増大するリスク」そのものなのだ。
いるだけでも迷惑だが、取り除くために行動するなら痛みとリスクを伴う癌細胞。それが今回のゴジラだ。
だから、有効な攻撃を食らうまではゴジラも攻撃しなかったのだ。
今回の映画で政府側は何度となく「民間人に被害が出るけど攻撃するか」を問われるが、
ゴジラが最初からブレス撃ちまくりながら侵攻してきていたら、その葛藤は描けなかっただろう。
で、テーマ上の都合は上記のとおりとして、
ゴジラの都合に立ってなぜ攻撃しなかったのかを考えると、ブレスの「奥の手」としての悲哀が見えてくる。
ゴジラの負けが決まったのがいつかという点を考えると、それはあのブレス攻撃が終わってゴジラが活動停止した時だろう。
あの攻撃で「ガス欠」という決定的な弱点を晒してしまった事で、
主人公側はゴジラに血液凝固剤を投与するための道筋が見えてしまった。
確かに「止め」を刺したのは血液凝固剤を飲ませた事で、その点はショボく見えるのだが、
重要なのはそれより前に無人機による波状攻撃によって放射能を撃たされて、意図的に再度ガス欠にさせられてしまった事で、
あの状態になったらもう血液凝固剤でも口の中に爆弾でもバンカーバスター釣瓶撃ちでもなんでもできるわけで、
ガス欠がバレた時点でゴジラの勝ち目はなくなっていたのだ。
その意味で、勝負が決したのはゴジラが奥の手であるブレスを使わせれた第一波が全てだった。
総理はゴジラのブレスで死んだが、ブレスを撃たせたことでゴジラの死も決まった。
神羅カンパニーのミッドガルキャノンvsダイヤウェポン戦と同じで、あのブレスシーンは、総理以下内閣首脳とゴジラが刺し違えたシーンだったと考える。
あの総理大臣は2つ印象的なシーンがあり、一つはゴジラ第3形態の時に巻き添えになる民間人を見過ごせず、攻撃中止を決断したシーン。
もう一つは米軍によるゴジラへの攻撃で東京の空が赤く染まっているのを見ていたシーン。
特に前者の方は、直後のゴジラのしばしの停止とも相まって、日本政府の弱みを敵の眼前に晒したシーンであり、総理のその後の敗北を強く暗示する物だった。
ゴジラが鎌倉に再上陸した後東京に向かい、登場人物が「なんでこっちに来るんだよ」と嘆くシーンがあるが、
要は、民間人を救おうとしたことで勝機を逸したと同時に「人がいる場所なら攻撃されない」と舐められたわけである。
その事が、熱核攻撃というリスクの拡大再生産と、最終決戦での主人公が民間人に巻き添えが出ようが何だろうが攻撃する決断につながったのであり、
またゴジラが東京駅で活動停止した理由も、人の多そうなビルの近くが一番攻撃されにくいという判断によるものかもしれない。
攻撃するべき時に攻撃できなかったことで、リスクを東京消滅の寸前まで大きくしてしまった総理。
決断力あり過ぎに描かれていると非難も多い日本政府だが、それは彼らが死んだ時に「その後」の日本政府の人材欠乏ぶりを際だたせるためのものだろう。
業界では前々から噂されていたらしいが、月額980円で電子書籍読み放題
Kindle Unlimitedが遂に日本でもサービスを開始した。
イケダハヤトやそのほか、「
Kindle Unlimitedでお勧めの作品一覧(随時更新)」なんて記事が多数出ているけど、
このサービス上陸で何気に喜んでいるのってこういうアフィリエイトブロガーなのかもな…
作品リストからめぼしい、有名っぽいものを適当にピックアップしてリンク貼りつけときゃいいわけだし。
って何気に喜んでいるのはブロガーとして、もう一つ、何気に炙り出されているのは、各出版社や作家の電子書籍への姿勢のような気がする。
出版系の就活を考えている学生とか、電子書籍系サービスで一旗揚げたろうみたいな人はラインナップをよく見るといいと思う。
日頃からKindleでセール情報やランキングをチェックしている人ならよく分かると思うが、
そもそも、Kindleのセールで前から1巻無料とかよくやっていたタイトルが多かったりして、つまり、元から、電子書籍への拒否反応が薄く、無料やセールにして読者を集める売り方にアレルギーが弱い版元や作家が参加している…って、まあそりゃあ、当たり前か。
西東社(歴史系書籍を100円にしてランキングをほぼ全占めしたりしたことがある)、ぶんか社(ここは電子コミック1円とか5円とかよくやっている)、日本文芸社(既存の無料読み放題アプリなんかにも作品を卸している)、太田出版(270円セールをよくやっているが読み放題に出しているコミックも結構それとかぶっている)
あたりの版元が数を揃えているのはかなり納得だし、
11円セールでかなり儲けた佐藤秀峰、また、権利元がプロダクションになっている青木雄二、こちらも、既に既存の無料読み放題(マンガBANG!みたいなのね。無料っつっても勿論広告料から利益分配される)に作品を出している新井英樹作品があるのも、さもありなんという感じ。
GooglePlay(電子)での配信にいち早く参入した講談社のタイトルは雑誌を中心に比較的多くて、
一方、GooglePlayでの配信参加がかなり遅かった集英社は、Kindle Unlimitedにも名を連ねていないっていうのも、物凄く案の定。
しかし、日本ではどうして電子がなかなか主流派にならないんでしょうね。
本を買うという行為には、ただ単に内容を読みたいという「読書の欲求」のほかにも、「所有の欲求」(こんな本持ってるぜ)、「顕示の欲求」(こんな本読んでるぜ)があり、電子では後者2つが満たされないからかしら。
是非は別として、この書き手が明確に見間違えている、あるいは見落としていることについて
この映画は「ゴジラという災害」と「日本」の戦いであり、明らかにそれを意識した作られ方をしているということ。
つまり登場人物は誰一人ヒーローではない。フィクショナルな意味でのスーパーヒーローは出てこない。
作中でも語られる通りに代替可能なキャラクターであり、しかし彼らが活躍するからこそ「一人の英雄」ではなく「日本」が見えてくるのだ。
さんざん指摘されているように、ヤシオリ作戦の内容は「ヤシマ作戦」と酷似している。
(①敵がエネルギー充填のため停止中 ②空撃は自動的に追尾破壊 ③日本中が集結)
「シン・ゴジラ」の作中に明確なヒーローとヒロインがいれば、エヴァンゲリオン同様に世界はシンジと綾波の笑顔に集約されてしまう。
熱く盛りあがりたければ自己犠牲を出せばいい。感動的なBGMを流せばいい。スローモーションをかければいい。
感情移入を誘発させて、画面に向かって叫ばせればいい。むしろ観客を感動させようと思うのなら、こんなに簡単なことはない。
それを「ないからダメ」ではなく、「なぜそうしなかったんだろう」という疑問を持って本作と向き合ってもらいたい。
そのうえで、内容が気に食わないのなら仕方がない。自分の好きなものと違うからだめ、という見方はあまりにもったいない。
矢口、カヨコ共に親の七光りであることは強調されているし、なによりあるキャラクターの薬指には指輪が光っている。
だが本作で書かれているのは理想の国家であり、登場するのは理想の公務員たちだ。
ゴジラが本性を発揮し、津波、地震、原発とその表すものが明らかになっていくうち明快になるが、
言ってしまえば彼らは「こうあってほしかった」とされる東日本大震災と原発事故に対応する日本国家だ。
だから彼らには徹底的なリアリティが必要とされ、ストイックさが求められる。
悲劇に立ち向かうたびに恋人に電話して、励まされて頑張る、だとか
田舎に帰って親に説教されて立ち直る、とか 死にゆく前に子供の顔を思い出す などの
よくある展開に飲み込まれない、強靭でありながらステレオタイプに寄り過ぎない国家公務員だからだ。
書き手が疑問に思っている「出世の野心」についてはもっと明快で、これは彼らの軽口にすぎない。
「国のため!」「私たちがやらなければ誰がやるんですか!!」といったような言動は安易にナショナリズムを刺激し、
また誰もが聞き慣れており、その言葉は嘘と虚飾にあふれている。なにより非常に陳腐なのだ。
それこそ書き手が「言わせるなよ」と評した「ゴジラより怖いのは人間」といった表現と同じように。
詳しくはゴジラ(1984)をご参照願いたい。
朝起きれば津波。昼休みに流される車。倒壊する学校。鳴り止まないサイレン。
街が泥水に覆い尽くされ、数えきれない人々が瓦礫の山と共に砕かれていく。
バラエティ番組は自粛、CMは自粛、連日の黙祷、増え続ける犠牲者、行方不明者。
確かにこの頃「何度でもやり直せる!全然OK」等と唱えていたら、書き手に同調する人は多かっただろう。
だが震災より既に5年半が経過している。また先日の熊本大震災、あるいは津久井やまゆり園の例に見るように、
悲しみは絶え間なくやってくる。
そういった中で明るい展望を見出し、これからの立ち直りを示唆することが悪いとは到底思えない。
また繰り返すように、本作は理想の国家公務員たちが作り上げた理想の災害対処である。
書き手が腐るほど見てきたという作品群は、恐らく以下のようなカタルシスの産み方を目指していたものだろう。
→④予期せぬアクシデントが発生する
→⑤とっさの機転で切り抜ける
が、本作はその点を利用していない。しようとしていない。それは映画を見ればわかる。
まずは②にあたるものが本作にはない。作戦の目的以外、つまりどう実行するか?の点について、
本作では最後まで伏せられている。
発破をかけたビルでゴジラを押しつぶすという作戦を観客に提示する、その絵だ。
ビルと鉄道に「日本の技術力、ひいては日本そのもの」を読み取るのもいい。
(今までゴジラに破壊されてきたものの逆襲という背景を深読みしてもいい)
もし書き手が少しでも頭を使って本作を見ていれば、流石にゴジラを東日本大震災と重ねているはずだ。
そこから何も読み取ろうとせずに、フィクション世界の物差しで本作を「ご都合主義だ」と言っているのであれば
読み取り方を完全に間違えている。
本作はリアリティを追求しつつ、観客に「これは東日本大震災のメタファーですよ」「そして彼らは非常に有能な公務員たちですよ」と
前半までに否応なしに畳み掛けることで、
本作の、少しでも間違えたら全てのシーンが冗談になってしまうヤシオリ作戦について「嘘」を認めさせるという高度な作り方をされているのだ。
書き手は「私は震災で家族を亡くしている」などという設定があれば、
・押し潰される団地
・頻出するガイガーカウンター
・明確に原発封鎖を目的としたコンクリートポンプ車に似せたゴジラ沈静化作戦
ここまでされても「ごく自然にゴジラを震災や核と重ねることもでき」ないのであれば、
ここまで書いた文章はすべて無駄で、純粋にリテラシーの問題だ。
褒める褒められないの視点に立ててすらいない。
問題文が読めていないのだから、出した答えが正解しているわけがない。
もちろん、書き手を否定した文章すべての答えが正解であるはずもない。
だからもちろん、こういう人にこそブルーレイを買って何度も見なおしてもらいたい。
映画は何回も見れば見方が変わるものだし、繰り返し話すことで理解は当然広がっていくはずだ。
一回で全てを理解してしまい自分の中に全てを落としこんでしまった人よりも、この書き手は本作を何倍も何倍も楽しめるのだから。
牧悟郎教授だっけ?
あの人、入水自殺したことであっさり片付けて遺した図面だけがスポットに当たってるけどさ、
アメリカへ去った人がわざわざ戻ってきて自殺するの違和感がある。
当て付けだとしても、遺書代わりの図面とメッセージを政府に送りつけてもいいだろうし、自殺方法自体も自宅とかで首吊ったらいいのにね。
ゴジラの発生源で、ボートに「好きにしろ、好きにした」と書いて、地図には発生ポイントらしきところに目印まで付けて入水自殺を選ぶ理由は?自殺する際の目印以上に意味があるんじゃないの?
あの人食って、ある程度知恵というか、地上こそが生息地だろという本能を与えられて都心上陸したんだとという感想というか妄想を抱かずにはいられなかった。
水生生物なら自重で潰れるはずなのに、実際は陸上でも(進化して)活動できたっていうのは、政府の初動対応の不手際や人間同士の議論の稚拙さを表現したというよりは、
ゴジラが単純な水生生物から進化していってるその不気味な様子を言い換えたもので、その進化のきっかけは、人間の教授を食ったからなのかなってね。
冷却停止して第四形態のゴジラとしての役割を終えたから次は人型(最終形態?)に進化だっていうオチなんじゃないか?
タオル首にかけてた准教授が「(放射性廃棄物を)食ってたわけじゃなかったんだ!」とか
津田寛治がおどけて「あの歯じゃ食えなくね?」っぽい事を劇中で登場人物に言わせるところが、
逆に「牧悟郎教授だけは食べてる」っていう設定を逆説的に引き立たせるというかそういう気がしてならない。
レイトショーの回を観に行った。
まずとなりの席に座ってたババアが最悪。
七対の触手を落ち着くなくうねうね蠢かせて視界を塞ぐし、十七秒間隔で先端からオレンジ色の膿汁みたいなものを撒き散らす。
入場前に持たされた3DLSDを服用すると、光の世界へジャック・イン。
おれたちはもうゴジラだ。
アーチ型に列に並べられた、八十ほどあるパイプ椅子のうち、その日使われているのはたった五脚だった。わたしたちは互いに離れて座っていた。わたしたちは一人になるためにここに来たのだ。自己省察、つまりは失われた人生を結果論で批判したいという欲求。それは宗教の信者が抱く祈りへの欲求くらいにやむにやまれぬものだった。
シンゴジは昔の大作の映画みたいに、本編上映中に休憩時間が挟まっていて、そのあいだトイレにも行かず、ホットドッグを補充しようとしないやつは十五分間のニュースを観させられる。その一コーナーは株式市場報告だった。素人くさい二人の女の子が、熱心にその日の市場の動向を報告するのだ。
私は見て、聞いた。女の子たちは私の娘だった。オオクニヌシとアマツヒコネ、十歳と十二万歳。二人の母親が電話でぶっきらぼうに、娘たちがTOHOシンデレラに選ばれてこれこれの番組に出ることになったと教えてくれた。
二人は画面で無表情にアラブ首長国連邦で急速に進展している状況について報告していた。
「東京株式市場には深刻な影響は出ていないと政府はコメントしています」
「ドバイは国民ひとりあたりの負債が世界一多い」オオクニヌシが言った。「そして、建築バブルもはじけ、もはやドバイは借金を〜〜〜(聞き取れない)へ返せません」
「何十億かの誤差はありますが」
「負債を負ったこの都市国家は、六ヶ月の返済猶予を諸銀行に求めています」
「ダウ・ジョーンズが下がった」
「ドイツ銀行」
「下がった」
「また下がった」
「ホンコンのハンセン指数」
「どんどん下がる」
「下がった、下がった、下がった」
以前の人生は毎分のように自分を書き換えていく。四年後にも私はここにいて、この薄暗い客席で悲惨に座って石原さとみのルー語を聴いているのだろう。
自由になった未来などなかなか想像できない。信じられるものなど何一つない。
日本は立ち直りなどしない。
この二十数年、いや、この六十五年間、立ち直ってこなかった。
立ち直ったのは監督の鬱だけだ。
「恐怖は増すばかりです」
「数字の恐怖、拡大していく損失の恐怖」
「恐怖とはゴジラのことです。話題はゴジラです。ゴジラには収益性があります。五百八十億ドル、それとも八百億ドル?」
「速報です。ハリウッド版ゴジラを製作しているレジェンダリー・ピクチャーズが中国企業に買収されました」
「速報です。エヴァンゲリオンはもう誰も観ていません」
「なぜなら誰もが観ているからです」
戦争、休戦、無秩序に右往左往する群衆のインスピレーションとなってきたサッカーとゴジラと映画。どれも世界で熱狂的に愛されている。あるオブジェクトを追い回し、草地や芝生や都市で行われ、国全体が高揚や悲嘆に身を悶える。
もしゴジラがアメリカの発明品だったならば、古くからの清教徒的な本性に導かれて、マスターベーション禁止という原則にのっとった作品にならざるをえなかっただろう、とヨーロッパの知識人が唱えたりしないだろうか。
これはいま私が考えていることのうち、以前は決して考える必要のなかったことの一つだ。
肌が音を立てながらが溶けていくのを感じる。
性器が溶解していくのを感じる。
それがなぜか妙に心地いい。
最初に流れる他の映画の予告編で真っ先にプリキュアやってて「こういうファン層(大友)向けなんだなあ」って思ったし、
危機感のない関係閣僚会議にイライラしたしやっぱり閣僚は無能ぽさガンガン出てたし、
ゴジラの幼体みたいのめっちゃ誰?感あって気持ち悪くて怖かったし、
指示が後手後手でどんどん浸食されていくのリアルで笑えたけど笑ってる場合じゃなくて、
そのあと再上陸した時にゴジラ対策マニュアルみたいなのできてて対応速い!すごい!ってなったし、
緊急対策チームみたいなのの曲者、モブっぽさ凄くてこれこれ!これを待ってたんだよ!ってなったし、
てか高橋一生とあの女の子(石原さとみでない)めっちゃ萌えたし、
鎌倉に上陸したって聞いてほっとしてたら()こっちに来てうわわってなるし、
ていうかそういう感覚って、ハリウッドの超大作パニックとか、昔のゴジラでは味わえない、いま日本で見るからこそ感じられるリアルな怖さだと思うし、
閣僚もやるやんけ、ってなったとたん…ってなったし、
石原さとみはまんまヱヴァのアスカみたいで実写だこれ!ってなったし、
平泉の狸かんとか、田口の動けるデブ感とか、マツダの有能な二世っぽさとかいとおしいし、
「無人在来線爆弾(うろ覚え)」のネーミングのシュールさとプラレール感に笑ったし、
賢いエスカルゴが創造した調和は、捕食者の赤いドラゴンではなく、
すなわち、ちょっとだけ余分に黒いうんこをする新種の誕生である。
この腹黒いエスカルゴは耐暑性をもっていて、余分に黒いうんこで環境温度を最適のものより高くすることで、
時を同じくして北の陸地では余分に白いうんこをする酷薄なエスカルゴが誕生していた。
彼らはもちろん耐寒性をもっていて、我慢大会で同種を打ち破った。
こうして似通った生存戦略で分布を広げた二種類のエスカルゴはついに温帯で激突した。
腹黒いエスカルゴが黒いうんこをひれば、酷薄なエスカルゴは白いうんこをひる。
僻地にしぶとく生き残っていた雑魚ナメクジが体色を灰色に固定して漁夫の利をえた。
殻のない彼らが増えれば手のひら状の目のない肉食動物「赤いドラゴン」が増殖する。
こいつは「何か」が赤いアメーバに食われかけているように見える奇妙な動物だが、中心部の「何か」が本体である。
赤いドラゴンが増えれば、そのチャームポイントである爪が立たない殻をもつエスカルゴ属に分布拡大のチャンスが訪れる。
こうして延々と繁栄と衰退のシーソーゲームが繰り広げられる中で、徐々に多様性が増していった。
なお、大陸の南半球側では平和的に進化が展開していて、殻の上部が半透明になっていて
効率的に日光を葉緑体にあたえる「温室エスカルゴ」などが誕生した。
また、ナメクジとの共生を辞めた藻類――あるいは別個に上陸した藻類が、
この世界で最初に上陸したのはナメクジだった。正確にはナメクジ様の単純な動物であった。軟体動物に属するナメクジはかなりの高等動物である。
ナメクジモドキ:Limacidae Pisciculosは、さながら巨大なミドリムシ。動物でありながら光合成能力を持っていた。
そして、外敵がいない先駆者の利点を活かして、恐ろしい密度で大地を満たした。
雑魚ナメクジたちには葉緑素のほかに、体表にあるメラニン色素のつまった膜を広げたり畳んだりして体色を変える能力があった。
寒い地方の雑魚ナメクジは膜を広げて光を受け、暑い地方の雑魚ナメクジは膜を畳んで白い肌で光を反射した(紫外線の波長域には別の対応をした)。
ナメクジモドキはあまりに高い生存密度から、周辺の気候にすら影響を与え、
日光を吸収・反射することで寒い地方の大地は黒く暖かく、暑い地方の大地は白く涼しくしていた。
遥か高空からみた大地は灰色に染まっていたが、ズームインすれば、それはうぞうぞと蠢いているのであった(想像しないでください)。
それに対抗するための「殻」の再発明がさらに大きな悲劇をもたらした。
いちど作られてしまえば愚かなエスカルゴたちの殻の色を変えることは不可能だった。
地上は寒い地域は寒く、暑い地域は暑い、過酷な世界に戻ってしまう。
数百万年後にこの苦境を救ったのが、新種の賢いエスカルゴEuhadra callidusの誕生である。
賢いエスカルゴに溶岩を噴出させたり、大気中の水蒸気量を操ったりする能力があったわけではない。
ただ、賢いエスカルゴは、うんこの色をコントロールすることで環境の制御に挑戦したのだ。
こうして、大地のアルベドをコントロールし、気候を穏やかにする。
雑魚ナメクジと違って体表の葉緑体にも影響されないため、賢いエスカルゴはより徹底的な白色で世界を塗ることができた。
宇宙空間から、増田アースを見た時、大陸は気候帯に合わせて白から黒のグラデーションに染まっていた。
そして、白から黒のグラデーションによって気候が変化させられていた。
とても美しい光景であった。
このように雑魚ナメクジも賢いエスカルゴも奇跡的な生物であったが、
後世の古生物学者に体表の色や排泄物の色をつきとめるのは難しく、
とてつもないスクリーン数で上映されたワンピースフィルムゴールド。
気になったので数字を調べてみた。
すると。
FILM Z 300スクリーン 初日2日間で、興収13億7205万4050円・動員数114万81人
FILM GOLD 739スクリーン 初日2日間で、興収11億5577万1000円・動員82万0830人
ってことで、上映スクリーンを倍以上にしたにも関わらず動員数は3割ほど減っている。
これは相当やばくないですか?
フジテレビがもう社運を賭ける勢いで番組という番組にルフィを登場させ、宣伝を打ちまくり、バンダイナムコや東映アニメーションが持てる力をすべて注ぎ込み、猫も杓子もタイアップをするこの映画が、なぜこけたのか?
ワンピースの寿命という説ももちろんあるが、やはり、公開初日に黒船「ポケモンGO」のスタートが重なったことが最大の理由と考える。
ワンピースの映画初日動員数はまったくニュースにならず、すべてのwebニュースはポケモンGOの上陸を取り上げ続けたことで、ワンピースの映画っていつの間にかはじまってたなあという雰囲気になっている。
とんでもない大惨事になるかもしれない。
エンターテインメントの粋を極めたよい映画です。
ポケモンGOに飽きたらぜひ見に行ってあげてください。
参議院選挙は自民党に投票するけど、憲法改正の国民投票には反対を投票するって、頭良いなあと思った。
安倍さんも「三分の二取ったからイケるぜ!」と思ってやったら、反対で否決になってガックリするだろうね。
なんか10代は自民党指示が多いらしいから、若年層ほど頭が良いのかも。
憲法改正しないと徴兵制ってできないんだっけ。できないんなら良いんだけど。
安倍さんなんか解釈変えて集団的自衛権を使えるようにしたとかみんな言ってたじゃん。だから、なんか解釈変えたら徴兵制できんのかなと思って。
戦争って老人は「やれ!やれ!」って言って、若者は「やだ!やだ!」って言うんだって。
だから好戦的な政権に対しては若者ほど支持が減るのが普通なのかと思ってた。
選挙で選ばれた我々の代表がやることだから、基本的には従うよ。
なんかうまいことやられて徴兵制になっちゃって、もし「来いっ!」って言われたら行く。でも、もう中年だから、呼ばれることないと思うわ。
若者の皆さんは「国を守るために二年間を捧げるのは当然だ!」とか言われて、呼ばれたら、徴兵よろしくお願いします。
「北朝鮮は必ず攻めてくるから先手を打たねばならぬ!」とかたまたま阿呆な上官がいたら、戦争始まるかもしれないけどさ、そんときは向こうでやって欲しいな。日本に上陸させないでね。
潮書房光人社、月刊「丸」2016年7月号掲載記事、筆者、内田弘樹氏
http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/anime/1458575380/460-507
軍事趣味雑誌「丸」7月号に内田先生が「不動の高速戦艦チャンプ「アイオワ」級」なる記事を書いているが、わずか6ページの記事に、一読して「おや?」と思うような記述がどっさり。
以下に明らかにおかしい個所を列挙する。
「1938年」が「エスカレーター条項が」にかかるのなら、「……したため、1938年にエスカレーター条項が発動」と書かないといけないだろう。
国語的におかしい。「保有枠を戦艦、」のあとに脱文があるのではないか。
「最大統制口径」なる用語は初めて見た。「主砲口径制限」が普通だろう。
ここでの「条約」は、日本が1934年に不延長を宣言したワシントン条約のことである。
文中「ワシントン」が出てこないのはどういうことか。
ワシントン条約失効に伴い新戦艦を計画したのは米英も同じであり。日本だけの話ではない。
ここは「ワシントン条約失効により建造される日本の新戦艦の性能を」で文を始めるべきであった。
1940年予算建造の「イリノイ」「ケンタッキー」はどこへ行った。
船体が長くなり、機関が強化されるとなぜ重心が上がるのか?
船の用語で wet は「湿った」ではないだろう。意味をとれば「波をかぶる」ということである。
また、アイオワ級がウェットだと言われるのは、艦首寄りの船体を細く絞ったために艦首浮力が減り、水面下に突っ込んだ時に浮き上がる力が少なくなったからである。
このへんウィキペの丸写し。
「口径が延長」はおかしいだろう。「砲身長が延長されたため」だけでよく、カッコ内は不要。
ほぼウィキペの丸写し。
4機積めるはず。
矛盾してるだろう。
これはサウスダコタが狭すぎたということで、アイオワだって狭くて不評なのである。
「しかし居住設備は当初計画時1900名強だったのが、戦時の実際の運用では2800名~2900名と1000名近く増加し、極めて苦しい状態だったのは事実である。艦内スペースはかなり不足していたらしい(世界の艦船545集より)」
ローズヴェルト大統領を降ろしたのはカサブランカではなく、500km以上東のメルセルケビル(オラン)。
こう書くと、いかにも「ミズーリ」が仁川を砲撃したように感じられるが、実際に砲撃したのは東海岸の三陟である。
アメリカは古い巡洋艦を何隻もミサイル艦に改造している一方、1950年代に新造されたミサイル巡洋艦は1隻だけ。
いまウィキペをざっと見てみたら、「ミズーリ」に特攻機が突入したところの記述もウィキペの丸写しだった。ひどいもんだよ。
降伏調印式の日付、明らかにwikipedeiaの戦艦ミズーリの項内の
>ミズーリは8月21日に東京に上陸する占領部隊のため200名の士官及び兵士をアイオワに移乗させた。その後8月29日に降伏調印式準備のため東京湾に入った。
を早とちりしたままその後の
>日本政府および軍の降伏文書調印式は、9月2日に東京湾(中の瀬水道中央部千葉県よりの海域)に停泊するミズーリの甲板上で
>副砲は当初ウースター級軽巡洋艦に搭載された一五・二センチ両用連装砲が搭載予定だったが、重量の問題と同砲の開発が遅れたとこで、サウスダコタ級と同じ
>三八口径五インチ連装高角砲が両舷中央部に各五基装備された。射撃指揮装置としては、Mk4レーダー付きのMk37射撃指揮装置が合計四基搭載された。
>副砲は当初ウースター級軽巡洋艦に搭載された15.2cm47口径両用連装砲を採用予定だったが、重量問題と開発遅延のため、結局ノース・カロライナ級
>やサウスダコタ級と同じ12.7cm38口径両用連装砲が採用され、これらを両舷中央部に各5基搭載された。
>副砲の射撃指揮装置は、Mk4レーダーを装着したMk37 射撃指揮装置が艦橋全部に各1基、加えて一番煙突の両舷部に各1基の計4基が搭載された。
>当初、副砲はのちに「ウースター」級軽巡洋艦が搭載した六インチ四七口径連装両用砲の採用も検討されたが、重量の問題と同砲の開発遅延によって、前級と同型の
>五インチ三八口径連装高角砲が艦の中央部に各四基搭載されている。高角砲の射撃指揮用としては、Mk4レーダー付きのMk37射撃指揮装置が前後の艦橋部に各一基、
>一番煙突側部の両舷部に各一基の計四基搭載されていた。
丸パクリとは失礼な。wikiの参考文献をパクリつつwikiからは要約の仕方をパクってるだけだぞ
地元が戦場となっただけに背走する軍隊からは大量の脱落者が生じる。
だが、その一方で増田家は致命的な一撃を敵にむけて放っていた。
増田中弐にひきいられた船団は、彼の旧領をめざして一路、西進。
途中で嵐に遭い、三万人のうち一万人しか残らなかったが、
指揮官の不屈の闘志に牽引され、満月の大潮を活かし軍勢を増屋近くに上陸させた。
このことを増田家(士)東征軍はまったく察知していなかった。
老兵ばかりの居残り部隊が送った急使は旧増田家(九)の陸橋部分で片っ端から始末された。
これは、忍びたちの働きによるものだ。また、占領されて日の浅い現地住民も増田家(士)に非協力的であった。
そして、西方での驚くべき活動が、当主たちの耳に入る頃には、みやこ周辺の情勢も、のっぴきならないものに化けていた。
増田軍の手癖の悪さが原因である。常に文明の先進的地域を占領し続けてきた増田軍には略奪癖がついていた。
それがみやこを前にしても発揮されてしまい人々の恨みを買った。
最悪なのは宗教施設にまで手を出してしまったことで、増田軍は強烈な反発を招いた。
前の支配者向けに用意されていた一揆が新しい支配者向けに発動され、占領軍に出血と分散を強いる。
しかも、旧増田(七)領の西方国境城塞群は整備しなおされ、一揆勢を招き入れて強力な迎撃体制を整えていた。
増田軍は進退窮まった。一度も負けていないのに、増田島の覇権をめぐる戦争を失おうとしていた。
逡巡の後、現実を認められない家臣たちを物理的に排除して、増田家の当主はみやこからの撤退を決意する。
だが、すべては遅すぎた。
今度は増田家(八)の南海岸側の船団が三万の上陸部隊を満載して陸橋部に突進、かつての経験を活かして上陸を成功させたのだ。
そこに増田家(九)の旧臣が続々とあつまり、臨時の砦を築き、破却された山城を修繕した。
本領を回復した増田中弐も援軍を送り込んできた。彼の船団から嵐ではぐれた二万から合流する者もあった。
本拠への帰還をいそぐ増田軍は一揆勢の追撃を受けながら、この足止め部隊と衝突した。
彼は八万から五万に減った敵の鋭鋒を受け止めず、陣地を活用して逸らし続けた。
勇猛で後のない敵の攻撃で陣地は次々と陥落したが、そのかわりに敵は貴重な時間を失った。
しかも、陸橋の後方では新しい陣地が建設されつづけていた。さながらアキレスと亀の状態である。
武具が傷つき、腹を減らした増田軍(士)の有様は無惨なもので、ついにやせ我慢の限界を超えた。
陣地ではインフレが発生し、ひとにぎりの食料が非常な高値で取り引きされた。
ちょっとしたことでの諍いから殺し合いが発生するのも日常と化してしまう。
そんな有様も増田同盟軍の忍者は逐一上司に「ウェーイ」「キィヤー」☆報告「……」等と報告した。
「そろそろか……」
増田大学は増田中弐から送ってもらったある部隊に連絡を取った。増田匿兵衛に授けられた計略を実行するときだ。
その夜、前線の陣地からは増田家(士)が多用する戦闘用熊、武熊の雄叫びが繰り返し響いた。
こうして、彼らの本拠地が占領され、帰る場所もないことを敵に知らしめたのだ。
実際はまだ縁辺部を侵しただけだったのだが、心理的な効果は絶大だった。
ちなみに本来武熊を使役する立場の増田軍では武熊は食料に化けてしまっていた。
絶望した増田軍からは自殺者や脱走者が続出し、当主も弟に後をたくして腹を斬った。
一週間後、増田家は完全に降伏した。最弱の将と軍が、最強の将と軍を倒したのだ。
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そのうち俺がプレイできるゲームは存在しなくなるのだろうな、というぼんやりとした危機感がある。
はじめてゲームで嘔吐したのは小学生のころ、ニンテンドー64のゴールデンアイ007を友人がプレイしている姿を横で見ていた時だ。
遊ぶ面子が集まるまでののほんの少しの間のはずだったのだが、私は見事に画面酔いをして友人の部屋の床にゲロをだばあと吐き散らすことになった。
モンハンが流行り始めた時、PSPを持っていなかった私は当初さして興味を引かれなかったのだが、
試にと友人に貸してもらったところ、開始3分でトイレにこもる羽目になった。
べつにゲームに限った話ではなく、映画クローバーフィールドでは最初のパーティーのシーンで嘔吐したし、
プライベートライアンは上陸作戦で兵士視点のカメラがゆさゆさ揺れるところでゲロを吐いてそこから先は視聴できてない。
WEBニュースに取り上げられていた『アーガイルシフト』が気になってお台場にVR体験しにいこうかと思ったのだが、
予約用のページに書かれた『乗り物等に酔いやすい方はご注意ください』の文言を見て全てを察し諦めた。
これを藁人形論法と呼ぶ。
だが、ナメクジも数万を集めれば、ギザギザの舌歯によって藁人形を食い尽くしてしまう。
負け続き、不祥事続きの増田家が希望をたくしたのは、この圧倒的な数のパワーであった。なにせ人口だけは有り余っている。
社会全体が不安定な時代だけに職をもとめて都にあがってくる人間も多かった。
そんな連中にも声をかけて増田家があつめた兵力は八万!国力の限界に迫る根こそぎ動員に、他の方面をまったく無視した兵力集中で増田軍は鉄壁で知られる増田家(七)に攻め込んだ。
西の国境を接する増田家(九)は、みやこに関心がなく、北東の増田家は複雑に絡み合った東国の戦いに手を取られている。
その好機をついた侵攻だった。
攻められた増田家には自慢の国境城塞群があったが、その配置は西以外にも北や東に及んでおり、守備兵は広く分散している。
しかも近年何度も撃退されている増田家を甘くみて西側は大規模な攻勢への警戒が甘くなっていた。
だが、人の海となった増田軍は落とせない城は迂回し、落とせる小さな城だけを攻めつぶした。
増田家領内が増田家でも随一の豊かさを誇るのをいいことに、現地調達で兵糧を補いながらどんどん奥地に進んでいく。
余力のある国境城塞は出撃して、敵の小部隊をいくつも撃破したが、続々と送り込まれる敵増援部隊のなかにいつしか埋没していった。周囲を敵に満たされた恐怖に脱走する兵もあいつぐ。
さすがに今度は増田軍が勝ちそうだとみた野武士勢力までもが掠奪の果実をもとめて勝手に加わり、増田軍はその司令官にも把握できない状態に膨れ上がった
増田家(七)は多くの兵を国境に張り付けていたことが完全に徒となった。
想像以上の規模で攻撃を受けてしまったため、国境要塞地帯を超えて浸透してきた敵を各個撃破できるのは、本拠地の親衛部隊しかない。
当主は豊かな領地を守るためには一刻を争うと判断した。そこで機動防御部隊を送り出すと同時に、比較的安定している東方の国境地帯から守備兵を本拠地に呼び寄せる。
だが、この判断は大失敗だった。本拠地が手薄になった絶妙なタイミングで海から増田水軍が現れたのだ。
それはほとんど偶然だったけど、防衛側の士気を阻喪させるのに十分だった。まるですべての手が敵に読まれてしまっているように感じたのだ。
築城にこだわりのある増田家の本拠地は豪華絢爛大規模すぎて少数の兵で守るにはまったく向いていなかった。
なお、増田水軍には滅亡した増田家(十)の船団が加わっている。根拠地をうしなった元当主はうまく潜り込んで家を乗っ取ってやろうと、増田家に入り込んだ。
ところが計画には誤算があった。
当主の肛門並にゆるみきった増田家中には同じ野心を抱く人間が多すぎて、
誰もがどうにも身動きがとれない状態になっていたのだ。
(これでは脱糞するのも無理はない)と元当主は妙に納得したのだった。
しかたがないので家中での地位を地道にあげるべく、戦働きをしている。
桟橋にせまる増田軍(士)から逃げる地獄をくぐり抜けた増田船団は上陸作戦の手際もよく、
増田島最高の格式をほこる六層七階のメタブ天主に、いの一番に取り付いた。
そして自慢の手銃を撃ちまくる。メタブ天主の漆喰がつぎつぎと砕けて飛び散った。
いつもはそろばん勘定にいそしんでいる死の商人も流石に観念した。
「是非もなし……火を放て。雑魚ナメクジを侮りすぎたわ。やんぬるかな」
人生雑魚ナメクジ 下痢のうんちに比ぶれば 雪マシュマロのごときなり
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バターン死の行進とは、第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍の捕虜が、収容所に移動するときに多数死亡したことを言う。全長は120kmで、その半分は鉄道とトラックで運ばれ、残り42kmを3日間徒歩で移動した。
太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦における日本軍のフィリピン進攻作戦である。
本間雅晴中将の指揮する第14軍主力は12月22日にルソン島に上陸し、1月2日には首都マニラを占領した。
しかし、アメリカ極東陸軍のダグラス・マッカーサー司令官はバターン半島に立てこもる作戦を取り粘り強く抵抗した。
45日間でフィリピン主要部を占領するという日本軍の予定は大幅に狂わされ、コレヒドール島の攻略までに150日もかかるという結果になった。
人口2万の町だ。
腹が減ったので、何かデリバリでも頼みたい。先日テレビで見たアメリカから上陸したばかりのデリバリでも頼みたいと思い、調べてクリック。
結果、デリバリをしているのは2軒…。
友達が来るのでご飯に行こう。
お店はボトムを外して、高すぎる所も除くと、頭に記憶できるぐらいしか残らないし2ヶ月ぐらいでそれも大抵周ってしまった。
地元のローカルな情報は地元のフリーペーパーの方が情報が濃いし、コンテンツも面白い。地方新聞も値段は高すぎるが、情報としては面白いものが多い。
気づけばあれだけ行っていた「検索によるリーチ」なんて行為が必要なくなっている。
誤解無いように言っておくと、仕事や勉強、地元の生活以外の情報収集では検索をもちろん使っているが、これは検索サイドではもっともお金にならない利用方法だろう。
そう。Googleなんて要らないのだ。
ワインが苦手という増田がいたので、苦手あるいは飲み慣れていない人向けのワイン攻略法みたいなものを書いてみる。
無理して攻略する必要があるのかと言われれば、別にないと答えるしかない。
しかしながら、西洋料理(主に仏・伊・西料理)はワインと一緒に食べることで美味しさが一層引き立つことは間違いないわけで、お酒を飲めるにも関わらずこの至福のハーモニーを知らないまま一生を終えるのはあまりにも勿体ない。
とはいえ、ワインって何だか難しそうで敷居が高いうえに高価なイメージもあると思う。
たかが酒にそんなにお金かけてられない、というのもあると思う。
そこで、ワインを気軽に楽しむための手がかりみたいなものをここに書いておく。
つい先日、「日本初上陸!高コスパワイン!!」と銘打たれた700円のワインを買ったものの不味くて1/4しか飲めなかった自分への自戒を込めて。(残したものは料理用に使う)
なお、ここでは赤ワインのみを対象とする。ワインと聞いてパッと思いつくのはやっぱり赤ワインだろうから。
まず、これが曲者だ。
冷蔵庫は温度が低すぎる。そのため渋みが強まってしまい、味も縮こまってしまう。
よって、室内に置いておくしかないのだが、夏場は室温が高すぎて、これまた美味しくなくなってしまう。
当然、ワインセラーなんてものは愛好家以外持ってないので、飲む時期を選ぶしかない。
シャツ一枚だけではちょっと肌寒いな、そう感じたらワインを買ってみよう。
夏場に赤ワインは飲まない。これが鉄則。
百貨店で買うのが一番無難だと思うが、ちょっとワインを飲みたいなと思ったときに、ワインを買うことを目的に百貨店に行くこと自体は億劫だ。また、そもそも百貨店が近くにない、という場合もある。
ネットは安いし便利だが、送料を考えるとまとめ買いする必要がある一方でそんなに大量のワインは必要ないという問題が出てくる。
そうなると、現実的なワイン購入の場所はリカーショップかスーパーかということになる。
食料品の買い物のついでにサラッと購入するのがもっとも敷居の低いやり方だ。
なお、セイコーマートというスーパー(?)が良いとの噂を聞くが、私の住んでいる地域にはないのでよく分からない。
できるだけ安く買いたいというのが一般的な心理だと思うが、物事には限界というものがある。安いワインだと500円くらいで売っているが、はっきり言ってマズイ。劇マズだ。
この価格帯のワインを買って飲むと、「ああ、やっぱりワインって不味いな。しょうがない、発泡酒飲むか」ということになってしまう。
1,000円から1,200~1,300円あたりが割高感を覚えずに購入できる値段帯ではなかろうか。
まともな4合瓶の日本酒と同等の値段帯であることも大きなポイントである。
まず、大前提として、大手酒造メーカーが輸入しているワインはまずもって美味しくない。ボトルの裏側のラベルに輸入元が表示されているはずだから、そこは必ずチェックすること。誰もが知っている会社名が記載されていたらそっと棚に戻しておこう。スーパーなんかだと、置いてあるワインが全て大手メーカーの輸入品ということもあるので、そのような場合はすっぱりと諦めるべし。
また、安定剤(アカシア)が添加されているワインもだいたい美味しくない。これも裏ラベルに表記されているのでチェックのこと。
低価格帯のワインで個人的にお勧めの輸入業者は「モトックス」と「スマイル」。次点で「稲葉」、「三国ワイン」といったところ。もし、これらの名前を見かけたら、一度購入してみることをお勧めする。
次に、どこの国のワインがよいか、という点について。
よくチリワインがコスパ最高とか言われる。これはあながち間違っていないとは思う。ハズレを引く可能性が低いからだ。1000円前後の価格帯において不味いチリワインというのは記憶にない。逆に、イタリア、スペインあたりは結構な地雷が混じっている。フランスもボルドーを除外すればそんなに悪くない。南アフリカもよいと思う。オーストラリアはあまりよい印象がない。また、この価格帯の国産ワインは論外。
葡萄の品種については、覚えるのが面倒くさいと思うのでこだわらなくてよいと思う。葡萄の品種ごとにワインを造っているメーカーもあるので、美味しいと感じたワインがあれば、同じメーカーの他品種ボトルを飲んでみればよい。
おすすめのワインは、ベタだけれど、チリのコノスル。自転車のラベルが貼られているワインだ。大体どこのスーパーでも置いてあるし、値段も800円くらい。葡萄の品種も主要なものは網羅しているので、飲み比べてみるのも面白い。
フランスワインでボルドーは除外するようにと言ったが、2009年だけは別格。
ボルドーワインは生産年ごとの味の触れ幅が大きく、当たり年以外は大抵美味しくない。
だが、2009年は飲みなれていない人でも美味しく感じるほど出来がいい。
もうあまり見かけることはないと思うが、ボルドーワインは1000円から売られているので、もし見かけたら迷わずゲットしてほしい。
さらに付け加えるなら、ボルドーと並ぶフランスワインの名醸地、ブルゴーニュには手を出さないこと。1000円台のブルゴーニュには地雷しか存在しない。
飲むときには家で一番大きいグラスに入れて飲もう。並々といれずにグラスの1/4から1/5くらいの量を入れて飲む。本当はワイングラスで飲むのが一番よいので、興味が出てきたらグラスが薄くて容量が大きいやつを買ってみよう。安いものなら1000円くらいから売っている。
ワインオープナーはソムリエナイフと呼ばれるタイプのものが一番使い勝手がよい。地味に栓抜きとしても使えるのがありがたい。こちらも1000円くらいから売っている。
以上、これから赤ワインが美味しくなる季節なので、一度軽い気持ちでワインを買ってみてはいかがだろうか。
ただし、ボージョレヌーボーには手を出してはいけない。あれは普段ワイン漬けになっている人がお祭り感覚で飲むものであって、決して美味い飲み物ではない。たとえ「有志以来一番の当たり年!」と銘打たれていても買ってはいけない。
なお、最終的にはネットで購入するのが一番お得で楽チンなんだけれど、ワインセット(10本で1万円など)を購入するのは避けたほうがよい。経験上、美味しいワインが入っている割合は3割から5割くらいだ。ネットで評価の高いワインを調べて買ったほうが満足度は高いと思う。
アメリカと中国がもし本気で戦争したら、中国は開戦後6時間以内に首都始めとした主要都市を核兵器で焼き払われて終わりだけど。
勿論中国も核兵器で反撃(もしくは先制攻撃)はできるが、現状だと中国はアメリカ本土の重要な拠点や主要都市を攻撃する力がほとんどない。ロスアンゼルスくらいは焼き払えるか・・・というところ。
アメリカが中国本土に上陸して進撃し、北京を陥落させて全土を占領・・・なんてことはできないが、現状だと中国はマリアナ諸島に上陸することすらできない。
なのでアメリカと中国が本気で戦ったら、元増田の想定のように中国の方から仕掛けたら、という場合、どうやってもアメリカの一方的勝利にしかならない。