はてなキーワード: HANABIとは
個人的には期待外れの号。
カラー。
童貞・粗チンいじりというコンセプトは◎。でも安易に女の子が裸を見せるのは……。
雑誌的にカラーページで女の子の裸が出ないのはマズいって判断なのかもだけど。
巨女? というか男がマイクローン的な小人になってる世界の話。
そっちの癖が無い上にロリの趣味も無いからピクリともしなかったごめん。
でもコンセプトが分かりやすくまとまっていて、読み易かった。他の作家も見習ってほしい。
あーG4Mって作家から描きたいって思われない変態性欲雑誌なんだなーしかも売れてねぇんだなー……って思わせてくれるクソページ。
永遠娘はなにこの妙に豪華な掲載陣。これくらいのメンツを毎回のG4Mにも連れてきてくださいよ。あれ? もしかしてM漫画描きたい作家ってロリババア描きたい作家より少ない?
高も独立創刊とか自慢かよ。G4Mより後から出たのになー! そりゃあみなさんお好きでしょうねぇ、女子高生。
いいですよねぇフツーの雑誌。売れるんでしょうねぇ。人気なんでしょうねぇ……あああああああああ!!!!!!!!!!!!!!
ぬるい。エロくはあるけど、ひたすらぬるい。もうちょっとハードなことやってもいいのよ?
話の筋が読めすぎるのと、主人公のモノローグで説明しすぎなのがダメ。
もうちょっと説明しないことで雰囲気とか出してもいいんじゃないかと。
あと往来でチンポ出して射精より、ズボンにじわぁの方が好みだった。
これ連載だったんだ。
個人的には男がモノ扱いされてる世界って設定がぶっとびすぎててノれなかった。
あと玉潰しもそこに込められる意味合いは買うけど、やっぱりプレイとしては一瞬で終わってしまうしオチにしか使えないので微妙。
バブみってなに……?
赤ちゃんプレイってコンセプトがハッキリしてるからまとまってはいると思う。
巻頭カラーの童貞いじりをここで完璧な形で出されてしまったので、カラー漫画はどうでもよくなってしまった。
セックスしたことがないってだけで、立場の逆転が不可能になるのいいよね。
脱いだ服や足コキの趣味がないから、前半のプレイは微妙だったけど、このくだりだけで超ポイント高い。
あと前の彼氏との経験がある設定もいい。エロ漫画ってなかなかそこに言及したがらないし。
ロリはともかくプレイがヌルいのもうちょっとどうにかなりません?
他にヌルい漫画があると、毎回絶対にヌルい丸居まるの居場所はだんだん消えてくるような……。
逆ヒロピンとでも言えばいいのかな……。この号でいちばん酷いまんが。酷い。あらゆる意味で酷い。
古賀亮一とか道満晴明とか緑山とかああいうポジションになりたかったのかなってくらいギャグ。
最初は笑っちゃってシコれなかった。ポイズンもパラライズも正義の名前じゃねーよ!?
でもこのおまんこ丸出し変身ヒロインに格闘戦でボコられるってシチュは使えるぞ!
……あ、これ前後編だったんだ。目次見て知った。
相変わらずコンセプトが見えねえ漫画だ。ただでさえヒロインが二人いて話の中心がぶれてるのに、被虐シチュが妹が好きなのに妹の友達に押し倒されて童貞卒業しちゃいましたって。やってるプレイが普通なのも含めて微妙。
毛深いキャラにするならケツ毛まで生やしたっていいのに。
ああ、思い出した。人に聞かれちゃうかもプレイがいいんだっけこの作者。
じゃあ妹を最初からフォーカスしとけや! 導入要員にしかなってねーぞ、これじゃ!
女の子が本番セックスでチャラ男の責めに何一つ感じてなさそうなのがいい。
しっかりツボを押えた秀作。
すたーきーがG4Mに帰ってきたぞおおおおおお!
ちょっとストーリー重視?な感じは、G4Mでは珍しい。眼鏡っ娘いい……。
ここで特に言及しておきたいのが、途中1ページだけ描かれた普通のセックス事後のゴム描写だ。
これがいい。この男、普段からゴム持ち歩くようなヤリチンだったんだなーってなる。
何がいいたいかというと、G4Mに限らず、エロ漫画ではコンドームの存在を軽視しすぎている。
せいぜい生本番の前座か、表紙で咥えさせたり周囲に使用済みを散乱させるが本編では未使用程度だ。
あのな、バカかテメーら! もうちょっとゴムを設定や演出に取り込めよ! エロ漫画家ならよ!
なんでもかんでも生が一番とは限らねーだろうが! ビールじゃねえんだぞ! 分かってんのか!?
ビッチキャラに付けさせて手慣れてる感出させるとか、女性側の同意と積極性を演出するとか、生殖行為という建前をスポイルして快楽だけ貪りたいことをアピールするとか! ヤる前に店頭に買いに行くのをプレイの一部にしてもいいよね!
G4M向けならもっとあるぞ。射精させられたあとに精液これしか出ないんだとか、ゴムのサイズという客観的な基準で粗チンであることを認識させられるとか、誰とも生でヤる女が俺にだけはゴム付けさせてあんたの精液でだけは妊娠したくないからとか!
なんでそういうプレイやらないかなぁ。そんなに不人気なのゴムセックス。それとも単に生最高で思考停止してるだけ?
それ自体は悪かないんだけど、犯されるってシチュのくせにご褒美感があるのが残念。
前作はショタが母親の命令による強制売春で孕ませって暗い設定でバランス取ってたけど、今回はそういうのもない。
ページ数考えると難しいのかもしれないけど、適度な悲壮感が欲しかった。
最後にお姉ちゃんが言ってたショタ円光設定で、仲よくしてくれてたお姉ちゃんの友達に知られてから、汚いものを見る目で見られて……。もしくは他に好きな子がいたのにレイプされて強制パパ化みたいな。
……でもこの人Mっていうよりブルマスク水ほかピッチリ系衣服フェチだよね。
前号あたりに載ってたやつの続き。
ピンとこないのは同じ。
ペニバン二本差しとか尿道パールとかプレイはハードになってるんだけどね。
おなじみ先輩シリーズなんだけど、G4M掲載作のヒロイン全員集合っていう単行本のため感丸出しの一本。
先輩シリーズと射精管理の関係/完全管理の関係の世界観繋がってるのは知ってたけど、ちょっと残念。
でも……この作品でえっちなことは先輩とだけが良かったなーというか。
いやほら、このシリーズってG4Mでは珍しいくらいに健全なカップルの話じゃん?
だからこう……一気に階段駆け上がられちゃった感じがしちゃって……。
単行本買います。単行本出た後も先輩シリーズかそうでないかによらず、こういうイチャラブプレイもの描いてほしい。理不尽な暴力こそ至高という雰囲気のあるG4Mで、純愛は貴重なので。
雑誌の中で目立つのが、甘々プレイの作品と、男はモノであり理不尽な扱いを受けるって世界観の作品。
まあ前者が入りやすいことは認めるけど、そればっかりってどうなのよ? 皆勤賞の丸居まるが一本あればいいだろ!?
その上前者にはイチャラブカップルがハードプレイしてるのか、それとも陵辱ものなのか、コンセプトのはっきりしない作品も多い。
陵辱なら陵辱らしく暗い雰囲気を出さないと、ただのご褒美。一般的なエロ漫画誌にもある女性上位プレイにしかならない。なんのためのG4Mだよ。編集もコントロールしろよ。
読者は加虐者による罰を求めているかもしれないけど、作中の登場人物がそうである必要は無いので、上手くやってほしい。
後者は……まあこれが編集の考える最高のM向け漫画なんだろうなぁ、と。大嘘のにも玉潰し入れてきたし。これは趣味じゃないけど、やりたいことハッキリしてる分読んでて楽しくはある。
上手い人はとことん上手いんだけど、それ以外の人は微妙っていうのが雑誌のカラーになりつつあって、そこは改善してほしい。
あと来年は季刊になってほしい。そりゃ売れてないから不定期刊なんでしょうけどね……描きたい人もいないから今年は年間3号しか出ないんでしょうけどね……一般性癖雑誌COMIC高のがいっぱい売れるんでしょうけどね……G4Mが6冊出る間に8冊も出て独立創刊ですからね……。
http://blogos.com/article/88464/
「ポップソングが「閉塞感」ではなく「楽しさ」を共有する時代へ」という文章を読みました。
強い違和感を覚えたので備忘録代わりに書き残しておきたいと思います。BLOGOSのコメント欄だと字数が足りないので。
柴那典氏(@shiba710)の文章は間違っていると思います。
理由は以下の三点になります。
まず第一にアベノミクスが将来への希望を本当にもたらしているのかという疑問があります。
消費税増税や過去の景気状況から国民が景気に対し、継続した右肩上がりの希望的観測を持てるとは思わないからです。
加えて失業や高齢化、原発等、解決しない社会問題も山積する上、庶民の不安はむしろ拍車がかかるのではないかと思います。
つまり人々は楽しさや楽観という価値観のもとに生きていないのではないでしょうか。
第二に日本のミュージシャン(特にメインストリーム)は"カナリア"のような存在ではないということです。
これは楽曲への批判ではありませんが、翼を広げ瞳を閉じ桜舞い散る季節の中で君に出会えたキセキを歌うJ-POPには時代が反映されることはなく、それを許されてもいません。
時代を反映する曲を歌うということはつまり、楽曲がある種の政治的側面を帯びるということです。
現代の日本人にとって音楽の政治性とは最も嫌うものです。よって必然的に時代性(政治性)は排除され、似たような要素を持つ楽曲が量産されることになります。
日本ではSex Pistolsの「Anarchy in the U.K.」もGrandmaster Flash and The Furious Fiveの「The Message」のような楽曲は生まれないでしょうし、また生まれてもチャートの上位に入ることはないでしょう。
そこから導ける結論としては、J-POP等日本の音楽の特徴はむしろ「時代を反映しない」ことにあるのではないでしょうか。
現在の楽曲と10年前、20年前とを比較してそこに主題(テーマ)の大きな変化はあるでしょうか。
せいぜい電話やポケベルがLINEやメールに変わったくらいで、その根本は大した変化はないというのが実情ではないでしょうか。
「いいくらし」「ええじゃないか」等、氏の挙げる楽曲はどれもJ-POPのスタンダード、「励まし系」の枠を超えるものでもないと思います。
これらの楽曲に時代的必然性を見い出すことははっきり言ってできません。
当然それが悪い訳ではありません。繰り返しますが楽曲の善し悪しとはまったく別の話です。
日本のポップミュージックの作り手は、時代の空気を先端で感じている“カナリア”のような存在ではないのです。
第三に「ミスターチルドレンがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」という考察が完全に間違っています。
氏はその代表例として「マシンガンをぶっ放せ」を挙げています。
本当に「ミスチルがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その「マシンガンをぶっ放せ」は彼らの代表曲であるべきです。
しかし、一般人にミスチルの代表曲を挙げてみて欲しいと質問しても「マシンガンをぶっ放せ」と答える人が果たして何人いるでしょうか。
せいぜい「イノセントワールド」か「Tomorrow never knows」か「シーソーゲーム」くらいでしょう(最近なら「しるし」や「HANABI」かもしれません)。
「マシンガンをぶっ放せ」は、出せばミリオンを達成できた時代に唯一100万枚を割ったシングルです。
加えてその曲が収録されたアルバム『深海』は前作『Atomic Heart』から100万枚もセールスを落としています。
私はそもそもミスチルが現代社会の閉塞感を曲として昇華し、それを「売り」にするバンドだとは全く思っていません。
仮に100歩譲ってそのようなバンドだったとしても、本当にその「閉塞感」とやらって「共有」されていましたか?
ちなみに氏の言う「時代の閉塞感を内面化させていたミスチル」のセールスは、CDバブルに沸く世間とは対照的に見事なまでに右肩下がりでした。
アルバム『Q』は遂にミリオンを割ります。
しかし、仕切り直し的な意味を持つベスト盤とそのツアーを挟んでの次作、『IT'S A WONDERFUL WORLD』で彼らは文字通り“蘇生”します。
世の中のCDセールスが頭打ちになる中、セールスは前作から50万枚も回復するのです。
このアルバムからミスチルのメロディーは「ポップで王道的に」、歌詞は「前向きな内容」になり、彼らの得意分野であった「ラブソング」が完全に復活します。
ものすごく簡単に言ってしまえば「ハッピー」な作品になります。
以後、今日までの彼らの方向性はこの延長線上にあります。
嘘だと思ったらアルバムのクレジット欄を片っ端から調べてみて下さい。前作『Q』まで二転三転してきた制作環境やスタッフが、このアルバム以降基本的に統一されます。
この事実が意味するものは、この『IT'S A WONDERFUL WORLD』からバンドが目指す方向性が「確立」されたということです。
しかも氏の言う「時代の閉塞感を共有する」とは真逆の方向で。
その後の活躍は説明するまでもないでしょう。氏の方がご存知ではないでしょうか。
さて、本当に「ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のでしょうか?
改めて見てみましょう。
00年代に売れたシングルは上から順に「四次元」「Sign」「youthful days」「しるし」です。
「ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その楽曲は社会批判的な世を憂う内容のはずです。
「自分を信じたならほら未来が動き出す/ヒッチハイクをしてる僕を迎えに行こう」(「未来」)
「傷つけ合う為じゃなく/僕らは出会ったって言い切れるかなぁ? /今 分かる答えはひとつ/ただひとつ/I love you/and I love you/and I love you」(「and I love you」)
「繋いだ手を離さないでよ/腐敗のムードをかわして明日を奪うんだ」(「youthful days」)
「ダーリンダーリン/いろんな角度から君を見てきた/共に生きれない日が来たって/どうせ愛してしまうと思うんだ」(「しるし」)
一体このどこを聴いたら「時代の閉塞感を共有している」などという言葉が出てくるのでしょうか。
楽曲の内容は至って前向きなものか、もしくはラブソングの括りに入るものかと思います。
本文の「終末のコンフィデンスソング」に関するミスリードも目を覆いたくなるような酷さです。
本文では「たまに不吉な夢見るんだよ/走っているのに進まない/ひょっとしたら実際に起きてることを夢の中で知らせるメタファーかも」という歌詞のみ引用されていますが、この曲の結末部分はこうです。
「今僕らの目の前で起こってること/楽観も悲観もなく/ちゃんと捕まえたら/足元に落とした視線を/上にあげ/胸を張れ!」
なんと前向きで力強い、ハッピーエンドな曲なのでしょう!
しかもこの曲が収録された『SUPERMARKET FANTASY』というアルバムはリード曲「エソラ」に象徴されるような、とても「カラフル」で「楽しさ」を前面に打ち出したアルバムなのです。
今まで挙げた事例を見て頂ければ分かる通り、残念ながらミスターチルドレンは氏の望むような「ポップソングを通じて閉塞感を共有する」音楽活動は行っていないようです。
仮にそうであったとしても「ポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」ことは一度もないのは明らかです。
このような基本的な事実を踏まえずして「アベノミクスで失われた20年は終わった!これからは楽しさを共有する時代だ!ミスチルという閉塞感を共有する時代の一つの終わりだ!」とか炎上目的のゴシップ誌の見出しのようなことを得意げに抜かすのが、私が日頃愛読している「musica」という音楽雑誌と関係の深いのライターの方なのです。
私は情けなくて仕方ありません。これが「プロ」の書く文章なのでしょうか。
ちなみに同じ筆者が書いた「なぜBUMPは「国民的バンド」になれないのか」という記事も酷いものでした。
願わくばこのような暴論を振り回す音楽ライターが、私の敬愛するミュージシャンと音楽に関わらないでくれと祈るばかりです。
プロバイダーの設定ゆえ自宅パソコンから全く2chへと書き込みができないという素敵な状態になっているのでスレ立てを依頼したいです。当方スマホも持っておりませんでよろしくお願いします
夕方に書き込んだ時にはお一方代行してくださったんですが、時間帯が悪かったのかどうにもスレが伸びなかった(あと自分がリアルタイムで見れなかった)のもあってもう一度お頼みしたい!
以下内容
スレタイ:iPodでマイベスト30作ったったwwwwwwww
本文:
Fragment(the heat haze of summer) KAMIN
夏影(Re-feel.ver) 麻枝准
THINKER 星野康太
natukage Lia
恋心 Lia
白い夏と緑の自転車、赤い髪と黒いギター the pillows
僕らの恋 riya
This illusion M.H
長い夢 YUKI
BLANDNEW WAY ガネーシャ
Jubilee くるり
夢じゃない スピッツ
楓 スピッツ
Dewprism EndingThema(Rue) square
Forget-me-not 尾崎豊
嵐の中で輝いて 米倉千尋
プロバイダーの設定ゆえ自宅パソコンから全く2chへと書き込みができないという素敵な状態になっているのでスレ立てを依頼したいです。当方スマホも持っておりませんでよろしくお願いします
スレタイ:iPodでマイベスト30作ったったwwwwwwww
本文:
Fragment(the heat haze of summer) KAMIN
夏影(Re-feel.ver) 麻枝准
THINKER 星野康太
natukage Lia
恋心 Lia
白い夏と緑の自転車、赤い髪と黒いギター the pillows
僕らの恋 riya
This illusion M.H
長い夢 YUKI
BLANDNEW WAY ガネーシャ
Jubilee くるり
夢じゃない スピッツ
楓 スピッツ
Dewprism EndingThema(Rue) square
Forget-me-not 尾崎豊
嵐の中で輝いて 米倉千尋
今日はっきりと自覚した。
大学入学を機に田舎から上京してきて、まぁ色々あって適応できなくて1・2年の時はほとんどひきこもりに近い生活を送っていた。3・4年になって若干若者らしい遊びなどに繰り出したものの、致命的な出遅れは全然挽回できるはずもなくそのまま大学生活を終えて社会人に。
大学時代が黒歴史になってしまっていて、社会人で知り合った人たちから大学時代の話が出ると途端にぎこちなくなってしまう。自分が自分の大学生活のどこを取り出してしゃべってもそれは本当につまらない価値のないことなんだという意識にとらわれてしまって、穴があれば入って隠れたい!くらいの心境になる。当然うまく会話ができずすごく不穏な空気が漂ってしまう。
もうこの劣等意識を克服することはできないだろう。そんな機会がなかろう。ついでにもう社会人でも友人ができないかも(あくまでも仕事仲間であれば作れるだろうけど)。つまりもうオワタ。人生オワタ。家に帰ってきてくりぃむのラジオ(ポッドキャスト)聞いてたらすごくほっとした。ミスチルのアルバムを借りてきてHANABIを聴いたらすごく癒された。簿記の勉強をしたら満足感を得られた。
もういい。このまま、自分はひとりぼっちの人生を歩んでいくしかないですね。孤独感を捨てるべし。殻の中の生活こそが安穏としているまさに至福の世界なんだ。と。
是枝の「誰も知らない」と青山真治の「ユリイカ」は、当時としてはあまりに時代を狙ってるセンセーショナルな感じがしたけど、今思うとその場限りでない問題をきちんと提示してたんだな。
さっきwikipediaで調べたら、主演男優賞しかカンヌではとってないらしい。タランティーノが柳楽優弥の表情にやられてしまったせいだとはいうのだけど、結局は是枝の撮り方がうまかった。役的に彼は表情を捉えられやすいポジションではあるけど、あの作品はお話としては悲しいというかビミョーなはなしなのに、映像にするととってもきれいっていう、撮り手のやりきれないディレンマに意義があると思うんだよな。あの現場はうちの近所だったから具体的にわかるんだが、あの桜をあんなに印象的に撮るなんてすごい。(しかも近場にもっと桜の名所っぽい公園があるのに、都道沿いの街路樹を大写しにするなんて。)
ちなみにあの姉妹が遊んでる公園は、2,3年前の大雨で浸水してしまった。都内なのにね。
ユリイカもそういうディレンマをもってると思う。だからこそ3時間もあるのだと。
ビミョーな気持ちにさせられるけど、美しすぎて何度も見たくなる。だからこそ泣けるのだな。
そういえば、北野のHANABIもそうか。「アキレスと亀」はたぶん、北野の中では営業よりも賞取りにかけてる映画だろうし、期待していいのかな。期待したいなあ。興行成績なんて悪くってもいいじゃん。どうせDVD化して、著作権保持期間で子供たちに富が行き渡るんだろうし。それがくやしいなら、ファンド作って、NPVを先に回収してもいいしさ。そういうロングタームで見れば、マニア層に指示され続ける作品は必ずしも商業ベースに乗らないわけじゃない。著作権ってのを認めれば。