アイコンタクトは、楽である。言葉で伝える以上に伝わってることを確信できる。
言葉で伝えると、言葉は勝手に意味を持ち誤解や間違いだらけになる。
ときには、感情さえまざりこみ、言葉はただの上っ面な何かに化けてしまう。
そうなると、どんなに本音をはこうとも伝わらなくなる。
いや、本音を吐けてるかさえ。疑わしくなる。
届くか届かないかのヘッダーしか持たない。メッセージボディは存在しないシンプルなプロトコル。
これ以上に誤解しようにない。届けば届くのだ。
それでも、伝えたいことは伝わってしまう。メッセージなど無くても伝わる。
意識高く言えば、コンテキストが共有できていれば、あとはイエス/ノー以外いらない。
アイコンタクトは、さらにシンプルだ。イエスしかない。分かりあってしまったからこそ言えないノーに怯える、そんな必要もない。
この業界のエンジニアとして生きてる僕は、いつのまにかこれで会話することを覚えた。
信頼出来る同僚やお客さん。これで会話できる人達とは、無理やたら何かを交わして繋いでいないといけない恐怖もない。
でも、この業界には、それが出来ない人もいる。全く伝わらない。正確には、伝えるタイミングが無いのだ。
こんな話を同僚とすると、彼は言った。
ああ、そうだった。
もう3か所くらいをローテーションすることに決めればいいんじゃね
自分のその恋愛遍歴を順番に話してみたら、どうしたらいいか分かると思うよ。
もしあなたのことをとても人として大事にしてくれるなら、共感してくれる。
今、好きな人がいると言えば、話の流れで薄らと意識してくれるから、その反応も大体わかる。
相手が自分のこと好きになる空気が全く無いなら、止めた方が良い。
それが分かれば、十分でしょう?
迷惑をかけずに気持ちを伝えるというより、相手の気持ちを知ることが大事じゃないかな。
もし、共感してくれるような人なら、あなたの気持ちが分かったとしても、あなたを酷く傷つけるような事はしない。
がんばれ!
うん。そうだね。
周りに素敵な人が現れないから彼の事がまだ好きで、離れたくないと思うのは
やっぱり惰性以外の何者でもないよね。
いつまでこんな関係が続くんだろうか。
自分は将来「建築家」になるものだと昔からなんとなく思っていた。安藤忠雄とか隈研吾とか丹下健三のように、カッコいい建築物を作って有名になりたい、がんばっていればきっとなれると思っていた。
しかし、いざ建築を学んでみると、そんなこと自分には到底ムリなんじゃないかと絶望的な気持ちになってしまった。
才能のないポンコツがいくら努力しようと彼らのように斬新な建物なんて作れる気がしない。
そして、才能があったとしても運がなければ世にでることはない、ということもなんとなく分かってしまった。
結局自分はどうすればいいんだろう。才能のない分野で努力したって無駄ならさっさと諦めてほかのことをしたい。その一方で、努力は必ず報われると信じたい自分もいる。
まるで禿げてなきゃモテるみたいな
削除してなんのメリットがあるんだよ