過去の高校時代なんて今や他人事だから、学校サボるってなんかエモーショナルな体験だよな〜〜
「サボり」の実績解除をしときたかったけどもう取り返しがつかないぜ〜〜
くらいの感傷なのかもしれない。
それでも時々、そういう青春のテンプレート的勲章への未練ではなく、その時その瞬間に抱く感情ってどんなものだったんだろうなって思う。
高校まで、青春のエモーションとかそういうのが嫌いだった。青春とか口にする大人が大嫌いだった。
過ぎ去った時間への感傷を、今まさにその瞬間を生きている他人に向けて気持ちよくなってんじゃねえよゴミカス。テメーの後悔も懐古もテメーで抱えてろ。って思ってた。
もし自分がそうなってしまったら死んでくれと今のおれに呪詛を送っていたけど、受け止められなかったな。すまんこ。でもお前のせいで色々損もしてるからな。
まあそれも含めて、テメーの生き方の全てを肯定したい。まさにそういうのが滅茶苦茶嫌われそうだけど。
当時の自分がサボりを求める心はそういう「青春体験」を意識したような、どこか俯瞰的で冷めてるものではなかったと思う。
サボるという発想自体は無い訳でもないけれど、自分の行動コマンドの中にはない。
コケ脅しと分かっていても、「誰のおかげで」「お前の意志で通ってるんだろ」「嫌なら辞めても良いんだぞ」みたいな言葉は胃が痛む。
よりもいの1話は本当に刺さった。友達に欠席の偽装工作を頼んで、意を決してサボろうとしたけど結局サボれずに遅れて学校へ行ってしまう。まさに自分が思い浮かべていたような、でも結局実行は出来なかった、等身大の描写。
きっとおれが本当にサボれていたとしても、居心地は悪かったと思う。
遊ぶにも遠くへ行くにも金はいる。そもそも学校に辟易してサボっているのだろうから、そんな気分にはなれないだろう。
きっと着信に怯えながら、せいぜいブックオフで立ち読みでもして、マックか図書館にでも籠もって、これなら学校行ってた方がマシだったと思ったのかもしれない。それか、開き直って楽しむ事も出来ない自分が嫌になるか。
まあそういうサボり方だったとて、それはそれで実行出来ていれば美しく脚色された後暗くもエモーショナルな青春の思い出になってたのかもしれない。
実際部活をサボって多摩川をチャリで下ったり高尾山登ったり、都心を目指して線路沿いを延々歩いた思い出は今も輝いてる。ただ当時の気持ちをしっかりと思い出せば、それも悶々とした気持ちを抱えながら歩いてた。
マンガの主人公みたく、河川敷にでも行って空を眺めるような生き方は出来なかったな。
マジメをよいこと、ストイックであること、誠実であることとの言い換えを可能にするような意味合いで使うのなら。
でも単に怒られるのが嫌だからではなかったのかもしれない。
実際大学ではサボりまくった。サボったけれど、冒険は出来なかった。
電車に揺られながら、このまま根府川にでも行って電車から海を眺めようか。いっそ鈍行で長野まで行って蕎麦でも食ってやろうか、という衝動に駆られはしたけれど、一度も実行には移せなかった。
突発的なサボりの日は大抵ゲーセンにでも吸い込まれるか、そうでなければ家で過ごした。都内を少しだけ遠出することもあったけれど、悶々とした気持ちが膨らむばかりであまり楽しめなかった。
今も上野とか行くと、衝動的に新幹線のってどこかへ行きたくなる事がある。でも行けない。
今も昔も、怒られたくないとか金や時間がないとか、もっともらしい理由はいくらでも挙げられる。ただその遠くへ踏み出せなくなるような重力の発生源は、もっと根源的なところにあるような気がする。
それのおかげで人は「まとも」に生きられるのかもしれないけど、たまには振り切ってみてえよ。