2020-12-06

Goodbye, the city of doves

どうも、はじめましてとある表現者の端くれです。

ここ10年というもの表現者の端くれとして、気の合う仲間とライヴ演奏活動をしたり、パーティーなどに神出鬼没して自由気ままな音楽のやり方を実践したりしてきましたが、今年2月コロナ禍が到来してからはそんなわけにもいかず、ただひたすらに自分が今までやってきた音楽表現反省することに時間を費やしていました。

それをするため、都内にあるとあるライヴハウス」に度々寄らせてもらい、お客さんを呼んで行うライヴの域に達しない程度の弾き語りをさせて頂いたりしていましたが、思うところあり、本日12月6日最後に、その場所及びそこを活動拠点とする音楽仲間との接点を、表現者としての自分精神的に落ち着くまでの間、解除させていただくことを自主的に決心致しました。

端的に理由を言うと、自分がその場所と関わり続けることが、何かの妨げとなっているとしか思えなくなったからです。

2017年の夏にその場所に初めて足を踏み入れてから自分表現者としての振る舞い方の幅が広がっただけでなく、より広義な音楽仲間との付き合い方を手に入れた気がしていました。過去作って恥ずかしさのあまり封印していた曲を掘り起こして堂々と歌ったり、慣れない類の音楽演奏自分なりのやり方で絡む術を手に入れたり、色々と楽しい思いをしてきましたが、コロナの到来後、こうした音楽実践方法論が意味を持たなくなったばかりか、それによってある種の人を遠ざける結果になったのではと思わせる気配を、周辺人物数名の言動から感じ取れずにいられなくなり、その度に苦しい思いに駆られるようになりました。

なら、その事を一切考えずに人生を歩むのがベストなのです。そのために、自分が謝らねばならない相手が何人現れようが。

しかし、この決意をするにあたって決定的要因となったのは、つい2日前に目に飛び込んだあるニュースでした。

詳しいことは、そのニュースで告知された出来事執行が遥か先の話ということで、ここでさえ語ることができません。基本的には、非常に目出度いニュースであり、自分もそう思ったはずです。もし、昨年11月のある日に「その場所」にいなければ。

その日、その場所で私は例によって、封印されていた昔の自作曲を歌っていました。本来なら、誰の心をも動かすはずのない曲の群れです。故に封印されていたのですからしかし、その夜だけは違っていました。その後しばらくの間、かつてない規模で音楽幸福を味わい、そして散りました。コロナのコの字も伝わってこないうちにです。その短い間の出来事が、まるで兆候のように感じられました。決定的な終幕は、「その場所」に導いてくれたある人に対して、自分が過剰に心配してしまったせいで訪れたのです。

その時に「その場所」との縁を切っておけばよかったんだと思いましたが、自分音楽哲学を唯一受け入れてくれる場所を、そう簡単蔑ろにできるわけがありません。そんな、自由な戯れへの捨てきれない思いを、コロナがぶっ壊しました。表面的には、です。

でも、結局一番情けないのは、自分の信頼されなさです。だからこそ、いい結果が出ないのです。

先の目出度いニュースに対して寄せられた嬉しいコメントの数に、改めて心を痛めました。そこまで見守られているのなら、自分如きに寄りかかる必要なんかなかったんじゃないかって。それに比べて、自分は何なんだ。いかなる建設的意見を呼びかけようが、誰も反応してくれない。

もう、自分は人に信頼されるために表現を行える身ではないのです。単に年輪を重ねた生きる屍ですから。文頭で一旦「表現者としての自分精神的に落ち着くまでの間」としましたが、どうやらその時は自分棺桶に入る時だと思われます

以上、極めて個人的見解になりましたが、従来行ってきた対外的音楽活動再開への道が益々狭まる一方なのは否めなく、今後は全く別のアプローチを探ることになるのは目に見えていますコロナの終息をそう簡単に願えないからには、今まで捉えてきた「絆」の在り方そのものを劇的に見直さねば始まらないのです。

「その場所」が誘ってくれた、全ての絆に愛をこめて。何よりも、命を大切にね。

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