はてなキーワード: 恫喝とは
今回も引き続き、雑誌『映画秘宝』の中に蔓延っていた「ボンクラと云う『甘え』」について考えてみます。このような風潮が同誌の内部に醸成された一因として、町山智浩や高橋ヨシキらが「恵まれた境遇に生まれ育った/生きている」ことの影響を考えてみる必要が有ると思います。
と言うのも、恵まれた境遇で生まれ育った/生きている人間にとっては「生きるか死ぬか」と云う状況や「生き延びる為には泥水をも啜る」と云う覚悟は、所詮「他人事」であり、だからこそ彼らは身勝手なまでに好き放題できたのです。
これまでの投稿で私は「雑誌『映画秘宝』内部では一部の人間により業務の『私物化』が起きていたのではないか」と云う仮説を述べました。そして、この仮説に符合するような動きが『映画秘宝』最新号に見られました。
それは、同誌にアニメ作品の特集記事が掲載されたことです。この動きは「高橋ヨシキらが居なくなった『途端に』」と言えます。そこに私は「新体制となった『映画秘宝』編集部から、読者を始めとする外部の人間に向けてのメッセージ」が込められていると考えています。
そのメッセージとは何でしょうか?
私はそれを「これまでの『映画秘宝』では高橋ヨシキら『切り株作品好きの派閥』の一存で、アニメ作品などの特定ジャンルに関しては肯定的に取り上げないように抑圧されていたが、これからの本誌は変に気兼ねすること無く幅広いジャンルにも目を向けるように努めて変革する」と解釈しています。
仮にこの解釈が正しいならば、映画を紹介・批評するメディアとして実に「まっとうな態度」と言えるでしょう。
投稿(13)でも述べましたが、雑誌『映画秘宝』が生き延びるには、読者層を拡大することが避けて通れない課題でした。仮にアニメ作品を取り上げても、それが正しい戦略か否か、直ぐに読者層の拡大と獲得に繋がるのか否かは未知数です。しかし少なくとも、従来の『映画秘宝』が好んだ、自分たちと異なる趣味や嗜好を排斥するような閉鎖的で排他的な態度を、反省して改めていくという「ポジティブな可能性」を感じさせるものであることは確かです。
路線を模索して読者層の拡大を図り、それにより雑誌の生き残りに努める姿勢を打ち出した新体制『映画秘宝』の姿は、過去の同誌を主導していた『切り株派』よりもよっぽど「生きることに真剣かつ必死である」ように私には見えます。謂わば「生きる為の切実さ」を感じます。
これとは対照的に「読者の拡大なんぞ知ったことか!」「アニメが好きな奴らに読んで欲しくなんざ無えよ!」と云う強気な態度を取り続けてきたのが、高橋ヨシキら『切り株派』に主導権を握られていた従来の『映画秘宝』でした。
おそらく、彼らにとっては「『たかが』雑誌の生き残りの為に、女やアニメ好きに媚びる必要は無えよ!『そんな』事をするぐらいなら潰れた/死んだ方がマシだ!」と思えたのではないでしょうか。
この「思えた」「できた」と云うのが重要な点で、これは「そうすることが『できる』と云う『可能』」を表す物言いです。こんなことを「思える」上に「実行できる」のは、それをできる「余裕」が有るからです。
人は「食べるための苦労」をせずに済む「恵まれた境遇」なればこそ、「生き残る為に泥水を啜るなんて、みっともない真似するか!」と云う態度も取れるのです。
町山智浩と高橋ヨシキが早稲田大学出身者であることは、ファンやウォッチャーにはよく知られた話です。入学金や授業料が高額な有名私立大学に通うことが可能であった、こんな「お坊ちゃんたち」に、生きる為に泥水をも啜るような覚悟が生まれるでしょうか?もちろん「否」です。
そうです。彼らの本質は、何処かの首相の息子と同じく「お気楽な身分のお坊ちゃんたち」なのです。
ちなみに高橋ヨシキは、英語とフランス語がペラペラらしいですね。これは素直に凄いと思いますよ。しかし、そんな彼が非・都市部居住者や非・富裕層をあからさまに侮蔑する姿を見る度に、私は赤塚不二夫の漫画の登場人物であるイヤミを連想しつつ「やっぱり外国語能力と人間性の間には関係が無いんだなあ」と再確認する次第です。
柳下毅一郎は東大出身者ですが、柳下のファンやウォッチャーからは「翻訳・文筆の仕事だけで食えているのか?」「食う心配をしなくて良いぐらいに実家が太いんじゃないの?」と言われている様子です。少なくとも「爪に火をともして暮らしている」とか「糊口をしのいでいる」といったイメージは抱かれていない様子です。まあ、浮世離れした人間でなければ、海外のシリアル・キラー事情に詳しい特殊翻訳家稼業とか無理でしょう。
てらさわホークは…私はよく知りません。
恫喝DM事件以降に露呈した『映画秘宝』内部の対立に於いて高橋ヨシキの側に立つ『切り株派』ライター人脈を見ると「普段は会社員をやってます」的な人間が目立ちます。これは「食い扶持に悩まなくて済むから『映画秘宝』の売り上げも気にせずに済む」と云う条件にも当て嵌まるように思えます。
もっとも、この人たちの場合、自分で働いて身を立てているのですから、決して「お気楽な身分のお坊ちゃん」ではありません。少なくとも、奥様の稼ぎに助けられつつTwitter芸人としての活動に日夜勤しんでいる、何処かの誰かさんとは雲泥の違いです。
しかし、切り株派の「お気楽な身分」とは、結局のところ「他人に負担を押し付ける」ことで成り立っていたに過ぎません。彼らが好き勝手にしていた分の尻拭いを負担していたのが、他ならぬ洋泉社です。洋泉社としては雑誌の刊行を「商売」として成立させたかったのに、それを雑誌の作り手たち自身が「私物化」することで台無しにしていたのです。そう考えれば、休刊から復活を遂げた『映画秘宝』が、町山智浩らの古巣である宝島社に拾われなかったのも容易に理解できるでしょう。
泥水を啜る覚悟も持たず、負担は他人に押し付ける。このような姿勢については、まだまだ話を展開できそうですが、また長くなりました。
前々回の投稿(11)で言及した『映画秘宝』内部で起きていた「業務の『私物化』」について、引き続き今回も述べようと思います。
ムック形式が好評だったこともあり、90年代の終わりに雑誌化・大型化を見事に果たした『映画秘宝』は、傍目には順風満帆に見えました。しかし、初期の同誌を読んでいた方々ならばご存知のとおり、若者の購読者を想定した誌面作りとはお世辞にも言えませんでした。初期の『映画秘宝』がそのターゲットにしていた購読者とは「子供時代の70年代に映画館やテレビで観た映画についての記憶を、編集者・ライター陣と共有する大人」だった訳ですが、当時そんな条件を満たしていた人たちは、私も含めて既に「立派なオジサン・オバサン、若しくはその仲間入りも間近な人たち」でした。そのままでは購読者の高齢化によって、ジリ貧に追い込まれるであろうことは明らかでした。
したがって、雑誌『映画秘宝』が将来的にもビジネスを継続して生き延びるためには、長期的な戦略として「より広範で多様な読者層を開拓すること。それも、特に『若者層』と『女性層』を購読者として積極的に取り込むこと」を選択するべきでした。しかし、こんな事を今さら書いても、後の祭りです。
ご承知のとおり、それとは正反対の戦略を『映画秘宝』は選択しました。いや、何らかの戦略を選択したと言うよりも、むしろ「長期的な戦略など、当時の『映画秘宝』編集者・ライター陣は露ほども真剣に考えてはいなかった」と言う方が正確かもしれません。
覚えている方もいるかもしれませんが、高橋ヨシキが『映画秘宝』の表紙デザインとして、邦画から引用した「裸の女性が荒縄で緊縛されて馬に跨がる残酷エロ画像」をコラージュして仕上げたことがありました。この表紙について、町山智浩は「この表紙じゃあ女性が手に取り辛い(=買い辛い)」とボヤいていました(※注)。雑誌の「顔」である表紙がこんな状態だったぐらいですから、高橋ヨシキの頭に「女性購読者を獲得すること」など微塵も無かったことは明らかです。
既に述べたとおり『映画秘宝』は「女子供から映画を取り戻せ!」をスローガンにしていた訳ですから、むしろ「いかに女性が手に取り辛い(=買い辛い)デザインにするか」について考えた上で、高橋ヨシキは意図的かつ積極的に「女性が嫌がりそうなデザイン」に仕上げたのだと考えるのが妥当です。きっと、このような表紙を作っていた時の高橋ヨシキは「オレたち男だけの輪を乱すような奴(=女性)は、お呼びでないから帰った!帰った!」「この表紙デザインを見たら、きっと町山さんも喜ぶだろうなあ!」と云う気持ちを込めていたことでしょう。(※注:ところで、町山智浩も本気でボヤいていたのではないのだろうと私は思いますが、そう思う理由については別のところで述べます。)
近年は真魚八重子などの女性執筆者が『映画秘宝』に登場する機会が増えてはいましたが、それで町山智浩や高橋ヨシキの芸風が改まったようにはとても見えず、むしろ却って「これでもオーケーなんだ!こんな芸風でも女は許容してくれるんだ!」と彼らの勘違いを助長したと云う可能性すら有ると私には思えます。仮にそうだったとしたら、真魚八重子の頑張りが報われていなかったことになって、非常に気の毒な話ですが。
また、これも既に過去の投稿でも述べたことですが、比較的早い段階から『映画秘宝』は、ごく少数の寄稿者(例:山本弘)を除けば「アニメファンを蔑視・敵視・嘲笑する」と云う態度を明確に打ち出していました。この「アニメ叩き」の姿勢は同誌において長く一貫していたと言ってもよく、恫喝DM事件が発覚する直前にも「『鬼滅の刃』は絶対に観ない!」と、訊かれもしないのに自分たちの方からアピールに励んでいました。
もちろん、思想信条の自由に照らして考えれば、編集者やライター個々人が「何か」を嫌うこと自体は許されるべきです。だから、対象が「萌えアニメのファン」だろうと「女性」だろうと何であろうと、高橋ヨシキらが個人的に何かを嫌うことは自由の範疇あると言えるでしょう。極端な話、内心だけに留めて現実の世界で実行に移しさえしないのであれば、性的マイノリティ/人種・民族etc.に対するネガティブな気持ちを持っていても許されるでしょう。
しかし、その上で問いますが、当時の編集者・ライター陣がわざわざ誌面を使ってまで「女嫌い」や「萌えアニメ嫌い」を盛んにアピールしたり、ゲイを繰り返し「ホモ」呼ばわりして嘲笑し続けて、雑誌『映画秘宝』を売ると云うビジネス全体にとって、何か良い成果を招いたでしょうか?結果的には、女性・萌えアニメファン・性的マイノリティはもちろんのこと、それらに該当しない人たちにすらも「何だか『映画秘宝』は排他的な雰囲気があって嫌だなあ。近づくのは止めておこうか」と思われ、遠ざけられただけに終わったように私には見えます。
そうして「未来の購読者」に成っていたかもしれない人たちも見す見す逃してしまって、長期的に見れば大きな損をしたのではないですか?もしも、編集者やライター陣の個人的な好みに拘ったことによって、ビジネスの未来が失われたのだとしたならば、それについての責任を彼らはどう取るつもりなのでしょうか?
当時の『映画秘宝』の萌えアニメ叩きムーブに関しては、こんな出来事もありました。ある時、俳優の加藤雅也に対するインタビューを行った際、わざわざ「最近の若い奴らは、萌えアニメなんかにウツツを抜かしているんですよ!」と御注進に及んだのです。もちろん、そのインタビュー記事の中では、それに対する加藤雅也の「『萌え』ねえ…」というリアクションの言葉を「例の見慣れた太いゴシック文字」で強調することも忘れませんでした。つまり当時の『映画秘宝』は「あの加藤雅也サンも、萌えアニメなんか好きな奴のことは見下して馬鹿にしているんだゾ!読者の皆も後に続け!」と、虎の威を借る狐のスタイルで萌えアニメファンを嘲笑することに勤しんでいたのでした。それにしても、何の脈絡も無く突然「萌えアニメが云々」とか言い出したので、インタビューを受けていた加藤雅也も反応に困ったのではないでしょうか。加藤雅也についての面白い/興味深い話を読みたい読者の立場からすれば「何でインタビュアーがいきなり『オレは萌えアニメが嫌いだ!』と自己主張を始めるんだよ。お前は主役じゃねえだろ。お前の自己満足にスペースを割くぐらいなら、もっと加藤雅也の言葉を載せろよ」と云う感想を抱くしかありませんでした。きっと、このインタビュアーの脳裏には、読者の存在及び読者のニーズなどは思い浮かびもしなかったことでしょう。
上で述べたような行動に熱中していた『映画秘宝』編集者・ライターたちは、ただ単純に「『自分たちの欲求』が充たされて気持ちが良かった」のだろうと思います。もちろん自分の欲求を充たしたいと思うことは人間として当然ですし、仕事を通じて欲求を充たすことが出来れば、こんなに幸せなこともないでしょう。しかし、それをするならば良識と限度が必要不可欠です。わざわざ無駄に敵を増やし、未来の購読者を失ってまで「自分たちの欲求を充たすこと」を優先したことは、仕事(ビジネス)として必要なこと、正しいことですか?
ひょっとしたら「眼の前の『利益』を捨ててまで『信念』(=嫌いな奴らを大っぴらに嘲笑すること)を貫くことが出来るから、オレたち(=『映画秘宝』)はスゴいんだ!」と、『映画秘宝』切り株派は自分達に酔っていたのかも知れません。しかし、それは別にスゴいことではありません。
洋泉社としては、雑誌『映画秘宝』の刊行を「遊び」や「無償ボランティア」として、ではなく「まっとうなビジネス・業務」として行っていた訳です。それには先ず雑誌が売れること、それも短期的にだけではなく長期的に売れることが先決であり、その為には更に、購読者を増やすことが何よりも重要でした。したがって、これらの重要事項こそが『映画秘宝』製作チームに対して洋泉社が何よりも先に求めたことだったはずです。「何よりも先に」です。
それなのに、購読者を増やさず、と言うよりも増やす為の努力を端から放棄して、逆に無駄に敵を増やすことにだけはキッチリ勤しんでいた訳ですから、洋泉社にとって『映画秘宝』の編集者・ライター陣は、さぞかし頭痛の種というか獅子身中の虫というか、実に困った存在だったと推察されます。
こういった「まっとうなビジネスであれば求められて当然の事柄」には応えようとせず、何よりも先ず「自分たちの欲求を充たすこと」を優先して仕事に臨む、これこそが私の言う「業務の『私物化』」なのです。
この文章を読んでいる方は、試しに想像してみて下さい。もしも貴方が何処かの会社などに勤務していて、社員皆一丸で協力して赤字解消や顧客開拓などに努めねばならない時に、赤字を垂れ流したり顧客どころか敵を増やす行動にばかり勤しむ同僚が社内にいたとしたら、しかも、それに勤しむ理由が「自分が気持ち良いから」とか「これをやると○○センパイが喜ぶから」とかだったら「テメエの『趣味』の為に業務を『私物化』するんじゃねえよ!」と言いたくはなりませんか?単に「職業人」としてだけではなく「社会人」としても失格でしょう。
このように『映画秘宝』の行動は、とても「長期的な利益を考えている」とは思えないようなものばかりでした。岩田和明による恫喝DM事件を見れば分かりますが、ごく最近の『映画秘宝』内部でも「長期的な利益を考えず、自分が気持ち良くなることを優先する」と云う風潮が継続していたことは明らかです。更に、岩田和明が退職するからと云う理由だけで、のんさんの連載を打ち切って雑誌の「売り」を無くすように仕向けたことも、これまた雑誌全体のことを考えない「自己中心的な行動」でしょう。
仕事に関して「長期的な利益」について考えると云うことは「自分よりも若い世代に残す未来」について考えること、つまり「責任感の伴う態度」です。これに対して「業務の『私物化』」とは、仕事に臨むに当たって「今」の「自分」のことしか考えないこと、つまり「無責任な態度」です。
『映画秘宝』は、彼らが「精神年齢の幼稚な奴ら」と見なして嘲笑していたアニメオタクや「馬鹿な宣伝に騙されて底抜け大作を観に行く奴ら」と侮蔑していた女性と、彼ら自身とを勝手に比べて「自分たち(=『映画秘宝』の編集者やライター)はアイツらと違って『大人の男』なんだ!」と周りに向けて盛んにアピールし続けてきました。しかし、果たして彼ら自身は本当に「大人」と呼ばれるに値する人間だったでしょうか?
「雑誌の未来」よりも「自分たちの欲求」を優先し続けてきたことを、中心メンバーによる「業務の『私物化』」と呼ばずして何と呼べば良いのでしょうか?「身体は大人、頭脳はコドモの幼稚な遊び」でしょうか?
高橋ヨシキら「切り株派」が居なくなった2号目にあたる『映画秘宝』に、アニメ作品の特集記事が掲載されることが予告されました。この「居なくなった途端に」と言っても良い動きを見るに、おそらく「切り株派」が彼らの一存で他の派閥の編集者やライターに対して「『映画秘宝』でアニメ作品を扱うなよ!」と有形無形の圧力を掛けていたことは、想像に難くありません。そのような圧力が存在したとしたら、一部の人間の一存で企業努力の可能性を封じられていたことになるのですから、これもまた「業務の『私物化』」です。
「今」の「自分(たち)」のことしか考えない「無責任な体質」なのだから、年下の女性に対して恫喝DM攻撃を行ったり、自分たちよりも年下のフリーの女性編集者に対してパワハラを行ったりするのも、何ら不思議ではありません。告発を受けるまで、何一つ疑問に思わなかったのは「本当」でしょう。何しろ彼らの頭に有るのは「自分(たち)のこと」だけなのですから。
奈良さんがパワハラを告発した後に柳下毅一郎が出した、あの謝罪文としての体を成していない文を読んだ時も「ヨシキくんが報われて欲しい」とか、被害者を置き去りにしたことを書いていて「本当にどこまでも『自分(たち)のこと』だけに終始するんだな」と私は思いました。東大を出たぐらいだから間違いなく柳下毅一郎は頭が良いはずなのに、被害者を含めた「他者の存在」に対して満足に想像力を働かせることも出来ず、謝罪文一つまともに書けないとは流石に想像できませんでした。子供か。
『映画秘宝』の中心メンバーとも呼んでもいい人間たちが「業務の『私物化』」をし続けても恥じなかったのは、彼らの根底に有る「ボンクラと云う『甘え』」の精神だと私は思います。
今回は「記憶」や「情報」よりも「推測」と「考察」がメインです。
前『映画秘宝』編集長・岩田和明が退社した後、のん(能年玲奈)さんが同誌で持っていた連載が、素っ気無い告知と共に終了しました。これに関して私は、投稿番号(10)において「実はのんさんも内心では、自分とは無関係な『ワンダーウーマン』のコスプレとかさせられて、着せ替え人形のような扱いを受けるのが嫌だったのではないか?」との推測を述べました。
この私の推測は、あくまでも推測、つまり「可能性としての理由」の一つにすぎず、他の可能性も考えられます。結局のところ「真相」について外部の者が知ることはほぼ不可能でしょう。したがって、ここでの本題は連載終了の「真相」を明らかにすることではありません。
私の述べた「のんさんの連載終了の理由に対する推測」に寄せられたブコメには「のんさんの連載が終了したのは岩田和明が退社したからだ」と云うものがありました。この『説明』だけで「それで『理由』としては『十分』である」と簡単に受け入れる人が存在することに対して、私が覚えた『違和感』が今回の本題となります。
さて、まずは「岩田和明が辞めたから」と云う意見に沿って考えた「のんさんの連載が終了した理由」の仮説を幾つか例として挙げて、その後に「私が考える問題点」について述べます。
(1)理由その1:出版業界では―――近年は徐々に改善されつつあるものの―――編集部と書き手の間に交わされる契約や業務引き継ぎなどが「イイ加減」な状態で放置されていた―――或いは、されている―――ケースが多々あることは、よく知られています。例えば、漫画家志望者が原稿の持ち込みに行き、原稿を預けて帰ったはいいものの、その後はナシのつぶて状態なので痺れを切らして編集部に問い合わせたら、原稿を預かった編集者が既に退社しており、持ち込みに来た漫画家志望者の存在も連絡先も編集部内で情報が共有されておらず、肝心の原稿はロッカーや引き出しの中に人知れず放置されて誰も存在を知らなかった…。こんな話を目や耳にした経験がある人もいるのではないでしょうか。これと同様に、ひょっとしたら、岩田が退社した『映画秘宝』編集部では、のんさんの事務所へ連絡する時の宛先を書いたメモ等が不明となり、コンタクトが取れなくなったのかも知れません。
(2)理由その2:誌面出演者や書き手が「雑誌」や「出版社」や「編集部」ではなく「担当編集者個人」を気に入ったので、その雑誌での仕事を引き受けたというケースもあるでしょう。ひょっとしたら、のんさんも「岩田和明個人」を気に入っていたから『映画秘宝』の仕事をしていて、岩田和明個人が居なくなった『映画秘宝』が相手では仕事をする気が失せたのかも知れません。
(3)理由その3:2ちゃんねる等では「会社を辞める時に『復讐』として、自分が居なくなったら仕事が回らなくなるように仕掛けを施してから退職した。ザマーミロ」と云った類いの、真偽が不明の武勇伝的な話を目にすることがあります。ひょっとしたら、岩田が退社する際に腹いせとして、のんさんの連載が継続できないように工作したのかも知れません。
(4)理由その4:岩田和明個人が独断でのんさんの連載の開始を決定したが、実は他の編集者や双葉社は始めからずっと連載に反対し続けていたので、岩田が退職したのを幸いに連載を打ち切ったのかも知れません。しかし、のんさんのような人気芸能人に連載を引き受けてもらえれば、双葉社としても編集部としても読者を獲得する良い販促材料になるはずなので、それを考えるとこの仮説は可能性として低いような気もします。しかし、人気芸能人にオファーするとそれなりの金額の報酬を支払わねばならず、それならば予算面での圧迫があって連載を切りたくなる動機が生じると云う可能性も、有るといえば有りそうです。
(5)理由その5:さらに可能性は低いですが、のんさんへの報酬を岩田個人のポケットマネーから捻出していたので、岩田が居なくなったら支払えなくなったとか、或いはのんさんへの報酬を名目に会社の会計処理をゴニョゴニョしていたのが発覚して、岩田の退職に伴い不明朗な会計処理が是正されたとか…。流石にこれらは無いとは思いますが、こんな可能性だって、無理やり捻り出そうと思えば捻り出すことだけは出来ると云う例として書きました。別に、私が本気でそう思っている訳ではありません。ただし、過去に集英社で「漫画家が出席していない編集者だけの飲酒会合を『漫画家との打ち合わせ』の名目で『必要経費』として申告していたら、それがバレてガッツリ追徴課税を課された」と云うケースがありましたから、金銭処理がイイ加減な出版社や編集部というものは『映画秘宝』がそれに該当するか否かは別にして、業界に存在はするようです。
以上で取り敢えず、仮説例を挙げるのはこれぐらいにしておきます。
さて、出版業界周辺において上で述べた(1)〜(5)と「似たり寄ったりの話」を見たり聞いたりした経験をお持ちの方からすれば「岩田が退職したから、のんさんの連載も終了したんだろう」と言われれば、その説明でもう『十分』であり『納得』するのが謂わば『当たり前』なのかもしれません。しかし、私は「それを『当たり前』の事として放置し続けても良いのか?」「それを『当たり前』として済ませる感覚に対して、そろそろ『疑問』を持つべきではないのか?」と、そう言いたいのです。
のんさんが如何なる動機や理由で『映画秘宝』の連載を引き受けて継続していたのか、そして何故連載を終了したのかに関する真相は、外部の人間である我々には分かりません。
しかし本来、契約をして報酬を出すのは『会社』のはずです。つまりは「会社としての正当な業務」の一環です。その「会社としての正当な業務」が、いくら編集長や担当編集者であったとはいえ、高々「社員の一人」に過ぎない岩田和明が去っただけで業務の引き継ぎもままならず、契約も煙のように消え失せ、仕事も打ち切りになってしまうのでは、これは「会社」としてはハッキリ言えば「恥ずべきこと」であり「異常事態」です。
考えてもみて下さい。思考実験として、仮に「岩田和明が今回の恫喝DM事件を仕出かすような人間ではなく、不祥事で退職する出来事も起きなかった」と云うような『並行世界』がイワタバースの一つとして別次元に存在したとします。その並行世界に暮らす岩田が、もしも不慮の事故や病気などのアクシデントで亡くなったとして、その場合のんさんの『映画秘宝』での連載が簡単に終了するでしょうか?「まっとうな会社」ならば「緊急事態に他の社員が対応出来るように引き継ぎが可能な状態にしておく」でしょう。「まっとうな会社」ならば、です。
「岩田和明個人が退職したから、のんさんの連載も終了した」と云う説明だけで、それで十分な『理由』として受け入れてしまう人は、要するに「『映画秘宝』とのんさんとの間でオファー及び契約を交わして成立していた『会社としての正当な業務』を、岩田和明が個人の一存でどうにでも左右できるように『私物化』していた」と言っているのに等しいのではないでしょうか?
でも、それは端的に言って「異常」だとは思いませんか?
繰り返しますが、私は何も別に「これが『真相』だ」と言いたい訳ではありません。ただ、もしも「出版業界では編集者が業務を『私物化』するのは『当たり前』のことだ」と、何の違和感も疑問も抱かずに考える人が編集者や読者に少なからず存在するならば、私は「そのような考え方は、最終的には雑誌そのものを腐らせて、破滅に導いてしまうのではないか?」と、そう言いたいのです。
ここで本筋からは少々逸れますが、のんさんの芸能人としての立場を考えると「編集者との『個人的な関係』を動機として、のんさんは連載の仕事を続けていた」と世間に思われてしまえば、他の芸能マスコミから「男女の関係?!」等と面白おかしく報じられる虞れがあります。したがって、仮に『映画秘宝』や双葉社の側に「連載を終了させたい」と云う何らかの理由が有ったにしても、のんさんに迷惑を掛けないように彼女の立場に配慮するならば、むしろ連載終了のタイミングは岩田の退社直後にならないようにタイムラグを設け、あらぬ世間の誤解を避けるべきだったのではないかと私は思います。
もしくは、連載終了の告知時に「のんさん及び彼女の事務所は、岩田和明がしたことについては『許されないこと/悪いこと』と考えている」と、誌面で明確に告知するべきだったと思います。それが無いまま「連載を終了したのは単に岩田和明が辞めたからだ」と世間の考えを放置してしまえば「もしかして、のんさんは岩田のした事を『悪いこと、間違ったこと』とは思っていないのではないか?」と世間の人々にあらぬ疑いを持たれかねません。
それとも、岩田和明がのんさんの連載を終了するにあたって「素っ気無い告知」だけで済ませたのは、暗に「のんさんは俺(=岩田)の事を批判してないぞ」とアピールする狙いが有ったのでしょうか?
或いは、連載を終了させることで「自分(=岩田)とのんさんの間には『特別な結び付き』が有るんだぞ」と(それが「事実」であるか否かは別として)、世間にアピールして信じ込ませる狙いが有ったのでしょうか?
このような可能性をついつい私が考えてしまうのは、既に述べたように『映画秘宝』のライターや編集者は「普通とは違うオレたち」をアピールすることが大好きだからです。
可能性の話は置いておくとして、岩田和明が編集長になる前から既に、雑誌『映画秘宝』の内部では「業務の『私物化』」は起きていました。そして、それは結局のところ、彼ら『映画秘宝』がホモソーシャル集団内部だけで通用する価値観を盲信して、女性を含めた「他者」に対して甘えると云う幼稚な精神の持ち主だったことに起因するのだと私は思います。
予想外に長くなりましたので、今回は一先ずここまでとします。
町山智浩が発した「女性差別発言」の一つとして有名なものが「女の子が急にマニアックなこと言い出したら、たいてい男の影響。 (2013-2-18 06:30:23)」と云うツイートです。
この発言からは、町山智浩の根底に「女性は主体的に何かを発見して選択する能力が欠如している」という考えが存在することが、如実に見て取れます。
柳下毅一郎との共著『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』を読むと「中身が空っぽの映画を、配給会社や広告代理店が薄っぺらいキャッチコピーで盛んに宣伝することで、それを鵜呑みにした女性観客が劇場に足を運ぶ」と云う類いの主張がなされる場面に度々出会います。例えば「『タイタニック』を観に来た若い女性観客は、レオナルド・ディカプリオの演じる登場人物がクライマックスで死ぬのを見て『ウソー!』とビックリする。予告編を観れば死ぬことぐらい予想がつくだろ!(=つまり町山智浩らは「女性観客にはそれを予想する脳味噌が無い」と言っている)」と云う具合いです。
要するに、町山智浩らは「配給会社や広告代理店に騙されるのは、いつも女」であり、「雑誌『映画秘宝』が気に食わないタイプの映画が世間でヒットしてしまうのは『馬鹿な女たち』が原因」であり、「男女や親子が一緒に観に行くデート映画やファミリー向け映画も、女の好みに合わせた結果つまらない作品ばかりになった」と、そう主張するのです。
その一方で「馬鹿な広告代理店や一般的なマスメディアを活動拠点とする評論家は理解していないが、映画『○○』は本当は✕✕なんだよ!それを指摘しているのは俺たち(『映画秘宝』)ぐらいなもんだよ!」とか「映画『○○』が流れている劇場にいるのは『映画秘宝』読者だけ(或いは、劇場に行ったら中原昌也とか藤木TDCに出くわした)」とか「周囲の観客が泣いている中で笑っているのはオレたちだけ(この逆に、周囲は笑っているのにオレたちは泣いていたと云う『少林サッカー』パターンもある)」と云う、典型的な「オレ(たち)ってフツウじゃないゼ」アピールも度々出てきます。「本当は✕✕!」という言い回しが好きですよね。
こうすることによって「『馬鹿な女ども』とは違い、『オレたち(=ボンクラ男子)』はモノが分かっている(=『映画秘宝』的な価値観を良く学習出来ている)」「オレたちは『本質』を見抜いている『仲間/同志』だ!」と云う「選民意識」と「自己陶酔」のカルト集団的な感覚を『映画秘宝』読者に与えていた訳です。
ところで、私がこの「雑誌『映画秘宝』の記憶」と題する一連の文章をはてな匿名ダイアリーに投稿したところ、或るブックマーカーからコメントで複数回「過去の『映画秘宝』で、そんなに自己陶酔している記述箇所が有ったか?」との疑義を呈されました。上で挙げたような町山智浩らの芸風と、それを熱烈に歓迎していた当時の『映画秘宝』ファンの姿と雰囲気。もしも、それをリアルタイムで見知った人に「あれは『自己陶酔』ではなかった」と否定されてしまうのであれば、これはもう私としては「見解の相違ですね」としか言えません。自己陶酔は「オレ(たち)は『スゴい』!」と云う直截的な形だけではなく「こんなボンクラ映画が大好きなオレ(たち)って本当に『ダメ』だよな〜」と云う、一見さも「へりくだった」ように見える『自虐』と云う形式を取って顕れる場合もあると私は考えています。町山智浩ら『映画秘宝』が行う「オレたちオトコってのはさ〜、『バカ』な生き物なんだよ。だから許してよ〜」と云う芸風と、それを支持した読者たちは、本人たちとしては「分かった上で『バカ』を演じている(いた)」つもりかも知れませんが、これも傍から見れば、立派な『自己陶酔』だと私は思います。「自虐」は「オレ(たち)はスゴい!」の裏返しなのです。しかし、一部とはいえ『映画秘宝』ファンらしき人から「自己陶酔は無かった」と言われたので、私は正直ビックリしました。自覚が無かったのですね。
それでも「『自己陶酔』と言われることには抵抗が有る」のであれば、代わりに『甘え』と言い換えましょう。「オレたちオトコは、ボンクラ映画好きだからさあ」とホモソーシャルな価値観と物の見方を持ち出して酔い痴れ(=『陶酔』)ながら「だから、オレたちのするバカを許してね」と「女性と云う他者」に甘える(=負担を強いる)ことを続けてきたのが、町山智浩ら『映画秘宝』及びボンクラ信奉者たちの真の姿です。そして、そんな風に「オレたちは『こんな感じ(=ボンクラ)』だからさ〜」と甘え続けて行き着いた果てが、前・編集長の岩田和明による恫喝DM事件の発生です。目を逸らしてはいけません。もう、これ以上『バカ』や『ボンクラ』を言い訳にして「女性に甘える」のは止めませんか?『自己陶酔』に気づかないふりをするのも『甘え』だから止めませんか?そうでないと、また恫喝DM事件のような大失態が繰り返されかねません。
それにしても、上で挙げた例に出てきた「ディカプリオが死ぬ場面にビックリする女性観客」は、実在したのでしょうか?何だか私には、町山智浩らが「女性観客は愚か者である」と主張するために、都合よく頭の中だけで拵えた『藁人形』なのではないかと思えます。
実際は、女性観客にも「馬鹿な映画、底抜け大作、広告代理店の嘘八百宣伝と百も承知の上で、わざわざ観に行く『物好き』な人たち」は少なからず存在するのではないでしょうか。彼女たちは、自らの意志でそれを選択しているのです。ただ、町山智浩らには「女性たち自身の意志」が存在することに我慢がならないのだと思います。
町山智浩らの言う「騙されるのは、いつも女」「それとは違い、オレたち男は『真実』に気づいている」と云う考え方や主張は、ひどく「古臭い」と私には思えます。と言うのも、これらの考え方は結局のところ、キリスト教の「エデンの園で蛇の誘惑に騙されたのは女であり、男を唆したのも女だった」や仏教の「女は悟りの障碍になる」と云う、古来の考え方を焼き直したものに過ぎないとしか思えないからです。
ご存知のとおり、恫喝DM事件が発覚した後に新体制となった『映画秘宝』では、のん(能年玲奈)さんの連載が終了することが告げられました。のんさんが誌上で『この世界の片隅に』の主人公すずさんの姿に扮したのはまだ理解できましたが、何の関わりも無い『ワンダーウーマン』の主人公のコスチュームに身を包む彼女の表紙を見て「何だか着せ替え人形みたいに扱われてるなあ。のんさん本人が喜んでやっているならば別に構わないけど」と私は思っていました。しかし、このたびの騒動でのんさんの連載が迅速に終了したところを見ると「やっぱり本当は彼女も、心の底では嫌がっていたんじゃないのか?」と穿った見方をしてしまいます。冷や飯を喰わされていた状況下で『この世界の片隅に』を大々的にプッシュして応援して貰ったという義理も有ると、なかなか断り辛かったことでしょう。のんさんみたいな大物女優がリクエストに応えてくれることは『映画秘宝』のボンクラ男たちにとって、さぞかし快感だったことでしょう。もしも仮に「オレたちはボンクラだからさ〜、こういうのが好きなんだよね〜」と、岩田和明らがのんさん相手に甘えていたとしたら?
散々「美少女アニメは、オタクの幼稚な性欲を満たす為のポルノ!」と攻撃していたくせに、その実は『映画秘宝』自ら、自分たちのボンクラ願望を満たす為に、本物の女性を使って着せ替え人形遊びに耽っていたとするならば、それは美少女アニメ趣味よりも遥かに幼稚で醜悪な姿ではないでしょうか。真相は如何に?
冒頭に挙げた町山智浩の「女の子が急にマニアックなことを言い出したら、たいてい男の影響」という発言は、町山智浩の自己を勝手に他者に投影したものに過ぎないのでしょう。おそらく、町山智浩自身に「自分は女性の影響で何かマニアックなことを急に言い出した」と云う経験と自覚が有るのだと思います。町山智浩にとっての「マニアックな事」は何でしょうか?そういえば、一時期から町山智浩は、熱く「恋愛論」を語るようになったと記憶しています。何故か今はパッタリと語ることを止めたようですが、結局あれは何だったんでしょうね?まさか「女性の影響」だったんでしょうか。
舎弟の高橋ヨシキやてらさわホークも近年、付け焼き刃っぽいポリコレ的な言動を見せるように変化しましたが、あれも「女性の影響」でしょうか?高橋ヨシキとてらさわホークも、自分たちよりも年齢の若い、女性のアメコミ翻訳家と一緒に仕事をするようにもなりましたから、仕方が無いですね。でも、高橋ヨシキなんか『チーム・アメリカ』の「ポリコレなんぞクソ喰らえ!」的な内容と姿勢を称賛していたはずなんですけどね。まさか、過去の振る舞いを無かったことに出来ると思っているのでしょうか?
もちろん「他者から影響を受けて変化すること」自体は、別に構わないと私も思うのです。ただし、それが「相手の歓心を買う」ことを目的とする「表面だけの底の浅い変化」でなければ、の話ですが。
しかし、古株の元『映画秘宝』読者の目から近年の町山智浩や高橋ヨシキを見ていると「単に女性の歓心を買うのが目的なんじゃないか?」という疑念が拭えないのです。だって、彼らの言動からは滲み出ているでしょう?「自分たちボンクラのコントロール下に置けない女性に対する怖れや侮蔑」の感情が。
今回の内容は、一言で表現するならば「論語読みの論語知らず」です。
『映画秘宝』の功績の一つは、マイケル・ムーア監督及び彼の作品を積極的に日本に紹介したことでしょう。これは評価されて良いと思います。私のように『映画秘宝』の記事をきっかけに、マイケル・ムーアの作品と活動を追うようになった人もいるのではないでしょうか。
しかし、マイケル・ムーア作品を紹介した『映画秘宝』自身の振る舞いは、ムーアの姿勢や思想からは懸け離れたものでした。
既に述べましたが、現在のサイズになって以降の『映画秘宝』はスプラッター系ホラー映画、切り株映画を礼賛して「切り株映画は世界の真実を描いている!」と盛んにアジテーションするようになりました。その動きの中で、特に『映画秘宝』が好んで取り上げたのが『悪魔のいけにえ』『食人族』『ホステル』といった「田舎に行ったら襲われた」系の作品群でした。そして、これらの作品群を誌面で紹介する際に町山智浩や高橋ヨシキらが好んで書き添えたのが「非・都市部在住、非・富裕層、高等教育を受けていない人間たちは『野蛮人』」と云う主張でした。
都市部に生まれ育ち、入学金や授業料が高い有名私立大学に通って高等教育を受けることも可能と云う恵まれた境遇で育った、謂わば「上級国民」である町山智浩や高橋ヨシキらにとって、上記のような階層に属する人間たちは、ただそれだけで「差別(しても許される)階級」でした。そして、切り株映画とは「そのような野蛮人たちは嘲笑され、差別されても仕方が無い」という理由を描いていると云うのが、町山智浩や高橋ヨシキらの主張でした。
一度など『映画秘宝』が発行した切り株映画系出版物が、某県において有害図書指定を受けた際には、それに対する報復行為として「某県では斯斯然然の残虐な殺人事件が起きた!だから某県の住民は野蛮人!」というアジテーションを誌面で行った事もあります。このような彼らの言動は、本質的に朝鮮人差別や部落差別と異ならないと私個人は思います。
さて話をマイケル・ムーア作品に戻しますが、『ボウリング・フォー・コロンバイン』等の作品には、全米ライフル協会、ブッシュ政権・米国共和党、ミリシア等を批判的に取り上げる要素が有りました。しかし同時に、取材対象を少なくとも「同じ人間」「同じアメリカ人」として取り扱うという最低限の良識と理性もマイケル・ムーアには有りました。
それに対して、町山智浩ら『映画秘宝』はマイケル・ムーア作品に登場する「アメリカの非・都市部地域に暮らす人々」を指して「土人たち」呼ばわりし続けました。町山智浩や高橋ヨシキらにとっては、マイケル・ムーア作品も所詮は切り株映画と同じく「アホでマヌケなアメリカ白人」=「被・都市部在住、非・富裕層、高等教育を受けていない人間たち」を嘲笑の対象として消費する格好の理由を与えてくれる、娯楽作品に過ぎなかったのです。
また『ボウリング・フォー・コロンバイン』の中では、マリリン・マンソンが「コロンバイン高校銃乱射事件を始めとする無差別銃乱射事件の頻発を引き起すような悪影響を青少年たちに与えた張本人」として槍玉に挙げられ、謂れなき糾弾を受けたという話が出てきます。その事について「君の音楽が彼らの犯行に影響を与えたという主張について、どう思うか?」とマイケル・ムーアから質問されたマリリン・マンソンが、彼自身の口で何を語ったのか。それはこの映画を観て頂くとして、少なくともマリリン・マンソンは「俺は悪くない!悪いのは他のジャンル(例えばギャングスタ・ラップなど)だ!」とは決して言いませんでした。
それに対して『映画秘宝』はどうでしょうか。「切り株映画ファンは悪い事をしないが、美少女アニメを見るような奴らは犯罪者予備軍だからドンドンお上に通報しよう!」と、他人をスケープゴートにしたのでした。
マイケル・ムーアにとっては、たとえ意見や思想が異なろうとも、作品の取材対象である人々は「明日のアメリカを共に築き上げる『同じアメリカ市民』」です。それに対して、町山智浩や高橋ヨシキにとって意見や思想が異なる人間とは「差別しても許される『異人』」に過ぎませんでした。
でも、ひょっとしたら、町山智浩らが心の底で考えていた事は、マイケル・ムーアにバレていたのかも知れません。そんな事を思わせるエピソードが一つ有ります。
ブッシュJr.政権への批判を続けていたマイケル・ムーアが『華氏911』を製作・公開した時のことです。記者会見で、町山智浩はマイケル・ムーアに次のように質問しました。
「ブッシュJr.を政権の座から引きずり下ろす為に、何か僕たち(=町山智浩ら外国人マスメディア)に出来る事は有りませんか?」
マイケル・ムーアは「アメリカ市民を『土人』呼ばわりして人間扱いしない君(=町山智浩や高橋ヨシキ)のような人間に、アメリカの問題を『娯楽』として消費されたくはない」と言いたかったのではないか?この記者会見のやり取りを思い出すと私は、ついそんな想像をしてしまうのです。
恫喝DM事件が発覚した直後に『映画秘宝』編集者が発した「自分たちは映画を通じて『差別』や『不正』と闘う姿勢を学んできた」と云う主張は、事実とは正反対の完全な虚偽であるという事を示す話でした。
「恫喝DM攻撃の被害者へのバッシングを止めよ」と書くのと同時に「袂を分かつ事になりました。自分は今月号で『映画秘宝』を去ります」と高橋ヨシキが書いた意図は何か?
それは「不祥事を起こした人間が『映画秘宝』の側に残るのであって『映画秘宝』を去る自分(=高橋ヨシキ)は不祥事を起こしたような人間とは違うんですよ」と、何も知らない外部の人間に向けてアピールすることが目的だ。
『映画秘宝』公式や双葉社公式が不祥事について謝罪した以上、組織として再発防止に動く。そう思うのが普通だ。不祥事の原因解明や再発防止に一丸となって取り組むつもりならば、それに参加する人間たちが「袂を分かつ」必要は無い。分かれる一方が不祥事再発防止に消極的でない限りは。それなのに、わざわざ「袂を分かち『映画秘宝』を去る」と書いた。その『理由』は何だ?考えろ。それは、高橋ヨシキの努力にも関わらず『映画秘宝』は変わろうとしなかったからだ。非道い!まともなのはヨシキだけだ!
こうして、高橋ヨシキが使う『喧嘩稼業』の田島彬ばりの忍術(心理誘導術)によってコロッと騙された人間たちが「編集部と違って高橋ヨシキは正義の人だ!」と言い始めた。
ただし、それらの「高橋ヨシキは正義の人だ!」と主張する人間たちの発生が、奈良さんたち4人に内部告発を出す決意を促したのだろう。
「■なぜかノーコメントでブクマをつける奴は何が目的か」 anond:20210305165140を見て調べてみたくなったのだけど、この増田はファーストブクマ、セカンドブクマに限った話のようなので関係なかった。
ブコメが付かないエントリは[あとで読む]がたくさん付くエントリと似た顔ぶれ。ということはおそらくあとで読みたいのだろう。資産運用や売上などお金関係のエントリが入ったのが[あとで読む]が付くエントリとは少し異なる点か。
ブコメ数が多いエントリは政治系、○○イズム系が多い。サイトとしては朝日新聞系列と増田が目立つ。
無言or匿名ブクマ数 | ブクマ数 | 無言or匿名ブクマ率 | タイトル |
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2357 | 2715 | 87% | 大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。 | Books&Apps |
1698 | 1814 | 94% | 最初の一歩を踏み出すという汎用的な技術 - 本しゃぶり |
1616 | 1805 | 90% | メルカリが検索に「売り切れ品」を置く理由、初期のLINEが友だち追加を「電話番号マッチング」に絞った理由など、アプリのマーケティング施策まとめ30|アプリマーケティング研究所 |
1550 | 1717 | 90% | ASCII.jp:天才プログラマー・オードリーさんがたった200行で効果的なアプリを作れる秘訣 |
1469 | 1931 | 76% | 森氏辞任に考える 日本社会に残る無意味な風習: 日本経済新聞 |
1391 | 1465 | 95% | 線形代数をアニメーションで幾何学的に簡単に理解できる36記事まとめ| HEADBOOST |
1385 | 1454 | 95% | 暇を潰せそうなサイトを沢山見つけたので貼りまくる:哲学ニュースnwk |
1339 | 1568 | 85% | 「140秒とは思えない満足感」「なぜこれだけの傑作が埋もれているのか」 崩壊した日本を旅する“最後の動画配信者”のショートフィルムが話題(1/2 ページ) - ねとらぼ |
1236 | 1430 | 86% | 游ゴシックの話題の解説 | anond.hatelabo.jp |
1214 | 1337 | 91% | EXPERIENCE JAPAN PICTOGRAMS |
1161 | 1562 | 74% | 私は一ヶ月後、この牛を殺します。〜私がヴィーガンにならないと決めるまで〜 | ロカフレ |
1098 | 1269 | 87% | メルカリ、「無意識(アンコンシャス)バイアス ワークショップ」の社内研修資料を無償公開 | 株式会社メルカリ |
1059 | 1304 | 81% | (追記あり)地味な資産運用で1億円を達成した | anond.hatelabo.jp |
1056 | 1192 | 89% | ゲームを作ったらハリウッドから映画化オファーが来た話 - Hirayaブログ |
1013 | 1330 | 76% | オーケーとその他スーパーたち - 14店舗のフィールドワークと500人のアンケートでわかったシンプルな結論|太田正伸|note |
988 | 1127 | 88% | 36歳で印刷会社の社長になった僕が、減り続ける売上をなんとか立て直した話|工藤太一/印刷会社二代目/glassy株式会社代表取締役|note |
982 | 1200 | 82% | 「こんなん履いててプログラミングできるわけない」天才プログラマー登大遊氏が情熱大陸に登場、名言を連発しザワつくTL - Togetter |
948 | 1028 | 92% | 文系パパエンジニアが放送大学等でコンピュータサイエンス・数学を学んで理系学士を取りに行く話 - とあるCS学徒のブログ |
943 | 1145 | 82% | 新宿うまいカレー屋多すぎん? - かみぽわーる |
912 | 1286 | 71% | 「遺伝的アルゴリズムで最高にエッチな画像を作ろう!」がGoogleに怒られた話|群青ちきん|note |
ブコメ数 | ブクマ数 | ブコメ率 | タイトル |
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894 | 1449 | 62% | 女性がたくさん入っている会議は時間かかる」森喜朗氏:朝日新聞デジタル |
636 | 951 | 67% | 橋本氏は「男みたいな性格、ハグ当たり前」自民・竹下氏:朝日新聞デジタル |
593 | 1060 | 56% | 「そこまで言うんなら結婚しなきゃいい、みんな天皇の子」ETV特集 夫婦別姓に反対の亀井静香氏のインタビューが恫喝やセクハラ発言で批判殺到 #ETV特集 | まとめ部 |
508 | 727 | 70% | 森の叩かれぶりを見てるとアホらしいなあって | anond.hatelabo.jp |
506 | 841 | 60% | 自民、女性議員が幹部会議に出席案 ただし発言権はなし:朝日新聞デジタル |
491 | 732 | 67% | ワクチン接種“2回をやめ1回に” 自民党内で検討|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト |
487 | 792 | 61% | 老人に価値観アップデートを求めすぎるのもなぁ | anond.hatelabo.jp |
484 | 666 | 73% | はてな民の思考回路がまじで理解出来ない | anond.hatelabo.jp |
463 | 633 | 73% | 「『降ろしてやったぜ』って感じが気持ち悪い」EXIT兼近が森会長辞任巡り - ライブドアニュース |
463 | 815 | 57% | 夫に思ってた結婚生活と違うって言われた | anond.hatelabo.jp |
462 | 1931 | 24% | 森氏辞任に考える 日本社会に残る無意味な風習: 日本経済新聞 |
433 | 722 | 60% | IOC「森会長は謝罪した。この問題は終了と考える」 - 東京オリンピック:朝日新聞デジタル |
427 | 753 | 57% | ノンアルコールを充実させたけど、辞めた話 | anond.hatelabo.jp |
411 | 660 | 62% | 「(笑)は、ちょっともう古い」 20代に聞いた、(笑)・笑・w・wwwのどれを使うべきか問題 | 文春オンライン |
411 | 757 | 54% | 地方で子どもに与えられる文化資本 | anond.hatelabo.jp |
407 | 512 | 79% | いつも不思議なんだけどみんなコンビニで何買ってんの?高いし品揃え悪い.. | anond.hatelabo.jp |
407 | 616 | 66% | 川淵三郎氏、就任前向き 旧知の森氏に涙流し「気の毒」 - 東京オリンピック:朝日新聞デジタル |
406 | 909 | 45% | 「大人の半分はお酒を飲まない」という飲食店にとっての「不都合な真実」|子安大輔 |
404 | 905 | 45% | shinshinohara on Twitter: "嫁さんがいまだに衝撃だった、というエピソード。 息子が赤ん坊のころ、嫁さんに世話を頼まれた。ミルクを飲ませ、ゲップさせ、寝転ばせておいた。すると、赤ん坊が泣き出した。" |
401 | 1562 | 26% | 私は一ヶ月後、この牛を殺します。〜私がヴィーガンにならないと決めるまで〜 | ロカフレ |
ブコメ数 | ブクマ数 | ブコメ率 | タイトル |
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327 | 395 | 83% | すごい頭悪そうな単語を使いたい | anond.hatelabo.jp |
407 | 512 | 79% | いつも不思議なんだけどみんなコンビニで何買ってんの?高いし品揃え悪い.. | anond.hatelabo.jp |
350 | 468 | 75% | なんで日本人って「悪には悪の正義がある」みたいな話が大好きなの? | anond.hatelabo.jp |
341 | 458 | 74% | 差別・不謹慎発言OKのSNS欲しい!(追記) | anond.hatelabo.jp |
343 | 462 | 74% | なぜネットでは方言があまり使われないのか | anond.hatelabo.jp |
大喜利系、しゃべり場系増田はこうなるらしい。これ系増田で無言ブクマするのはなぜだろう。あとでブコメのほうを眺めたいのかもしれない。
雑誌『映画秘宝』の記憶について書いている増田ですが、振り返れば振り返るほど「『映画秘宝』とその狂信者の言動はネトウヨに類似している」と思うようになりました。
「女子供から映画を取り戻せ!」は「日本を取り戻す」のスローガンに似ている。
「タランティーノ作品など外国映画は日本の切り株映画に影響を受けている!」は「日本スゴい論」の典型例。
五輪で日本人選手やチームが活躍しようが、日本人研究者がノーベル賞を受賞しようが、無関係な日本人の格が上がる訳ではない。それと同じく、日本の映画が外国で評価されようが『映画秘宝』のライターや読者の格が上がる訳ではない。
それなのに「女子供には分からないマニアックな映画の価値を、俺たち(=『映画秘宝』のホモソーシャル集団)だけは理解する能力が有る!」「外国の映画関係者が高く評価する日本の映画を好きな自分たちはスゴい!」と自己陶酔。
不祥事を起こせば「外部の人間が口を挟むな」「いつまで謝罪すればいいのか?」「自分にはセクハラや恫喝とは思えない」「被害申告がないのだから外野の人間がセクハラと言うな」「セクハラと言うが必ずしも嫌がっていたとは限らない」などと、ネトウヨの真似のような発言。
そして、被害者バッシング。
久しぶりに森友関連がはてブの人気ランキングに載ったので。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20210305/k00/00m/040/259000c
森友関連のニュース記事や同はてブコメントを読んで、以前から不思議に思ってることがある。一番の加害者である籠池のことは完全に無視されて、なんで政権批判ばかりになるのだろう。
そりゃあ国や省庁の上司も悪いけどさ、あの事件って森友学園を創設しなければ、そして籠池夫妻が局員に対して「私に忖度しろ!」って恫喝しなけりゃ何も問題は発生してない訳じゃん。
これは自分には、籠池がどう見ても加害者ポジションの人にしか思えない。何故かマスコミも支援している政治家も、被害者ポジション的な人として扱ってるけど。
国会ウォッチャー氏、そもそも財務省の応接記録を読んでないな…
きちんと読めば、このとき新たにリークされた内容を含めても、国有地の売却に官邸や首相夫人周辺の影響がないことくらいは分かりそうなものだが。
https://cdn.mainichi.jp/item/jp/pdf/20180523moritomo.pdf
そしてどういう訳だか、それまで強気だった近畿財務局が急に弱腰になるターニングポイントを、あえて無視するんだよねえ。
首相が国有地値下げに関わったという前提でしか森友学園問題を見れないの、ジャーナリストとしては三流でしかないよね…
恫喝DM事件及びその後に起きたパワハラ事件の加害者。さらに被害者女性に二次加害を行った人間。
彼らの事を批判すると、奇妙な事を言って彼らを擁護しようとする人間が現れます。かつて町山智浩自身が言った言葉ではありますが「被害者しぐさ」と云う行動を取ることによって、彼らは悲劇の主人公を演じようとするのです。こんな具合に。
例1:「被害を受けた当事者でもない人間たちがゴチャゴチャ言うな」⇒それを言ったら何の問題についても、誰も批判することができなくなりますよね。関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺や第二次世界大戦当時の南京虐殺、従軍慰安婦問題やその他の戦時性暴力etc.これらについて私は「被害を受けた当事者」ではないですが批判はしますよ。「自分は恫喝DM攻撃やパワハラ・セクハラの被害を受けた『当事者』ではないから口を挟むのは止めよう」と云う態度で見過ごし続けてきた果てに行き着いた先が、今回発覚した映画秘宝のスキャンダルなのではありませんか?
例2:「いくら謝っても批判する人間たちは許さない。反撃できない人間を一方的に攻撃するな」⇒恫喝DM攻撃やパワハラ問題が発覚して、まだ3か月も経過していません。「いくら謝っても」と言うほどの年月は経過していません。それに、たとえ戦時中や戦前の事でも、何年経過しようとも「反省するべき事は反省するべきだ」と私は思います。加えて言うならば、被害者及び第三者の立場から岩田や町山ら、双葉社に対して求めているのは「公開の場での説明」です。すでに「被害者が非公開を望んでいる」と云うのは虚偽の理由だったと判明したのだから「経緯」や「再発防止の為の取り組み」について早急に説明をしてくれと望んでいるのです。
例3:「匿名で批判をするのは卑怯だ」⇒これまでエゴサーチしての恫喝DM攻撃や、信者ファンネルを利用した多人数攻撃と云う手法を行ってきた町山や岩田を擁護する人から、それを言われると驚きますね。私も基本的には「批判や議論は公平に行われるべきだ」と考えます。しかし「もしも匿名でなければ、批判した時に報復行為としてどんな物騒な事をされるか分からない」と不安を抱かせて、議論の場における必要最低限の相互信頼を損ね、顕名での批判を躊躇させる原因を作ったのは、町山や岩田に外なりません。
お願いだから、これまでトランプ政権や自民党政権を批判する時に貴方たちが披露し続けてきたのと同じぐらいの饒舌さで、自らが果たすべき「説明責任」を果たして下さい。
『映画秘宝』の元・編集長による恫喝DM事件が発覚した当初、一部の『映画秘宝』関係者が「映画を観て、差別に反対し、社会の不正や権力に立ち向かう姿勢を学んでいたのに云々」といった主旨の言葉を述べていましたが、果たして本当にそうでしょうか?若い読者の中には信じてしまう人たちがいるかも知れないので、元・愛読者の一人だった私が記憶に基づいて(と言うのも手持ちのバックナンバーはほとんど処分したので)、これについて反論のような事をポツリポツリ試みたいと思います。
『映画秘宝』が現在のサイズになって間も無い当時『映画秘宝』は、自民党政権を援護射撃するメディアの一つでした。これは何も『映画秘宝』に限った話ではありません。当時は、例えば『ミュージックマガジン』の故・中村とうようが「自民党を壊してくれるなら小泉純一郎を支持する」と公言していたように、小泉政権を支持する反・権力系メディアやその関係者は珍しくなかったのです。
同じ頃『映画秘宝』は、当時の秋田書店の漫画雑誌『少年チャンピオン』で連載されていた漫画『アクメツ』を誌上で紹介した上で「この漫画は傑作なので『映画秘宝』の読者も読んで応援しよう!」と推薦していました。ご存知ない方の為に解説すると漫画『アクメツ』は、小泉純一郎をモデルとする政治家(※ハンサムに描かれる)が行う改革を応援する為に、主人公である高校生テロリストが改革に反対する勢力の人間たち(※こちらは醜い外見で描かれる)を殺害しまくる(しかも、その殺害の模様を映像で配信する)と云うのが大まかなストーリーです。
それだけではなく『映画秘宝』の読者投稿欄では「映画の中で公務員が死ぬ/殺される場面が出てくると、映画館で拍手喝采します」と云う内容の手紙を掲載したり、映画紹介記事の中に「公務員の奴らは他の仕事に就くことが出来なかった無能たち」という文を態々差し挟む形で書いたりと、当時の小泉改革により巻き起こった公務員バッシングの風潮に『映画秘宝』は全力投球で乗っかっていました。公務員バッシングをしてくれる雑誌メディアの一つとして『映画秘宝』を愛読しているネットウヨク的な人間たちも、当時は少なくなかったのではないでしょうか?少なくとも、読者投稿欄などに「小泉改革に乗っかって浮かれるのは止めた方が良い」という意見が載る事や、ライター内部からの批判記事が書かれたは無かったものと記憶しています。
町山智浩は小林よしのりに対して「ネットウヨクたちを生み出した責任を取れ」と批判したようですが、四人がかりで女性1名を標的にパワハラを行うような町山智浩たちが作っていた『映画秘宝』に対して、私は「貴方たちが過去に行った自民党政治への援護射撃の責任を取れ」と言いたいと思います。
奈良さん・小沢さん・ギンティさん・市川さんたちからの告発を受けた町山智浩ら4名は、近年『反・権力』の姿勢を盛んにアピールしていましたが、私の目から見ると「ナチスの戦犯が過去を隠して戦後を生き延びた姿に似ている」と思います。仮にも『反・権力』を謳うならば、過ちを犯した時には自己批判して、反省する事が肝要でしょう。それが出来ない、他人に厳しく自分たちに甘い町山智浩ら四人は、決して「反・権力」や「不正と戦う」と云う人間たちではないと私は思います。
元『映画秘宝』愛読者だった私。家族に『映画秘宝』を読むことを勧めてしまった私。この私にも『映画秘宝』のモンスターを育てた責任は有ると思う。だから、元・読者の一人として、恫喝DM事件の被害者に謝罪します。こんな人たちを批判するべき時の過去の時点で批判する事を怠り、彼らを増長させて育ててしまい、その結果として貴方を傷つける事態を招き、本当に申し訳ありませんでした。
今なお町山智浩ら四人に心酔しきっている状態の私の家族の洗脳をたとえ解けなくても、他の誰かの目を覚ます事はできるかも知れない。そのような一縷の望みを託して、読者だった当時の記憶を記しました。見出しに(1)と付けたので、気力が湧けばまた何か書こうと思います。悪文によるお目汚し、失礼致しました。
と云う系統の話です。時々「普段は離れて暮らしている家族と久しぶりに会ったらネトウヨ(とか陰謀論者とか)になっていて恥ずかしいし辛い」と云う話を見ることがありますよね?自分の家族(※特定されないために親兄弟姉妹性別は伏せます)の場合は『映画秘宝』のパワハラ四人組に対して心酔しきっています。先日の奈良さんたちによる内部告発があった後ですらも、それは変わろうとしません。
実は十数年前に『映画秘宝』と云う雑誌の存在を、映画が好きな家族に教えたのは私なのですが、当の私自身はといえば、はてなブックマークでも度々トピックになっていたような彼らのヒドイ振る舞いの数々に嫌気が差して、とっくに何年も前から購読を止めていました。『エド・ウッドとサイテー映画の世界』から欠かさず買っていたバックナンバーも、ほとんどは処分してしまいました。
私としては、町山智浩の度重なる女性蔑視や同性愛者差別の発言、吉田豪によるインタビューで話した「高橋ヨシキの妻に対して町山智浩が行った女性の人権を侵害」、てらさわホークが映画『マン・オブ・スティール』でいい加減な嘘の記事を書いたことなどをメールで教えて「こんな人たちのファンを続けるのは恥ずかしいことだから止めた方が良いよ」と伝えました。しかし、私の家族はSNSで「町山さんの解説はさすがだなあ」とか「高橋ヨシキさんは知性とバランス感覚の持ち主だなあ」とか言っていて、少しも目を覚まそうとしません。
今ネットの一部では『映画秘宝』を守りたい一心でなのか、例の恫喝DM問題の被害者女性をしつこくバッシングする人間もいます。私の家族もそうなるのではないかと心配です。
と云う系統の話です。時々「普段は離れて暮らしている家族と久しぶりに会ったらネトウヨ(とか陰謀論者とか)になっていて恥ずかしいし辛い」と云う話を見ることがありますよね?自分の家族(※特定されないために親兄弟姉妹性別は伏せます)の場合は『映画秘宝』のパワハラ四人組に対して心酔しきっています。先日の奈良さんたちによる内部告発があった後ですらも、それは変わろうとしません。
実は十数年前に『映画秘宝』と云う雑誌の存在を、映画が好きな家族に教えたのは私なのですが、当の私自身はといえば、はてなブックマークでも度々トピックになっていたような彼らのヒドイ振る舞いの数々に嫌気が差して、とっくに何年も前から購読を止めていました。『エド・ウッドとサイテー映画の世界』から欠かさず買っていたバックナンバーも、ほとんどは処分してしまいました。
私としては、町山智浩の度重なる女性蔑視や同性愛者差別の発言、吉田豪によるインタビューで話した「高橋ヨシキの妻に対して町山智浩が行った女性の人権を侵害」、てらさわホークが映画『マン・オブ・スティール』でいい加減な嘘の記事を書いたことなどをメールで教えて「こんな人たちのファンを続けるのは恥ずかしいことだから止めた方が良いよ」と伝えました。しかし、私の家族はSNSで「町山さんの解説はさすがだなあ」とか「高橋ヨシキさんは知性とバランス感覚の持ち主だなあ」とか言っていて、少しも目を覚まそうとしません。
今ネットの一部では『映画秘宝』を守りたい一心でなのか、例の恫喝DM問題の被害者女性をしつこくバッシングする人間もいます。私の家族もそうなるのではないかと心配です。
殴る蹴る、強烈な恫喝。
「そこまで言うんなら結婚しなきゃいい、みんな天皇の子」ETV特集 夫婦別姓に反対の亀井静香氏のインタビューが恫喝やセクハラ発言で批判殺到 #ETV特集 | まとめ部
こうした意見は、前にも見たことあるなぁと思ってたら・・・やっぱりこいつか!
田母神俊雄さん「女性は愛する男性の姓を名乗ることに喜びを感じる人が多いのではないかと私は思う」選択的夫婦別姓に賛成7割とのニュースに | ガジェット通信 GetNews
今朝のNHKのニュース、世論調査で夫婦別姓に賛成が7割だとか。信じられないがこれも日本ぶち壊しの一つか。田中さんの奥さんが鈴木さんで鈴木さんの奥さんが田中さんだとか言ったら混乱を招くだけだ。女性は愛する男性の姓を名乗ることに喜びを感じる人が多いのではないかと私は思う。
日本会議的な保守層は、日本国はこうあらねばならない、みたいな思想で凝り固まっているからで、この選択的夫婦別姓にめちゃくちゃこだわるのである。
恐るべき、日本の家制度にこだわる人たちで、結婚というものは、女性が男性の家に入って、家のために奉仕する存在であり、だから「嫁ぐ」というのである、みたいな。
この日本の伝統(伝統ってあのね・・・)を壊すのが選択的夫婦別姓であると言って憚らない。
どんだけ女性蔑視やねん、お前ら。
そしてここに、自分の意見などない、ネトウヨ・サヨク嫌い層などが加担する。
論理などここにはない。「選択的夫婦別姓絶対認めない」は、こいつらの牙城に過ぎないのである。世界の恥と言っていい。だって、選択的夫婦別姓を認めない国など、他にないからだ。
議員比率からジェンダーギャップ指数から何から何まで、ほんとに男女差がものすごいことになってるのに、法律的には男女平等だ? アホぬかせ。女性差別のきついインドと日本の女性議員比率はほとんど変わらない。
一体この国って何なんだ?
これは煽りとか反論とかではなくて純粋に疑問なんだが、たとえば先生とか上司とか先輩とか顧客とかに理不尽かつ不愉快なイジリをされたとして、その場はつい反射的に「いや、まあ、、、そうですね、、、エヘヘ、、、」なんてハニカミ返事をしてしまい、あとから遣り場のない怒りなり自己嫌悪なりで悶々としてしまう、そういう経験をあなたお持ちではないんですか? こちとら人生の大半がそういう経験で埋め尽くされてるからこそ「即座にキレ返せるようになりたい」と、なして理不尽な扱いを受けたこっちがなお布団の中でまで悶々とせねばならんのかと、そういう話をしてるんだが。だれも良民を恫喝して威圧して不当に利益を得たいなんて言ってないよ。(と、文章なら書けるけれども、面と向かったら僕はこんな話はできないです。対面だったら、いやぁ、、、そっすよね、、、って言うだけ。インターネット万歳。)
https://toyokeizai.net/articles/-/409906:徹夜も上等!結局「猛烈に働く人」が成長できる]
過労であれば判断力も失われてるから、無理強いできるし、逆に、正当な成果を求める声もごまかし、恫喝し、否定できるから。
残念だけど、日本は「他の誰かを無理させて甘い汁を他のやつが吸えるように」最適化されちゃったから、猛烈に働くとむしろ不幸になるよ。ブラック企業蔓延してるじゃないの。
コロナの状態でも金融再編とか中小企業潰して生産性向上みたいなハゲタカのための政策がまず真っ先に叫ばれるし。
ある程度強烈に働くにしても、判断力と、交渉力が持てる程度の状況で、逃げる選択肢を常においておかないと絶対不幸になる。そして、交渉力は条件が折り合わないからやめて転職するっていうの込でな。