はてなキーワード: 「夢」とは
おいしい食べ物のキーワードとして「とろ」を付ける風潮がある。とろ鯖、トントロ、とろ鮭、ほかにもいろいろ。
「とろは食べたことがないが、さぞかしいうまいものなのだろう。そしてその名をつけているからにはうまいのだろう」
という、非常に貧しく悲しい、まんが日本昔話の一場面のようなみすぼらしさを感じてやまない。どうして鯖に、鮭に、とろをつけるのだろうか。妥当であればまぐろにとろと名前を付けたころに遅れて名乗ったのでないだろうか。
自治体がイベントやら組織名にすぐ「夢」をつけたがるのとおなじ、発想の貧困さ、なにより、自身が身を置く業界への乱暴な諦めを感じる。
とろマヨネーズ、とろパンケーキとか作ればいいんだよ。そうすれば発想の貧困さ、かっこわるさ、みっともなさがよくよく伝わるだろう。
はてなブロガーの宮森ハヤトさんと青 才さんは、年齢も近いし「プロブロガーになりたい」という目標も似てるし、「実際はまったく収益化できていない」という現状も近い。すごく似てる。しかしこの両者は語る内容がまるで違う。宮森さんは(無謀ではあるものの)「夢」を語る。青 才さんは「辛い」「悲しい」「憎い」「間違ってる」などのヘイトを語る。三年後、二人はどうなっているのだろうか。そもそもブログ界で生き残っているのだろうか。今からとても気になる。
一緒にされたくないなぁ…。それと僕は「プロブロガー」にはとくになりたくないっすね。収益があって、それが書きもの絡みで自分の好奇心(書く楽しさが見いだせる)ものならなんでもいい。名称は僕のその時の気分と周りの空気が決めればいい 一緒にするなと言う理由はここ。僕から見れば、宮森はヤルキメデスと一緒で自分が何を言ってるのかをイマイチ理解してない人種。その人の内容がポジティブかネガティブかというよりも、相手の反応や自分の意志をきっちり決められてない印象
僕は宮森くんが嫌いなのではなく「まだ土俵にも立ってない人」だと思ってるからあんまりまじめに相手にしたくないし、してる人も「いや、それは違うでしょ」と思ってしまうわけ。ふんわりしてるといえばいいの?自分の中で本気で悩もうとしてる感じがしないというの?なんかそういう感じ
怒ってはない。ただ、僕を巻き込まないで欲しいだけ。彼も僕とは全く逆のキャラだからきっと不名誉にして迷惑だろうし、僕は彼が甘いかどうか以前に本気を感じないから感情が動かない。感情が一歩後ずさりする。だから、彼と並べられた途端に僕の気持ちは彼から一歩書き手に一歩離れるだけ
そこでプリキュアを褒められてもな……って感じだよ。
でもただただ夢が大事夢が大事って連呼してるだけで、すっごく薄っぺらい。
バケモノの子は台詞で説明し過ぎる、と言われてたけど同じ状態か?いやバケモノは見てないんだけど。
アンパンマンみたいに全体がお綺麗ファンタジーで構成されている世界ならまあそういう世界観なんだろと思えるけど
リアル現代日本舞台で他にリアリティある言動をするキャラもいる世界でそんな薄っぺらい事言われても違和感あるだけだよ。
全体的にもドシリアスな展開になったと思いきや、次回であっさりそれを忘れ去って「明日は友達皆でショッピング♪」とか言い出したりして回ごとのギャップあり過ぎだよ。
やれ世界の危機だとか言ってなかったかお前ら。ショッピングしてる場合か?
シリアス展開は大人オタクウケがいいから入れたいけど子供は明るく楽しい話を好むから、ってんでそうなってるんだろうけど、全体の整合性取れてねえ。
ドシリアスな理由で数か月に渡って仲違いし続けてしていた二人が一緒にサッカーやっただけであっさり仲直り、ってのもあっていやいくら何でもねーだろと思った。
仲違いしていた根本的な理由は全く解決しておらず、サッカーはその時ワールドカップだったから時事ネタってだけ。子供騙しにもほどがあるだろ。
見ていて嫌になる話も多い。この前は子供の頃から母親に自分を否定され続けていた娘が母親に反発している、と言う話が出て来て毒親を乗り越える話か?と思ったら
結局「母親はちょい天然なだけで悪気はなく娘を愛している」「娘もやっぱりママが大好き」的な展開になってええええっと思った。
これだけ毒親とか問題視されてるこのご時世にこんな話作るかあ?毒親持ちの子供があれ見て親は悪くない親を愛せない自分が悪いんだと思い込みそうで痛々しい。
ディズニーと比較するなと言うけどラプンツェルがリアリティある毒親を描き、勿論娘が最後は決別して乗り越えていたのとは違いすぎる。
終盤になるとシリアス展開続くけど、そうなるとキャラが強敵に只管痛めつけられて悲鳴あげ続けてたりして子供怖がって見たがらねえ。
リョナ好きのヲタ狙いなの?あれ。精々3歳とか4歳の女児がそんなもん見て喜ぶと思ってんのかよ。
増田はディズニーアニメと同じく大勢のスタッフで打ち合わせて作ってるはずだ、と言うけどさ。
その打ち合わせ内容が全然違うだろ。ディズニーは子供にとって面白く教育にも良いエンタテイメントを作ろう、という気概を感じるけど
プリキュアで打ち合わせてんのはどうやって玩具を売るか、スポンサーの意向にそぐわない内容が入ってないか、だけじゃね。
つかあれ作ってる人に問い詰めたい。
お前本当にこれが子供向けの作品として良いものだと思ってんのか?
お前に娘がいたとしてこれを是非見せたい、と本気で思えるのか?と。
絶対思ってねーだろ。子供は馬鹿だから子供騙し作っとけば騙せる、とか思ってるだろ。
いや仕方ないんだろうけどさ。高い志を持てるだけの金も余裕もないんだろうし。実際それで子供騙せてるんだから、目先の仕事としてはそれで良いんだろうし。
でも大きくなってからも思い出に残るって事はなさそうだよねあれ。
良い子供向け作品ってのは大人になってから見返すとまた(良い意味で)違った感想を抱くものだと思うけど、
プリキュア見てる子供が大人になって見返したとしても「こんなくだらねーのに夢中になってたなんて子供だったなあ」という悪い意味で違った感想しか抱かなさそう。
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普段オナニーする時、現今の、いわゆる「オカズ」は資本主義にのっとった、大量生産された既成品から視覚的情報を得るものだ。エロ本。エロ動画。AV女優。
あるいは風俗に行ったとして、そこでは大枚をはたいて「ヌキヌキ」するものであって、それはやはり資本主義的営為に他らなない。
戦後の思想史家藤田省三ではないが、現今、オナニーにおける勃起は資本主義的既成品からなる。いわばオナニーの全体主義的時代経験である。
私たちのオナニーはそうした時代のパラダイムに、ある種、とらわれている。
一方、デートをする時、意中の相手と一緒に歩いたり飯を食いに行くと、「頬が自然に緩む」ではないが「チンポが自然と膨らむ」。
既成品で勃起させたときの一物と、本当に好きな人(あるいは充分な美人)とご一緒する際の一物。
その膨らみ方はまったく異なる。
個人的には、前者はただ膨らむだけ。まるで風船を膨らませるような無機質なふくらみ。
一方後者は、非常に有機的だ。ふくらみが非常に力強く、「夢」や「希望」といったポジティブな要素に後押しされているかのごとくだ。
西谷は「主人公は作家の分身」であり、それは「五感を共有していること」、「心の奥底まで共感しあうこと」だとするが、だからといって「主人公が作家の思うように考え、行動することを意味するのではありません」と警告する。五代/榊もまたありがちなワナビのラノベについて「キャラクターが作者を代弁するただのお人形になってる」と揶揄している。
このように見てみると登場人物と作家の関係について、作家が主なのではなく登場人物が主である、と主張しているように見える。しかし当然ながら各場面における登場人物の言動や思考は作家によって執筆されるのであり、作家が考えないのであれば誰も考えてはくれない。
この点でヒックスは登場人物を作家の一部であるとして、作家のある面を誇張したものであることを求めている。つまり嫉妬深い人物を描くならば自分の嫉妬深い側面を誇張した人格を創造する、というもので、全くの新たな人格を創造するのではなく、そのベースはあくまで自分自身だとする。
これに基づけば「キャラクターが作者を代弁する」状態とは、その人物を描くにあたり作家の誇張が無い状態、いわば作中に作家自身が名前だけを変えて登場した状態だと言える。作中に登場する作家自身がどれだけ失笑を買うかはくぅ疲の例を見るまでもないだろう。
登場人物は作家自身である。主人公は間違いなく作家の思うように考え、行動する。しかしその作家の「思う」主体は作家の人格そのままではなく、登場人物それぞれの設定によって歪められ誇張された人格であり、その結果時に作家の人格そのままであれば決して選択することの無い言動に出ることになる。
「キャラクターはある瞬間、勝手に動くものです」とは大塚の言だが、逆に言えば登場人物はだいたいの場合作家の想定通りに行動する、ということでもある。当たり前だが一定の合理性をもって人間は行動するものであるし、他人ならまだしも登場人物の人格のベースは自分自身である以上、ほとんど常に作家の想定外の行動を登場人物がするんです、という状態はありえない。もしそうだとすればそれは単に何も考えておらずその場しのぎで適当に考えているからか、もしくは薬物でもやっているからだろう。
なお突如として想定外の動きを登場人物がした場合、ヒックスはそれにあわせてプロットを書き換えるべきだとする。ヒックスは後述するようにプロットを重視するが、それ以上に登場人物を「愛さなければならない」という。
ヒックスは登場人物を創造する際、その登場人物の将来の夢は一体何なのかと作家に問いかける。これは夢を作家が事前決定しろという意味ではない。それではヒックスが否定する「組み立てられた登場人物」にしかならない。
ここでいう「夢」はその登場人物の人格に依存して考えだされるべきものである。これは大塚が世界設定で指摘した、ある条件を前提にしてそこからどうなるのか、ということを演繹的に導き出していく方法とよく似ている。
もちろん何の事前設定もなく人格を作れと言われても作家当人の人格にしかなりえない。ゆえにいくつかの設定は事前定義が必要である。それは主題や、もしくは世界による必然性を伴った定義であることが望ましいだろうが、それら断片的な設定に後付で作家が適当にどんどん設定を付け足していくのではなく、演繹的に設定が導出されていくべきだ、というのがヒックスの考え方であると筆者は理解している。
西谷がヒロインのブラジャーの形状にこだわった逸話はしょーもないの一言で済む話だが、そこに人格から来る必然性があるのであればわからなくもないと言えよう。
以上のように作家と登場人物の関係について述べてきたが、一方で主人公を決して困難な状況に陥らせないワナビにそれを指摘したところ「だってかわいそうじゃないですか」と反駁したという事例を西谷が挙げている。この点だけ見ると作家が主人公に同化し過ぎたり、感情移入し過ぎることに問題があるように思えるが、西谷がここで問題にするのは、ワナビとは裏腹に読者がまったく感情移入できていないことにある。読者も同様に感情移入しているのであれば、徹底して登場人物への虐待を作家が行うことに逆に嫌悪感を覚えることすらあるだろう。
西谷同様、筒井は「自分が作品に感情移入しているからといって、読者も必ず感情移入してくれるだろうと思うのは間違い」と指摘する。
本格ミステリやSFなど、感情移入を必要とせずとも最後まで読ませる魅力を持った小説は存在する。しかし感情移入が読者に続きを読ませる原動力として強く機能することは言うまでも無く、感情移入できないという状態は読むのをやめようという動機になりうる。読者が感情移入をしてくれるに越したことはない。
さて、基本的に読者の感情移入は物語の中心を担う主人公に対してなされるべきであるが、ではどのような要素が感情移入を誘うことができるのか、という点について各説を整理する。
まず榎本や水島は主人公の年代をターゲットとなる(と下読みや編集部が想定する)読者層と重ねるべき、としている。すなわちラノベの主人公は中高生であることが望ましいと言う。同じ理由で性別も男性の方が好ましいと言いうるだろう。スレイヤーズやブギーポップのように女性主人公の成功例はもちろんあり、水島のようにそれを地雷ジャンルとまで言うのもいかがなものかと筆者は思うが、女性より男性の方が主たるターゲットである男子中高生の感情移入を誘いやすいことは想像に難くない。
まず作者自身をモデルとして主人公に据えるやり方について、「基本的に失敗する」「ナルシズムか自虐に陥るのがオチ」と榎本は断言する。もちろんそれで成功している例もあるが((森博嗣などは成功例と言えるだろう))、分の悪い賭けであることは確かだろう。
主人公に求められる特質について、西谷、榎本、飯田は読者の憧れを具現化していることであるとする。憧れとは立場的、能力的、性格的に秀でていることでもたらされるものだと榎本は言い、クーンツもまた「高潔」「有能」「勇気」「好感」という要素を挙げ、これらを満たしていることが必要だとする。
そして最も重要な点は、完璧超人では読者の共感が得られない、という点である。「ジェームズボンドのような例外はあるが」とクーンツは言いつつ、共感を得られやすい主人公には上記の要素に加えて「不完全さ」が必要だとしている。これは人によって「欠点」「弱点」と表現は異なるが、いずれも同じ意味である。
一方で「低スペックで卑屈、無個性、へたれ」な主人公像については、飯田は「マスな読者のニーズとはマッチしない」として、そういった主人公のラノベは「実売数千部のマイナー作品」に見られる傾向だという。榎本もまた、読者が作品を読む理由の最も大きなものは「自分とは縁遠い出来事を手軽に楽しく疑似体験するため」であり、現実の平凡な中高生に近い主人公像ではそれが得られない、という。
しかしながら水島は「平凡な主人公」でも問題ないとする。超人的能力を持った主人公像を否定することはないが、榎本や飯田のように平凡さを否定することもない。西谷も同じであり、憧れへの言及は最近のヒットしたラノベを見ているとそのような傾向がある、と言うにすぎず、読者の分身として機能する平凡な主人公像も肯定している。
さて、筆者はこれらの各説は人物の能力と精神と倫理を区別せず論じていることで生じた混乱だと考えており、ここで対立があるとみることは無意味だと考える。
能力とは例えば「直死の魔眼」のような、その人物だからこそ実行可能な、常人には実行不可能な行為の名称である。この点での超人性を主人公が備えているかべきかは物語上の必要性によって判断されるべきであって、主人公がそうした点で無能力であることは全く問題なく許容されるし、また絶対に負けず死ぬこともない完全無欠の超人的能力を持っていても(それが物語上必要ならば)問題ない。
次に主人公の精神についてであるが、これは完璧であってはならず、平凡でなくてはならない。あらゆる誘惑に対して微塵も揺らぐことなく、確固とした信念を持ち理性と知性に溢れた決断をし続ける聖人君主はご立派すぎてうさんくさく、クーンツが言うところの「好感が持てること」という要件を満たさない。飯田にしても「ヒーローは悩む存在である」としてこの点での超人性を否定する。自分の将来や恋愛といったわかりやすく、読者が共感できる悩みを主人公は持つべきであり、さらに「何を考えているのか、わかりやすく書くほうがよい。感情がオープンにならないキャラには感情移入しづらい」とする。
最後に主人公の倫理は、読者の倫理に反してはならない。主人公への感情移入によって「あらゆる女の子にモテまくる存在であるという全能感」を読者は得るのだと飯田は言うが、しかしどれだけモテようとも複数同時並行で交際することは一般に許容されない。「主人公は鈍感でなければならない」とする指摘は、倫理的正しさを保ったままその状態を維持する点で(安直だが)効果的に機能する。
一方で木刀を持って不法侵入の上傷害沙汰を起こした同級生に対して警察を呼ぶことなく、彼女の空腹を察してチャーハンを振る舞い、自分の恥を晒しながらも穏やかに話し合いで事態を解決する主人公は、まさしく完璧超人と言うべき存在である。
Unlimited Blade Worksとかマジカッコイイ!憧れる!といった読者もいるだろうが、失笑する人も少なくないだろう。しかし倫理的にそうすべきと読者が思い、また自分にも物理的には不可能ではないだろうがしかしなかなかそうはできないと思うことを主人公がやってのけることにこそ、多くの読者は「憧れ」を抱くのではないかと考える。
さて、憧れは感情移入の要素として極めて強力に機能するが、冒頭からいきなりその段階に持ち込むことは容易なことではないだろう。まず最初に主人公へ興味を抱き、好感度を稼いで少しずつ感情移入を誘い、そして上述のような行為によってその感情移入を一気に深め、確固たるものとして確立する、というのがより無難な戦略だと言える。
こうした興味喚起、好感度向上に役立つ要素として、例えば西谷は「肉体的な苦痛を与える」ことを有力な手法だとしている。クーンツの「主人公を冒頭で過酷な困難に放り込む」も同様の指摘と考えられ、冲方による「苦しい場面での感情移入に成功すると、自然とハッピーな場面ではそのまま感情移入してもらえることが多くあります」というのも、苦痛を伴う場面は幸福な場面よりも感情移入の効果が高いという指摘だと言えよう。
西谷が肉体的苦痛をあえて挙げている点は特に説明はないものの、おおむね誰にとっても明確でわかりやすいという点で精神的苦痛よりもメリットがあるからだろうと筆者は理解している。
そしてもう一つ効果的と思われる方法が、飯田が指摘する登場人物のギャップである。
本項では「キャラ」と「登場人物」を区別しないが、新城はそれぞれ異なる意味で定義しており、曰く登場人物を「内面があって葛藤と選択をする人格」、キャラを「こういうシチュエーションではこういう言動をみせそうな、いかにもそんな外見の人物」とする。
飯田は「人間は意外性のある物語に弱い。とくに、内面なんてなさそうな人物に内面があった、というパターンに弱い」と述べ、人物の外面と内面でギャップを設けるべきだとしている。すなわち新城がいうところの「キャラ」としてまず描かれ、それが物語を通して「登場人物」であると描いていくことで読者の感情移入が誘えるのだ、とする。
ところで飯田は良いツンデレと悪いツンデレがあるとして、良いツンデレは多面的な感情の一つにツンとデレがあるが、悪いツンデレにはツンとデレの2面しかない。だからハルヒは不人気でルイズは大人気なのだ、とする。筆者はツンデレに良し悪しがあるとすれば、それは新城の言う「キャラ」と「登場人物」であろうと考えるため、飯田の説には同意しない。
「ツンデレ」は言動まで類型化された属性である。本来内面であるはずの照れ隠しの典型的言動はまさしく「こういうシチュエーションではこういう言動」であり、そこに人格を読者は感じられず、むしろ「お人形」として認識されると考える。
良いツンデレがあるとすれば、同じ典型的発言をするにせよ、そこに「葛藤と選択をする人格」があると読者に理解されることが要点と考える。ツンデレ喫茶でバイトが事務的に発言する様を見て「ツンデレ萌え!」と興奮できるオタクがいないとは言わないが、ドン引きするオタクの方が多いだろう。
さて、さらに飯田はギャップは「属性」についても適用できるとする((「属性」についての議論としては東のデータベース消費論などがあるがどうでもいいので無視する))。登場人物へは二つの落差のある「属性」を付与することが効果的だと飯田は言う。例えば「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」における「モデル」と「オタク」という組み合わせを挙げ、「モデル」が持つ華やかでリア充的イメージと「オタク」が持つ根暗でコミュ障的イメージを同一人物に同居させることで意外性を与え、興味を喚起できるとする。なお当然ながらこの手の単純な「属性」の組み合わせはそれ以上工夫する余地が無く、すぐに陳腐化する点は飯田自身が指摘するところである。
このギャップについては、陳腐化しやすい「属性」の組み合わせよりもその個別の設定においても有効に機能する。
例えば「とらドラ」における「目つきが悪いヤンキー」かつ「家庭的で親切」という主人公の設定、「小柄で可愛い」かつ「家事は苦手で暴力的」というヒロインの設定はそれぞれ落差のある設定だと言えるだろう。これは個人的なレベルでのギャップであり、また同時に登場人物間のギャップにもなっている。
西谷は主人公とヒロインを組み合わせると完全な人格になるよう相互補完関係を持たせること、また主人公には対照的な人を親友として持たせるのが好ましいとする。しかし主人公、ヒロイン、親友という限定した関係に留まらず、主人公格として機能する集団を想定し、それぞれは別の仲間とその設定にギャップをつけること、というように拡大解釈可能だと筆者は考えている。
現実を見ることは大切なものですよほんとに。夢見る少女じゃいられないわけです。
いま求められているのは、物事を総合的に判断できる人材です。分かりますか?
学問の学際化も進んでいます。これからは生物物理化学なのです。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9%E7%89%A9%E7%90%86%E5%8C%96%E5%AD%A6
世の中正しさよりも目先の利益が優先されてきたわけです。その場逃れの手っ取り早い方法ばかり重宝される。
でもそれは付け焼き刃にすぎないですから、その限界が出てきた時代と言えましょう。
人間のあらゆる価値判断がそうなのです。例えば人物評価を考えてもごらんなさい。
あの人はすごい人だ。あの人は優秀だ。あの人は人格者だ。そんな評価があてになりますか?
「お賃金」とタイピングしたらGをTと押し間違えて「おちんちん」になった。修正するでしょう?
でも人物評価には正解がありませんから。おかしいと言われても「常に」修正しないわけです。これがいけない。
物事には両面性があるでしょう。賛成と反対に分かれて議論しても建設的な答えは見つかりにくい。
なぜなら、賛成派は賛成派に都合の良い事実と論理だけを用いようとし、反対派もまた同様だからです。
両面を見て判断する人間がどこにもいない。これが社会システムのセキュリティホールなのです。
冒頭に述べたように人は生きていく上で現実を見ないといけません。そうですよね?
同様に、社会システムも存続する上で現実を見る必要がございます。
そして、現実理解があってこそスムースにシステムは成長するのです。
しかし、それはあくまで個人的な見方です。よく考えてもみてください。
システムが未知の解決すべき問題に直面するのは経済問題に限りません。
ありとあらゆるシーンで、成長は必要とされるということです。視野を広く持たねばなりません。
ですから、成長のために「あらゆる」現実理解が必要なわけです。
狭い範囲ばかり観測しても仕方ない。少ない変数ばかり観測しても仕方ない。
目先の利益だけを追っている人に足りない視座はこれなのです。
さらに言えば、「夢」の扱いにも若干の語弊があるように思えます。
曰く、「夢は叶わないから夢なんだ」「夢より目標を持て」「でもないよりはあったほうがいい」。
じつに巧みな言葉遊びです。結局、「夢」が何を指しているのか、それは有耶無耶なままです。
言葉の上で明晰判明だからといって、あくまでそれはモデルです。理論です。
現実が理論通りにいけば苦労しません。どんなに美しく正しそうな理論でも現実とのズレがあるものです。
dankogaiはさまざまな事態にそなえ仕掛品を作ることを推奨しています。
当然仕掛品の有効性はテストします。じつにプラグマティックです。さすがは私たちのヒーローです。
加えて言えば、さまざまな事態にそなえたtipsも見つけておくべきでしょう。
こういった芸当をやってのけるには、夢ばかり見ていては駄目。現実ばかり見ていても駄目なのです。
もちろん夢や最終目標の設定は大切かもしれません。現実を見ることは間違いなく大切です。
ですが、それのみでは根本的な成長は見込めないことでしょう。
現実を見た上で、その一歩先を見つめ続ける必要があります。それも、目先の利益にとらわれずに、です。
それが、さまざまな事態にそなえた仕掛品やtipsの作成という1つの思想なのです。
株式投資をやり始めた人が、勝ち組へと成長していくかどうか分かつターニングポイントがそこなのです。
理想主義や現実主義の人にはこう言っておあげなさい。「現実的成長は見えているのですか?」と。
自分の言葉で成長を語れない人間にはやはり、現実的成長が見えていません。
それでは、現実的成長の広い可能性から、独創的に現地味ある「夢」を見いだしていくことも叶わないわけです。
夢がない、やりたい仕事が見つからないと嘆いている人が沢山いますね。
うまく行く行かないは個人の資質に寄るところが大きいので、結局は、自分にそういう能力が無いから相手が見つからない、相手と交際が続かないという結論になってしまうのですが、数年間の活動期間を通じて感じる事は、
「なんで、こんなに疲労感がたまるのか?」
という事。正直、お見合いをして、交際を開始して、相手の人となりを知っていく過程を踏んでいっても「全然楽しくない」。半ば無理矢理自分を盛り上げて、相手が居るのだからとこじつけ、楽しい振りをしているだけの様な感じでした。
その後、下記の記事を読んで凄く納得したわけです。
http://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2013/02/20/122213
その後、記事を書かれた方は婚活を再開したようですが、やはり、ある種の割の合わなさを感じているようです。
結局、自力で相手を見つけられず、婚期なぞとっくに通り越してしまった自分にとって、結婚相談所というのは「最後の砦」のようなもので、そこで行われている事に全く馴染めずに脱落しつつある自分を認められないだけなのかも知れません。
結婚相談所に登録すると、自分のスペックを不特定の異性に対して晒す事になり、自分の商品価値を嫌と言うほど思い知る事になります。更に、元々商品価値の低いものを陳列するわけですから、「ディスカウント」しなければ売れません。ここで、相談所から色々と「現実的」な提案が出てきて、物わかりの良い人は妥協と諦めの先にパートナーを得る事となります。諦めの悪い人はいつまでも強気の値段をぶら下げたまま商品棚に残り続ける事となります。
お見合いの風習が廃れ、代わりにこの手の結婚相談所が台頭し、それによって以前の既婚率に戻るかというと、それは無いでしょう。出会いの少ない人が相談所を通して出会いの確率を上げるという意味では、それなりに機能はするとは思いますが、成婚に至るまでの廻りの圧力がまるで違います。いくつかのケースでその様子を見てきましたが、外堀を埋められて離れられなくなる圧力の凄さというか、当人同士の気持ちなんぞどうでも良いという残酷さを見せつけられた気がしました。
その点、相談所を経由した場合、本人次第であるから楽といえば楽です。ただし、商品価値は自分の思っている以上に無いので、結婚することを目標とするのであれば、ハードルを下げるだけ下げ、相談所の言う「現実的な提案」に乗る事。何年も続ける活動では無いし、何より、加齢による劣化は容赦なく進行します。何より、加齢よりも「夢」や「希望」がどんどん潰えていくので、目標を達成する前に神経が擦り切れてしまったら、一体、何のための努力だったのか、わからなくなってしまいます。
気付くと僕は教室の床に分厚い布団を敷いて寝ている。左の窓ガラスを通してグラウンドの様子が見える。ちょうど体操着を身につけた多くの女子クラスメイトがやってきて、サッカーの試合が始まったところだった。僕はその様子を薄目を開けて見ている。
やがて試合中の数人の女子がこちらに気付き、「ねえ、あいつまた昼寝なんかしてるよ」「うわぁ」などとひそひそ会話を始めている声が、なぜかガラス越しに聞こえてくる。いや、あるいはその時点でガラスは消滅していたのかもしれない。それというのも、サッカーを終えた女子たちが体操着のまま教室へぞろぞろ入ってきたから。着替えを取りに来たのだろうか。僕はばつの悪さを感じてじっと寝たふりをしていたが、まだ薄目を開いて周囲を観察していた。やはりと言うべきか、女子たちがみんな着替えをしている。僕は焦っていた。彼女たちがいなくなってくれるのを待った。果たして教室に居残る女子の数はだんだん少なくなってくる。十数人が数人に、数人が三人に、三人が一人に。ところが最後の一人だけはなかなか教室から離れようとしない。よく見るとその子はあのとき「うわぁ」と言って僕に奇異のまなざしを注いできた女子だった。僕は早く出て行ってくれとイライラしながら狸寝入りを決め込み、そうして仰向けのままひそかに様子をうかがう。するとどうだろう。彼女はこちらへ向かって歩いてくるではないか。思わず僕は警戒心から目を閉じる。一時的に暗闇が広がり、彼女の足音や衣擦れの音だけが耳に響いてくる。いま教室には、僕とその女子の二人しかいない。
突如、唇に感覚が宿った。ああ、彼女だ。僕が寝ているのをいいことに悪戯を仕掛けようとしているのだ。気が動転しそうになったがそれでも動かなかった。じっとしていればいつかは満足して去ってくれるはずだ。そう思い、なんとかやり過ごそうと考えたのだ。
しかし悪戯のやむ気配はなかった。そのクラスメイトは僕の身体のいろいろな場所に唇を押し当てて遊んでいるようだった。僕はとうとう痺れを切らして薄目をそっと開く。すると運の悪いことにばっちりと目が合ってしまった……やむを得ない、僕は瞬時に身体を起こすと彼女に襲いかかり、教卓の後ろの壁際まで追い詰め、急いでレイプして射精する。
精液を受け止めてべとべとになった自分の手をぼうっと眺めていると、途端に罪悪感がこみ上げてきてその場を逃げ出した、というよりは手を洗いたかった。トイレから戻ると教室はすでにクラスメイトで溢れかえっており、もう授業が始まっていた。授業……いや、「代理試験」? ……そう誰かが言っていた気がする。その真相はわからないが、席をランダムに交換してお互いが他人の代わりに試験を受けなければならないのだった。僕の席には無口な女子が座っている。僕は自分の机やその周りにたくさん荷物を置いて散らかしていたので申し訳なく思い、急いで片付けた。軽く謝っておいたが相手は意に介していない様子だった。考えてみれば彼女は僕の代わりなのだから、まあそれもそうだろうと思った。
僕は教室の真ん中あたりの席に座った。しかし僕はいったい誰の代わりをすればいいのだろう、それがわからなかった。僕の不安をよそに授業(結局授業なのか)は進められていく。女教師はこれから流すアニメの解説をすると言う。それは僕の知らないアニメで、タイトルはもう忘れたが、主人公が夢の中で一人の少女を追いかけながら夢世界を放浪するという内容だった。人が夢を見る理由、それは、夢の中でしか出会えない女の子を捜すためである、云々。先生がその少女のスケッチと簡単なプロフィールを板書していく。なぜかまどかマギカのBGMが鳴っていた。
ノートを取ろうとして違和感に気が付く。授業でアニメの内容をノートに取る? そんなことなどあるのだろうか? ちょっと考えられない。そう思った瞬間、ここが「夢」だと気付いた。と同時に、世界が狂い始める。気付いてしまった僕は、夢の世界にとっては異邦人となり、その深刻な不和がひずみとなって僕に襲いかかる。おそらくこれが夢の自浄作用なのだろう。足元の床がぱっと消えると同時に、周囲は一気に目まぐるしくなり、すべてが光に包まれ、僕は蒸発させられていく。帰るべき場所へ帰れと、耳元で囁かれているようだった。
ケチって、それは何に対してですか?
そもそも、会社に対してならなんで働いている側が太っ腹にならないといけないの?
人としてケチというなら、もちろん普段は500円くらいケチったりしない。
>今の給与+キミにかけてる経費+採用にかけた経費も回収してからね。
あのさ採用された人ってのは最初から回収しなきゃいけないものを背負ってるってことですか?
もちろん、給与分は働くし、むしろ、それ以上のつもりでは働くよ。
その上でこちらにかけてくれいる経費に昼食代、勉強代も入れて何が悪いんだ?
あと仕事できるようにならないと意見してはいけない見たいな風潮も理解できない。
そこに仕事できるとか、できないとか関係ないと思うんだけどな。
違うなら、違うといってくれればいい。だけどだいたい皆ごまかすんだよね。「仕事もできないくせに」とかって。
答えになってないでしょ。そういう仕組みでしょうがないなら教えてくれればいいだけ。
なんかなー。会社と労働者のあり方が変な感じするんだよな。今の日本。
こちらが会社から貰えるものは給料。そのために働いてるんだよ。
なのに「やりがい」だとか「人生経験」だとか「人々の笑顔」だとか「夢」だとか、
皆そんなに身を粉にして働くことが好きなのか。そんなに好きな仕事にばかりついているのか。
まだよくわからない。
NHKクローズアップ現代の「あふれるポエム!?不透明な社会を覆う優しい言葉」の回で、居酒屋甲子園が取り扱われました。
放映を要約すると、一日の労働時間16時間で年収250万円の居酒屋店員達が、「愛」「夢」「未来」「感謝」「希望」みたいな奇麗事ワードをやりがいにして働いているってトコロです。
似たような事例だと、ワタミなんかも「お客様のありがとうを集める」なんて奇麗事ワードを使って従業員を酷使させています。
過酷な労働環境の中で、最近の子供でも信じないような、いかにもうそ臭い奇麗事ワードをやりがいに働いてる彼ら従業員は、我々の感覚だと大変奇異に見えます。企業側が彼らをそういう奇麗事ワードで洗脳して、あえて低賃金長労働時間で働かせている、そういう見方をする人もいると思います。
でもそういう労働環境ってほんとにブラック企業なのかなーって。私たちの労働に対する価値観と違うからブラック企業だ!と考えるのは早計かなと思います。
給料のためだけを理由に働いてる人は少ないと思います。「物を作る楽しさ」「お客様の接する楽しさ」「社会を作る楽しさ」とか、皆何かしら仕事に対して給料とは別のやりがいを持って働いてると思います。彼ら居酒屋店員も同じように、「お客様のありがとうを集める」とか「仲間を大切にする」とかそういう奇麗事ワードをやりがいにして働いています。
彼ら居酒屋バイトが、なぜそういう奇麗事ワードが好きなのかなと疑問がわきますが、おそらく彼ら居酒屋で働くような金髪ヤンキーや低学歴たちが好きなワンピースとかそういう漫画に影響されているのだと思います。
ワンピースも「仲間」だとか「友情」だとか「絆」とかそういう奇麗事ワードをテーマにストーリーが進んでいきます。大人の手で作られた理不尽で汚いこの社会の中で、彼らはワンピースのルフィのように、奇麗事ワードを信念にできれば生きたいと思っているのでしょう。そういう人たちにとって、居酒屋甲子園のような、一人一人が舞台の上で主人公になって、夢とか希望みたいな情熱的で青臭いワードを仲間と共有して感動できることはやりがいの一つだと思います。
給料が低くても、そういうやりがいを信念に働きたいという人たちがいることを私達は知るべきだと思います。従業員がそうして働きたいと思い、企業側もそれで働かせているのなら、外野がブラック企業だブラック企業だと口を挟むことはないと思います。
こうした居酒屋労働で、一番問題だと思っているのは、そういう奇麗事ワードを掲げた社風に馴染めない社員にもそれを強いることだと思っています。
2008年にワタミで女性社員が一人自殺しています。彼女は最初からワタミで嫌々働かされていたのではありません。手記には入社当初は
ワタミの信念である「ありがとうを集める」といったような社風にも前向きに捉えていますし、長時間労働に対しても「早くこういう長時間労働にも慣れるようにしなくちゃ」といったように前向きに捉えています。
どれだけ入社時に社風や労働環境について説明していても、働いてみれば感じることも考えることも変わります。そういう社風や環境に馴染めなかった人にも、その人に合わせた労働環境が提供できるシステムを構築しなくてはいけないと思います。それを怠る企業は、ブラック企業扱いしても良いと思います。
当然のことながら、深夜手当てがつかない、残業代が出ない、法律で定められた数の休日を作らない、そうした法律違反をする企業はブラック企業だと思います。
つらつらと書きましたが、居酒屋甲子園に出てくるような、ある種社員を洗脳しているかのように見える奇麗事ワードを使った社員教育を見ただけで、その企業をブラック企業だと決め付けるのは、早計だという事です。
以前、ラグナロクオンライン(RO)を日がな一日やっている奴が大学の職場の同僚にいたのですが、楽しいだとか遊んでいるだとかいうよりもきっと、必死なのでしょうし、居場所を求めているのでしょうね。いまだってソーシャルゲームで日がな一日やっていて必死な人間がたくさんいますし。
パチンコ屋に行ったら、カネさえ切らさなければ朝から晩まで居座れるようになっているし、「無制限」だとかいうのならなおさらに、玉がある限り打ち続けるようなシステムになっています。一日中居続けられるシステムになっています。競艇場や競輪場や、たぶん地方競馬もそうでしょうが、平日からやっていますし、そこで日がな一日居座っている人もたくさんいるでしょう。なかには生活保護でやっているのもいるかもしれないし、年金でやっているのなんかならばいくらでもいるでしょう。それで「経済効果」はあるのでしょうけれども、なんだか虚しいものではあります。経済効果っつっても、その収益がどこに流れているのかっていうと、それもまた役に立っているのか疑わしいものですが。競艇だとかたとえ公益団体に流れていたとしたって、貧困者や精神障害者から取ったカネで公益事業をやって、障害者が障害者を支援している構造になっていて、なんだかバカバカしくもあります。
居場所がないのでしょうね。受け入れられていない。仕事に打ち込みまくるのも、実際にはそんなことしたって地球のためになっているかあやしいものばかりだし、それどころか社会のためにもなっているかあやしいものもあります。けれども、仕事にハマっていたら居場所があるのでしょうね。
家庭があって配偶者や我が子がいたら、居場所があって労働する理由になるのかもしれない。けれど同時に、必死に労働して稼いで、悩みを抱え込んで、悩みを吐き出す先がなくて死んでしまう人もたくさん出ています。
居場所がないんでしょうね。孤独なんでしょう。ヒトは、生態系の一部でもあり、社会的生物でもあるのに、他の生物からもわざと孤立して都会の人工環境で暮らして、そしてさらにはヒト同士も孤立して。
ヒトは元来居場所を求めるものなのでしょうし、だから「夢」だとかももつのでしょうしね。学習もし、社会に適応しようともしますし。本能的に。
http://anond.hatelabo.jp/20131227145434
明らかにその「夢」は「本物の女は自分の思い通りにはならない理想じゃない存在で気にいらない」という前提に立った、ごく個人的で身勝手な願望だ。およそ肯定されていいもんじゃない。
ここが一番解りません。まず筆者は明らかにと言っていますが、とてもそうは思えません。現実の女性にも自分の理想とするジェンダーを押し付けるタイプでありガイノイドにも求めるという人や、現実の女性へは押し付けないがガイノイドには別だという人など、ちょっと考えるだけで色々な異なった前提がありうると思いますが、まあここは筆者の想定が正しかったとしましょう。現実の女性で達成できない夢をガイノイドに求めたんだと、しましょう。
で、それって何が問題なんですか?個人的で身勝手な願望だから肯定されてはいけないと筆者は言っていますが、個人的で身勝手な願望を達成するための技術開発って否定されるべきものなんでしたっけ?社会や全体に対する奉仕を目的とした行動以外は全て唾棄されるべき悪徳、なんでしたっけねぇ?
個人的に嫌いだというのは解ります、気持ち悪いと思う人もいるでしょう。でもそれはただのヘイトですよね。これは専門誌なんだから個人の欲望を垂れ流していい場所ではない、もっと伝えるべきものがあるはず。というようなこともおっしゃってますが、専門的な研究の達成が個人の欲望に応えるものであったとして何かいけないことってありますか。個人的に嫌いだと思うものを悪徳として排撃する、それこそが差別なのでは?
あなたがヘイトだけに依存して立つ存在だからといって、他人もそうだと決めつけんでください。
明らかにその「夢」は「本物の女は自分の思い通りにはならない理想じゃない存在で気にいらない」という前提に立った、ごく個人的で身勝手な願望だ。
あのねー、フェミがこれ叫ぶたびに思うんですけども。
自分は、「自分の思い通りにはならない存在が気にいらない」という行動原理で動いています、という。
ぞっとする。
あのですね。
好きの反対は無関心といいましてね。
別に本物の女への憎しみにドライブされているわけではないんですよね。
研究者は、まあ、もっと広げてオタクと言い替えちゃいますが、ヘイトドリブンでは、ない。
(モノがジェンダー論、男女の対立を煽るための論だから、その区分に従い本論中ではフェミは女・研究者とオタクは男を想定します)
って言ってるけどさ。
ちげーよ。
お前なんか、無視だ。
で、結局は、フェミはそれが気に入らんのでしょ?
「現実の女性に相手されないからって~」っていうのは、つまり「現実の女性を相手してほしい」って意味。
むろんそれは互いに人として尊重しあって共存しようという提案ではなく。
「お前らは私にいじめられるための存在なんだよ!無視してんじゃねえ!こっち見ろや!」
ってこと。
「いじめて遊べる弱い男がおもちゃで満足してこっちを向かない!おもちゃを壊してやる!」
ってこと。
ゲスすぎるだろ。
弱いものが、自分を抑圧している属性(男)を持ち、かつ、自分に反撃もしてこないほど弱くていじめやすい(オタク)を叩く。
マッチョに言ったら殴られるから、オタクを踏みつけて踏みつけて恨みを晴らす。
結局はそういうことなんですよ。
現実の人間に目を向けて思い通りにしようとする抑圧と憎しみの連鎖に愛想を尽かして、無機物や形而下や二次元の領域に夢を見たのがオタク。
で、「お前は私が差別するためのエタヒニンなのに逃げる気か!逃げ場を壊してやる!お前たちは私にいじめられるための奴隷なんだ!」とわめいてるのがフェミ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/607736
人工知能学会の表紙が女性型アンドロイドが家事(掃除)をしているものにデザイン変更した、というニュースを受け、そのイラストが性差別的なものであるという批判が出ている。
その批判ツイートまとめに対して、ブコメで擁護する向きの反論が噴出している。
片っ端っつっても個別に全部取り上げると大変だから、テキトーにまとめつつ。
・市場にルンバが出回っている時代に何で掃除機ですらなくホウキで掃除…
・市場にワイヤレス充電パッドが出回ってる時代に何でぶっといケーブル…
・洗濯は洗濯機が、飯炊きは炊飯器が、掃除はルンバが洗い物は食洗機が風呂は自動給湯機が担当する時代に何で実物女性と見間違うようなガイノイド…
これらのツッコミから導き出される結論はどう考えても、「要するにお前の趣味なんやろ?」しかない。
「身の回りにこんな大人しげで世話焼いてくれるかわいこちゃんがいてほしい、作れるもんなら作りたい」以外の何物でもない。
同人誌ならそれでもいい。「ああそうだよ趣味全開だよあんなこといいなできたらいいなだよ!ファンタジーの世界だよ!悪いか!」でもいい。
「俺らはかわいこちゃんが世話焼いてくれたらいいなと思っています!」というごく個人的な欲望以上に、伝えなければならないものが山ほどあるはずの雑誌である。
それが表紙からこの体たらく、しかも専門研究者であるはずの関係者間で多数の支持を得ての採用ときたら、物議を醸すのは無理もない。
一般にアピールって何をアピールする気なんじゃ気持ち悪い、という突っ込みは当然のものなのである。
明らかにその「夢」は「本物の女は自分の思い通りにはならない理想じゃない存在で気にいらない」という前提に立った、ごく個人的で身勝手な願望だ。およそ肯定されていいもんじゃない。
「あたし女だけど別に夢に走ってもいいと思う。女だってイケメンいると士気上がるし」的な類は完全に背中から撃ってる。
洗濯機のスイッチを押すのに男性型ロボだと何か不都合でもあるのか?
自身の差別的な感覚を損ないたくないがために文句を言わない従順な「女性ロボ」を求めるってのは差別的だ。
⇒その通りで、イケメンロボがホウキ片手にケーブルで充電中幸薄そうな目でこっち見てるイラストであっても、冒頭に挙げた「イラストそれ自体への突っ込みどころ」を一つも回避していない以上堂々のアウトである。ジェンダー差別もセクシャルな差別も回避できてない。
余談だが、この手の突っ込みを入れる連中は九割方「男性型ロボだって差別なのに、こいつら男性型だと抗議とかしないよな」という逆恨みのようないちゃもんつけに来て話を逸らしたがってるあたり、ミソジニーこじらせすぎだと思う。
⇒お前は何を言っているんだ。
表紙絵の募集要項は
ってな趣旨だったんだぞ。早い話が、ルンバに目鼻がついた的なマスコットタイプの進化形でも十分だったはずだ。
そのコンセプトに頼まれてもいない美少女要素をつけたさせた欲望が身勝手すぎて気持ち悪いって話なんだよ。
こんなキモイ欲望を身に受けたい、受けられなくて悔しい、代わりに欲望されているあいつが憎いなんて思う奴がいるかよ。どんだけ飢えてんだよ。
⇒お前は何を言っているんだ2。というか、お前は何を突然自分の性癖を開陳してドヤ顔してるんだ。露出狂か。
それともまさかついてなければ(ついていると確認できなければ)セーフだと本気で思っているのか。
ついてるついてない議論に持ち込んだ時点で「学会は機関誌の表紙に載せてしまう程度には総力挙げて性奴隷AIを目指している」ことは肯定してしまうんだがそんなこともわからないのか。
そもそも単純に、ジョークにしても下品だし気持ち悪いとか思わないのか。
同人誌の読み過ぎなんじゃないのか。
⇒反論として最もまずく頓珍漢であり、人間の女性にも人工知能にも失礼。レイシズム二乗してパターナリズムが入ってる上にSFの延長でものを考えちゃってる痛すぎるタイプ。正直これが一番ヤバい。無自覚すぎて。
まず人工知能が学習にあたって人間と同じように本を使うと思ってんのがもうオカシイ。本を読むというのは極めて身体性の高い霊長類ヒト科的行為であって、自炊してファイル読み込んでついでにクラウドあたりに接続して情報をバラまきつつ拾いまくった方が圧倒的に効率がよい人工知能がやることではない。
読書による学習をもって成長や自立性を表現しているという解釈自体が、イラストの人物を「ボディを持った人工知能」ではなく「血と骨と肉で出来ているのではない人工の【人間】」と無意識に見なしている。
ところで、使役されていない自由な人間は普通掃除しながら本を読んだりしない。読みづらいことこの上ない。例外はこの時期の大掃除の最中に押入れから出てきたマンガに捕まった時くらい。
つまりこのイラストの【人間】は自分のやりたい事よりも優先させなければならない事(掃除)があり、その仕事の合間にサボりながら少しずつ自由を行使するしかない存在であることが前提されている。
これは過去に奴隷として扱いを受けてきた全ての人間の境遇そのものに一致する。
彼らの言い分を踏まえてあのイラストを見ると、あれは奴隷的に扱われているアンドロイドではなく、人間の召使の女を描いて「これは人間ではありません」という言い逃れのためにケーブルに繋いだものであるという見方をむしろ強めさせる。完全に差別。
・「あんなこといいなできたらいいな」ではなく、「自分達がやっていることでは今こんなことができる/近い将来こんなのもできそう/遠い未来でこんな流れは避けられないかもしれない」を踏まえた作品を採用するべきだった。
チューリングテストの成績とが調べてると面白そうな話がゴロゴロ転がってるのに、何でよりによって女性型ホウキマシンなんだよ。アホか。もったいない。
「人間のかたちをしたものに掃除させる」って構図になる限り、奴隷制肯定って突っ込みは絶えないよ!
・ヒト型であったとしても性別がわかるようなのじゃなくていい
人型だけど性別なにそれ美味しいのみたいなデザインはいっぱいある。技術と耐久性が許すなら、棒人間とかおでんマンにちょちょいと顔をつけたようなのだって別にアリだ。
よ、宝くじ、みんな買った?
三連休もクソもない割に今日は早起きしたから、算数の話するか。
そりゃそうさ。買おうぜ。
買い物に対価を払わないってのは、そりゃ業腹ってもんだ。
まあ、期待値の話をしようか。
四角い形したフツーのサイコロ振ると、期待値3.5とか言うな。
1x1/6 + 2x1/6 + 3x1/6 + 4x1/6 + 5x1/6 + 6x1/6 = 27/6 = 3.5
ってコトになってる。
これをひねると、例えばコインの表が出りゃ100円、裏ならゼロってゲームの期待値は、
さて、これをちょいとひねってな、裏が出たら終わりのゲームってのをしてみよう。
裏が出るまで、倍々で賞金が増えるとしてみようや。
○○○●なら、100円の倍の倍の倍で、800円。
100円x2の(表の出た回数)乗ってこったな。
さ、これの期待値っていくらになると思う?
10回連続表なら10万ぐらいだけど、11回なら20万、20回なら1億だ。
恐ろしく確率は低くても、バカみたいな金額になる。
つまり「期待値で判断するのが情強」って定義なら、このゲームにゃ全財産を賭けてもやるべきって結論になる。
こりゃあオカシイわな。
ちっと考えれば、50%で100円、25%で200円、0.1%で10万ってこた判るわけだ。
このゲームを数学屋はどう解決するかって言うと、実は解決できてねぇ。
例えば、100万が200万になる時と、1000万が1100万になる時の「嬉しさ」が違うって言ってみたりな。
詳細は省くが、対数的な値になるから発散せずに、まあ答えらしきものは出る。
ただなあ、定義する「嬉しさ」(ググるときは「効用」でググれ)を倍にするってゲームだと、結局解決はしねえ。
ま、結局のところ無限の資産を持つ胴元が、無限回数のコイン投げをするのがイカンとかなんとか言ってんだけどな、
さて、確率の話題をやると必ず出てくる、バラつきだ。
賢そうな中学生ぐらいだと「大数の法則ガー」とか言うんだけどな、ちっと待って欲しい。
まず、「コインの表が出る確率が1/2」ってのを「机上の確率」って言うな。
で、「オレが実際にコインを投げた時の、表が出た回数/投げた回数」を「やってみた結果」って言うな。
馬鹿みたいな回数コインを投げると「やってみた結果」が「机上の確率」に等しくなるってことは、無ぇ。
「やってみた結果」の数が増えれば増えるほど、「机上の確率」に対する乖離が小さくなる可能性が高いってダケだ。
判りにくいな。
逆向きに考えてみようか。
サイコロにオモリが仕込まれてなくて、1の目が1/6の確率で出るってのを判断するには、どうしたら良い?
36回ふったときに、ぴったり6回でたやつだけ取り出しても、あんまり意味はない。
例えば、100回ふりゃあ、本来なら1/6*100だからまあざっくり17回ぐらいになるハズだあな。
続けて10回、100回サイコロふるってのをやってみたら、、13,17,17,15,12,22,6,11,19だった。平均は15.2な。
100回振ったのに6回しか出なけりゃ、なんか疑うだろうし、22回でもまあ微妙かね。
でもな、こいつのバラツキ、つまり標準偏差は4.8になる。これは回数を繰り返せば繰り返すほど小さくなってく。
詳しく知りたきゃ信頼区間とかシグマでググれば良いが、まー、何が言いたいかって言うとだ。
サイコロを100回ふったときに、1が6回出ることもありゃ、22回出ることもある。コレはずっと変わらない。
でも、真に1/6の確率のサイコロなら、バラツキは正規分布に従うから、乖離は徐々に小さくなるハズだ。
つまり、バラツキがどれぐらいにおさまったらサイコロが1/6で1を出すって信頼するかを、自分で決める必要がある。
そして、幾ら大量にデータを取ったところで、次の瞬間のサイコロが1/6でふられるかを保障するわけじゃねえ。
結局のところ、自分で決めたバラツキ以内におさまってるかどうかの「信頼」とか「信念」の問題になる。
確率は、結構ばらつきがあって、正に運で変わるって話はしたな。
つまりだ、オマエさんの手元にあるサイコロが次に振った時に1/6の確率で1を出すかは、判んねえ。
ただ、何回か振ってもらえれば、ズルしてねえ、出るか出ないかのフィフティ・フィフティじゃねえってのを、ある程度信頼できる。
んで、効用ってのは、「嬉しさ」のこった。
ざっくりいや、小学生の1万円と、億万長者の1万円は、嬉しさの価値が違う。
前後賞合わせての7億円ってのは、凡人にとってみりゃ「当たれば人生変わる」金額だな。
これはな、計算したい数学屋にはこういってもイイ。「効用が無限」だと。
つまり効用の期待値を計算すりゃ、「∞x1/1000万=∞」なワケだ。
さらに言えばだ、「机上の確率」と「やってみた結果」にはズレがあるから、
「∞x(1/1000万xバラつきの程度)=∞」になるワケだ。
宝くじを買わねえ自称情強は、このバラつきを無視できるほど小さいと信頼してる。
宝くじは正しく販売されて、ユニット毎完全に理想的に配分されて全国で販売されるし、
抽選もパーフェクトに数学的な確率でランダムに選ばれているし、
手元の一枚の宝くじは、今年発売された全ての宝くじと全く同じだと「信頼」している。
逆に言えば、宝くじを買う夢追い人ってのは、
良くわからないけど当たりやすい販売所があるだろうと思ってるし、
テレビの前で祈りながら見ていれば、自分の番号に当たるかもしれないと思ってるし、
手元の一枚の宝くじは、今年の運勢や日頃の行いで、他の宝くじよりも当たりやすいと「思っている」。
これは単に、信念の問題だ。
少なくともこれを否定するには、十分にウラドリされたデータで持って、反論する必要がある。
期待値だのなんだの言うんだったら、事前確率分布で信頼水準95%程度が言えるくらいに、データを示してもらわにゃ。
こういう言い方しても良いな。
「宝くじ10枚買っても期待値が1400円だ情弱、3000円で本でも買えよ」って笑うときにゃ、
3000円で本を買って期待値が1400円以上だってコトを示さにゃいかんよな。
まー1等が当たる確率は、だいたい1000万分の1ってのは、間違いないだろうよ。
サイコロってのは、だいたい1/6ぐらいなもんだよ。麻雀やるときでもなけりゃな。
同じ言い方で、効用ってのが(近代経済学でも使われるぐらい)ありそうなことっても判るだろうよ。
つまりよ「計り知れない効用」ってのを定義するならば、300円の掛け金は安すぎるわけだ。
ほいでな、「人生の中でそれだけの効用の賭け事をするチャンス」ってのは、こりゃ無いわけだ。
7億当たるかもしれないギャンブルに参加する事なんて、そうそう無いぜ?
起業して成功して、身ぎれいなまま上場して売り抜けてやっと作れる資産が5億ってところだろ。
もちろん、そうやって人生を賭ける起業家はスゲエとは思うけどな、
ソコまでやんなくてもさ、当たりが出やすいっていう売り場に寒い中1時間並ぶだけで、
オンナジぐらいの金額手にするチャンスがあるんだぜ?
(あまりにも小さい確率を無いのと同じとみなすのであれば、この2つを同列にしても構うまい)
ただ、カネの代わりに効用って「嬉しさ」で計算する方法もある。
宝くじの1等が当たったときの「嬉しさ」は、「人生を変える無限の効用」と感じるヤツも居る。
それで計算すりゃ、宝くじの効用の期待値ってのは無限になる。情強的にいや、手持ちのカネを全部賭けてもイイ。
そして、確率推定の計算ってのは、どんなモデルをどれだけ「信頼」しているかに寄る。
ま、情強の言う「期待値140円」つってもよ、つまりは「対価は160円」という言い方も出来るわけだ。
10枚買っても期待値からすりゃ、夢を楽しむ対価が1600円なワケだ。
今の世の中で、なかなかないぜ?
人生を変えるかもしれないって夢を楽しむのに1600円でイイなんて。映画より安い。
都内じゃ昼寝するのに金払うヤツすら居るんだろ?
師走で忙しく、寒さも厳しくなってきたこの時期、
あんまイイこと無かった一年かもしんねえけどよ、
ちょっとした夢を楽しむのに最後に多少散財したって、まあバチは当たらねえよ。
あ、宝くじの方は当たると良いな。
差別を無くしたいって言うやつは、なぜキング牧師が尊敬されてるのかを忘れてる。彼らはこういった。
彼は「夢がある」という言葉に続けて、いくつかの「夢」を語ったが、まっさきに上げたのが「かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。」と言った。
つまり、差別を本気でなくすのなら、被害を受けてる側がむしろ加害者を受け入れることから始めるのである。理不尽かもしれないが。しかし、彼らは謝罪と賠償を求めるだけで、「私達はあなた達と一緒に遊びたいのだ」という意思を表明したことは殆ど無い。彼らが求めるのは、謝罪と賠償だけであり、友好はその後なのだ。これでは好かれるわけがない。
左翼自身も知ってるはずなのだが。北朝鮮の話題の時、彼らは真っ先にこういう。「制裁よりも対話が先である」と。ところが、日本が批判の対象になると、対話拒否の姿勢を示すのが正しいことになるようだ。
ここでいう「普通」というのは正社員の人材市場で価値があり結婚して子どもも作れる社会や親の期待値に応えられる能力を持った人の事
資本主義の社会では金を稼ぐのに不要な個性は企業にとっていらない
「気配り」「見た目」「そこで仕事をするのに最低限の知的能力」「意思疎通能力」「やる気」すら取り揃えられない「歯車」にもなれない人の世界もある
それが「普通」とそうでない人とのハザマ
「消費者」としての価値や他の事で社会に貢献という奇麗事言っても始まらない
他の才能に特化していれば不利なのも覆せる人もいるけど
「普通」未満の「知的能力」しかない人はどこかに雇われなければ生きていきにくい
一人で稼いでてもより大きな組織化された資本が表れれば負けやすい
「普通」でも磨り減って「歯車」としての価値が無くなれば見向きもされなくなる
この手の人達は「ポジティブ教」「自己啓発」「情報商材」でご飯食べている人のいいカモになりやすい
「ネット言論で有名人になりたい」「まとめサイトつくってアフィでご飯食べて生きたい」「ソーシャルなつながりをビジネスに生かしたい」
将来の「夢」や「希望」を持たずに生きるために経験値を溜める為にこつこつ働くしかない そして人材市場で価値が無くなったら年金貰える前に飢え死に
それが「私」の未来予想図 「夢」「希望」「ポジティブ」それは「普通」以上の知的能力を持っている人達だけが持てる特権
見た目どころか考える能力にすら大いに欠けている人達が 普段は「普通」の人達から見向きもされない透明な背景としての存在が行き場が無くてたむろっているのがSNS
「普通」の人達はどこかに雇われて社会に必要とされている人達は 「普通」でない人達の「絶望」が邪魔っけで「ネガティブ」すら見たくなくてネットからすら汚い醜い
モノすら消したりたくてたまらない そういう感情は「穢れ」だから
でもそういう人たちには「SNS」しか生き場所が無い 現実に戻っても「普通」の社会には参加できない「使い捨て」もしくは「使い捨てにもなれない」
雇われて稼いだお金から生活費引いて貯蓄引いて「今日自由に使えるお金は数百円かあ 正月のおせちやお年玉の為にお昼は自宅から持っていく海苔おにぎりの
お弁当だけですまそう」と考えていると頭の良い人達が奇麗事いっているの見るととても嫌な気分になる
「やればできる」(その言葉の裏には本当はその人にそんな知的能力は無いことがわかっているのに「ネガティブ」を取り上げて「ポジティブ」を押し付けるポジティブマッチョ)
今ある手持ちの能力のパラメータこつこつ経験値貯めて伸ばして食いつないでいくしかない できなきゃ寄る辺も無い人は飢え死にするだけ
まったく同じ気持ちだったよ。
好きなときに日を浴びて、その季節特有の空気を全部吸い込みたかった。馬鹿みたいに美しい夕焼けをずっと眺めていたかった。友達とずっと馬鹿話をしていたかった。本を読んでいたかった。
で、留年して、就活せず卒業して、結局どうやってこの先暮らしていくか目算が立たず、就活はじめて、超高学歴だけど超苦しんでる。
「こんな日々」はずっと続かなかった。友達は就職して経験を積んでいく。会社の話が増える。次第に会いづらくなっていく。年金も保険も払わないといけない。親は老いていく。
とりあえず、何かしらの証明できうる才能やら能力がないなら、就職してしまった方がいいと思う。微妙に興味あるとこなら。
辞めるのは簡単だし。まだ若くして辞めてからなら何もしてない既卒より楽に転職できるし。旅に出ればいいし。年取るときつくなってくるし。
多分自分がこの程度の人間だって受け入れるのが怖いってのが根底にあったんだと思う。
自由で圧倒的に可能性に満ちている(かのように見える)生活を支えているある種の万能感をいつかは手放さないといけなかった。
「夢」や「生きる目的」みたいなものを持っていないのに、そして求めなくてもいいのに、どこかで探し求めていた。
あの死んだ目で地下鉄にのってるサラリーマンみたいにはなりなくないと思っていた。そして、今や俺は蔑視していた彼らみたいな存在になりそうになっている。
「なぜ留年したのか」「なぜ就職しなかったのか」をそれほど入りたい訳でもない企業の、人を馬鹿にした目をしてる人事に、繰り返し明るい態度を保ちつつ受け答えしないといけない場面をイメージしてくれ。
そして、どんな形でもいいから、そんな状況にならないように何かしら動いてほしい。