はてなキーワード: 報復行為とは
「後でやり返されるかもしれない」とか、露ほどにも思わないんだろうか。
そこまで考えが至らない短絡的な人間だから、そんなことやってんだろうけどさ。
「自分より位の低い奴がやり返してくるはずがない」っていう、その揺るぎない自信はどっから来るのか。
自分なら相手からの報復が怖くて、そんな類の事は到底出来ない。いや、最初からする気も無いけどさ。
自分自身子供の頃から理不尽が嫌いだったので、体罰・パワハラ・いじめの類は目上とか関係なく徹頭徹尾やり返してきたんだけど、
大抵の加害者は思わぬ反撃喰らうと、まさに「鳩が豆鉄砲を食った」ような顔をして、笑っちゃうくらい狼狽するんだよな。
そしてそれを境に加害者側が変によそよそしくなって、体罰・パワハラ・いじめの類はピタッと止むんだ。こちとら何回も経験がある。
さらに悪化したパターンもわずかばかりあったけど、加害者側の体罰・パワハラ・いじめのヒートアップに比例して、必然的にこちら側の
報復行為も周囲に伝わるレベルで段々酷くなっていくので、流石に見るに見かねた第三者が放っとけずに介入してきて最終的には丸く収まった。
結局さ、加害者側って付け上がってんだよな。被害者側に甘えてんだよ。
どうにも腹に据えかねたら、ウィル・スミスみたいに加害者の横っ面でも急に張り倒してみろ。大体解決するぞ。
「暴行罪じゃないの?」アホか。情状酌量されるように体罰とかパワハラの証拠集めしてから、満を辞して張り倒すんだよ。
加害者側だって相当面の皮が厚くなければ、自分の過去に積み上げてきた悪事が露見することを恐れて、易々と暴行被害を訴えることもできまい。
「諸外国(非儒教影響下圏)では日本のようなパワハラ・セクハラはありません!」っていう出羽守言説も、ある意味正しいと思うよ。
だって向こうで恨みを買えば、日本とは比べ物にならないくらいカジュアルに鉄拳・ナイフ・拳銃が出てくるからな。そらやらないよ。怖いもん。
日本人も目上とか関係なくもっとブチ切れてやり返すべきなんだよ。そうすりゃもうちょっと世の中の風通しが良くなる。自殺者も多分減る。
俺も在外邦人の端くれだけど、
変異株の日本への流入を防ぐために一時的に止めるという話なのに、
なぜ「棄民」やら「人権侵害」やらの強い言葉を叫んで被害者アピールをするのだろうか。
なぜ過剰な悪意を勝手に決めつけて、さらに報復行為をしようとするのか。
リスク評価が出来るまで安全側に倒した対応をすることに何の問題があるのだろう。
親の死に目に会えない、必要な薬が手に入らない、という自分たちの仮定の被害は強調するのに、
日本で感染が広がると国内でもそういう状態になることは触れない。
「マイノリティだから」「疎外されてるから」と自らの過剰な行いを正当化する。
そういうことをし続けていると、
女子フリーターアルバイトさんを狙うストーカーが再出現。先々週辺りの事らしいが、女子フリーターアルバイトさんが品出しをしている最中に接近してきて、気がつくと真横ちょう至近距離でガン見されていたのだそうだ。
「きも! きもきもきもきもきもっ! それはきもい奴だ! 酷い目にあったね」
他人に対して「きも」とはなんだって我ながら思うのだが、ストーカー等迷惑行為の被害報告に対しては、そのリアクションが最適なんだなあと思う。被害者としては、自分の受けた被害を重く見ているのは自分だけで、報告するとか悪いことなんじゃないかと内心ビクビクしながら報告してくる。ので、被害者の気持ちを迅速に代弁する言葉を発することは大事だ。ああよかった、第三者から見ても私は気持ち悪いことをされているんだ、私の感覚がおかしい訳じゃないんだと、被害者に思ってもらうのだ。
女子フリーターアルバイトさんがストーカー被害に遭った話は前々から人づてに聞いていたのだけど、昨日初めて具体的な内容を彼女の口から聞いた。事はバレンタインデーに突然プレゼントと連絡先を押し付けられたことから始まった。彼女が無視して連絡をしないでいたところ、ストーカーは頻繁に来店し、彼女を執拗にガン見してくるようになったという。それで、店の皆で結託して、ストーカーが来店したら彼女を事務所に匿って顔さえ見せないようにしたのだ。それを続けた結果、まんまとストーカーに彼女が辞めたと誤認させる事に成功。ストーカーは必要最低限しか来店しなくなった、ということ。
ていうか、ストーカーって全く相手とのコミュニケーションが成立していないにも関わらずに一方的に高いもの贈りつけて拒否られて逆上っていうの、よくやるよなぁ。私にもストーカーしてくる客がいるんだけれど、やはり唐突に糞高価な食パン1斤880円とか押し付けてきた。
ストーカーへの対応について、女子フリーターアルバイトさんと武闘派のシフトリーダーとで一時揉めていた。シフトリーダーは「ハッキリ『断る』って言えばいいじゃない!」と言って女子フリーターアルバイトさんを無理矢理レジ接客させよとした。女子フリーターアルバイトさんはどうしても報復が怖いと言ってフロアに出ることさえ嫌がった。結局、オーナーが無用なトラブルを避ける主義だから、無闇にストーカーを刺激することはないよねといって、ストーカーが来たら女子フリーターアルバイトさんを事務所に隠すことで合意が取れた模様。
「私がアパレルでバイト中にナンパ男の集団に絡まれた時は、自力で応戦して撃退したのに!」
なんて言ってたけど、それって運良くナンパ男集団が本当にただのナンパ男だっただけの話だ。マジでヤベェ奴らだと、仕事上がりまで待ち伏せして拐うじゃん。過去の武勇伝を若い後輩にごり押しするのはやめて欲しい。後輩は己の自己肯定感をヨシヨシするための道具ではないので。
私自身ストーカー被害に遭い、女子フリーターアルバイトさんまでストーカー被害に遭っている、ということでストーカー対策に関する本を読んでみたけど、奴らは薬物やアルコールの依存症患者とあまりかわらない。依存対象が薬物ではなく「コンビニ店員の誰々さん」なだけだ。依存症患者の目の前に薬物や酒を置いといて摂取するな依存を辞めろと言っても大方無理なように、ストーカーの目に付く所に被害者を居させては悪化するばかりで良くはならないのだと思った。
ストーカー行為を被害者や第三者が咎めることは、却ってストーカーの執着心を煽ることになり、また怨恨を懐かせ報復行為を働かせる危険もあるようだ。
したがって、ストーカー被害者はストーカーから身を隠すというのが、やはり最適な対策なのではないかと思う。
だが理不尽ではある。悪いのはストーカーなのに、被害者や現場の人達ばかりに負担がかかる。ストーカーはずっとストーカーのままだ。現場が疲弊すると被害者を追い出せば解決するのでは? なんて言い出す人もいずれ出てくるだろう。そうなれば職場の人間関係が一気に悪くなり、働きづらくなる。
当店のオーナーは、従業員がストーカー被害に遭うこととストーカーから従業員を守る為に対策することは、雇用者が抱える当然のリスク(従業員が悪いのではない)と認識しているらしいので、我々従業員はその点では安心して働ける。
そこ以外はまったく理解できない。
目的に対して自分の行動を最適化できないのは致命的にその仕事に向いていない。
怒鳴るのが有効なのは、誰かの命の危険がともなうような場合に瞬発的に他人を危険回避させるとき(それでも体が固まってしまうリスクもある)と、
スポーツ選手のここぞというときにアドレナリンを出させるようなケースだけ。
普通のオフィスワークでは違法な人権侵害なので、相手が違法な報復行為をしてきても文句言えない。
もしどうしても怒鳴りたいなら硫酸かけられたり家に火をつけられる覚悟でやるべき。
また、仮に洗脳成功して短期的に成果が上がったように見えても、恐怖で支配して相手の思考能力を落としているのでトータルではデメリットしかない。
まず、経済レベルの釣り合ってない友達に囲まれているパターン。その中に売春で稼いで周りに合わせてる子がいたら、うちもやってみよーってなるかも。
次に、子供時代に男子からいじめられ易かったとか、クソみたいな男と付き合ってゴミのように棄てられたとか、あるいは通学中によく痴漢に遭うとかで、漠然と男に対する憎悪をこじらせて、報復行為として、逆に自傷行為として、やっている可能性。
それから、フィクションからの影響の可能性。娼婦や娼夫を描いた作品を日常的に読んで憧れているとか。
最後に、増田夫婦が無自覚に娘さんを抑圧している可能性。あんまり真面目に厳格にし過ぎると、親が最高に嫌がることを陰でやってザマァとほくそ笑むという、暗い悦びに目覚めることがある。
増田と奥さんは仲がいいようだが、奥さんと娘さんは最近どうだろうか? 子供が十代後半から二十代の時期って、ちょうどその母親の更年期障害の時期に被っている。増田の知らないうちに、奥さんが更年期のイライラとか不安焦燥感を娘さんにぶつけて鬱憤晴らしをしたり過度な干渉や束縛をしているというのは、あり得なくもない。娘さんは家にいるのが嫌になって、家庭からの逃避と脱走資金の調達を兼ねて売春しているというのもあり得る。
今回の内容は、一言で表現するならば「論語読みの論語知らず」です。
『映画秘宝』の功績の一つは、マイケル・ムーア監督及び彼の作品を積極的に日本に紹介したことでしょう。これは評価されて良いと思います。私のように『映画秘宝』の記事をきっかけに、マイケル・ムーアの作品と活動を追うようになった人もいるのではないでしょうか。
しかし、マイケル・ムーア作品を紹介した『映画秘宝』自身の振る舞いは、ムーアの姿勢や思想からは懸け離れたものでした。
既に述べましたが、現在のサイズになって以降の『映画秘宝』はスプラッター系ホラー映画、切り株映画を礼賛して「切り株映画は世界の真実を描いている!」と盛んにアジテーションするようになりました。その動きの中で、特に『映画秘宝』が好んで取り上げたのが『悪魔のいけにえ』『食人族』『ホステル』といった「田舎に行ったら襲われた」系の作品群でした。そして、これらの作品群を誌面で紹介する際に町山智浩や高橋ヨシキらが好んで書き添えたのが「非・都市部在住、非・富裕層、高等教育を受けていない人間たちは『野蛮人』」と云う主張でした。
都市部に生まれ育ち、入学金や授業料が高い有名私立大学に通って高等教育を受けることも可能と云う恵まれた境遇で育った、謂わば「上級国民」である町山智浩や高橋ヨシキらにとって、上記のような階層に属する人間たちは、ただそれだけで「差別(しても許される)階級」でした。そして、切り株映画とは「そのような野蛮人たちは嘲笑され、差別されても仕方が無い」という理由を描いていると云うのが、町山智浩や高橋ヨシキらの主張でした。
一度など『映画秘宝』が発行した切り株映画系出版物が、某県において有害図書指定を受けた際には、それに対する報復行為として「某県では斯斯然然の残虐な殺人事件が起きた!だから某県の住民は野蛮人!」というアジテーションを誌面で行った事もあります。このような彼らの言動は、本質的に朝鮮人差別や部落差別と異ならないと私個人は思います。
さて話をマイケル・ムーア作品に戻しますが、『ボウリング・フォー・コロンバイン』等の作品には、全米ライフル協会、ブッシュ政権・米国共和党、ミリシア等を批判的に取り上げる要素が有りました。しかし同時に、取材対象を少なくとも「同じ人間」「同じアメリカ人」として取り扱うという最低限の良識と理性もマイケル・ムーアには有りました。
それに対して、町山智浩ら『映画秘宝』はマイケル・ムーア作品に登場する「アメリカの非・都市部地域に暮らす人々」を指して「土人たち」呼ばわりし続けました。町山智浩や高橋ヨシキらにとっては、マイケル・ムーア作品も所詮は切り株映画と同じく「アホでマヌケなアメリカ白人」=「被・都市部在住、非・富裕層、高等教育を受けていない人間たち」を嘲笑の対象として消費する格好の理由を与えてくれる、娯楽作品に過ぎなかったのです。
また『ボウリング・フォー・コロンバイン』の中では、マリリン・マンソンが「コロンバイン高校銃乱射事件を始めとする無差別銃乱射事件の頻発を引き起すような悪影響を青少年たちに与えた張本人」として槍玉に挙げられ、謂れなき糾弾を受けたという話が出てきます。その事について「君の音楽が彼らの犯行に影響を与えたという主張について、どう思うか?」とマイケル・ムーアから質問されたマリリン・マンソンが、彼自身の口で何を語ったのか。それはこの映画を観て頂くとして、少なくともマリリン・マンソンは「俺は悪くない!悪いのは他のジャンル(例えばギャングスタ・ラップなど)だ!」とは決して言いませんでした。
それに対して『映画秘宝』はどうでしょうか。「切り株映画ファンは悪い事をしないが、美少女アニメを見るような奴らは犯罪者予備軍だからドンドンお上に通報しよう!」と、他人をスケープゴートにしたのでした。
マイケル・ムーアにとっては、たとえ意見や思想が異なろうとも、作品の取材対象である人々は「明日のアメリカを共に築き上げる『同じアメリカ市民』」です。それに対して、町山智浩や高橋ヨシキにとって意見や思想が異なる人間とは「差別しても許される『異人』」に過ぎませんでした。
でも、ひょっとしたら、町山智浩らが心の底で考えていた事は、マイケル・ムーアにバレていたのかも知れません。そんな事を思わせるエピソードが一つ有ります。
ブッシュJr.政権への批判を続けていたマイケル・ムーアが『華氏911』を製作・公開した時のことです。記者会見で、町山智浩はマイケル・ムーアに次のように質問しました。
「ブッシュJr.を政権の座から引きずり下ろす為に、何か僕たち(=町山智浩ら外国人マスメディア)に出来る事は有りませんか?」
マイケル・ムーアは「アメリカ市民を『土人』呼ばわりして人間扱いしない君(=町山智浩や高橋ヨシキ)のような人間に、アメリカの問題を『娯楽』として消費されたくはない」と言いたかったのではないか?この記者会見のやり取りを思い出すと私は、ついそんな想像をしてしまうのです。
恫喝DM事件が発覚した直後に『映画秘宝』編集者が発した「自分たちは映画を通じて『差別』や『不正』と闘う姿勢を学んできた」と云う主張は、事実とは正反対の完全な虚偽であるという事を示す話でした。
恫喝DM事件及びその後に起きたパワハラ事件の加害者。さらに被害者女性に二次加害を行った人間。
彼らの事を批判すると、奇妙な事を言って彼らを擁護しようとする人間が現れます。かつて町山智浩自身が言った言葉ではありますが「被害者しぐさ」と云う行動を取ることによって、彼らは悲劇の主人公を演じようとするのです。こんな具合に。
例1:「被害を受けた当事者でもない人間たちがゴチャゴチャ言うな」⇒それを言ったら何の問題についても、誰も批判することができなくなりますよね。関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺や第二次世界大戦当時の南京虐殺、従軍慰安婦問題やその他の戦時性暴力etc.これらについて私は「被害を受けた当事者」ではないですが批判はしますよ。「自分は恫喝DM攻撃やパワハラ・セクハラの被害を受けた『当事者』ではないから口を挟むのは止めよう」と云う態度で見過ごし続けてきた果てに行き着いた先が、今回発覚した映画秘宝のスキャンダルなのではありませんか?
例2:「いくら謝っても批判する人間たちは許さない。反撃できない人間を一方的に攻撃するな」⇒恫喝DM攻撃やパワハラ問題が発覚して、まだ3か月も経過していません。「いくら謝っても」と言うほどの年月は経過していません。それに、たとえ戦時中や戦前の事でも、何年経過しようとも「反省するべき事は反省するべきだ」と私は思います。加えて言うならば、被害者及び第三者の立場から岩田や町山ら、双葉社に対して求めているのは「公開の場での説明」です。すでに「被害者が非公開を望んでいる」と云うのは虚偽の理由だったと判明したのだから「経緯」や「再発防止の為の取り組み」について早急に説明をしてくれと望んでいるのです。
例3:「匿名で批判をするのは卑怯だ」⇒これまでエゴサーチしての恫喝DM攻撃や、信者ファンネルを利用した多人数攻撃と云う手法を行ってきた町山や岩田を擁護する人から、それを言われると驚きますね。私も基本的には「批判や議論は公平に行われるべきだ」と考えます。しかし「もしも匿名でなければ、批判した時に報復行為としてどんな物騒な事をされるか分からない」と不安を抱かせて、議論の場における必要最低限の相互信頼を損ね、顕名での批判を躊躇させる原因を作ったのは、町山や岩田に外なりません。
お願いだから、これまでトランプ政権や自民党政権を批判する時に貴方たちが披露し続けてきたのと同じぐらいの饒舌さで、自らが果たすべき「説明責任」を果たして下さい。
一番迷惑をこうむるのは、リンチされている人物が認識した敵だ。
このケースだけをとってみれば、Hagex氏にもそれなりに、煽った責任があるように思える。
しかし、一般化していえば、報復行為は、煽った事実がない人間を【黒幕】として誤想して行われる可能性もある。
ちょっとしたことで、俺とある人物がそいつのブログで論争を始めるようになった。その野次馬見物の場所が2chであった。
俺はただ、そいつが四方八方から叩かれているのをときおりウォッチしているだけだったが、次第に俺に敵意をむき出しにするようになった。
俺は黒幕じゃない、といっても理解してもらえず、次第にエスカレートした相手が俺の個人情報を見つけ出し、2chに晒すようになった。
妄想気味にあることないことを書き連ね、名誉棄損を行うに至った。
一方、野次馬の視点からすると、そいつが妄想に取りつかれたように俺を敵視して誹謗中傷する様が、面白おかしくみえるのだろう。
見物している連中が燃料を投下し続けたため、スレが更新され続け、30回を超えてもやむことはなかった。
自分の本名が毎日毎日ネットで晒され、罵倒されているかと思うと、気が散って仕事に支障がでてくるほどだった。
それだけではなく脅迫めいた個人的なメッセージもメールなどの媒体で確認していたので、生活圏に侵入される恐れもあるかもしれないと、じわじわとした恐怖感も生まれていた。
2chの野次馬連中が飽きて書き込みをやめるのを待つほかなかった。
幸いなことに、おそよ2ヵ月で鎮静化した。
この時の教訓は、燃料投下している野次馬を止めることはできないということと
案外と黙っていれば鎮静化するものだな、ということだった。
それは、要するに俺はブロガーには向いていないんだな、ということだった。
不謹慎なのだろうが、本当の意味で、ホッとしたのはこの時からだ。
そいつの追悼文をきっかけに俺のブログの更新は滞り、やがて停止した。
ブックマークによるコメントはストレス解消に、しばらく続けていたが、それもやめてしまった。
Hagex氏の事件を参照すると、当時のことがどうしてもフラッシュバックされてならない。
不思議なことに、その当時の恐怖感が呼び起こされるというよりは、そいつに対する当時の俺のいら立ちがむしろ呼び覚まされてくる。
終わってよかった、と思う反面ね。もう奴は死んでるのに、理不尽な目にあわされ、許しがたいと思う感情がじわりじわりと蘇ってきてしまう。
自然に消えていく感情もあれば、普段は全く意識しないけれども、ふとしたきっかけでよびもどされる残る感情もあるんだな。
正直、今となっては、全く必要のない感情だ。それなのにふと思い出してしまう。恐らく、報復する側にとっても似た感情が熟成されていくのだろう。
一方、Hagex氏殺害事件の場合、加害者の妄想に終止符が打たれた、というわけではない。そこはやはり注意を払う必要があるだろう。
「ま、俺には関係のないことだが」といいたいところだが、誰しも書き込みをした時点で関与を免れないと認識すべきなのかもしれない。
ざっと見た感じなので間違ってるかも。
アヴィダル・ロネルはニューヨーク大学の有名な哲学者で、専門にはフェミニスト哲学や倫理などもある。
この件と関係ないかもだが被害者はゲイでロネルはレズビアン。ロネルは相手と自分のことを "gay man and a queer woman" と言っている。
2012年の春から、性的接触やキス、ベッドでねる、性的な内容のメールを送る、メールの返事をくれないと一緒に仕事をするのを拒むなど。
被害者は2017年9月にセクハラ、性暴力、ストーキング、報復行為に関する訴状を提出。
大学は調査を行いロネルに責任があるとし1年間授業停止とした。
著名なフェミニストや学者などのグループが連名でロネルを支持する書簡を大学に提出。
被害者はRonellへの悪意あるキャンペーンを行っているとし、またRonellの学問への貢献や国際的評判を鑑みられるべきだとして、Ronellへの処分や訴えを批判している。
連名のトップは有名なフェミニストであるジュディス・バトラーであるが、後からこの手紙の文言はよろしくなかったと後悔している。
他にも生徒たちによってロネルの重要性を訴えかける署名などが行われている。
この件が重要なのはロネルでなく支持者の書簡のほうで、問題点が二つある。
一つは被害者の悪意を根拠なく決めつけている点で、これはセカンドレイプである。
もう一つは評価や評判をもって処罰を打ち消そうとしている点である。これは公正さを蔑ろにする行為である。
ジュディス・バトラーもそこのところを後から後悔している。
書き急ぎすぎた、訴えた人の動機を決めつけてはいけないし、ロネルの地位や評判をもって特別な扱いを引き出そうとしてもいけない、と。
バトラー程のフェミニストでも、セカンドレイプのようなことをやってしまうのだということは大事である。
決してフェミニズムに疎いから、相手の性を見下してるから、ミソジニーやミサンドリーだからそういう行為をしてしまうというわけではないのである。
嫌いなものは大抵の場合は誰にでもあり、それは趣味嗜好であったり、言葉の選び方だったり、食べ物だったり、ある人だったり、様々です。
オタクのスラングでは「地雷」というのが一般的ですので、以降そのように記述します。
私は、そんな地雷を踏んでしまった人の対応に違和感を覚えることがままあります。
わかりやすい例だとカップリングや作品、キャラクターの解釈の違いから生じる地雷を踏んでしまったとき、その地雷を生み出し設置した人物に怒りの矛先を向ける人たちです。
声が大きいためにひどく悲観的に、あるいは攻撃的になる人が残念ながら目立って見えてくるのです。
ある作品を書いた人がいます。それが受け入れられなかった人がいます。
これ自体は、自由です。表現の自由がある以上、誰にもそれを止める権利はありません。
謝罪を要求したり、公に同好の士とともにその作品を、あるいはその表現者を攻撃し共感し合う行為は、表現の自由を逸脱した加虐性をはらむ報復行為です。
当然、大半の人はそうではありません。不愉快になりながらも、自分なりのやり方で折り合いをつけていきます。
人はどうしても主観の中で自分を主体に生きていくもので、視界に気に入らないものが入ったとき、自分という人間に悪意が向けられたと勘違いし、自分の意に沿わないものに攻撃的になることがあっても不思議ではありません。
しかし、何かを作った人と、それを不愉快に感じた人は同列であり、間違ってもお互いに何かを強制することはできないのです。
それで終わりなのです。
こうした人はきっと、傷つけられることがひどく恐ろしいのではないかと思います。
昨今の若者は怒られることに慣れていないと言われますが、それに近しいものを感じます。
繊細なガラス細工のような心を守るため、攻撃的にならざるを得ないのだと。
しかし、自分の痛みにばかり敏感で、他人を傷つけることに鈍感なままでいては、怒れるあなたの人間としての品位を貶めるのではないか、と思ってしまうのです。
ぼくは人類が滅亡すればいいと思っている。そのための計画を遂行
ていっても目下殺したくてたまらない人もいないし、無差別殺人をしたいとも思わないし、志願兵になって戦地へでむこうとも思わない。ぼくがしたいことは個体の抹殺ではなく、人類という種族を消し去りたいのだ。
まあゆっくり語っていきたいと思うので章立てにしてまとめてみた
・どこまで本気なのか
・ぼくも人類滅亡させたい人と思う人はどのようにしたらいいのか
まず人を殺そうと思ったら権力と金がいるし、そもそも多くの人を殺せない。だって原爆ですら 20万ちょっと、津波ですら 1 万人。これじゃぜんぜん足りない。
人類は60億人もいるんだぞ。
たしかに原爆を10個打てば地球は崩壊するというが、そもそも原爆を打てとそそのかすほどの権力もない。
キム家やドナルド家に生まれたわけでもないし・・原爆を自ら設計するほどの学力がない。
東大の法学部にいって人脈をつくり総理大臣になりたいとも思わない。
しかし気づいたのだが、生きてる人の命を奪うのは犯罪だが、生きてる人をゆっくり殺すのは犯罪じゃないんだ。
さらに生まれてくる子供の数を減らすことも犯罪にはならない。たとえばブラック企業もゆっくりとした殺人だろう?ストレスと過労で寿命を縮め、人をゆっくり殺す。
一人っ子政策も、いま生きている人をころすのではなく、生まれてくる人の減らす。どちらも犯罪にはならない。しかし人類滅亡までの時間を縮ませることに成功している。
これは簡単。性欲を殺し、愛をころせばいいのだ。そうすると人を殺すことはできないが、生まれてくる人を減らすことができる。
そもそもなぜ人が子供を産もうと思うのかというと、その根幹には性欲、つまり H がしたいという欲望が先行している。
アルファベットもそうだ H I J 、つまり愛の前にHがある。愛は性欲の副作用なのだ。
じゃあすべきことは性欲を消すことになる。が、それは難しい。
性欲を人類から消すことはたぶんできない。だから性欲を人ではなく別方向に反らすことを考えよう。
AV とかエロ本の出現により性欲を人からバーチャルへ移行することに成功している。現にっ草食系男子などという言葉が跋扈している。
これは性欲を人ではなくバーチャルへそむけてしまった成功例である。しかしまだ足りないもっともっとリアルさがほしい。しかも愛を向けるには AVでは足りない。AKBやアニメも一方方向過ぎる。
工知能で人間そっくりの AI(あい)子ちゃんを造れば、人は愛すらもバーチャルへ向ける。だからそのためのソフトを作り出したいのだ。そのためにはプログラミグをし
らなきゃならない。
これは明言するのは差し控えたい。というのも宣言してしまうと国家転覆罪に抵触するおそれもあるし、ちゃかした答え方をするとだれも信じてくれないからだ。
ただ、やることはやる。こう宣言しておきたい。
地球を滅亡させることはしない。だが、人類滅亡計画とはいまや誰にでもできるようになったことを考えると、俺にもできるんじゃないか、と思う人はいるだろう。。。
目を閉じて考えてほしい。いま北朝鮮がミサイルを打とうとしている。もし打てばアメリカが報復行為にでてくる。でてきたらアメリカもさらにミサイルを打つ。仕返しする・・・・つまり戦争がはじまるのだ。
じんるいめつぼうなんて別にしようと思わなくとも、自然に発生するものだ。このことを頭にいれておいてほしい。
これが本題である。この記事を読むとだんだん人類滅亡に加担したくなってきた人もいるかもしれない。いやなあいつを消すことだってできるんだ。
じゃあどうするのか。答えは1つ。プログラミングを勉強するしかないのだ!! *´艸`)
ぷろぐらみんぐができる人を求める企業は驚くほど多く、世界的にもプログラミグのできる人を喉から手が出るくらいほしがってる。ということはこれを勉強しておくだけで就活にも有利だし、なにより憧れの海外生活も夢じゃない!シリコンバレーにもいけちゃうかも!?
じゃあどうやって勉強したらいいだろうか?答えは簡単、当サイトを通じてプログラミングの本を購入しよう!!!
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
プログラミング勉強したいけどわからなーい(´;ω;`)ウッ…
プログラミグ?何それ?おいしいの??(^q^)
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
プログラミング経験が豊富な当管理人が厳!選!した史上最強のプログラミグ本をおすすめします!!
さ!ら!に!
当サイトを通じてプログラミングの本を購入された方には抽選で管理人直接のプログラミング指導をうけられちゃう!!!
当方が教えた人はもれなくツイッターのクローンサイトがつくれるようになり、フリーランスとして働く意思をもった人が続出しています!!!
さあ、どしどしクリックしてください!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ クリックはこちら ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ クリックはこちら ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ クリックはこちら ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓