はてなキーワード: 結果的とは
PS5やプラモみたいに、時間経過とともに供給量が増加していくものの転売と、公演チケットや数量限定販売商品みたいに供給量自体が制約されてるものの転売では、その構造も対策も違うと思うんだけど、主に前者について。
人気があって定価販売の商品は、供給当初は需要が供給を大幅に上回っていて「財の希少性」が高い。市場理論的には本来もっと高く売ってもいい(売るべき)商品を、本来の実需との均衡価格に見合わない安い価格で販売しているから、結果的に転売益を取る余地が生まれる。需要者の効用(買うために出せる金額)がメーカーの標準小売価格を上回っている間は、その差額分の転売益を期待できるので、どうしても転売屋・転売行為は発生する。今はメルカリその他の古物販売プラットフォームもあって、参入障壁がとても低く、誰でも転売屋になれる。極端な話、普通のエンドユーザーがその商品をどうにか入手できて「さあ遊ぼうか」というタイミングで一応メルカリ見て、差益が2万円も出せることを知って、「なら遊ぶのはしばらく待ってもいいかな」と心変わりして転売する、なんてことも普通にありえる。いくら倫理で批判しても、転売益という実利がある以上は、転売行為を撲滅するのは難しい。
だったら、転売益という実利自体をなくしてしまおう。転売屋は市場の仕組みを利用しているのだから、メーカーも同じことをすればいい。新発売から一定期間(より受け入れられやすい表現で言えば「事前販売期間」)は、メーカー自身が自社サイトでネットオークション形式で売るのだ。サイトで一番高値をつけた人たちに順に商品を販売していく。こうすると、転売屋はその商品に手出しができなくなる。
ちなみにオークションといっても1台ずつオークションにかけて1台ずつ落札する必要はない。ヤフオク・モバオクなどでも実装されている複数出品オークション方式を取れば、たとえば初期ロットとして5000台を出品し、それを同時に多数の購入希望者が値付けして、入札額が上位のユーザーから5000人が落札する、ということができる。
なぜこれで転売問題が解決するか。具体的にはこういうことだ。転売屋は3万円で商品を買って、「5万円でも欲しい」という一般エンドユーザーに5万円で売り捌くから、2万円の利益を出せる。でも、メーカーが供給当初にオークション形式で商品を販売すれば、その「5万円出してでも欲しいエンドユーザー」達は、5万円を出してその商品をメーカーから直接購入する。彼らはその時点での本人の主観的効用に見合った金額を払って購入しているので、一切〈損〉はしていない。さらに時間経過とともに生産・供給が進むことで、より高い値段で値付けする「その値段でも買いたいユーザー」から順にどんどん商品を入手してゆき、実需がしだいに満たされ、オークションの約定価格は下がっていく。全てのユーザーは、約定価格が「この値段なら欲しい」と思える値段まで下がった時点で、その商品を入手可能になる。これは市場の仕組みそのものだ。
一方で、転売屋も一般エンドユーザーと同様、メーカーの公式オークションで、たとえばある時点では5万円を出してその商品を買うことはできる。それなら結局、オークション出品分も転売屋が買い占めて転売してしまうのでは?と思う人がいるかもしれないが、そうはならない。考えてみてほしい。オークション実施時の市場の需給均衡価格は5万円なので、転売屋が入手後すぐに転売しても、そのときに期待できる転売益は0円なのだ。
さらに時間経過によって、商品の市場供給の総量は確実に増え、財の希少性が解消されていくので、仮に転売屋が在庫を抱え込んだとしても、それは必ず不良在庫になっていく(時間が経つごとに、入手価格と再販価格の差損(逆ザヤ)が大きくなっていく)。これにより、原理的に転売屋による商品抱え込みが発生しない。
転売屋による買い占め・抱え込みが起こらないということは、オークションで販売される商品が確実に実需を満たしていくということでもある。これにより、発売初期の供給難は、(転売屋の介入余地がある)通常価格での販売よりも、オークション販売の方がずっと速く解消されていく。これも市場の仕組みだ。
オークション形式を取ることで、メーカー側は想定小売価格を超える超過利益が出る。その超過利益は、初期にプレミアム価格で買ってくれたユーザーに、購入時の登録アカウントと紐づけ、特別なバッジやゲーム内決済クレジット付加などゲーム体験に関わる形で(≒転売屋が転売時に付加価値化しにくい形で)還元すれば、ユーザーの満足度も更に高まるだろう。あるいは何か慈善的活動に寄付するでもいい。超過利益を何らかの形でユーザー自身あるいは社会に還元するというポーズを取ることで、メーカーは「強欲」という批判を回避できる。そもそも超過利益を生むことがオークションの目的ではなく、転売行為を抑制して流通上の目詰まりを早期に解消できればそれでいいのだ。
そしてオークション販売サイトでの平均約定価格が本来の想定小売価格に近づいた時点で、メーカーはオークション形式を辞めて通常流通に切り替えればいい。その頃には、その商品の転売行為で利ざやを取れると期待する転売屋は誰もいなくなっているはずだ。
オークション販売はネット通販でないと難しいから、小売店など既存の流通チャネルはどうすんだというのが課題になるが、本体そのものではなく購入権やアクティベーション権だけをオークション販売する、などの迂回策は取れなくもない。転売屋の跋扈を倫理ではなくシステム的に抑え込むという点では、これが一番効果的な対策のひとつだと思う。転売屋の意見を聞いてみたい。
7/25(日) 13:00から行われた東京オリンピック 女子ロードレースで奇跡が起こりましたので普段、自転車ロードレースに関心の無い方でも分かるよう解説してみました。
オーストリアからたった一人参加していたプロではない博士号持ちの数学研究者アンナ・キーセンホーファー選手がスタート直後から飛び出し、そのまま最後まで逃げ切って金メダルを獲得してしまいました。
通常ロードレースでは大きな集団(メイン集団とかプロトンと呼ばれます)になって走りますが、そこから飛び出して先行する少人数の逃げ集団も良く作られます。
今回もアンナ選手と他に4人がスタート直後にメイン集団から飛び出し、5人の逃げ集団を作って先行しました。
しかし、そのような逃げ集団はレース終盤にはメイン集団に追いつかれて吸収されてしまうのが一般的です。
たまに逃げ集団の選手がそのまま逃げ切って勝ってしまうこともありますが、それだけでニュースになってしまうぐらい珍しいことです。
しかも、今回はオリンピックという一大イベントで逃げ勝った選手がプロではない数学研究者だったということでロードレース界隈を越えて大きなニュースとなりました。
そもそも逃げ集団が終盤にメイン集団に追いつかれてしまうのは一言で言うと「人数が違うから」です。
集団の場合、先頭の人はこの空気抵抗をまともに受けながら走ることになりますが、2番目以降の人は直接空気抵抗を受けないので楽に走れます。
どのくらい楽に走れるかというと先頭の人の6割程度の力で同じ速度で走れると言われています。
そこで、集団で走る場合は先頭でしばらく走ったら後ろに下がって、次は別の人が交代して先頭を受け持つという戦術が取られます。
この場合、交代要員がたくさんいるメイン集団の方が少人数の逃げ集団より圧倒的に有利なため、ほぼ必ずレース終盤には逃げ集団はメイン集団に追いつかれてしまうのです。
ところが今回、アンナ選手は最後までメイン集団に追いつかれませんでした。
理由の一つは今回勝ったアンナ選手が最後まで速かったからです。
スタート直後からゴールまで残り40kmぐらいの籠坂峠というところまでは複数人で走っていましたが、そこでアタック(スピードを上げて飛び出すこと)を決めて他の人を振り切り、以降はゴールまで単独で走っていました。
http://www.vill.doshi.lg.jp/ka/info.php?if_id=929&ka_id=4
単独だと空気抵抗をずっと受け続けるので、しばらくすれば速度が落ちてくるものですがゴールまでスピードを緩めることがありませんでした。
これは彼女がロードレースよりも単独走行で時間を競う個人タイムトライアルという競技を得意としていたからだと思われます。
そして、もう一つの理由は今大会随一の強豪であったオランダ チームが彼女の事を見落としていたことです。
今回のオリンピックでは各国毎にポイントで参加人数が割り当てられ、強豪国オランダは最高の4人が割り当てられていました。
そのメンバーもリオ五輪優勝とかロンドン五輪優勝とかのすごい選手ばかりです。
ところが、そんなオランダ チームはアンナ選手に振り切られた2位のイスラエル選手に追いついたところで、それ以上追おうとしませんでした。
なぜなら、そのイスラエル選手の前にまだアンナ選手がいることを見落としていたからです。
なぜこんなことが発生したのかというと、通常のプロのレースでは選手は無線を使ってサポートカーに乗ってる監督から様々な情報や指示を受けることが出来ます。
しかし、今回のオリンピックでは国毎に参加人数が違う有利不利を緩和するため、選手が無線を使うことが禁止されていました。
そのため、情報を得るには集団から離れてサポートカーまで下がって直接聞くか、ホワイトボードを持ったバイクが先頭との時間差を書いて教えてくれるのを見るかしかありませんでした。
たしかに終盤はオランダの選手がサポートカーまで下がる場面は見ませんでしたが、バイクはホワイトボードで先頭との時間差を伝えていたでしょうから、なぜこんなことが起こったのか本当のところは良く分かりません。
いつものレースの様に無線で十分な情報を得ることのできない環境に戸惑っていたのか、あるいは日本の真夏の暑さにやられてしまっていたのでしょうか。
もし、オランダ チームが彼女を見落とすなどというミスをしていなかったら、彼女は勝てなかったのでしょうか?
一般的に逃げ集団をメイン集団が追う場合「平地なら10kmで1分差を縮められる」と言われています。
今回のレースでは中盤のゴールまで残り約60kmの山伏トンネルあたりで、逃げ集団とメイン集団の差は7分弱ありました。
しかも、下り坂ではコーナーを曲がるために単独でも集団でもある程度以上の速度を出せないため、あまり差を詰められません。
そんな下り坂がゴールまで約40㎞の籠坂峠から10数キロあるのです。
この時点で当然、オランダ チームは前に逃げ集団がいることと時間差を把握していたでしょうから、確実に捕まえるならここから既に追走を始めていなければならなかったと思われます。
しかしながら、オランダ チームはまだ追走態勢に入りませんでした。
追走態勢というのはこの場合、メイン集団の先頭でオランダ チームの4人が次々と交代しながら全力でスピードを出して集団を引っ張っていくようなことを言います。
自チームだけが全力を出していると相対的に他の国のチームが有利になるので、逃げ集団の5人がアンナ選手も含めて有力な選手では無かったため、ここで追わなくても後で追いつけると判断したのでしょう。
これは運が良かった、悪かったというレベルではなくオランダ チームの判断ミスだったと思います。
次に、アンナ選手に振り切られた逃げ集団の残り二人をメイン集団が視認したのはアンナ選手がゴールまで残り10km前後の時点と思われます。(逃げ集団の他の二人はそれ以前にメイン集団に吸収されていました)
この時、アンナ選手とメイン集団の時間差は3分以上ありましたので、仮にオランダ チームがアンナ選手を見落としておらず、その二人の前にアンナ選手がいると認識していてそこから全力で追ったとしてもゴールまでに追いつくことは出来なかったでしょう。
また、オランダ チームは二人を視認するまではアンナ選手を認識していたかどうかに関わらず、先頭に追い付くつもりで追っていたのでしょうから、結局予想よりも先頭との差が詰まらず追いつけなかったという判断ミスを犯したということになると思います。
よって、自分としては彼女は運が良かっただけでなく、終盤にオランダ チームが彼女を見落としていなかったとしても逃げ切っていたと考えます。
ちなみに2位となったオランダ チームの選手との差は1分15秒でした。(あれ、けっこう微妙?)
現在はスイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)で非線形偏微分方程式を研究するポスドク研究員だそうです。
先月も学術誌に論文を投稿しています。下のリンクがその論文ですが、さっぱり分かりません。
そして彼女のスポーツ歴はというと下記の通りで、短期間プロチームに在籍していたこともありますが、オリンピック参加時はプロチームとの契約の無いアマチュアです。
最近は大きなロードレースに参加することも無かったため完全にノーマークだったようです。
彼女を含めたレース後の選手へのインタビュー記事が以下にあり、彼女の名言を読むことが出来ます。
https://www.cyclowired.jp/news/node/350652
研究者らしくツイッターではオリンピック前に準備として自身の体の熱順応を分析してたりします。
https://twitter.com/AnnaKiesenhofer/status/1411359788454363138
(元のツイートにあったグラフが削除され、URLが変わったようなので修正しました)
今回のロードレースはNHKの下記のページから見逃し配信で全て見ることが出来ます。(いつまで見られるかは分かりません。大会期間中ぐらいは見られるのかな?)
表彰式まで含めると5時間ほどあって実況も英語しかありませんが、綺麗な景色も見れるので環境ビデオ代わりにずっと流して見てみてください。
https://sports.nhk.or.jp/olympic/highlights/list/sport/cycling/
ちなみに男子ロードレースは女子のようなサプライズはありませんでしたが、普通にかなりおもしろいレース展開でしたのでこちらもお勧めです。8時間弱ありますけど……
(好評だったので続きを書きました。https://anond.hatelabo.jp/20210806115303)
止め方わかった
とあるので、デバイスマネージャで表示(V)から接続順にして「PCI Express Root Port」で「9D14」と名前のついてるものをPCI Express Root Portごと無効にする
PCI Express Root Portの9D14に繋がっているデバイスではなく、PCI Express Root Portの9D14そのものを右クリックしてプロパティから無効化する
これを警告が出て困ってるデバイスすべてに対して行う
結果的にノートPCのセカンドグラボ(RADEON)と無線LANを無効化する羽目になった
ちょっとした3Dゲームもゲームプログラミングもできなくなってめっちゃ不便
ノートPCでそんなもんやるなというご指摘はまあそりゃ心底ごもっともだが色々あったんだよ、次はちっちゃくてもデスクトップマシン買う予定
前の増田はこちら→ anond:20210722160252
ここで話したいのは、「オリンピックの開催の是非」になる。
オリンピックの開催の是非に関しては、時期によって異なると考えている。
人命は言わずもがな、政治を誤れば経済が揺るぎ、貧困による死や少子化があるためだ。
これらを前提とさせて欲しい。
1~半年前の決断であれば「延期」がベストであったと思うが、今年の4~5月、つまり2~3ヶ月前になると中止延長が難しくなると考える。
何故なら「開催に向けて対策を万全にする」という感じのことをだいぶ前に言っちゃったからだ。土壇場でここで「できませんでした」は政治的に難しいのは容易に想像できる。
直前すぎるため中止延長を申し出れば「今まで何してたん?」という話ができてしまうからだ。
そしてこの時点で日本という国は現場は頑張っているのにトップが変なところで悠長であったため、ワクチン接種は不十分、JOCの人事はグチャグチャという有様だった。
改めて上記の状況を鑑みてここでの中止延長を考えてみよう。
恥を忍んでという形にはなるが、人命も守れるし、政治的にはちょっと悪いがまあ言い訳は効く。
世界中から謗られたとしても五輪という挽回の場が残されているのだ。
中止は流石に厳しいだろう。人命の面では問題ないが、政治の面であまりにも悪い。
スポンサーとなっている世界的な巨大企業郡への背信行為というのは、資本主義が行き詰まっている今、社会主義でもなければできない。
そして、日本は社会主義国を掲げている国ではないし、できるような資本主義であることが良いが、そのできる資本主義は最近提唱されたばっかりで導入している国はない。
更に挽回の場もない。
つまりできないのだ。
では仕方なくするという形になってしまうのだが、その「するための準備」が全くできていなかったと感じる。
一番の問題はここだ。
つまり、行政、運営側に「ゴールをに対して最善を尽くす」という力が欠けていたのだ。
五輪の開催可否はIOCに一任されているが、彼らの意思を見定めてそれに対して開催するしないなりの対応をするのは日本及びJOCの仕事だ。
あらゆる可能性を想定しすぎ日和見的、かつ楽観的に構えてしまい、結果的に悠長で後手後手の対応になってしまったというのが実際のところだろう。
人命も政治も宙ぶらりんだと言える。
開催セレモニーも、MIKAKO氏が降板してから再構成したのであればかなり綺麗にまとめたなとは思ったが、そんなクソみたいな事情は見る側には関係ない。
JOCはオペレーションの簡略化に気を配るあまり、成果物のクオリティを下げてしまったと感じる。
結論としては、「やるとかやらないとかではなく、ギリギリまで動けなくて何もかもが間に合わなかった。」
だと個人的には感じている。
今回の開催は「やると決めた」ではなく、「なんかやる感じになった」なのだ。
対義語は「やらない」ではなく、「やる、やらない」そのものが真反対の意味になる。
そういう風に感じている。
https://twitter.com/uno_kore/status/1419178952472481793
「宇野維正 on Twitter: "時間が経ってはっきりしたのは、すぎやまこういちや海老蔵の件は不問に付されたということ。その前の数日間、誰が火をつけ、誰が煽り(誰が通報し)、誰が乗っかったかということは記憶しておいた方がいい。結果的にその人たちがもたらしたのは、権力によって対象が選別されたキャンセル社会ということ"」
一見するとすぎやまこういちや海老蔵の差別発言を問題視するリベラル的な態度に見えるけれど
それにしては「その前の数日間、誰が火をつけ、誰が煽り(誰が通報し)、誰が乗っかったか」っていうのが何か違和感ある言い回しだなーと思って
1996年、株式会社ロッキング・オンに入社。雑誌『rockin'on』『ROCKIN'ON JAPAN』『Cut』などの編集を担当
オリンピックがはじまって、楽しんでいる人が日に日に増えていく。
逆にオリンピックに批判的な層は、楽しむ人が増えていく流れに対抗しようとオリンピック批判の口調をどんどん強めている。
そんな中、両者の中間となる立場として、「今目の前で行われている五輪を楽しむことと、五輪の経緯を批判することは別軸だから、両立してよい」という話が語られ、穏健中間な人たちの支持を得ている。
だが、オリンピックの楽しさと運営への批判を分割する理性を持つのは、現実には不可能だ。
私たち人間は、感情や評価を各論点について分離できるほど理性的ではない。
オリンピックを楽しみながら、開催前と同様の批判意識や不満を持ち続けることはできない。私たちは絶対にほだされる。
そのことはちゃんとわかっておいた方がいい。
もしあなた個人はほだされなくても、人間の大多数はそうできていない。
オリンピックに怒りや不満を持っていた人も、大会観戦を楽しんでいれば、次第に、なんとなくまあそこまで怒らなくてもよかったかな、となってしまう。
不満を完全に忘れることはないし、誰かに聞かれれば「開催のゴタゴタひどかったね」とは言うだろうけど、別に追求しなくてもいいんじゃないという態度になってしまうだろう。
確かに、オリンピック運営や政府に怒りがあるからと言って大会の楽しさを拒絶するのは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの典型である。愚かで頑なな考え方だ。
だが、袈裟を好きになると憎んでいた坊主も許してしまうのもまた、人間心理だ。
それ踏まえれば、ミクロ的には愚かで頑な考えこそが、マクロ的にはベターだということになる。
理想的に実行できるなら最高の選択肢だが、中途半端にしか実行できない現実では最悪の選択肢になる、という逆転が起きるのだ。
そして、理屈ではかなり愚かな選択だが、現実では一番マシな行動になる。
ちょっと図解してみよう。
まず、最大目的を、五輪運営の問題点をちゃんと改善するために今後も批判意識を持ち続けること、と設定する。(批判したくてたまらないわけではなく、問題が曖昧に流されるのがよくないため)
五輪を楽しむか否か、運営を批判するか大目に見るか、2×2で四つの立場がある。
このうち「D:五輪は楽しまないが、運営は大目に見る。」は立場は議論に関わってこないので、除外する。
残り3つを評価しよう。
Aが一番望ましい。Bが最悪。Cはギリ及第点。
「大会を楽しむことと、運営を批判することは別の問題だし両立するから、大会自体は楽しもう」という意見は、Aの最高の選択肢を取ろう、というもっともらしい主張だ。
だが、実際の私たちはそこまで理性的に物事を分割できず、大会を楽しんでいれば次第に批判意識が薄れてしまう。
最高のAルートを目指そうとすれば最悪のBルートになってしまうのが現実、というわけだ。
だからこそ、一見愚かではあっても、Cルートを選ぶために大会観戦の楽しさを拒絶する方がまだマシなのだ。
これはかなりシンプルにした話なので、他の考え方もできるとは思う。
だが、大会を楽しみながらも圧力のある批判意識を持ち続けるのはまず無理だ、というのはわかった上で考えてくれ。
この文章では、愚かな頑なさを保つことのほうが結果的にはマシになることもある、という話をした。
だが一般論としては、頑固な態度は、妥協しないし譲らないという考え方になり、議論や交渉のことに繋がる。
楽しさと問題批判を分割するのが人間に無理なように、自分の頑なさをコントロールするのも無理だろということについては……まあ……なんかうまいことやろう。
ココ会長がいなくなってからいまいちパッとせず、なんならマンネリ感も出つつあるホロライブ。
この場合、新たな強みを発掘するか、今までの弱みに手を打つか、その両方ってとこなんだろう。
要は、目に余る頻度で休止と復帰を繰り返し、挙げ句週一の配信すら出来てない2期生の一部と、
揉め事を表沙汰にして箱推しを萎えさせる1期生の一部は契約を見直すか、それができないなら
ホロライブあったけえというイメージの毀損にはなるけど、同期や後輩の頑張りにフリーライドどころか、
後ろ弾食らわすみたいな手合いを甘やかすほうが、結果的に箱のイメージを損ないそうだし。
・一週間前までツール・ド・フランスに出ていた一線級の選手が山のように登場したのがよかった。
ポガチャルとかバルベルデとかログリッチとかニバリとかゲラント・トーマスとか
キンタナとかファンアールトとかエヴェネプールとかイエーツ兄弟とかマイケル・ウッズとか、
すごいメンバーだった。
・そんな選手たちが、南大沢とか大國魂神社とか道志道とか、昔から知ってる場所を走り抜けた。
ラーメン屋の看板とかサンワスーパーとかをバックにプロトンが走る違和感がすごかった。感動した。
・映像もよかった。バイクカメラも空撮のパイロットも、ツールと同じスタッフだったのかな。わからんけど。
ストレスゼロ見れたし、何ならツール・ド・フランスの22ステージ目(実際は21ステージ)を見てるようだった。
今回テレビ中継がなかったのだけど、もしやってたら箱根駅伝中継みたいに小ネタをはさみつつ感動を押し付ける
演出がされてた可能性高いよなあと。ネットだけなのはロードレースの魅力が広く伝えられなかった点では
残念だが、俺が楽しく観戦する上ではベストな環境だったかもしれない。
・コースとレース展開がよかった。コースマップ見て「長すぎるんじゃね?」と思ったが、あの超人たちをもってすれば
丁度いい長さ&標高差だったみたい。200km走ったところで明神・三国峠を持ってくるセンスがすばらしい。
ちゃんと峠でレースに動きが出たし。それまでずっと集団に隠れてたカラパスが、マクナルティの逃げに躊躇なく
乗ったのがすばらしかった。ユース年代から純粋培養されたエリートアスリートとは一味違う、泥臭い勝負師感が好き。
それにしてもコース設定したの誰なんだろう。一等賞をあげたい。
・現地観戦したかったけど、オリンピック開催反対という行きがかり上、ネット観戦に徹したのが結果的によかったかも。
辻さんのインスタ解説にお世話になりました。次もうこんな機会ないんだなと思ったら悲しくなってきた。
ちょっとまとめてみようと頑張ってみました。2020年以降の時系列がまとまった資料がなく苦労しました・・・。世界よこれが日本のレガシーだ!!
おまえへの反論
よって、何も知らない第3者のお前が語る主張の方が偏りよろしく主観的である。
(北尾氏は自業自得といってるし、「小山田圭吾と村上清は悪くない」とは結論づけてないだろ笑)
(2)26年前の過去の記憶を辿って推測するしかないのは当然であり、
良い解釈もなにも拡散される内容と自己の記憶とイメージの乖離があるから本音を語ってるだけ。
「M氏」と表現するのは、炎上と攻撃が続く中で芸能人でもない名前を公表することは控えておこうという
プライバシーへの最低限のマナーとか配慮かもね。(悪意持って都合よく切り取り攻撃される恐れもあるからね)
「デビルマン」については、理性と冷静さを失ったお前らのような身勝手で独りよがりな怨念が、
あのデーモン達のように小山田に集中砲火を浴びせているこの惨劇を例えているんだろ。
(3)お前は当時のライターじゃないだろ?そしてその界隈にすらいないだろ?北尾氏以上に村上氏の何が語れるの?
あと、拡散されている「孤立無援のブログ」については、確かに切り取りと巧妙な順番の入れ替えによって
悪意ある印象のミスリードが行われているのは明らか。北尾氏を批判する前にまずそこ認めろよ。
(どうせお前もあのブログに乗せられて被害妄想膨らませて叩いてたんだろ?)
(4)「既成事実化」って単語ばっか使ってうるさいけど、適切じゃないから使うのやめろ。
北尾氏の内容は、状況を見てあの記事が書かれた経緯を「推測」しているだけ。
美化してるというよりも、書き手にそういう意図があったのだろうとプロ視点で解釈してるだけだろ。
実際に北尾氏のブログが出る前から、原文読んだ勢からもそういう意見あったし、自分も同じように捉えていた。
(5)はぁ、、しょうもな。村上氏はいじめられていた側だよね?
この「いじめ紀行」ってのは、いじめられていた側の視点から生まれた企画なんだよ。
当時もいじめはアウトだし、「いじめ自慢」なんか小山田サイドからしたら断られるはずなのに(現に最初は渋っていた)
許可した背景には、村上氏なりの強いコンセプトがあった。それを小山田も受け取ったからあの記事ができた。
「いじめ紀行」の冒頭でも、世間はいじめは悪と言いつつ綺麗事ばかりで、
世の中からいじめが無くなることはないというようなことが書いてるだろ。
だから村上氏なりの視点でいじめ問題を紐解くきっかけを模索していたんだろ?
「いじめっ子といじめられっ子の対談」という手法は見る角度によっては悪趣味で間違っていたし、
いじめはエンターテイメントだと自虐的に表現しながらも、決していじめを肯定しているような企画ではないんだよ。
当時の鬱屈した社会の中で、未熟なライターがデビュー記事であの小山田圭吾と過激だけどかつて誰もやっていなかったことを企画して実現しようとしていた。
その熱い思いに小山田も動かされた。結果的に考えが甘く、いじめられっ子との対談企画も失敗したわけだが、
2人がやろうとしていた実験的試みは、露悪的だけどほんの少しだけ社会に風穴を開けるきっかけになったのかもしれない
(今は違う形で穴をあけてるが、、)
そういったものをライター目線で振り返れば宝石と例えてるだけ。お前のサブカル偏見で単純化するな。
(6)当時を知る北尾氏の証言と推測が出てきてくれたおかげで、一部だけど冷静な意見もでてはきていて、
少しは全国民が共有してしまった「鬼畜いじめ妄想」を止めるような方向へ進んだようにも見える。
が、同時にいまだお前のように被害者を傷つけたーとか妄想を繰り広げ、拡散を助長するようなバッシングを続けるやつもいて、
逆に独りよがりのお気持ち正義マンをあぶり出してくれたのかもしれない。悪態ついているブコメとか見るとよくわかるよ。
北尾氏には感謝としか言いようがない。ある意味、北尾氏から村上氏へバトン。
このアンフェアで建設的じゃない状況から早く脱して前に進めということ。
ワクチンを接種することで感染率・重症率を10分の1まで抑える効果がある
つまりコロナの脅威はインフルエンザの約3分の1程度にまで抑える事が出来る
コロナは通年でまん延する。インフルエンザのシーズンを4か月とすると、コロナは12か月なので
でんでん現象とは、最初(1話あるいは3話まで)は評判の悪かった、あるいは面白くないという意見の比率が高かったアニメが、回を追うごとに視聴を辞める者を出し、最後には絶賛する人だけが残り、結果的に評判が良い様に見えることである。
俺はネトフリ申し込んで1秒も見てない
オリンピック利権に抗う術や中止の損害を義援する団体も現れない中、損失を抑えるためには開催するしかない。開催すれば一生のうちに限られたアスリートやアーティストたちのチャンスを活かせる。
開会式を催し、アスリートたちが活躍する姿を世界に見せることで、日本に渡ったオリンピックのバトンという責務は果たせる。
オリンピックを開催しようがすまいが、ワクチン摂取が行き届く以外にコロナの感染拡大を防げないことは4度の緊急事態宣言でわかっている。だから、せめて日本のオリンピックを歴史に刻みたい。
結果的にバランスを取った、ベストではないがベターな選択肢を取る決意をしたのだと昨夜のオリンピック開催から勝手に感じられた。
開催に際して最もやってはならないことが、オリンピック観戦を端に発する感染拡大だから、彼は徹底して開催までオリンピック機運を下げ続けるために壊れたテープになった。
メディアは高まる開催反対世論に乗じて開催委員メンバーの重箱の隅をつつきまくり、反対世論を盛り上げ続けた。
壊れたテープレコーダーを演じる傍ら、オリンピック後に日本を平定すべく、菅首相はワクチン調達に奔走した。
ということなのではないだろうか。
自分は元々オリンピック開催に反対派だったし、開催されても見向きもしないつもりだった。
しかし昨日新宿を歩いて偶然見つけブルーインパルスに遭遇し、テレビで開会式で世界の選手団や演出に携わった方々の顔を見て少なからずメモリアルな瞬間に感動を覚え、コロナ禍で開催したという果敢な結果が評価される時が来るのではという予感を覚えたからだ。
もちろん罹患したし命を落とした方々やそのご家族はいたたまれない気持ちであろうが、それはもはやオリンピック開催とは関係がないとふと思ったことがこれを記したきっかけであった。
ネタで言ってたり、喪服の代わりに黒色の普段着で行くって言ってたりする人はいいんだけど、マジの喪服で行こうとしてる人も見かける。頼むからやめてほしい。
映画館で喪服着てるのがその場で誰かの迷惑になるわけではないけど。服なのでね。でも非常識とまでは言い切らないが、マナー的にというか、どうなのよそれ。喪服って生身の人間が亡くなったときに着る礼服なんじゃないのか…?
映画館は呪術廻戦の映画を観に来た人だけじゃない。他の映画を観に来ているお客さんもいるなかで(1人見かけるだけならまだ誤魔化しがきくとしても)複数人が喪服着て映画鑑賞するのって「呪術廻戦ファンにはああいう人達いるんだ」って悪い意味で印象付いて、結果的にそういう人達のせいで作品の評判を落としかねないじゃん。
「これだから呪術廻戦(ファン)は」って言われる環境作りを自らすな。
【追記】
いろんな意見ありがとう。自分の文章を見直して「(喪服を着ていくことで) 悪い意味で印象付いて、結果的にそういう人達のせいで作品の評判を落としかねない」っていうのは大きく考えすぎたかなと思っているよ。
もし、これを見た人のなかで喪服で行こうと思っていた人がいるなら、これまでのコメントとこれからのコメントを見て、それがいいか悪いかの判断材料のひとつになればいいかな。自分はTPOに合ってないと思うので、できるだけ身近の人にはやめてほしいなーって感じ。
実際に喪服集団を見かけることがあっても学級会()とかマナー講師()やるつもりはないよ。珍獣見たよ!ってな感じで身内のネタにするかもだけど。
映画は楽しみだね。
こちらが恣意的に張り付ける失敗基準など用意しなくても政府は自らそれを用意し、そして失敗してきている。
以前投稿した内容を再掲するが、政府はこの五輪に色んな決意、目標、意気込み(つまりは成功基準あるいは裏返せば失敗基準と呼べるであろうもの)を掲げている。それらはことごとく達成されず、そのたびに政府の宣う成功基準は下がっていった。
何日か前にはついに、"結果的に『やってよかった』と言われるような大会にしたい"などと、もはやどう転んでも解釈次第で成功したと閣議決定できそうな決意を述べるに至った。
コンパクト五輪:失敗。当初掲げた予算目標を大幅に超過。担当大臣すら予算の全容を把握していないことからして、そもそもこの目標を実現する気が有ったとは思えない。
人類がコロナに打ち勝った証として完全な形で開催する五輪:失敗。人類全体も日本も未だコロナ禍の渦中にある。観客数や五輪関係者への行動制限など様々な制約を付けた不完全な形で五輪を強行。
"安心安全な大会を成功させ、未来を生きる子供たちに夢と希望を与える歴史的な歴史に残る大会を実現したい"五輪:すでに半ば失敗。緊急事態宣言を発令せざるを得ず、バブル方式も名ばかりで穴だらけな状況を安心安全とは言わない。運動会やその他の学校生活は大幅な自粛を求められる一方で五輪は強行される等、与党の都合による様々な矛盾した施策を見せつけられた子供たちが夢と希望を抱けるはずもない。政治の劣化と腐敗をまざまざと見せつけられて、子供たちはこの国への失望と己の未来への危機感を抱くことだろう。
大会後、第3代キラニン男爵マイケル・モリスがIOC会長を退任し、フアン・アントニオ・サマランチが新会長となった。これ以上の大量ボイコットを避ける為の政治的独立と、その裏付けになる経済的自立を志向し結果的にテレビ放映権や大型スポンサー契約に依存する商業主義への傾斜を強め、プロ選手の出場解禁に道を付けた。
政治的独立と経済的自立を志向したがゆえに過度の商業主義になって、国家の公衆衛生すら脅かすコロナ下での五輪ゴリ押しを40年後するのは皮肉なもので、、、。
土日出勤は当たり前。
連休のときなんて「なんで3日のうち1日ぐらいは出てこなかったの?」と詰められる。
仕事を早く終わらせられるように頑張って段取りを組むとそれにあわせて仕事が増える。
とにかく仕事が山程多い。
その割には給料はそれなりだし、一度休むとか給料を下げてもらって仕事のペースを落とすとかそういう概念は存在しない。
賢いAくんは結果的に公務員でありながら趣味に生きるチャンスを手にする。
だが……彼はその後同じような人間が仕事を押し付け合う地獄をたらい回しにされる人生が始まるのだった。
そこで遂に身内が雑にやりすぎた処理によって大きな監査が入る。
監査の際に今まで業者とねんごろになっていた部分が判明し更に自体はヒートアップ。
そんな時になんと過剰接や裏金をやり取りしていた人間が紛れていたことが判明。
ただの無気力クズの処理場だと思いってた職場は、悪事に手を染めるやる気だけはあるクズも交じる多用なクズのサラダボウルだったのだ。
関連した書類に判子をついていたAくんも同じように処罰を受け公務員をクビに。
バリバリに働きたいと思っていたBさんだったが、学校の成績があまり良くないため大手には就職できず。
仕方がないので大手なりにバリバリな部署もあるけど試験はガバガバな公務員を受けることに。
過剰とも言えるやる気アピールとバイト時代のワーカーホリック経験を語ることで見事、某省庁に採用される。
噂通りの超絶業務量に日々興奮するBさんであったが、仕事を覚えていくうちに違和感に気づく。
書類の細かな文章の修正も最初のうちは納得感を持ってやっていたが、段々とそれが他の担当の思いつきに振り回されていることに気づいてしまう。
今どきいちいち身内向けの書類までプリントアウトして生の印鑑でスタンプラリーすることの無意味さ、そしてそこまでして作られた書類が平気で日時や内容を改竄されるという失望。
上辺の取り繕いと間違いを認められない愚鈍なプライドの高さが組織の根底にまでミッシリと根を張っていることはもはや疑いようもない。
民間企業の足を引っ張っては、手柄を自分たちが横取りするだけの仕組み作り、そして誰の得にもならないそんな書類作りのために費やされる関係各所の無限の工数が0円で算定されるという経済観念のなさ。
仕事ができない人たちが仕事が出来るふりをして仕事をやったという満足感を得ようとするだけの無意味なハムスターの滑車回し、それらを歯車として寄せ集め無意味さの集合体。
Bさんの情熱はいつしか失われ、ただ機械的に仕事をこなそうとしたが、そんな気持ちで激務に耐えられるはずがなかった。
人の役に立つことが大好きなCさん。
末路はBさんの本文を読めば明らか。
速攻で転職していく。
この続きはキミの目で確かめてくれ
まず、今回の件は文脈がどうあれ、知らない女の人のパンツに手を突っ込んでマンコ触っちゃったくらいのヤバさであって、アウト中のアウトだと思う。今日中になんらかの対応があるのでしょう。
あのころのコバケンの頭の中にあったのはテレビへの決別、まったく新しい芸人モデルを築くこと、ラーメンズのブランディングというものであって、そういう中で必要以上に露悪的なネタをやっていた印象だった。そこまでやらなくても普通にネタを作っているだけで独自のスタンスを表現できる才能を備えていたのに、自信がなかったんだろうな、あんな風に決意を表明しないと、不安だったんだろうなと思う。結果的に、才能を、低めに勘違いしていたんだと思う。
なんでそこまで、あれほどの才能ある人が勘違いをしていたのか、思い当たるのは同時代に少し前を走っていた人の存在で。
強く強く憧れたその人と、ユニットコントをして、打ちのめされたり、実力を認められて浮足立ったり、そういうことがあったわけで。
その人がテレビに適応できないのを横目に、自分はテレビに別れを告げて、カリスマになって、信者も増えて。
一時は、抜いたと思ったその人が、テレビに完璧に適応して、また嫉妬心がうずいたんじゃないかな。
オリンピックの開会式なんて似合わない仕事を受けたのも、それはもうワイドショーの司会なんかより格上だろって、思い上がったんじゃないかな。
皮肉だし、大河だなと感じます。余談というかウワサだけど、あのころのラーメンズのギャラって片桐1、コバケン9だって言われてた。