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はてなキーワード: 形式知とは

2021-06-22

anond:20210516074518

そんなの教えなくても気づくだろ

暗黙知形式知にしなくてもいい

2021-05-16

anond:20210516074518

そんなの教えなくても気づくだろ

暗黙知形式知にしなくてもいい

2021-01-08

センスは量

センス センサー センシティブ アウェアネス 気づき

 どのサブセット、クラスターで獲得するか 競争 ルール確認 エコーチェンバー注意 習うより慣れろ

  自然に触れていることであれ意識していることであれ、あえて客観メタ確認する、観察する、言葉にする

   体(内臓筋肉)、頭(神経)、心(作用素アラート対処)(前提条件、環境(言外のそそのかし、広告など))

    暗黙知(アレをああする、ジャーゴン方言形式知読書など) マイケルポランニー 梅棹忠雄

   やり口 手口 問題解決 知的創造 野口悠紀雄

文章を大量に書く習慣があって慣れていれば体裁を整えられたのかもしれない

2018-08-31

anond:20180831083818

普通職場だとこういう暗黙知形式知に変えていく作業ってのがあるんだけど、

ブラック会社、古くからの人が権力を持っている会社って

社内スキルあんまり伝授されないように思う

まんさんが多い職場もそうだな

お局が権力を握って離さないために

新人女の子、気がきかないよね」って言いたいために教えない

2017-06-30

https://anond.hatelabo.jp/20170630113001

先輩の思ったタイミング

先輩の思った項目を

先輩の思った手順で実行し

先輩の思った結果を残す

何も教えてもらわなくてもこれができないと叱責される

そういう職場あるよね

自分10年かけて獲得した暗黙知

後輩には教えない

形式知を広げようとは思わないみたいだね

それってポジショントーク

2014-06-24

模倣できないハンデ

見よう見まねが全く出来ない人間にとって、この世は非常に生きにくい。

と、のっけから主語が大きい増田だが、自分観測範囲でこのハンデを抱えていて幸せという人には会ったことがないので仕方ない。

見よう見まねが出来ない人間は、あらゆる物事の習得に、普通の人の数倍時間がかかるので、大抵習得出来ないまま終わる。

というのも、人間の諸活動言語化できる範囲などたかが知れていて、大抵の物事はいちいち言語化されたノウハウハウツーなど使わずに会得するものからだ。

そして、そういう「非言語アプローチ」の核になる知的要素が、見よう見まねと。

最近暗黙知形式知にすることの必要性喧伝されているが、早晩限界に突き当たると自分が考えている理由でもある。


これだけだと何がどうハンデなのかピンと来ない人がいると思うのでもう少し説明すると、見よう見まねで覚える最たる物がスポーツコミュニケーションだったりする。

こう書くと、見よう見まねが出来ないで大人になることのヤバさが多少は理解できるだろうか。


例えば球技場合キャッチボールから始まってバレーサーブテニスラケットスイングまで、最低でも肩・肘・腰・脚の連動が必須で、これらがきちんと噛み合わない限り、絶対に上手くいかない。

しか普通の人は、自分から言わせればそういう恐ろしく難しい動作を、ほぼ見よう見まねだけで習得してしまうのだから信じられない。

もしこれを自分習得しようと思ったら指導者がいるのは前提で、更に「今手本を見せるからな、肘見てろよ、絶対だぞ!」とか細かく注意喚起してもらいながらやれば、そのうち出来るようになるかも?という体たらくだ。

このレベル指導をただでやってもらうのは無理だろう。

というわけで、絶対こんなのより微積の問題とかのほうがまだ簡単じゃんと思ったり。


それでもスポーツは、コミュニケーションに比べれば、コーチングとかが確立している分、まだマシかも知れない。

しろ、今のところコミュ力アップの方法は、心の広いリア充に色々連れ出してもらったり、或いはヤリチンヤリマンおこぼれにあずかるのが最も効率良いというか、それくらいしか方法がない。

そうやって洗練された(?)コミュニケーションの渦中に放り込まれて、見よう見まねで悪戦苦闘しかないということだが、自分が最も苦手な方法が最も効率良いとか、全く最悪の状況だ。

やる前から壮絶にコストがかかると容易に予想できるものを、進んでやりたくなるわけがない。


とにかく、そんなわけで人間が生きる上で最も必要知的能力が欠落したまま育つ結果、出来ることしかやらなかったり、努力というものに強いアレルギーを抱いた挙げ句、色々足りていない大人になると。

かくいう自分勉強だけは出来たが、それも高校まりで、気がつけば「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの変人」という流れだった。

かといって、当時もっと勉強を頑張って、後年「俺が高学歴なのは努力の結果だ、今まで遊んできた奴には(ry」などと言い放つの幸せ人生だったかも大いに疑問。

ま、いずれにせよ自分にとって今までもこれからも、この世は生きにくいのが普通なのだろう。

気がついたら「人生なるようにしかならない」が座右の銘になってしまった。

2014-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20140528211240

技術というからには、修得の容易性の観点から形式知になっていることが前提と思っていたから書いたのだが。

それに何度も反論するけど、形から見よう見まねで体得できる奴は、そもそもコミュニケーションに困難を感じたりしないっての。

この2点だけ取っても、言っていることが非現実的で参考にならない。

そんなんで技術の問題とか言われても同意しかねる。

http://anond.hatelabo.jp/20140528113015

あのさ・・・人格が優れている人間厚遇されるのは当たり前でしょ。それが人というもんじゃねーの?


コミュ力技術的側面を全否定はしないが、そんな小賢しいやり方なんてバレバレだし、なんか必死過ぎて萎える。

下手にスキルの向上で解決しようとするから、便所紙にもならないような、読む価値ゼロマニュアル本が蔓延するんだよ。

てか、そんな本に頼っているうちは絶対モテるようにはならないわ。

コミュニケーションノウハウのうち、形式知にまとめられる部分なんて極めて限定的から

個々のテクニックくらいはともかく、それらをTPOや相手の性格に即した活用まで体系化するのは、複雑すぎてまず無理。

少なくとも、そこまで踏み込んでまとめた本や資料なんて、世界中探しても存在しないだろう。

もし存在するというなら見せてみろと言いたい。


もし本じゃなく、日々の実地の会話で体得しろというのなら、そもそもそれができればコミュ障になってないと反論しておく。

2010-01-20

自分のための恋愛マニュアル備忘録も兼ねて)

最初に断っておくがこれは非モテの人用に書いたものではない。

ただ自分の中での暗黙知形式知にしたかったのと、他の人に対して何かしら参考になったり、他の人が同様のことを書いてくれればもっと個々人の例に落とし込めるのではと思ったからだ。

俺が何を意識しているかというと、次の3つだ。

自分を客観的に見ることを心がける、と相手を否定しない、そして常に相手の気持ちを考えようとすることだ。

すごく人と付き合う上での本質的なことだと思うけど、はてなでは小手先のこと書いてるやつばっかだし逆に新鮮かもしれない。

自分を客観的に見ることを心がける。

→これはまず自分スペックを客観的に見ることと相手と対面している時の自分を客観的に見ることを心がけることに別れる。

自分スペックを考えてみろ。お前は狙っている子を落とせるほどの経験を積んできているのか?世の中には二つのカテゴリ女の子しかいない。

自分が手を出せるレベルカテゴリの子と出せないレベルカテゴリの子だ。

相手と対面している時の自分を客観的に見ろ。キャラに似あわないことやってないか?お前にはお前のキャラが客観的に見たら印象づけられてるんだからそれを無理に無視するな。

・相手を否定しない。

→人と付き合うってのは「自分と違う他人を受け入れる」ことの積み重ねだ。相手は自分とは性別も環境もすべて違う赤の他人。それなのに数少ない自分経験を持ち出してしたり顔で否定してどうする?

本当に相手に興味があって、自分に対して謙虚なら、相手のする話に当然興味がわくし、遮って自分の話したりしないでもっと引き出すだろ?

相手の話遮ってでも自分の話しちゃったり、とりあえず否定するやつは相手から見たらただの我が身かわいい世間知らず。

こんな言葉の上でのコミュニケーションだけでも苦労してるなら、ちゃんと付き合うなんてもっと「自分と違う他人を受け入れる」の繰り返しなんだから先が思いやられるぞ。

・常に相手の気持ちを考えようとする

→こんなのエスパーでもないんだから普通に無理。でもこれを意識すると相手から自分がどう見えるかわかりだすし、その場において自分がどう振舞うべきかが見えてくる。これをレベルアップするには良質な映画や、小説の登場人物に自分の感情を置き換えて消化してみるとかかな。

相手の気持ちを考えようとすると相手の小さな変化にも気づくことができたり、自己中な自分から抜け出すきっかけにもなっていく。

最後に

恋愛って基本的に個人のスペック(顔や学歴年収)と実際の経験の積み重ねで総合的なレベルが判断されるモノだと思う。

あと、自分の到達しているレベル付近の子や、それ以下の子しか基本的には無理。

たまに何かの拍子で自分レベル以上の人と付き合えたらその出会いを大事にして、いろんなことを吸収するのがいいんじゃないかな。

2009-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20091102224450

マジレスすると、学校教育で明示的に教えられるのが所謂「良い子」を高評価とする価値観だから。

普通の人は学校コミュニティを通して「社会では暗黙的に規定されるコミュニケーション能力重要である」ということを学ぶんだけど、

非モテ普通非コミュだから、暗黙知を学ぶことができず、形式知(良い子=善)が唯一絶対の価値観だと信じる他なくなるわけだ。

2008-12-22

作家言語

むしろ、文学の危機にあるのは英語です。標準ツール化され、微妙ニュアンスはどんどん失われていきます。NHKアナ標準語だけで小説を書けといわれたら困りますよね。

仕事において、形式知を伝達するためのツールとしての英語はどんどん重要になります。出来る限り勉強はすべきです。ただ、文学的な英語までマスターする必要はないでしょう。シンプルに、過不足なく伝える英語が大事になります。

日本語は亡びぬ、何度でもよみがえるさ!」

http://d.hatena.ne.jp/sivad/20081221#p1

これを読んでいて安部公房の事を思い出した。

安部公房は徹底して簡潔な表現で文章を削り込んで小説を書く事にかなりの労力を注いだ作家で、自身の執筆を「消しゴムで書く」などと表現していた。

語彙なども極力簡単なものを使おうと「小学校五年生ぐらいの言葉ですましたい(*1)」と言っているくらいだ。

「ぼくが問題にするのは、〈正確な文章〉だ。複雑なものをどれだけ正確に伝えられるかということ。文章に対しては、いい文章かわるい文章かであって、〈美しい文章〉というのはおかしい。フローベール六法全書のような文章を書きたいと言ったのはよくわかる。つまり表現の、内容と形式がどこまで一致するか、という問題だ。(*2)」

誤解を恐れずシンプルに言うと、まさに「NHKアナ標準語だけで小説を書」く事を目指していた作家だと思う。

さらに安部公房は徹底した「反伝統」指向の文化論の持ち主で、その辺りの思想も面白いのですが、それについてはまた稿を改めて。

出典

*1「構造主義的な思考形式」(1978.1.16)

*2「いま日本語は…」朝日新聞の談話記事(1984.8.20)

 
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