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2021-05-03

推定無罪だろう?

独自】「お母さん」悲鳴の後に…女子大生死亡、ベランダからハシゴ下りた男が殺害

https://news.yahoo.co.jp/articles/f394d895199c0cebdb8d1476b00ae28171eb9d08

外部の第三者が火をつけた可能性が残ってるのに、なんで嘉本が犯人だと決めつけてるんだ???

有罪判決が出るまでは推定無罪だろ?

2021-05-02

毒親と戦って勝った夢を見た。

私の母は毒親だ。

毒親の凄い所は、たとえ直接の関わりを絶ったとしても、延々と子供脳内に巣食い呪いを撒き散らす所だ。

逃げるように家を出て、一人暮らしで自活を始めてからも、私は毎日のように母に罵倒暴力を受ける夢を見た。

一人暮らしを始めてからの数年に渡って、夜は悲鳴を上げながら飛び起き、朝は金縛りにあって幻聴で母の足音罵声を聞いた。

起きている時も私の行動や思考の一つ一つを、脳内で母の声が馬鹿にして否定し、少しでも自分を褒めたり認めたりするとすかさずその十倍罵声を浴びせた。

そんな私が、夢の中とはいえまれて初めて毒親に「勝った」と思えたので興奮のままに記録しておける場所を探し、アカウントを取得してここに辿り着いている。

母は私の容姿性格をいつもケチョンケチョンに貶すだけではなく、よく暴力を振るった。

私を物で殴る時、母は次々と殴る物の材質を変えて私の反応を見る。一番痛がった物を、次からずっと使うためだ。必死でどれも痛くないフリをしようとするが、幼い子供だ、結局我慢できずに泣き叫んでしまう。脆い物なら、物の方が壊れる。

壊れにくさと痛さから、母が常習的に私を殴る武器プラスチックハンガーになった。

あれは痛い。服の上から殴るのではなく、脱がせて素肌を殴るのだ。

私は夢の中で実家に住んでおり、1泊2日で京都神社仏閣巡りに行こうとしていた。

元々、全てが行き詰まった時に、突然思い立って一人で京都まで行き、7つの神社仏閣を巡って願掛け旅行(?)を決行した経験がある。

今回もそれだ。私の人生は切羽詰まっていた。新幹線の予約を取り、白装束でご利益のある神社を訪れる計画を立てた。

親に行き先を告げずに外泊などしたことがない。親が来客を相手している間に「ちょっと出かけてくる」と装って全身白に着替え、家を出ようとした。

白のワンピースはあるが、白のキャミソールが見つからない。とりあえず下着に直接ワンピースを着てみるが、透けてしまいこれはダメだと着替えようとしたその時。

親がキレた。

「何その格好、みっともない!!!早く濃い色のキャミソールを着なさい!!!

願掛けのため全身白装束にこだわっていたので、拒否した。白のキャミソールを家で探すか買ってくるつもりだったが、親は一度キレると人の話を聞かない。

「これでいいでしょ!!!これを着なさい!!!早く!!!

言い争いになりヒートアップした親はプラスチックハンガーを手に襲ってきた。怒鳴り合いながら広い家の中を逃げ回り、数時間の攻防を経てなんとか家を出る。原因がどんなくだらないことでも、毒親にとっては自分服従するかしないかが大切なので、こちらが全面降伏姿勢を取るまで延々と戦いは続く。

新幹線の予約時間を過ぎてしまっていた。結局行き先を聞き出した親が車で京都まで着いてきた。

あんたが一人で京都なんて行けるわけがないのよ。仕方ないから私が送ってあげるから感謝しなさい」

「お母さんのせいで遅れたんだから新幹線お金返してよ!」

おそらくいつもなら私が形だけ反省感謝をして丸く収まり、二人で旅行という名の親の行きたい所に付き添いが始まる展開だ。

だが今回の私は徹底して反発した。

京都に着いてからは強引に別行動を取り目的の参拝を終え、帰りの新幹線で親に見つかった。

私が一向に私が悪かったと認めないので、まだキャミソールのことで喧嘩しており、新幹線の中で怒鳴り合い泣き叫ぶ修羅場になった。

「お母さんのやってることはおかしい!どうして下着の色まで決められなきゃいけないの?」

「親だからに決まってるでしょ!親の言うことは聞きなさい!」

「それなら私もお母さんの下着の色勝手に決めるね。自分がされたら嫌でしょ?」

「親に向かってその態度は何だ!」

「親子以前に私は人間だよ!人に向かってその態度は何だ!」

殴るぞ!」

「じゃあ私もお母さんが逆らったらハンガーで殴るね!」

「親を殴るとは何事だ!」

「だから、それ以前に私は人間だ!人に対して暴力を振るうとは何事だ!」

この返しを思いついたのは現実でも夢でも初めてだった。私はいつも親の屁理屈というか、屁理屈ですらない恫喝丸めまれしまっていた。

延々とこの堂々巡りを続けた。家に帰れば殴られるのが分かっていたが、私は引かなかった。

「お母さんに勝手下着の色を決められて不愉快な思いをしたので、それをやめて謝らないなら私もお母さんの下着の色を強制する。嫌がったらハンガーで殴る」

私はひたすらこの条件を主張し続けた。親がハンガーを振り上げる。私も咄嗟にもう1つのハンガーを掴み親を殴った。

物で殴り返したのは初めてだ。

毒親悪夢を見ている時いつも、親に言い返そうとすると何故か声が出なくなる。そしてどうしようもなく涙腺が緩む。涙ばかりが流れ、かすかに囁くような声しか出せなくなる。それをまた馬鹿にされる。そして諦めるか、必死に叫ぼうとしながら目が覚めるかのどちらかだった。

今回の私は諦めず目も覚めなかった。ほとんど息しか出なくなった声帯で懲りずに同じことを主張し続けた。

大人の体になりハンガーを手にしている私を、親は本気で殴ってこなかった。結局脅しでしかないのだ。知っていた。誤魔化すように軽くぺしぺしと叩かれた。構わず私は殴った。これも何故か力の入らないフニャフニャの腕で、それでも出来る限りの本気で親を殴った。

あんたの格好があまりにもみっともないから。あんなブラが透けた格好して恥ずかしい!馬鹿じゃないの?あんたのためを思って言ったんだよ」

言い訳をし始めたが、そもそも私は白のキャミソールを探していたので透けたまま外に出る気などなかったこともスカスカの声で説明した。

そもそも、部屋で一瞬みっともない格好になったから何?そういうミスをずっと引きずって馬鹿にするのはただの意地悪だと思うけど」

「何度も言うけどあんたが親とか以前に私は人だ。人に対してその扱いはおかしいだろ。他人同士なら法で裁かれる案件だけど?それをすぐにやめないなら、私はあなたに同じことを要求し逆らえば同じ罰を与えます自分がされたらどれだけ屈辱的か分かるでしょ?今私に下着決められるのをそれだけ拒否するくせに、私に同じことをしたんだよね?」

初めて親が折れた。親は謝らなかったが、すったもんだの末、私が適当指定した下着を諦めて渋々身につけた。

そして目が覚めた。

いつも毒親悪夢を見ていた時と同じように、全身汗びっしょりで喉はカラカラに乾いていたが、今までにない爽快感があった。

私は人間だ。だから人権がある。

こんな単純な反論を今まで数十年間思いつかなかったなんて。

夢で親に勝っただけで、現実は何一つ変わっていない。現実の親はまた、都合のいい時だけ連絡してきて、私に対して支配的に振る舞うんだろう。

だけどその時の抵抗の仕方を夢に教えてもらった気がする。

京都神様ありがとう

2021-04-28

エゾシカとぼく

端的に申し上げるのならば私は狩人である
北海道の片田舎漁業狩猟生業とする家に生まれた。

突然だがご存知だろうか。鹿は、強い。
北海道に生息する鹿はエゾシカと呼ばれ、本州へ生息する鹿よりも体躯は大きく力がある。
通常であれば猟銃で仕留めるところを仕留め損ね、猟銃禁止区へエゾシカが逃げてしまった場合アイヌ伝統に習って槍での戦闘が始まるのだ。

筆者は奈良公園の鹿と対面したときには唖然としたものだ。
眼にまるで生き汚さはなく、体躯はたるみ、あまつさえ我々人間に媚を売る始末。
更に仔鹿などは創作物の影響から愛玩動物のような印象を持っている人だって少なくない様子であった。
私の眼の前には鹿なぞ居らず、私が見たものはどこぞの貴族様だったのだ。

エゾシカに向かって槍を構える。
穂先を決して上げてはならず地面すれすれを維持する。エゾシカはそれに呼応するように頭を下げて立派な角を向けてくる。

創作物などでは槍を高々と掲げる描写がよくある。映える場面にはなるのだろうが実際の戦闘では悪手だ。
槍を掲げ、そして振り下ろすという動作が遅れた場合を想定して欲しい。
エゾシカの突進は非常に強力で、もしも振り下ろしが遅れたのならば突進をモロに受けてしま狩人の腹には風穴が開くであろう。

からこそ地面すれすれに穂先を構え、そして突く。
先手を取る筆者の突きへエゾシカは素早く反応し突進を繰り出す、かに見えた。フェイントだ。
一撃必殺を狙った突きは重い。であるからこそ空を突いた場合の隙きは筆者へ重くのしかかる。
危機を感じた筆者は直ぐさま穂先を下げ、その瞬間にエゾシカは突進を繰り出した。

エゾシカの突進は槍が受ける。高く掲げればこうはいかない。
エゾシカは槍に触れた瞬間に頭を振り回し槍を絡め取ろうとするが、筆者は身体を回して突進を受け流し距離を取る。
穂先を下げて牽制の再開だ。

エゾシカこちらの様子を伺う。エゾシカの眼が生き汚く睨みつけてくる。
悪いが死んでやるつもりはない。お前が死ね
見解の一致を交差する視線から悟り、槍と角が交差する。

若鹿にあるような突進一辺倒でない。
一度の突進で押しきれないと理解するや角を振り回して小突く、小突く、小突く。
太い首に支えられつつ、いくつにも分岐した角は捌ききるには厄介だ。
こちらの嫌な表情を見逃さず、小突き、一歩、小突き、一歩と前へ出て圧力を加えてくる。

強い、鹿は強い。
体重差2倍以上、筋力差膨大、スタミナ差途方もない。
突いて、捌いて、下げてを繰り返す筆者の腕は痺れ、悲鳴を上げ、じりじりと追い詰められていく。

鹿は強い、そんなことは知っている。
堪えて、堪えて、堪えて、それでも堪えた終わりは突然やってくる。エゾシカのスタミナが切れたのだ。
銃弾を受けた足の出血が想定よりも早くエゾシカのスタミナを奪い続けていた。
エゾシカの猛攻は止まり二歩三歩と下がったのちエゾシカはその場に座り込んだ。
エゾシカと筆者の視線が交差する。そして筆者は槍の構えを解く。

美味しく食べよう。そしてまた明日エゾシカを狩ろう。
ご存知だろうか。鹿は、強い。

anond:20210428084830

ヴィーガンだけど、こういうスレ普通にありがたいしうれしいものだ。

これがブタやウシとかの食用経済動物なら、おれたちみたいな一般人はなるべく感情移入しないで済むような仕組みができあがってるわけじゃん。ふつうは顔も名前も知らないし、飼育現場との生活上の接点はないし、屠畜という一番血なまぐさいところは徹底的に隠蔽されてるし、食肉として流通・陳列される段階では「生きた動物痕跡」は徹底的に消されてる。とにかく「動物を殺して食う」ということへの罪の意識なり、後ろめたさなり、「かわいそう」という感情なりを初手から持たなくていいような仕組みになってるじゃん。

ここの理解をしている人はかなり勉強しているというか意識が高いと思う。いわゆるプロセストミートという産業構造によって、肉食という概念を我々はうまくカムフラージュされている。

今でも途上国田舎に行けば家族で豚や鳥をさばくが、血が飛び出たり悲鳴が聞こえたり、子供たちはそういう経験をして肉を食べる。

なので「ハレ」「ケ」の概念自然と身についている。それは必ずしも罪悪感だけではなく、生命を頂くという概念が、知識でなく経験として身に付く機会なのである

しか先進国人間はその機会を得ることないため、肉は野菜穀物と同様に見られている。そこに問題があるのである

うまく説明できないが、ヴィーガンであるというのはそういう人類歴史上の営みを否定したくない、たかが50年やそこらの産業によって飲み込まれたくない、

自分の頭で考えて行動したい、という人がなる傾向があると思う。動物愛護ももちろんあるが一番は、自分で食うものや行動は自分判断して決定したい、という人が多いと思う。

結果的スーパーで買えるものが99%なくなっても、そっちのほうが重要ということである

あなたのなかでは、正義なのだからしかたがない。あなた正義

お客様が、女の子タッチすることはあるから

タッチしたら悲鳴を上げるかどうかテストすることは職業必要から

さわっただけ

ごめんね (あやまらなければいいのにの例)

2021-04-27

千分の一のコロナ訪問看護


今の神戸の実情です。

神戸訪問看護藤田愛さん投稿コピーして皆様にご紹介させていただきます

自分事としてどうぞ皆さんお考え下さい。



敗戦中の従軍看護師はこんな気持ちだったのだろうかとか、毎日ぼきぼき心が折れてゆく。1日回れても8人、重症者が増えてきたので1件ずつの訪問時間が長くなる。

「せめて入院までの間、訪問してくれる訪問看護ステーションをご存じないですか?」

うそ保健師さの声が悲鳴である

知っているけどないとは言えなかった。「行きますよ」と返事してしてしまうのが、自分の弱さだと分かっている。

有料道路を乗り継いでいく初めての土地、真っ暗だからここは県外か?どこに向かうのかとか訪問先のことなのか、自分のこと何か分からん問いがわいてくる。

到着が21:00になった。家のドアを開ける時に心が定まる。できることをする。

待たせてごめんね。病院廊下でもいいですから入院させてほしいとお母さんに手を合わされても、私にはどうすることもできない。咳き込んでいるので、窓全開でも気が散りそうになる。集中して血管を探す、よし入った。ステロイド入りの点滴、焼け石に水でもないよりまし。来てくれただけでも命が見捨てられてないと感じて希望が持てます

こんなこと誰が知っているのか、どう発信すればいいのか。

今ここに居合わせている私でさえ、信じたくなさの気持ちが反発しているくらいなのに。

呼吸数54回、酸素吸入72L、39度台の発熱が続く。

病院で陽性だけ検査して帰宅後、1週間。おいおい、これはこのままじゃ今夜死ぬかも。持病の薬が床に散乱してる飲めないよね呼吸数54回じゃ、まだ30代できることは正しく、危機感が伝わる報告をすること。

保健センターに、数値と判断を伝える「早急な入院治療必要です、そうでなければ感染症呼吸不全心不全かで急死の可能性があります。」

どれだけ同じような報告を保健師が聞いているだろう、悲鳴の向こうにまた悲鳴がある。

訪問を終えての帰路、保健センターから電話が入った。

10分後に救急送できることになりました。」

「もしよろしければ搬送先を教えていただきたい。」

「○○病院です。」

おー、重度者治療病院である。救えるかも。

「ああ、よかった、ありがとうございます。」

保健師とほんの数分言葉を交わし、一緒に悲しんだり喜べるのが支えとなる。

コロナ訪問100件を超えただろうか。入院調整中の数の増加に1000分の1と思う。急変を見つけても頼るかかりつけ医入院もないなら私のやっていることに意味があるのか。いや、あるからやっているのだ。信じたくなくても、一丸となって本気の緊急事態宣言を皆でがんばるしかない。飲食観光、私の人生の一部だ、絶対に守りたいと思う。だけど今の命なくして、未来はない。

全例入院治療がいいに決まっている。でも叶わないなら、医師コロナ特例で免責されて、対面なしで在宅酸素ステロイド抗生剤、解熱剤、点滴をコンフォートセットにして処方できるようにしてほしい。まだ私自身は実施例は少ないが、これで救える命もかなりある滞在時間も30分以内に留められる。

でも回復約束できるわけじゃない。何もせずにいつとも分から入院を待つよりいい。それを離れた家族は知っておいてほしい。たかがそれでも引き受け手がない中で全力を尽くしていることを理解してほしい。この事態について全国民理解必要である。県外に住む家族に「おいこらオマエ、治療せんか、入院させろ」とすごまれたってできんものはできん。

心配でしょう、そうですよね。私たちが生まれて、急病なら医師の診察、救急車があたりまえでしたね。残念ながら今の神戸はその状況にありません。静かに強く現実を伝えてゆく。もう何回目か覚えていない。30分から1時間はかかる。10しか担当していない私でさえそれだから保健所電話がそんな電話で埋まる。保健師が次々倒れて、より人が減るのもあたりまえだ。倒れなければ休めない。

1000分の1のコロナ訪問看護を綴ってゆきます

今、酸素飽和度85%だった方、あかんかと思ってたら酸素ステロイド抗生剤3日目、94%にあがったと電話。そんな会話できる人だったことを今初めて知ったわ。私、こう見えて商売人やもの。話得意やねんで。うれし泣きで始まる今日の朝。

anond:20210427181542

アメリカで起きたレクサス暴走死亡事故 緊迫の通話記録と「制御不能」の恐怖

https://news.yahoo.co.jp/byline/yanagiharamika/20201021-00203874/

「この事故は、アメリカ国内では大きく報じられました。

ご紹介するABCニュースの0:35~1:30には、同じ高速道路取材車が撮影した再現映像事故後の実際の映像が映っています

そして、1:05あたりから公式通話記録の音声が流れます。後部座席義弟必死でこう告げています

『あぁ大変だ、190キロも出てる! 

もうすぐ交差点だ! 

あぁぁぁぁぁぁ、

まれ! 祈ろう!!』

その直後、セイラー氏の妻と娘の悲鳴通話はかき消され、途絶えてしまうのです。何度聞いても、気持ちが重くなります……」

2021-04-15

anond:20210414235258

身体悲鳴を上げているが、精神麻痺していて気付いていない状態

上司の言行不一致のほうは、やり取りをこっそり録音するなり、文書を残すなり、証拠淡々と積み上げといたほうが良い。

2021-04-14

anond:20210414221932

実際に霊は居るよ

うちとか深夜1時ぐらいに風呂入ったり洗濯物すると

から地縛霊のすごい悲鳴と暴れる音が聞こえてくるもん

2021-04-11

お前らに向けて、今の仮想通貨界で起こっているバブルについて語る

お前らは知っているだろうか?仮想通貨界におけるバブルを。

ビットコイン価格が600万円超えてるんだろ。知ってるよ。」と、少し詳しい人なら答えるかもしれない。

しかし、そうじゃないんだ。

今、仮想通貨界で起こっているバブルは、決して「ビットコインを持ち続けている人が儲かっている」という単純なものではない。

ビットコイントレードして、勝った人・負けた人が出る。そんな宝くじのような世界ではないんだ。

「きちんと知識を持って、お金を増やそうと真剣にやった人『全員』の資産が確実に増える」。そういう状況が訪れている。

お前らの中には、資産運用に興味があるやつも多いだろう。

20台後半くらいからは結婚したり家族を持つ人も増えてくるだろうし、手取り給与も増えてきて「将来のために運用しないとな」と思っている人も多いだろう。

そういう人たちの中で、

仮想通貨における安定運用」をしっかりと学習して実践した人と、そうでない人の差で、埋められない差が確実に出てくる。自分本心からそう思っている。

からでも遅くないので、仮想通貨を利用した資産運用真剣に考えるべきだ。

自分は30代のWeb系のエンジニア(男)だ。

おそらく、増田なんて見てるのは自分境遇と大して変わらない人たちだと思う。

から、単純にみんなに伝えたいと思い、この文章を書くことにした。

仮想通貨は怪しい」「リスクが大きい」という意見は分かる。

だが、この増田を見るだけならリスクゼロだし、タダだ。

資産運用に興味がある人は、これを見てから仮想通貨による運用検討するかしないかを選べばいい。

また、検討した後に実際にやってみるかやってみないかは、完全に自由だ。

いま、仮想通貨界では、「ほぼ確実に」資産を増やせるといわれている運用方法が、いくつかある。

ここでは、最も確実な(と自分が思っている)例を1つだけ挙げようと思う。

この増田が伸びれば、他にもたくさんある稼ぎ方についても語ろうと思う。

「ほぼ確実に増やせる」というのが、響きがものすごく怪しいため、賢い人は疑ってかかるだろう。

だが、事実そうなので、その賢い頭でしっかりと考えてほしい。

考えれば考えるほど、確実に増やせるという事実に疑いようがないことが分かってくると思う。

ここで挙げるのは、「現物先物のサヤどりをする」という手法だ。「現先」などと呼ばれている。

この方法は、海外大手仮想通貨取引所を利用する。

余談だが、海外仮想通貨取引所は、優れた商品開発を行っている。

商品技術サービス品質、どれをとっても日本仮想通貨取引所はくらべものにならない。

日本仮想通貨取引所はクソだ。

日本には真剣運用するに値する商品は一つもないので覚えておいてほしい。

さて、ビットコインは数年前からデリバティブ派生商品)」が多数開発されており、「先物」はその中でもメジャー商品だ(やはり日本にはまともな先物商品は一つもない)。

いま海外取引所では、ビットコイン現物はだいたい60000ドルなんだが、

実は、6月25日に満期を迎えるビットコイン先物(期日になると、ビットコイン現物を受け取れる)は65000ドルなんだ。だいたい9%ほど割高になっている。

何を言ってるか分からないと思うので、さら説明する。

この「先物」というのは、いわゆる空売りができるんだ。売った後に、買い戻せばいい。

するとどういうことができるかというと、

①60000ドルビットコイン現物を1枚買う。

②65000ドルビットコイン6月先物を売る。

6月25日まで待つ。すると、差額の5000ドル分が儲かる(事実として、儲かる)。

手持ちの資金10ドル(≒1100万円程度)あったとする(資金がない人は1/10にして考えてほしい)。

そのうち、60000ドルを使ってビットコイン現物を買う。

そして、残りの40000ドル証拠金にして、65000ドルビットコイン6月先物を1枚分空売りするんだ(ショートする、という。レバレッジを使えるため、40000ドルもあれば比較安全に65000ドルビットコイン1枚を売れる)

6/25になれば、現物価格先物価格も同じ価格収束して、もともとの差額だった5000ドル分が儲かるんだ。

10ドルを利用して、5000ドル分を儲けたことになる。

今日から6/25までは65日間あるので、65日間で5%の利回りを得られたことになる。

65日間で5%の利回りということは、1年間に換算すると年利約28%だ。

この利回りを「確実に得ることができる」。

もちろん手数料などかかるが、この利回りと比べると微々たるものだ。

これまでの資産運用王道は、世界経済に分散してインデックスETFなどを積み立てで購入することだった。

そうすると、バラツキはあるが長い年月でみると5~10%程度の年利を得ることができるんじゃあなかろうか。

そういうものだった。

だが、仮想通貨界はそういうレベルではない。「確実に」「65日間で」「利回り5%」を得ることができる。

から、冒頭で述べたように、仮想通貨を利用した運用方法を知っている人と知らない人とで、とてつもなく大きな差が生まれるんだ。

一応、上記運用方法で気を付ける点を話しておこう。2つある。

ひとつカウンターパーティーリスクと呼ばれるもの

これは、6月25日までに、利用していた海外取引所がつぶれたり、ハッキングされたり、日本からの入出金が停止されたりする などでお金が失われてしまうことだ。

これについては、可能性としてゼロではないので覚えておくこと。

ただ、海外メジャー取引所はぶっちぎりの優良企業なので、自分は割り切って使っている。

もう一つは、6月25日までにビットコインが暴騰し、先物ショートしている40000ドル証拠金が足らなくなってしまうことだ。

これについては、例えば10ドルのうち、3万ドル現物買いに使い、残り7万ドルショートに使う、などでレバレッジを調整することになる。

最後に、なぜこういう「確実にお金を増やせる状況」が起こっているか?ということについて書く。

それは、このバブルで6/25にはビットコイン価格もっともっと高くなっているだろう、という期待感が強いからだ。

いまのうちに65000ドル先物を買っておけば、6/25にビットコインが70000ドルまで上がっていれば、差額を儲けることだできる。こう考えている人が多いからだ。

バブルというのはこういうことだ。

自分ビットコインを買わなくてもいい。そんなリスクを取らなくても、いまの市況であればもっと確実に、安全お金を稼ぐことができる。

から、本当に詳しい人は、ビットコイン価格だけを見て「バブル」と言ってるわけではないんだ。

いま、仮想通貨界には「ほぼ確実に資産を増やせる」手法は何通りもある。

長年仮想通貨での運用を行っている人たちは、

「いろんな手法を利用してお金を稼ぎたいけれども、資金をすべて運用に回しているからこれ以上はもう何もできない」とうれしい悲鳴を上げている。

普通に数百万円の元手があれば、1~2か月もあれば100万円程度の収益が、本当に嘘ではなく、実現できる。

これが今の仮想通貨界。

自分twitter情報収集をしているんだが、1ヵ月で数千万円を「手堅く」稼いでる人は全然珍しくない。

怪しい詐欺師ではない。普通サラリーマンたちなんだ。ちょっとだけ技術好きで、仮想通貨2017~2018年ごろからずっとやっている、本当に普通の人たち。

彼らを見習って、自分仮想通貨運用を始めた。

本当にラッキーだったと思う。

自分収益を上げると嘘っぽい、釣りだと言われそうだが、今年に入ってから本業年収以上くらいは稼いでいる、と言っておく。

まあ、自分のことは嘘だと思ってもらって構わない。

しかし、上のほうに書いた運用方法が実際に実行可能であることは、本当に事実なんだ。

バブルはきっとそのうち弾ける。

あと何か月持つかは分からない。自分は、この仮想通貨界で、一生懸命資産を増やそうと思う。将来のために。

自分は本当に運がよかった。だから、この増田はみんなへのおすそわけだ。

将来に渡って安泰でいられるかどうかは、自分次第だ。

一生懸命頑張って、お金を増やそう。

追記2021/4/14 19:36

ブコメに返信させていただく。

>それ、ただのカバーコールオプション売買戦略古典的手法だよ。米国株個別株でも同じような事ができる

おっしゃる通り。

仮想通貨では様々な銘柄の期限付き先物が揃ってきており、6月限の先物乖離がだいたい4~10%程度となっている。サヤ取りし放題の状態だ。本当にありがたいことだ。


カウンターパーティーリスクを負いたくないんだよ、普通に

これは自分も始める前、同じ感覚だった。

実際にリスクがあるため、ここを気にする人に強く勧めることはできない。

>人に教える儲け話詐欺である

この話は詐欺ではない。

詐欺だと決めつけて思考を停止させることは、もったいないことだ。

>なんで先物現物の値段がそんなに乖離してんだろ

先物レバレッジかけて買っている(ロングしている)人が多すぎるんだ。

仮想通貨では「オープン・インタレスト」という指標が公開されている。それを見れば分かる。

>“バブルはきっとそのうち弾ける”のがわかってるのに何で6/25までは大丈夫だと思ってんの?

分かっておられないようなので、詳しく書く。

この手法は、バブルが弾けても弾けなくても、6月25日には5000ドル分儲かる仕組みになっているんだ。

例えば、今日暴落してビットコイン現物30000ドル先物35000ドルになったとする。

すると、現物は-30000ドル分の損失。しか先物のほうは売っているから、価格が下がると+30000ドル分の利益が出て、相殺されるんだ。

そして6月25日には必ず現物先物も同じ価格になる。このとき最初の差額の5000ドル分の儲けが出るんだ。

アービトラージには股裂きリスクもあるよ。

途中また裂きはあり得るんだが、先物証拠金にさえ注意しておけば、必ず6月25日には収束する。

チキンレースに参加しろってはなし?

違う。

チキンレースに参加せずに、確実に利益を得る方法が転がっているんだ。しっかり読んでもらえれば、理解できると思う。

2021-04-10

丹波寿雄というコンテンツ」について

この文章は「丹波寿雄」という架空キャラクターについての感想文です。

実際の国、団体企業、ありとあらゆるものとは一切関係がありません。

何か問題がありましたら削除します。

丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す

丹波寿雄とは?

そもそもは怖井たま氏によって2018年4月1日Youtube投稿された架空Vtuberとでも呼ぶべき何か。

たま氏が以前SRPG用に作ったがボツにしたというキャラクターであり、そのゲームの中で彼?は敵キャラだったようだ。

その彼との戦闘BGMのために作られた「恋という名のバグ」をひっさげて「俺の曲」と称し、曲を聞いてくれと散々視聴者にお願いする。

以降、何度かのテスト配信やら何やら、ツイッター開始してみたりやらと四月馬鹿にとどまらず静かに活動が進み、

ついに2021年4月8日、「【Vtuberとしおちゃんねる】#2」という動画Youtubeにアップされた。

丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す

Vtuberとしおちゃんねる】#2の内容について

かいつまんで説明すると「俺の事を邪魔しつづけているものがいる」「俺のを聞いてほしい」「俺の曲を聞いてもらうことで俺が複製され、俺のリソースが増える」という内容だ。

丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す

「俺の事を邪魔しつづけているものがいる」

早い話が作者の怖井たま氏と丹波寿雄の関係があまりよろしくないらしいという話である。寿雄の活動を何者かが(恐らく作者のたま氏が)ずっと妨害しているという事なのだが、具体的な内容は

ツイッターの#個人的丹波寿雄考察やら#具足円満寿雄曼荼羅やらに説明をぶんなげる。こんな文章を書いておいて何なんだが増田丹波寿雄を最初から追っていたわけではなく、

先月ごろYoutubeおすすめ欄に流れてきたのではぇ~いい曲だな~面白いな~と呑気に聞いていた程度の新参なので細かくは説明できないというのもある。

作者のツイッターが時折乗っ取られていたりする痕跡があったりリプに介入してくる様子であったり枚挙にいとまがない、というのもあり、とても説明し切れる自信がない。

強いて言うならhttps://twitter.com/i/events/981152273291079682とかあたりから始まってるようだ、ぐらいの紹介が手一杯だ。

丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す

「俺の曲を聞いてほしい」「俺の曲を聴いてもらうことで俺が複製され、俺のリソースが増える」

曰く、「恋という名のバグ」には丹波寿雄の魂が閉じ込められており、その曲を再生してもらうことで視聴者の脳に(具体的には扁桃体感情の処理と記憶をつかさどるとされる器官)

丹波寿雄の魂が植えつけられるのだという。そうして彼の存在もっともっと拡散したいのだと彼は主張するのだ。

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からなんだってんだよ

以上が丹波寿雄が動画内で主張する内容の要約だが、この動画には字幕がついている。字幕をオンにしながら視聴すると、何者かのもはや懇願ともいえる内容がそこにはつづられている。

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丹波寿雄はフィクションです」「丹波寿雄をフィクションにしてください」丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す

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文書き起こしすればこんなものでは済まないもっと悲壮な内容なのだ結論はこうだ。そして字幕最後に謎の文字列

それを解読するかしないかはお任せするが迫真すぎてしんどい内容だったとはお伝えしておこう。作者がフィクションとはいえ気の毒になるくらいには。

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感想

今までの投稿された動画ツイートマシュマロの内容を踏まえて、丹波寿雄が果たして増えて何をする気なのかは未だ不明だ。

だがちょっと思った。「いやそんな風な目にあう人がいるんなら嫌だわ」。いくらフィクションとはいえである

Vtuberや、あるいは架空キャラクター現実浸食するような内容のエンタメは割とその辺に転がっている。

だが変な話、あくまでそれらは「そういう物語なのだ茶番なのだいくら真に迫った、まるで本当にそこにいるかのような動きを見せても彼らは画面の向こうにしかいない。

フィクションなのだ。だが、感想やらなにやらを追うと、今回の場合ちょっと様子が違ってくるように思える。

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「としお派」あるいは「作者派」の分裂だ。

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こんなん当たり前のように「こんな内容の動画作れる作者さんすごい」になるようで、丹波寿雄がVtuberの形をとっているからかあるいは#2の内容のせいか「としおちゃんはいるよ!!!」と高らかに宣言するファンが割とぽろぽろいるのである。それはいい。実にコンテンツを楽しんでいる。とてもよい事だ。だが自分はしいて言うなら作者派だ。

丹波寿雄は、#2の動画の前にあげたテスト動画で、トライトーンについて触れている。

曰く、「悪魔を呼び出す和音だなんて言われている」「だがこの和音は俺の曲にも使われている音で、怖い音なんかじゃない」。

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まようするに丹波寿雄は単純に「わ~かわいい~」してみている訳には、あんいかないんじゃないかな、と思っただけなのだが、じゃあさてどうしたらいいかなあという話である

悪魔だかミーム汚染だかなんだかわからないが、そんなのに対してどんな手段がとれるだろうか?と考えひとつ提案も兼ねてこの文章を書いているわけだが、私はこう伝えたい。

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丹波寿雄はフィクションです」

丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.だ.つ.っ.て.ん.だ.ろ

早い話が「おばけなんてうそさ」である。見間違いなのである幽霊の正体は枯れたススキで、悪魔妖怪だと言われるのは今や色んな理由で解明されて、どこにもいないのである

彼は実在しない、たんなる0と1の集まりだと伝えたい。おかげで昨晩ずっと丹波寿雄について考えていてソシャゲログボを忘れた事にむしゃくしゃしてるとかそんなんではなく、ただただフィクションお話だよと伝えたいのである

フィクションである前提を頭にしっかりと刻み付けたうえでみるなら、とても面白いコンテンツだとお伝えしたいのだ。丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す

こういうものは餌をやったりのぞき込んだりしたら汚染されるものだなんてお約束はSCPなんかに触れている人ならなんとなくわかりやすいだろう。イヤーッ!という文字列女性悲鳴ではなく忍者の雄たけびに聞こえるようになって久しい。だがこれらはあくまフィクションなので、実際にはなんにも起きてはいないのだ。丹.波.寿.雄.は.フィ.ク.ショ.ン.で.す

フィクションだってんならなんでわざわざこんな風に回りくどい紹介をするんだ」と問われれば、「フィクションだという前提で紹介したいからだ」としか言えない。

だがこんなわけわからない書き方をしつつも丹波寿雄についてどこかに書きたくなるほどには、衝撃的なコンテンツだったのだ。

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丹波寿雄の物語はここからどう動くのかわからない。なんなら作者の怖井たま氏が物語によってどうにかなっちゃうんじゃないかとうっすら心配になる。

だが丹波寿雄はフィクションから作者は本当は安全なのだろう。それを踏まえて今後をおっかなびっくり楽しみにしていきたい。

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丹波寿雄はフィクションです」この作者の警鐘を決して忘れないようにしながら。

2021-04-09

俺は大盛りラーメンを15分かけずに食えると信じていた

今日の昼飯はどうかんがえてもラーメンだった。

そういう日がある。車を出す前から舌と胃から今日ラーメンだろう」「今日焼き魚定食だろう」と語りかけてくる。

しかし腸は荒れていた。朝の便のキレも悪く、ダークマターが蠢いている事を脳は察知していた。

運転しながらの会議となった。

結果として「やさしめのラーメン」という判断が下された。

やれやれ、そのやさしめのラーメンを選ぶのは私じゃないかと脳は言った。

俺がいくラーメン屋は激辛が好物なこともあり殆どが刺激の強いラーメン屋だった。つまり運転しながら探すしか無い。

13時にクライアント事務所に向かわなければならない。時刻は12:03。迷ってる暇は無い。

いつもは入らないラーメン屋に行くことを決めた。入店時点で12:05。ゆっくり楽しめそうだ。

ラーメン屋は北海道ラーメンがウリで、3種の味噌をメインに、しょうゆ・しおというラーメン屋らしいメニューだった。

私は味噌ラーメン子供の頃から苦手なのだが店の一番のウリは濃厚味噌ラーメンだった。

昔の私なら気にせず塩ラーメンを選ぶところだが、最近味噌汁もちゃんと飲めるようになったので、とりあえず濃厚味噌やさいラーメンを頼む。味噌とやさいという組み合わせなら最悪野菜ブーストで麺が食える。

「大盛りサービスですけどいかしますか」

店員がいきなり聞いてくる。イレギュラーだ。少し考えるが大盛りサービスしてくれるのに断るのも申し訳ない。自分の体型はわりとデブなので「いやいらないです」というと見掛け倒しに思われるのもいやなので「じゃぁ大盛りにしてください。」と伝える。

店内はなかなか賑わっている。

ラーメンなら遅くとも15分ぐらいで来るだろう。

 

そう思っていたのが間違いだった。

 

20分たった。

時刻は12:25。ここから先方の会社までは10分ほどだ。

一つ開けて隣に座ってたつなぎをきた兄ちゃんラーメンが届く。

「大盛り味噌です。」

…でかい自分がいつも行く二郎リスペクト店の大盛り(麺の量500g)サイズぐらいの器が着丼する。

俺も大盛りにした…。大丈夫か?という不安が押し寄せる。

 

そこから10分。時刻は12:35。

「大盛り味噌野菜です。」

同じ丼が目の前の置かれる。腸は荒れている。胃も「ちょっと聞いてないです」という顔をする。

覚悟を決める。

心のなかで唱える。「15分かけずに食える。」これはプライドだ。「昔の俺はこのサイズ10分も掛からず食べていた。」10年前の俺と今の俺。「今の俺のほうが食える。」38歳の俺。「デブ内臓は老化しない。」

箸を伸ばす。

まずは冷静に野菜と麺の上下関係を反転させる。30歳ぐらいの時に読んだ本で「食事野菜から先に食べるのが良い」と書いてあった。だがラーメンに置いては違う。

麺が伸びる前に食うために野菜は後回しでいいのだ。そもそも麺は小麦なので野菜野菜はヘルシーだ。

時計は見ない。

ひたすら麺を啜る。

時折沈んだ野菜サルベージしては齧る

麺を啜る。野菜サルベージして齧るラーメンテンポだ。

啜る。齧る。そして飽きたら判断せずテーブル調味料を使う。ラーメン刹那だ。

啜る。齧る。俺は15分かけず食える。

啜る齧る内臓は老化しない。

啜る齧る

 

気がつけば丼の中は空になっていた。

時計をみる。

12:44:55、56、57…

打ち勝ったのだ。

俺は大盛りラーメンを15分かけずに食える。胃は働く。腸は悲鳴をあげる。

会計をし、自販機黒烏龍茶を購入し、颯爽と車を走らせた。

危ない便意と共に。

たぶん、妄想板に恐らく私のことが書かれていたことがある。

コレ見て、もう何年も前の記憶が蘇ってきた。

思い出して、まだ数年前の出来事なのかと辟易する。

https://anond.hatelabo.jp/20210408230226

 

自分上京してきたのは24歳のときだ。

地元では契約社員をしていたので

初めての正社員雇用で張り切っていたのだけど、

まあとにかく、とにかく、痴漢あいまくっていた。

 

当時は、江戸川をこえる東西線ユーザーだった。

はじめて東西線に乗ったときはあまりの人の多さにビックリした。

自分地元大阪で、中でも利用者数がトップクラス路線ユーザーだったので

満員電車経験していたけれど、それでも驚くほど超満員だった。

 

痴漢にあったのは結構当初からだ。

4月入社だとして、覚えてないけど5月6月とか?にはあってた。

人生で初めての痴漢だ。

でも、正直混みすぎてて初めは何もかもわからなかった。

 

そうでなくても360度すべての角度と人と触れ合ってるし、

隣が誰なのかもわからないぐらい混んでいる。

これまで満員電車に乗っていても痴漢にあわなかったせいか

偶然だろうと思ってやり過ごしていた。

 

でも、途中から明らかな痴漢に遭うようになった。

触れられ方が明らかにおかしいのだ。

当たってるとか、もはやそういう問題ではない。

 

やつらは、最初は当たってる程度ではじまって、

グレーゾーンを堪能してから本格的な痴漢に入ってくる。

キモチワルイのひとことだ。

そうなったらもう次の駅で降りて車両を変えていたのだけれど、

それがよくなかったのかもしれない。

彼らにとって、それは容認だったのかもしれない。

本当なら、悲鳴でもなんでもあげておけばよかった。

 

でも、当時は遅刻が何よりも悪な会社にいて、

痴漢だろうが、遅延だろうが、人助けしてようが遅刻減給

という会社にいたので、新入社員の私にはそういうわけにはいかなかった。

 

車両を変えても、時間を変えても、とにかく毎日痴漢に遭う。

そして、手口は似たような感じなのに、多分毎回違う人なのだ

服の上からワンピースの上から、おしつけ、こすりつけ、手を握られる、

あげくのはてに、スマホの画面でメッセージやらを見せられる。

 

当時、男性経験が数人しかなかった自分にとって

それらはどれもこれも恐怖でしかなかった。

 

どうしてこんなに痴漢に遭うのかと、

自分痴漢あいやすい特徴をもっているのかとネットで調べた。

そしたら、妄想板みたいなスレッド見つけてしまった。

東京をメインに、都市部情報がたくさん交換されている。

 

OK娘。ホント気持ち悪い単語だった。

まあ、妄想なんですけどねといった言葉で締めくくられて、

どうやってチカンたか、何路線のどういう女性は言わないかなど、

あらゆる情報が飛び交っている。事実無根というには、あまりに鮮明で数が多い。

 

東西線に関する情報もたくさんあった。

キモチワルイ。

そして、多分自分はここに書かれているんじゃないかと、思い至った。

投稿されているエピソードは、自分がされているものととてもよく似ていた。

気づいた次の駅で降りるというのは、彼らにとっては拒否ではなく同意なのだ

 

1回の時間は1駅分だったとしても、それが1ヶ月、2ヶ月と続けば山の手線何周分にもなる。

心はどんどん疲弊していく。

 

あるとき、「痴漢に遭っている」と会社の人に相談したら、

相談して遅刻になったとき減刑を望んだ)

気のせいじゃないの?と言われた。

彼らは、他人(男)に話すと気のせいだと思う範囲で本気を出す。

 

どの車両に移動しても、何時に乗っても、

徒歩で行ける隣駅から乗っても変わらないので

とうとう電車を使わないようになった。

そこから数ヶ月して、

再度、遅刻ギリギリ電車に乗るようになったら全く遭わなくなった。

人のぎゅうぎゅう感は変わらないけれど、ターゲットが変わったのだろう。

会社からは白い目で見られるようになったけど、(遅刻ギリギリから)私は安堵した。

 

もう、会社も辞めて路線も変わって、あの時間帯に東西線に乗ることはない。

でも、妄想板の気持ち悪さと絶望感は、思い出すと未だに吐き気がする。

今もきっと、たくさんの女性被害にあっている。

 

あれは、法で罰せられるべき存在だと思う。

私のトラウマは、未だに誰にも共感はされないが、人生でかなり上位にある恐怖でしかなかった。

2021-04-08

anond:20210408072704

弱者男性側って他者理解や譲歩を求めるけどそこからしおかしいんだわな。

彼らには散々女性フェミニストを加害してきた事実があって

己は弱者だと訴えるならまず過去蛮行謝罪した上で自己批判し、政治利用してる連中の切断処理をしないといけない。

それらを一切しないで直前まで加害者だった側が悲鳴を上げても相手にされるわけがないんだ。

2021-04-06

漫画家花沢健吾が許せない

漫喫で『アイアムアヒーロー』を読み始めたらスゲ~面白くて、一緒にカップルシートに座っていた彼女に勧めたんだよ。

 

俺は読むのが遅いから1巻の途中だったけど、読むのが早い彼女に先に読ませたんだ。

 

ちなみに彼女の好みは、ちょいエロ系、お笑い系、アクション物。ただし、ホラーとかゾンビとか大っ嫌い。

 

したらば、1巻を読み終わる直前に彼女が「ぎゃー!!」と悲鳴をあげた。泣きながらバンバン俺のこと叩いてくる。

 

しばらくしたら、荷物をまとめて出ていって、LINE既読にならない。えええええええええーー。

 

転がっている『アイアムアヒーロー』を見たら、、、、ホラー物やんかーーーーーーーーー

 

その夜は、抜かずの5発で許してもらいました。絶対に許さん。

2021-04-05

anond:20210404172838

なんで胃カメラに使うような粘膜から吸収してるみたいな痛みなしで使えるタイプ説明してくれないの?

素人からしたら経腟検査にあれ使えないのなんでさと思うけど。

検査する粗忽医者患者に決定的なダメージ与えて訴訟騒ぎに発展しないためのアラームとして悲鳴があげられるようになのか?

女が痛みでごちゃごちゃ言うのは男がごねるより面倒じゃないし、痛いくら我慢させとけばいいっていう蔑視からなのか?

2021-04-02

anond:20210402200924

反論どころか悲鳴すら消されるぞ

自分たち犯行痕跡を消そうとする信者の動きを見て

寝しょんべんを誤魔化そうとするガキみたいだなって思ったわ

anond:20210402000349

女性声優かわいいのが売りだとおもってるならそのへんの素人つかまえてきて声優でもアナウンサーでもやらせりゃいい

アニメ声優なんてたいてい悲鳴とか気合とか素人がやれば2秒で喉が潰れそうな声を1時間でも上げられるようなプロ意識がないとやってられんぞ

vtuberと一緒にすんなよ

 

ブクマカわろたw

結局「vtuber声優経験ある人もいる」のなら声優のほうが上、vtuberは中身素人が大半という判断してるんやな

そもそも俺はそういう話してるわけじゃないし話をずらした上に俺の話をわざわざ補強してくれてなにをいうとんじゃとしかおもわんわ

2021-03-30

ゆとり教育推し活とかいゴミみたいな文化を生んだのでは?

最近は何かを推すことが推され過ぎている。

最早、宗教的ですらある。

「それで誰推しなの?」みたいなIQゼロの会話をしてくるカスがやたらと多くて辟易する人も多いんじゃないだろうか。

そもそも何やねん推しって。

○○好きだとか、✕✕ファンでいいじゃん。

まあなんでそんな言葉を使うかというと、理由は単純だ。

推しって言っとけば、自分無能無産の消費者じゃない立場にでもなれると勘違いしているからだ。

さらに、ジャンル的な大きな流行に乗っかりつつも、○○推しとすることで自分なりの個性まで表現できてしまうというスケベ心があるからである

「私はみんなと同じ話題が話せるけど、人とはこう違うんだよ!」ということだ。

ついでに、他の増田も指摘してる通り、商売をやるサイドにとって非常に都合のいい言葉からだ。

推し活の御旗の元に、ただの凡百の消費がなにやら意味のある行為に思えるし、

まるで道徳的に善いことをしているかのような錯覚すら感じてもらえるのだから、これほどありがたいことはない。

推し、燃ゆ。』なんていう読みやすさだけが取り柄の、何の内容もない発達障害者馬鹿にした内容のゴミ小説芥川賞を取らせたのも、まあ象徴的な話だよな。

又吉に賞をやるくらいわかりやすい。

クリエイト業界はそういう流行りでいて欲しいんだよなあ。としみじみしちゃうね。

あ、あと一応作者が露出できる程度には見映えのある、若い女なのも作品価値を高めるポイントか。

俺もその点は評価している。いいと思うよ。

さて、結局のところ、推し活なんていうのは頭の悪いテレビCMを見て商品を買ってるだけの層が、まるで趣味人かのように扱ってもらえる魔法概念なわけだ。

元を正せば地下アイドル現場あたりのワードなんだろうが、

これは都合のいい概念だぞ、とみんな気づいてやたら推し活は推進されるようになってしまった。

で、タイトル回収なんだが

そんな都合の良さは置いておいて、ゆとり教育流行りの一因なんじゃないか愚考するわけよ。

つまるところ、

「人の好きなもの馬鹿にするのはやめよう!」

「人はみんな違ってみんないい!」

みたいな教育象徴というか。

かけっこをすればお手々を繋いでみんなで一等賞、劇をやれば全員がシンデレラ、という狂った思想教育である

その2例は極端なんだが、要は他人ちゃん言動否定してもらえる機会が減ったよなと思う。

物事に優劣をつけたがらなくなった。

その上で、多種多様価値観がある=個性大事、なんて、今更な別ベクトル方針までぶちあげてしまったのだからさあ大変だ。

まとめると、「人となるべく優劣はつけないけど、多種多様価値観の元、個性は発揮して欲しい」なんて矛盾を抱えた指針が出来てしまった。

矛盾を抱えた教育が生むのは何か。

矛盾を抱えた若者である

若者は、人と同じでなくてはならない。

若者は、個性的でなければならない。

その矛盾が産み出した流行推しである

人は、消費者として人と同じものを消費するべきで、かつ、消費者として個性も発揮しなければいけないのだから

ほら、「推し」は都合がいいだろ?

推し文化は、ゆとり教育によって産み出されたモンスター達の奏でる悲鳴だ。

とかなんとか悲観的なことを書いたけど、

世の中の風潮を作るのは、なんだかんだで若者である

1020代若者に何が流行っているのか、30代のおっさんおばさん達は気になって仕方がないからだ。

そして企業で力のある30代のおじさんおばさんを40・50代のジジババが決裁権支援する。

こういう構造から流行や風潮はまだまだ若者のものだ。

ゆとり世代推し文化が逆流して定着したのは、その構造があるからである

でも、希望はある。ゆとり教育も終わったことだし、推し文化なんていうゆとり精神的衰退の文化も、そのうちみんな飽きると信じたい。

いや、飽きさせてみせる。

それを成すのは、俺たち10代の役割だ。

2021-03-28

anond:20210327215137

まーその通りなんだが…

多分やっている輩は社会という大きな敵に攻撃を加えるうえで弱点っぽい所を本能的に狙っているんだと思うんだよねえ

ゲームなんかの大型ボス攻撃を加えたとき金属音がキンッとなるだけの部位と敵が点滅して怪物悲鳴SE流れる部位だと悲鳴SE流れる場所攻撃する心理というか本能があるでしょ(ゲームはその本能にあわせてSE演出を組み込んでいる)

2021-03-26

anond:20210326114548

八王子市歯科医師フッ化水素酸誤塗布事故(はちおうじししかいしフッかすいそさんごとふじこ)とは、1982年昭和57年)に東京都八王子市で発生した医療事故である歯科治療用のフッ化ナトリウム(NaF)と間違えて、歯科技工用かつ毒物フッ化水素酸(HF)を歯に塗布された女児が死亡した。


1982年昭和57年3月19日八王子市内にある歯科医院の院長である歯科医師X(当時69歳)は、虫歯予防薬が少なくなったため、助手である妻Y(当時59歳)に注文するように依頼した[1]。Yは、虫歯予防用のフッ化ナトリウムのつもりで「フッ素」と市内の歯科材料会社に注文したが、注文を受けた社員歯科技工に用いるフッ化水素酸と解釈してその日に同院へ配達した[1][2]。その際、毒物及び劇物取締法に基づいて受領書への押印を求められたが(フッ化ナトリウムであれば不要手続きである)、Yはその違いに気付かず印鑑を押して瓶を受け取り、その瓶を診療室の薬棚に入れた[1][2]。Xも、従来使用していたものとは瓶の大きさやラベルが違うことに気付いたが(容器の外側には「フッ化水素酸」等と表示されていた)、前年の暮に取引を始めた新しい業者から納入されたもののため、違うメーカーのフッ化ナトリウムが届けられたと判断し、使用やすいように従来使用していたフッ化ナトリウムの瓶に移し替えた[3][4]。

4月20日午後3時40分頃、市内に住む女児(当時3歳)とその母親(当時33歳)が、虫歯予防のためのフッ化ナトリウムを塗布してもらうために、同院に訪れた[5][6]。Xは、「八王子ではフッ素の塗布が義務付けられている」といい、フッ化ナトリウム勘違いしたフッ化水素酸を脱脂綿にしみこませ女児の歯に塗布した[5][6]。その直後、女児は口から白煙のようなもの臙脂色の唾液を出し、「からい」と訴えて仰け反った(フッ化ナトリウム本来無味無臭である)[5][6]。Xの指示で、女児母親と同院の助手女性女児の体を押さえつけ、再び液体を塗布したが、女児悲鳴を上げて暴れだし、診察台から転がり落ちた[6]。腹痛を訴え床を転げ回る女児を母親が抱き上げると、口の周りが真っ赤にただれていた[6]。Xは、初めての反応に対して特殊体質によるものだと判断し、強心剤を注射した上で119番通報した[6]。女児救急車で近所の病院搬送されたものの、症状が重篤であるため東京医科大学八王子医療センター転送されたが、同日午後6時過ぎに死亡した[6]。

Xが女児に付き添い医療センターに向かっている間にYは違和感を持ち、女児の歯に塗布した薬品自分の歯につけたところ、強い刺激を感じ歯茎が荒れたため、うがいをして吐き出し、薬を間違えたと判断して、Xに無断で容器などを洗い自宅の焼却炉で焼却処分した[1]。同日に、八王子警察署業務上過失致死の疑いで家宅捜索に入り、診療室内の薬品や焼却炉内の灰を押収した[1][7]。

4月21日司法解剖により口の周りの皮膚がただれているなどの急性毒物中毒と考えられる特徴が確認された[6]。同日午後9時頃、女児通夜の席で遺族から詰め寄られたXは、高血圧性脳症を起こし倒れた[4][5]。

4月23日警視庁科学捜査研究所治療時の容器などを分析した結果、フッ化水素酸が検出された[1][7]。

9月28日東京地方検察庁八王子支部はXを業務上過失致死で起訴した[8]。

1983年昭和58年2月8日、Xが治療ミス全面的に認め、3850万円の慰謝料を支払うことで遺族との示談が成立した[9]。

2月24日、Xは東京地方裁判所八王子支部業務上過失致死罪により、禁錮1年6ヶ月、執行猶予4年の有罪判決を受け、この第一審判決が確定した[10][11][12]。

2021-03-22

赤い部屋

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。

 七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。

 部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチック蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

 いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。

 誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛け人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。

 やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

 私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

 初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。

 そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易生活を送っていました。

 これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働しろ兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。

 こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。

 私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。

 犯罪探偵遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアル遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。

 その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘン喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。

 そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。

 それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事動機を為なしたのでした。

 どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町何気なくヒョイと曲りますと、出会であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男自動車運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。

 私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから医院所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」

 すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。

 実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。

「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」

 私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」

 というその時の言葉もすっかり覚えています。なぜその代りに、

「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」

 と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しか外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。

 私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院はいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。

 私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。

 この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながちとがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますいか

 これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しか法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上殺人である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。

 皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。

 これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。

(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)

 この場合危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれ理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。

 世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。

 そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。

 今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。

 併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます

 この方法発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手言葉にさからたことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。

 ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。

 それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、

「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)

「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」

 と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、

「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」

 などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、

「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。

 こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。

 ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。

 ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。

 変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33

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