雑誌『映画秘宝』の記憶について書いている増田ですが、振り返れば振り返るほど「『映画秘宝』とその狂信者の言動はネトウヨに類似している」と思うようになりました。
「女子供から映画を取り戻せ!」は「日本を取り戻す」のスローガンに似ている。
「タランティーノ作品など外国映画は日本の切り株映画に影響を受けている!」は「日本スゴい論」の典型例。
五輪で日本人選手やチームが活躍しようが、日本人研究者がノーベル賞を受賞しようが、無関係な日本人の格が上がる訳ではない。それと同じく、日本の映画が外国で評価されようが『映画秘宝』のライターや読者の格が上がる訳ではない。
それなのに「女子供には分からないマニアックな映画の価値を、俺たち(=『映画秘宝』のホモソーシャル集団)だけは理解する能力が有る!」「外国の映画関係者が高く評価する日本の映画を好きな自分たちはスゴい!」と自己陶酔。
不祥事を起こせば「外部の人間が口を挟むな」「いつまで謝罪すればいいのか?」「自分にはセクハラや恫喝とは思えない」「被害申告がないのだから外野の人間がセクハラと言うな」「セクハラと言うが必ずしも嫌がっていたとは限らない」などと、ネトウヨの真似のような発言。
そして、被害者バッシング。
ネトウヨとの比較はどうかと思うけど、内向きのグループを作ってそこで特定方向性の文化価値を高めようとする、だけでは失敗に陥ることがあるってことだと思う。 文化的な価値を生...
類似と同族嫌悪は意味が違うのでは。
筆者が指摘しているなにかしらの悪みたいな対象が筆者自身でしたって独白なのでは?