はてなキーワード: 後期高齢者とは
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アイ・アム・レジェンド
『キセキ』GReeeeN
『海雪』ジェロ
『ハリー・ポッターと死の秘宝』J.K.ローリング
金賞: あなたとは違うんです
銀賞: ~ですね、わかります
銅賞: ゆっくりしていってね!!!
・グ~!(エドはるみ)
・アキバ系
・メークレジェンド
・婚活
・これでいいのだ
・毒入りギョーザ
・暫定税率
母数の問題説は謎。
二十年以上前に出版された囲碁の入門書には、著者のスクールの受講生の6割が女性って書かれてた。まあバブルの頃の話なので、主婦間でのカルチャースクール流行りの影響なんだろうと思う。
今はどうなんだろう?Twitterでの囲碁民との繋がりを見る限りでは、女かなり多い様に見えるけど。最低でも男と同数いそうな感じ。
私の地元はどうやら囲碁が盛んな地域らしく、地元の囲碁最強小学生は女子なんだけれど、しかし地域にある囲碁スクールや道場は男9割以上で、女碁打ちって一体どこに潜んでるんだろう?
以前、他県の囲碁インストラクターの人から、女性の初心者がいきなり男ばかりの碁会所に行くのは危ないからやめた方がいいよ、普通どこの県にも女流囲碁会があるから探して行ってみるといいよ、ってアドバイスされたのでこちらの女流囲碁会について調べたら全く無くて、でも女流囲碁大会(出場者の名前から後期高齢者と高校生以下ばかりのもよう)は毎年開催されているという、不思議な状況だった。
ところでうちの娘は将棋をやるのだけど、ママ友達の反応は「何で女子に将棋なんか」オンリーだった。将棋以前に女子に習い事は不要とか更には女子に教育は不要とか考えてる母親が思いの外多い。女子に教育費をかけてもコスパが悪いから、子供が男女両方いるなら迷わず男子の方にかけるとか普通に言われるので、衝撃を受けた。
しかしこれは幼稚園児保護者ならではという気もする。幼稚園ママは学歴の恩恵受けてる人がマジで少ない。保育園ママだと学歴が仕事にひいては生活に直結してる人も多いだろうから言うことが逆になるのではないかと想像。
「立憲民主党の枝野さんの演説を聞いてきたので全文を書き起こす」
https://anond.hatelabo.jp/20171014230038
を書いたものです。
違う党の人の話も聞きたいという子供の要望もあり、またそうやって違う立場の話を聞いて自分なりに考えたほうが教育的にもよかろうと思ったので、
同様に、演説の全文を書き起こしてみたので、ご参考まで。なお、純粋な応援演説部分は省略してあります(ここにいるだれだれに一票を、みたいな部分)。
みなさんこんにちは。雨のなかこうやって足を止めていただいて誠にありがとうございます。
さあみなさん、いま総選挙がはじまって間もなく終わろうとしている。
あれなんだっけ、なんでこの選挙はじまったんだっけ、みんな忘れてますよねえ。
北朝鮮情勢?だってこんな情勢のときにそもそも選挙やるのかよ。みなさんそう思ったに違いありません。
いつミサイルが発射されるかわからないような状況において、この選挙、この判断、大丈夫なものかと私も思いますよ。
そして二つ目。再来年行われる、この消費税の増税、8から10%に引き上げる。
ここまでは、まあ決まっていたかというか、これまでの流れでそうなっている。
しかし今回の総選挙というのは、その使い道をみなさんに聞いてみたいと言われる。
何か後付けのような理由、あとづけとしか思えないような解散総選挙。
きっとそのことを追求されるのがいやなために冒頭解散という手を使ったのではないか、わたくしそう思うんですけど、みなさんいかがでしょうか。
わたくし、みなさまがたの一票一票で都庁に押し上げていただいた、
情報公開することによって70万件にもおよびます公のお金、みなさんのお金、
その使い道がどうであったか。
個人情報を除いては徹底して公開するという方向にもう変えたんですよ。
これがわたくしが都知事になって新たにできた条例でございます。
そして見える化することによって政治に緊張感を、行政に緊張感を、そして何よりも
無駄遣いを防いでいくと、このようなことをしている。
しかしながら今はあの森友加計問題ひとつとってみても、隠そう隠そうという政府では
ございませんか。
そして情報公開を徹底することこそ、これからの社会保障、お金がかかるばかりでございます。
そのことを皆様方のご納得がいかないと、これから負担をただただお金の負担をお願いするばかりでは、
あまりにも政治の役目がおろそかになってしまうではありませんか。
みなさんいかがでしょうか。
みなさん、さらには8から10にあげる。子供さんの授業料の無償化、それも結構でありましょう。
しかし私はここで一旦立ち止まって考えましょうと申し上げているのは、
2020年オリンピック、パラリンピック。今準備をしております。
できるだけコストを削減して、かつ、宴が終わった後の建物が廃墟にならないで、
むしろ稼ぎ頭になるようなそんな方向性で、民間の力を入れてコンセッション方式というのを
だからこういう形で2020年、その前に2019年W杯もございます。
そのために今回みなさんお選びいただいた都民ファーストの議員。
この3人の都民ファーストの議員が第一党の責任を持って、このたび
議員条例を議員提案による条例を成立させたのをご存知でしょうか。
知らない、知らない。これは子供さんに対する受動喫煙を防止する条例でございます。
まさしくこどもファーストの条例が議員の提案によってできたこれがまさしく
都議会が変わったという一番わかりやすい例だと思いますが、みなさん
いかがでしょうか。
成果、まず一つできあがりました。
みごとに反対されました。
こどもファーストよりも業界ファースト、利益団体誘導ファースト。
その成果が現れるのが今回の総選挙といっても過言ではございません。
ということで今回の総選挙よろしくね。
これでどうやって改革ができるんですか。
これでどうやってしがらみから脱却ができるんですか。
これから真の改革をすべきところ、ずーっと既得利益の団体のいうことばっかり聞いていたら。
どうなるんですかみなさん。
あのかなり有名な企業が、どんどんいいところばっかり売りに出されてしまっている。
このような状態で、日本の稼ぎ頭はいったいどこに行ってしまうのでありましょうか。
しがらみを超えて、そしてまさしくあの森友問題で、ネガティブな印象がついてしまった
あの特区こそ、東京は成長戦略としてもっともっと活用していきたい。
わたくしがキャスターをやっておりましたころは、日経平均バブルといえども4万円でしたよ。
最近株価も上がってアベノミクスも上々だね、とんでもありません。
世界の株式はとっくに上昇をきわめていて、たった一つ取り残されていたのは東京で、
その間、値ごろ感が出たので、このところ選挙もあってGPIFもきっと活躍をしてこの株価が上がっていると
言ってみんな思っていることでございましょう。
さあみなさん、こうしてしがらみがあるとなかなか動かない。
ぬるま湯のなかの茹でガエルになるのか、
成長戦略をこの東京一区からつくっていくのか、その選択だとわたくしは
そしてわたくし、成長戦略のいちばん大きな部分を担っているのは女性だと思います。
今回、わたくしども希望の党の女性候補者比率、20%であります。
スキルを持った女性、弁護士資格を持った女性、医師の資格を持った女性、これまで子育てで
さまざまな苦労を重ねてきた女性、いろいろな女性の方々が手をあげてくださいました。
候補者になってくださいました。
宝くじは買わなければ当たらないといつも申し上げてきた。
ぜひとも女性候補勝たせていただきたい。そして女性の声をぜひとも国会へとお届けいただきたい。
ちなみに自民党の女性候補比率は8%という、そういう数字でございます。
あれは地球温暖化対策、そしてエネルギー対策、そしてまたもちろんCO2対策とか
いろいろございますけれども、まずはみなさんのマインドセット、意識から変えた。なぜか。
地球温暖化防止、CO2、省エネ、いろいろございますけれども、一番わかりやすい例は
夏なのに冷房が効きすぎているなかで、ひざ掛けをして、カーディガンをはおって、女性たちは
ずーっと寒い寒い事務所のなかで仕事をしていたんですよ。それで体調を崩す人だっていたことでありましょう。
わたくしは、男性のスーツに合わせたオフィスの環境は女性には不適当であったと、
社会保障、2020年オリンピックパラリンピックの話まではいたしました。
その後の5年、2025年にはこの日本の姿勢を一生懸命つくった団塊の世代のみなさんが、
元気な高齢者が多いことはたいへんよろこばしいですが、
じゃあ子供さんにこんどは使うんですよといいながら、
これから今度は足りませんので12%、いや15%20%と
ただただ何も無駄を切り詰めることなく政治家も身を切る改革をすることもなく、
ただ、たらずまいを増税に求めるのでは政治の知恵もなにもあったもんじゃないじゃないですか。
みなさんいかがですか。
いや社会が社会保障制度に体を合わせてきたといっても過言ではない。
みてみましょう。
子育てしてるあいだに自分の帰る場所がなくなっちゃったのよね、という
だからこそわたくしは、いま待機児童対策を都知事としてまっさきに取り組んで、
1万6千人分増やしたところでございます。
その分、待機児童が減った分、働くお母さんが増えたという話。
いま人手不足だといわれている。
つまり高度成長を支えてきたのは、女性は家で家内として子育て、
そして親の面倒を見ている、その分103万円の壁、130万円の壁があって
それを体に合わせてきて、その分、配偶者控除があったり、
それに体をあわせて仕事をしてきたんですよ。
103万円に合わせていたら途中で仕事をパートを辞めちゃわないといけない。
重箱の中の話にすぎないんですよ。
これだけ女性を家庭に縛り付けていながらも、少子化が進んでいることが
おかしいではないですかみなさん、女性のみなさんいかがお考えでしょうか。
変えていきましょうよ。しがらみなく変えていきましょうよ。
このことを申し上げているわけでございます。
過去の延長線だけではもうやっていけません。
日本を大きく変えていく、
いまの安倍政治に任せておくと、このままだらだらと続いていって、
気がついたときには遅いんですみなさん。
守るべきは守る。
どうぞみなさん、心意気と政策、しっかり理解をいただいて、わたしたちに希望、
そしてみなさんの希望、ぜひかなえてまいりましょう。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/346926/101101158/
https://anond.hatelabo.jp/20171012165214
市町村役場で大規模開発が必要なシステムと言えば住記・税・福祉系の3つだが、この中でも福祉系がぶっちぎりで地雷。
住記:住民票の管理。住民票はほぼ全国統一のフォーマットなのでシステム移行は容易。
税:市町村の税で大きいのは住民税・固定資産税・軽自動車税。細かい税率は違うが基本の計算式はほぼ全国統一されてるのでこれも移行は容易。
○国民年金:運営は日本年金機構が行っているが、申請受理や審査の窓口業務は市町村。
○障害者福祉系:障害者手帳の交付・自立支援医療の給付・通所サービス・その他医療費助成(重心)等。
○児童福祉系:児童手当・児童扶養手当・保育(保育園幼稚園)・妊婦健診・その他医療費助成(小児慢性や養育医療)等。
これらの業務それぞれが国・県からの権限移譲されたものと市町村独自のものが混在している。
市町村ごとに千差万別と言っても過言ではない。また、普通の市町村と中核市と政令指定都市でも、どこまで権限があるかは異なる。
これらの業務を全て1つのメインフレームで運用しておりそれを新しいものに入れ替えるだけ、
これらの業務は根拠法令が成立して制度が始まった時期がバラバラなため、そのたびに入札を行って新たにシステムを構築する羽目になる。
そのため、役所内にメインフレームと、異なるベンダー・異なる言語のパッケージが乱立する状態になる。
京都市は今回そんな状態を解消すべくシステムの一括更新を試みたがプロジェクト炎上した、と推測する。
パッケージに業務を合わせろという指摘、業務が役所の内部だけで完結するシステムなら簡単。
人事給与や財務や決裁のシステムであればどこの役所も業務を適宜修正してる。
問題は仕様変更が住民に影響を及ぼす業務(印刷物を送って申請をしてもらわなければならない類のもの)。
毎年送られてくる役所からの文書が変わると混乱してしまう住民の方はものすごく多い。
もちろん事前に今年からこのように変更になります、とお知らせはするんだが読まない方は読まないので。
京都市レベルの大都市で役所からの書類が全部いっせいに変更なんてことになったら、
なので、対外的に住民に出す文書の様式は従来のものから変更はなしで、という仕様になりがち。
逃亡前
どういう漢字か当ててみて!
馬葉もNo
爆破も抜歯もNo
逃亡後
キラキラネームはどうとかコートか 言って ブコつけて悦に入ってる場合か
日本は 際限なく 国債を 擦りまくって 危機的状況にあるんだぞ
平和ボケか
自覚せよ
高齢化社会を合法的に 是正する方法は どうだろう お前らちゃんと考えろ
晋三はちゃんと考えてるのか
日本は 際限なく 国債を 擦りまくって 危機的状況にあるんだぞ
高齢化社会を合法的に 是正する方法は どうだろう お前らちゃんと考えろ
晋三はちゃんと考えてるのか
https://togetter.com/li/1119341
UK総選挙での労働党躍進から議論が始まっているわけですが、そりゃUK保守党ぐらいの緊縮策に対してなら、日本でも反緊縮が主流になるでしょう。しかし日本では、そこまでの緊縮になっているわけじゃあない。ブレイディみかこ氏について、「左派」が地べた云々ばっかりを取り上げてと批判するクラスタだって、自分らがいう反緊縮とコービンの反緊縮の程度(あるいは、UK保守党の緊縮と日本の緊縮の程度)が違うことを取り上げてないじゃんか(ま、そもそもそこから無意識に目をそらしてるんだろうけど)。というわけで、UKと日本が違う理由を言うなら、日本は緊縮がぬるいから、で終わり。
相手の非をあげつらうだけでは同じレベルになってしまうので、もう少し議論を続けてみよう。日本で「反緊縮」とか言っている人たち(以下本稿では「反緊縮論者」と表記)のほとんどは、フローの話をしている。端的には、消費税増税への賛否だ。消費税を上げたら緊縮、下げたら反緊縮。しかし、批判対象となっている人々の認識では、自らを緊縮だなんて思っていない。自分が緊縮だと認識している人が緊縮だと批判されたらリアクションもするだろうけど、緊縮だと思っていない人に対して、お前は緊縮派だ、などと批判してみたところで、謂れのないイチャモンをふっかけられたようにしか思わないはず。
他方、世の中で消費税増税に理解を示す人たち(以下本稿では「反「反緊縮」論者」と表記)ってのは、基本的にはストックを見て危機感を持っているわけだ。今後、団塊の世代が後期高齢者になっていく中、今のストック増のペースでは問題だと。この人たちは、ストックの増は、たぶん許容してる。ただそのペースを何とかしなきゃと。もちろん、ストック増のペースを落とす=フロー収支のマイナスを減らすことは、反緊縮論者の定義に従えば緊縮なんだけど、反「反緊縮」論者の定義では緊縮ではない。ストック増を認めないとか、むしろストックを減らせとか、そういうことを言っているなら、緊縮だと言われれば自分のことだと思うだろうけど、反「反緊縮」論者は自らを緊縮側と位置付けておらず、ニュートラルだと自任しているのだから、緊縮派呼ばわりされても響くはずがない。
反「反緊縮」論者がそうであるには、基本的にはそれぞれの思いがあって、社会保障支出が削られないよう安定財源がほしいとか、会社負担保険料をこれ以上上げられたくないとか、結局のところ、反「反緊縮」論者を説得して反緊縮論者に改めさせたいなら、そうした個々の不安によりそって、その解決を示さなきゃいけない。にもかかわらず、反緊縮論者の多くは、あたかもマクロがすべてであるかのような議論をふっかけ、自分らの議論にかみ合わないと財務省の回し者呼ばわりなんだから、理解の輪が広がるはずもないよね。ちょっと前の駒崎弘樹氏関連の流れをみて、昔の本田由紀氏をめぐる似たような流れを思い出しましたよ。
まったく成長してないなぁ。
(参照:豚猫大好きぶーにゃんの社会的弱者研究所http://sgtyamabuunyan2nd.hatenadiary.jp/entry/2017/03/06/173930)
当時の就職企業説明会がどのようなものだったかが記されており、就職氷河期に中小企業でさえ就職するのがいかに難しかったか理解できるかと思います。
私は就職氷河期世代なのですが、病気療養のため同世代と同じ時期に就職活動することができませんでした。
ですので、自分自身は就職氷河期の就職活動を経験したことがありません。
しかし、ときどき体調の良い時に大学に行って就職課の求人を見ることがありました。
例年なら満杯になっているはずの掲示板に半分くらいしか求人情報が張っておらず、給与も正社員でありながら手取り15万円にも満たないものが多かったことを記憶しています。
また、同年代の知り合いからは、いわゆる“カラ求人”も多かったと聞いています。
聞くところによると、一斉に企業が採用をやめたので求人倍率が低くなり、あまりの厳しい数字に厚労省が「これはまずい」と思って、“採用しなくてもいいので求人を出して欲しい”と企業にお願いしたことがあるとか、ないとか…。
企業が求人を出して、さんざん面接をやって、結局1人も採用しなかった…なんて話も聞いたことがある時期でした。
今世間で知られている就職氷河期の求人倍率も、このような“カラ求人”の分を除けば、もっと低かったんじゃないか、という意見も聞きます。
さて、そんな就職氷河期世代、または団塊ジュニア世代ももう40代~30代後半。
もう、企業も受け入れが難しい年齢ですし、私は「このまま我々の世代は見捨てられていくんだなぁ」と悲しい気持ちでいました。
ところが最近、八代尚宏先生などの本を読んでいて、「あれ?もしかして就職氷河期世代は見捨てられるどころか、これから影響力が強くなるんじゃないか?」と思うことがありました。
なぜか。
去年から“シルバー民主主義”や“シルバーデモクラシー”という言葉が取り上げられるようになりました。
これは、相対的に数が多い高齢者世代が自分たちの都合の良い政策を実行する党に投票するあまり、若年世代にとって不利益が多い社会になってしまう…というものだったと思います。
この代表格がいわゆる団塊世代であったわけですが、彼らも近年続々と75歳以上という後期高齢者に突入しています。
いろいろ指摘されているように、団塊世代の人も75歳以上になると健康的な問題で投票に行けないことが多くなり、徐々に彼らの政治的影響力は弱まってくると考えられるのです。
「そんなことにわかには信じられない」と思われる方も多いでしょう。
しかし、医療機関で働いていると、75歳を境にしていかに人間が弱くなるかが良くわかるのです。
人間は75歳も過ぎると、大きな病気にかかるとなかなか回復しません。
ちょっとの病気ですぐに足腰が弱くなるので、外出も少なくなります。
また、認知症にもかかりやすくなり、認知症の影響で自力での健康管理ができなくなると、体調が崩れやすくなり、あっという間に亡くなる方もいらっしゃいます。
(そもそも認知症になったら、判断能力が低下するので投票できなくなると思われます)
そういうことを考えながら、人口ピラミッドを見ると、否応にも団塊ジュニア、いわゆる就職氷河期世代の数の多さに目が行きます。
八代先生などによると、年代が上がるにつれて投票率も上昇するそうです。
つまり、これから団塊世代の政治的影響力が弱まると同時に、団塊ジュニア、つまり就職氷河期世代の政治的影響力が強まってくると考えられるのです。
しかし、他の方がさんざん書かれているように、この世代は社会に出てこのかた、ちっとも良い思いをしていません。
新卒で就職活動した時は、不況の影響でどんなにがんばっても正社員として就職できませんでした。
就職してもブラック企業で、過労死したり、精神的疾患を患って退職を余儀なくされる人も多かったです。
仕方なく非正規雇用で働いても、“非正規”という身分差別のため正社員と同じ仕事をしているにも関わらず、給料は少ないままほとんど変わりませんでした。
社会保険にも入れてもらえず、老後の貯蓄もできず、がんばっているにも関わらず「甘えている」「自己責任」と言われる始末です。
一昔前であれば、過去の政治的出来事は時とともに忘れ去られることが多かったと思います。
でも、今はネットに就職氷河期のドキュメンタリー映像や当時の政策の記録が残っています。
こうした状況を考える時、「これから就職氷河期世代がどういう投票行動を取るのか、どのような政治的影響力を及ぼすのかわからないな」と思うのです。
昨年、与党はにわかに就職氷河期世代の支援策を打ち出し始めました。
この背景には減り続ける社会保険収入や税収を増やし、生活保護受給者を減らす目的があるんじゃないかと思っていました。
しかし、団塊世代の次に票をたくさん持っている年代を考えた時、団塊ジュニア世代、つまり就職氷河期世代に注目が集まったのではないかとも考えられるのです。
就職氷河期世代は企業にとって魅力のない年齢になったのかもしれません。
彼らは少なくとも、あと30年間は投票に行けるのです。
今後、就職氷河期世代は政治的にどのような選択をするのでしょうか…。
もし、本当に就職氷河期世代の復讐があるのとすれば、“揺るぎない絶大な投票数”という形で現れることもあるのかもしれない、と思った次第です。
前回、就職氷河期について書いたとき、安楽死についての意見をいただき、これについてしばらく考えていました。
その折りに、衝撃的なニュースが飛び込んできたので、これも併せて考えて見ようと思います。
そのニュースはこちらです。
2017/4/27 1:33日本経済新聞 電子版(http://www.nikkei.com/article/DGXLZO15800570X20C17A4MM8000/)
他にも関連記事がありますが、これらの記事からは「75才以上の高齢者は治療効果がないので、原則として抗がん剤を使わないことにする、と厚労省が決めた」ということが読み取れます。
「そんなことまで書いてないじゃないか」と突っ込まれそうですが、たいてい厚労省がこういうことを発表し、日経新聞が記事を掲載する時は、もう決定事項になっていることを経験上知っています。
それはそうでしょうね。
もしかしたら抗がん剤治療で助かるかも知れないところを、年齢で一律に区切って治療をせず、痛みを和らげる治療だけにする、と言い出しているのですから。
では、なぜ急に厚労省はこんなことを言い出したのでしょうか?
筆者は、それだけ今、国にお金がないことが原因だと思っています。
日本に1,000兆円を超える借金があることは皆さん知っての通りですが、それだけではなく、医療保険制度を支える保険料収入が全く足りていないようなのです。
八代尚宏著・シルバー民主主義(中公新書2016)のp72によると、長期間のデフレによって、医療・介護費を賄うための社会保険料はほとんど伸びていないのだそうです。
本来であれば、働き盛りで一番収入も、払う税金も、保険料も多いはずの30代後半~40代前半の団塊ジュニア世代。しかし、彼らの多くが就職氷河期の影響を引きずったまま、未だに非正規や低賃金の人が多いのが現実です。
一方、高齢者の数は団塊世代が後期高齢者に差し掛かる中、急増しています。
その数といったらハンパなくて、団塊ジュニアよりも遥かに多いのです。
私は「団塊ジュニアがバブル世代より上の世代と同じか、それ以上に稼げているならまだしも、こんな状況じゃ、どう考えてもつじつまが合わないよなあ」と思っていましたが、やっぱりそうだったみたいです。
八代先生によると、足りない分は税金や国債で補てんしているようですが、さすがにこれ以上、同じことはできない…。
ということで、医療費を削ろう、より年をとって助かる見込みのない人から削ろう、せめて痛みで苦しまないようにしよう、という方針になったんだと思われます。
ところで、安楽死の話に立ち戻りますが、現実に安楽死をどうやって実現するか?と考えると、いくつも壁が立ちはだかります。
誰を対象にするか?
どういう方法で死に至らしめるか?
誰がそれらを行うのか…?
これらを国民全員が納得できるよう調整するだけでも頭が痛くなります。
そもそも「誰が対象?」「基準は?」というところだけでも難しい問題です。
就職氷河期世代は経済活動に貢献できていないし、今後も見込みがないから対象?
じゃあ、他の世代で同じように経済活動に貢献できておらず、見込みのない人はどうするの?
という命題にまで行き着くのです。
(この命題に1つの答えを出したのが、相模原の大量殺戮事件でしょう)
「こういうことを制度として議論し始めたら、国連の人権委員会から調査団寄越されて、国際社会から“人権意識の低い国”ってレッテル張られるんだろうなあ…」と筆者は思っています。
(かつて日本は国際人権委員会の調査団に調査されたことがあります)
こう考えると、安楽死ってとても難しいやり方なんだと思います。
やっぱり、生きてる人間の命を奪うのはいろいろ意味で難しいんだと思います。
それに比べると、寿命が長くなく、助かる見込みのない人の治療をやめるのは難しくないのかも知れません…。
つまり、この社会は就職氷河期世代を安楽死させるよりも、団塊世代を始めとした高齢者をトリアージすることを選んだのかもしれない、とも思うのです。
よく、「就職氷河期世代は人口が多いにも関わらず、バブルがはじけちゃったから仕方ないんだ。運が悪かったんだ」という言われ方をされます。
しかし、今は「団塊世代は人口が多いにも関わらず、国が貧乏になっちゃったから仕方ないんだ。運が悪かったんだ」という時代に変わっているのかも知れません…。
条件がぐちゃぐちゃしているのでユースケースを一つ作る。
「Aは親であるBと遠くはなれて住んでいる。様子を見に行くのも飛行機を使うため、気軽に帰省する訳には行かない。Bは高齢のためここ数年、急激に運転がおぼつかなくなってきた。軽い認知症が始まっている。車を降りることを薦めても『心配しなくていい』を繰り返すだけで、話を聞かない。後期高齢者保険の話をしても嫌な顔をするだけ。ヘルパーを入れることも拒む。説得を続けると『疲れた』といって引っ込む。高齢者の運転事故の話が話題になっており、心配だ」
多分日本中に掃いて捨てるほどあるユースケース。本当に掃いて捨てたら大阪の海が悲しい色に染まるどころか広大な埋立地ができるだろう。
さて、BはAの言うことをまったく聞かない。一方でBの運転能力は日増しに低下している。ここで何ができるか。現実的選択肢は以下のとおり。
最初の選択肢はAが逮捕される。2番目の選択肢を取る人は一定数いる。その後再就職できずに低所得層に転落する悲劇が量産されているが、報道はめったにされない。最後の選択肢を現実解として選択する人は多いだろう。
最後の選択肢を選んだ場合で、かつBが誰もひき殺さなかった場合、現実に起きるのは次のような事態になる。
Bは脳機能の衰えにより、自分の車がどうなったかを正常に判断できなくなる。車を捨てるのはこのときしかない。しかしながら、同時にBは徘徊等をはじめており、この時点で付きっきりの監視が必要になる。
Bはヘルパーを拒んでいたため、遠隔地からAがBの世話を頼める人はいない。「徘徊しているお父さんを保護しました」という警察からの電話に、予定をすべてキャンセルし、会社に頭を下げて(割安航空券を使わずに)あわてて帰省することになる。
長期休暇は取れない。ここでどうやって車を捨てればよいか。
普段意識していないが、会話で「廃車」というときには上の二つの意味を両方含んでいる。
この二つを短時間にできるだろうか。
スクラップ処分はできる。近所に業者がいるならば、自走していって車検証と自分の身分証を見せるだけで廃棄してくれる。所有者の同意書、委任状などは不要(業者に確認することを推奨)。
問題は法的な廃車のほうだ。
この二つがあればいい。さてここで問題。Aの言うことをまったく聞かなかったBは、Aに登録印の保管場所を教えてくれるだろうか。
教えてくれているなら幸い。とにもかくにもすぐに廃車処理すべきだ。(来年の納税までに捨てればいい)などというのは間違いだ。なにしろ、
Bが自活能力を失ったからAの元に引き取る。あるいはAの居住地の近所の施設に入れる場合、当然住民票を移動することになる。
ところが、印鑑登録の再登録には本人自筆の委任状が必要となる。委任状を書けるくらいなら運転の心配などあるわけないっつーの。そもそも、委任状を書ける状態ではBはAに同意しない。
この点に関して、役所は一切助けてくれない。結局、この状態になると選択肢は二つ。
偽造が発覚した場合、たぶん書類送検される。裁判で争うのも一興だろう。ツイッターで炎上させてメディアを巻き込む。うまくするとゴーストライターが適当な感動ポルノ本を書いてくれる。印税で買ったワインを飲みながら、すでに知的な話をできなくなったBの耳元に「あんたのおかげで大もうけできたよ」とささやくと、テレビドラマ的で素敵だと思う。
重量税を払わない方法もある。払わないと警察が来るので「この人が脱税しました」と、Bを突き出すのだ。嘘ではない。安全な運転と納税は所有者であるBの義務だ。うまくするとBはお上が面倒を見てくれる(ないない)。
成年後見人は一番まともな方法だ。成年後見人になれば、Bの代わりに印鑑を登録し、廃車することができる。が、認定されるまで数ヶ月かかるという、お役所仕事なので年明けにスクラップにしたなどという場合はあきらめるしかない。
かくのごとく、親の車を捨てるとは面倒な事である。
当然だが、ここに延々と書いた面倒な話とは別に「老いの準備を一切しなかった親を引き取る」という大変な事態が同時に発生する。
子供が憎い、子供を少しでも苦しめたい。そう思っている方には『心配しなくていい。俺は大丈夫だ』と言い続けることをお勧めする。効果は絶大である。
(後半、追記しました)
これが主な利点。
あとやはり、「月々の借金に追い立てられずに済む」というのは、精神的にもの凄くプラスだ。それまでどこかセピアがかっていた周りの景色が、相談・手続きを済ませた次の日からは違って見えて、そのことにフッと気がついた時には正直ドキッとした。
欠点は、だいたい想像が付くというか知ってる人も多いだろうけど
と説明された。
ちなみに、よく聞かれる「自己破産」や「民事再生」という方法もあるけど、これは「不動産などの財産を売払う代わりに借金の返済をストップさせてもらう」・「借金の額を減らしてもらう(返済の必要はある)」違いがあって、自分が今回選んだ任意整理は「払い過ぎた利息を元金の返済にまず充てて借金を減らす」方法。
以下、多少のフェイクあり。
ことの発端は、数年ほど昔にさかのぼる。当時はニートだった自分は親元から離れたい一心で、都会を離れた所で住み込みの仕事に就いていた。クレジットカードは、(地方部なのでマイカーは必須)ガソリンスタンドなどで使う程度だったのだが、リーマンショック発生前後からは仕事もヒマが目立つようになり、稼働時間も細切れに短縮される(だから、副業なんてできない)など、就業当初からの実入りはガンガン減っていった。
そこでつい、カードローンに手を出したのが運の尽き。昨年秋ごろには最終的に、家賃や生活費を除けると薄給では払いきれず、典型的な自転車操業状態に陥っていた。
そんな中で、ケンカ別れ的に家を出たはずのカーチャンに意を決し正直に相談したところ、電話口でさんざん怒られ嘆かれた。が、「あんたが家を出た時もだったけど、あんたの決断はお母さんは支持するから」の一言で、債務整理を決めた。ごめんよ、カーチャン。
あと、父親が後期高齢者となり入院しがちでボケも発現してきた事も含み、仕事先に断りを入れて出戻ってくる形になった。地方部生活を引き揚げた後のカードの用途は借金とケータイ代の支払いのみだったので、カードの廃止に未練なく踏みきれたのも大きかったと思う。
ところで、いわゆる「過払い金」は2010年までの『グレーゾーン金利』時代にカードローンがあった人なら確実に発生しているものだが、それ以外の例だといわゆる『リボ払い』(自分の場合はこれ)では、返済のかなりの割合が金利に充当されて元金がなかなか減らない。
今回の任意整理という手段だと、「元金と金利」の関係にいったん仕切り直したうえで返済額を決定するので、結果的に月々の返済負担も減ると弁護士さんからは聞かされた。
いずれにしても、カード会社との間に専門家が仲介してくれるあたりは、心理的な負担が少なくなる点でのメリット。
もちろん、こういった面倒な事態に陥らないに越したことはないけど、本当に困った時にはやはり、職業的専門家に任せたほうがスムーズに解決できるという事実を実感した。自分の場合は、事前の無料相談ができる事が決め手だったので、引っ越しではないけど幾つかの事務所に「合見積り」を取っておくのもいいと思った。
苦い体験だったけど、自分の経験がはてなーの皆さんのお役に立てばと思う。
〈ここから追記です〉
反響をいただきまして、ありがとうございます。書き漏らしが多いのは自分でもわかってましたので、ここで少し追記しておきます。
>どうやって調べて、どこに決めたのか
とくに難しい事はしてません。インターネットで「カード 過払い金」で調べて、近場に相談箇所がある弁護士事務所のウェブサイトを見てました。
ただし個人や少人数で運営してる所は、電話相談時間が平日限定だったりメールのやり取りにタイムラグがあったりで、結局はCMも出すような大手のところにお願いしました。
>どういう手続きで進むのか
今回の依頼先に決めたのは、最初の返信メールだけでもそれなりのアドバイスをいただけた事に尽きます(過払い金はあまり見込めない例なので、今回は任意整理で進める事になりそうです、などが書かれていました)。
相談が無料なのは宣伝の通りですが、まずは電話連絡でのヒアリングからはじまります。カードローンを抱えている人なら、明細を郵送してもらっている設定の場合は、手元に履歴としてキャッシング明細を用意しておくと電話口での話がスムーズに運びます。
契約する・しないにかかわらず、無料相談はまず事前予約が必要になるので、面談する拠点と時間を決めておきます。宣伝してる大手だと、この時刻が休日や夜遅く(夕方5時以降)でも空いてる事が多いですし、拠点も全国各地にありますので、選定する際の理由の一つになると思います。実際に訪れた先の受付ロビーには呼出し電話があって、そこで電話を取ってアポイントの確認をしました。
受付をくぐると個室に通され、そこで問診というか現在の金銭状況に付いての記入シートを書かされます。自分の場合はカードローン1社の借入れのみでしたが、いわゆる「多重債務者」向けの質問項目も並ぶそれは、なかなか壮観でした。
シートへの記入が終わると事務員さんが回収に来て、ついでに債務整理のおおまかな解説や今後の行動指針に関して、図入りのパンフレットを使って説明をしてくれます。
が必要になります。着手金は、内金という形で最初に少しだけ(私は1万円を渡しました)であっても、こちらの本気度を示すアピールになると思います。
もちろん、「持って帰って」じっくり検討してもいいですよ、という選択肢を示されました。お金のからんでくる事なので、「ハンコを捺いて決断」するのには躊躇するでしょうし家族と検討する方も多いです、とは言われました。ただその場合、相談のための日取りの予約があらためて必要になるので、二度手間にはなります。
>そのあとは?
おもなやり取りは、電話連絡と弁護士からの書類の送付で済みます。依頼した事務所の場合は、月々の一定額を事務所指定の口座に納め、まずそれが貯まれば(すこし前に書いた4万数千円に達したら)着手に移り、その積み立てた額から借金の返済をぼちぼち行なっていくという形です。
肝心の弁護士側への報酬などですが、この着手で「浮いた」額からの、任意整理なら1割・過払い返還なら2割になるようです。
>業者乙
残念ながら事実です。ちなみに最初にカードを作ったのが、手元の資料を見ると1998年の初夏でした。その時はまだマイナーな業者のカードだったのですが、後にそのカード会社が提携や合併にあったりと、ほかにも「クレヒス(クレジットヒストリー)」だけは無駄に長いため、キャッシング枠が収入に対し不自然に膨らんでいたことも、返済を結果的に困難にしていた理由の一つでした。
地方部暮らし、親元からさっさと離れたい事もあって憧れてたんですよね。ただ、必然的に自動車は生活で必要になるわ(買ったのは中古の20万の軽でした。これはクレジットカードの枠とは別で、中古車業者の組んだカード無しローンです)、保険料や車検費用が都会と比べて別に安くは無いわ(さすがに駐車場代はゼロだけど)、そもそも時給など給料が低い事を身を以て実感してきた頃には、すでに遅しという状況でした。
「母親に結構な金が注ぎ込まれてる」(http://anond.hatelabo.jp/20160823232626 )を書いた元増田です。
まずは予想をはるかに超えて、多くの方から温かいコメントをいただいたことに感謝したい。
こんなにブコメがつくとは思わなかったし、ついたとしても、もう少し甲論乙駁するブコメになるかとおもっていた。
「お金のことなど気にすることはない」という趣旨のコメントを多くいただいた。
本当にありがたいし、そういうコメントに対してこんな返し方をするのも失礼なのかもしれないが、
本心を言えば、多分、そういう言葉をくださる優しい方々が心配するほどには気にしていない。
ただ、やっぱり現実に「60万円」という金額を見ると驚かざるを得ないのは事実だし、
どちらかというと気にしているのは「俺らが後期高齢者になっても、これが続けられるのか?」ということなのだと思う。
その解決方法が、少子化対策なのか一億総活躍社会なのか、はたまた移民の受け入れなのか、難しいことはよく分からないが。
「きちんとQOLが保たれているから、ちゃんとしたお金の使われ方だ」「寝たきりに金を注ぎ込むのとは違う」という趣旨のコメントも散見された。
それはそうなのだが、ただ、では、どこで線を引くのかと言われると、それはそれで難しいのではないかと思う。
一度線を引いたら、その線の位置がだんだんずらされていくのではないか? という危惧もあるし。
母はガンの罹患前、「あたしは別にそんなに長生きしたいとも思わない。元気なうちにポックリいきたい」という趣旨のことをよく言っていたが、
逆にガンと戦い始めてから生への執着が強まったように見える。
多分「長生きなんてしなくていい」というのは健康が当たり前な人の贅沢なのであって、
実際、死を意識し始めると、すこしでもそのタイミングを先に延ばしたいと思うのが本能なのではないか?と、最近考えている。
「いつ死んでもかまわない」といっている人に、「じゃあ、あした死んでもらいますね」というと、大多数は「え? ちょ、ちょっと、もう一日待ってくれ」と言い出すのではないか。
で、「もう1日」が毎日続くのだろう。
自分の書いた増田がリツイートされて回ってくるというのも、初めて経験した。
そのなかで @natorom さんが「はてな匿名ダイアリー。抗がん剤加療中のstage 4の母親の話。医療費がメインのエントリーだけど、
現在の抗がん剤治療のリアル(副作用がないわけではないけど普通に生活は可能)が描かれている」
と、拙文を紹介してくださっていたので、この辺のことも触れておく。
母が抗がん剤治療を受けている、というと、患者のことなど考えない医者にやたらめったら薬を打たれ、
副作用でのた打ち回って悲惨きわまる闘病生活を送っているに違いないと勝手に思い込んで慰めてくれる人が、少なからずいる。
はっきりいって迷惑だ。
確かに、副作用がないわけではなく、特に新しい抗がん剤に切り替わった直後などは、食欲も落ち、夜中も何度もトイレにたって、
一日中ほとんど寝たきりになっていることもあるし、母がレディースアデランスの愛用者になっているのも事実だ。
初めての薬を投与して、一週間後の最初の検診までの期間は、当人も家族も緊張はする。
どの程度の副作用がでてくるのか、医者だって正確なところはわからないし。
薬を変えてはみたが、どうやら医者が当初想定したほど腫瘍マーカーが下がらなかったらしい、という局面にも遭遇した。
だからといって、その他の期間は、時に温泉旅行に出かける程度に回復するわけだし、勝手なイメージで同情されても困る。
そういう人に限って「自分が想像しているような、苦しそうな闘病生活」を送っているわけではない母をみると
今度は、「あら~、大変かと思ったら元気そうじゃない! よかったよかった! もうすっかり良くなられたのかしら!」などと、トンチンカンを言う。
「アタシだって、病気と闘っているのに・・・」という母の愚痴を聞くのは、こういう人とあった後だ。
確かに、今ほど抗がん剤が進歩する前は、いろいろと悲惨な状況もあったのかもしれないし、病状によっては、かなり大変な副作用を併発することもあるのかもしれない。
だが、別にがん患者がすべて、あなたの想像するような悲劇の中で生きているわけでもないし、だからといって病気の大変さがないというわけでもない。
おそらく大半の現場の医療関係者は、真摯に最善の治療法を(保険でまかなえる範囲で)考えているし、
製薬会社だって、別に人の命を食い物にして儲けることだけ考えているわけでもあるまい。
とりあえず、何十年前の知識で、抗がん剤批判を繰り広げて金儲けするのはやめろ、近藤誠。
(実際、母親世代には、まだまだ近藤誠信者と思しき人がいる。そういう人との付き合いは、なんとしても切るのが吉だ)
早期発見できた人は違うのかもしれないが、「ステージⅣで発見」という状況だと、「基本的に治ることはない」というのが、周りの人間にとっても難しいところだ。
(当人はもっと大変なのだろうが、自分は当人ではないので、本当のところは分からない)
普通の病気のように「頑張って、治しましょうね」という励まし方はあり得ない。
いかに上手に付き合っていくか、いかに現状を維持していけるか、というスタンスで付き合えないと、患者と家族双方にストレスがたまることになろう。
しかも「いつまで続くか分からない」「いつ悪い方向に進むかわからない」という不安を抱えながら、である。
この辺、バランスを取れなくなった人が、「奇跡の治療法!」とかに走るのだろう。
奇跡はめったに起きないから奇跡なのであって、その奇跡が自分には起こると考えてしまうのは「逃げ」だと思うけれど。
先日、とある観光名所にいったとき、「健康」とか「長寿」とか「家庭円満」などと書かれた名産品が売られていた。
ちょっと考えた上で「長寿」のヤツを、母の土産に買って帰った。本当の意味で「健康」を回復することがない人に、「健康」を祈願するグッズを渡しても白々しいからだ。
ちょっと迷ったが、母に「『健康』ってやつもあったんだけどさ、まあ、いまさら『健康』ってのは無理だから、『長寿』にしたよ」と言ってみた。
母は、「そうねえ、もうちょっと早く『健康』のヤツがほしかったけど仕方ないわよねえ」といって笑っていた。
ああ、この人は強いな、と思った。
60万超の治療費にたいして1万5000円という負担に関して。
これは、母が後期高齢者で、かつ、健康保険の仕組みにおいては、もっとも収入の少ないカテゴリに分類されているので、この金額になる。
もし、母がもっと若かったり、年金以外に収入があったり、夫(自分の父)が生きていて収入があったりしたら、もっと請求されている。
つまり、母は医療費の世界において「相対的貧困者」とされているおかげで、この程度の負担で済んでいるということだ。
ここで「でも、温泉旅行いったり、映画見に行ったりしてるんでしょ? もうちょっと払えるんじゃないの」とか
「息子、治療費全然だしてないのかよ。親子なんだから出させろよ」とか非難されたらと思うと、ぞっとする。
だが、どうやら世間は、子供の貧困に対しては、似たようなことを平気で言うようだ。
ぶっちゃけていえば、あと長くても10年は持たない老女よりも、この先何10年もこの国を支えていく若者のほうが、
ROIは確実に大きいと思うのだが、なぜこうなるのかは、考察に値すると思う。
母親がガンとの診断をうけて、もうすぐ5年半になる。
診断されたときには、ステージⅣで5年後生存率は20パーセントといわれていたが、幸運なことに、今でも調子がよいときは自分で車を運転して病院に通う程度に元気だ。
病院は、昔の社会保険病院(何年か前に制度改革で名前変わった)だから、まあ公立みたいなもんで、いわゆる「保険の範囲内」の治療を続けている。
基本的には、抗がん剤を月に一度うって、それから週一で検診をうけて、また抗がん剤うって、が基本パターンで、
だいたい抗がん剤うったあと数日はかなりダルそうにしているが、それ以外の期間は、病人とは思えないほど元気だったりもする。
その時期に人とあうと、誰も彼も「お元気そうでよかった!」というもんで、
「アタシだって病気なのに・・・」というのが数年来の悩みで、その手の愚痴はもう、聞くだけ聞いて右から左に流している。
で、ある薬が効かなくなったり、副作用が強く出てきたりしたら、新しい薬に変える。
薬が変わるごとに、医者から家族も同席した上で説明を受けるのだが、素人が聞いても分かったような分からないような話にしかならず、
母がかかるようになった当初、入れ替わり立ち代り看護師が「愛想は悪いけど、腕は確かな先生ですよ」とフォローに来たくらいだ。
まあ、その分、ある意味で信用はしている。余計なお愛想や、変に希望を持たせることも言わないし。
でも、実際、この先生が合わなくて転院していった人が、いなくはないらしい。
なんっていうか、身もふたも無い言い方をしがちなので、そういう人がいるのはよく分かるし、
そういうときに、なんか笑顔でへんな希望をもたせる代替医療屋が近づいてきたら、コロっといってしまうのではないか、などと思う。
で、3ヶ月ほど前、また抗がん剤が変わった。
今度の薬は、数年前に認可されたばかりで、はじめは肺ガンにつかわれており、母のガン(卵巣ガン)に使われるようになったのはごくごく最近であり、
母の主治医は初めて使うらしい。
「高額の薬ですけど、保険が利くようになりましたからね」と説明を受けた。
幸い、母には向いていたのか(抗ガン剤の向き不向きは、その人の病状やら体質やらガン以外の持病やらによって千差万別らしい)、
最初の投与のときは、若干副作用が重く、体重もかなり減り、心配もしたが、
その後は、当初のときほど副作用が重くない様子で、血圧も安定し、なにより腫瘍マーカーの数値がよい。
で、食欲も旺盛で、下手したらガンになる前よりあるんじゃないか?というくらいになり、実によく食べている。
なのに体重は増えないようだ。
よく分からないが、ものすごい勢いで体内のがん細胞を殺しまくっているのかもしれない。
この夏も、暑い暑いといいながら、友人と映画見に行ったりしている。
というわけで、医学の進歩は、はなはだありがたい限りなのだが、請求の明細を見ると、やはりいろいろと考えてしまう。
母の抗がん剤治療には、1回60万円以上の金が注ぎ込まれているのだ。
ところが、後期高齢者である母は、高額医療費の免除を勘定に入れれば、実質1万5000円程度しか払っていない。
この数字をみると、ここ数年、ほとんど医者にかかったことのない自分の健康保険料が「高い!」などという気分は、吹っ飛ぶ。
こんな風では、確かにこの国は医療費でつぶれてしまうのではないか?と思わないでもないが、
そんなマクロな疑問を、目の前の親の病気というミクロな大問題を前に考えていられるほど、自分は大人物ではない。
今の抗ガン剤も、いつまで使えるのかよくわからない。
一般論としては、どんなに長くても2年がせいぜい、らしい。
まあ、まだ使用例がさほど多いわけでもないので、医者もよく分かっちゃいないのだが、いずれ限界がくるのは明らかだ。
そこで、また新しい薬が出てきて、今度は1回100万(自己負担は2万数千円くらい?)みたいなことになるのかもしれないが、
そうなればまた、日本の医療制度に感謝して、淡々と母親のことを見守ることになるのだろう。
なお、ちょっと話は変わるのだが、素人ながらに母親とその周辺にいるガン仲間をみていると、
今のところガンに特効薬は無いのだが、
2 食生活がちゃんとしていること
大体、ガン以外に持病があったり、肥満だったりする人は、正直、ガンになってからの生存年数が短いようだ。
治療には体に負担がかかるので、「健康(ガン以外)」でないと絶えられないものらしい。
幸いにして母は、患う前、年齢の割には健康診断の星が格段に少ない人であった。
あと、やっぱり食事が偏った人や、食欲が無くなった人は、どんどん衰弱していく。
その辺は母も思うところがあるらしく、毎日時間をかけて野菜ジュースつくったり、いろいろ献立考えては買い物に行くのが
ちかごろの生きがいになりつつあるようだ。
とはいえ、そんなのは対症療法で、結局は高額な薬を主軸とする治療に頼っていかざるを得ないのが現状なわけで
これから先、どのくらいの期間にわたって、どれくらいの金額が母の命に注ぎ込まれていくのか、
できるだけ考えないことにしている。
追記書きました。
http://anond.hatelabo.jp/20160824212145
(2017/3/6)
半年ぶりに追記書きました。
何回忌だとか盆供養だとか月の供養だとか何かにつけて高齢者から搾取している様子、少しも仏教的じゃないよなー。
葬式も、仏教的な部分が形骸化しすぎていて、なんのためにやっているのかわからない。
仏の教えを広める気があるのか?勿体ぶってわけのわからんお経を読むだけ読み散らかされても、有り難みなんてない。
でも田舎の爺さん婆さんにとっては菩提寺というのは共同体を牛耳る大きな権力で、なぜか尊敬の対象らしいので逆らえずに寺のいいなりになってしまうようだ。
その息子世代にはそういう自由意志が無視されるような状態がおかしいという感覚があるため、世代交代に伴い寺は減退していっているのだと思う。