はてなキーワード: メインストリームとは
これ
http://www.huffingtonpost.com/entry/i-love-you-hatsune-miku_55ef16c4e4b002d5c076ca27
とりあえず序盤のあたりだけ訳しておく.
もしポップスターに肉体が必要と考える人がまだいたら,ショックを受けるかもしれない.
何年か前,ヤマハはボーカロイドを開発した.それはコンピュータに合成音声で歌わせるソフトウェアだった.2007年にそのソフトウェアは身体を獲得し,初音ミクと名づけられた.(hot-sue-neigh mi-kooみたいに発音する)青い髪のアニメ風少女で,世界中の生身の人間たち相手にツアーをし,不思議なホログラムで舞台に立ち,彼女のファンによってボーカロイドソフトウェアで書かれた電子音楽を熱唱する.彼女が世に出てから何年も経つ間,何人もの男女のボーカロイドシンガーが加わった.また彼女はいくつかのゲームの主役だ.これらの出来事は本当に奇妙でかつ,マドンナがウェディングドレスでVMAのステージに立って以来の,ポップシーンにおける重要な出来事だろう.
これは21世紀的なアイディアだ.すべてクラウドソースの歌をうたうデジタルポップスターというのは.ミクは舞台の上で足首を捻挫したり声が出なくなったりする心配をする必要もない.まあ魂のない企業産娯楽の現れといえるかもしれない.しかし,彼女はファンが望むからそこにいるのであって,そうなると等式の流れが逆転する.彼らが彼女に音楽を与え,同時にコンサートで応援する.
別の言い方をしよう.もし皆が朝起きて急にミクを嫌いになっていたとすると,コンピューターホログラムは使われなくなるだろう.だけど別に悲しくはない.同じことがTaylor Swiftに起こると,彼女は何年もの間つまらないアルバムをリリースしたあげく,限界に達してDemi Lovatoの二の舞になるだろう.それはとても悲しい.
歌う日本のホログラムが世界中を闊歩してることを信じない人にとっては受け入れづらい話かもしれない.レディガガの前座だってつとめたし(以下メディア展開について略
後半は北米でローカライズ版が発売されたProject Mirai DXの宣伝とローカライズ担当者のインタビュー記事になるので割愛.気になった点を以下に示す.
・ユーザーによって音楽やさまざまなコンテンツが作られていることが注目に値する
・たくさんある曲を適当に聴いていると,一曲くらい自分好みの曲がみつかる
ユーザーによって作られているという点は,最初期のボカロシーンには当てはまるかもしれない.例えばネギもたせたりデフォルメキャラが作られたりしたのはその頃のユーザーの手によるものだ.しかし一旦製作者と視聴者の関係が確立してしまうと,両者の間には埋まらない溝ができた.現在の話をすると製作者の層とボカロのメイン視聴者の層はまったく異なると思う.視聴者は製作者を応援したり,お金を落としたり,ファンアートを描くくらいはできるかもしれないが,自分で製作者と同等の活動をしたりそれを目指したりはしない.ちょっとややこしくなるけど「ボカロソフトのユーザーである曲の製作者」と「曲を視聴するユーザー」に完璧に分かれている.確かにユーザーによって作られているコンテンツと言えなくもないけど,それはファンメイドのコンテンツとは違うように思う.なぜならファンは視聴者側が圧倒的に多いし,製作者はむしろ自分の曲を聴いてもらうため仕方なくボカロを使うという面があるからだ.ファンが直接コンテンツを作るのではなく,製作者を評価するなど間接的な方法でしか関われない.その少々歪な状況が英語圏には伝わってない(別に伝わらなくてもいいと思うが).外国のボカロファンはさすがに異国の奇妙なコンテンツにはまるだけあって熱意はすごく色々なことにトライしてるみたいだけれど,逆に日本にはほとんど伝わってこない.
もう一つの点はひとつの本質に迫っていると思う.ボカロは曲の良し悪しは別としても何万もの歌が動画サイトに登録されている.曲風も製作者の好みによって千差万別で,メインストリームで受け入れられないようなニッチな曲風も多い.たくさん聞けば自分にぴったりの曲を見つけることができるだろう.これはAKBやラブライブで女の子を増やしまくって誰か一人くらいは推しが見つかるだろうという戦略と図らずも同じだ.とはいえ手がかりがないと膨大な時間が必要なので,口コミとかセガのゲームのようなとっかかりが鍵になる.まあ今はネット上のボカロの知名度は高いので,ネットを積極的にやってる人なら一曲二曲は知ってたり,もしくは好きだったりするんじゃないかと思う.敷居の低さとコンテンツの多さは強みとなる.
確かにGorillazは君がリンクした動画でまったく同じことをした.2006年のグラミー賞でも同じことをしようとしたけど,問題があってテレビ用にごまかすことになった.費用がかかりすぎるので同じ形式のコンサートはもうやってない.Musion社から借りている技術も向上してない.
ミクに使われてる技術は全然違うもので,開発元の内製だ(訂正-もともと違う会社と共同開発したようだけど,今はクリプトンが全責任を負っている).その方法はもっとシンプルだしパテントに縛られることもない.一方でミクの3Dアニメーションソフトウェアは無料でファンメイドのものだ.おかげで非公式のファンメイドコンサートが世界中で定期的に行われている.とってもクールだと思う.訳ここまで.
コンサートはやはりお金かかるんだろう.ほうぼうに散らばった曲の版権者,3DCGクリエーション,自分達が主演できるわけでもないバンドの何曲にもわたる練習.オペラとかはもっと収支がひどいみたいだけど,彼らは自分が好きだから赤字でも上演するそうだね.
エロゲが当時最先端だったかどうかは個人的には判断つきませんが、テキストが文学的とかそういう意味で目新しいことをやってる作品には出会った記憶はないかなぁ。
その媒体でしかできない表現をするという意味においては、ゲーム特有の「ゲームオーバーになれば繰り返しプレイする」という特性から、映画や小説ではやりにくいであろう「繰り返しプレイすることで、プレイヤーの視点で積み上がる記憶」というのを利用した作品は数多くあるので、そういうことを捉えて最先端と言っている方がいるのではないかと予想してみる(とくに10年前らへんはそういうのが流行ったように思う)
この手法の開祖的なものはおそらく「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO(1996)」らへんになってくるのかな(1997-2007位が守備範囲なので間違ってるかも)
葉鍵や型月が槍玉に上がりそうな話題と時代だけど、実際のところ売り上げと最先端だったかどうかとは関係ないと思うので。
Leafに関しては「痕(1996)」なんかで上記のゲーム特有のプレイヤー視点による演出をやってるので、そういう意味では新しかったのだけれど(でもそれってそれ以前に弟切草(1992)があるしなぁ)
その他にエロゲ特有の目新しい手法というと、あと記憶にあるのはLiarsoftのForest(2006)くらいのものかなぁ。
これはエロゲ特有のフォーマットである下部ウィンドウに表示される文章と、それに合わせて実際に再生される音声を異なるものにする事で、ある人物が実際にしゃべっている事と内心考えている事を同時に表現するというような手法だったり、ウィンドウ幅を意識して単語の途中で改行がかからないようにするといった手法だったり、エロゲのフォーマットを最大限使った表現を試みたものかと。
エロゲ(ビジュアルノベル)の枠というのは特殊なフォーマットで、映像と文章と音が存在していて、しかしながら字幕映画とも小説とも異なる(字幕映画にはない地の文があり、小説にない絵と音がある)という事を最大限に活かそうという、表現手法の発明への挑戦みたいな事じゃないかと。(あまり文章上手くないので僕の説明だといまいち伝わらないかも/だれかこの辺綺麗に説明できる人おらんか・・・)
一部では評価されたものの、それがメインストリームであったわけでもないし、また、エロゲ支持層がこのへんの作品を取り上げて「エロゲはオタクの最先端だった!」と言ってるわけでも無いと思うので、本論にはそぐわない話になってしまったかも。
テキストでエクストリーム試みたというよりは、エロゲ界隈のクリエイターの先鋭はエロゲのフォーマット自体を研究していたように思う。
ただ、履歴を通じて少し無理があるなと思ったのは、「戦争直後」の部分で、説明のとおりとすると、終戦直後にGHQとの交渉に乗り出すことができるようなストーリーが描けないってことだ。いくらひそひそやってた連中の尻尾を握ってたとしても、そんな(自分の弱みを握る)存在に、彼らがGHQとの交渉を任せるか?
というわけで、内務省を辞めた後、公式には語られていないが、鷲津は引き続き権力と何らかの形でつながっていたと考える方が妥当だと思うんだが、どうだろう?
戦争中は目立たない、しかし、戦後にGHQとの交渉に乗り出すメインストリーム…具体的には、親米派とうたわれた一派だ。地下ではそことつながり、表向きは浪人をしつつ、裏の関わりはずっとキープしていたと考える方が、戦後すぐの活躍には説明をつけやすいのではないかな。名家出身だろう、という推測は、のちの彼の派手好みな生活の様子からもうかがわれるけれども、こういう地下の地縁血縁的ネットワークとのつながりを考える上でも生きてくると思う。
名家出身で卓越した能力をもち、戦前から権力の近くにありながら、戦時中に突然隠棲し、しかし戦後すぐにGHQの交渉にも再登場し卓越した交渉力を見せつけて、しかし政治の中枢には残らず民間で莫大な財を築いた…ダンディでパワフルな日本人離れした人間。そんな漫画みてーな奴いるわけねーだろ、設定が非現実的すぎるぜ、という人は、ぜひ白洲次郎のことを調べてみるとよいと思う。
それってただお前がメインストリームに乗っかってるだけでしょ
今やキラキラネームがすっかりメインストリームになってしまい、もはや変な漢字や読み程度では動じなくなってきているんだけど、
もちろん、同姓同名の有名人や芸能人より年上、もしくは年が近い人の場合はしょうがない。
例えば「大島優子」や「木村拓哉」なんて全国に五万といたんだろうけど、
「大島優子」や「木村拓哉」が活躍し始めた時、本人たちは相当嫌だったと思う。
自分もとある芸能人と途中まで名前が一緒なのだが、それだけでもちょっと嫌だなと思った位だから。
また、結婚して姓が変わったことで有名人と同姓同名になってしまった人も相当数いることだろう。
これによって誕生した「和田アキ子」さんはかなり多いように思う。悲劇だがこれもしょうがない。
問題は、すでに有名人や芸能人が活躍している中で、その人達と自分の子供を同姓同名にする親の心理である。
正直これは全く理解出来ない。なぜ既に大成した人と同じ名前をつけようと思うのだろう。
顔の造形で比較されたり、運動神経で比較されたり、学力で比較されたりと、子供は常に同姓同名の有名人と比較され
コンプレックスを感じながら生きることになる。
また、学校や病院、会社などで名前を呼ばれる際にもいちいち変な反応をされるのが目に見えている。
さらに、該当の有名人がヘマをやらかした場合は、同姓同名の子供にまで確実に影響が及ぶ。下手したらいじめの対象になることすらあるだろう。
考えれば考える程デメリットばかりなのに、親はなぜ有名人と同姓同名にしようと思うのだろうか。
【その有名人のことを知らなかったんです説】
確かに覚えては貰えるんだろうけど、リスクがでかすぎる気が。
【その有名人のファンだよ説】
いやいや、ファンだからって子供を同姓同名にしてなにになるんだよっていう。
【昔から子供にはどうしてもその名前を付けたかったんだけど偶然有名人と被っちゃったよ説】
そうだったとしても、子供への影響をもう一度考えたほうがいい。
あえて大成した人と同じ名前をつけることで子供にハードルを課し、それを越えるような生き方を
して欲しいと願っているのかもしれない。そうだとしたらすごい。けどむごい。
いずれにせよ、やっぱり腑に落ちない。
結論としては【そこまで深く考えていないよ説】なのかもしれないけど、それはそれで悲しい。
マツコさんの記事が話題にあがっていたので前から思っていたことを書こうと思う。
僕はもともとアイドル文化に興味はなく、かといって悪感情があるわけでもなかったので、
視界に入らないぶんには日本独特の文化だし、一部の海外の人には受け入れられて
今後も脈々と楽しまれていくんだろうな、くらいにしか思っていなかった。
でもここ何年かはアイドル文化が文化としてメインストリームになり、
街を歩いていると嫌でも目にするようになった。
それこそお店で流れる有線なんか、半分くらいはアイドルソングなんじゃないかと思う。
こうやって生活圏内にどんどんアイドル文化が侵入してくると、だんだんその魅力でもあるはずの
幼児性になぜか自分の方が恥ずかしさを覚えるようになってきてしまった。
アイドルブームは昔もあったし、今の状況が日本人的に特殊ではないと思うけど、
世界が狭くなったこの時代に喧伝される日本の姿がこれだと思うと、やっぱりなんだか恥ずかしい。
自分の恥ずかしい気持ちはこうした外面を気にした感情だと思うけど、
元記事はこちら。
http://www.bbc.com/news/magazine-30698640
【追記】こちらの訳よりずっと上手い訳が出てたので、そちらのリンクを張っておきます。
http://knagayama.net/blog/2015/01/08/bbc-why-hasnt-japan-banned-child-porn-comics/
【追記終わり】
BBC「何故日本では“児童(チャイルド)ポルノ”漫画を禁止しないのか?」 - Togetterまとめ
(数字)注釈付きの文はよく分からず無理に訳してるので誰か直してくれると嬉しい。
MangaやAnimeとして知られる日本の漫画やアニメは巨大な文化的産業であり世界的にも有名だ。でもその幾つかはショッキングで子供の露骨な性描写を特色としている。何故日本はこうしたものを禁止するのに反対することを決定したのか?
日曜の午後、東京、サンシャインクリエイションは活況だった。何千もの漫画ファン、その多くは男性、は展示センターに群がっていた。部屋の中を歩き回りながらテーブルの上に売り物として並べられたコミックマガジンを熱心に読みふけっていた。エルフ顔でメス鹿のような目のアニメヒロインのポスターの多くは肌もあらわであり得ない程均整が取れて海綿を色とりどりに変えている。(1)
「このエリアは主に性的な創作を扱っています。」とイベント主催者の一人Hideは説明する。
我々は二人のトップレスの少女がカバーに描かれたあるテーブルで足を止めた。私の目には彼女らは13,4歳か9,11歳に見える。ストーリーは彼女らが際どい性行為に及ぶ様を描いている。
他のいくつかの売店は似たような物を売っている。これらはUK、オーストラリア、やカナダでは間違いなく論争を呼び、おそらく違法になるだろう。しかしここでは大した問題ではない。
「児童虐待が良くないことだというのはみんな知っていますよ。」Hideは言う。「でもそういった感情を持つのは自由です。何らかの子供との性的な場面を想像し楽しむことは禁止されていません。」
彼の正直さに私は面食らった。そして彼は「ロリータコンプレックス」を略した「ロリコン」という言葉を私に紹介した。若い少女が性的に露骨な行為に及ぶ様を描いた漫画を意味する。それは近親相姦やレイプ、その他のタブーを含むこともある。Hideの嗜好は高校ロマンスにあるというが。
「私は若い少女の性的な創作が好きなんです。ロリコンは私の数ある趣味の中の1つに過ぎません。」彼は言う。
私は彼にあなたの妻が近くに立ってあなたの「趣味」をどう考えるか尋ねた。
「多分何も問題ないと考えると思います。」彼は返した。「だって彼女は若い少年が性的な行為を成すことが好きですから。」
こうしたものは日本の巨大なマンガ産業 - 年間約36億ドルの売上げ - の極一部である。しかしそれは多くの注目と論争を引きつける。
2014年の7月、衆議院は児童の性的虐待のリアルな映像を所持することを禁じることを可決した。これらの映像の制作と配布1999年から違法であった。しかし日本はOECD中で所持を違法化した最後の国だった。
その頃、漫画、アニメ、ゲームの18歳以下に見えるキャラクターの「ヴァーチャルな」性的映像を違法化する呼びかけもあった。しかし討論を重ねた後、衆議院はこれに反対することを決めた。この決定は児童保護の運動家やNGO、特に日本の外から非難を浴びた。
より理解を深める手がかりとして事実を示すと、Hideは私たちが会ってからたった数分で彼の「趣味」について楽しそうに討議しはじめた。とても幼い子供を含む漫画がある種の社会的烙印を取り付けられているように見えるけども、青春期の若者を含む性的なモノは確かに興味をそそるメインストリームだ。(2)
日本の国会議員は多数 - 潜在的に数百万 - の漫画ファンを犯罪者にすることを明らかに嫌がっている。
Hideの様なファンは主張する。我々は無害なファンタジーを楽しんでいるだけである。いかなる子供のモデルも役者も含まれていない。彼は言う。だから「性的テーマの漫画を創作することは児童虐待ではない。」
東京秋葉原は漫画界の精神的なホームである。ネオンサインとけたたましいポップミュージックが目と耳を圧倒する。高層の書店が街中に並び、太陽の下であらゆるテーマの漫画を販売する。
18歳以上に制限された大人用セクションではジュニアレイプや日本人プレティーンスイートといったタイトルの漫画を探すのは難しくない。
「あるモノに性的興奮した人はそれに慣れます。」ある大人向けストアのカウンター裏で働くTomoは言う。「だから彼らはいつも新しいものを探しているんです。そして若くて未成熟な女性に興奮するようになる。」
これが批評家が心配していることだ。- 性的に露骨な漫画の創作で誰も傷付けられていないとしても、正常化し助長させ、性的虐待のリスクを増大させるかもしれないという懸念だ。
これが真実かどうかは誰にも分からない - 研究は確定的ではない。しかし日本人の多く、特に女性も広く関心を寄せている。彼らは女性の品位を傷付けるような強烈なポルノや若者の性欲化への目を閉ざす社会としてこれらの映像を見ている。
日本では若者の魅惑を探すのに遠くを見る必要はない。若い少女のポップグループが成人男性の集団に向けて演技する。そして看板や広告から漫画までスクールガールの映像はどこにでもある。
Sex in the City, Tokyo風の本で若い女性に人気の作家、Lilyは彼女の学生時代について話す。男が彼女とその友達に近づき、彼女らの靴下やパンティのためにお金を差し出したのだ。
「あれは不快だった。とても変態じみていた。」彼女は言う。思春期の性への魅惑というのは「男が成し遂げたいという力が全てだ。強くて自立した女性が嫌になった男のね。」彼女は主張する。(3)
Lilyの親の時代の家族モデルはまだ日本では強い影響力を持っていた。 - 父親はお金を稼ぎ、母親は主婦として家にとどまる。しかし日本経済の弱体が現実化を困難にした。
「business-wiseで成功しない人達がいる。おそらく彼らはロリコン漫画というファンタジーに出会っている。」(4)
「私は大嫌いだ。本当に大嫌いだ。私はこうした性癖異常を日本から追い出して欲しい。子供達をこうした変態から引き離して欲しい。あなたのファンタジーの中であっても。」
しかし他の人達は政府が何が「良く」て「適切」なのか定まった指針を規定し強制するため関与すること、特にファンタジーという領域に、に懐疑的だ。
「批判的になる理由は十分にある。それはよいことだ。」漫画翻訳家で言論の自由支持者、兼光ダニエル真は言う。「しかし他人が何をし何を考えたかに基づいて他人を捜査する権限を人々に与えるなら、それは思想の取り締まりだ。」
それでは彼は小さな子供やレイプ、近親相姦のようなタブーを描いた漫画の創作者の権利を擁護するのだろうか?
「私はそれらが不快です。でも私には人々がどのように考え共有したいか言う権利はありません。」彼は言う。「他人の人権を侵さない限りはファンタジーライフを送って何が問題なのでしょうか?」
・日本は1999年子供の性的虐待の映像の制作と配布を違法化した。 - UKの21年後である。
・2013年、米国務省は日本を「児童ポルノの制作と取引の国際的なハブになっている」と記述した。
・日本の警察庁は2013年に1644件の法律違反があったと報告した。 - 1999年の法律が強制力を持ってからどの年代よりも多かった。
・2014年7月、日本は児童性的虐待の映像の所持を禁じた。国民は従うまで1年の期間を与えられた。
秋葉原の漫画ショップに囲まれ、児童保護運動家のKazuna Kanajiriはカートゥーンやコミックよりもっと大きな問題があるとある場所に私を連れて行った。メインストリートを抜けて階段を一歩一歩上り、大量のDVDが積まれた部屋に現れた。
Kazunaは棚から1枚引き抜いた。そこにはリアルな少女の映像が描かれていた。彼女が言うには少女は5歳で小さな水着を着せられ、大人のポルノの真似をして扇情的な姿勢でポーズを取っていた。ショップの中にある他の全てのDVDも本物の子供を特色としていた。
「私はこの子供達が気の毒に思う。」Kanajiriは私に告げた。
これら所謂「ジュニアアイドル」DVDは1999年に児童ポルノの制作が違法化されてからポピュラーになってきた。
これらは性器が隠されてさえいればこれらは法律を回避するのだ。しかしKanajiriは言う。7月に法律が強化されて、これらは今は違法となっている。
「搾取する人は適切に裁かれなければならない。」彼女は言う。「法律の下ではこれらは完全に違法だ。しかし警察は取り締まっていない。」
性的な場面で未成年者を特色としたマンガとアニメにおける幾つかのコンテンツはショッキングで注目を掴むものであるかもしれない一方、Kanajiriと私が話した他の運動家は私に告げた。今のところは彼らは現実の子供を保護するためにより重要なバトルにフォーカスするという。
しかし彼女は論争の的であるマンガとアニメを禁止する望みを諦めたわけではないという。
「私は消し去りたい。」彼女は言う。「2020年に日本で夏オリンピックが始まる時、みんなが日本を変態文化と呼ばない国に変えたい。」
それはマンガサポーターが強く拒否するような説明だ。しかしオリンピックが近付けば、外部の目が日本に注意を向け、「奇妙な日本(weird Japan)」より「クールジャパン」としてみんなが見るように、マンガやアニメへの強力な圧力が働くだろう。
(1)Posters of elfin-faced, doe-eyed cartoon heroines, many of them scantily clad and impossibly proportioned, turn the cavernous space into a riot of colour.
(2)Although manga involving very young children does appear to have some social stigma attached to it, sexual material involving adolescents is a fairly mainstream interest.
(3)The fascination with adolescent sexuality is "all about the power that men want to achieve, men who are tired of strong independent women," she argues.
(4)"There are people business-wise who are not successful, maybe they are running into fantasy with Lolicon manga.
スラドでAC書き込みした文章だけど、4gamerの記事が注目されてるようなので加筆修正して増田にも転記する次第。
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ゲーマーゲートに批判的な立場から解説を試みる。正直話が広がりすぎてて説明しきれないので、ごく部分的に。長いけどかんべんな。
■一言で
ゲーマーゲートを一言で言うと、FPSに代表されるメインストリームの洋ゲープレイヤーたちが「女は俺たちのゲームにケチをつけるな!」「ケチつける奴は荒らしまくって黙らせろ!」「殺害予告!」「レイープ脅迫!」「ケチつける奴に味方するやつも同罪!」「むしろ死ね!」などと吹き上がって無差別荒らしをしている状態のことである。
実際にリーダーがいるわけではなく、8chan(4chanを追い出されたために作られた専用掲示板)やIRC、redditが主な活動場所となっている。
統一された主張もなく、めいめい勝手に「俺の気に入らないこと」があると攻撃しに行くイナゴ集団である。なので議論が成立しない。
少なくないゲーム製作者・業界関係者が実際に荒らし行為で実生活にダメージを負い、被害が多方面に広がっている。NYTなど全国紙やNBC、BBCなどテレビにも取り上げられるほどである。
誤解が多いが、これを「またフェミニストがうるさいこと言ってる」という文脈でとらえるのは主客転倒もいいところなので、そこは強調したい。
Zoe Quinn氏の元彼が、Quinn氏がKotakuライターに対して枕営業をして自作インディーゲーム"Depression Quest"(鬱病を題材にしたアドベンチャーゲーム)に好意的レビューを書かせたという中傷を4chanに投稿。
(この指摘は事実無根と明らかになっている)
ついでに自宅住所などの個人情報やヌード写真等を開示し、4chan勢をたきつけてQuinn氏に差し向ける。
Quinn氏は自身と家族への殺害予告や電話凸等を受けて、現在も自宅を離れている状態。
というように、元は単なる私怨によるリベンジであった可能性が高い。
■ゲーマーゲート命名
Youtubeの有力動画レビュアーInternet Aristocratがこの疑惑を取り上げ、俳優アダム・ボールドウィンがGamerGateのハッシュタグをつけてこの動画をツイートした。かくしてGamerGateという命名が生まれた。
「ゲーム製作者とゲームジャーナリズムの癒着を許さない」という論点がQuinn氏批判およびゲーマーゲートの大義名分となった。
現実にはQuinn氏に対する批判は事実無根であった上、Depression Questもヒット作と言うほど売れるような作品ではない。ゲーム製作者とゲームニュースメディアの関係者がいかなる関係も持ってはならないという潔癖主義は非現実的だし、特にインディーゲーム開発者は食うにも困るような低所得者が少なくない。彼らとゲームメディアとの「癒着」という、存在するかどうかも明らかでない現象をあげつらっているに過ぎない。癒着云々を言うなら大手パブリッシャーとメディアの関係をただすのが先ではないのか。
一方で、AAAタイトルShadow Of MordorのパブリッシャーWarnerが、レビュー動画で批判をしないことを条件にYoutubeの動画レビュアーに金を出していた件について、ゲーマーゲートは一切問題にしていない。
自分たちが好むゲームを作る会社が「不正」を行っても批判をしないのはダブスタとの指摘を免れないだろう。
FEZの開発者Phil FishがQuinn氏擁護・荒らし批判を行ったところ、荒らし勢に報復として自社webサイトをクラックされ企業情報・個人情報暴露等の被害に遭う。Fish氏は荒らし勢への激しい批判を表明し、ネット上から姿を消す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/FEZ_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0)
ゲーマーゲートに批判的な投稿記事を掲載したGamasutra(ニュースサイト)に対して、ゲーマーゲート勢がスポンサーであるIntelに凸行為を行い、広告出稿を引き上げさせるという事態に発展。
http://www.gamespark.jp/article/2014/10/04/52048.html
ゲーマーゲート批判の意見を業界関係者が表明すると、すぐさまtwitterや掲示板に罵倒や暴行予告、殺害予告、住所など個人情報暴露、電凸が多数飛んでくるという状況になっている。IGDAやDIGRAといった研究団体にまで抗議が及ぶに至っては驚きを禁じ得ない。
「ゲーマーゲートは荒らしとは関係ない」「荒らしをする奴はゲーマーゲートではない」という意味不明な擁護も多い。(本人はそう思っているのかもしれないが)
Quinn氏が女性であると言うことと、意見を表明するだけで攻撃対象となりかねないことから、特にゲーム業界で働く女性が身の危険を感じて業界を離れるケースもあり、事態が危惧されている。
銃社会のアメリカでは殺害予告やレイプ脅迫の脅威の度合いが日本とは桁違いであることはご理解いただけるかと思う。
各ゲームニュースサイトは直接の名指しの有無など温度差はありつつも、ゲーマーゲート的な動きを批判するコメントを掲載している。
ゲーム機メーカーやパブリッシャー、開発会社から同様なコメントが出たという話は今のところ聞いていない。
本来ならばゲームビジネスの最上流にあるこうした企業が一丸となって「差別と暴力を認めない。ゲーマーゲートには与しない」とメッセージを出すべき所ではなかろうか。
Anita Sarkeesian氏は2009年から、フェミニズムの視点からポップカルチャー(ゲーム含む)での女性の描写を研究し、「現代のメインストリームビデオゲームには女性をモノ扱いする描写が多すぎる」という批判的意見を展開している。具体的には以下の通り。
http://www.feministfrequency.com/2014/06/women-as-background-decoration-tropes-vs-women/
one very particular type of non-essential female NPC. Those specifically designed as a decorative virtual “sex class” who exist to service straight male desire.
「ゲームの本質と関係ないNPC、ストレートな男性の性的欲求を満たすためだけにデザインされたお飾りの仮想の『性労働者』」--実例としてはメジャーなオープンワールド作品に見られる売春婦、ヌードダンサーと言った描写が挙がっている。
So why does any of this matter? What’s the real harm in sexually objectifying women? Well, the negative impacts of sexual objectification have been studied extensively over the years and the effects on people of all genders are quite clear and very serious. Research has consistently found that exposure to these types of images negatively impacts perceptions and beliefs about real world women and reinforces harmful myths about sexual violence.
「そう言うものばかり消費していると、男女問わず現実世界の女性に対する認識が歪んでしまい、性的暴力に対する有害な誤解をいっそう強化する」というわけ。
(この指摘を是とするか否かはまた別の話だが)
Quinn氏の件を受けて、「俺たちのビデオゲームにケチをつける意見」として再着目され、バッシングがさらに強まり現在に至る。Sarkeesian氏も数々の脅迫を受けて自宅を離れている。
実際にユタ州大学での講演に対してゲーマーゲートを名乗り「銃を乱射する、大勢殺す」といった襲撃予告があり、Sarkeesian氏は講演をキャンセルしている。
ゲーマーゲートの主たる層は若い白人男性と考えられている。(FPSを好んでやるような層)
女性・有色人種・LGBTといった、いわゆるマイノリティのゲーム業界への参画を好ましく思っていない(してもいいが俺たちのゲームへの批判は一切許さない)という潜在的な差別意識がこうした破壊的荒らし行為の一因とも考えられる。
従来「ゲームにおけるマイノリティの描写に対する批判」に対し、ゲーマーたちの反応は「じゃあ自分でゲーム作れ」であった。
ところが実際にマイノリティ側がゲームを作ったら、その作者たちや、それを取り上げたジャーナリズムに対してソーシャルおよびリアル暴力で沈黙と撤退を強いている。
「現実世界の女性に対する認識が歪んでしまう」というSarkeesian氏の指摘がそのまま当てはまっている。
かつてマイノリティであったはずのゲーマーがマジョリティとなって、自分らに異を唱えるマイノリティを力で排除しているというのが今の構図である。そのくせ意識だけはマイノリティのままで被害者面をするので実にたちが悪い
twitterで回ってくるRTを見る限り荒らしが収まる様子はまったくなく、自浄作用が働くことは期待できそうにない。
30年、40年かけて培われたゲーム文化のレピュテーションを、当のゲーマーたちが自分の手で切り崩している状況を残念と言わずして何と言うべきか。
個人的には日本にあってあまり深追いすべき事象とは思わないが、この記事が事態の正確な理解に貢献できれば幸いに思う。
■参考リンク
http://knowyourmeme.com/memes/events/gamergate
http://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-taira/gamer-gate_b_6058692.html
※追記。バッテリー内蔵スマホカバー。アレは駄目です。端子部分がイカれて本体ごと死にます(実体験)。
昔は流行ったのに今はてんで使われてないのはそのせいです。
そろそろ出てくるはずだと信じていた。しかし、出てくる気配がなくて非常にがっかりしている。
そして出てこない理由がわからない。なぜなら薄さよりもバッテリー持ちの方が重要だからだ。
スマホに重視することのアンケートの第1位は必ずバッテリー持ちだ。
スマホの満足度ランキングでは信じ難いことに富士通がアップルを抑えて1位になっている。これの理由も「バッテリー持ち」だ。
実際、富士通の最新スマホは3200mAhものバッテリーを搭載している。iPhoneの1.5倍以上だ。
メーカーは薄さに力を入れているが、消費者が薄さを重視しているというアンケートは見たことがない。
iPhone6は6.9ミリ、iPadAir2は6.1ミリ、デルの新タブレットは6ミリ。それでももはや世間の反応は冷たいの一言だ。
むしろ「折れそう」「持ちづらそう」といったネガティブな評価のほうが多いくらいである。
ネット上の評価だけでなく、自分の知り合い達に聞いてみてもおおむね そんな感じである。
ほとんどの人はスマホやタブレットの薄さには満足しており、これ以上薄くなってもどうでもいいというレベルなのだ。
同じことは軽さにも言える。これ以上軽くてもしょうがないというのが正直なところだ。
レビューでは「たった30グラムの違いだが持ち比べると違いがはっきりわかる」とか書かれる。しかし普通の人は持ち比べたりはしない。
今のスマホは多くの普通の人の声を無視し、一部のマニアからの「もっと軽く、もっと薄く」という声に応え続けているように思える。
ノートパソコン業界でマニアの声に答えつづたソニーが立ち行かなくなっているのはご存じのとおりであり、
一方で、そういった要求には「ほどほどに」応え続けてきたレノボやASUSやデルは今でも好調なのもご存じのとおりである。
一方でスマホのバッテリー持ちに満足している人というのはリアルでもネット上でも出会ったことがない。
ガジェット好きという立場上、スマホやタブレットの購入に関する相談を受けることも多いが、決まって聞かれるのは「バッテリー持ち」だ。
性能とか機能とかも聞かれるが、ほとんどの場合「もちろん搭載してる!」「もちろんサクサク!」になる。機能や性能には大差はないのだ。
バッテリー持ちこそスマホに残された最後のブレイクスルーであり、バッテリー持ちが最強の端末こそ世界が待望しているものなのだ。
薄さ軽さには皆が満足しているのであり、バッテリー持ちは皆が不満に思っている。
であれば「薄さ軽さを多少犠牲にしてでも、バッテリー持ちを改善するべき」なのだ。
iPhone4の厚さは9.3ミリ。この厚さでいいのならiPhone6は余裕で倍のバッテリーを搭載できる。
他のAndroidだって1.5倍程度のバッテリーを搭載できるはずだ。
ソニーでもシャープでもサムスンでもどこでもいいので、そういった端末を出して欲しい。
Xperia Firebird、とか、Galaxy Stamina、とか、AQUAS LongLongLife、とか、そういうモデルを出して欲しい。
最初は特殊モデルでしかないかもしれないが、間違いなくそれがメインストリームになる。
初代GalaxyNoteを最高のスマホと言ってはばからなかった俺が言うんだから間違いないよ。
GalaxyNoteがファブレットの流れを作り、ついにはアップルがiPhone6Plusを出したように、超大容量スマホがメインストリームになる。
重くて分厚くてもいいので、超大容量バッテリー搭載のスマホを作って欲しい。
GalaxyNoteだって最初はあんなクソでかいスマホを誰が使うんだって言われてたんだ、
それどころか初代iPhoneすら当時はデカすぎる重すぎるって言われてたんだ。
もしスマホの企画担当の人がこれを読んでいるのならお願いがある。自分の心に正直に向かい合おう。今自分が使っているスマホの何が不満なんだ?
本当に薄さが不満なのか? 本当に重さが不満なのか? 本当にスペックが不満なのか? 本当に音質が不満なのか? 本当に画質が不満なのか?
はっきり言おう。不満なのはバッテリー持ちのはずだ。画質やスペックなんて満足しているはずだ。もはやあら探しのレベルなはずなんだ。
もし、本当に本心から、バッテリー持ちには満足していて、それよりも薄さやスペックや画質に不満がある、というのなら文句は言わないさ。
VAIOがたどった道を再びたどるが良いさ。茨の道ではあるが、それはそれでマニア受けするのは事実だし一つの道ではあろう。
でも、そうでないなら、ぜひともバッテリーを(薄さ軽さを多少犠牲にしてでも)改善して欲しい。
今までの「薄くなくちゃダメだ、軽くなくちゃダメだ、」という強迫観念から自らを解き放って欲しい。
何よりも日本のスマホメーカーがアップルや中国勢に勝てるとしたらそこしかないんだ。
アップルは薄さにしか興味がないし、中国勢は安いスマホは作れても省電力ではてんで後れを取っている(実体験)。
バッテリーを2倍搭載した超タフネススマホ。これこそ世界が求めているもので、かつ日本にしか作れないものだ。
何よりもソニーに期待している。XperiaUltra、あんなGalaxyNote信者の俺でもドン引きの化け物スマホを作れるお前ならできる。お前にしかできない。
快適さでアップルに勝とうなんて無理なんだ。無謀な戦いを挑むのはやめるべきなんだ。それよりもバッテリーだ。
俺達にいつまで毎日スマホを充電する生活を強いらせるつもりなんだ? 見ても区別がつかないくせに解像度がそんなに重要なのか?
付属の安っぽいイヤホンで台無しになるくせに音質がそんなに重要なのか? 外出先からリモートでカクカク動作のPS4を遊ぶのはそんなに楽しいのか?
絶対に違うはずなんだ。今解決すべきなのはバッテリー持ちで、バッテリー持ちは薄さ軽さを多少犠牲にしてでも改善して欲しいくらいに不満のあることなんだ。
どうか、素直な心で本当の不満に気がついて欲しい。以前のアップルは「管理の面倒臭さがパソコンの不満」であることに気がついたからこそ管理が簡単なiPhoneを作れたんだ。
ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル(iOS)をやっているが、なかなか面白い。
無課金戦士として長いが、ソシャゲーあきたわー2年前にあきたわー状態であった私を再びソシャゲーの世界に戻してくれたことに感謝したい。
怪盗ロワイヤルも戦国コレクションもパズドラも2~3ヶ月の付き合いであったが果たしてどれくほどの付き合いになるのやら。
ゲーマーにはアレルギーが強いソシャゲーであるがもはやゲーム業界にとって無視できない存在であることは間違いない。
(最近、ファミ通がリニューアルしたがそれはソシャゲーもガンガン取り扱うよ!という所信表明であると勝手に思ってる)
オタクとはメインストリームを外れた物を好む者であるけれど、サブカルチャーの中なりに共通認識として知っておいた方がいい作品もある。
オタク間ではキャラクター名が説明不要の知名度であれば、いちいち話を止めて説明を求めるわけにもいかんでしょう。
通読はせずとも概要くらいは知っておいた方がいろんな作品を楽しめる漫画を並べる。
・
『ドラゴンボール』……言わずと知れたアクション・アドベンチャー漫画の金字塔。日本で生まれ育てば自然にふれあうと思う。
『ジョジョの奇妙な冒険』……特徴的な絵柄と頭脳戦で多大なインパクトを残している。現在の創作物の中ではネタとしてのジョジョパロディが盛り込まれることも多い。最新シリーズが現在も連載中。
『ベルセルク』……ダークファンタジーの基本にして決定版。断続的に現在も連載中。
『スラムダンク』……スポーツ漫画の大傑作。監督に泣き崩れてバスケをしたいというシーンは有名。
『バキ』……格闘漫画の大作。迫力がある表現、独特な絵柄。ジョジョと同じくパロディの対象となりやすい。連載中。
・
とりあえずこんなもんか。
元ネタ http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の Syrup16g オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない Syrup16g の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、Syrup16g のことを紹介するために覚えるべき10の曲を選んでみたいのだけれど。(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に Syrup16g を布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、オタ度の高い未発表曲などは避けたい。できれば CD 収録曲、かつ Syrup16g 名義の楽曲にとどめたい。生還ライブで「赤いカラス」は演奏したと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。そういう感じ。
彼女の設定は
邦ロック知識はいわゆるメインストリーム的なものを除けば、ART-SCHOOL などのバンド名程度は知ってる
メンヘラ度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「Reborn 以前」を濃縮しきっていて、「Reborn 以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。生還一曲目だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず桜井和寿にならず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな Syrup16g(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「Syrup16g オタとしてはこの二曲は“ロック”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の鬱ロックバンドオタが持ってる青春への憧憬と、Syrup16g オタ的な行き当たりばったり感を彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも Syrup16g な
の二点をはじめとして、オタ好きのする要素を世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを聴いた彼女は「フジくんだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがフジくんきっかけのファン内では大人気になったこと、キレイになって透き通って、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり Syrup16g はメンヘラのためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「手首」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける五十嵐の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも6分44秒、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その前半の雑音部分を「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
正常の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれがベストアルバムやライブだったらきっちり5分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて6分44秒を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ五十嵐がそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。武道館ライブでのキタダマキの弾き狂う姿も合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で Free Throw 現物見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
Copy よりも前の段階で、五十嵐の曲作りとか言葉選びとかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品がミニアルバムでこの時代に収録されていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく Syrup16g 好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆる「動脈」「静脈」でしか Syrup16g を知らない彼女には聴かせてあげたいなと思う。
五十嵐の「シャッフル」あるいは「軽快さ」をオタとして教えたい、というお節介焼きから聴かせる、ということではなくて。
「終わらない開き直り人生を生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ武道館ライブ最終曲は昇華Tシャツ以外ではあり得なかったとも思う。
「生きづらい日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は実弾にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう寝不足感のあるアンニュイなロックをこういうかたちでギターも持たずに演奏して、それが非オタに受け入れられるか、気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9個まではあっさり決まったんだけど10個目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に翌日を選んだ。
Reborn から始まって翌日で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、生還ライブの締めとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10個目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
http://blogos.com/article/88464/
「ポップソングが「閉塞感」ではなく「楽しさ」を共有する時代へ」という文章を読みました。
強い違和感を覚えたので備忘録代わりに書き残しておきたいと思います。BLOGOSのコメント欄だと字数が足りないので。
柴那典氏(@shiba710)の文章は間違っていると思います。
理由は以下の三点になります。
まず第一にアベノミクスが将来への希望を本当にもたらしているのかという疑問があります。
消費税増税や過去の景気状況から国民が景気に対し、継続した右肩上がりの希望的観測を持てるとは思わないからです。
加えて失業や高齢化、原発等、解決しない社会問題も山積する上、庶民の不安はむしろ拍車がかかるのではないかと思います。
つまり人々は楽しさや楽観という価値観のもとに生きていないのではないでしょうか。
第二に日本のミュージシャン(特にメインストリーム)は"カナリア"のような存在ではないということです。
これは楽曲への批判ではありませんが、翼を広げ瞳を閉じ桜舞い散る季節の中で君に出会えたキセキを歌うJ-POPには時代が反映されることはなく、それを許されてもいません。
時代を反映する曲を歌うということはつまり、楽曲がある種の政治的側面を帯びるということです。
現代の日本人にとって音楽の政治性とは最も嫌うものです。よって必然的に時代性(政治性)は排除され、似たような要素を持つ楽曲が量産されることになります。
日本ではSex Pistolsの「Anarchy in the U.K.」もGrandmaster Flash and The Furious Fiveの「The Message」のような楽曲は生まれないでしょうし、また生まれてもチャートの上位に入ることはないでしょう。
そこから導ける結論としては、J-POP等日本の音楽の特徴はむしろ「時代を反映しない」ことにあるのではないでしょうか。
現在の楽曲と10年前、20年前とを比較してそこに主題(テーマ)の大きな変化はあるでしょうか。
せいぜい電話やポケベルがLINEやメールに変わったくらいで、その根本は大した変化はないというのが実情ではないでしょうか。
「いいくらし」「ええじゃないか」等、氏の挙げる楽曲はどれもJ-POPのスタンダード、「励まし系」の枠を超えるものでもないと思います。
これらの楽曲に時代的必然性を見い出すことははっきり言ってできません。
当然それが悪い訳ではありません。繰り返しますが楽曲の善し悪しとはまったく別の話です。
日本のポップミュージックの作り手は、時代の空気を先端で感じている“カナリア”のような存在ではないのです。
第三に「ミスターチルドレンがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」という考察が完全に間違っています。
氏はその代表例として「マシンガンをぶっ放せ」を挙げています。
本当に「ミスチルがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その「マシンガンをぶっ放せ」は彼らの代表曲であるべきです。
しかし、一般人にミスチルの代表曲を挙げてみて欲しいと質問しても「マシンガンをぶっ放せ」と答える人が果たして何人いるでしょうか。
せいぜい「イノセントワールド」か「Tomorrow never knows」か「シーソーゲーム」くらいでしょう(最近なら「しるし」や「HANABI」かもしれません)。
「マシンガンをぶっ放せ」は、出せばミリオンを達成できた時代に唯一100万枚を割ったシングルです。
加えてその曲が収録されたアルバム『深海』は前作『Atomic Heart』から100万枚もセールスを落としています。
私はそもそもミスチルが現代社会の閉塞感を曲として昇華し、それを「売り」にするバンドだとは全く思っていません。
仮に100歩譲ってそのようなバンドだったとしても、本当にその「閉塞感」とやらって「共有」されていましたか?
ちなみに氏の言う「時代の閉塞感を内面化させていたミスチル」のセールスは、CDバブルに沸く世間とは対照的に見事なまでに右肩下がりでした。
アルバム『Q』は遂にミリオンを割ります。
しかし、仕切り直し的な意味を持つベスト盤とそのツアーを挟んでの次作、『IT'S A WONDERFUL WORLD』で彼らは文字通り“蘇生”します。
世の中のCDセールスが頭打ちになる中、セールスは前作から50万枚も回復するのです。
このアルバムからミスチルのメロディーは「ポップで王道的に」、歌詞は「前向きな内容」になり、彼らの得意分野であった「ラブソング」が完全に復活します。
ものすごく簡単に言ってしまえば「ハッピー」な作品になります。
以後、今日までの彼らの方向性はこの延長線上にあります。
嘘だと思ったらアルバムのクレジット欄を片っ端から調べてみて下さい。前作『Q』まで二転三転してきた制作環境やスタッフが、このアルバム以降基本的に統一されます。
この事実が意味するものは、この『IT'S A WONDERFUL WORLD』からバンドが目指す方向性が「確立」されたということです。
しかも氏の言う「時代の閉塞感を共有する」とは真逆の方向で。
その後の活躍は説明するまでもないでしょう。氏の方がご存知ではないでしょうか。
さて、本当に「ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のでしょうか?
改めて見てみましょう。
00年代に売れたシングルは上から順に「四次元」「Sign」「youthful days」「しるし」です。
「ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その楽曲は社会批判的な世を憂う内容のはずです。
「自分を信じたならほら未来が動き出す/ヒッチハイクをしてる僕を迎えに行こう」(「未来」)
「傷つけ合う為じゃなく/僕らは出会ったって言い切れるかなぁ? /今 分かる答えはひとつ/ただひとつ/I love you/and I love you/and I love you」(「and I love you」)
「繋いだ手を離さないでよ/腐敗のムードをかわして明日を奪うんだ」(「youthful days」)
「ダーリンダーリン/いろんな角度から君を見てきた/共に生きれない日が来たって/どうせ愛してしまうと思うんだ」(「しるし」)
一体このどこを聴いたら「時代の閉塞感を共有している」などという言葉が出てくるのでしょうか。
楽曲の内容は至って前向きなものか、もしくはラブソングの括りに入るものかと思います。
本文の「終末のコンフィデンスソング」に関するミスリードも目を覆いたくなるような酷さです。
本文では「たまに不吉な夢見るんだよ/走っているのに進まない/ひょっとしたら実際に起きてることを夢の中で知らせるメタファーかも」という歌詞のみ引用されていますが、この曲の結末部分はこうです。
「今僕らの目の前で起こってること/楽観も悲観もなく/ちゃんと捕まえたら/足元に落とした視線を/上にあげ/胸を張れ!」
なんと前向きで力強い、ハッピーエンドな曲なのでしょう!
しかもこの曲が収録された『SUPERMARKET FANTASY』というアルバムはリード曲「エソラ」に象徴されるような、とても「カラフル」で「楽しさ」を前面に打ち出したアルバムなのです。
今まで挙げた事例を見て頂ければ分かる通り、残念ながらミスターチルドレンは氏の望むような「ポップソングを通じて閉塞感を共有する」音楽活動は行っていないようです。
仮にそうであったとしても「ポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」ことは一度もないのは明らかです。
このような基本的な事実を踏まえずして「アベノミクスで失われた20年は終わった!これからは楽しさを共有する時代だ!ミスチルという閉塞感を共有する時代の一つの終わりだ!」とか炎上目的のゴシップ誌の見出しのようなことを得意げに抜かすのが、私が日頃愛読している「musica」という音楽雑誌と関係の深いのライターの方なのです。
私は情けなくて仕方ありません。これが「プロ」の書く文章なのでしょうか。
ちなみに同じ筆者が書いた「なぜBUMPは「国民的バンド」になれないのか」という記事も酷いものでした。
願わくばこのような暴論を振り回す音楽ライターが、私の敬愛するミュージシャンと音楽に関わらないでくれと祈るばかりです。
はてなブックマークで普段デマ検証とか偉そうにしているが、そのはてブが盛大なデマ拡散地に、またなった。
なぜSTAP細胞は驚くべき発見なのか――STAP細胞が映し出すもの | SYNODOS -シノドス-
http://synodos.jp/science/6918
~再現可能な実験であることは疑いがない。小保方博士がこうした労苦を積み重ねて査読者をねじ伏せたというのは見事というほかない。
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再現性の確認もしていないのに、何でここまで言い切るのか。シノドス、大丈夫か。
この記事に、はてブが1000くらい付いている。
http://b.hatena.ne.jp/entry/synodos.jp/science/6918
fuka_fuka 一貫して「小保方博士」って呼んでいることにまず好感が持てる記事。素人にも意義がわかりやすく説明されてる。 2014/01/31
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このコメントに多くのはてなスターが付いている。STAP細胞のことなんかよりも名称を気にする素人だから、まんまと騙されたと。ちなみに、男の研究者でも普通に「さん」と言われてきたし。田中耕一の時には結婚報道とかもされて、小保方晴子の時より業績に関係のない報道ばかりだったが。
tetsutalow “そして、小保方博士がなぜ若くして独立研究者の地位を勝ち得たか、どのような人事制度がそうしたことを可能にするのか。”ほんとココ重要。論文数だけで評価してたら絶対たどり着かない。 2014/01/31
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ワロタ。どのような人事制度?その中には、もちろん、女性枠の弊害もある。
kuippa こういう記事がメインストリームになればいいのにとおもうのは世間的マイノリティなのだろうか 2014/01/31
tanayuki00 こういう記事が読みたいんです。 2014/01/31
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こんな記事が増えて、はてブが付きまくってみろ。はてブの信頼が(もとよりないのに)ますます、はてブ大喜利になるだけだな。
このシノドス(荻上チキが編集長)の記事は、どれだけSTAP細胞がすごいのか、小保方晴子がどれだけすごいのかと書いていて、そもそも再現性もされていない中で賞賛している。(人事制度の指摘なんか何も知らないのに、何でデマ飛ばしてるんだか)はてブは、業績に関係ない女性差別報道をするなという点が強調され、それとは違う記事がシノドスに載ったから、はてブが伸びて、結果的にデマを拡散した。(荻上チキって、ネットのデマ検証の本まで出してたが、その自身のサイトでデマ飛ばしているんだが)
その女性差別報道とか言ってるのも、小保方晴子がノリノリで自分からしたって報道されてるんだが、またはてブ涙目な展開に。
はてブが伸びている記事は、価値のないはてダ記事などが多いが、デマに加担する記事も多いな。絶賛するより前に、再現性が実際に確認されてから、本当に評価すればいいのに。それにしても、シノドスって信用ならんネットメディアだな。(いくら何でもはてブよりはマシだが。はてブは、他人のコンテンツをかき集めているだけのまとめサイトだから)
はてブは2chがアホの巣窟とか言ってるが、2chの既婚女性板には「STAP細胞発見者の小保方晴子アンチスレ」ってのが発表当初からあった。2chの生物板のSTAP細胞の懐疑点のスレを出せば、はてブのほうが断然アホの巣窟だった。はてブって、デマに流されやすいな。特にはてブでは、女性が絡むと「女性差別」とか言い出して、実際には本当のところはどうなのかの確認もせずに、とにかく女性を持ち上げるという頭の弱い低能なフェミ層が巣食ってるから。他のSTAP細胞ではてブが付いている記事コメントって、意味不明な女性差別という視点が多く、実際のSTAP細胞なんかどうでもいいコメントばかりだからな。
繰り返すが、小保方晴子が女性だから業績に関係のない報道をされたわけではない。田中耕一の時の結婚報道、年齢を強調しておっさんが普通に通勤とか、癒し系とか関係のない報道ばかりだった。小保方晴子が女性を強調だって?田中耕一のおっさんを強調した報道よりは、かなり抑え目だな。小保方晴子の女性差別報道とか言ってるのは、田中耕一の時の報道を全く知らないのか?おっさんへの報道のほうが、もっとグイグイ突っ込んで報道している。
日本人だからすごい!女性だからすごい!←ネット右翼とはてフェミって、どっちも変わらん。
普段、日本人すごい!って言ってる既婚女性板でも、発表当初から小保方晴子批判スレがあったのに、
はてブって女性のことになると、ネット右翼よりも全体主義の低能集団。はてブって、集合知ではなく、集合恥の代表だな。
http://anond.hatelabo.jp/20140316184707
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