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はてなキーワード: 「夢」とは

2013-09-22

自分自身の心の断片まとめ日記

主語は大きくしないといらない争いを生み人を傷つける 「名指しdis」というのはそれがペンネームであっても一種の〇〇

ネット上のモンスター図鑑」等は心の底に秘めておくが吉

希望「夢」は「普通」の人々しか持てないしろ物 知能的にそういう望みが持てない人達も居るということを「普通」の人は直ぐに忘れる

連休中の仕事が終わって帰って布団で大の字のポーズ 貧血気味で血が足りない

増田に書きたくなるような何か不満があったような気もするけどお気に入り音楽聴いてたら忘れた

平台にテーブルクロス電気ポット、茶器と茶竺、茶筅を置いて茶道以外の趣味の集いで形に捕らわれず

直ぐに来た人のためにお茶を立てられるようにしているイベント通りすがりに見てハートの中ではてなスター付けた

そういう集いだと和服自然体で様になる 今夜も月が出ているなら窓辺にお茶を置き月を眺めタブレット増田を読みながら

心の中で好きな歌を歌いながら寝る

2013-09-08

やりたいことなら、もうやってるもんなの?

やりたいことある

やりたいこがあるなら、もうやってるもんなの?

「やりたい!」と思ってることがあるとして、その目的のために今動いてないってことは、実は「本当にやりたいことじゃなかった」んじゃね?


たぶん、日本の多くの若者の「やりたいこと」って、「本当にやりたいこと」じゃない。

まらの「やりたいこと」って、実は錯覚なんじゃね?

親や学校先生たちの顔色をうかがってできた錯覚なんじゃね?


最近ニート自殺者が増えてるらしいけど、

親や学校先生の顔色をうかがってできた「やりたいこと」って辛いよ。

の子供に「将来の夢」を聞いても、9割その夢は「子供の夢」じゃないと思う。その9割の子供は空気読んでると思う。

今はもう小学生空気を読む時代になってるから

そんな教育をする親や先生ばっかりでそうなってるから


子供を育ててる親がいたら、子供に「将来の夢」を安易に聞かないほうがいいぜ。

本当は「夢」なんて無くて当たり前なのに、あることを前提に聞かれても困る。

俺の場合小学生ときから空気を読んでしまって、もう3回以上は「嘘の将来の夢」を言ってしまった。

別に嘘をつきたくてついたわけじゃないけど、説明するときに「矛盾しとる」とか「それは言い訳」って言われるたびに、悲しいぜ。


「やりたい」と思ってたことが実は「本当にやりたいことじゃなかった」って気づく度に、親にどう言おうかすごく悩むぜ。

そういうわけで、この18歳の僕が、全国の「いい子」の諸君に言いたい事があるとするならば、

親の期待は裏切っていいし、期待に答えようとしなくていい。

・働きたくなかったら働かなくていい。ただ、「最終的に自分はどこに向かうのか?」を考えて欲しい。

・表面的には従ってもいいけど、自分の心を最優先に守り、心の中で反抗するのをやめないで欲しい。

自分の心を傷つけるような家族学校先生の言うことなんか聞くな!

自分の心を尊重する行動を最優先に取れ!


やりたいことは無くて当たり前だと思うし、いつもどおりのニートでいればいいのさ。

人間ってのは「生きねば!」と危機感を感じて初めて、お金を得るために働くものだと思う。それが健全

何を言われようと働きたくなかったら、働かなくていいのさ。

たとえそれで餓死したとしても、

嫌々働いていて自分奴隷になってることに気付かないヤツらや、自ら命を断ってしまうヤツらより何万倍もマシだと思う。


ニートでも、養ってくれる人がいなくなって本気で「ヤバイ!」と思うときが来た時、

本能的に「生きたい!」って危機感を感じて初めて「自分の心に忠実な行動」を取り始めるもんだと思う。


だいたいニートのような「ダメ人間」たちを嫌っている人たちっていうのは、

「相手のダメなところを受け入れることができない人。ダメな時期・ダメなところ・ダメな人を受け入れることができない人。」

なんだと思う。

これは僕の「嫌いな人リスト」に入ってた。


はてな匿名ダイアリーで「ニート関係の記事をよく書く自分

肩身は狭いけど、僕は自分の中に答えを生み出し続けるのは絶対にやめないし、今のところニートを続けるつもりさー。

やりたいことがある奴は、もうすでにやってるから

「やいたいこと」だと錯覚してるやつらはもうやらなくていいからな。

2013-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20130816063759

この素晴らしい人のためにわざわざID取ったんだけど

あのさー

死者こそ出てないけど日常生活に支障出てる人とかゴロゴロいるよ

代表格は大野倫氏とか。いいソース見つからなかったので自分で探してくださいhttp://matome.naver.jp/odai/2136525500846676601

選手にとって夏でなければならない理由はないと思うのよ。甲子園という大会目標に彼らはあなたの言う青春すべてを賭けているわけでそれが夏だろうが冬だろうが、関係ないと思うんだよね。その大会意味があるわけで。

あとは見てる方の問題でしょ?暑い熱中症になりかけてる人をビール飲みながらテレビの前で応援ってどうなのよ?

未成年が死にそうになりながら「夢」に向かって頑張る姿をつまみに飲むビールおいしいですか?

結局あんたの言い分だと夏に甲子園をやることも、球数制限を設けないことも大人の都合じゃん。

俺は高校女子サッカーやってて東海大会の準決勝まで行ったけど

悔いが残らないよう、ボロボロになる寸前まで監督はプレ-させてくれたけど本当にダメだ、ってところはちゃんと見ててくれる、止めてくれるっていう安心感があったか限界ぎりぎりまで体追い込めたし

今でも忘れないのは最後もう歩けないくらい腰痛めたキャプテン監督が言った

「お前の高校サッカーはここで終わりだけどお前のその腰はこの先も使っていく腰だからちゃんとトレーナーに見てもらえ」という言葉

そうなんだよサッカーするための腰じゃないんだよ。

球児の多くだってそうでしょ?

投げるための腕じゃなくなるんだよ。

もちろんプロに進んでこの先しばらく投げるための腕である人もいるかもしれない。でもそれも長くても30代くらいまでだよね。その先は?

彼らにとってすべてを賭ける大会なんだろうけど

その腕使ってこの先の長い人生生きていくんだよ。その腕で大事な女抱きしめたり、子供たかたかいしたりするんだよ。

腕や肩が大事なのは一握りのプロになれる選手だけじゃない。

勘違いすんな。

論理的ぶっててぜんっぜん論理的じゃねーよあんた。

2013-08-06

風俗とかアイドルかい地獄

人に対して露出して

「夢」とか「希望」とか「性」とか

いわゆる見えないものを売っている(この表現は適切ではないが)商売の人たちって

とくに女の子に多いなぁと思ったんだけど

見えないものを売ってるかわりに、見えないものが減ってる

精神力とかMPみたいなもの

から病んだりすることが多い。

風俗は商売柄まぁ病むかもだけど

地下アイドルやってた女の子友達にいたけど、いろいろ悩んで結局自殺してしまった。

キャバとか風俗とかアイドルとか

もし自分子供が生まれても絶対にアイドルとか声優とかにもならせないと思う。

目立たなくていい。普通が一番だと思った。

2013-07-04

ワタミ当選が楽しみで仕方ない。議会中は水しか飲ませないし、報酬「夢」から議員報酬は返上してもらうし、失策したら死んで責任取れと罵声をぶつけることが出来る。全部彼の言ってきた事だからな。

でも、死ぬのは彼の秘書だけなんだよねー

2013-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20130625125930

それはない。

生き物としての気迫というか、熱意というか、イキイキギラギラした感じ

なんて、さがみんには無い。

もともとクラスで目立つ女子だったのが、今のクラスでは三浦に負けているから、

実行委員長をやって復権しようと甘い目論見を抱いているだけ。

成功」「感動」「仲間」「夢」あたりのお約束ワード

も、「ちょっと頑張ってるウチ」を演出するために乗っかってる。

歪んではいても本物の情熱と自信を持ってる自称ルフィとは比べ物にならない。

所詮クラスカーストトップを目指して二番手にしがみつくのが精一杯の小物なのであって、

そこがさがみんの可愛いところなんだよ原作読め。

http://anond.hatelabo.jp/20130624202208

自称モンキー・D・ルフィブラック教授

旧帝大の若手教授連中と話をする機会があった。

生物系、化学系が多かったか。まだまだこれから、という人達

総じて生き物としての気迫というか、熱意というか、イキイキギラギラした感じというか

独特の雰囲気を持つ人達だった。

後日、それぞれのラボHPなどをチェックしてみると

成功」「感動」「仲間」「夢」あたりのお約束ワードがちりばめられ、

顔をクシャクシャにした笑顔ポスドク院生画像と、自信に満ちあふれた教授画像

(勿論、立って腕組みor座って机に肘をついて両手を前にのポーズ

予想通りだった。流行なんだろう。

話をしていると、色々なタイプが居た(当然だが)。

昔はやんちゃしてましたタイプアメリカ修行をして独立したタイプ

学生時代はダラダラしてたけど○○に出会って生まれ変わりました!タイプ

この最後タイプが表題の「自称モンキー・D・ルフィ」の教授達だ。

○○は大きく分けて二通り。本と人物。しかし結局は同じ事だ。

ビッグラボにした人を知って、俺もそうなりたいと思った」という事。

人達は「人生はCNSじゃない」と揃って言う。

おそらく自分学生に対しても「CNSを目標にするな」と言ってるのだろう。

しかし、「マザーテレサの本を読んで教授をめざした」って人は居ない。

一人残らず全員が、「CNSを連発して成長させた人」に感化されている。

その時点で「CNSが欲しい」って欲を刺激されたのは間違いないのだ。

この教授達を刺激した本・人物が問題で、口では「CNSでは幸せになれない」などと言うし、書いてある。

教授達も「そうだ、CNSじゃないんだ」と心から信じ切っている。アホだから

そして部下にも「CNSを夢にするな」と説いているはずだ。

それでいて、自分目標を達成する意欲は揺るがないので「CNSを出せ」と口を酸っぱくする。

「CNSじゃないんでしょ?」と聞けば「ラボを続けるのに必要でしょ」と言い、

「CNSを目標にした方がシンプルじゃん」と聞けば「感動とか、幸せを共有する仲間を増やしたいだけだ」と言う。

挙げ句の果てに、「こいつ勉強してないな」「考えが浅い」「意識ステージが低い」という視線を向けて来る。

埒が明かないとはこの事だと思いながら、この理不尽さはどこかで見た事が有ると思っていたら

いた。

ジャンプの人気漫画ワンピース」の主人公モンキー・D・ルフィだ。

感動、仲間、夢、理不尽、見事に一致()

そう考えたら全てがシックリきた。

ルールとか、批判する人がいるとか、仲間が傷ついたとか、この人達は気にならないんだ。

精神的に病んで鬱になって学校にこれなくなった学生がいても、

ラボに戻りたいんなら、あっちが頭を下げるべきだ(ウソップのように)」って思ってるんだ。

半年ラボに泊まり込むなんて生物系だと普通だよな」なんて言いながら笑ってるこの人達は、

おそらくグランドラインの荒波を駆け抜けるワクワク感の中に居るんだ。

ブラック研究室」と批判する世間の声を「ワンピースなんて無い」って言う村人Aの台詞だと思ってるんだ。

俺は、ひとつカマを掛けてみた。

そこに居ない若手教授名前を出して、「あの人ってワンピースルフィみたいですよねー」

瞬時に周りの教授連中の表情を確認する。

居た居たw 「ルフィは俺だろ」と言いたげな表情で一瞬固まるヤツw

その一瞬の静寂の後、「おーなるほどー、どのへんがですかー?」と器がデカいふりをする台詞はいたが

あの一瞬で俺は確信を得た。

こいつら、自称モンキー・D・ルフィなんだと。

そこへいくと、ロンダ教授達は判りやすい。「CNSだしたい」この一心から

現代科学王道だ。幸せだの感動だのはラボには関係ない、と割り切ってる。

CNSを持ってるヤツが偉い。CNSを稼いだヤツの勝ち。winner takes all精神

からポスドクに「CNSを出せ」と言っても矛盾は生じない。

「CNSを出したらコネが増える」という事実も筋が通る。

21世紀現在教養主義限界が見えて来ている。

「生かさず殺さず」の年収で働くポスドクいるか教授グラント持ちになれるという事実

研究生で働くのが当たり前のラボがあるから旧帝のラボが成り立っているという事実

ピペドピペドのまま」「バカはバカのまま」「地国は地国のまま」にしておくことで既得権益を守ろうとする人が居るという事実

これらの手法限界を迎えつつあると思われる。

2013-06-24

自称モンキー・D・ルフィブラック社長

飲食業社長連中と話をする機会があった。

居酒屋ラーメン屋が多かったか。まだまだこれから、という人達

総じて生き物としての気迫というか、熱意というか、イキイキギラギラした感じというか

独特の雰囲気を持つ人達だった。

後日、それぞれのHPなどをチェックしてみると

成功」「感動」「仲間」「夢」あたりのお約束ワードがちりばめられ、

顔をクシャクシャにした笑顔社員バイト画像と、自信に満ちあふれた社長画像

(勿論、立って腕組みor座って机に肘をついて両手を前にのポーズ

予想通りだった。流行なんだろう。

話をしていると、色々なタイプが居た(当然だが)。

昔はやんちゃしてましたタイプ飲食業修行をして独立したタイプ

学生時代はダラダラしてたけど○○に出会って生まれ変わりました!タイプ

この最後タイプが表題の「自称モンキー・D・ルフィ」の社長達だ。

○○は大きく分けて二通り。本と人物。しかし結局は同じ事だ。

金持ちになった人を知って、俺もそうなりたいと思った」という事。

人達は「人生お金じゃない」と揃って言う。

おそらく自分の部下に対しても「お金目標にするな」と言ってるのだろう。

しかし、「マザーテレサの本を読んで起業した」って人は居ない。

一人残らず全員が、「会社を興して成長させた人」に感化されている。

その時点で「お金が欲しい」って欲を刺激されたのは間違いないのだ。

この社長達を刺激した本・人物が問題で、口では「金では幸せになれない」などと言うし、書いてある。

社長達も「そうだ、金じゃないんだ」と心から信じ切っている。アホだから

そして部下にも「金を儲けることを夢にするな」と説いているはずだ。

それでいて、自分目標を達成する意欲は揺るがないので「利益を出せ」と口を酸っぱくする。

お金じゃないんでしょ?」と聞けば「会社を続けるのに必要でしょ」と言い、

お金目標にした方がシンプルじゃん」と聞けば「感動とか、幸せを共有する仲間を増やしたいだけだ」と言う。

挙げ句の果てに、「こいつ勉強してないな」「考えが浅い」「意識ステージが低い」という視線を向けて来る。

埒が明かないとはこの事だと思いながら、この理不尽さはどこかで見た事が有ると思っていたら

いた。

ジャンプの人気漫画ワンピース」の主人公モンキー・D・ルフィだ。

感動、仲間、夢、理不尽、見事に一致()

そう考えたら全てがシックリきた。

ルールとか、批判する人がいるとか、仲間が傷ついたとか、この人達は気にならないんだ。

精神的に病んで鬱になって出社できなくなった社員がいても、

「仲間に戻りたいんなら、あっちが頭を下げるべきだ(ウソップのように)」って思ってるんだ。

半年間店に泊まり込むなんて飲食だと普通だよな」なんて言いながら笑ってるこの人達は、

おそらくグランドラインの荒波を駆け抜けるワクワク感の中に居るんだ。

ブラック企業」と批判する世間の声を「ワンピースなんて無い」って言う村人Aの台詞だと思ってるんだ。

俺は、ひとつカマを掛けてみた。

そこに居ない人の名前を出して、「あの人ってワンピースルフィみたいですよねー」

瞬時に周りの社長連中の表情を確認する。

居た居たw 「ルフィは俺だろ」と言いたげな表情で一瞬固まるヤツw

その一瞬の静寂の後、「おーなるほどー、どのへんがですかー?」と器がデカいふりをする台詞はいたが

あの一瞬で俺は確信を得た。

こいつら、自称モンキー・D・ルフィなんだと。

そこへいくと、元ヤンキー社長達は判りやすい。「儲けたい」この一心から

資本主義王道だ。幸せだの感動だのは会社には関係ない、と割り切ってる。

金を持ってるヤツが偉い。金を稼いだヤツの勝ち。winner takes all精神

から、部下に「利益を出せ」と言っても矛盾は生じない。

利益を出したらボーナスが増える」という事実も筋が通る。

21世紀現在資本主義限界が見えて来ている。

「生かさず殺さず」の月給で働く社員いるか社長金持ちになれるという事実

月給1万円で働くのが当たり前の国があるから先進国生活が成り立っているという事実

貧乏人を貧乏人のまま」「バカはバカのまま」「後進国後進国のまま」にしておくことで既得権益を守ろうとする人が居るという事実

これらの手法限界を迎えつつあると思われる。


しかすると、この時代においては

自称モンキー・D・ルフィ達が活躍するのかも知れない。

現実社会の中のワンピースは、資本主義に変わるニューワールドオーダーなのだ

2013-06-03

ワタミに怒る正義コンビニ店長

コンビニ店長さんは、20歳そこそこのころにコンビニ勤務で年収500万円超え+会社の寮住まいだったと「G.A.W」で語っていた気がするのですが、今コンビニ店長さんが育てているという店長候補の女の子には月いくらの給与を支払っているのでしょうか。同じくらいの給与を支払ってるんですかね。

正社員待遇でしょうか、非正規雇用でしょうか。非正規だけどあなた店長候補だよという言葉を本人に対して言っているのでしょうか。

福利厚生はあるのでしょうか。

こういう点ってものすごく重要だと思うのですが、なんで誰も気にしないんですかね。なんでみんな宗教信者みたいに「感動した!」「さすが!」って一斉に言ってるんですかね。

その女の子って夜勤は月に何日してるんですかね。残業とかさせてるんですかね。残業代とか支払ってるんですかね。廃棄の扱いとかはどうなってるんですかね。

ワタミ「夢」若者釣りコンビニ店長は「やりがい」「仕事の楽しさ」で若者を釣ってるようにしか見えない。

2013-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20130510092708

>これはそういうゲームなのです。

ゲーム現実を基礎として可能性や実現度に関して人間の知覚において擬似的に体験させることで快楽を得る嗜好の形態です。

現実ゲームに似ているのではなく、ゲーム現実を基礎として現実世界において存在できるように作成された商品です。

ゲーム現実の下位クラスであることを認識するには大人になって感覚による知識などを得ることが必要ではないか想像されます

現実ルールを基盤にしていないゲームがなにかひとつでもありますか。

たとえば「夢」現実はいまのところ存在していませんが、夢と似た構成のゲームがありましたか

「Aさんに声をかけたらBさんだった。Bさんはカエルで、私は橋を渡ろうとしたら足元が崩れてちがう商店街に移動して、お店で飲み物を買おうとしたらそこは実家だった。実家農家でまわりに民家はなく。」

みたいなストーリー自分自身がたった一人体験したという以外の話を、夢という記憶に近い情報を共有できていない現在の段階で聞いたことがありますか。

現実ルールを基にしてはいますがそれをゲームという感覚で共有しようとしている行動自体が「夢みたいなもの」ではないですか。

あなたの夢見た世界現実にする手段としてはゲームがあると思いますが、世界オーナーメーカーユーザーも無いですよね。

世界を支配しているのは特定個人だ、という「夢」も抱くのは自由です。それをおしゃべりして受け入れられる友達は、社会に出たら数が少なくなっていくのではないでしょうか。

>これから数十年後、日本の子供達は公務員家族の子供がメインになります

匿名掲示板で自由を謳歌されているようですが、匿名なので個人について意味はありません。どれが僕の文章ですと開示いただいた分だけをまとめとして情報総合的に得ますさらに他にも文章があったりまたは他人の文章を項目に加えても判りようがありません。

それを踏まえて匿名の方が特定個人や団体を指摘しても「フィクション作品にでてくる団体が実在しているか、またはそれらを具体的に指摘しているものか」という価値観には疑問を匿名である私個人は抱きます

もちろん今後それが発生するか、その市場規模はと思い図ることができる情報でないことではあります歴史成功例があるから効果があるだろうというのは意味の無い発言ということになります

では転じて意味のある発言と考える候補とすると「歴史成功した例を私が実際に取り組み始めます。この結果がでることは自分確信しております。」ということになります

実行すること自体にのみ「意味」という他人の評価を得る結果を生成します。

行動すれば結果はでる、だがしないまたは行動しても結果は目に見えているという情報のものはその時点で情報としての役割を終えている末端消費商材ですので、情報を得た時点で取引が終了しているものと同等の価値転売時にどれほどの価値になるであろうかと考えます

特定の業界を席捲した成功者いかにして市場の全てを掌握できたかという伝記本を情報として販売したとしても、その業界にはもう他者の立ち入る隙は無いという裏づけ情報を手に入れてもその市場に入るための手段に自身の研究として使う以外、転売したりするときに本の値段以上の価値が発生するものでしょうか。

これから時代、これがメインになる、これが大多数になるであろう、こういう流れになる、はどの業界のどの部分がどういう方向になるのか、ただ大きなタイトルをもってきて「こうなる」というのでは「大きな船は遠くまで旅ができる、しかし小さな港につけることはできない」といったなにやらすごい発言のようですが実際の船を所有するオーナーはそんな名言を教えていただかなくてもわかっている話で実際そういった条件を前提に行動をされていくことと思います

この文章をはじめ、なにがどうなるというのを行動もせず発言すること批評すること、批評について賛同者に実行者を含めない場合または評論自体が感覚として自身が認識したことを羅列するだけでは「自分感覚自己紹介しているだけ」ということになります



自己紹介自体には自己という存在を相手に知らしめることとして十分な意味がありますが、匿名である状態での自己紹介にはなんら意味はありません。



②が文章の大半を占めるので、お伝えしたい内容のほとんどになります最後

日本世代現実経験理論などはご感想に述べられていることについてご自身と、お話をされていることとに一切関係がありません。

世界のなにがどうなっても、いつもどおりの仕事をしていつもどおりのお給料をもらって、いつもの買い物にいったらいつもと違っていてショック、ということになるかと思いますがご自身には変化が一切なく供給されるものについての変化にご自身が感想を抱くだけで、それはご自身単体の感想です。

世界が変わったのにみんな何にも思わないのかよ俺だけが世界の異変に気付いているのかよ」とかフィクション作品にまみれているという雰囲気がまた未成熟さを感じさせるのだと思いますが、大人になればそこまでピュアな心を維持できません。

他の方がとくに顔色を変えずに消費税が割り増しされた商品を買っていく様子をみて「社会おかしい」とかよりも自分家計会社残業時間鑑みることなどを一例にしたいと思います

自分残業時間生産された商品が流通市場の何割り増しになってコストをいくら下げて売上がどれほどあがってそこからの納税分で社会サービスがいくら向上して社会がよくなるとか、考えなくても日々の業務を懸命にすることで成果はでるはずなので考慮する必要意味もありません。

そのうえで労働と対価と社会性についてご自身の環境を疑問に思うことがあれば、発言の方向性はまたちがったものになるのではないかとおもうところから社会生活が充分ではないのではないか」という感想を受けることになるのではないでしょうか。

総理がバカで右翼経済が滞って日本人意識が低くて戦犯で商品のレベルが下がった、とそういう見識をお持ちだとお話をされてなにがどうなるのですか。

だれが、どうするのですか。

ご自身が満足する以外に、ご自身が満足するためだけに自分ストーリーを人に「そうだね」といわせしめんとしている以外が、なにか文中に存在していましたか

教育現場では「うんそうだね」とは言われなくても実際に今後行動する指針や論理の基盤としての知識をできるだけ記憶の引き出し上部にもってこようと繰り返し伝達したり、行政は「うんそうだね」という書き込みだけではなく実際に生産、消費、成長を促すことを紙切れに書いた文字や電子の塵にしないように印紙をはりつけて価値のある物質として約束物質化したり発言を物質化したりしていますが、末端で消費する個人は自身の時間や身体能力などを消費して自分自身を切り売りしなくてもよい備蓄を得て、それを交換に他人の生産物と交換していますが、ご自身は消費するだけで他人から金銭を必要とするような生産、再利用性や価値を文中のどこに含まれていたかを考えて、「無料匿名なのに再利用価値がある情報だ」という評価を一人の対話者から得ていることで「一人から義務教育以下の消費行動である」と認識されている可能性があります

世界に問題があふれているなら、解決してください

それをしている大人がわるい、というならだれが悪いのか、だれと話をしてどういう方向にすすめれば問題は解決するのか、個人名または団体に発言者ご自身が依頼できる数の案件を挙げてみてください。

たとえば、日本は最低でなんの価値もなくて失敗ばかり、なら日本以外の成功している国に移住してください。

移住できない理由について、移住を許可しない人間名前と、移住を許可するための条件を教えてください。

移住先が見つけられないのであれば、日本よりよい国の条件を挙げてみてください。

また日本をよくするのであれば、誰がどうするかという意見はもちろん重要ですが、その人たちを動かすための方法コスト回収方法を教えてください。

それらを解決しましょう。

移住したいがお金がない、とかあるかもしれませんがそれならお金を稼いでください。

どうやったらお金がかせげるか、それをご自身で考えるのは大人であれば必要だと思いますし、しろといわれたことをするのであればご自身の生活を24時間ソーシャルメディアで流せばいいのではないかと私は意見します。人にいわれたことに隷属しねぇ、とか言われるのでしたらご自身で考えてください。ご自身でお金の稼ぎ方が思いつかないのであれば、それがご自身の「国内での価値なのだと思います

「そういうのはわかんないんだけど、雰囲気として自由じゃないなーってゆうか、なんかもっとかいことしたいし。俺を満足させられない世間って、俺さえも満足させられるようにするってことが社会じゃない?」

とか、権利は主張して責任責任といっても「なにかしろ」という命令ではなく「自身に対する入金先の明示と、交換する有価物の項目を明示する」ことを責任と称しその責任放棄している状態を「中学生みたい」と言われているのではないでしょうか。

買えもしない車の乗り心地を評論したり、いやなら出て行ける店に居続けて文句をいったり、こうするともっとよくなるという意見について実行内容に一切加担する要素がない状態のことを「きみのその行動をもし実際に行うとしたら、君ではできないので他に代理として行う人がいるのか」という状態を保護者つきという状態と表しているのではないでしょうか。

大人さんの方でしたら「税金、おさめてるし」以外の社会参画とご自身で取り組める改革についてご意見を発してみてはどうでしょう

子供の方でも税金は納めてらっしゃいます。もちろん保護者の方のお財布から

保護者の管轄化にあることが「子供」と評価される基準で年齢や容姿ももちろん含みますが「親に生活を維持してもらっている状態」を何歳になっても「子供」だと評価されることもあると思います

子供である場合は「保護者生活がよくなりますように」といった意見の出し方が理想的という基準からも「子供」と揶揄するにあたって、評価者の見解から小学生やら中学生などといった表現をすることがあるかもしれません。

仕事お金もなくても、デモには参加するとかいう人も、いると思います

行動だけじゃない、言葉にも意味がある、というのであれば公証人役場にいって印紙を貼るべきです。

有料サービスWebメディアを使うことでも、それなりに価値はあるのではないかとも、思います

この「私個人」という匿名の相手に対して一言一句、ご自身の感想を述べるのはご勘弁いただければと思います匿名の私とあなたがなにをどう交流してもお互いにも閲覧される状態にも何も意味がありません。

私自身も、匿名アノニマスダイアリーという日記をつかって自分の文字を自分のために書いただけであって、お返事を全文引用されて書かれても拝見できませんしお返事も差し上げることができないと思います

もし返事をされても匿名ですので、返事を「送った相手からの反応」という事実としてお返しすることができません。

もちろん「私はこの文章があなたのものだと確証しているので、こう書いた」と「日記」に「自分の思い」を書かれるのはご自由です。

重ねて「そんなことはない、俺は大人だ。」という主張をする方法として挙げたいのは「ご自身の社会参画と憂思する案件に対するご自身の取り組みの紹介」を用いるで、指摘された「存在理由をビーコンのように発するのは出席簿に返事をする学生みたいなもの哲学的にハイと返事しようが理化学的にハイと返事しようが大人は子供の夢想をにっこりわらって処理するだけ」を回避できるのではないかと、私は思います

人に見せたりしない日記に、誰かや何かに対して、どうしたほうがいいとか、書いたりしたこと、ありますか。

匿名日記が「日記であることは、ご自身のためだけに記録する媒体であることを意味するにちょうどよいタイトルなのではないかと感じています

アノニマスダイアリー自体に閲覧数が多いからそこに便乗して自己を個人として紹介していっても、だれにも見せない日記に本当の俺はちがうんだといくら書いてもというそれに似ていませんか。

世界を変えるにはまず自分から、その自分のために自分以外の書き込みもある日記という存在はなんだか有効に活用できそうではないかと、私は感想を持っています

2013-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20130416162309

ジンケンくびきからいい加減21世紀人間は脱しないといけないだろ

いつまでも貧乏人に教育をとかやってるからいけないんだよ

そういう「夢」みたいなのを早くあきらめられるような社会にならないといけない いちいち生まれてくる全ての人間ジンケンとやらがバンドルされてなくてもいい

皮肉で言ってるわけじゃなくて  ナマポもらってるような人達見てるとああやって生ける屍のようにされて社会にも白眼視されて、とても幸せには見えないんだよね

2013-02-23

ぼくのかんがえたPS4分析 - SONY製造業としての業から解き放たれたPS4

http://anond.hatelabo.jp/20130223090512

に触発されて俺なりのPS4分析をしてみた。

ハードウエア製造業の夢より、ソフトウエアクリエイタの夢 - ハードからソフトへと言う現実

一言で言うと↑これがPS4だと思う。

三行でまとめると

PSのビジネスモデルを振り返ってみるのだが、この切り口から行くとPSはSONY半導体戦略、そしてSONY製造業と言う性質とと切っても切れない関係がある。

利用上の注意

なおすべて妄想となっておりますので、これを真に受けて被った損害などについては一切責任を取れません。皆様におかれましてはその旨ご了解のうえご覧いただけますよう、よろしくお願いいたします。ご協力頂けない場合につきましては、いい歳こいたアラフォーの髭ヅラ男が涙目になると言う非常にウザイ状況が発生することとなり、誰も得をしません。ご理解とご協力をお願いいたします。

PSの歴史SONY戦略について

初代PSとそれがもたらしたもの

SONYゲーム機を一緒につくろうと言って任天堂に近づいたものの交渉が決裂してできあがったのがPSであったわけだがこれが大ヒット。

さらにPSでは、内部で使われている半導体を自社設計・自社かそれに近いFabで作る事によって

など副次的な効果もあり、さらに「SONYの旗艦」といったイメージを作り上げることができた。この他に、CD-ROMを手がける部門や、SONYのCDプレス工場部門等々、PS景気により、直接的なPSによって生み出される効果以外に、PSという揺るぎない需要存在する事で、設備投資などに積極的になれたといった効果がうまれた。

PS2では完璧芸術品であったDreamcastを殺すほど大成功

初代は始めどこまで意図されいたかは不明だが2台目ではそれらの経験が生かされる事となりより強化された。まず一番は半導体工場で有り、旺盛なその需要と、それによって得られた利益投資に回し新プロセスを開発、シュリンクすることによって最終的な黒字を目指すことで赤字で販売をスタートすることとなる。

ゲームハード赤字でも、ソフトが売れれば黒字。こんなの当たり前だろ、と言う話であるが、総合情報機器メーカであるSONYでは少し事情が異なる。これは、ソフトウエアライセンス事業による利益によって、間接的に半導体生産設備投資を補填すると言う形を意味する。もちろんそれ以外にもSONYの製造部門にもPS2赤字でも販売すると言う行為によってもたらされる間接的な利益が流れた。

ご存じの通り、PSは我が愛する芸術品たる至高のゲーム機Dreamcastを完膚なきまで叩きのめし世界最高の企業セガプラットフォームから引きずり卸しパチンコ屋に買われる所まで追い込む等大成功をとげた。そしてゲーム機生産により、SONY製造業部門を引っ張っていくという当初の見込みは大成功した。

それをさらに強化したのがPS3、そしてCellであった。

PS3Cell BE が見た夢

PS3時代になると、パソコンの旺盛な需要の元、急速に進化した集積回路は、プロセッサの新規開発コストさら半導体プロセス開発に必要な資金が膨大に膨らむという現実に、様々な企業が立ち向かうよう時代が来ていた。世界の巨人たるIntelと、それ以外という構図が生まれ、世界中でFabの統廃合が進んでいた。

その中で目をつけられたのがゲーム機という存在であるパソコンに対抗できるほどの膨大な需要を生むゲーム機は、薄利という性質を持ちながらも数が出るため、生産設備を拡大しやすプロセス開発の資金を捻出する事に有利であった。さらSONYは、ゲームハードウエアが、当時のパソコンなどに比べて圧倒的に高い性能を持っていなければ存在価値が無い、と言う観念を持っていた。これはかつて任天堂がもっていた思想であった。

さらIBMなどの思惑とも一致、開発がされたのがCell B.E.であり、この存在PS3を生んだ。そう、ここまで来てSONYは、半導体のためにゲーム機デザインしたのである

もちろんこの説にはいろいろな異論はある。しかし俺は順序としては、ソニーグループ全体の長期的な戦略にPSが生む半導体工場の増設という戦略が大規模に組み込まれていたのは間違いないのでは無いかとみている。そこで完成したマシンは、化け物であった。現在まで続く潮流であるGPGPU的な動作もこなCell B.Eがもたらす高性能と、高い拡張性を備え、既にゲーム機では無いとまで言わしめるものができた。この性能は当時の最新鋭コンピュータを大幅に上回るものであった。

しかし……。GPGPU概念は早すぎた。性能を引き出すことが、当人であるSONYでも難しかったのである。そしてこれはミドルウエアや開発ツールの乏しさにも繋がる。そのためスタートアップに失敗した。この失敗は、PSがゲーム機として優れていなかった、あるいは、他者装置に負けた、と言う意味で失敗では無い。製造業としてのSONYが、自社の思惑通りに事を運べなかったと言う事での失敗である

ハードウエアの夢、ソフトウエアの夢

結果SONYは、PS3需要を当て込んだ生産設備リストラ・売却するなどの対処をを迫られる。さら韓国勢などの追い上げ、AV市場の急速な変化、SONY本体の体力の低下、パソコン高速化などにも影響を受けることになる。

PS3のものは、OSの改良、ミドルウエアや開発ツールの向上などにゆっくりではあるが立ち上がってきたが、製造業としてのSONYPS3に期待した効果は得られず、ハードウエア屋、製造業がみた夢はここに破れた。

さら時代は動き、集積回路は、Intelプロセスで1世代以上先を行き、それ以外はすべて後から追うという構図が完全に定着してしまった。SONYも、SONY半導体と言えば、集積回路ではなく画像素子、と言う時代が来て久しい。世界中半導体製造業者の統廃合は進み、国内半導体産業は衰退した。新プロセス開発の難易度や、集積回路の大規模化から来る開発コストの上昇はいかんともしがたくなっていた。

ゲーム必要とするスペックはもはや飽和している。少しでもリアルに、少しでも高性能にと言う方面はすでにマニアのものだけになってしまい、それら需要だけで、そのとき販売されているパソコンを上回る高性能チップを開発、載せるコストを満たすことはできなくなっていた。具体的に言えば、ウルトラハイスペックの、GeForece GTX SLIクラスにも勝ちうるGPUを、専用設計オーバーヘッドを極力少なくすることができるとはいえ新規設計することが難しくなっていたのであるさらにはゲーム機業界ではスペック競争を離れた任天堂Wii、あるいはDSを生み出し、ケータイ、そしてスマフォとと言う存在カジュアルゲーム市場をかっさらうようになった。特に日本では据え置きゲーム機リビングルームに置かれ、パーソナルな空間に置いてゲーム機携帯ゲーム機になったのである

そして決定的だったのが、ゲームエンジンの躍進と越境であろう。従来はゲームエンジン製作環境ゲーム会社門外不出のものであった。しかしそれらが会社を通じて流通し始め、さらには専門業者も現れるようになったのである

家庭用ゲーム機と言えば、ゲーム機の性能を引き出すためにソフトごとにアセンブラ最適化チューニングを施す。それを行っても常に動作が一定になることがメリットとして、パソコンに比べてゲームは常に一定の動作をすることが担保できるためにゲーム製作に専念することができた。しかし、パソコンは十分に高性能になった。家庭用ゲーム機も十分に高性能になった。その結果、チューニングを行わなくてもそこそこの画面が作れるようになってきたのである。そこで余った能力ゲームエンジンオーバーヘッドを許容するようになり、ゲームエンジンの躍進に繋がった。さらゲームエンジンプラットフォーム間の差異すら吸収し始めた。あるゲームエンジン採用すれば、あまり手間をかけること無く、パソコン版、PS版、XBOX版、Wii版と複数プラットフォームで出せるようになったのである。これは、ゲームエンジンが新たなるゲーミングプラットフォームとして君臨する可能性を示唆していた。

しかし、チューニングなどといった、ユーザとは直接関係の無い部分に手間をかける必要が無く、作ったゲームがどこでも動く。これはクリエイタとしては非常にありがたい事なのでは無いか

ビジネス書に出てくる例えがある。ユーザねじ回しが欲しいのでは無い。ねじを回したいのである。同じように、客はゲームがしたい、もっといえば楽しいことがしたいのであって、別にゲーム機が欲しいわけでは無いのであるクリエイタはゲームを作りたいのであって、ゲームハードウエアを使いたいわけでは無いのである。ここに合致したのがクロスプラットフォームゲームエンジンであり、そしてこれらはクリエイタに作りやす環境提供し始めた。さらゲームエンジンは新たに現れたライバルであるタブレット/スマートフォンにも対応している。

しかゲームエンジンの躍進は、プラットフォームビジネス崩壊意味したし、PS3は性能を引き出すには高いレベルの専門的チューニング必要であった。しかゲームエンジンはそこにコストを払う事を選択せず、PS3は高い性能を持ちながらも、それ以外のあまり高性能ではないプラットフォームとほぼ同等、せいぜい高解像度テクスチャーに入れ替えられた程度のゲームしか提供されない、と言った事が発生するようになっていた。

ソフトウエアの夢が花開くのがPS4,PSVita

そしてPS4が出た。

PS4は有り体に言って、x86-64アーキテクチャコンピュータに、OpenGL/CL対応GPUを搭載した、本質的にはそこらのパソコンと変わらない構成である

さらに言えば、最新のCorei7+GeForce GTX…と行かなくとも、そこらのパソコンに較べ、性能は高くない。しかし、根本的にゲーム専用機が持つ、汎用パソコンには無い特徴

を備えている。さらには、GPUを扱いにくくする要因の一つとして上げられる、GPUCPUメモリ転送をほぼ考えなくて良いと言う仕様を打ち出してきた。これはCellCPUプログラミングが分断され、非常に開発を困難にしていたPS3反省ダイレクトに生かしてきたと考えられる。これはAMDが出していたコンセプトだ、と話題に上がるが、あくまでもパソコンの話であって、ゲーム機の分野では少なくとも、PS2プログラミングが困難な部分を、高速なバスで繋ぐことで隠蔽するよな仕様であったように記憶している。

さらx86-64アーキテクチャにしたことで、ゲームエンジンがPC向けエンジンの次に、素早くPSにも対応できる素地を整えた。Power向けに施す必要のあるチューニング不要にしたのである。従来はパソコンで開発されたクロスプラットフォームゲームは、パソコン向けと、家庭用ゲーム機向けの2種類作られた。そして家庭用ゲーム機向けは往々にして、ターゲットとなるハードウエアの中で一番性能の低いところに合わせたデータで作られた。平たく言えばPS3の方がXBOX360よりもはるか映像表現は優れているのに(※ただし使いこなせれば) XBOX360との差異はテクスチャムービー解像度程度の違いだけになってしまう事を意味していた。しかx86-64にしたことで、家庭用ゲーム機向けに統一してダウングレードされたデータからPS版を生成させるのではなく、パソコン向けのデータから生成させた方が早いと言う状況を作り出し、他の家庭用ゲーム機にくらべてアドバンテージを得ようとしているのでは無いだろうか。これはPS VitaARM採用したことも同じ事である

さらに、SONYは、PSVitaから進めてきた戦略として、自社による強力にプラットフォーム感の差異を吸収するミドルウエア群…これはゲームエンジンと読んでも良いのかも知れないが…を提供してくるだろう。x86ならば従来の資産を生かすこともできるし、世の中に出ているコンピュータ向けのライブラリも利用できる。急速に開発しやす環境を立ち上げているのではないだろうか。これはゲームエンジンにより脅かされる、プラットフォームビジネスへの対抗措置でもあるだろう。

これにより「雑事に捕らわれること無く、ゲームの楽しさ・表現のものに専念する」と言うクリエイタの夢を叶えるハードウエア、それがPS4であろうと思う。

平たく行ってしまうと、自社の半導体商売が死んだことにより、その死絡みから解き放たれたPSは、クリエイタ主導でゲームを作ると言う根本に立ち返って作ったのがPS4だ、と言う話である

しかしこれだとハードウエア製造業の夢はどうなってしまうのだろうか?そしてユーザ別にクリエイタの夢などはどうでもいい。下手をすると高性能なハードウエアを所有していると言う欲を満たせなくなる分だけこちらの方がまずいかも知れない。それをどうカバーするのか?と言う話になる。

「夢」PS4

ハードウエア/製造業の夢はどうなるのか

SONYは、次世代戦略として明らかにソフトウエア重視に舵を切っている。SONYは今、収支から見ると製造業では無く金融業であるが、その次に利益を生み出しているのは音楽映像ソフト部門とゲーム部門である

まずはここを潰してしまっては会社として立ち行かなくなる。それはまずい。ではどうするかというと、従来の「製造業としてのSONYを強くするために、PSの需要を利用する」のではなく「コンテンツ・製造複合体としてのSONYの核にPSを据え、関連商品を生み出す形で恩恵を得る」と言う形に舵を切ってくることになる。PS3でも一部行われているが、たとえばPSのリモートプレイを可能にするパソコンタブレット、PSを再生装置としてコンテンツ供給できるメディアサーバといった具合である

しかしこれらに対応させるために大切なPS本体の魅力を失わせては困ると言う事は強く意識されなければならないし、意識されていくだろうと思う。

ユーザの夢はどうなるのか

ユーザの夢は、将来的には作りやすゲームプラットフォームが生み出す新しいコンテンツという形で満たされることになるだろうが、直近では、ソーシャルへの展開という形で示されていると思う。将来的にはいかにコンテンツを集められるかと言う事にかかっている。が、ぶっちゃけていうとユーザから見たら、これほど夢の無い話は無いと言わざるをえない。

今回発表されたタイトルデモなどは実際にはチャンピオンで有り、実際にプレイして得られるのはPS3とそれほど感覚的に、革新的に良くなったと感じる部分は薄いと思う。この点で、PS4は、PS3と実働コンテンツはそれほど変わらないと思っている。マイナーバージョンアップ程度。パソコンWindows XPで評価が固まったようなものである。これはおそらく次に発表される新型Xboxでも同じだ。任天堂は少し別格の応えを出したが苦戦している。

結論 またしてもセガは早すぎた

かつてセガが出した芸術品とも言える至高のゲーム機DreamcastOSWindows CEを搭載した。プロセッサこそ独自であったがそれは当時のWIndows CEではあたりまえであり、むしろそこにWindowsと言う汎用のソフトウエアを利用したことで非常にゲームが開発しやすく、PCゲーム移植やす環境を作り上げた。それらはアーケードのnaomiプラットフォームや、ワンチップで埋め込まれたパチンコなどで今でも生き続ける。

任天堂WiiUコントローラに画面をつけDreamcastに追いついたように、SONYは、PS4で作りやすゲーム機という点で追いついたと言える。

またしてもセガは早すぎた。時代セガに追いついていなかったのであるDreamcastはその名の通り「夢を投げる」存在であったのだ。

PlayStation4は夢が無い」という幻想をぶち壊す

最初に言っておくと、増田SCEが嫌いな方でPS3Vitaも持っていない。

PSPスパロボの新作が出るまで持っていなかったほどだ。

そんな増田だが、PlayStation4発表でのハードウェアに対する誤解の数々を見てちょっとばかり怒りを覚えたので少し書いておく

x86」ではなく「AMD64

いきなり「何が違うんだ?」と思う人や「何も違わないだろ?」と言う人も居るかも知れない。

だが後半を語る上でもこれは重要な話なので省略しないでおく。

最近PCは当たり前のように64bitのメモリ空間を扱えるようになった。

この増田を読んでる人でも64bit OSを使っている人は少なくないはずだ。

これをもたらしたのは、x86 CPUを作ったIntelではなくx86互換CPUを作っていたAMDである

じゃあIntelは何をしていたのかと言うと、64bit CPUを作っていた。x86を完全に捨てて。

Intelは「IA-64」という64bit CPUを開発して商品も出していたが、これは現在ではほぼ完全に消えている。

何故かと言うと、x86が動かなかったからだ。

確かにIA-64は64bitをネイティブで扱えて「x86の古臭い負債」が全く無かった。しかし、現実世界x86で作られた既存ソフトウェアを求めたのだ。ゲーム業界でも似たような話を聞いた気もする。

それに対して、AMDは「64bitを扱えるx86」を作ってしまった。これが「AMD64」であり、現在業界標準としてx86-64と呼ばれているものである

知っての通り、x86-64現在Intel CPUでも対応している。AMDが作った命令を使わされる事になったIntelは何を思っただろうか。逆に、これまでIntelの命令を使ってきたAMDは何を思っていたのだろう。

Cellが目指した「理想的」なヘテロジニアスコンピューティングGPUが実現した「現実的」なヘテロジニアスコンピューティング

PS3に搭載されていたCellは、非x86スカラプロセッサPowerPC CPU(PPE)と、複数のベクトルプロセッサSPEを組み合わせたヘテロジニアス(非対称)プロセッサだった。(スカラベクトルについてはググろう)

スカラプロセッサが得意な処理、ベクトルプロセッサが得意な処理を両方とも高速に実行できる。それがCellの目指した「夢」だった。

しかし、知っての通りCellが目指した夢は破れた。

スカラプロセッサベクトルプロセッサプログラム最適化は全く別の概念で、プログラマーにとっては野球サッカーを同時にやらされるような物である

しかも、スカラプロセッサベクトルプロセッサの間でデータの交換もある。野球サッカーキャッチボールて。

スーパーコンピュータ「京」スカラベクトルの合わせ業で池田某氏に何度も叩かれるほどの超絶難産だった事は記憶に新し…いっけ?

それが原因でPS3の性能を最大限に引き出したソフトほとんど存在せず、こともあろうにXbox360とのマルチソフトが溢れる結果となった。(ちなみに増田360も持ってないのでエルシャダイプレイ出来ていない、問題だ)

それに対し、PC世界ではPS3360が発売してしばらく後に新たなヘテロジニアスコンピューティングが生まれていた。

CPUに比べて進化が止まらないGPUベクトルプロセッサの代わりとして使う試みだ。

GPUスパコン用のベクトルプロセッサCellSPEと違い、最近のどのPCにも搭載されているので量産効果で割安というメリットがある。

DirectXバージョンも2桁に突入機能が増えるにつれて、「もうこれで計算すれば良いんじゃね?」となったわけだ。

結論から言うとこの試みは無茶苦茶ヒットした。近年開発されたTOP500スパコンGPUが使われていないものを探すのが難しくなってきたし、

最近Photoshopなんかの比較的身近なツールもGPUコンピューティング対応してきてヌルヌル動くようになっている。

しかし、そんなGPUにも欠点はある。「CPUメモリから絶望的に遠い」のだ。

IBM発明MS-DOSWindowsが動くことで爆発的に普及した今のPCは、GPUを外付けにすること前提で設計されていた。

DirectXOpenGLのような例外を除いて、基本的に現代OSCPUとメインメモリソフトを動かすように出来ている。

GPUも、一旦メインメモリ上でGPURAMに載せるためのデータを生成し、CPUからGPU動かすよー」という命令を出さなければ動かせないのだ。

これはGPUにとって致命的すぎる欠点だった。これが原因で、遅さを跳ね返せる最新のミドルレンジハイエンドGPUでなければ逆にCPUより遅くなってしまうケースばかりだ。

現実的な理由で始まったGPUコンピューティングがぶち当たった現実的な壁である

CPUGPUAPU(加速するプロセッサ)の夢

このGPU欠点を克服する方法について、AMDはかなり前(少なくともGPUコンピューティング流行るより前の2007年以前)から取り組んでいた。

GPUコンピューティングが遅いのはCPUから物理的に遠いため命令を送る時間が掛かり、メモリの扱いも異なるせいである。

なら同じ場所に載せてしまえば良いのだ。

CPUからGPUに命令を送る遅延を無くし、CPUメモリGPUメモリを交換する時間も減らせばGPUコンピューティングデメリットは消え失せる。

夢のある話だ。

しかし、AMDには発想と設計技術はあったがカネと製造技術Intelと比べて絶望的に劣っていたため、

初めてのCPUGPU統合したプロセッサIntelに先を越されてしまった。(IntelGPU絶望的に遅いからって実質出てないなんて言っちゃダメだ)

これにはAMDもかなり堪えただろう。けれどもAMD戦略を曲げなかった。

IntelGPU絶望的に遅いのでほとんど意味は無かったが、少なくとも前世代のIntel GPUに比べると格段に実効性能が上がっていたのだ。CPUGPUを近付ける統合には間違いなく意味があったということである

AMDCPUGPUを同じチップにするだけでは無く、メモリアドレス空間」も一緒にする道を目指した。

こうなるとCPUの使っているメモリGPUから直接扱え、GPUの使っているメモリCPUから直接扱えるようになる。

これが実現するとCPUGPUが完全なヘテロジニアスコンピュータに一歩近付くのだ。

しかし、そんな夢のあるCPU+GPUの開発は当然難航した。

半導体工場部門を分社化して売り払ってもまだ開発は遅れた。

2011年にやっとAMD初めてのCPUGPUであるAPUを出せたが、メモリアドレス空間はまだ別々だった。

2012年になってもメモリ空間は別々のままだったが、AMDARMiPhoneAndroidWindows Phoneに載っているARMである)と合同でHSA(ヘテロジニアスシステムアーキテクチャ)を推進すると発表した。

世の中の現実的な人々は笑った。「アーキテクチャだけを作ってもハードソフトが出てこないんじゃ話になりませんよ」と。

同じ2012年AMD2013年中にHSAの第1世代製品を出すとだけ発表し2012年は終わった。

ぼくのかんがえたヘテロジニアスコンピューティングマシン

そして2013年2月21日米国時間20日)、Sony Computer EntertainmentPlayStation 4を発表した。

Cellコケしまったので載らない事は誰もが知っていたが、載っているハードウェア一部の人が驚いた。

―HSAであるPC用のHSA対応APUがまだ正式発表されていない中で、なんとHSAを載せてきた。(2013年末発売だから当たり前だというツッコミは止めろ!)

CPUx86-64Jaguar 8コア(ちなみにPC向けJaguarは4コアまでだ)、GPURadeon HD 7800相当でPS3と違いガチで1.8TFLOPS(理論上1秒間に計1.8兆個の小数点を含む計算を実行可能)のスペックを持つ代物だ。

このCPUGPUは8GBのGDDR5メモリを共有して動作する。8GBと聞くと最近PCから考えると少なく聞こえるかも知れないが、(わたしのメモリは16GBです)

GDDR5とはGPUの描画計算を速く済ませるために作られた超高速メモリであり、ご家庭のDDR3メモリとは比べ物にならない速さが出せる。

実際の所PS4がHSA対応かは正式発表されていないのだが、PC向けJaguarはHSA対応と発表されており、SCEPS4APUCPUGPU)と呼んでいてこの変態メモリ構成とすると、発売までにクッタリスペックダウンしない限りHSA確定と見て良いはずだ。

また、PlayStationはこれまで一度もx86CPU採用した事が無く、これが最初(で最g)のx86採用機となる。

Intelが初代XboxCeleron搭載)であっさり諦めたx86ゲーム機市場制圧の夢を、AMDが思いもよらぬ形で果たしたのだ。

これまでPCしか発売されてこなかったDiabloが、x86-64PS4向けに初めてコンシューマ版を発表した事もx86-64採用が決してつまらない事ではなかった証だろう。(Diabloと戦うハメになるサードの方々にとっては非常につまらないが)

CPUGPUの”フュージョン”…(HSAは以前はFusionと呼ばれていた。そういえばドラゴンボール映画も今年やな…)

AMDが長年の間見てきた夢が、PS4で初めて現実世界に現れることになる。(※ただし次世代XboxもHSA採用PS4より先に発売したりしない世界線に限る)

こんな馬鹿らしいほど夢が詰まったマシンを「x86搭載だからPCみたいで夢が無い」という一言で切り捨ててしまう人に増田絶望した。

なおこの増田Core i7GeForceで書かれた模様


追記

予想以上に反響が大きくてビビったので

でも、それってユーザーの夢にどう繋がるの?

という趣旨感想についてだけ補足。

性能の引き出し易さがPS3と比べて格段に良くなるのでPS3ラストレムナント人喰いの大鷲トリコのような非情現実が減る。以上。

2013-02-07

備忘的ブーメラン

いま振り返ると、将来何になれるかってのは、だいたい小、中学時代に決まる気がする。特にその道で幸せになるためには。幸せにその道で生きるためには技術とか訓練以前に興味がわかないとならない。興味ってのは心の形なので幼少期の影響を受けやすい。

きっかけってのはなにも、出会った先の職業で将来暮らすということではなく、そこから影響を受けるということ。憧れた形が100%実現するということは通常、ほとんどない。でも関連した職に就いたりすることは決して不可能じゃない。現実の着地点は無数にある。たとえば、マンガが好きで描いてみたっていう人がマンガ家になるとはかぎらないけれど、同人誌を引き受ける街の印刷屋になるとかあるだろうし。

中学生とか高校生になると、それ以前に比べて急速に生物としてスペックが上がって、行動範囲が広がる。自転車であちこち行けたり友だちと電車で出かけたりな。接触できる情報もケタがふたつくらいあがる。いろんなことにチャレンジできるようになる。それは事実。でもだからってそれは無限じゃないし既得の権利だと思って良いモノでもないんだよ、と四十前になって理解した。

いろんな情報に触れていろんなことに挑戦できて、いろんなナニカになれる可能性がある、ってのは嘘じゃない。でもその一方で自分の心が、どういう生活に向いているのか? ってのに重要な影響を与えてくれる出会いなんてそうあるものじゃない。

考えると、中学生時代、将来へ繋がる「きっかけ」「出会い」みたいなものは、2,3個がせいぜいだったよな、といま思う。

人生はじめの一歩は、2、3択だ。あんまし悩まず、贅沢にならず、寄り道をしないほうがいいんだぜ、と当時の俺にいいたい。

ほとんどの父親がサラリーマンである現在はまったく通用しないが、戦前までの暮らしにおいて、家業を継ぐというのは合理的だなあと思った。つまりは幼少期や思春期に「出会い」を感じる周辺の環境や人々が「その職業ジャンル」で構成されてるんだから子供心にぴんと来る部分がフックになる可能性は高い。いまよりも情報流通が弱くて他ジャンルきっかけが薄ければ薄いほどそうなるだろう。

結果からいうと、俺はおおよそそのきっかから辿り着ける範囲内の着地点にたどり着いた。それはそこそこ幸福だ。

しかし後知恵で振り返るとずいぶん寄り道もしてて時間をロスしてる。

ひとえに「俺はもっと別の華やかで向いているナニカがあるのではないか?」というスケベ心にふりまわされたせいだ。

それは良くない判断だった。一次的にその華やかなナニカに関われたこともあるけれど、それは俺の幼少期の心の形からして、向いているモノではなく、疲労した。つまり「俺はもっと別の華やかで向いているナニカがあるのではないか?」というのは外的な価値観の挿入で生まれた虚栄的なもので、「こんなふうに日々を暮らしたいなあ」とか「こういうの好きだなあ」という俺の性向とは別のところから出てきた気持ちだった。心身ともに疲労したし、一次的な利潤は生んだけれど持続可能ではなく最終的には周囲に迷惑をかけたし、なによりも精神的に苦痛だった。

「なった先の何か」で大成できるかどうかは訓練時間と正比例するってのも一方の事実だ。才能以前の話として。浮気をすればするほど訓練時間は減ってゆく。四十前になって訓練と場数に重要性が身に染みる。

数個の出会い未来に、十分に豊富選択肢はある。目を開けばいくらでもある。

から若い時分、目の前に選択肢デパートのように広げる必要なんてなかったんだ。特に俺は。選択肢を広げて「夢」という悦に入ってただけ。ウィンドショッピングだったんだそれは。

着心地の良い服なんて多くないし、多くなくていい。そもそも着心地が判るためには一着あたり数千~数万時間の着こなし期間が必要で、その視点だと、人生の中で本当に試着できる服なんて、3~5着しかないんだ。

――と中学生の俺にいたいが、無理なんだろうな。

俺が子どもの頃、俺に親しい大人が俺を見てもごもご何かいいたそうにしてるのはそういうことだったんだろう。

俺が俺の親戚の子どもなんかに、なんか言いたい気分になるけど結局いわないで諦めるのと同様に、言って伝わることじゃないんだろうな。

ゆえに自分向け日記として投げ捨てる。

2013-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20130120210136

時々、夢は諦めて趣味しました、という人がいるけど、

趣味として続けるにしても一定能力が要求されると最近感じる。

趣味人間関係というのも濃いものがあるし、刺激には困らないだろう。

時に負担に感じて逃げ出したくなるほど。


実現できる・できないはさておき、「夢」が持て囃されがちだし、20歳前後は夢があった方が実際楽しいと思う。

でも世間の流れや自分の周囲の変化が激しすぎて付いて行けず、熱意が先に底をついたのが俺のパターン

2012-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20121227191916

「夢」レベルによると思うが。

俺の場合

金→子供が4人もいて金かかりすぎ&親の会社が潰れて借金まみれ

運→親は普通に頭悪い、家に漫画雑誌以外の本が皆無、兄弟知的障害など全員頭悪い

能力もまあ全然大したことないし子供の頃の環境が悪かったので伸びが無くてひどい目に会った。

2012-06-20

ブラック企業はどうすれば無くなるのか

まず簡単な問題から

残業のものを無くすか、サービス残業のものを無くすか。多分これだけで世の中のブラック企業と呼ばれてる会社の6,7割はブラックと呼ばれなくなるのでは?現に欧米企業はこの方式に加えてシエスタという昼寝時間(昼食時間の他に)を導入してるとか。これだけで長時間労働にも耐えられるし。某大手外食会社では「夢」や「社員第一」について必要以上に語っており、その分人件費がかなり削減されてたりするが、それを精神論で片づけられるべきなのかどうか。夢というのは時間を浪費することなのでしょうか。

次に給与水準業界全体で引き上げることを義務付けることか。最近下市政などで引き合いに出されてる公務員給与の大幅引き下げですが、公務員給与をいくら引き下げたからと言ってわれわれ民間企業で働く就労者には全く還元されないし、現状(労働環境)が改善向上されることなんてない。民間企業のいわゆる中間搾取ピンハネの温床にある限り現行の給与水準が引き上げられることはなくて、橋下市政などはこうした点に目を瞑ってる。と橋下批判はこの辺にして、要はわれわれ民間就労者が労働時間に見合った給与を現状の倍以上に引き上げられるべきでしょう。ただ、そうすると人件費コストカットして手に入れた企業純利益、売上げを大幅に落とし込むデメリットはあるでしょうが都道府県ごとに定められている最低賃金を下回るような会社はあってはならないと思います。酷いところではバイト派遣契約では1000円だった時給が正社員になるとその半分くらいに落とされることがあるそうです。

ハローワーク調べでは2011年度の大学(院)新卒の平均月収は21万5600円です。これを見れば明らかですが、これより下の給与場合残念ながらその企業ブラック企業の可能性があります。ただ前年度以前の情報は把握してないのでそれ以前はもっと少なかったかもしれません。

次に年間休日数ですが、週休二日という“目標”を打ち立ててる企業さんが最近増えてる傾向にあります。あくまで“目標”であって(土日祝日休みになるということではないし、普通に平日休みだったりするのですが、それでも休みがあるだけマシ)実際には休日返上労働でそれはサービス残業の扱いとなっている場合であり、当然それが休日扱いとなることが大半です。ところで、週休二日だと年間休日数は何日になるでしょうか。よくどこかのサイト2ちゃんねるなどでその話題が取り上げられたりしてますが大体105日以上をいいます。それ以下だと例えば「祝日のある週の土曜日は出勤」という変則的な週休二日制を取ってる場合です。この場合休日数としては、およそ90日前後です。いわゆる完全週休二日は105日以上ですが、祝日、夏季休暇や冬季休暇を含めた場合は125日となります。建前としては125日としてる会社も良く見かけると思いますが、実際は105日未満であることが多いです。前述の休日返上残業などもあって休日数が圧倒的に少なくなるからです。また、有給休暇を取得することが基本的に無理なのもブラック企業特有の措置だと言えます

私的には、125日くらいは年間休日数として欲しいところですが、105日程度で充分です。

あと、福利厚生です。福利厚生は、「雇用労災健康・厚生」の四点セットがあって初めて企業といいます退職金制度があってやっと普通企業です。ブラック企業はそもそもその概念存在しません。また優良企業とされる企業の多くは財形貯蓄や厚生年金基金育児介護看護の取得が可能です。ということで、ブラック企業と呼ばれなくなるためには福利厚生が充実していることが最低条件だといえるでしょう。

業種や職種によってブラックとされる企業も多いです。一概にはいえませんが、雇用形態正社員でありながら「派遣請負」を行っている企業は基本的にブラックです。派遣請負とは簡単にいうと、自社社員が客先の企業仕事をすることです。まあ派遣社員と変わりません(笑)。これはIT業界の零細中堅によく見られます。ちなみにイーキャリア転職会議、みんなの就活日記などの就活サイト情報が載ってます。よく公務員は安定してるという話を聞きますが、そんなことはありません。特に教職(クラブ顧問など)や町村の役場はサービス残業が当たり前の激務で毎年数百人近くが首を吊ってます。楽な業種職種とされてる公務員ですらこうなのですから、他の民間企業は極悪でしょう。体育会系トップダウン(社長ワンマン)経営普通で、某光関係の商社(笑)の営業では毎朝社員ノルマを大声で発表させられるとか。飲食業界はもっと悲惨でしょう。某居酒屋では新卒二カ月で100時間以上のサービス残業を強いられて自殺するといった悲劇に見舞われたりしています。ちなみにそういった業種職種は「学歴不問・資格不問」「未経験者歓迎」「試用期間6カ月」などのブラック企業wikiに載ってるような内容が求人情報に記載されています。中には内容を偽装してる場合もあります。内容偽装については、ハローワークさんによるとそういう指導をするのだそうです。そうしないと人が集まらないためです。そこまでして入社してくれた社員ゴミクズのようにこき扱って死ぬまで激務労働させるブラック企業経営者さんはもはや人間じゃないですね。

どこでも楽な業界はありませんが、それでも社員第一に考えてるのなら、もう少し労働条件を緩和してやるといった思いやりは必要だと思います

2012-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20120326185940

団塊世代みたいに自分目標を作ったり

人生のものを創ることが下手。

いやw

団塊とかその辺の世代こそ、思考停止して言われた通りに社会奴隷となって「家族・車・マイホーム」とかいうクソテンプレ「夢」をあたかも「自分の頭で考えた夢」と思い込んで粛々と実行するだけの世代だっただろ。

2012-02-06

「首が飛ぶつうのに髭の心配してどうするだ」って

原発のことだよな、みんな死ぬかもしれないのに安定電源も経済くそもあるか

「夢」といい、黒澤明はすごいな

http://www.nicovideo.jp/watch/sm13980434

2012-02-02

現在若者は最も恵まれているという論調から見る深刻な世代の溝

 某サイトに掲載されたコラムが発端となり、ブログSNSに飛び火し、基本的に若者は恵まれているというスタンスで進んでいる論調。

現在社会インフラが高度で合理化され、過去自分たちが費やした苦労や時間とは比較にならない容易さで、クリック一回で実行できる社会

そこで高い代償を支払わずに、ゆるい連携を持って生活する若者は恵まれている、しかし熱が感じられないので、過去経験から「夢」と「積極性」を持つことをアドバイスする。

私がこれらの論調に生理的嫌悪感を感じてならないのは

過去の苦労(問題)は現在未来の苦労(問題)より大きい

という点、過去は苦労したが未来は明るいという楽観的な先入観はもう通用しない時期に来ているのに、発展した未来インフラや生活様式に気を取られ新たに発生した問題が見えていない。

見えていないというより「更に発展した未来で解決可能」又は「過去の苦労に比べればやさしい問題」と考えているのでしょうか。

社会基盤が発展すれば、価値観生活水準が変わりますと言えば、誰もが同意するでしょうが、負の発展(規模の縮小)は誰も経験していないのです。

例えば90年代まで若者アイテムとして誰もが持っていた車、車離れが叫ばれて久しいですが、都市に住んでいる若者における車の必要性が低下し、代わりに携帯電話PCを持つようになっただけです。

しかし車の購入・維持に比べれば遙かに購入が容易な端末なのに、PCを持っていない人が大勢いる。00年代初頭における我が国のITインフラ整備率は世界一位ですが、現在は目も当てられない状況です。

 PC購入するだけの収入がない若者携帯で何をしたか現在ではスマートフォンでかなり情報収集が便利になりましたが、ガラケーと呼ばれる国産端末におけるネット探索能力は前者と比べると劣悪で、利用者は検索エンジンで何かを調べるというより、遙かに狭い範囲でしか活動できなかった。新聞も購入していない、TVも見ない、社員として収入が確保できる30代以上は例え不慣れでもPC位なら即金で購入する事が出来るので、ある程度のリテラシーを培う事が出来ますが、その機会さえも与えられていない。結果情報を持つ人と持たない人の間の格差が広がる。所得が低くなっても相対的な幸福度は昔より高いという人は、かつての新聞とTVから情報を得ていた経験から言うのでしょうがインターネットで必要な情報を素早く調べて理解するというのが基本となった世の中で、流動的な情報ニュースより固定化されている公的・私的な各制度アクセスにおいて絶望的な差が生まれている。利益が1与えられるか99与えられるかの差でなく、0か100かの差で生きなくてはいけない。この問題に最初に晒されたのが現在の20代後半。

 今の大学生PCを所持することを半ば義務化されていますが、業務で使用できるレベルOfficeを使えると認定される資格を持っている人は、2割居ないでしょう。ですが、職安に出されている求人ほとんどはOfficeを最低限使える人間を求めている、でも資格を取れるレベルで教えてくれる高校や大学ほとんどない。高卒は自力で学ばないとスタートラインにさえ立てない。しか採用基準は厳しくなったのに、現在働いている社員になんら教育を施さない、Excelで文章作成する事の何が悪いかのかさえ分からない。

 収入は、小泉改革以降合理化され、事務職は派遣で構成され収入は捨扶持レベルの15万円程度、それでも仕事があればマシと言えるかもしれませんが、今後は労務環境の国際化によって事務職そのもの国外外注されるのは確実。そして発生する人口減による国内市場の縮小、70年代に隆盛を誇った着物業界の現状の様な事態が各分野で発生するでしょう。

 中年が考える未来は必ず発展し、解決されうるものとして存在していますが、今後の日本が進む道はその真逆しか言いようがない。中流のホワイトワーカーは営業を除いて全滅し、高所得者移民の導入を要求する、対して単純労働者は仕事を取られまいと反対に回る、すでに同じ事が発生している会社もあるでしょうが、これが社会全体で常識となるのに何十年もかからないでしょう。

更に合理化され、余計な費用を払わずに生活できる世の中、しか収入は少ないのに、最低限のインフラをそろえないと就職さえままなならない世の中、企業では仕事を一から教えてくれないので、自費で各種の専門校に通い勉学する日々、収入のすべてをつぎ込んで遊びなんて全くできない20代、当然お金が足りないので脛を齧れる人は脛をかじり、齧れない人は何年もアルバイトをして費用を捻出して、職歴なしというハンデを背負い戦う。大人は新卒ですぐ就職することが全てでないと高説を垂れるが、そんな人間を雇う気は無い。

 昔あった問題と今の問題、問題という意味では等価値で、その大きさは当人には判別できない。過去にとらわれているのはどちらだと。

戦前に生きていた人達は、次の世代に多くの機会を与えましたが、その世代は次の世代に機会を与えない。というのは言いすぎですかね。

2011-10-18

元彼女を恨みたくて仕方ないと思うとき

元彼女を恨みたくて仕方ないと思うとき

茂木健一郎さん@kenichiromogi 「夢」についての連続ツイート(2011/8/14)

を読むことにしている

http://togetter.com/li/174234

より一部引用

『ゆめ(8)フロイトが看破したように、誰もが無意識の中では人には言えない欲望を持ち、嫉妬や怒り、哀しみなどの感情を持つ。それが夢において現れる。精神の無菌主義は禁物である無意識の海に浮かんで、その上で他人に善意を向けねばならぬ。』

精神の無菌主義は禁物である

という言葉にどれだけ救われることか。

話は俺と元彼女のことに移る。

学生時代に付き合い始め、相性は良かった。周りもお互いも結婚するもんだと思ってたぐらい。けど2年前、彼女が俺より先に社会人になった時から歯車は狂い始めた。

彼女の初めての)一人暮らし遠距離恋愛+厳しい仕事

彼女をどれだけ寂しくさせたか。友人も家族恋人も近くにいない。仕事では新人として足を引っ張る毎日。そのストレス孤独をどう紛らわしていたんだろう。それを気遣って、支えてあげることが俺はできなかった。その結果、今年の年初に別れを告げられた。

その時の気持ちは辛かっただろう。それは理解できてるよ。

だけどな、

その辛さから脱却するために俺を女ゴコロの理解出来ない悪者に仕立て上げようとすることは間違ってる。

別れる半年ぐらい前から徐々に被害妄想が酷くなっていった。

メールをすれば何かしらにつけて俺の言葉尻をとらえて「やっぱり、愛されてない」って勝手に決め付けること数度。その後俺の言葉は一切聞かない。

彼女が見てるのは自分勝手に作った俺の虚像=ここは推測。

別れる3ヵ月前、「会わせたい人がいる」と会社の同僚に会わせようとしてたことがあった。多分、恋愛についての相談をしてたんだろうな。で、その会話の中で全部俺が悪者にされて、その悪者の虚像が彼女の中にどんどんできあがってたんだろう。)

で、最後は、

甘言で言い寄ってきた男との浮気正当化して、俺と別れて、「今の選択肢は間違ってなかった」「私は今は幸せだよ」だとさ。

今は幸せ?当たり前だろ?略奪できるぐらい恋愛慣れor想いを寄せてきた男が不誠実な対応をするわけがない。ましてや愛されてない俺へのアンチの心情との相乗効果でさぞ幸せに感じるだろうな。付き合って数ヶ月で何がわかるの?その幸せ脳天気な頭で。

少なくとも、あんたがそうやって幸せを感じようとしていることが俺には悔しくて、死にたくなるぐらい悔しくて。不幸を感じることしかない。

「私は今はキラキラしてて頑張っちゃってる。けど全然辛くない」

「だから俺君も私に負けないぐらいキラキラした人生送ってよ」

これが最後彼女から来た手紙の内容。

彼女は周囲にいる優秀な同僚=仕事恋愛休日バリバリエンジョイしてキラキラしてる

になりたかったんだろう。

お前の人生観で俺の人生を評価するなよ。

キラキラした人生なんていらねーんだよ。

その人生観が合わない。だからやっぱりつきあい続けることはできない。そんな話し合いの末での別れ方なら納得もいったかもしれない。けど、彼女は急に俺を蹴落とすことで楽に幸せになろうとした。

正直、そんな元彼女なんて不幸になってしまえ、って思う。

元彼女の心情も、状況も理解できる。たぶん、俺だってその選択肢をする。

けど、それを見ないで、逃げるようにして、俺を不幸にして、自分だけ幸せになろうとしたそのツケは払えよ。昔から女友達との仲を犠牲にしてまで幸せになろうとするなんて、いつか後悔してほしい。

そうココロの中では思ってるんです

友人の前では綺麗なことを言って。

だって、上に書いたことを言っても誰も幸せにならないじゃん?

って言い聞かせて。

からせめて匿名でいいからドロドロしたことを全部言わせてくれ。フロイト先生、夢なんかじゃ発散しきれないぐらいの感情なんです

2011-08-06

金縛りの話

今ではすっかりテレビで「心霊写真特集」などやらなくなりましたが、

霊体験について話す番組はまだちらほら残っているようです

特番だったりもするのですが)

そんな番組を見る前に知っておきたい情報が一つあります

『話中に「金縛り」と言うキーワードが出てきたらその話は嘘』です

嘘というと語弊がありますね。架空とでも言いましょうか。

金縛り」は霊障(と言う言葉もどうかと思いますが)でない事はだいぶ知られていますが、

まだまだ「よくわかっていない」と言うことで何かと話のネタにされやすいです

結論から言うと、金縛り「夢」です。厳密にはちょっと違うのですが。

「しっかり起きているのに体は動かないんだ!目だってちゃんと開けてるし!周りの景色だって認識している!」

残念ながら夢です

部屋の様子がしっかり見えていても、それはあなたの脳が綺麗に再現してくれているだけです

人間記憶ってすごいですよね。

何でこんな事が言えるのかというと、既に私を含め何人もの方が実証しています

金縛り」が怖いものでなくなった方々にとって、あれは「明晰夢」への入り口となっており、

心霊・恐怖どころか、むしろ楽園、ひどいものではただの現実逃避への道具となり果てています

まあしかし、霊体験話も今ではあまり怖がられないかも知れないですね。

今現代に起きている事件や事実の方がよっぽど怖いですし。

2011-06-26

なんかさあ、人生って一度きりなのに・・・・・・。アゲイン。つまりは、単純に、夢の終わり。

http://anond.hatelabo.jp/20090614035457

2年前に書いた日記を、見つけた。 そして、そうしてはいけないって、わかっていながら、でも読み返してしまった。

から今、俺は最低の気分だ。くそが。

あの夜、二十代後半だと言った俺は、当然ながらあれから二年分だけ歳をとっており、それはつまり三十路を超えたとか超えないとか、まあそんなところなわけだが、結果、そうして歳を重ねた分だけ、あの時誓った「夢」に近づいているのかと言えば、そんなことはまったく無くて、今では、「やっぱり俺の人生はそんな風にできていないんだなあ」、とか、「人生平和が一番ダヨねえ」、とか、そんな言い訳をするのが精一杯の良い歳こいたおっさんになっている。

そうなんです、これが現実なんです。みんなごめん。

へへへ。期待させてごめんね。あのとき熱くなっちゃってごめんね。とか思う。

いや別に誰もあんなの憶えちゃいないんだからいいんだけど。でも、俺が思い出しちゃったから、とりあえず俺はあんときの俺にはちゃんとあやまんないとな、と思って。

ははは、うわあ、カスだなあ俺。すんごい気い使いのカス。謝るって、それはただ「許し」が欲しいだけの今の俺のエゴだろが。ははは、まあ、まあいいや。加害者は俺で、被害者も俺だ。

んで、あれから二年の間だよ、そこで俺が何をしたか。について。だ。

あるいは、あの熱狂タイピングの夜が開けてその朝、俺がまず何をしたか、なんだけど。今さら言い訳しても仕方ないんだけど、もういいや。言うと、こうだ。俺は寝てた。はいはい最悪だなと。

でも、まあ、とにかく、現実残酷だ。夢は夢だ。期待は裏切られる。想いは通じない。そんな風に考えるんだよ。これが世界のユージュアリー・ストーリーだって。そういうことだよ。みんな。まあ、みんなのことは知らないけどね。

とにかく、人間はそんな簡単には変わらない。ってのが俺の言い訳。それが泥酔した次の日ならなおさらだ。泥酔だったもん、あんとき。いやまじで。

俺は、その朝、一旦は朝の太陽の眩しさに目を覚ましたんだけど、でも駄目だったんです。つまりまりにも泥酔していた前夜の熱狂のせいで、何もかもが億劫だったんです。夢は?って聞こえてきました。心の奥から、でも、俺は眠いから、仕方なかったんです、「夢は睡眠の中にこそあるもんだ。ファックオフ。寝ろ。どうせみんな死ぬんだ」って、自分自分の中の修造に言い聞かせて、だから、それでもう一回寝たんです。「無理スンナよ俺。辛いときは休もうぜ。」って。そう俺の中の、修造じゃなくて、なんか気のいい奴っぽい奴、ユースケ・サンタマリアみたいな奴が言ったんです。そういう奴いるよね。なんか優しいのか見下してるのか、人の失態見てほくそ笑んでるのかわかんない奴。まあそれが俺の本質なんだけど。

とにかく、んでもってそんな俺の偽りだかなんだかの優しさみたいなもんに甘えた俺は、会社なんかも華麗に体調不良の有給消化ですわい。ってんで、電話一発休みます、すんませんってことにして、それはまあ別に罪悪感なんかないから、その後普通に昼まで寝て、起きて、うーん。とか思ってたなあ。いや、何か違うだろとか思って。

いや、会社を休んだことなんかは、どうってことないんですマジで。年に一回、風邪引いたって言って休んで、それで誰かに迷惑かけたり、恨み買ったりするような、そんな半端な仕事も付き合いもしてないし、えっと、ラブ、アンド、ピース?だっけ?当時の俺ww それって要するに真面目にフランクに。なんだけど、まあ、それなりにちゃんと仕事やってたってことなんだけど。まあそんなことで仕事なんてどうでもよくって。

からその日、俺が感じた違和感は、それじゃなくて、つまりは昨日のアレのことなんです「夢」です。。俺の夢。きゃー、ああ、俺、言いたいこと言っちゃったなあ、ついに。言葉にしちゃったって思いました。まじで。どうなのよ俺。とか。

昼に近くの定食屋ミンチカツ定食チョーうまい定食屋なんだなこれが)大盛り食べながら、真面目にそのことについて思いました。

でも、なんか駄目でした。もうこの先の思考書くのめんどくさくなっちゃったから結果だけ言うけど。

駄目でした。俺、駄目みたいです。なんかいろいろあって、あるいは何にも出来なくて、駄目でした。俺は俺を世界に認めさせることは出来ないんだって、思い知りました。はあ。だけど、でもちょっとは頑張ったんですけどね。でも結局、どっかで諦めちゃったんです。今思えばたった二年間だったのに、それなのに諦めちゃったんだなあって思います。でもそれが俺だったんです。ああ、なんか泣けるな。って、しっかり泣いたけどね。ちゃんと、かっこ悪く。ダサい感じに。

で、だから今、俺わかったんです

夢って、やりたいことやってくのって、それってまあぶっちゃけ才能だけど、

それにプラスして、本当に諦めないことだな、って。どこまでも意志だな、って。夢って結果だなって、行動だなって。はい。まあ当たり前なんだけどね。

だってそんなに馬鹿じゃないから理解したんです

でもまあ、なんか切ないですだってあの日の夢を忘れたあと、あのエントリを読み返してしまうまでの、昨日までの俺の夢は、「明日宝塚記念の三連複とること。」

ですから。なんすかそれ。平和にも程がありますよ俺。どうなんですか、ブエナですルーラーですか。どっちなんですか。なんだかんだでドリームハートビートとかなんじゃないですかって。そんなこと思ってましたよ。ああ、すげえ楽しいです

なんて俺、だけど、だからって、あれから毎日、あきらめて、とか、いいかげんにとか、そういう風にしてたわけじゃないなって、思うんです。ちゃんとやってね、んで諦めたんです

からまあ、いいんじゃないかなって。これでやっと、諦められたんだ、ってね、逆に。

そのことを、ちゃんと諦められる程度には、お前頑張ったねって、言えるくらいはやったね。って思うから

から俺、あんときの俺、許してね、お前、才能はちょっとだけあったよ。だけど、やっぱりちょっとだけだったから。ちょっとだけの才能は、異常な努力を必要とするから。だから無理だわ。うん、まあ、だから、ごめん怒らないで。俺もできるだけやったんだから。まあ、風邪引いたら寝てたし、睡眠時間は最低6時間はとか、その程度の我侭言って、それを超える努力はしなかったけど、でも、それってお前もそうだよ。おまえは俺だし、まあいいじゃん。でもちゃんと今も生きてるよ。サラリーマンとしての俺は、お前は、来る日も来る日も万事好調だよ。だから大丈夫だよ。でも、ごめんね。本当にごめん。

ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。ごめん。

ごめんなさい俺。俺の人生。俺の夢。マイドリーム

 

 

追記。2011.6.26 18:32

阪神競馬場、第52回宝塚記念、芝2200m。午後3時40分、俺は阪神競馬場メインステージ中央にいて、気だるい雨上がりの湿気と、会場の熱気の中で汗だらだら流しながらファンファーレを聞いていた。

3-7-8。俺の夢。ブエナが絡んでくることはわかっていたんだ。それからパドックですんげえいい感じだったハートビート。直前に雨が降って、うーん、こりゃどうなんだろ。ってなってから、まあいいや、わかんないかルーラーシップ。これだなと。

ものすごいハイペースでレースが立ち上がって、1,2がさらに3コーナーまでビュンビュン行ってた。会場が沸いた。中間タイムが表示されて、会場がさらに沸いた。早すぎる、なんだよこれ。こんなペースで持つわけないぜって、先頭集団は死んだなと思って、うへへ、俺はほくそえんだ。

どこにいるのかよくわかんないハートビート。だからこそいい。うしろでためとけ。まちがいない。とか思ってたんです

直線に入って1番が終わった。会場から唸り声が聞こえた。だけど、アーネストリーがぜんぜん落ちない。すんげえの、ぜんぜん走るの。圧倒的だった、こんなの勝てない。6番人気ぐらいだったくせに。終わってみたらレコード叩き出しやがってんの。なんだよ、そんでブエナ。ちゃっかり2位だし。どうでもいいわい。

まったく駄目だな。

そのあとパドック眞鍋かをりの全力疾走を見て、おいおい、がんばってんな同世代よ。とか思って、そんで悲しくなって帰った。

 

 

追記2。2011.6.27 18:46

くどいようだが、最期に一つだけ言わせてくれ。いや教えてくれ。誰でもいいから、正直に真実を教えて欲しい。

それは、「あの時、俺達の前を、谷間をぶるぶる揺らせながら駆け抜けた眞鍋かをりは、本当にノーブラだったのか?」

ということについてだ。

非常に重要な問題だ。俺は三階フロアから眺めていたからよく解らなかったんだ。たしかに谷間ははっきり見えた、

そして、それはまるでワガママに揺れていた。

だけど、それがノーブラなのか否か、それを見抜く術は俺には無かった。

ブログでは、たしかローズキングダムが来たらその時はノーブラになる、という風にも読めるし、

あるいは、それとは別に、私今日レース回顧はノーブラで出るわ!というワンダフルな告知ともとれる。

 

なあ、どっちなんだ。

気になって自分の夢に集中できない。

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