2020-12-22

教師にとって重要なのは子どもたちの健全な成長なんかじゃない

https://togetter.com/li/1640001

これを見て思ったのだが、昔からどういうことかクラスで吊し上げされやすい生徒というのはいた。

この吊し上げにされる生徒、実は担任誘導していたと言ったら驚くだろうか?

事実はそうではないかもしれないが、クラスの中で吊るし上げられたりいじめられたりしても影響がひどくならない児童というのは大抵の場合いる。スクールカーストの最下部とでも言えばいいかもしれない。単に切って捨てられるだけの生徒だ。そういうのを便利に活用する教師というのは実はいる。

教師にとって重要なことはなんだろうか?

子供の健やかな成長?

子供知的レベルの向上?

子どもたちが友情を育む?

もちろん教師にとってこれら「も」重要だが、最も重要なのは

自分地位が脅かされないことだ。

正直、自分教師としての立場が揺らぐのであれば、子どもたちなんかはどうでもいい。

ここまで悪意のある教師いるかは知らないが、教員会議の中で自分が吊るし上げられないことが一番大切だ。

クラスの子どもたちが一致団結してことに当たるといういかにも集団主義者における美徳評価項目の中でウェイトを占めているのだろうか。

だが、重要なのは「みんなが仲良く一致団結」ではなく「みんなが形はどうあれ一致団結」だ。クラスの中なんか外からは見えない。とにかく見た目上一致団結してさえいればそれでいい。教師会議の中で「みんな仲良くまとまっています」とさえ言っていればいい。

そしてこれの最も簡単方法が実は「いじめがあること」だ。

このいじめというのはいじめられる本人にはたまったものではないし、人格形成にとんでもないトラウマを刻みつけるのだが、いじめがあっても見てみぬふりしたほうが教員にとっては最も負荷が少なくクラスを一致団結させられるという裏技として脈々と受け継がれている。

某国仮想敵国を作ることで国民の団結を促すのと同じテクニックだ。さすが思想的に同じ源流を持つ二者は同じことをする。

当然そうではない教員もいる。いじめなんか許さない、きちんと教師リーダーシップクラスをまとめ上げるという先生もいただろう。だが、彼らの体力が持たなくなったし、彼らのノウハウなど受け継がれようはずもない。頑張ってクラスをまとめ上げるリーダーシップを発揮するくらいなら、いじめられっ子を一人用意すればいいじゃない、あまり多忙教師ダークサイドに落ちるのはあまりにもたやすいし、そうやってきた教師はそれしかなくなる。

また、頑張ってクラスをまとめ上げられる教師ほど「子供平等に扱うべきだ」というモンスターペアレンツの的になる。クラスをまとめたい教師はどうしても全体の和を乱す子供時間を取られて、乱さな子供には手薄になる。これが気に入らない両親によってクラスいじめ抜きでまとめられる教師ほど追い出される。そういう教師を何故か学校も守らない。

いじめを利用して見かけ上のクラスの団結を高める。いじめられている子には「みんな君と仲良くしたいんだよ!わかってあげたほうがいい!むしろ君の方からガンガンいっちゃったほうがいいんじゃないかな!?」とか言えば引き下がる。子どもたちはそういう子をピックアップする。教師いじめがあることなんかわかっているが「気づきませんでした」と言っておけばとりあえず守られるし、その学校を立ち去る羽目になってもどこか遠くで何事もなかったように教壇に立てる。

教師からすればそれがいじめではないように理論偽装することなどたやすい。

いじめがある、両親が気づく、学校がのらりくらりとかわすのは実はこの辺の構図があるのだろう。「せっかくまとまってんだから余計なこと言うなよ」と思っているのかもしれない。

そして今日学校はこういう「これがいじめだとは認識していませんでした」と。

そういうわけで、なぜ学校はいじめがあるのか、そして痛ましい事件があとをたたないのか、と言ったことを書いてみた。

そんな自分もかなり熾烈な苛めにあってきたのでこの辺は結構調べた。

とうぜん「そうじゃない人々がそうじゃない」と言ってくるかもしれないし、クッソくだらない揚げ足取りもされるかもしれないが、「そうだった人がそうだった」と言っているのだ。

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