はてなキーワード: 気づきとは
1月に入ってから1週間以上が過ぎもう成人の日の連休中だが昨年自分が書いた増田の中で気になったものをまとめておきたい。
僕は他人に自分の話を聞いてもらいたくて増田を書くことが多い。
聞いてもらいたいといっても大層な主張ではなくてくだらない話が常だ。
しかしくだらない話題であっても小難しく単純明快とはいかなかったり重箱の隅をつつくような珍妙な話題だったりで、雑談の中に織り込むのは憚られるような自論や疑問である。
そういう特定の人間には面白いかもしれないが一般的な感覚ではつまらない話を増田に投下している。そして何らかの反応があることを期待している。
ブクマカやトラバ増田は玉石混淆だが、たまに自分では思いつかない気づきがあってそういうことは強く印象に残る。
そして傲慢といえばそうかもしれないが期待したものの全く箸にも棒にもかからないことも当然多い。
印象深い増田も惜しい気持ちがある増田も毎年溢れるほどあるが、読み返して募った気持ちを供養したいので、この場を借りて列挙し読み返して思ったことを書き連ねておく。
いわゆる腐女子長文にぶらさげたトラバ。当時はけっこうウケると思った。その気持ちが寒い。
"前田建設ファンタジー営業部という映画がオススメ "(https://anond.hatelabo.jp/20200213214854)という増田に下げたトラバ。
まごうことなきクソリプ。のちのち有名になるがあの豪邸の大部分はCGという事実を省みるとアイロニカルな気持ちになる。
いまでも何してんだって思うよ。
ものすごーく湾曲的に現在連載中の作品Mを揶揄してるんだけど、書いてあることが馬鹿すぎて誰にも相手にされなかった。
「筋トレで自己肯定感が上がる」とかいうの、結局自己満足じゃないですか。ある程度絞れた体見て主観で「オレスゴイ」って言ってるわけで、それができる奴はもともと自己肯定感高いはずなんですよね。
俺からすれば漫画のキャラになりきって周りにお構いなく生活してるのと変わらない気がする。自分がそうだと信じて憚らない人いるでしょ?右手に邪神が宿った奴とかヒーローとか魔法少女とか猫の化身とか…
そういう痛い奴、中二病、精神病者たちとどう違うんだってどうしても考えちゃう。
多分、自分のフィジカルを客観的に評価する視点があればトレーニングも尊敬できるんだと思う。明確な数値目標があったり試合とか大会とか結果が問われる環境に身を置いたり。
実際に俺はボディビルダーとかすげえなって思ってるし、オリンピックとかも存在意義はあると思うタイプ。
でも筋トレで精神面がー生活の質がーとか言い出す人ってだいたいはちょっとランニングしたりストレッチしたりって程度でしょ?個人でやる分にはいいけどそれをアピールしたり人に勧めたりされると鬱陶しい限りで、それでお前より人間が出来てるって調子でマウント取り始めたときなんてもう耐えられないね。
暇つぶしで体動かしてるって次元じゃなくて、意義のあって何らかを生み出すレベルに達してる筋トレって絶対何かが犠牲になってると思うんだよね。
それに費やした金銭や時間を別に回せばあり得た未来を惜しんだり、鍛えすぎて却って体に負荷がかかったり精神的に追い詰められたり。
そんなこと考えずお気楽にやってる程度なら、ラーメン味わったりゲームしてケタケタ笑ってんのと何が違うんだろう。
やってほしくないとかやるのはおかしいとか思わないけど所詮個人の趣味なんだから、正義面したり他人からの賛美や協調を無理強いしたりは辞めてほしい。だまって粛々とやっててほしい。
今のアイコンになってからちょっと苦手になったのって俺だけかな。
純粋にWikipedia見てて気になった。和泉元彌ってみんなにとってどういう人だったの?
あらすじ紹介系Youtuber
語り口調がなんかやらかしてるな。2か月くらいまえにネットニュースとかでこの話題ちょっとバズってて、やっぱりみんなそう思ってたんだってちょっとホッとした。
言いたいことが元増田の内容と少しずれてたり、ブクマカ受けを意識して変に煽り口調や極端な断言をしたせいでやや支離滅裂になってしまった。
要は「カラオケの精密採点で競い合うバラエティ番組みたいな評価軸が海外の文化にはなくて、それよりもアドリブで尺を埋めたり即座にハモったりする様な表現力が評価される」
「これがオリジナリティでもあるけどJ-popはコード進行に対する拘りが強すぎて曲に拡張性がない。今は二次創作的なリミックスでヒットを広げる時代で、その都合上全世界的にポップスがアレンジしやすいループミュージック主体に変わってきてて日本もいずれそういう流れになるかも」
「『メロディを考えること=作曲』『メロディを考えてからアレンジャーが細部を考える』という認識が変わってきてて、ビート(バックトラック)ありきでメロディを考えるというヒップホップのやり方で他ジャンルの歌ものも制作されるようになってきてる」
ってことが書きたかった。
反対にお洒落のつもりでMegan thee stallionの下ネタな曲流してる服屋とか見かけるとちょっと笑っちゃう。
Megan thee stallionはヒロアカのミルコっぽくて好き。
無駄に長いし書くのが遅い。
吹き替え版TENET観たいなー。
これも煽ってやらかしてるやつ。なんとなくあの時ノイタミナと幾原作品についてちょっと書きたくなったんだと思う。
当たり前だが三文ゴシップ誌に書いてあるような、作風がどうだとかそんなんで企画が通ったり製作に関わったりが決まるほどテレビ局の事情は単純な話ではない。
はてなの、それも増田でジャニーズアイドルの話をしてもせせら笑われるのがいいほうで、「カイト」にしても増田では米津玄師に幻滅したというファンのエモい心情が何回か吐露されただけだった。
俺は「カイト」という曲が好きで、それはオリンピックやアイドルの活動休止といった一市民の生活に直接は関係のないことを意識的に取り扱いながらも、あらゆる人にとって共感できる曲として昇華されているからだ。
そしてあの「パプリカ」と通底するポイントがありこの二曲を同一世界だと捉えることでイマジネーションが広がる壮大なストーリーに一人感動した。
「30歳以上の人間は信用するな」っていう説があってさ
人間の成長発達では30歳までに世界の真理がすべて理解されるんだって
彼が何を言いたいのかわからなかった
そして2年後 彼を見たのはテレビドラマの中だった
……あいつは30で狂ったのか それとも
29で何かに気づいたのだろうか
オレはずっとあの会社で働き こいつと一生 暮らすのだろうか
明日で30になる
――戸田誠二「いきるススメ(2003)」収録「Don't trust over 30(30歳以上の人間は信用するな)」より
「20歳までに死ぬんだ」「こんな苦しい世界は、そこまでで終わり」
そんな信念を持っている人間は、きっとどこにでもいる
自分もそんな思いを持った、そして当たり前のようにそれが叶わない程度のつまらない人間だった
30歳になるなんて想像もしなかったし、その先の人生に想定も無かった
かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いが綺麗に失われていることに僕は気づき
会社を辞めた
――新海誠「秒速5センチメートル」
そう、かつてあれだけ「死にたい」と願っていた自分は、もうどこにもいない
30歳になることに、感慨すら覚えなくなる程度にはつまらない人間になった、なれた
いや、初めからつまらない人間だったのが、魔法が解けたに過ぎないのかも知れない
長い思春期は、いつ終わったのだろうか
辞めた今でも「あいつのせいで、あいつのせいで」と辞める原因となった色々な顔が頭に浮かんできて、された事や言われた言葉を思い出す。恨みで頭が一杯になって何時間もずっと同じことを考えている。
「過去のことなんて考えるだけ無駄だ」と頭で分かっていても恨みを頭から追い出すことは出来ない。
「俺より能力が低いくせに楽な部署に行って楽しくやりやがって」「経験も無いくせに偉そうな事言いやがって」「俺よりも給料低いくせに給料高いアピールしやがって」「大した仕事でも無いくせに粋がりやがって」「俺より辛い思いしてないのに仕事辞めやがって」挙げたらきりが無いが、気付くと仲の良かった同期や友達、果てはテレビで見た知らない人やTwitterでツイートが流れてきた人など、ありとあらゆる人に対して無意識に恨みを抱くようになり、その度に「何故自分はそんなことを考えてしまうのか」と自己嫌悪に陥っていた。
そんな時に沼田和也さんと言う方の一連のツイートを見た。以下に引用させて頂く
〜〜〜
教育ってすごいな/怖いなと思うのは、小中での「とりあえずぶん殴る」というシゴキ教育のなかで育ち、高校の剣道部でも先輩からこってりやられた体験が、未だに自分のなかで、理性的なものとは別次元で、「年功序列や鉄拳制裁でどうにかできるのでは?」という身体的誘惑になっていることである。
園長をしていた折、職員室に入って来て騒いだ子どもたちに「やかましい!外に出んか!」と怒鳴ったことがあり、副園長から「(子どもだけでなく)職員が萎縮するからやめてください」と注意されたことがある。子どもの頃あれほど嫌だった力技を自分がしていると気づき、悲しかった。
だから、「体罰はよくない」「組体操は危険である」等の批判がなされるとき、理性では「まったくその通りだ。それが正しい」と理解しているのに、身体が苛立ちを覚えてしまうのである。悲しい苛立ちである。時代遅れの苛立ちである。
〜〜〜
沼田さんのツイートの主旨とはずれるだろうが最後の「理性では理解しているのに、身体が苛立ちを覚えてしまうのである。悲しい苛立ちである。」の一文を読んだ時、言語化できていなかった自分の「恨み」という感情は「悲しい苛立ち」だったんだと、少なくともこの世に一人は自分と同じ「悲しい苛立ち」を感じた人がいるんだと、自分だけでは無いんだと救われた気持ちになった。
考えてみると人生で会った人の中で本当に嫌な奴というのは少数で、殆どの人は良い人だった。今まで多くの人に助けられてきたことを忘れ、あまつさえ恨んでいた自分を恥じた。何と神に愛されぬ生き方だろうと。
自分がこれからどうするのか考えた。今まで与えて貰い、返していない恩をどうしようと。もう会えない人もいる、それならまだ会える人と、生きていく上で会う人に恩を返そう。良い人にも、嫌な奴にも
そう決めると頭の中に嫌な顔や思い出が出てこなくなった。
という表現だと思う。ここに彼の人生そのものが表現されている。
つまり国民をコントロールしているという無意識のアピールである。
聞くと、彼に意見する人はすべて更迭され、イエスマンしか残さないという。
それは官庁における微細な人事にまで至るという。
これは何かというと、
こうした人間が上に立つとどうなるかというと、理念も何もないことが露呈する。
つまり、上意下達の政治ゲームが得意でのし上がっただけであり、
残念ながら全国民がいま、それに気づいている。
自分にまったく関係のない、数十年前の薬害エイズの訴訟で謝罪するなど、
そこには人間としての理念があり、それに基づく正義感が見えた。
それこそノブレス・オブリージュではないだろうか。
少なくとも理念がある。社会主義のもとに国を強くするという強烈な理念である。
圧力や権謀術数が好きそうなのに、緊急時に独裁的にリーダーシップをとらない(とれない)
彼はまもなく辞任するだろうが、逆説的に他国や過去の宰相のリーダーシップが浮きだって見えるという、
稀有な人事であった。また、コロナでの損な役回りでありながら、
次世代への中継ぎとしての役割を果たしたのは評価したいと思う。
追記:あべぴょんが謝罪したのは薬害エイズじゃなくてらい病訴訟の件でした。
無知による人権侵害の件。自ら進んで行ったのだという。ここに彼の人間性が見えたのである。
またいつでも首相に戻ってもいいのよ?
どのサブセット、クラスターで獲得するか 競争 ルール確認 エコーチェンバー注意 習うより慣れろ
自然に触れていることであれ意識していることであれ、あえて客観、メタで確認する、観察する、言葉にする
体(内臓、筋肉)、頭(神経)、心(作用素、アラート対処)(前提条件、環境(言外のそそのかし、広告など))
昔はわからなかったけど、今はわかるなって事
例えば親の有り難みとか、健康であることの大事さとか、しっかり歯磨きするとか、まあ、年長者が口を酸っぱくして言う事だったり
だが一つのことに気づいた瞬間に得られる物は、より沢山あるかもしれない
例えば親の有り難みでいえば、
それに本当に気づいた人は、たぶん 許すこととか、支え合いの中で人々が生きていることにも同時に気づくと思う
世の中、それぞれの解釈次第でいいんだけど
いまは気づきの少ない人の声がデカくなり過ぎてるし、そういう人を気づかせようとする人たちの声もうるさすぎる。
終いには本人たちも本質なんかどうでもよくなって、ただのマウントの取り合い
気づきは、それを知ることや考えることよりも、何かを経験するという事の方が、気づきを得られる可能性が高い。
それは、努力すれば得られるかといえば、そうとも言い切れない。
俺はいま 大部屋の病床で、老人たちが痛みに呻くのを聞きながら、これを書いている。
俺以外の7人は、全員俺の三倍は歳いってそうな老人たちで、この階にはたぶん40代以下は他に1人も居ない。
経験しなければわからなかった、、、いまの病気の痛みも、この国の高齢者の医療費負担が如何に莫大なのかという現実も、病床に余裕のない医療現場も、、、知っていても、この強烈な体験がなければ、俺はこれからもずっと、なんら行動を改めず生活していただろう
俺も今朝までは発熱と痛みが数日に渡り続いていたが、昼頃からだいぶ病状がマシになってきて、いつもより長くインターネットを見ていたせいで、こんな曖昧な文章を書いてしまった。
本当はくそどうでもいいのに、アレこれ簡単に発信出来てしまうせいで、争いが生まれる
わからないことには、口を閉じといた方がいい
バブルのさなかに昭和天皇なくなって地方から送り出したはずの冬スポーツ全国高校大会が自粛になって
(決勝だけやらずに同校優勝になったスポーツもある)
それはまぁ今のコロナとかわらない部分もあったよ
地方にディスコなんてなかったけど文化祭でディスコナンバーかけてそれっぽい感じに踊ったな
大学生になったら就活でもないのに合コンにスーツ(女性はボディコンスーツ、男性はダブル)きていきたがったな
つくば万博やナウシカ映画館でみてるだけのほうが楽しいんじゃないかって雰囲気もあったのが
口コミでもしかしてディズニーランドいけばたのしいのでは?って気づき出したね
アニメファンとそれ以外を兼ねるなんて雑誌買い集めないといけないから無理
発売日に週刊少年ジャンプ持ち込んでくるやつは神扱い(銀さんがその雰囲気少しある)
ファミコンはいいけどセガサターンとか高くて大人でもそうそう買えないけどバブルのせいかレーザーディスクだのディスクシステムだの全部そろえてる人が神
なのに静岡はそのころからアニメのチャンネルが1つしかないらしい
そんなもんよ
ひきこもってたのしめるの最高
私(A)が3日で辞めた人生初のアルバイト先では、従業員の洗脳が行われていました。
だいぶ時間が経ったため、そのとき見たことを日記にしてみたいと思います。
1x 歳のある日、家から遠くなく初心者歓迎とあったカフェの求人を見かけて応募しました。
翌日早速連絡が来て面接を受けることになり、そのカフェで 30 分ほど話をしました。
前回の面接時に「x 日 x 時にまた来てください」と言われたので、てっきり事務的な手続きを行うと思ってカフェに来ると、いきなり勤務が開始しました。
学生のバイトは、少し怖くて気だるげな女性の先輩たちと、優しそうだけど生気を失った男性の先輩が一人。
先輩に店内を案内してもらっていると、背後から「おい、挨拶しろ!!」と声が。
もちろん初めて見る人でした。
偉そうなその人がオーナーであると先輩に伝えられ、仕方なしに愛想よく挨拶しましたが、無視。隣にはクスクス意地悪く笑う妻らしき女性。
旦那が煽り運転したときに被害者をガラケーで撮影するおばさんが脳裏をよぎりました。
思ったほど歓迎されていない雰囲気に緊張が絶えないでいると、明るい声が聞こえました。
「君は新人の A さん?僕は B って言います!新しいバイト大変だと思うけど、よろしくねっ!😁」
笑顔が素敵でかっこいい、親しみやすそうな男性社員 B でした。
この人がマインドコントロールの主です。
その日は初日ということで、配膳のみ担当することになりました。
退勤時間を知らされていなかったので、いつまで働くのかと不安になりながら働いていると、半日ほど経ったときに社員 B に声をかけられました。
私服に着替えて空いた客席につき、社員 B と面談することになりました。
最初は給料の振込先などを聞かれたため事務的な手続きが目的かと思いきや、話はどんどん精神論のような説教に逸れてゆきました。
「まだできることが少なくて悔しいだろ?"あの先輩を超えたい" って思うだろ?」
あまりぴんと来ていませんでしたが勢いに押されてハ、ハイと答えました。
「その言葉が聞きたかった。A さんなら本当にできる。超えられるよ、先輩全員を」
あまり成果を出せた感覚がなかったので、出会って数時間である上基本的に厨房にしかいない社員 B は、無根拠に私を信頼すると言っているように感じられました。
しかしながら、やる気を引き出すための軽いお世辞という感じでもなく、じっとこちらを見つめる妙に真剣な眼差しがまるでマルチの勧誘のようでした。
次回以降の勤務日程について何も知らされていないためひょっとしてバイトの話はナシになったのだろうかと考えていると、数日後の 22 時頃、初日に LINE を交換した社員 C からメッセージが届きました。
来てくださいって、たまたま大丈夫だけどさ、用事あったらどうするんだ。
その日も初日と同様退勤時間は知らされていませんでした。先輩や社員に尋ねてもたらい回しにされるだけで、結局何時まで働くことになるのかわからないまま勤務を始めました。
初めてのバイトだったので、当時はこんなものかなとなんとなく納得していました。
その日は、先輩にハンディ(スマホ)を使った注文のとり方を教わり、お客さんからの注文をとることになりました。
しかし、使い慣れない機器と記憶していないメニューで注文をとる際操作に失敗してしまいました。
「A にオーダーやらせんなっつっただろうが!A はなーーんにもできねぇんだからさ!!A の失敗はお前の責任だからな!!」
もちろん私に聞こえるように言っています。
ふてくされた先輩は私に「もうオーダーはやらなくていいから」と冷たく言い放ちました。社員 Bは、「A さぁーん、オーダーはやらなくて大丈夫だからねぇー😊」と、猫なで声で言いました。
その後も社員 B が「A がさぁ……」と女性の先輩に何かを話し、直後先輩が何かを注意しに来る、ということが何度かありました。
社員 B は、私に対する威嚇は間接的に行うのみで直接強い態度で出ることは一切なく、必ず部下を使って "指導" を行わせました。
また、こうして笑顔で "フォロー" を行いました。そして、先輩の苛立ちの視線が自分に向けられ始めたことに気がつきました。
その日も唐突に退勤を促され、今度は若い男性社員 C と面談を行うことになりました。
気弱で声が小さく、誰の前でもおどおどしているタイプでした。
経験上こういったおとなしいタイプの人は意外と豊かな世界を持っていることが多く、今までよく仲良くできてきたので、社員 C とは打ち解けられるかもしれないと期待しました。
しかし、社員 C は初めて出会った瞬間から警戒とも異なる、敵意のような態度を向けてきました。
ことあるごとに近寄ってきてはぼそぼそと小さな声で小言を言うのですが、内容は抽象的な言葉ばかりで、小言の目的が後輩の教育ではなく上に立つための嫌味であることはすぐに分かりました。
C「…… x 月 x 日は出勤できますか」
私「その日は難しいです」
C「……それはさぁ……なんでですか……!」
C「……それって何時から何時まで……なんですか……!」
C「……実験の内容って……何なんですか……!」(本当に知りたいのか?)
以下続く。これを 31 日分行います。一言一言に棘を演出しようとしている努力は伝わりましたが、すべて聞き取るのに苦労するほどの音量でした。
正直社員 C にあまり怖さを感じていなかったので、途中から理由はすべて「私用です」と答えるようにしました。
C「……私用って内容は何ですか……!」
私「だから、私用です!」
苛立って語気を強めてしまい顔をあげると、社員 C は目を腫らしてうつむいていました。
新人バイトが強めに言い返しただけで泣くとは思わなかったため動揺しましたが、この尋問は社員 C が誰かにやらされているものであると気づきました。
やらせている人間は間違いなく社員 B であると勘づきました。
社員 B は、勤務中常にネチネチと社員 C をいじめていました。
人間性を否定するような言葉はもちろん、社員 C が作った料理を調理器具ごとガシャーン!と目の前でゴミ箱に捨てたり、執拗に小突いたりしていました。
社員 C はやらされているとはいえ私に強く当たることがあったため味方をする道理はありませんが、同情せざるをえない部分がありました。
もはや退勤時間が知らされていないのは当然です。
一応尋ねましたがやはりたらい回しで結局わかりませんでした。
その日は先輩からレストランフロアの床を雑巾で水拭きするよう言い渡されました。
(出勤初日に知りましたが、併設の喫煙や飲酒ができる薄暗いレストランもなぜか仕事の範囲に含まれていました)
今ならレストランの土足スペースの掃除は普通モップでやるものだとわかりますし、あの言いつけは嫌がらせだったと思います。
お客さんからの視線も痛かったですが、当時の私はたとえそんな仕事であっても一人で作業できる分ほっと嬉しく思うくらい、他の従業員と関わる仕事が嫌になっていました。
そしてこの日も退勤後に社員 B との面談タイムがありました。
「C 君に聞いたよ、全然出勤してくれないんだって?だめじゃないか!😊」
面接時に「土日も出勤できますか?」との問いにハイと答えていました。
社員 B はこれを「土日はすべて出勤できる」と曲解し、土日に出勤できない日が 1 日でも存在することを責めているのです。
B「都合とか仕事内容とか、バイトでどうしてもうまくいかないときがあるよね。そういうとき、どうすべきだと思う?」
私の返答は社員 B にとって想定外だったようで、笑顔が一瞬引きつったように見えました。
しかし、笑顔を保ったまま「ううん、違うよ。がむしゃらにやるしかないんだよ」と言いました。
私の退職オーラを感じ取ってか、その日の社員 B は終始にっこり笑顔でした。
最後に何か困ったことはないかと聞かれたので、出勤日と退勤時間を出勤数日前には知りたいと伝えると、「わかった。これから気をつけるね!」とあっさり前向きな返事をもらいました。
初のアルバイトなので最初こそ我慢が足りないかと思いましたが、他で働く友達が面倒くさがりながらもそこそこ楽しそうにバイトの話をするのを見て、勤務 1 回 1 回が嫌でしょうがないことに疑問を感じ始めました。
前回面談後もご想像通り次回のシフトの連絡は来ないわけですが、いっそシフトが決まらない(っていうか連絡が来ない)うちに退職の意を示しそのまま辞めてしまおうと思いました。
勤務分約 1 万 5000 円はもしかしたら振り込まれないかもしれない。
でも、たとえ 1 万 5000 円損しても構わないからとにかく辞めたいと感じていました。
B「おう、A さん!どした?^^」
B「……てめェふざけんなよ!!辞めたいじゃねえよボケ!!そういうのは直接来て言うもんだろうがよ!!いいか、次絶対来いよ、絶対だぞ、わかったな」
突如豹変し、映画で見るヤ●ザのような巻き舌でまくしたてる社員 B。
初めて社員 B が直接私を威嚇した瞬間でした。
私は衝動的にバイト先からの電話の着信拒否設定と社員 C の LINE のブロックを行い、借りていた制服を郵送しました。
もちろんバイト先にはこの後 1 度も行きませんでした。
(だいたい、「次」がいつなのか教えてくれなかったのは向こうです!)
1 万 5000 円は振り込まれていました。👏
社員 C から涙の尋問を受けたとき、社員 B のやり口に気が付きました。
部下を吹聴して新人をいびらせ、自分はその新人をなだめる親切な上司のポジションに立つ。
しかし自分が恐い人間であることは間接的にしっかりアピールする。
最終的に従業員は新人時代に孤立し、従業員同士は疑心暗鬼になり、全従業員にとって信頼できる人間が社員 B のみになっていました。
また、社員 B は相手の性別によって態度を少し変えているようでした。
女性に対してはアメとムチで巧みに操る。たまにキレるとき以外はお世辞や冗談で喜ばせていることが多かったです。
男性に対してはとにかく自己肯定感を下げる言動をとっていました。お前は一人では何もできないと常に言い聞かせていました。
女性従業員が皆社員 B を慕い、男性従業員が皆生気を失っていたのはこのためでした。
ちなみにこの日、一瞬だけ店長に会う機会がありましたが(なぜか最初で最後)、店長も実質的な立場が社員 B より低く口出しできないようで、他の男性従業員同様に生気を失っていました。
社員 B は、競争心、恐怖心、猜疑心を煽って人を操ることや、アメとムチの使い分けがとても上手でした。
本物のサイコパスは、明るくユーモアがあり、笑顔が素敵で魅力的であることを知りました。
退職後は新たに飲食店でのバイトを始め、数年間お世話になりました。
苦労もありましたが洗脳もなく楽しく働けたので、本当に辞めてよかったと思います。
1 年ほど経ったある日、風の噂でカフェが閉店したと聞きました。
最近近くを通る機会がありましたが、更地になっておりなんとも複雑な気持ちになりました。
同時に自分の体験は完全に過去の出来事になったと感じたので日記にしてみた次第でした。
おわり。
この正月に手慰みに書くというだけの話です.
当時大学生だった僕は実家に暮らしていました.中古の家で,母親の話すところによると父方の祖父が「この家でなければ家に関して援助はしてやらん」とのことでこの家に住むことになったそうです.お世辞にもあまりいい家ではなく自分の部屋もないため,「静かに暮らすこと」とは無縁の家族の声は聞こえ放題で,神経質な僕には居心地が悪かったです.しかし近くの大学に通っていたこととお金の面で家を出るメリットよりデメリットの方が勝りました.
3年生の梅雨の時期の夕方に,ある老女が家を訪ねてきました.家には父親と僕がいて,インターホンが鳴るなり父親は僕に対応するように促しました.カメラ付きインターホンのスクリーンには,やや背の曲がった憔悴したような疲れたような顔の老女が映り込んでいました.「はい」と僕が対応すると
「〇〇か?」
と老女は言います.僕にはその「〇〇」という人物に思い当たる節はなく,スピーカーで聞いていた父親もなんのことだかわからないといった様子でした.否定をしたのですが,しきりに「話がしたいので出てきてほしい」というようなことを言うので僕が降りることになりました.正直なところ,僕は何かの事件に巻き込まれるのではないかと気が気ではありませんでした.僕は体も比較的大きく単純な腕力では負けるはずもないのですが,憔悴した様子でしきりに出てこさせようとする様子はただならぬ雰囲気を持っており,恐怖を全く感じなかったと言えば嘘になります.恐る恐る玄関の扉を開けると,老女が
「▲▲か?大きくなったなあ」
と今度は違う名前を言ってきます.その名前は僕の名前ではありませんでした.どうやら先ほどの否定が伝わっていないようでした.僕がなんのことだかわからないといった顔をしていると,
「覚えてないか.あんたが小さいころに会っただけやからな.お父さんはおるか?」
と言います.さすがに人違いされたままでは困るため,僕はその人ではないことを伝えた上で家を間違えてないかを確認したのですが,老女も何のことだがわかっていないようでした.すると父親も何となく普通ではないことを察したのか降りてきて僕にどういうことか説明を求めました.すると父親は何かに思い至ったのかその老女が訪ねていると思い込んでいる人の苗字を聞きました.その苗字は僕の苗字とは違うものでしたが,父親は全てを理解したようでした.
「☆☆さんはだいぶ前に引っ越さはりましたよ.ここに今住んでるのは✴︎✴︎です.」
と父親は言い,表札を指差して老女に見せました.老女は納得がいかないという様子で,今どこにいるか分かるかといったことを父親に聞いていましたが父親も知らないようでした.ともあれ
「ほんまか...そうか...」
と理解した老女は帰っていきました.この家は僕が1歳頃,つまり20年ほど前に住み始めた家でしたがその前に住んでいた親戚を訪ねてきたんじゃないかと父親は説明しました.続けて
「でも,あの人糖尿かなんかで亡くなったんちゃうかったかなあ」
と言いました.中古の家に住んでいるとこういうこともあるのかとか,引っ越したことが伝わっておらず亡くなったことも伝わっていないとは相当仲が悪かったのかなあなんて考えました.それで久しく会っていなかったが,何かに思い立ち話をしようとやってきたのかもしれません.もし仲を戻そうとしたなら残念なことだとは思いましたがあくまで他人事という感は拭えませんでした.
事態が変わったのはその日の夜22時ごろのことでした.あの老女がまた訪ねてきたのです.昼間のこともあり明確な恐怖の感情が生まれましたが,僕も父親もふと一つの可能性にたどりつきました.
ここからは母親に警察を呼ぶよう頼み,警察が来るまでの間に僕と父親で老女が認知症であるかを確かめる流れになりました.父親が,
「こいつと僕が昼間に会ってるんやけど覚えてる?」
と言うと,
「いや,覚えとらん.昼間来たんか?」
と老女は言います.間違いなく認知症でした.そこからは家はどこにあるのかとか誰かと暮らしているかとか連絡できる人はいるかという話を聞きましたが老女は一人暮らしのようでした.しばらくすると二人組の警察がやってきました.何となくこの時間に面倒ごとが舞い込んできて気だるそうな様子でした.近所から野次馬もやってきてなんでこんなことになっているのかとため息をつきたくなりました.父親が事情を説明するなり警察が老女に身分を証明できるものはあるかなどの確認をしましたがそういった類のものは持っていないようでした.さらに認知症の診断を受けているかと確認しました.すると,
と老女は答えました.この言葉が僕には強く刺さりました.「認知症患者は自分が認知症であることがわからない」ということを現実に見て,一人暮らしの老女が認知症である事態の重さに気づきました.結果的に老女は警察に保護されることになりパトカーを見届けましたが,その日は何となく眠りが浅かったです.
これで解決したと思い込んでいましたが,二週間後の昼間に老女はまたやってきました.その時も家にいたのは父親と僕でした.今度は事態の理解ができている分,スムーズに解決しました.やはり前回訪ねてきたことは忘れていました.この話を聞いた母親は,何回もこられても困るといったようなことを言っていましたが,「対応してるのは俺と親父なんやけど...」と言いかけてやめました.
そして数日後,今度は僕が一人の時に別の二人の男女が訪ねてきます.あの老女の親戚でした.詳しく尋ねてはいないため事実とは異なるかもしれませんが,おそらく男性の方が老女の兄か弟で女性は妻のように見受けられました.男性の目やあの猫背の雰囲気が老女にそっくりでした.以前から認知症であることを知っていたようでした.男性の方はとてもばつが悪そうであまり言葉を発さず,女性が菓子折りを僕に渡しながら謝ると男性も頭を下げてこられました.僕は他人に頭を下げて謝られるのが苦手です.自分がする分にはいいのですが,される側になるとこちらの立場が上で謝らせているような感覚になってしまいます.ましてや自分より何十歳も年が上の人が頭を下げる姿を見るのは忍びないことでした.せめて気分を軽くしてほしいと思いながら「いえ,全然問題ないですよ」といったようなことを言いました.菓子折りを受け取って二人を見送ってからも何となく居心地の悪さは抜けませんでした.
それ以来,あの老女は一度も訪ねてきてはいません.施設に入ることができたのかもしれません.この出来事は高齢社会と独居老人の話を聞くたびにいつも思い出す話になりました.この話をすることで認知症の患者が生きやすい世の中を作ろうと呼びかけているわけではないのです.もちろんそういう世の中ができれば良いことなのは間違いないのですが,僕はそのための具体的な行動を起こしているわけではなく,そういったことを呼びかける資格を持ち合わせていません.中古の家ならではの印象的な出来事を少し話したくなった.そういう話です.
一人は売り上げが前年度の3割に留まった。最近アルコール依存症が疑われるようになった。別の一人は小さな子供二人を抱えていて苦戦している。それでもまだ従業員をほぼ雇っていないからマシなのかもしれない。別の知人は雇っているアルバイトがバイト代で生計立てているからとアルバイト、その家族にも意見を聞いた上で補助金を受け取らずに深夜営業を続けることを決めた。
年金通りと言われる地元の安い居酒屋が並ぶ通りの店で早い時間から呑んでいる独居老人たちを知っている。彼らから飲み屋を取るとすぐに弱るのが目に浮かぶ。普段なら店に来ないからと別の客が連絡を取るが、もし店が閉じるとそれも叶わないのだろう。
新型コロナ病棟の最前線で働く看護師の友人がいる。元々多趣味な人だが、第1波からコロナ病棟に回され、ほぼ趣味が叶わなくなった。心身のキツさが身体化している様子もある。彼は自分たちが何気なく投稿する楽しんでいるツイートを見るのが苦痛になってしまった。たまにツイートを見るが返信するのもとても申し訳なく躊躇する。
保健師の知人がいる。本来、保健所勤務ではないけど、この年末年始は保健所に駆り出される。
医療側の友人知人を思うと自粛が最適解なのは分かる。飲食店の友人知人を思うとやっぱり営業しているからには経済を回さないと新型コロナ以外で崩れる。
あちらが立てばこちらが立たない。
はてなの言説は医療寄りが多いけど、みんな飲食や宿泊業の友人がいてもそう言っているのか、言ったら叩かれるので身を潜めているのか。どうなんだろう。
飲食業でも医療職でもないワイは、どこか分断の息苦しさに気づきながらも考えたところで何のしようもなく、色んな言い訳を頭の中でしながらより楽な方を選んで過ごしている。
日光白根山や菅平スキー場を見て、うわー人いっぱいいる密だ、とか、昨日まで地面見えてたの一夜明けたら真っ白じゃん!すげー、とか朝日めっちゃ綺麗だなーとか思ってた。
そうやって日本のスキー場を見てたらさっきフィンランドのスキー場のライブカメラが関連動画に出てきたんで見てみた。
フィンランドは夜らしく、ナイター照明に照らされてキラキラ光るゲレンデや、イルミネーションされたおしゃれなスキーロッジ群、バカでかくカッコいい最新リフトをみてやっぱ本場の雪国は一味違うなーすげーなーって思ってた。
一通り見て満足したところで、ふと昼のゲレンデはどんな感じなんだろう?と疑問に思い、シークバーを動かしてみた。
Youtubeのライブ配信はシークバーを動かすことで何時間か前の映像を見れるようになっている。
でも動かしてもゲレンデは暗いままだ。
適当に動かしたからかな?と思い、他の時間帯に動かしてみたがいつの時間であっても明るくならない。
なんだこれ?と思った数秒後、あっこれ白夜だ、と気づいた。
いや、別に補助金を貰うのは構わないというか、寧ろ彼には貰って欲しいぐらいだ
それで承認欲求バリバリの迷惑行為をしなくなるなら治安の面でも良いのではないだろうかw
ただ、ブコメであまりにもギフテッドギフテッド書かれているので、ギフテッドとかいわゆる天才の定義、
と言っても、今さっきWikipedia見るまで自分なりの定義で勝手に考えていたわけだけど、
なんか引っ掛かるというか、ギフテッドってこういう話だったかなと思ってつい書いてしまった
饒舌になるのは良くないな
というか、歴史的にも天才と呼んで間違いない人はいるわけだけど、
あと、自分の得意分野だと優れていると分かるけど、無関係の分野だと評価されないだろうなあと思う人もいるわけで、
特にゲームとかメガデモみたいな世界だと、グラフィックスとかの数学やコードが他の分野の人からは評価されない可能性があるわけで、
そういう意味でも、欠片?をちゃんと解こうと思ってなかったし、多分、解けないんだろうけど、
あと、マインクラフトのnotchもMENSA会員だったと思うけど、
マインクラフトもそうだけど、そんなに複雑で難しいことを敢えてしなかったのが斬新だったというか、
彼はボトムアップでコードを書いていくタイプだと自分は思っているのだけど、
優れているしMENSA会員なんだろうけど、notchがギフテッドなのかはちょっと分からない
というか、自分は凡人以下だと思うけど、難しい幾何学や数式を解くだけがギフテッドや天才の基準でないのであるなら、
自分で言うのもおこがましいけど、自分も天才的な面はあると自覚している
というより、自分も天才的な面があるし、自分から見れば他人の中に天才的な、先天的な才能の一面を見ることがある
それがトラック運転手だろうがレジ打ちだろうが、そこにそういうものが見出だせると自分は思っている
自分にはとてもできないことができてる時点で十分凄いと思うからだ
(尊敬はしているが、人間性とかはまた別であって、人間性に問題があるなら人としては信用できないわけで
まあ、天才だって食っていかなければならないわけで、俺は天才だ!だから雇え!というのはレオナルド・ダ・ヴィンチもそうだっただろうと思う
飛ばないヘリコプターとか構造的にどうよみたいな戦車の絵でパトロンから兵器を発明、研究開発する名目でお金を貰う必要があった
そのお金がなければ生きていけないし、川辺で流体の絵を描いたり、墓場から死体を掘り起こして解剖してスケッチすることもできなかっただろう
レオナルド・ダ・ヴィンチもギフテッド?というか天才の部類ではあるだろうし、
意図的に、俺は天才!と演出することも天才が生きていくためには必要なのかもしれないかもなあ…、うーん、わからん…
しかし、ダ・ヴィンチの川辺の流体は渦がちゃんと描かれていたり流体シミュ的にも面白い絵なのだけど、
描いたものから流体力学的な気づきがあったかはよく分からんのだよなあ
「夏への扉」よろしく、ダ・ヴィンチは実は未来から過去へ飛ばされたタイムトラベラーで、訳あって未来に戻れなくなった、
というなら分かってて描いた可能性もあるけど、そんなこともないだろうし
でも、あの飛べないヘリコプターも考えようによっては「いい線」行ってるとは思うんだよなあ
惜しいというか、そこじゃない感があるんだけど
ごめんなさい
筆がノリにのっているので、パーソナルデザインロマンスタイプについて番外編を書きます。
Twitterで、ロマンス 色気 と検索をかけてみてください。(タイプ、PDを加えてもいいかもしれません。)
そこには大量の、『○○(男性芸能人の名前)って、ロマンス入ってない?』というツイートがあるはずです。
それらの中に資格を持ったアナリストのツイートはほぼ無く、9割以上は素人がツイートしたものです。
好みの異性を見るとき、色気を感じてしまうからロマンスタイプと誤診するのに注意!というのは本当でしょうね。
(レズバイゲイの存在がなかったことにされていることは多少引っかかりますがw)
好みの男性を見て色気を感じる女性がこんなにたくさんいることに驚きます。
この女性たちは『色気がある』を褒め言葉だと思っているんでしょうね。
そしてこれらのツイートは、たくさんの画像から精査した結果では無くただただパッと見たり、思いついたりしたことをそのままツイートしてるんです。
悲しいですが。
検索の妨げになっていることにも気づかず、ただ好みだからという理由でロマンス、色気、という単語を入れてしまうんです。
そう、「わたし色気ないからなーw」というツイートの数々です。
ロマンスタイプに限らず、色気がある人が僻まれている日常が垣間見えた気がしませんか?
彼女はツイッター上では色気ないからと自虐していても現実世界で色気の漂う女性を見たらきっと鬼の形相で見つめ、観察するはずです。
《女はね、自分が出来なかったことをやった女が一番嫌いなんだよ》
という映画昼顔の女性の嫉妬について端的に示した名言がありますが、装いひとつでその苛立ちを感じ、自分とは何が違うのかとジロジロと見てくることは間違いなしです。
Twitterの公開アカウントで検索に引っかかる単語を入れて自分のことを色気がないからと断言する女性はおおかた影のある女性とは相反するものをもっています。
アパレルのお店や美容院、ネイルサロンで店員さんに絶えず自分語り(恋愛の話ばかり)をしてしまうタイプです。
イメコン界隈のツイートはいつも楽しく見てますが、不快になることも多いので程々にしています。
私は控えめであるうえ、確実に嫉妬されてしまうイメコンスペックなので、こうして匿名ダイアリーでしか自分語りしません。
華やかな美人が多いとされる顔タイプエレガント 、ロマンスタイプ、パーソナルカラーはサマーでもオータムでも着られるニュートラルです。ですがロマンスタイプの盛りに強いという要素のおかげでスプリングやウィンターの一部の色も綺麗に着こなすことができます。
ロマンスタイプなのであえて黒を身につけることによってしどけなさを演出することもできます。
極め付けは痩せストレートの高身長ですが、そんなことを全て馬鹿正直にTwitterで書いたらネット世界でも僻まれてしまうので、絶対に書きません。
自分のイメコンスペックは好きですが、ネット上にそんなこと書いたら何を言われるかわかりませんからね。
中野駅は、千葉から三鷹市を結ぶ総武線や、山梨の大月まで伸びている中央本線の中継点になっている。ふだん通勤で新宿駅と阿佐ヶ谷駅のあいだ(つまり総武線のほんの一部区間)を毎日行ったり来たりしているだけの私には、中野は少しイラッとさせられる駅だ。停車時間がいつも長いからだ。中野駅に電車がいったん着くと、ドアを開けたまま、再び走り出す気配すらない。思い出したように電車が再び走り出すまでの間、乗客は列車の中で押し黙っている。
乗客の忍耐を承認と受け取ったのか、国鉄は中野駅での停車時間を少しずつ延長しはじめたみたいだった。
2分間停車とアナウンスではいっているのに、それより長く感じる。たぶん自分が焦っているだけだろうと思い、最初の頃は気に留めなかった。数日後、やっぱり長いなと思って時計で計ると、5分を越えていた。それから日ごとに中野での停車時間は長くなっていき、20分を越えた頃にはさすがに乗客のほとんどが異変に気づきはじめた。停車時間が2時間を越えた頃にはもう国鉄は隠すこともしなくなった。これから2時間停車する旨アナウンスが流れると、乗客は全員降りていった。
中野で毎日2時間電車を待つのはそれなりに大変だったが、しだいに慣れた。電車待ちの客をあてにした商売が中野駅の周辺で増えて、時間を潰す場所には困らなかったからだ。駅前広場のパブリックハンギングで人が首にロープをつけたまま落下するのを眺めたり、うずら園へ行ってお茶を飲んだり卵を拾ったりしていると、それなりにしのげた。
停車時間が2日間になったときには、もっと腰を据えて時間を潰さなくてはいけなくなった。それだけ時間があるなら歩いて阿佐ヶ谷へ帰ろうかとも思ったが、検問が行われていて中野から西へは自由に行けなかった。これほど長く乗客を中野に留め置くことは疫病対策になにか関係があるらしかったが、詳しいことはわからなかった。
なんにせよ2日間は長い。食料を仕入れて寝る場所を探そうと思い、とりあえずブロードウエイに行った。その名のとおりブロードウエイはとても広く、20〜30mくらい幅がありそうな道路の両端にはかすかに黄色い葉を残す銀杏が並び、樹の下には雑多な屋台が出ていた。植木屋、金物屋、肉屋、魚屋、おでん、綿あめ、射的、大人のおもちゃ、根付、オーディオ用品、型抜き、スマートボール、骨董品、ありとあらゆるものがあった。
道路脇にプロパンガスのボンベを持ち込んでソーセージを焼いていたので、2本買った。真冬でも麦わら帽子をかぶったおばさんが、ちぎった生のキャベツ、青い唐辛子と一緒に小さなビニール袋へ入れてくれた。この辺でどこか安く泊まれるところはありませんかとついでに訊くと、最近電車待ちの人向けにキャンプ場ができたよと教えてくれた。
キャンプ場はうずら園の裏手にあった。入口で受付を済ませると、カーキ色のテントと寝袋を借りた。米も売っていたので買った。調理場にたくさん積んである飯盒を借りて米を炊いているうちに日が暮れた。
暗くなると一気に寒くなった。このまま寝られるかどうかもわからないほど寒かったので、斜め向かいのテント前でやっている焚き火にあたらせてもらった。そこにいたのは自分と同じくらいか少し上の年頃の男性で、柔らかい物言いのわりに目の奥の光が鋭かった。焚き火の上で沸かしていたお湯で焼酎を割って飲ませてくれたので、自分はポケットに入っていた南部せんべいを渡した。
これから毎回、西に向かおうとする度に足止めを食らわせるつもりなんですかね、国も呑気なもんですね、などと話し合っているうちに私たちは打ち解けた。国分寺に住むミヤシタさんというその男性はカメラマンで、戦場というよりは紛争地帯の取材を専門にしているらしく、数年前、パキスタンからアフガニスタンへ入った時の話をしていた。自動小銃を持ち、黒い布で顔を覆ったタリバンの兵士が乗るピックアップトラックについて村を、学校を周って子どもたちを撮影したこと。片目のない子、腿から膝にかけて爆撃の痕で肉がえぐれたままの子が珍しがって寄ってきたこと、阿片栽培関連の場所は一切撮影を許されなかったこと。暗闇の中で炎を眺めながらそんな話を聞いていると、自分が東京にいることを一瞬忘れた。
テントに戻って眠りについたものの、寒さで目が覚めた。寝袋が冬用なのかどうかわからない。奥歯がガチガチ鳴るのを自分では抑えることができなかった。このまま横になっているのに限界を感じて外に出ると、空がかすかに明るくなり始めていた。バラックのトタン屋根が、木が、電柱が、金色と紫色の混じった光から現れてきた。今日一日をどうするかはまだ決まっていなかった。
文面は下記の通り
貴方のアカウントに最近メールをお送りしましたが、お気づきになられたでしょうか?
どうすればそんなことが可能なのか疑問に思っておられますか?それは、訪問されたアダルトサイトに付いていたマルウェアに感染されていらっしゃるからです。あまりご存知ないかもしれないので、ご説明いたします。
トロイの木馬ウイルスにより、私は貴方のパソコンや他のデバイスに完全にアクセスが可能です。
これは、貴方のスクリーンに搭載されたカメラやマイクをオンにするだけで、貴方が気づくことなく、私が好きな時に貴方を見ることが可能となることを意味します。その上、貴方の連絡先や全ての会話へのアクセスも行なっておりました。
「自分のパソコンにはウイルス対策ソフトを入れているのに、なぜそれが可能なのか?なぜ何の通知も今まで受信しなかったのか?」とお考えかもしれませんね。その答えは単純です。
私のマルウェアはドライバーを使用し4時間毎に署名を更新するため、ウイルス対策ソフトでは検出不可能なので通知が送られないのです。
左側のスクリーンで貴方がマスタベーションを行い、右側のスクリーンでは貴方が自分を弄っている間に閲覧していた動画が再生されるビデオを私は所有しています。
これからどんな悪いことが起きるのか心配ですか?私がマウスを1度クリックするだけで、この動画は貴方のソーシャルネットワークやメールの連絡先全てへと送信されます。
また、ご利用のメールの返信やメッセンジャーにもアクセスして動画を共有することだって可能です。
この状況を回避するために出来ることは 、$1000相当のBitcoinを私のBitcoinアドレスへと送金するだけです(方法が不明な場合は、ブラウザを開け「Bitcoinを購入」と検索するだけで分かります)。
偏見についてはそれはそうだが、偏見に気づきつつも修正できない人は大人にも多いし、
たとえガキのようなお気持ち表明だからと言って喋ってはいけない理由にはならない。
表現の自由がある。
https://togetter.com/li/1640001
これを見て思ったのだが、昔からどういうことかクラスで吊し上げされやすい生徒というのはいた。
この吊し上げにされる生徒、実は担任が誘導していたと言ったら驚くだろうか?
事実はそうではないかもしれないが、クラスの中で吊るし上げられたりいじめられたりしても影響がひどくならない児童というのは大抵の場合いる。スクールカーストの最下部とでも言えばいいかもしれない。単に切って捨てられるだけの生徒だ。そういうのを便利に活用する教師というのは実はいる。
子供の健やかな成長?
正直、自分の教師としての立場が揺らぐのであれば、子どもたちなんかはどうでもいい。
ここまで悪意のある教師がいるかは知らないが、教員会議の中で自分が吊るし上げられないことが一番大切だ。
クラスの子どもたちが一致団結してことに当たるといういかにも集団主義者における美徳が評価項目の中でウェイトを占めているのだろうか。
だが、重要なのは「みんなが仲良く一致団結」ではなく「みんなが形はどうあれ一致団結」だ。クラスの中なんか外からは見えない。とにかく見た目上一致団結してさえいればそれでいい。教師は会議の中で「みんな仲良くまとまっています」とさえ言っていればいい。
このいじめというのはいじめられる本人にはたまったものではないし、人格形成にとんでもないトラウマを刻みつけるのだが、いじめがあっても見てみぬふりしたほうが教員にとっては最も負荷が少なくクラスを一致団結させられるという裏技として脈々と受け継がれている。
某国で仮想敵国を作ることで国民の団結を促すのと同じテクニックだ。さすが思想的に同じ源流を持つ二者は同じことをする。
当然そうではない教員もいる。いじめなんか許さない、きちんと教師のリーダーシップでクラスをまとめ上げるという先生もいただろう。だが、彼らの体力が持たなくなったし、彼らのノウハウなど受け継がれようはずもない。頑張ってクラスをまとめ上げるリーダーシップを発揮するくらいなら、いじめられっ子を一人用意すればいいじゃない、あまりに多忙な教師がダークサイドに落ちるのはあまりにもたやすいし、そうやってきた教師はそれしかなくなる。
また、頑張ってクラスをまとめ上げられる教師ほど「子供を平等に扱うべきだ」というモンスターペアレンツの的になる。クラスをまとめたい教師はどうしても全体の和を乱す子供に時間を取られて、乱さない子供には手薄になる。これが気に入らない両親によってクラスをいじめ抜きでまとめられる教師ほど追い出される。そういう教師を何故か学校も守らない。
いじめを利用して見かけ上のクラスの団結を高める。いじめられている子には「みんな君と仲良くしたいんだよ!わかってあげたほうがいい!むしろ君の方からガンガンいっちゃったほうがいいんじゃないかな!?」とか言えば引き下がる。子どもたちはそういう子をピックアップする。教師もいじめがあることなんかわかっているが「気づきませんでした」と言っておけばとりあえず守られるし、その学校を立ち去る羽目になってもどこか遠くで何事もなかったように教壇に立てる。
教師からすればそれがいじめではないように理論を偽装することなどたやすい。
いじめがある、両親が気づく、学校がのらりくらりとかわすのは実はこの辺の構図があるのだろう。「せっかくまとまってんだから余計なこと言うなよ」と思っているのかもしれない。
そして今日も学校はこういう「これがいじめだとは認識していませんでした」と。
そういうわけで、なぜ学校にはいじめがあるのか、そして痛ましい事件があとをたたないのか、と言ったことを書いてみた。
そんな自分もかなり熾烈な苛めにあってきたのでこの辺は結構調べた。
とうぜん「そうじゃない人々がそうじゃない」と言ってくるかもしれないし、クッソくだらない揚げ足取りもされるかもしれないが、「そうだった人がそうだった」と言っているのだ。