https://togetter.com/li/1640001
これを見て思ったのだが、昔からどういうことかクラスで吊し上げされやすい生徒というのはいた。
この吊し上げにされる生徒、実は担任が誘導していたと言ったら驚くだろうか?
事実はそうではないかもしれないが、クラスの中で吊るし上げられたりいじめられたりしても影響がひどくならない児童というのは大抵の場合いる。スクールカーストの最下部とでも言えばいいかもしれない。単に切って捨てられるだけの生徒だ。そういうのを便利に活用する教師というのは実はいる。
子供の健やかな成長?
正直、自分の教師としての立場が揺らぐのであれば、子どもたちなんかはどうでもいい。
ここまで悪意のある教師がいるかは知らないが、教員会議の中で自分が吊るし上げられないことが一番大切だ。
クラスの子どもたちが一致団結してことに当たるといういかにも集団主義者における美徳が評価項目の中でウェイトを占めているのだろうか。
だが、重要なのは「みんなが仲良く一致団結」ではなく「みんなが形はどうあれ一致団結」だ。クラスの中なんか外からは見えない。とにかく見た目上一致団結してさえいればそれでいい。教師は会議の中で「みんな仲良くまとまっています」とさえ言っていればいい。
このいじめというのはいじめられる本人にはたまったものではないし、人格形成にとんでもないトラウマを刻みつけるのだが、いじめがあっても見てみぬふりしたほうが教員にとっては最も負荷が少なくクラスを一致団結させられるという裏技として脈々と受け継がれている。
某国で仮想敵国を作ることで国民の団結を促すのと同じテクニックだ。さすが思想的に同じ源流を持つ二者は同じことをする。
当然そうではない教員もいる。いじめなんか許さない、きちんと教師のリーダーシップでクラスをまとめ上げるという先生もいただろう。だが、彼らの体力が持たなくなったし、彼らのノウハウなど受け継がれようはずもない。頑張ってクラスをまとめ上げるリーダーシップを発揮するくらいなら、いじめられっ子を一人用意すればいいじゃない、あまりに多忙な教師がダークサイドに落ちるのはあまりにもたやすいし、そうやってきた教師はそれしかなくなる。
また、頑張ってクラスをまとめ上げられる教師ほど「子供を平等に扱うべきだ」というモンスターペアレンツの的になる。クラスをまとめたい教師はどうしても全体の和を乱す子供に時間を取られて、乱さない子供には手薄になる。これが気に入らない両親によってクラスをいじめ抜きでまとめられる教師ほど追い出される。そういう教師を何故か学校も守らない。
いじめを利用して見かけ上のクラスの団結を高める。いじめられている子には「みんな君と仲良くしたいんだよ!わかってあげたほうがいい!むしろ君の方からガンガンいっちゃったほうがいいんじゃないかな!?」とか言えば引き下がる。子どもたちはそういう子をピックアップする。教師もいじめがあることなんかわかっているが「気づきませんでした」と言っておけばとりあえず守られるし、その学校を立ち去る羽目になってもどこか遠くで何事もなかったように教壇に立てる。
教師からすればそれがいじめではないように理論を偽装することなどたやすい。
いじめがある、両親が気づく、学校がのらりくらりとかわすのは実はこの辺の構図があるのだろう。「せっかくまとまってんだから余計なこと言うなよ」と思っているのかもしれない。
そして今日も学校はこういう「これがいじめだとは認識していませんでした」と。
そういうわけで、なぜ学校にはいじめがあるのか、そして痛ましい事件があとをたたないのか、と言ったことを書いてみた。
そんな自分もかなり熾烈な苛めにあってきたのでこの辺は結構調べた。
とうぜん「そうじゃない人々がそうじゃない」と言ってくるかもしれないし、クッソくだらない揚げ足取りもされるかもしれないが、「そうだった人がそうだった」と言っているのだ。